食い意地ラジオ
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食い意地ラジオ

もしもし五島列島 174 Episodes
もしもし五島列島

9月14日、“くいしんぼうの日”に食の神様に愛されすぎて爆誕した私が、ただただ食への愛とおさまらない食い意地を発散させてます。

変でごめんー!だけどみんなと食欲わかちあいたい!ほんとポッドキャスト感謝!これなかったら私の食欲の発散場所なかったよ!!!!!ありがた祭り!

音声とか聞きにくめなところ多いですがまだ成長段階なので🤱やさしくみまもってね🦷

食べ物に愛を伝え、食への情熱を仕事に、、、という野望をこめてお届けします。職業食いしん坊として生きてくぞ〜。ちなみに本業はわーいでのんきなクリエイター「もしもし五島列島」です。よろしくね(圧)

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成城石井への怒り

成城石井への怒り

Apr 5, 2026 11:19 もしもし五島列島

• 成城石井への宣戦布告 ―― 150円の正体手にした12品目のサラダ。マイバスケットなら290円、成城石井なら450円。中身は同じ工場、同じ具材。この差額への怒りがどうしても収まらないけどまた同じことしそう。成城石井怖いよ。• 5%・10%割引の「微かな幸せ」レジで気づく「意外と安くなってない」という現実。でも、割引シールは節約のためじゃない。それを理由に「これ、買っちゃおう」と自分を甘やかすための、免罪符という名のエンターテインメントなのだ。• 人生を支えた「ボルシチ」の衝撃ロシア料理店で出会った、ボルドー色のスープ。成城石井は、そのマイナーな「血の色」のスープを、お惣菜として用意してくれている。水(スープ)にお金を払うという壁を越えさせる、ブランドの凄み。• 「もしもし成城石井」への改名案?ラベル一枚で人を狂わせ、高くても「やっぱり成城石井がいい」と思わせる圧倒的な存在感。イラストレーター「もしもし五島列島」を捨て、いっそこの強靭なブランド名に改名したいほどの敗北感と憧憬。• ソクラテスも驚く「無知のハッピー」知らない方が幸せだった。マイバスケットの正体を知らなければ、私は成城石井のサラダを最高のご馳走として立ち食いできていたのに。解像度が低いからこそ、駅の階段を登るだけで「F4の世界」のように楽しめる私の人生。成城石井の惣菜は、味や見た目だけではなく「成城石井で買っている自分」という物語を食べているのだと思う。工場が同じだと知ってしまった今、私の心はマイバスケットの冷たい現実に引き戻された。290円のサラダと、ラベルが貼られた450円のサラダ。160円あれば、美味しい牛乳がもう一本買えたはずなのに。けれど、ボルシチという「庶民には遠い異国の味」を身近に置いてくれる成城石井の優しさは、やっぱり捨てがたい。スープは水だ。けれど、あのボルドー色の水に150円余計に払うことで、私は日常の少し先にある「リッチな時間」を予習しているのかもしれない。知らないことは、最高にハッピーだ。バラのお風呂を知らなければ、銭湯の薬湯で王族の気分になれる。成城石井の「正体」を知ってしまった私は、もう無邪気な立ち食い客には戻れない。けれど、騙されていると分かっていてもなお、あのラベルが放つ「威厳」に抗えない自分も、また愛おしいと思うのだ。これからは、成城石井で買うときは「私は今、150円の夢をトッピングしている」と自覚しながら、背筋を伸ばしてレジに向かおう。

めんどくさいことは、「めんどくさい」とおもったときがいちばんめんどくさくないからそこのタイミングで

めんどくさいことは、「めんどくさい」とおもったときがいちばんめんどくさくないからそこのタイミングで

Apr 3, 2026 10:02 もしもし五島列島

​ 小籠包の「底」にある意地チュルチュルした蒸し小籠包への不信感を払拭したのは、ガリガリの「底」を持つ 焼き小籠包だった。それはまさに北海道の雪底ブーツ。食べ物を食べ物として守るための、丈夫な意志がそこ(底)にはあった。​ 「スープを先に飲む」という矛盾への提言「先に穴を開けて汁を吸え」という公式ルールへの違和感。スープこそが本体なのに、なぜ先に解体しなければならないのか。だけど酢好きとしては、小籠包をお酢を大量に摂取するための「器」にしてくれてるのはありがたぴ。​ 肉汁ビッシャー! 軸ブレ人間の悲劇他人の食べ方に気を取られた一瞬の隙。閉じるタイミングを失った口から放たれた肉汁の弾丸。お気に入りのジャンパーは犠牲になったけれど、それは「紙エプロン」という予習をサボった自分への報いだった。​ 「めんどくさい」は、今この瞬間が最小値自転車カバーと同じ。後回しにすればするほど、めんどくさいは成長し、巨大化する。「めんどくさい」と思ったその時こそが、人生のやり時。小籠包の汁を浴びる前に、私たちはエプロンを着けなければならない。​ 北九州の激渋居酒屋と「自分への酔い」知らない土地で一人、居酒屋の暖簾を潜るカッコつけ。中身が謎すぎる「10種類入り洋風お好み焼き」に困惑しながらも、テレビと喋る店員さんの余裕に救われる。カッコつける勇気が、新しい景色を見せてくれる。お客さんより店員の数が多くてそれゆえ、お茶を一口飲むと一口注いでくれるお店はいい店だ。めんどくさい、という感情には鮮度がある。その場でエプロンを借りれば一瞬で終わったはずのことが、断ったばかりに、ジャンパーの洗濯という巨大な「めんどくさい」へと膨れ上がる。自転車のカバーも、後片付けも、今やるのがいちばん!

ハンバーグの本質は、「肉のハナマサハンバーグ」に学び、準備の大切さは「キューピー3分クッキングに学ぶ」

ハンバーグの本質は、「肉のハナマサハンバーグ」に学び、準備の大切さは「キューピー3分クッキングに学ぶ」

Mar 31, 2026 20:19 もしもし五島列島

エッセイ①:キューピーの三分間と、私の不時着人生私はこれまで、予習という言葉を辞書から消し去って生きてきた。教科書を先に読むくらいなら、現場で盛大に転んで膝をすりむく方が、よっぽど情報の入りが良いと信じていたからだ。しかし、この歳になってようやく「予習」という名のカンニングペーパーの重要性に気づき始めている。その代表格が『キユーピー3分クッキング』だ。大人はあの番組を「本当に3分で終わるか」なんていう、小学生の「うんこ」並みの低レベルな視点で見たりはしない。私たちが圧倒されるのは、あの3分のために費やされた狂気じみた事前準備の凄みだ。オープンキッチンでありながら、調味料一つどんぐらがしゃん(転倒)させず、汚れた姿を一切見せない。調理技術以前に、あの「散らかっていない」という一点にこそ、プロの腕が凝縮されている。Netflixの『白と黒のスプーン』に出てくる一流シェフたちもそうだ。キッチンが綺麗であればあるほど、料理は美味くなる。私は今、明日のハンバーグという不時着予定のフライトを前に、生まれて初めて「散らかさない予習」をしようとしている。しかし、15分かけて歩いて聞きに行った祖母の助言は「玉ねぎが好きなら生、嫌いなら炒める」という、味の真理をどこかへ置き去りにした「好き嫌いの二択」だった。おばあちゃん、私は美味しいか否かを聞いているのに。エッセイ②:肉のハナマサという名の衝撃と、繋がれたい愛私の自炊能力が壊滅的だった高校時代、お弁当という名の戦場を救ってくれたのは、コンビニの121円のチルドハンバーグだった。ひじき煮やきんぴらごぼうがその奥ゆかしい量で同じ値段をとる中、ハンバーグだけは圧倒的なボリュームでメインを張り、ご飯の上に虹(ふりかけ)を降らせてくれた。しかし、レトルトハンバーグへの概念を根底から覆したのは、肉のハナマサだった。2個入り298円という、この世のものとは思えない安さ。パッケージを突き破らんばかりの、大人の手のひらサイズ。一口食べれば、そこにあるのはレトルト特有の練り物感ではなく、脳内メーカーが「肉・肉・肉」で埋め尽くされるほどの圧倒的な肉感だ。島へのお土産にしたいと願うほど、それは私にとっての福音だった。世のグリルレストランはこぞって「牛100%・つなぎなし」を謳い、目の前で半分に切るパフォーマンスを披露する。しかし、私は声を大にして言いたい。ハンバーグは、繋がれていてほしいのだ。肉感だけを追求するならステーキでいい。ハンバーグに求めているのは、つなぎという名の優しさと、手ごねという名のカモフラージュされた愛だ。ふわふわとしていて、どこか霧がかかったような「モヤフード」であってほしい。結局、祖母のみかんジュースを飲んで帰るだけの予習になったけれど、私は知っている。明日のハンバーグが成功するかどうかは、玉ねぎの炒め具合でも肉の配合でもなく、最後にすべてを包み込む「ソース」が美味しいかどうか、ただ一点にかかっているのだということを。

ランチミーティングって何!?!二つもある耳ですら同時に同じことしか聞けないのに、話すと聞くは両立できません。口は一つしかないよ。飴のなめどきも難しくて舌をコインランドリーにさせる。

ランチミーティングって何!?!二つもある耳ですら同時に同じことしか聞けないのに、話すと聞くは両立できません。口は一つしかないよ。飴のなめどきも難しくて舌をコインランドリーにさせる。

Mar 31, 2026 14:01 もしもし五島列島

ランチミーティングなのに、ランチの食べどきがわからんくてパニックになる。私は要領が悪い。その代表格が「ランチミーティング」という、人類が生み出した最も残酷なシステムだ。ミーティングというからには話すべき大事なことがある。しかし、目の前には美味しそうなランチが並んでいる。私は一体、いつ噛んで、いつ飲み込めばいいというのか。「話す」と「食べる」を両立するのは難しい。口は一つしかないのに。そもそも、二つもある耳ですら、違うことを一度に聞けないのに、口がそんなに器用なことできるはずがない。もし、その日のランチのメインの一番デカい欠片を口に放り込んだ瞬間に、相手から難しい質問を投げかけられたら?せっかくのメインを急いで胃にウォータースライダーしなければいけなくなる。私は獲物を加えたまま巣に戻る親鳥、あるいは頬袋をパンパンにしたリスのような顔を晒しながら、白目を剥いて咀嚼を急ぐしかない。リスの顔でビジネスの核心を突くことなど、果たして可能なのだろうか。口の中を見せるといけないと思って片手を犠牲にすると、ナイフとフォークを使う食べ物だったらその作業をしてる暇もなく、口に入れる前準備もできずに余計にパニック。スープとて油断はできない。相手がよそ見をした隙に、器から直接ダイレクトに流し込めば時短にはなる。しかし、それがポタージュだった場合、器の縁に残る「流域の残像」が、私のガサツさを雄弁に語ってしまう。「噛む」という行為は、時に思考を妨害する。らっきょうをボリボリと噛み砕く音は、相手の大事な話をかき消すロードサイドの「バ〜ニラバニラ高収入〜〜」のような広告トラックのようなものだ。舌だけで粉砕できるほど柔らかい、「歯いらずフード」の高級肉だけが供されるミーティングに呼ばれる身分にならなければと、血眼に決意。あるいは、舌だけでヒレカツを粉砕できるほど舌の筋肉を鍛え上げ、フェイスリフトアップと効率的な咀嚼を同時に手に入れる。後者の方が現実味があるので、舌トレしよう。それこそが、ランチミーティングという荒野を生き抜く唯一のサバイバル術なのかもしれない。失われたチュッパチャップスと、コインランドリーと化すの打ち合わせ前の舌私は、飴という存在の魅力に、おそらく人類最高齢で気づいた女である。私の高校時代、世の中は「片手にチュッパチャップスを持って帰宅する」のが女子高生のステータスであり、全盛期だった。制服を着て、飴を舐めながらタピオカ屋に寄る。そんなキラキラした計画は、ベッドの上で過ごした私の暗黒の青春によって霧散した。私はチュッパチャップスを経験せぬまま大人になり、飴の食べ方を知らないまま社会に放り出された。先日、オンライン会議の5分前に、計画性を持って、さすがに会議前には舐め終わってると思い、飴を口に入れた。3分もあれば溶けるだろう。そう高を括っていた私は、形が丸ではない飴のタイプの執念を甘く見ていた。会議開始1分前、口の中にはまだ八割の飴が鎮座している。私は焦った。舌をコインランドリーの脱水機のように激しく回転させ、摩擦熱で飴を溶かそうと試みたが、飴は微動だにしない。結局、会議開始のチャイムと共に、私は涙ながらに飴を「ペッ」と吐き出した。飴デビューが遅すぎた私は、その造形によって溶ける速度が異なることすら知らなかった。予定の前に飴を舐めるなら、絶対に「まん丸」を選びなさい。これは、失われた青春の空白を埋めるために、必死で舌を回転させた女が辿り着いた、人生の教訓である。【食い意地ラジオについて】9/14 、くいしんぼうの日に生まれた私は日々食べ物や食事の時間を抱きしめて過ごしています。食に対して毎日真剣に、全力で、血眼で向き合った結果、食事を睨むくらい食い意地が止まらなくなってしまい、1日中食のことしか考えられなくなってしまいました。そしてなんでも食べるようになってしまいました。食いしん坊がただ自由に暑苦しく、うざったく、食への愛と食い意地を爆発させているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓せているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓https://lit.link/kuiizi

