9月14日、“くいしんぼうの日”に食の神様に愛されすぎて爆誕した私が、ただただ食への愛とおさまらない食い意地を発散させてます。
変でごめんー!だけどみんなと食欲わかちあいたい!ほんとポッドキャスト感謝!これなかったら私の食欲の発散場所なかったよ!!!!!ありがた祭り!
音声とか聞きにくめなところ多いですがまだ成長段階なので🤱やさしくみまもってね🦷
食べ物に愛を伝え、食への情熱を仕事に、、、という野望をこめてお届けします。職業食いしん坊として生きてくぞ〜。ちなみに本業はわーいでのんきなクリエイター「もしもし五島列島」です。よろしくね(圧)
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食い意地ラジオみてね↓
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番組の魅力・推薦
PODCAST EXPOですきな食べ物を人に聞きまくった結果、味噌汁とエビが時代を制してたことと好きより嫌いの方がやっぱ明確だよねって話と、愛された食材の味はわかりやすい。
じいちゃんの手打ちそば、ちぎれやすくてボソボソのが食べれる時間は意外とはかないよ。 こどものとき、きゅうりすきであればあるほどズッキーニきらいなのわかる。
PODCAST EXPO 〜黒包み弁当をもらえると思って「エッもらえるんですか〜」を脳内で練習しすぎてた。だいぶ調子に乗ってた。というか黒包み弁当の中身気になる。たぶん中身赤ウインナー入ってる〜
サラダチキンはもう2度と買いません。(改めて宣言) 特にスモーク。
スタバのレジ前で永遠ドギマギしてるけど、ホテルのスクランブルエッグをタピオカストローで飲むの夢です。
何回予行練習しても、スタバのレジ前で、予習したはずの呪文が言えなくなります。そんな雑魚な私が、クリスピー・クリーム・ドーナツの「横に平たい圧」に満員電車で場所を取られ、マリオとのコラボ「ギャラクシードーナツ」のド派手なアイシングに戦慄した決死のパリピ修行報告をお届けします。 📌 今回のトピックス• クリスピー・クリーム・ドーナツの「横の圧」ミスドが「縦」なら、クリスピーは「平面」。一人分のスペースを堂々と占拠するあの存在感こそが、パリピ・フードの頂点。手土産に持っていく時の快感と、食べる前の緊張感の狭間で。 • ギャラクシードーナツという名の「断れない試食」羽田空港での夜間歯磨き後の試食に続き、またもや神様からの指示(?)で受け取ってしまった衝撃の試食。150キロの巨漢の親指ほどもあるドーナツの欠片が、私の「ドーナツ・モチベーション」を宇宙へと放り出した。 • 救世主は「北海道から来たデカいコロッケ」おしゃれなドーナツ専門店で、悔しくて泣きそうになっていた私を救ったのは、コンビニ4個分の巨大な揚げたてコロッケ。結局、私の心と温度を支えてくれるのは、いつだって「芋」だった。 • コスパ最強伝説「ケーキドーナツ」とヤングドーナツフィナンシェもマドレーヌも、すべての焼き菓子の良いところ取りをした「ケーキドーナツ」への回帰。ポップな400円のドーナツより、安定の50円ヤングドーナツ(OKマークサイズ)に安らぎを感じる自分。 • 未来のタピオカは「スクランブルエッグ」であるホテルのビュッフェでしか味わえない、あの「ずっとトロトロ」な卵の謎。30年後、人類はあの卵に太いストローを刺し、ベビタッピして飲む時代がやってくると信じている。 • フラペチーノへの敗北と、ホットティーという名の隠居周りが全員フラペチーノを頼む中、一人だけおばあちゃんのように「温かいお茶」を頼む切なさ。小指の爪サイズのミニ・フラペチーノがあれば、私もいつかパリピの仲間入りができるだろうか。 クリスピー・クリーム・ドーナツの華やかな箱を抱えながら、心の中ではミスドの「汁そば」の塩気を求めている自分を、私はもう隠せない。 マリオとコラボした「ギャラクシー」なドーナツを口に入れた瞬間、私のモチベーションは星になった。