飲めない割り勘の不条理〜私は記憶と体力がある〜&兄弟そろっての天かす探り

飲めない割り勘の不条理〜私は記憶と体力がある〜&兄弟そろっての天かす探り

Mar 31, 2026 09:54 もしもし五島列島

📌 今回のトピックス​ 祝・飲み会卒業宣言!「行けば成長につながるかも」というファンタジーはもういらない。嫌いな人、よく分からない人に自分を削る時間は終了。これからは「好きな人と、騙さない系の本気ご飯やで」が新基準!​ ラブおばあちゃんと展示会の温度差「大学卒業」に号泣し、「渾身の作品展示」には薄いリアクション。そのあとのおばあちゃん待望の丸亀製麺。打ち立てマイスターの看板も虚しく、炸裂する「出汁へのダメ出し」をききながらおばあの分も丸亀啜る。天かすの山から「イカの端切れ」や「でかい塊」を発掘する快感。それは小さな欲張りだけど、人間の価値を左右する(?)瀬戸際の行為。これを兄弟揃ってガツガツやってることが判明し反省。ネギとワカメを山盛りにする自分と、どう向き合うか。​ 法整備求む!「割り勘の不条理」390円のソフトドリンク一択の私が、なぜビール5杯の彼らと同じ金額を払うのか。一滴も飲まないアルコール代を肩代わりすることへの「南無阿弥陀仏」は自分の機嫌を自分で取るための「賢い選択」なのだ。記憶が鮮明な朝に、昨夜の支払いへの後悔ではなく、食べたものの「美味しさ」だけを思い出せる贅沢を、私は噛み締めていきたい。

命削ってでもたべたいネオバタロールとリースサラダといういろんな意味でお花畑。けど幸せ

命削ってでもたべたいネオバタロールとリースサラダといういろんな意味でお花畑。けど幸せ

Mar 26, 2026 14:42 もしもし五島列島

① ネオバターロールの沈黙 ―― アリも寄せ付けない楽園私たちは、時に知らんぷりをする天才になる。トイレットペーパーの芯が尽きそうなとき、ゴミ出しの袋をまとめるのが面倒なとき。そして、マーガリンという名の「トランス脂肪酸」が体に悪いと知ったときだ。アメリカでは禁止されている。アリすら見向きもしない。そんな物騒な噂を耳にしてもなお、私はネオバターロールの袋を開ける。あのヤドカリのような愛嬌のある形。その中心に鎮座する「生バター(実質はマーガリンだとしても、その響きは尊い)」が口の中でとろける瞬間、私の脳は一時的に麻痺する。休日の朝、このバターで頭をおかしくしてから見るプリキュアや仮面ライダーは、最高に面白い。彼らが戦う理由も、バターの背徳感の前では「美味しければそれでいいじゃない」という全能感にすり替わってしまう。母の「ネオバターソフト廃止宣言」という、わが家の健康革命に抗うために、かつての私は占いサイトに救いを求めた。スマホも図書館に行く知恵もなかった私は、ただ祈るように画面を見つめ、ネオソフトの安全を信じようとした。今はもう、命を削ってまで食べたいという切迫感はない。けれど、黒糖パンのあの深い茶色を見るたびに、私の家の愛犬を思い出し、あの禁断の「生バター」が喉を滑り落ちる快感を、密かに、かつ強烈に求めている自分に気づくのだ。② リースサラダのお花摘みと、蛍の墓の芋天ぷらかつて日比谷の地下にあるお洒落な店で、私は「リースサラダ」という名の虚像を注文した。お友達のパスタが確実な満腹を約束する一方で、私の前に現れたのは、中央に広大な余白を持つ「穴の開いたサラダ」だった。私はそれをお花摘みのように、葉っぱ一枚一枚を大切に摘み取って食べた。そうでもしなければ、その華やかなランチはわずか四口で終わってしまうからだ。添えられたパンを食べる際、私はこれ見よがしに提供された瓶入りのジャムとマーガリンを、限界まで塗りたくった。1,650円という高額なサラダへの、せめてもの抵抗である。店員さんが「全部食べきるわけがない」と思って用意した量を、私はケチくさく、かつ執念深く消費していった。その卑屈な食い意地の根源は、おそらく幼少期の「イモ天ぷら」にある。母が衣を食べ、私は中身の芋だけを与えられるという、まるで『火垂るの墓』の一場面のような食事風景。その切なさが、私を「芋だけならいくらでも食べられる体」へと作り替えたのかもしれない。今では母に芋を好きなだけ食べさせてあげられる大人になった。けれど、6枚切りの食パンを買えば一週間持て余し、冷凍庫で霜が降りるのを眺める日々。この「命削りフード」を街の人と分け合えるような、そんな優しいシステムがあればいい。ネオソフトとアヲハタのジャムを厚塗りしたトーストを、誰かと笑って分け合えるような、そんな穏やかな朝を私は今も夢見ている。

錦糸卵と、スカートのひだは、綺麗に、細かければ細かいほどいい。(タイトルキモ回ごめんだけど内容真剣です)

錦糸卵と、スカートのひだは、綺麗に、細かければ細かいほどいい。(タイトルキモ回ごめんだけど内容真剣です)

Mar 24, 2026 21:52 もしもし五島列島

あんぱんの美味しさは、あの白ごまに100%込められていると、私は本気で思っている。薄皮粒あんぱんは別の話だ。あれはもう完成された球体なので議論の余地はない。私が言っているのは、昔ながらの、ちょっと乾いた表面のあんぱんの話だ。上に、白ごまが、ポン、ポン、ポン、と10粒くらい。多すぎない。少なすぎない。絶妙に「責任を負わされている数」だけ乗っている。あれを、最後まで残しておく。絶対に先に食べない。あんぱんを食べ進めていくと、最後に、ごまの地層(あんぱんの中心部分)に到達する。そこだけ、あんこのおいしさが明らかに違う。同じあんこなのに、同じパンなのに、なぜか、そこだけ、信じられないくらい美味しい。きっと、あそこに全部込めているんだと思う。パン職人の気合とか、人生とか、祈りとか。ざるそばの刻み海苔もそう。中心で、湿気を吸って、世界一居心地が悪そうに固まっている。(パセリも)あの、黒い密集地帯。あそこを、最後に、そばと一緒に流し込む。ラーメンの海苔もそうだ。最後の一口の麺を、海苔で巻いて食べる。あの瞬間のために、ラーメンを食べていると言ってもいい。のり系を最後に食べるせいで、結果、私は、いつも歯に何かついている。人生の大事な部分を最後に回収しようとする人間は、だいたい歯に何かついている。【私を救ってくれた錦糸卵の話】北海道の朝食バイキング。2700円。震えながら会場に行った。前日の夜ご飯の誘いを断って、抜いて、スクワットまでして、胃を空にして、完璧な状態で臨んだ。なのに、刺身は、冷凍だった。少しシャリッとしていた。しょっぱかった。世界が、静かに終わった。そのとき、錦糸卵だけが、味を持っていなかった。味を持っていないことが、救いだった。しょっぱくない。主張しない。ただ、うつくしいぴしっとしたひだで、そこにいる。錦糸卵が、私の絶望を中和してくれた。あれ以来、錦糸卵は、私の中で、主役になった。⸻多分、私は、少ないものを信じている。量が少ないもの。上に、少しだけ乗っているもの。最後まで残ってしまうもの。それらはきっと、「本当の部分」なんじゃないかと思っている。そして今日も私は、歯に海苔をつけたままずっとしゃべってる。

三つ葉なめちゃいかん!あんぱんも、あのごまが主役だから。ランチパックは縁が主役。

三つ葉なめちゃいかん!あんぱんも、あのごまが主役だから。ランチパックは縁が主役。

Mar 23, 2026 23:56 もしもし五島列島

【食い意地ラジオについて】9/14 、くいしんぼうの日に生まれた私は日々食べ物や食事の時間を抱きしめて過ごしています。食に対して毎日真剣に、全力で、血眼で向き合った結果、食事を睨むくらい食い意地が止まらなくなってしまい、1日中食のことしか考えられなくなってしまいました。そしてなんでも食べるようになってしまいました。食いしん坊がただ自由に暑苦しく、うざったく、食への愛と食い意地を爆発させているラジオです。自我強くてごめん。【三ツ葉をなめていた話について】かいわれ大根とかよりなめてた。三つ葉のこと。親子丼の上にちょこんと乗っている、あの緑。茶碗蒸しの上に一応いる存在としか思ってなかった。大葉みたいに「俺が主役だ」みたいな顔も匂いもしないし、ネギみたいに「万能です」みたいな態度も取らない。三ツ葉はいつも、「別にいなくても成立しますけどね」みたいな顔をしている。だから完全に油断していた。だから、三ツ葉だけを食べた日の衝撃わすれられない!!味が立体だった。平面じゃない。立体。もっともっとみんな三つ葉褒めたほうがいいし、親子丼のうえにも茶碗蒸しにもあと50ばいくらいのっけなきゃいけないと思う。⸻こういう存在は他にもいる。あんぱんの上のゴマ。あの小さな点々の一粒一粒に、あんぱんの「完成」が委ねられている。ゴマがなかったら、あれはただの茶色い丸だ。ゴマがあるから、あんぱんは「あんぱん」になる!ゴマこそあんぱん!⸻パセリもそうだ。パセリを散らした瞬間、料理は「家のご飯」から「カフェ」になる。カフェ風ごはんというのは、パセリが乗ってるかどうかってだけ。味はほとんど変わらないのに世界観だけが変わる。パセリは、すばらしい演出家。⸻粉チーズも同じ。揚げ物に粉チーズをかけると、急に「イタリア」になる。さっきまで日本にいたはずなのに、粉チーズをかけた瞬間、地中海の風が吹き始める。粉チーズは、国境を越えさせてくれる。⸻そして、パン粉。私は気づいてしまった。カツ丼を食べている時、私たちは肉でご飯を食べているんじゃない。パン粉で食べている。あのふやけたパン粉こそが、ご飯を進ませている。パン粉は、もはやパンではない。調味料だ。⸻そして、ランチパック。あの縁。あの細い縁は、何のためにあるのか。これすごいよ。技術見せられてる。この細〜〜いティッシュちねったやつみたいな部分がご褒美。正直、中身がピーナッツなら、あそこまで閉じる必要はない。こぼれないのだから。なのに閉じている。あれは機能ではない。美意識だ。ランチパックは、パン界の製本なのだ。本を閉じるように、パンを閉じている。だからあれは、食べ物である前に、アートであり、「必要のなさそうなところまでちゃんとすること」を教えてくれる教科書である。⸻そして私は最近、理解した。本当に重要なものは、いつも少ない。三ツ葉は一枚。ゴマは数粒。銀杏は一個。パセリは少し。少ないからこそ、私たちは油断する。軽視する。なめる。でも、世界は、その「少し」によって完成している。⸻だから私は決めた。これからは、最初に三ツ葉を食べない。最後まで取っておく。世界を完成させる瞬間を、最後に残しておく。ちゃんと噛みしめてかみくだく。それが、具材への礼儀だからだ。

栄養ドリンクは「飲み物」として捉えてもポテンシャル高すぎる。おいしい牛乳戦法でみずから名乗っていきていきたいよね。

栄養ドリンクは「飲み物」として捉えてもポテンシャル高すぎる。おいしい牛乳戦法でみずから名乗っていきていきたいよね。

Mar 13, 2026 08:48 もしもし五島列島

① 「美味しい牛乳」の自己暗示と、白に染まれない自意識世の中には「美味しい牛乳」という、あまりにも堂々とした商品名がある。あれはもはや食品ではなく、威厳に満ちた「洗脳」だ。自分から「私は美味しい」と名乗ることで、飲む側の味覚を強引に正解へと導いていく。その潔さに倣い、私も「賢い中村です」と名乗り続ければ、いつか美味しい牛乳現象が起きて、脳の語彙力不足も解決されるのではないかと夢想している。けれど、そんな強気な私にも、朝食バイキングという名の「牛乳の結界」がある。五島列島で育った私は、牛のミルク感を全身で受け止める「後藤牛乳」という野生の味を知っている。牛乳への愛は人一倍なのに、なぜか人前で牛乳を手に取るのは恥ずかしい。それは私が「牛乳を飲みそうなキャラ」すぎて、その期待を裏切ることも、全うすることもできない、中途半端な自意識の現れなのかもしれない。他の誰が飲んでいても気にならないのに、私が白い液体を飲むときだけ、世界が私のキャラを見定めているような気がして、結局コーヒーを手に取ってしまうのだ。② コーヒーの「頑張りメーター」と、茶色い不穏な予感最近、あんなに好きだったコーヒーが飲めなくなった。一口で「うぇっ」となってしまうのだ。かつて大学の課題に追われ、パソコンをパチパチと叩いていた「パチパチ族」の頃は、1日4杯は平気だったのに。今の私は、いい意味で人生を諦め、頑張る体力を使い果たしてしまった。すると体の中の「コーヒー受容体」がこう告げてくるのだ。「お前、最近頑張ってないだろ? コーヒーを飲む資格はないぞ」と。コーヒーからカフェオレ、そしてココアまでもが喉を通らなくなりつつある今、私は恐怖に震えている。もしこの「茶色いもの拒否」が食の方へ侵食してきたら、私の愛するハンバーグや唐揚げはどうなってしまうのか。巷では「油っぽくない」「使い回していない油」が高級とされるけれど、私は断固として「使い回しの油」派だ。スーパーのしなびた惣菜に宿る、あらゆるエキスが溶け込んだ複雑な旨味こそ、揚げ物の真髄ではないか。もし茶色いものが食べられなくなったら、私はカキフライの衣を剥いで、その中のブルブルした身の部分だけをスプーンですくって食べる、孤独な富豪になるしかない。③ 栄養ドリンクは「複雑怪奇なカクテル」である最後に、栄養ドリンクという名の「甘すぎる聖域」について提言したい。あれを薬コーナーに置くのは、もはや欺瞞ではないか。あの瓶の、戦時中の防空壕のような頑丈さは何なんだ。喉が乾き、栄養を欲している人間に、あんな硬い蓋を強いるのは拷問に近い。鞄の中でカンカンと音を立てるあの重み。けれど、冷静に味わってみると、栄養ドリンクはこの世で最も「複雑でミステリアスな味わい」を持っている。裏ラベルを見ても呪文のような言葉しか書いていないのに、柑橘、バニラ、スパイスが絡み合ったあの濃厚なスイーティーさは、もはや「スペシャル・ブレンド・ドリンク」だ。いつか、シャンパングラスに注ぎ、氷を浮かべて香りを愛でながら飲んでみたい。流し込むのではなく、舌の上の全細胞でその複雑な幸せを受け止めたいのだ。栄養ドリンクを「元気が出るおまじない」としてではなく、純粋な「嗜好品」として楽しむ。それが、頑張ることをやめた私が辿り着いた、新しい食の境地なのかもしれない。【食い意地ラジオについて】9/14 、くいしんぼうの日に生まれた私は日々食べ物や食事の時間を抱きしめて過ごしています。食に対して毎日真剣に、全力で、血眼で向き合った結果、食事を睨むくらい食い意地が止まらなくなってしまい、1日中食のことしか考えられなくなってしまいました。そしてなんでも食べるようになってしまいました。食いしん坊がただ自由に暑苦しく、うざったく、食への愛と食い意地を爆発させているラジオです。自我強くてごめん。

お子様ランチ品評会②と理想のお子様ランチ計画

お子様ランチ品評会②と理想のお子様ランチ計画

Mar 12, 2026 28:19 もしもし五島列島

「お子様ランチ」という、大人が足を踏み入れることを許されない聖域。歴史を振り返り、さらに学びを広げていくと、そこには、旅館のホスピタリティから、90年前の開発者の登山への情熱、そして「砂鉄のようなのりたま」という怪現象も見つけました。あとやっぱり、自分の記憶の中のお子様ランチが一番美味しいんだって話。① 砂鉄のふりかけと、映らない飛騨牛 ―― 旅館に眠る「だけ」ではない迷宮〜やっぱり旅館で事件はつきもの〜お子様ランチの正解は、お子様がいる料理人にしか作れないのかもしれない。旅館のお子様ランチは、その情熱が桁違いである。旅館という場所は、みんなの癒しの場所できていて、そのためにはお子様ランチが「いかに子供を黙らせ、楽しませるか」という手段にならなきゃいけないので必死の知略があり見るだけで楽しい。下呂温泉のとある旅館で見つけた「お子様定食プラン」。低学年向けのお子様ランチと、高学年向けのお子様定食の2種類分けられている設定が、恐ろしいドラマを生んでいた。飛騨牛のサイコロステーキにお造りという豪華なラインナップを誇りながら、なぜかホームページの写真ではそれらが一切写っていないのだ。全く写っていないわけではなく、わさびだけ垣間見えてて「刺身匂わせ」はされてあるところが余計に怖いよ。ステーキは微塵も写ってない、代わりに中央に陣取るのは、うさぎの形をしたポテトサラダと、高学年でなければ直視できないほどリアルな顔が描かれた「たこさんウインナー」と言った安物たち。さらに驚くべきは、ご飯の上に鎮座する「のりたま」だ。その海苔は、まるで理科の実験で磁石に吸い寄せられた砂鉄のように毛羽立ち、見る者を威嚇している。豪華食材を映さず、砂鉄のような海苔と顔のあるタコを強調する。一方で、低学年向けプランにはうさぎの顔はあれど、タコの顔がない!!!!そして、低学年プランは全体像をハッピーに写してくれているのに、高学年プランは切り取り画像しかないぞ。なんだこれ。この「喧嘩」とも取れる不条理な構図に、私は旅館という名のテーマパークの深淵を見た気がした。裏で代表と料理人が揉めてるはず。お子様にステーキとお造りは早いとか、日によってばらつき出せるように写さんどこうとか。箸袋が高学年の方が幼くなってるのも事件性を感じる。島原のホテルでは、お子様ランチにラーメンがついていました。しかもチャーシューでかい。骨付き肉もある。時間稼ぎにいいよね。プリンとアイスの上にはあのビュッフェにいるシマウマ柄のロールがちゃんといるあたりも、動物園気分かつ、パティスリーでケーキを買った時の興奮を味合わせてくれる。オレンジジュースはホテル用のグラスに子ども用だから半分しか入れてない。優しいけど、ホテル用グラスなのはちょっと緊張する。やっぱり、お子様ランチはプラスチックのコップで持ち手付きでお願いします。② 富士山の頂と、私の生きる道 ―― お子様ランチの旗専門イラストレーターになりてえお子様ランチの歴史を紐解けば、1930年、世界不況の暗雲を払うべく「子供たちに夢を」という願いから生まれたという。開発者は登山好きで、ケチャップライスの山頂に白いご飯を載せ、富士山の雪に見立てたらしい。登山への情熱を隠しきれないその設計に、私は「ケチャップライスを白飯で隠すなんて、もったいないし、子供に希望与えたい割には自我強めだな」と思ったけど、そんなことよりまず感謝。白いご飯で隠すことはむしろ余白を楽しませてくれる白をご覧あれ〜という感じなのかも!!!!そんな歴史を学び、膨大な画像をパトロールした結果、私は一つの答えに辿り着いた。私のこれからの生きる道、それは「お子様ランチの旗専門イラストレーター」である。お子様ランチにおいて、旗、大事だけど、考えもなく世界の国旗を刺すのは危険。昔バイトしていた寿司屋で、外国人のお子様にどの国旗を刺すかでキッチンではみんながわざわざ手を止めて、会議が開かれていた。世界情勢も絡む。旗一本で外交問題。大幅なタイムロス。世界情勢に配慮して国旗を選ぶことに神経を尖らせるバイト時代のロスをなくし、イラストレーターとして、子供たちが純粋に笑顔になれる、それぞれの店舗に合わせたお子様ランチの旗を描く。それこそが、私の使命だ。最後に、私が理想とする「トリプル3(スリー)ランチ」のを提案したい。3つのご飯(チキンライス・のりたま・カレー)、3つのアンパンマンポテト(食パンまんとカレーパンマンを両脇に)、そしてエビフライという強すぎる個性に忖度しない3種のコロッケ(野菜コロッケ、クリームコロッケカレーコロッケ)そしてカキフライも乗っけていいですか。それらすべてに、私の描いた旗を立てたい。コーンスープの海は旗が立つくらいドロドロでコーンたっぷり!旗のイラストご依頼お待ちしております。