美しすぎる色、甘すぎるアイシング。それは、パリピの人生という名の「異国の食べ物」だった。 私は、ただ「卵ペースト」を愛し、コメダのモーニングでゆで卵を割る気力を惜しむ、そんな等身大の自分でいいはずなのに。それでも、私は諦めきれないのだ。 ブラッタチーズを割り、フラペチーノを分離させずに飲み干せる、そんな「ポップな大人」への憧れを。 たとえ今の私が、おしゃれなデリで注文を口ごもり、コンクリートのように固いケーキドーナツに安らぎを感じる人間だとしても。いつか、タピオカストローでホテルのスクランブルエッグを飲む日が来るまで。私は、ホットスナックのコロッケと、キューピーのマヨネーズという名の「実家」に守られながら、少しずつポップの山を登っていこうと思う。
頑張ってないからコーヒー飲めないし、ポップな食べ物は翌朝に響く、胃袋と体が起こす『パリピ拒絶反応』
「おしゃれなカフェに行った翌日、体が異常に重い」 オムライスにナポリタン、ダメ押しのクリームソーダ。ポップさを詰め込みすぎた翌朝、目は開いているのに体が動かない「団子虫現象」の謎。そして、都会の小学生に冷ややかな目で見られながら給水器を飲むくらいが私に合ってる。 📌 今回のトピックス • コーヒーが飲めない「頑張らない」体質への変化 かつては気合で飲んでいたコーヒーも、今やカルディの試飲サイズが限界。カフェラテですら「濃すぎる」と感じるほど、体内がストイックに変化中。もしかして、頑張ることを体が忘れてしまった? • ポップな食事は「朝寝坊」の元凶 前日の夜におしゃれな喫茶店やレトロ風カフェで「映える」ものを食べると、翌朝の体感重量が通常の3倍に。ポップという名の情報量に体が追いつかず、得意の早起き特技が完全封印される不条理。 • 大人になった証拠 ―― 満腹だと目がバキバキに 子供の頃は満腹で寝落ちできたのに、今は「やり残したことがある!」と体が叫び、ネットフリックスを見ながら目がバキバキに。25歳を目前に、胃袋と脳が激しくぶつかり合う夜。 • ラムシャブ(ラブ肉)とクリームソーダの「寝過ごし確定」コンボ しゃぶ葉のラム肉フェアに、知り合いのカフェのクリームソーダ。最高の食予定を入れるたび、翌朝の飛行機を乗り過ごす恐怖が頭をよぎる。担々麺うどんの悲劇を繰り返さないための、孤独なリスクマネジメント。 • ピンクのコートと、都会の吸水器の悲劇 都会の小学生に「汚い」と言われようが、駅の給水器で喉を潤す。そんな泥臭いパリピ道を歩んでいたはずが、お気に入りのピンクのコートに降りかかった、人生からの「調子に乗るな」という残酷なメッセージ。 『団子虫の朝と、ピンクのコートの十字架。』私は、パリピになりたかった。おしゃれなカフェでブラッタチーズを割り、クリームソーダの泡を楽しみ、終電で優雅に帰る。そんな「ポップな人生」を夢見ていた。でも、私の体は正直すぎる。ジェラートの塩キャラメルナッツを食べれば涙が出るほど翌朝が辛く、オムライスの後にどら焼きを詰め込めば、翌朝は布団の中で動けない団子虫と化す。 「お前には、まだポップさは早い」駅の給水器で喉を潤していた私に、お気に入りのピンクのコートを終電のゲロで汚したあの悲劇は、そう告げているようだった。都会の小学生の冷ややかな視線に耐えながら、私は自分の「身の丈」というものを考える。でも、諦めきれない。 しゃぶ葉でラム肉(ラブ肉)を頬張り、インスタで見た美味しそうな情報の波に溺れたい。カフェインが飲めなくなっても、朝が起きられなくなっても、私は「雰囲気」に騙され続けたいのだ。たとえ体が震えるような金額を払っても、果敢にポップな店に挑み続ける。それが、私に課せられた「パリピへの修行」なのだから。ピンクのコートをクリーニングに出しながら、私は明日も、懲りずにクリームソーダを注文するだろう。たとえ翌朝、また団子虫になったとしても。
濃厚な食べ物は「初めて」食べた瞬間が美味しさのピーク〜白子の天ぷらが量食べられない〜