お子様ランチ品評会①

お子様ランチ品評会①

Mar 8, 2026 1:10:01 もしもし五島列島

私はもう、お子様ランチを頼めない年齢になった。でも思い返してみると、子どもの頃に情熱をもって「お子様ランチが食べたい!」と言った記憶はない。気づいたら、目の前にあった。あれは自分で選ぶものではなく、「与えられるもの」だった。ファミレスでコインがもらえて、外のガチャガチャが回せるから頼む、ということはあった。でもそれは、お子様ランチそのものを欲していたわけではない。だから今、頼めないとなった瞬間に、猛烈に食べたくなる。人は、失ってから気づく生き物らしい。最近の「大人のお子様ランチ」は豪華すぎる。艶々の肉汁ハンバーグ。とろとろたまごのオムライス。しっかり自立するプリン。バジルをやたらとかける。白いソースもやたらとかける。自立するエビフライへの激しい忖度と多すぎるタルタルソース。私たちが求めているのは、洋食のフルコースではない。「大人のお子様ランチ」という言葉を聞くたびに、私は言いようのない違和感に襲われる。洋食屋が自信満々に差し出すそれは、陶器の皿に盛られ、エモいって言葉で全てを解決させる世の中の象徴のような気品を漂わせ、そして何より高すぎる。私たちが求めているのは、そんな「本気」ではないし、豪華で完成されたものじゃない。お子様という身分を生かしていつの間にか与えられていたお子様ランチとは違い、自分で選択しなければいけない『大人のお子様ランチ』がここまで豪華である必要はない。大人に媚びていないこと。格上げされていないこと。「どうせ子どもだからこれでいいでしょ」という雑さの中にある、妙な誠実さを受け入れる練習が必要。私が焦がれているのは、プラスチックの仕切り皿という名のチープな宇宙だ。周りに描かれたキャラクターがデカすぎて皿のイラストを見る方がもはやメイン。そこに「旗」という立体の名の主権と、果汁飛び出してベタベタになるミニゼリーとニコニコポテトとコーン入りの短い麺べっちょりナポリタン、安そうで薄そうなハンバーグをもってしてお子様ランチというのは成立する。1週間、私は貪るようにネットの画像を眺め続けた。白い恋人パークの「お子様ランチなのにパセリをかけてしまう」という、隠しきれない人気高級ブランドの矜持。デニーズの「ナポリタンのコーン」という、正解すぎる彩り。そして、何より私を熱狂させるのは「ニコニコポテト」の存在だ。普通のポテトなら、他のメニューの付け合わせを流用できる。しかし、わざわざ「ニコニコ」を仕入れているということは、その店がお子様ランチに対して「これは特別な一皿だ」という敬意を払っている証拠なのだ。品評会は深淵へ向かう。やよい軒のミッフィー皿に見る「タルタルソースのポテサラ擬態」。ほっともっとが資本なやよい軒。ほっともっとの弁当といえば個人的に『ポテサラ』と思っているので、だからこそ、タルタルソースすらポテサラの形にして出したいプライドがあるんだろうね。どこかの魚センターの「舟盛りプレートの上にハンバーグが鎮座する」という、お子様ランチのプレート以外で、ちゃんと居酒屋でも流用できるいい土台を発見しましたね!!!!舟盛りの上にお子様ランチを乗っけるって!そうじゃんそうじゃん。車の皿の上と同じだよね。そして海鮮の店なのに肉類多くてありがとう。貝の皿に入った3つのミートボールが真珠のように輝く。豊洲市場のお子様ランチは包丁の技術を見せたいのかなんと、ミニトマトが半分に切られていた。ちなみにお子様ランチはミニトマトであって欲しい。くし切りやめて〜とは言ったものの、ここまで求めてないよ。イチゴも半分。市場のプライドが見える。さらに、ミニゼリーをわざわざひっくり返して出している。各ファミレスへ、ケチャップはかけて出せ!!!!パウチのケチャップをドンと置かないで!子どもはちぎれない。親が結局やる。それだとお子様ランチの意味がない。親に手の自由を!ふりかけは卵であれ!お子様だからと言って、安いプライベートブランドの卵じゃなくて!ちゃんと美味しいやつ。鰹節は違う。のりたま。卵系。あの黄色い粉。そして、上だけにかけるな。全面にかけろ。ふりかけが白おにぎりに上だけしかかかってなかったトラウマは永遠刻み込まれているからね。3,245円という「大人のお子様ランチ」の頂点、キッチン大宮。そこには「人参グラッセ」を「キャロットグラッセ」と呼ばせる、新たな世界。いいものは、なんでも英語で呼んでいこうね。一食1,000円以下のランチしか知らない私には到底届かない、黒いデミグラスソースの壁があった。黒さは高級。高級とは黒光り。流石の三越伊勢丹の気品あふれる旗付き御膳はアワビとローストビーフだぞ。『大人のお子様ランチ』って言ってるけどこれだともはやおばあさんランチじゃないか。もっと柄で誤魔化そう。余白たっぷり。盛り付けは雑でいい。立体アートは禁止。陶器、出てくるな。中でも私の胸を打ったのは、鹿児島の「ひよこテーブル」だ。ブロッコリーをただ添えるのではなく、半分に切り、その半分をさらに細かく分類させ、チキンライスの上にタンポポの綿毛のように散らす。そのあまりにも過剰な愛に、私は食べてもいないのに泣きそうになった。型抜きの星や音符に、『お子様ランチへの愛』が伝わるし、卵焼きの焼印、ハンバーグに刺さる側も素晴らしき。ナポリタンの上のタコさんウインナー!子供用のものにバジルをかけるなと怒っていた私だけど、この弁当においてはバジル見えてないよ。エビフライという主張激しい割にか弱くて自立できない存在を二つのしっかり系唐揚げが支えてるの、いい!ブルゾンちえみwithBみたいな感じ。女の特権は使えるうちに使っとけってことはお子様の年から知っておいた方がいいことだもんね〜。けどね、これだけ食べたいと言っておいて本当はお子様ランチなんて絶対に頼まないので安心してください。普通に大人用のパスタか、唐揚げ定食食べます。大人になって子供の時のワクワクを振り返る必要はなくて子供の時の記憶はそのまま、丁寧に真空保存するのが正しいと色々学んできています。ひよこテーブルお子様ランチ|鹿児島で宅配、配達弁当ならひよこテーブル【お子様ランチ】小さいお子様用のお弁当のリクエストが多いのでご用意いたしました。チキンライスを可愛く彩り、ハンバーグやエビhiyokotable.com780円ひよこテーブルで購入するオキナワお子様ランチの記事オキナワお子様ランチワールドお子様ランチ、そこに沖縄要素はあるのだろうか。沖縄県内の食堂のお子様ランチをちょこちょこ(息子が)食べ歩いたのでそのコレクwww.dee-okinawa.com

天丼のタレは黒蜜より甘い。たぬきうどんは化けの皮はいだら、ただの天かすうどんなんで。丸亀製麺のおにぎりのフィルムをボンタン飴のように食べたい。

天丼のタレは黒蜜より甘い。たぬきうどんは化けの皮はいだら、ただの天かすうどんなんで。丸亀製麺のおにぎりのフィルムをボンタン飴のように食べたい。

Mar 4, 2026 24:40 もしもし五島列島

天ぷらは汚れているほうがうまいし、たぬきうどんを頼むのは「バカ」と言いたかったけど、必ずわかめうどんを頼む私もバカになったので結局はバカこそ王者という話〜〜〜天ぷらの話をしたい。大海老天の話もしたいし、衣がわしゃわしゃしている緩衝材みたいなのがいっぱいついてるみたいなゴツゴツ天ぷらが好きだ!という話もしたいし、天ぷらの油はたぶん綺麗すぎないほうが美味しいんじゃないかという疑惑もある。透き通ってない方がいい。天ぷらの衣にくせえ匂いを染み込ませてくれ〜〜〜〜〜それから、天ぷら職人が素手で油を触っているのを見るたびに「人間ってここまでいけるんだ」と思う話もあるし、衣を油に入れるときに箸でこそぎ落とすあの動作は、もう法律で禁止にしてほしい。たっぷりつけたままでいいんだよ!何を落としてるんだ。だけど、私は常に欲張りだし、デザイナーとしてお世話になっている会社の人から毎回「中村さんのデザインは盛り込みすぎ。引き算して」と言われるので結局引き算・・・・大切なのか・・・胃もたれデザインは世の中には必要ないっぽいもんね。確かにみんな時間なさそうだし。特に東京の人たち。歩くスピード早すぎるよ。だけど言いたい、お弁当のしなしな天丼は異常に美味しい。他の揚げ物の匂いも入ってて、天ぷら衣がブワアっとふ焼けまくってるもの。天ぷら衣をそぎ落としてないからこその報酬。天丼のタレはビッシャーがけでお願いしたいし、天丼の美味しさの9.9割はあの甘すぎるタレが担っていると思っている。黒蜜より甘い。世界一甘い液体だ。天丼屋に行くと「天丼」と「上天丼」が並んでいて、その差がほぼ「エビが乗るかどうか」だけなのがちょっと許せない。みんなエビにヘコヘコしすぎてない?結局みんな、エビがいちばん偉いと思っている。確かに私も思っている。エビはいい。すごい。生エビ食べてえ。昔、お金持ちの人に蕎麦屋さんに連れて行ってもらったとき、大海老天が一本500円で、「お腹に余裕があるなら2本にしていいよ」と言われたことがある。あのときの感謝は一生忘れない。どうやって恩返しすればいいのか、いまだにわからない。そして本当の本当に「大」海老天だった!すごい!プリップリカレンダーが1日を指すと、私の心の中では密かに「丸亀製麺の釜揚げうどん半額わっしょい祭り」の幕が開く。丸亀製麺が釜揚げうどんを半額で提供するその日、先月も何もしなかったな〜と、やりたいことだけ溜まったカレンダーをめくって一応取っておくけど結局一年分溜まりまくっている絶望感さえ、うどんの湯気の向こう側へと消えていく。不思議なのは、並んでいる人々だ。前日から「明日は丸亀だ、わっしょい」と魂を震わせていたはずなのに、いざ列に並ぶと、皆一様に「たまたま今日、うどんの気分だったんです」という涼しい「おすまし顔」を決め込んでいる。もちろん私もその一人だ。おすまし顔でトレイを滑らせ、半額で浮いたお金を軍資金に、普段はケチる天ぷらコーナーへと突撃する。そこで私を待っているのは、胃もたれという概念を人生で初めて教えてくれた存在の巨大なかき揚げ。そして、丸亀界の最安値、50円で我々を支え続けてくれる「ごぼう天」だ。ごぼうは、もはや天ぷらという名の「ガム」である。噛めば噛むほど土の旨味が広がり、骨身に染みる。ありがとう。そして、おにぎり。あのシャカシャカしたフィルムに包まれたおにぎりは、まるでカメラのキタムラで現像したばかりの大切な思い出を入れる袋のよう。これに包まれているから、完璧な湿度で守られて異様に美味しいおにぎりになってるんだな。通常、「うどん定食」など、白ごはんと白うどんの組み合わせを許していない私が、丸亀の時は、うどんと米を同時に食う。かつて友人の母から貰った二重ラップのおにぎりを、一回しか剥がずに、もう一つは残したままおにぎりを食べてラップごと飲み込み、数日間便秘に苦しんだ私にとって、あの剥がしやすいフィルムは「文明の優しさ」そのものであるけど、むしろ食べたくなってるし、一度食べ切った経験が謎の自信を生み出してくれている。かかってこい。「たぬきうどん頼む人はバカ」なぜなら、「たぬき」という可愛いひらがな3文字でわたしたちを騙しにきてるから。化けの皮はいだら、ただの天かすうどんなんで。私はかつて、家のひらがな表の中でも「ぬ」をじっと眺めていたことがある。便秘がちなので、トイレによくこもるからとにかく見ていたよ。50音表の中で、最も丸みを帯び、最も「造形」としての完成度が高い文字。ひらがなキーホルダーを作るなら、迷わず「ぬ」の一文字だ。二文字の名前を授けてくれた親に、一文字分のカスタム料金を節約させてくれた感謝を捧げつつ、私は「たぬきうどん」という不条理について考えを巡らせる。たぬきうどんを頼む人はバカなぜなら、天かすは多くの店では無料で提供されている「揚げ物の残像」だから。それにお金を払うのは、まるで空気を買うようなものではないか。しかし、京都で言われてるの「たぬき」を知って、私の偏狭な正義感は打ち砕かれた。刻み油揚げをあんかけにし、おろし生姜を添える。化かされているのは、天かすではなく、私の固定観念。さすが京都様。デパ地下の祭事で京都のだし巻き卵に釣られて立ち止まった店で、「鴨肉でごわす」と試食を差し出してきたお姉様の、あの一歩踏み込みまくった接客のような衝撃だ。京都はいつだって「かまし」を重ねてくる。天ぷらの衣を揚げ油に削ぎ落とす職人の仕草を法律で禁止したいと願うほど、私は「衣の余白」にうるさい人間だが、お弁当のしなしなになった天丼の、あの黒蜜より甘いタレには、無条件で降伏してしまう。1本500円の大海老天を「二本いっていいよ」と言ってくれたあの人の恩恵を、私は一生、胃袋に刻んで生きていく。エビこそが「上」であり、幸せの指標。天ぷらでも洋食でも常にエビをトッピングできる人生でありたいよね。私はこの「ぬ」のような丸みのある幸福を、うどんの出汁と共に啜り続けたいと思う。だけど、まだたぬきうどんに怒りたい。一瞬京都のおかげで騙されたけど、ただただ、天かすうどん。それなのに、だいたいきつねうどんとか、とろろうどんと同じ値段をしている。だったらとろろを頼めばいい。絶対に手がかゆくなるし、手間もかかってそうだし、原価も高そうだから。きつねも、お店でちゃんと炊いてるなら全然ありだ。しかも多くの店では、天かすって無料で置いてある。自分で入れればいいじゃないか。たぬきうどんは、最初から厨房で天かすが入れられていて、届いたころにはもうブヨブヨしている。あの感じ、テレビショッピングで羽毛布団をぶん殴ってるときのモワモワに似ていて、ちょっと怖い。ただし、どん兵衛のたぬきだけは別格だ。あれはもう別の宗教。150円であの世界を出されると、蕎麦屋に行くたびに脳内で緑のたぬきが点滅してしまう。ちなみに私は、うどん屋さんではよく「わかめうどん」を頼む。でも丸亀製麺が、ついにわかめまで無料にしてしまった。つまり私は、バカ側に回った。丸亀製麺はすごい。毎月1日、釜揚げうどんを誰にでも半額にしてくれる。なのにその日に、普通のかけうどんを頼む人が一定数いる。しかもそういう人は、だいたい変な時間に来る。半額の日、みんな心の中では「わっしょい祭り」なのに、全員すまして並んでいるのも愛おしい。私ももちろんすまして、「たまたま今日、釜揚げうどんの気分でした」みたいな顔で半額を享受する。その浮いた分で、天ぷらを取る。ごぼう天。50円で、噛めば噛むほど旨い。ガムみたいな天ぷら。ありがとう。丸亀製麺のおにぎりのフィルムも最高だ。あのフィルム、写真屋さんで現像した写真を包んでくれるやつと同じ気がする。ボンタンアメにおけるオブラートのように、あれごと食べられたらいいのにと本気で思っている。丸亀製麺ではいつも、後ろの人に急かされて、いちばん食べたくない天ぷらを取ってしまう。夢の中でもよく出てくるのが丸亀製麺だけど、いつも一番いらない天ぷらとってしまっている。だけど、後ろの人に急かされて落ち込んだ日は無料トッピングの天かすの中にちょっと具材が入ってたりして、欲より規律を守った私にご褒美をくれる。【食い意地ラジオについて】9/14 、くいしんぼうの日に生まれた私は日々食べ物や食事の時間を抱きしめて過ごしています。食に対して毎日真剣に、全力で、血眼で向き合った結果、食事を睨むくらい食い意地が止まらなくなってしまい、1日中食のことしか考えられなくなってしまいました。そしてなんでも食べるようになってしまいました。食いしん坊がただ自由に暑苦しく、うざったく、食への愛と食い意地を爆発させているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓せているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓https://lit.link/kuiizi

人気店に行くなら、節分の次の日が一番狙い目(みんな喉からからなので)

人気店に行くなら、節分の次の日が一番狙い目(みんな喉からからなので)

Mar 2, 2026 28:12 もしもし五島列島

2/4、この日にみんなレストランとか予約したり、外食の予定入れたらいいよ!!!!!!計画に計画を重ね、半年ぶりに足を踏み入れた聖域「ミッキーハウス」。そこで私を待っていたのは、ランチプレートという名の、もはや狂気を感じるほどのサービス精神だった。王道デミグラスハンバーグ、生姜焼き、自立するタイプのクリームコロッケ、そしてナポリタン、ちゃんと色が濃いインゲン。値上げという名の「適正な進化」を遂げてもなお、1,000円を切るその価格設定に、私は拝まずにはいられない。【皿オンナプキンオンスープ皿!愛してる】スープの皿の下にさらにもう一枚皿を重ね、その間に紙ナプキンを一枚噛ませる。この、洗い物を増やすことを厭わない「無駄な豊かさ」こそが、洋食屋のプライドだ。しかし、そこで私は一つの異変に気づく。コーンポタージュに浮かぶクルトンが、かつてないほど巨大に見えるのだ。普通、大人になれば世界は小さく見えるものだ。それなのに、クルトンが大きく見える。これは老化による背骨の湾曲のせいか、それとも私の食い意地が視神経をバグらせているのか。洋食屋ならではの、粒立ったご飯をポタージュに浸し、粉チーズを振りかけて勝手な「リゾット」を構築しながら、私は思う。この巨大化した(ように見える)クルトンを、どのタイミングで救出するか。カリカリのままか、しっとり染み込ませるか・・・・・この一瞬の迷いこそが、洋食という名の遊園地における最大の難問!結局いつも悩んでる間にどっか行っちゃう。大好きな店ほど、フラれるのが怖い。満席で断られたときの絶望感は、他に愛する人がいるのに結婚式を挙げてしまうドラマの主人公のような虚無感に近い。だからこそ、私は2月4日、節分の翌日という日付を選んだ。“私の完璧な考察”→前日に恵方巻きという「米の暴力」に晒された人々は、翌日は必然的にパスタやラーメンといった「米以外」を欲する。さらに、節分豆をボリボリと食べ尽くした彼らの喉は砂漠のように枯れ果て、こぞって汁物を求めて彷徨うはずだ。彼らは家で「マルちゃん正麺」の袋を破り、汁を啜ることに必死で、洋食屋という贅沢な選択肢からは脱落していく。思った通り、ミッキーハウスは珍しく静かだった。テーブル席が一つ、私を待つように開いている。計画通りの勝利だ。鉄板の上では、生姜焼きのタレとナポリタンのケチャップが、しなしなの玉ねぎを介して手を取り合っている。分厚い生姜焼きには「メイン」としての権威を求めないが、このプレートの中での「薄切りプラ版」のような生姜焼きの佇まいは、ナポリタンとの最強のデュオを組んでいる。生姜焼きはとんてきの肉じゃなくて、薄切りで、雑であって欲しいの!!タルタルソースがかかっているとても嬉しいクリームコロッケの両端を落とし、中心の「密集地帯」を最後に食べる。そのクリームで汚れたナイフでハンバーグを切り、デミグラスとクリームを共犯関係にさせる。満腹という名の「何をしていても楽しい」多幸感の中で、私は昨日の節分な〜んにもしなかった反省を忘れていた。世の中の残った節分豆たちよ、私の喉はタルタルが添えてある贅沢クリームコロッケと、濃密なコーンスープ、そしてサービスが細かすぎるが故に一口ごとに水を入れてくれるおばちゃんのおかげで喉潤いまくってるので私が救ってやる!!!!!!!!【食い意地ラジオについて】9/14 、くいしんぼうの日に生まれた私は日々食べ物や食事の時間を抱きしめて過ごしています。食に対して毎日真剣に、全力で、血眼で向き合った結果、食事を睨むくらい食い意地が止まらなくなってしまい、1日中食のことしか考えられなくなってしまいました。そしてなんでも食べるようになってしまいました。食いしん坊がただ自由に暑苦しく、うざったく、食への愛と食い意地を爆発させているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓せているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓https://lit.link/kuiizi

大切フードを大切にしすぎて大切じゃなくなった時に食べるのではなくて大切絶頂期に食べよう

大切フードを大切にしすぎて大切じゃなくなった時に食べるのではなくて大切絶頂期に食べよう

Feb 28, 2026 12:15

大切フードを大切にしすぎて大切じゃなくなった時に無理やり食べてきた。もちろん、好きなものも最後に食べる。トイレも済ませて、手洗いして、色々片付けた後、そのくらい、本当に最後の最後の最後。一食の物語のフィナーレを優雅に飾りたいと願ってきた。大好きなガストの「チーズインハンバーグ」の食べ方ルーティンは、まず外側の楕円を少しずつ削ぎ落とし、中心の「チーズ密度の最も高い四角形」を聖域として最後まで守り抜く。しかし、いざその聖域に箸を入れる頃、私の大好きなチーズは、時の流れと共に冷え固まり、もはや「これってチーズだったっけな」と首を傾げるほどの無機質な塊へと変貌している。私の「家」と呼んでいるほど愛している「しゃぶ葉」でも、同じ過ちを繰り返す。せっかくのしゃぶしゃぶ食べ放題でも、ケチを発揮し、お肉3皿限定というストイックなプランを選び、その貴重な3枚を最後のフィナーレにとっておくのだ。しかし、肉を温存している間に野菜やカレーで胃袋はパンパンに膨れ上がる。結局、最後には「いかに肉を小さくするか」という、もはやしゃぶしゃぶへの冒涜とも言えるほど湯がきまくったボロボロの肉片を、苦し紛れに胃へ押し込む。最初にお肉をしゃぶしゃぶすれば、そのエキスが鍋全体に広がり、後から入れる野菜たちをもっと美味しくしてくれたはずなのだ。チーズも、とろけているうちに食べれば、それは間違いなく「チーズ」として生を全うできたはずなのだ。大切だからって大切にしすぎるのが正しいってわけじゃないことを子育て本にも書いてありそう(知らんけど)「大切にしよう」という決意は、時に食べ物を「泣き散らかした後の肌」のようなパサパサの状態へと追いやってしまう。冬の間、撫でるだけで決して剥かなかったみかん。救急救命のつもりで慌てて剥いたときには、水分は逃げ出し、口に残る皮だけが「遅すぎたよ」と私を責める。イチゴにしてもそうだ。真っ赤な肌に白い綿(カビ)が生えたとき、YouTubeの知識は「根っこまで腐っているから捨てろ」と警告する。けれど、イチゴという尊い存在を前にすると、私の脳は「そこだけ切り取れば大丈夫」という都合のいい嘘を信じ込んでしまう。追熟しない彼らにとって、「今この瞬間」こそが全盛期なのに、私は目が慣れるまで眺めていたいというエゴで、彼らの命を枯らしてしまうのだ。そんな、結局あらゆる色を無駄にしてしまう悲しい私に、「シャインマスカットを真っ先に食べていいんだよ」と言ってくれた人がいた。「自分を喜ばせれば、また新しいマスカットがやってくる。それ以上の喜びが舞い降りてくるから、遠慮せずに食べていい」その言葉は、私にとっての「許可証」だった。自分には忍者めしの硬いグミがお似合いだと思い込んでいた私に、宝石のような果実を真っ先に味わう資格があるのだと教えてくれた。食後、満腹になれば人は誰しも少しだけ頭がおかしくなり、紙飛行機を折るだけで楽しくなれる。だからこそ、最後のフィナーレを豪華にする必要なんてないのかもしれない。最初に最高の記憶を刻みつけ、最後はどうでもいい…?からこそ、満腹という幸せな「ぼんやり」の中で終わればそれでいいのだ。確かに最初の方が味覚も冴えてる気がするよ。好きなものを、好きなときに。大切に思うからこそ、その命が輝いているうちに私の血肉にする。それが、大切フードへの一番の報いなのだと、今は強く信じている。【食い意地ラジオについて】9/14 、くいしんぼうの日に生まれた私は日々食べ物や食事の時間を抱きしめて過ごしています。食に対して毎日真剣に、全力で、血眼で向き合った結果、食事を睨むくらい食い意地が止まらなくなってしまい、1日中食のことしか考えられなくなってしまいました。そしてなんでも食べるようになってしまいました。食いしん坊がただ自由に暑苦しく、うざったく、食への愛と食い意地を爆発させているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓せているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓https://lit.link/kuiizi