📌 今回のトピックス• 白子=地雷系彼女説最初はあんなに愛おしくて、天ぷらで出会った時は人生のピークだと思ったのに。2個目、3個目となると「ちょっと重い、くどい……」と体が拒絶し始める。いいものになればなるほど、一口で十分になってしまう濃厚さのジレンマ。 • 大人たちの「白子強がり」を疑う居酒屋で「白子最高!」と言いつつ、全然箸が進んでいないおじさん・おばさんたちへ。それは年を取ったことを認めたくないがゆえの、ポーズではないのか? 中村さんがスシローの皿越しに見た、日本社会の「脂への執着」の真実。 • 絆創膏の血の色こそ、本物の赤身大トロより中トロ、中トロより赤身。それも、ただの赤じゃない。絆創膏にじわっとにじんだ血のような、あの深い赤黒い色こそが「魚を食べている」という実感をくれる。スシローと共に歩んだ24年が導き出した、究極の結論。 • 白子天ぷらを「大根おろし1本分」で流し込む贅沢くどい白子をあえて天ぷらにして「くどさ」をブーストさせ、それを箸が折れるほどの大量の大根おろしと、強めの酢で流し込む。この矛盾こそが、白子に対する最大のおもてなしであり、正解である。 • アボカド天ぷら「変すぎて美味しい」理論地の果てまで肯定し続けたいアボカド。天ぷらにすると本来の味が台無しになり、なんだか「変な味」になる。でも、面白くなさを極めると面白くなる飲み会のように、その「変さ」こそが病みつきになる中毒性。
フルーチェのことを一旦、馬鹿にしないで食べてみてほしい&クルトンは沈んでからが本領発揮
Podcastweekend 出店します!!食い意地プロフィールも配布します⭐️ フルーチェの社会的地位向上委員会と、クルトンの放置美学 ゼリーでもプリンでもない、あの「つるん界隈」の頂点に君臨するテクスチャー。フルーチェ。 子供の夏休みのおやつって定義しちゃうけど、これは違う。もっと評価されるべき。 港区のテラス席で一口ゼリーをワイン片手に嗜む空想から、愛するビッグボーイのサラダバーで繰り広げられる「ホイップ×コンポタージュ」の禁断の掛け合わせまで、全力でお届けします。 📌 今回のトピックス • フルーチェはフレンチのデザートになり得るパッケージの安心感に騙されてはいけない。もし長いコック帽のシェフが「夏の遊び」と名付けて出してきたら、パンナコッタも杏仁豆腐も道を譲るレベルの完成度。 • 知育菓子の「びしゃか・めっちゃか」問題ねるねるねるねの粉の飛散、ハンバーガー屋さんの手間の多さ。それに比べて、牛乳を混ぜるだけで「体験・時間潰し・おやつ」の三冠を達成するフルーチェの圧倒的タイパ。そして他のものの足の踏み入れ場がない美味しさ。 • サラダバー界の「サラダ」という名の冷製パスタマヨネーズで和えていればすべて「サラダ」と呼んでいいという、ビッグボーイの寛大な世界観。ポテサラ、マカロニ、パスタ。サラダという隠れ蓑を着た炭水化物の宴。 • コーヒーゼリーのホイップは「聖水」である誰にも再現できない、あのサラダバーのホイップ。あっさりしているのに濃厚なあのクリームを、あえて熱々のコンポタージュに浮かべるという、中村流「スープバー・テクニック」。 • 「可愛い子(クルトン)には旅をさせろ」サクサクのクルトンを、あえてスープの底に沈めてほったらかす。パイ生地のように急かしてくる「あざとい存在」は、一旦無視することで真のポテンシャルを発揮する。クルトンで『可愛い子には旅させよ』ということわざを体験して学ぶ。 『フルーチェの「チェ」と、チェリーの「チェ」。可愛い。』 私たちは、あまりに身近な奇跡を見落としているのではないだろうか。ボウルの中で牛乳と出会い、不思議な化学反応で固まっていくあの桃色の輝き。家の中の適当な皿で食べるから「おやつ」止まりなだけで、もしシャンパングラスに盛られていたら、それはもうフレンチの芸術品だ。ビッグボーイのサラダバーで、私はいつもフルーチェと対峙する。リーズナブルなプラスチックのお皿の上で、フルーチェは美しく、誇り高く揺れている。 その横には、サクサクのうちに食べなきゃと急かしてくるクルトンがいるけれど、今の私はもう騙されない。「可愛い子には旅をさせろ」スープの底で、じっくりとコンポタージュの旨味を吸い込んだクルトンこそが、本当の「大人」の味わいなのだから。あざとい存在を一旦ほったらかして、目の前のぷるぷるした概念を慈しむ。 次にフルーチェを作る時は、一番いい服を着て、一番いいスプーンで、フレンチのシェフになったつもりで混ぜてみようと思う。