煮込みを煮込むだけと思うな!!!!ジャムは買おう!アヲハタを!90歳おばあが謎にインド料理サモサを作れる不思議

煮込みを煮込むだけと思うな!!!!ジャムは買おう!アヲハタを!90歳おばあが謎にインド料理サモサを作れる不思議

Feb 26, 2026 20:17

私は激怒している。一番好きな和食店の大将に対して。値段以上すぎる食材とサービスと個室という素晴らしいお店、人柄も常に謙虚で素敵な方なんだけど、私は怒ってるよ。3日間。キッチンに立ちながら、焦げたジャムを見て、ずっと怒ってるよ。ことの始まりは、大好きな和食店の大将が放った「煮るだけですよ」という甘い罠。皮を剥いて砂糖で煮る、ただそれだけ。その言葉を信じた私は、ルフィが海賊王を夢見るような純粋さで柑橘と向き合った。しかし、いざ包丁を握れば、本来一分で済むはずの皮剥きに二十分を費やし、鍋に火をかければ焦げ付き防止センサーが「お前、ずっと見てろよ」と言わんばかりにピーピーと私を叱りつける。スマホ片手に漫画を読もうにも、意識のすべてが鍋に吸い取られ、赤ちゃんを世話しているような義務感で頭が回らない。結局、出来上がったのは「カラスが漁った後のゴミ袋の皮」のようなパサパサの成れの果てだった。大将の言う「だけ」は、初心者の私には決して到達できない神の領域だったのだ。煮込みを、ただ煮込むだけと思うな。それが私の血の滲むような教訓となった。そして、こういう手間暇フードは全て市販の恩恵を授かろう。この激闘!ジャム作り体験のおかげで私はより一層和食店に行った時の感謝を増大することができるだろう。怒りが感謝に変わる。やっぱり消費者さいこ〜〜〜〜〜〜!!!!!!この激動は私がよき消費者になるために必要な経験だったんだろうね!!話は変わり、私のホーム、デパ地下。隙あらばデパ地下話がしたい。そして願わくばデパ地下に住みたいよ〜。デパ地下の地下とか。パラサイトしたい〜。デパ地下で最後まで残った惣菜たちどーなってんのよ!!!!見せて見なさい!!!私が食べ尽くすから!!!!!!!!!今日はおこわの話。デパ地下には映画館のポップコーンのように私を誘惑する「おこわ」のショーケースがある。しかし、デパ地下は貴族の遊び場だ。スペアリブを頼めば、骨の重さまで金に換算され、葉っぱ一枚のサラダがデジタル計量器の上で驚異的な数字を叩き出す。「このゼロの単位、間違ってないか?」と腰を抜かしつつも、私は炊き立てのおこわを手に取る。冬のライフハックとして、私は温かいおこわをお腹にあて、カイロ代わりにすることにしている。ポットのお湯を膝の上で我が子のように抱きしめる喜び(ついには服を濡らして極寒を味わうリスクを孕んでいても)と同じで、温もりは抱きしめるものなのだ。デパ地下のおこわは一口で消える。しかし、私の実家には、食べても食べても地下から湧き出してくる「デッッッッッカイ魔法のおこわ」を授けてくれる、90歳の祖母がいる。彼女には不思議な能力がある。インドにルーツがあるわけでもないのに、なぜか「サモサ」を皮から完璧に作り上げるのだ。他のインド料理は何も知らないのに、サモサだけは手が覚えている。我が家のファミリーヒストリーを遡れば、一瞬だけ現れては消えたインド人がサモサの製法だけを刻み込んでいったのでは。彼女のサモサはとても美しく、美味しい。彼女の料理は、すべてが「無限」だ。食い意地が止まらない私に常に夢を与えてくれる。お正月、三段重のおせちを当日朝の数時間で作り上げるその手際は、伝説のバイトリーダーのよう。重箱の中のレンコンを褒めれば背後から巨大タッパーが、エビを愛でれば追加の援軍が現れる。お祝いの席はいつの間にか、重箱を包囲するタッパーの要塞と化す。そうそう、何が言いたかったのかというと、おこわでもサモサでもなく、このおばあがかつて作ってくれた「リンゴジャム」のこと。素晴らしかったの。とろとろで、この世のものとは思えないほど優しかった。りんごは風邪の時に食べるイメージのものだったけどこの優しさが所以するのだろう・・・!優しさフード。りんごの笑顔が見えたよ。これの作り方を聞いた時も、「ストーブの上に置いてただけだよ」といっていた。この時も私は安易に「だけ」を信じて呑気にジャムを作ったが失敗したよ。その「だけ」には、90年という歳月をかけて手から染み出したエキスと、煮込み料理を見守り続けてきた慈愛の結晶が詰まっている。私が自宅で焦がした「パサパサの皮」を見つめながら思う。専門家や、ベテランの言う「だけ」は信じてはいけない。けれど、その「だけ」を愛おしみ、制作過程ごと味わうことこそが、食を愛するということなのかもしれない。いつか私も、あのおこわを無限に湧き出させ、サモサを魔法のように包めるようになるだろうか。それまでは、デパ地下の無慈悲な計りに怯えながら、しばらくは、デパ地下のことを「見る専」させてもらい、実家に帰ったときにおばあたちの夢幻の教授に浸っていたい。【食い意地ラジオについて】9/14 、くいしんぼうの日に生まれた私は日々食べ物や食事の時間を抱きしめて過ごしています。食に対して毎日真剣に、全力で、血眼で向き合った結果、食事を睨むくらい食い意地が止まらなくなってしまい、1日中食のことしか考えられなくなってしまいました。そしてなんでも食べるようになってしまいました。食いしん坊がただ自由に暑苦しく、うざったく、食への愛と食い意地を爆発させているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓せているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓https://lit.link/kuiizi

料理人が言う「だけ」は、美人が言う「なんもしてない」より信用できない。ジャム作りに3日囚われた話

料理人が言う「だけ」は、美人が言う「なんもしてない」より信用できない。ジャム作りに3日囚われた話

Feb 24, 2026 17:57

大好きなお店で最後に出された、苦みのない完璧な柚子皮の砂糖煮。サーフボードのような形をしたトゥルトゥルの皮。苦味など微塵もなく、温かいお茶と口の中で手を取り合う完璧な調和。思わず「美味しいです」と伝えた私に、大将は事も無げに言った。大将の「剥いて煮るだけですよ」という軽やかな言葉に、私はルフィが海賊王を夢見るような純粋さで踊らされた。いや、けどそうは言っても、多少はめんどくさそうなこともわかってたよ。ルフィより大人なので。そうはいっても、難しいんでしょ〜と思いながらも、大将から頂いた言葉を素直に受け取ってしまった。美人が「肌断食(肌に何も塗らないこと)」をしてると聞けば、私も肌断食をしてきた。しかし、普段スキンケアを怠っている私は「肌断食」にはならない。ただの日常なので、断食でもなんでもなかった。いつも頑張ってる人が言う言葉でありやる行為なんだよ。料理人が言う「だけ」もそうである。慣れすぎて、やりすぎて「だけ」になっているので、やったこともない私がやると、それはそれはもう引越しレベルの重労働。しかし。。。お店ではたった一つしか食べれないものを家でたらふく食べれたらどれほど楽しいだろうと思ったのと、この時の幸せに頭の中のシュミレーションでは一瞬でいけたので、対象の言葉を信じて、砂糖煮込みを作ることにした。柑橘を手にもっただけで正直めんどくさかったし、包丁を入れるたびに諦めようと何度も思った。私が今、ゴールを「砂糖煮込みを作ること」ではなく「柑橘をそのまま食べること」にしたらどれだけ楽か。だけどやると決めた以上、手が止まらずに、剥く作業の大変さを「これが終わればあとは煮るだけだし」とポジティブに乗り越えた昨日の自分を、今の私は全力で止めたい。鍋に火を入れた瞬間、煮るだけだからと目を離した隙に、コンロが「ピーピー」と冷酷な警告音を鳴らす。焦げつきアラーム。それは、私の甘い見通しを嘲笑う叱責だった。焦げを「これが正解だ」と自分に言い聞かせ、分散させ、誤魔化す絶望。その間にも、砂糖まみれの洗い物は増え、コンロは強敵・ベタベタに占領されていく。スマホを持って立って、ひたすら砂糖煮込み・・・と言う名のジャムを見守る時間は、もはやリラックスタイムではなく「監視」という名の重労働だ。保母さん。プロの「だけ」は、何万回という反復の上に成り立つ「呼吸」のようなものであって、初心者の「だけ」には、迷いと義務感と後悔がぎっしり詰まっている。味見をした瞬間の「全然できてない」という絶望。あの大将の柚子皮には、ポン酢から余った皮だけでなく、私の想像もつかないほどの「見守りの時間」が凝縮されていたのだ。出来上がったのは、ドロドロの塊と、砂糖でベッタベタになったキッチン、そして信じられない量の洗い物だった。ふと我に返り、私はアヲハタのジャムを思い浮かべる。果肉がゴロッと入り、あの完璧な透明感を保ったジャムが、わずか四百円ほどで売られている。イチゴ一パックを自分で買うより、はるかに安くて確実だ。私たちは一体、何を求めてコンロの前で数時間を無駄にしているのだろうか。かつて私は、安さだけを求めてドラッグストアで九十九円の紙パックジャムを買っていた時期があった。ギンガムチェックのパッケージは可愛い。しかし、あのゼラチンだかペクチンだか分からない嘘の塊で固められたジャムを、パンは決して受け入れなかった。パンの気泡が「こんな嘘のジャム、馴染みたくねえぞ」と反骨精神を剥き出しにし、互いに反発し合っていた。あのとき、プラス三百円をケチったばかりに、私のパンは悲しい思いをしていたのだ。ジャムだけではない。のりたまの代わりに安すぎるふりかけを選んだとき、ご飯だって悲しんでいる。今回、料理人の「だけ」を信じて痛感した。専門家の「だけ」は、何千回という反復に裏打ちされた特権的な言葉なのだ。素人が専門家と同じ土俵に上がろうとしてはいけない。素人は、専門家が作り上げた素晴らしい「成果物」の、良き利用者であればそれでいい。瓶詰め作業を前に、アヲハタのロゴが頭をよぎる。このベタベタの思い出は、二度とジャムを作らないという誓いとともに、ゆっくりと味わうことにしよう。と思ったけどゆっくり味わっていたら後悔ばかり生まれそうな味なので、カモフラージュしつつ無理やり食べ続けよう。【食い意地ラジオについて】9/14 、くいしんぼうの日に生まれた私は日々食べ物や食事の時間を抱きしめて過ごしています。食に対して毎日真剣に、全力で、血眼で向き合った結果、食事を睨むくらい食い意地が止まらなくなってしまい、1日中食のことしか考えられなくなってしまいました。そしてなんでも食べるようになってしまいました。食いしん坊がただ自由に暑苦しく、うざったく、食への愛と食い意地を爆発させているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓せているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓https://lit.link/kuiizi

風邪は立ち食いカツカレーと丸齧りりんごで治るけど、病人のうちにおかゆ作っとこ!というか、おかゆってのりたまのために作るもんだよね

風邪は立ち食いカツカレーと丸齧りりんごで治るけど、病人のうちにおかゆ作っとこ!というか、おかゆってのりたまのために作るもんだよね

Feb 22, 2026 09:35

これだけ栄養をとっているはずなのに、私は定期的に風邪をひく。だいたい喉から始まって、鼻に抜けていくタイプの風邪だ。多分、喋りすぎの罰なんだと思う。そう思って一応反省はするんだけど、そういう時に限って、ものすごく喋りたくなる。結果、風邪はだいたい1ヶ月くらい居座る。もう友だち。さすがにこれは今日は無理だな、という日がある。熱もあって、体も重くて、「今日はこの私でも、おかゆしか食べられない日だな」と思う。正確には、おかゆというより、熟々に溶かした豆腐とか、茶碗蒸しとか、そういう“病人メニュー”しか無理な日。でも、食い意地の性質はいくら風邪ひいていても無くならないので、おかゆを作ろうと思って立ち上がり、何かを口に入れると、その瞬間から、急に元気になる。気づいたら、あんかけ焼きそばを食べている。カレーもいける。わざわざレトルトをチンしてまで食べている。「あれ、起きて口に入れさえすれば、何でも食べられるじゃん」そうなると不思議になる。なんで病人って、すりおろしリンゴとか、ゼリーとか、アクエリアスだけで生きれるんだろう。って思ってたけど、寝ながら食べるからだろうね。立とうぜ!!!!!!!それだけでげんきになる!!!!!風邪を治すには立ち食いカツカレー。りんごはすりおろさず、丸齧りしよう。昔ちょっとだけ留学していたとき、ランチバッグに必ず入っていたのが、サンドイッチとバナナと、リンゴ丸ごと一個だった。そのサンドイッチがまた、日本のとは全然違う。具がどうこうじゃなくて、「パンとパンを挟んだだけ」の、潔すぎるサンドイッチ。リンゴも、皮付きで丸ごと。歩きながら普通に食べている。ああ、海外だな、と思った。私はこれをしに貯金を全て使い果たしてカナダに来たんだな。と街を歩きながら浸っていた。当時の私は、リンゴの芯や種をどこまで残していいのかわからなかった。しかも、ゴミを出したくないし、一回口に入れた芯をランチバッグに戻すのも嫌で、結局、全部食べきっていた。そのうち気づいた。「あれ、リンゴって全部食べられるじゃん」そこから私は、リンゴを丸かじりする人になった。だから今も、風邪をひいていても、すりおろす暇なんてない。それでも、せっかくだから病人らしくおかゆを一応作る。おかゆって、思った倍の水を必要としてくる。「え、まだ吸うの?」「まだいけるの?」未知との遭遇みたいな顔で、米がどんどん増えていく。米不足が色々問題になる世の中だけど、おかゆで全て解決なのでは。ぜんざいも同じだ。「まだ増えていいの?」「まだ私にこの贅沢くれるの?」ってくらい、どんどん増える。だいたい作りすぎて、飽きる。でも飽きても、ジップロックに入れて冷凍すればいい。解凍する必要すらない。ぜんざいは、そのまま『あずきバー』になる。普通、冷凍した食べ物って、“解凍”という工程が追加されるのに、ぜんざいだけは商品形態が変わる。さらに煮詰めれば、あんこになるし、餅と食べてもいいし、いちご大福にしてもいい。しかも「ぜんざい」という名前。あんなに濁点ついてるのに、なんであんなにやさしいんだろう。おかゆも同じで、芋を入れてもいいし、小豆を入れてもいい。あと、おかゆは塩。「こんなに入れて大丈夫?」ってくらい入れたほうが美味しい。そして、ここで本題。おかゆに一番合うのは、のりたま。これは断言できる。のりたまは、ご飯にかけるために存在しているんじゃない。おかゆにかけられるために存在している。水分を少し吸ったあの粒たちが、ここで本領発揮する。海苔の存在感も異常だ。絶対いい海苔使ってる。京都のなんとか園とかだと思う。だから私は、のりたまを食べるために、おかゆを作る日がある。梅干しとか、昆布とか、おかゆにつきものみたいに言われてるけど、今日はもう一旦忘れてほしい。おかゆは、のりたまだ。海苔といえば、、、お土産で海苔をくれる人、本当にありがたい。お菓子よりも、食卓にずっといてくれるもの。軽いし。潰れないし。漬物は好みが分かれるけど、海苔は強い。昔、お菓子コーナーにあった、付箋サイズの梅味の海苔のお菓子、あれどこいった。パウチに入ってて、狂ったように食べていた時期がある。最近見ない。令和の子たちは、黒い食べ物を食べてる場合じゃないのかもしれない。歯にもつくし。でも、あれは本当に美味しかった。今日も、おかゆとのりたまがある。ありがとう。そして最後に、混ぜ込みわかめは、混ぜ込んでこそ100%というみんなわかってる、というか、タイトルにそう書いてある。知恵【食い意地ラジオについて】9/14 、くいしんぼうの日に生まれた私は日々食べ物や食事の時間を抱きしめて過ごしています。食に対して毎日真剣に、全力で、血眼で向き合った結果、食事を睨むくらい食い意地が止まらなくなってしまい、1日中食のことしか考えられなくなってしまいました。そしてなんでも食べるようになってしまいました。食いしん坊がただ自由に暑苦しく、うざったく、食への愛と食い意地を爆発させているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓せているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓https://lit.link/kuiizi

鯖の味噌煮を水道で洗ってから食べる祖母の意地&チェーン店でもシェフに大声感謝申し上げていておもろい

鯖の味噌煮を水道で洗ってから食べる祖母の意地&チェーン店でもシェフに大声感謝申し上げていておもろい

Feb 20, 2026 13:35

ちょっと続かせて、焼きそば話。台湾の「焼きそばロール」という名の焼きそばを米粉で包む食べ物ゆえの胃袋拡張体験。台湾の漢方で相殺!わーい。台湾の夜市は、食い意地の極限を試される場所だ。屋台の熱気に浮かされ、あれこれ食べ歩いた末の「締め」に選んだのは、米粉で作った分厚いクレープ生地で焼きそばを巻いた「炒麺餅(チャオミェンビン)」だった。太巻きほどのサイズにカットされたそれは、一見軽そうに見えて、実は恐ろしい密度を誇っている。一口食べれば、もっちもちの皮とソースを吸った麺が、おにぎり一個分、いや焼きそばパン一個分の満足感で胃を蹂躙してくる。すでに満腹だったはずの私の胃は、その圧倒的な炭水化物の物量に、自らの限界を超えて新たな「余白」を拡張させられた。不思議なことに、その直後にはもう餅を食べていた。台湾という場所は、薬膳茶ですべてのカロリーを相殺し、プラマイゼロにしてくれる魔法の地なのだ。もし胃の小ささに悩んでいる人がいるなら、私は迷わず台湾を勧めたい。そこには、自分の限界の向こう側へと連れていってくれる、力強い「餅」と「麺」の抱擁が待っているから。おばあちゃんの意地!サバ味噌を洗う儀式私の祖母は、カップラーメンもレトルト食品も、「今のこういうのは凄いんだよ」という私の説得も、彼女の鉄壁のプライドの前には無力である。おばあちゃんにとって、レンジでチンするパスタは「嬉しい食べ物」ではなく、どこか得体の知れない「手抜き・衰え」の象徴。そんな祖母との冷戦に終止符を打ったのは、意外にも「生協(ララコープ)」だった。祖母が「サバの味噌煮を頼んでいる」と聞いた瞬間、私は歓喜した。生協のサバ味噌は、日本の定食界の頂点に君臨する、企業努力の結晶だ。確かに、概念としてのレトルトデビューは生協がピッタリ!!!!ニコニコ笑顔の私の口角を祖母は一気に下げまくった。やっぱり、おばあちゃんは変わらない。「味が濃すぎるから、一度洗ってから食べている」と言っていた。洗う。あの完成された味噌だれを、水で流す。絶叫しそうになったが、それが彼女なりの「ひと手間」であり、市販のものは全て味が濃いと仮定している。企業に屈服しないための最後の抵抗なのだ。生協様でもダメですか・・。祖母は、ポムの木に行けば「メニューが多すぎる」とブチ切れながらも、結局は私の頼んだ変わり種オムライスを「アボカドいいね」と横取りし、最後には厨房の奥へ「美味しかったです!」とプロ同士の挨拶のように叫びに行く。紙コップのスープさえも「勉強になるね」とプラスに変える、その小学生男子のような負けず嫌いさと好奇心。祖母が「もう面倒くさいから作りたくない」と言いながら作ってくれたロールキャベツは、生協の既製品を一度洗い、改めて生協のトマト缶とコンソメで煮直したものだった。その余計な、けれど愛おしい手間の分だけ、スープは深い味がした。むしろ濃すぎたのでパスタソースと化した。祖母がサバ味噌を洗わずに食べる日は来るのだろうか。いやこないだろうな。『薄味!』の鯖の味噌煮がたとえ新商品で出たとしても・・・。祖母にとって『薄味』はどんな色でも全ての褒め言葉であり、オムライスの時もそう言っていた。ケチャップビシャがけなのに。でも、それまでは彼女の「薄味こそが正義」という、世界で一番頑固な美食家としての矜持を、私は隣で味わい続けていたいと思し、食体験は自由でいいし『美味しい』はある意味思い込みでもある。【食い意地ラジオについて】9/14 、くいしんぼうの日に生まれた私は日々食べ物や食事の時間を抱きしめて過ごしています。食に対して毎日真剣に、全力で、血眼で向き合った結果、食事を睨むくらい食い意地が止まらなくなってしまい、1日中食のことしか考えられなくなってしまいました。そしてなんでも食べるようになってしまいました。食いしん坊がただ自由に暑苦しく、うざったく、食への愛と食い意地を爆発させているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓せているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓https://lit.link/kuiizi