オムライスは芦田愛菜である ― 概念としての卵とデミグラスの儀式
Podcastweekend 出店します!!食い意地プロフィールも配布します⭐️• オムライス浴の1ヶ月 ―― 『ランチの女王』という名の修行竹内結子の可愛さと、デミグラスを1から作る職人の背中に酔いしれた1ヶ月。何度も手を伸ばしかけたオムライスを我慢し続け、ついに今日、本番を迎えた中村さんの壮絶な結末。• オムライス=芦田愛菜説私たちは「味」ではなく「概念」を愛しているのではないか? 存在してくれているだけでありがとう、という全肯定の対象。それが中村さんにとってのオムライス。• デミグラスソースとの「正しい対峙法」洋食屋の作法。まずはスプーンでデミグラスだけをすくい、脳に「これがデミだぞ」と教え込む。その後に満を持して、甘い卵とチキンライスの本丸へ攻め込むのが、ランチの女王直伝の食べ方。• ケチャップがナポリタンに盗まれている!最近のオムライスは、なぜこんなにもチキンライスの色が薄いのか。ナポリタンが濃すぎる一方で、オムライスの赤が搾取されているのではないかという老害的(?)社会考察。• セミとお椀と、はずみのキスシーンドラマ史上、最も笑った「セミ捕獲後のお椀のせたままキスシーン」。今のドラマにはない、あの「ありえなさ」と「ランチへの情熱」こそが、オムライスをより輝かせていた。
祖母、無洗米頑張る宣言&コンビニサラダと毎日戦って千切りしてる
Podcastweekend 出店します!!食い意地プロフィールも配布します⭐️📌 今回のトピックス • 無洗米論争 ―― 令和の技術 vs 地元のプライド「無洗米は美味しくない」という過去のトラウマに、新潟の権威(?)と令和の謎技術で対抗。地元の米しか信用しないおばあちゃんが、ついに「無洗米、食べてみる」と真剣ゼミさながらの宣言を放った日。 • アルミホイルの中の「激しいごま塩」塩=ごま塩世代のおばあバーベキュー用には「塩」でと頼んだはずが、届いたのは真っ黒なごま塩。アルミに包まれたごま塩の、あの独特の「正体不明感」。おばあちゃんの視力ゆえの「振りすぎた塩」が、逆に外飯の最高なスパイスになる。 • コンビニ野菜を「模写」するおばあちゃんの可愛さ自炊一筋だったおばあちゃんが、コンビニのカット野菜やサラダに感動し、その「盛り付け」を真似し始める。新しい世界に触れて、瞳を輝かせる86歳のアップデートを、全力のシャンパンコールで祝いたい。 • 潰れたおにぎりという名の「ラブラブ上等」教科書の重みで平たくなったおにぎり、のりたまの卵まで一緒に潰れたあの背徳的な味。おにぎり専門店のフワフワも、コンビニのパリパリも、ラップに残った海苔カスすらも。結論、おにぎりは人類の最高傑作である。 最近のおにぎり専門店の粒だったフワフワもいいけれど、おばあちゃんがぎゅうぎゅうに握りしめた、あの密度の高いおにぎりは、私の「底(ソウル)」を真っ直ぐに満たしてくれる。
今は『塩おにぎり』時代らしいのに、スイカの白いところは残すんだね