焼きそばパンの焼きそばはゴムでラップは極薄で鬼臭でお願い!&コロッケよりコロッケぱんの方が安い謎

焼きそばパンの焼きそばはゴムでラップは極薄で鬼臭でお願い!&コロッケよりコロッケぱんの方が安い謎

Feb 18, 2026 23:26

麺が(いい意味で)輪ゴムで、安さを追求したあまり薄すぎる(いい意味で)ラップに包まれた焼きそばパンの話焼きそばパンって、ホットドッグ型のコッペパンに焼きそばが挟まっている、あの完成形。あれはもう「焼くなよ」と言いたくなるコッペパンの意思を、こちらが勝手に尊重している食べ物です。ふかふかで、ちょっとパサついていて、私たちを「どうぞ」と迎えてくれる。そして何より、あの安いラップ。原価のことしか考えていない、薄くて、すぐ破れそうな、ぴったり密着するラップ。あれで包まれた焼きそばパンには、独特の匂いがある。パンにしみ込んだ、ラップの匂い。あれが、最高にいい。コロッケパンも、ナポリタンパンも同じだ。お惣菜がコッペパンに挟まれ、安いラップでみちみちに包まれ、隣のパンのうまいエキスまで吸い合っている。もしこれをクレラップで包んでいたら、絶対にこんな味にはならない。このラップの薄さは美味しさをシェアしたいがゆえである。この世の不思議なんだけど、コロッケ単体より、コロッケパンの方が安い時がある。ほとんど。中のコロッケの大きさ、そんなに変わらないのに。むしろ、コロッケパンの方が2個も入ってる時あるよ。ナポリタンだって、焼きそばだって、おかずとして売られるより、パンに挟まれた途端、価値が下がる。パンの価値、どこ行った。パサパサだから、「ないもの以下」にされてるんだろうな。だからその分私が強い愛で噛み締めて食べるね。最近、デパ地下が閉店5分前になると異世界転生する、というライフハックを知ってしまった。だから私は、19時55分には必ずデパ地下にいる。普段は1400円くらいするパスタが、拳ひとつ分の量なのに、3個で何円、実質70%オフみたいな勢いで並び出す。見た目は完全にナポリタン。味も多分ナポリタン。でもデパ地下では絶対に「ナポリタン」とは呼ばれない。なんとかセレブなんとか、みたいな名前がついて、それだけで価値が上がる。冷静に考えたら、元から500円だったら絶対買わないのに、デパ地下だと私は手に取ってしまう。デパ地下に行くと、頭がおかしくなる。それでも大好きだ。「2人前入ってます」と言われて、どう見てもシルバニアファミリーの2人前でもない量でも、私は怒りながらも通ってしまう。無料で入れるテーマパーク。ディズニーランドより飽きない。怒りながら帰っていて、怒っていても買わなきゃいけないと強く脳裏に住み着くのが「トイレットペーパー」という存在でして、それを買うためにドラッグストアに行ったおかげで、私はナポリタンの正解を見つけた。それが、ヤマザキのナポリタン。パック入りの。チルドの。まさかのドラッグストアに正解ありました。何より安くて(178円)、麺は細麺でも中麺でもない、絶妙な間。麺全体が赤くて、その周りに「赤かす」がまとわりついている。私はこれを「嘘のナポリタン」と呼んでいる。トマトケチャップの味だけじゃないけど、何かはわからない。これは何味なんだろう、と考えながら食べる。でも、なぜか美味しい。この嘘のナポリタンが、ロケ弁の副菜として、よく入っている。潰れた弁当の底で、ご飯に侵食して、白米を赤く染めている。ある日それを一緒に食べて、気づいた。ナポリタンは、ご飯に合う。ケチャップでも、具材でもない。この「麺」が必要だった。潰れた弁当をラップにまとめて、後でおにぎりみたいに食べた時、ナポリタンとご飯の一体感に驚いた。安いパスタはご飯のおかずになるんだ!焼きそばも同じだ。焼きそば単体を、ちゃんとお店で、座って食べる機会は意外と少ない。だけど常にそばにいてくれる焼きそば。焼きそばパンのことも適当にしか食べたことないのに、ここまで私を強く支えてくれている。私は焼きそばを作るのが得意だ。焼きそばは「焼きすぎ」が正解。自分が思ってる5倍は焼く。なのに、カップ麺のUFOは焼いてないのに美味しい。あのしなびた、命のないキャベツは何なんだろう。私は野菜嫌いの弟が残したUFOのキャベツを、一枚一枚、大切に食べて育った。小指くらいのキャベツに、冬キャベツ一玉分の旨みと栄養が詰まっていると、本気で信じている。だからUFOは、栄養食品!!!焼きそばパンが好きなので、たとえば全部高級素材にしてみたらどうなるかなって妄想してみた。でも、私が本当に好きなのは、高級な焼きそばパンじゃない。生食パンに、出来たての焼きそば。それはきっと美味しすぎる。飲んじゃう。私が好きなのは、パサついたコッペパンに、原価最低限の焼きそばが挟まって、安いラップで水分が抜けきった、あの感じ。輪ゴムと焼きそばを目隠しで食べたら、分からないかもしれない、あの麺。そして、真ん中にだけ乗っている青のり。そこに辿り着くまでの道のり。一口で青のりを迎えていいのかという葛藤。最後はパサパサのパンで、歯と唇についた青のりを掃除して終わる。順番通りに食べなさい、という教えなのかもしれない。冷静に考えたら、コロッケパンは、パンの中にパンが入っている。パン粉をまとったパンを、パンに挟む。すごすぎる。もしかしたら、この世で一番すごい食べ物は、コロッケなのかもしれない。安い。毎日食べても飽きない。アレンジが無限。肉じゃがも、おでんも、ポテサラも、全部コロッケになれる。世の中で『結局一番美味しいもの選手権〜』があったとしたら、あらゆる審査項目を戦わせた結果、残るのはコロッケ。焼きそばパンの話をしていたはずなのに、気づいたらコロッケに辿り着いていた。でも、それでいい気がする。だって、この世の中が、結局コロッケに恋焦がれちゃうのはしょうがないようになってる。【食い意地ラジオについて】9/14 、くいしんぼうの日に生まれた私は日々食べ物や食事の時間を抱きしめて過ごしています。食に対して毎日真剣に、全力で、血眼で向き合った結果、食事を睨むくらい食い意地が止まらなくなってしまい、1日中食のことしか考えられなくなってしまいました。そしてなんでも食べるようになってしまいました。食いしん坊がただ自由に暑苦しく、うざったく、食への愛と食い意地を爆発させているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓せているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓https://lit.link/kuiizi

練り物トランポリンランドの構想を練って考える・・!なんつって☆彡

練り物トランポリンランドの構想を練って考える・・!なんつって☆彡

Feb 16, 2026 21:56

大人になってからあらためてキャラかまぼこに向き合って「自炊の正解」を見つけた私はムチムチしたかまぼこが苦手で、タイヤの皮を食べているようなある種の不信感を抱いてきた。それでも食べ続けてきた。特に安いかまぼこしか食べたことないかもだけど、魚のDNAが薄まりすぎて、大正時代から令和に至るまでの家系図の果てにたどり着いた残像のような存在だと思っていた。しかし、そんなかまぼこ嫌いの私を救ってくれたのは「キャラかまぼこ」!!パステルカラーの魔法、存在自体がプリキュア。都会のスーパーを巡ってもなかなか見つからないその希少性は、購入する際、二十歳以上かを確認される酒やタバコと同等の「身分」を問われているような気がしてくる。友達の子供のために必死に探し、全く見つからなくて、結局ナルトで妥協した私に、その子はちょっと忖度も入ってそうな笑顔で「可愛い!」と喜んでくれた。その優しさは、私の荒んだ練り物観を浄化した。そして私は最近、自炊の最終的なゴールを見つけてしまった。それは「キャラかまぼこのふりかけ」である。半額の弁当やカップ麺の上に、ピカチュウやちいかわの薄いかまぼこを空中浮遊または密着させる。5分ほど放置し、ご飯の湿気で目をうるうるさせた彼らと見つめ合いながら食べる時間は、もはや鍋も包丁も必要としない「究極の自炊」だ。ケアの自炊・・・!!一つ一つのおかずたちと真摯に向き合いたいので、私は人生で「三角食べ」をいくら推進されてきても、給食中の校内放送で言われまくっても、ポスターで見たとしても、この行為を絶対にしてこなかった。そのおかげで、白米を最後まで残す習慣が身についている。最後に残った白米の上で輝くキャラクターと対峙する。これこそが、食に対する誠実な向き合い方であり、自炊のゴールである。独裁者はんぺん、伊達巻という名の免罪符おでんという過酷な煮込み現場において、はんぺんの立ち振る舞いはあまりにも堂々としすぎている。他の具材が「すみません」と身を寄せ合い、出汁に染まって小さくなっていく中で、はんぺんだけは誰よりも上に陣取り、鍋全体を支配する。その図々しさ。しかし、それだけの自己主張をしなければ、おでんの迷宮の中で「そういえば入ってたね」と忘れ去られてしまう。確かに、煮込み料理はどれだけ主張したかが勝負の決め手でありそうだね。謙虚であることが必ずしも正解ではないと、はんぺんはその白い巨体で教えてくれる。一方、伊達巻。私はこの存在がスイーツではなく、堂々と「食品(おかず)」として君臨しているこの国の制度に、心から感謝したい。冷静に考えれば、伊達巻はロールケーキよりも甘く、カステラよりもぎっしりと密度が高い、完全なるデザートだ。それなのに、「魚の栄養が入っている」という免罪符一枚で、夕食の食卓に紛れ込む。正月という多幸感に包まれた日、私は伊達巻の上に生クリームとイチゴを乗せて食べる。それは、コンビニのロールケーキを凌駕する背徳の味!魚さえ入っていれば、こんなドスイーツも栄養である。かまぼこがムチムチの筋肉質で社会の厳しさを語り、キャラかまぼこで妄想のあわい世界を実現してくれる。はんぺんはふわふわの虚無で自由を説き、自己主張の大切さを教えてくれて、伊達巻は、砂糖は毒だとか言われて脱砂糖が推進されるこの時代に、ちょっとの魚の栄養だけでおかずとして君臨してくれる。練り物コーナーに並ぶ彼らは、単なる加工品ではない。私たちの「食い意地」を肯定してくれる、最高にファンタジーな仲間たちなのだ〜。練り物トランポリンランドをいつか開業したいよ〜!【食い意地ラジオについて】9/14 、くいしんぼうの日に生まれた私は日々食べ物や食事の時間を抱きしめて過ごしています。食に対して毎日真剣に、全力で、血眼で向き合った結果、食事を睨むくらい食い意地が止まらなくなってしまい、1日中食のことしか考えられなくなってしまいました。そしてなんでも食べるようになってしまいました。食いしん坊がただ自由に暑苦しく、うざったく、食への愛と食い意地を爆発させているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓せているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓https://lit.link/kuiizi

香港人に日本のあれこれ

香港人に日本のあれこれ

日本に住んでる香港人の雑談

英語でサイエンスしナイト

英語でサイエンスしナイト

日本でサイエンスライティング教師になった元研究者🇺🇸🧑🏼‍🔬と、なかなか帰国出来ない帰国子女🇯🇵👩‍🔬による、ほぼ英語・時々日本語・だいたいサイエンスなゆるゆるポッドキャスト🎧🎙 Twitter: @eigodescience LISTEN: https://listen.style/p/ynhjq99y?hRXlYDSL

草とか石とかのラジオ 〜耳で聴く自然探求〜

草とか石とかのラジオ 〜耳で聴く自然探求〜

自然界で好きなもの、気になるものについて、細かいジャンルを決めずに探求する番組です。なんとなく好きな自然界の事象を、体験などから深掘り、解像度を上げていきます。テーマは虫、魚、鳥、植物、地学など。たまにある「番外編」では自然以外のことをしゃべってます。旧番組名「自然の推しを語るラジオ」第2回ポッドキャストスターアワード審査員特別賞受賞 . ▽プロフィール:ジェイソン 登山と水族館巡りが今のブーム。30代。 HP:https://kusatokaishitokanoradio.podmate.fm/ . ▽おたよりフォーム https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdXG4xS7incGpYxnkLewY6qgDHyRKOObWZdrJsVo5Rh0w7saA/viewform?usp=header . ▽おすすめの本 https://note.com/san_machi/n/n400aebdad859 . LISTEN https://listen.style/p/shizeoshi?qOQAnrFP

北米ソフトウェアエンジニアのつぶやき

北米ソフトウェアエンジニアのつぶやき

北米でソフトウェアエンジニアとして働く僕が、エンジニアとしてのリアルな日常を5分〜15分でゆるくお届けする番組です ありがたいことに現地の企業で5年ほどソフトウェアエンジニアとして働き、英語を使いながら生活してきました。せっかくなので「海外でエンジニアをしている人が普段どんなことをしているのか」を、開発の出来事や働き方、北米での暮らしのエピソードを交えながらシェアしていきます。 キラキラしてる部分もあれば想像以上臭くて地味だったり、、そんなリアルを含めてお届けできたらと思っています。 海外でエンジニアとして働くことに興味がある人、海外生活に関心がある人、そして今まさに海外に住んでいる人にとって、ちょっとした参考や気分転換になればうれしいです 形式はまだ手探りですが、週〜月に1回5〜10分ほどの長さでやっていけたらと思ってます

院生クラムチャウダー

院生クラムチャウダー

同じ研究室に所属するNoriとAyaneが日々の話題についてのびのびお話しするポッドキャストです!たまにまじめに研究の話もするかも。

リケダン健康論

リケダン健康論

健康は気になる。でも、意識が高すぎる話はちょっとしんどい。そんな人のための番組です。 「リケダン健康論」は、カイロプラクティックドクターのナカセコと、人事総務のウレシノが、80歳の自分に怒られないように健康リテラシーを高めていくポッドキャスト。健康の基礎知識、体のしくみ、健康にまつわる社会問題まで、理系っぽく、でも肩ひじ張らずに話します。 ただし、たまにウレシノが気持ちよく脱線します。でもそれも含めてこの番組です。 毎月第3週目ごろには雑談回も配信。 質問、感想、リクエストも募集中。 番組公式HP https://sites.google.com/view/rikedan/ 番組X (旧Twitter) https://twitter.com/rikedankenkou 質問感想はこちらまで https://sites.google.com/view/rikedan/inquiry LISTENはこちら https://listen.style/p/49cci4hy?WrD3xLlD Amazon Music Podcastはこちら https://amzn.to/3MqDtdk