また、老害回です。すみません。 • オムライスおにぎりは「ハッピー社会」のバロメーター彩り豊かなオムライスおにぎりが消え、茶色いチャーハンおにぎりが増える現状への危機感。ケチャップのオレンジ色こそが、世界を明るくする希望だったのではないか。• 焼き芋への「忖度」と、ふかし芋への「純愛」「好きな食べ物は?」の問いに、解像度の高い『焼き芋』と答えてしまう自分への敗北感。本当は、甘すぎず水分を含んだ、皮と実が密着した『ふかし芋』を冷蔵庫で冷やしてちょこちょこ食べたい。• イラストに漏れ出る「芋のリアリティ」無意識に描く芋は、皮がピタッと密着したふかし芋のフォルム。焼き芋のようなシワシワの凹凸ではなく、ツヤツヤの紫を描いてしまう。イラストレーターとしての筆跡が、私の嘘(焼き芋忖度)を暴いていく。• 聖火ランナーのように焼き芋を掲げた日リスナーさんからの愛の差し入れ「芋・牛乳・米粉クッキー」という三段構え。お洒落なサラダボウルへの憧れを隠しつつ、街中で芋を掲げて食べたあの日、私は間違いなくお調子者人生の絶頂にいた。• 「皮ごと食べる野生」を家の中に閉じ込めろスイカの白い部分、イチゴのヘタ、魚の目玉。全部食べたい本能。でも、他人の「驚きの感情」を無駄遣いさせないために、外では「本来残すべき場所を残す」という大人の練習を始めなければならない。
温玉クラッシャー滅!深夜のサイゼリア民は青豆のサラダ同盟組んでる。
「温玉を割るタイミングを魂で決めている」こだわり派の方、友達になりましょう。 50円というコンビニ以下の価格で奇跡を届けてくれるサイゼリヤの温玉。それを許可もなく混ぜ、お皿に黄身の痕跡をベッタリ残すクラッシャーたちとの闘争始めよう。そして愛するサイゼの湯ぎりがいつも甘いパスタのことをを「福岡のうどん」として再定義することで全肯定していくライフハックをお届けします。 📌 今回のトピックス • 「悔しい表情」しか描けないイラストレーターの意地悔しい人生歩みすぎて、美人やイケメンは描けなくても、歯を食いしばり、シャーペンを握りつぶす「悔しさ」の描写なら自他共に認める日本一。 • サイゼリヤで一番かっこいいのは「配膳スタッフ」鉄板2枚を抱え、残った指2本でライスを支える。あのホテルバイトでも習得困難な神業。筋がつかないよう祈りながら見守る、プロフェッショナルな背中。 • 温玉クラッシャー問題 ―― 条例制定のすゝめ勝手に下から上へぐちゃぐちゃに混ぜ、温玉の尊厳を奪う人々。それはもはやコミュニティの破壊者だ。レモンは聞くのに、なぜ温玉は聞かないのか。取扱説明書の付属を強く要望したい。 • 深夜の「青豆同盟」とヘッドホンの同志深い時間に現れる、巨大ヘッドホンのソロ客。彼らは例外なく「青豆のサラダ+温玉」を大切に、大切に食べている。お声掛けはできないけれど、心の中ではガッチリ握手を交わす「青豆同盟」 • サイゼリヤのパスタは「うどん」である茹ですぎ? 湯切り不足? いや、これは福岡のうどんのような「新たな麺料理」なのだ。オリーブオイルと塩でチューニングすれば、バッチグーな幸福が訪れる。 『黄身の涙と、深夜のフォカッチャ。』「電車、久々だな」なんて言う若者に、私は心の中で「モノレールに乗った時の高揚感を知らないのか!」とハンカチを噛みしめる。私のイラストが「悔しさ」に特化しているのは、きっと日常のあちこちに転がっている「楽しさ」を、誰よりも一生懸命に拾い集めているからだ。サイゼリヤの温玉。50円で買えるあの輝きを、人はどうして無慈悲にクラッシュできるのだろう。お皿にこびりついた黄身の跡を見るたびに、私は失われた可能性に涙する。温泉卵は、土台を大切に、上に上に、大切に「もてなす」ものなのだ。最近パサつき始めた(気がする)フォカッチャに、ソースという名の救済を与える。茹ですぎたパスタを「うどん」という名の宇宙へ昇華させる。深夜、大きなヘッドホンで自分の世界に閉じこもりながら、青豆を一粒ずつ味わうあの人となら、きっと本当の意味で「食の解像度」について語り合えるはずだ。「温玉、割ってもいい?」その一言が、世界の不条理を半分くらい解決すると、私は信じて疑わない。
生のエビ寿司は18禁だから、サラダエビが本物のエビ寿司だと錯覚させられてたのか〜
「生エビは18禁のパンティーということと、朝の固形石鹸贅沢」 本当は納豆と魚のあらが大好物なのに、本心を「ハンバーグ」でカモフラージュしています。ぴえん。 📌 今回のトピックス • 「好きな食べ物ランキング」の偽装工作本当は納豆と魚のアラを愛しているのに、世間体と口臭とイメージ通りになりすぎた「自身」を気にして「ハンバーグ」や「焼き芋」を差し出しています。。。 • 魚食べコンテスト・日本代表の自信評価基準が「食べた後の骨の少なさ」なら絶対優勝。コラーゲンたっぷりのブリブリした部位を愛し、骨までしゃぶり尽くすその特技は、もはや食育センターか水産庁とのコラボ案件お願いしたい。 • エビの正体は「18禁のパンティー」であるサラダエビという「緩衝材」の安全地帯を抜け、生のエビの透明なプリプリ感に出会ってしまった衝撃。その美しさと官能性は、子供にはまだ早い。18禁コーナーに置かれるべき、魅惑の「赤エビ」論。 • 中華料理屋の「記憶消去」卵スープとろみで口の中を火傷させ、その後の味の記憶をすべて奪い去る中華屋の戦略。でも安さとアラジンのように広がる卵の不思議な魔力に、私たちは今日も屈してしまう。 • 固形石鹸(フリーズドライ)と春雨の贅沢な出会い朝から最高級のフリーズドライ卵スープに、春雨を投入する「成功者の朝食」。しかし、スープのキャパシティを超えた春雨が水分を吸い尽くし、ただの「増えすぎた物体」と化す、幸せな計算違い。
愛とおもてなしをかたちにしたスーパー、ビッグバリューからのラブレター(勝手な解釈)と、振る舞いの精神
地方創生を語る前にバリューへ行って、地方で圧倒的に愛されること、必要な存在になることを学んでほしい」スーパーから届いた、名前入りの手書きの手紙。2倍パスポートという名の「尊いお守り」。ビジネスの正解は、効率の良さではなく、この「読みにくいほどの熱量」にあるのかもしれない。スーパーから届いた「手書きという名のラブレター」生産者各位への、びっしりと綴られた16行の感謝。タイパ重視の現代で、手書きで、ペンを握るスタッフ一同の「意地」に、打ち合わせ前の全細胞が震えた。「ご機栄」を音読する朝の儀式肝心の1行目が読めなくても、その太いペンの跡から「おめでとう」の熱気だけは伝わってくる。立春の候、ますますご機栄。この読解不能なまでの想いを、私は毎朝の教典として音読することに決めた。「18周年」という、絶妙に愛おしい数字20年でも30年でもない、18周年を全力で祝うバリューファーム。地元の食材で温かいものを「振る舞う」という、見返りを求めないパーティーの形。これこそが、私が目指すべき「一生懸命」の到達点だ。確かに、毎日が記念日ってよく恋愛ドラマとかでも言ってるもんね〜名前入りパスポートは「お守り」であるクーポン大好きな私を悩ませる、名前入りの2倍パスポート。使えば手元から消えてしまう。でも、使わないのも失礼……。この葛藤こそが、バリューと私の「相思相愛」の証。最初の2行は、今の私にはまだ解読できない。でも、それでいいのだと思う。文字が読めることよりも、その文字を書こうとした人の「指の疲れ」や「インクの匂い」を感じることの方が、ずっと豊かだ。東京に「バリュー愛」を直送したい還元できることが何もないと嘆くより、東京で「バリュー直送お惣菜パーティー」を開きたい。投げ銭でもチップでもなく、ただただ「このスーパー、やばくない?」と色紙を埋め尽くすほどの愛を語る場所を。「生産者あってこその、地域密着」その自覚をゴシック体で堂々と掲げ、18年という月日を「一重に皆様のおかげ」と言い切る。ローカルに根付いて愛されまくるバリューの姿勢は重く、鋭く、そしてどこまでも優しい。私はこの手紙を毎朝音読する。この手紙をいただけた感謝を表現したい。私がバリューに返せるのは、きっと「成功して恩返しする」ことよりも、バリューのようなマインドで、目の前の一人ひとりに「温かい何か」を振る舞い続けること。【食い意地ラジオについて】9/14 、くいしんぼうの日に生まれた私は日々食べ物や食事の時間を抱きしめて過ごしています。食に対して毎日真剣に、全力で、血眼で向き合った結果、食事を睨むくらい食い意地が止まらなくなってしまい、1日中食のことしか考えられなくなってしまいました。そしてなんでも食べるようになってしまいました。食いしん坊がただ自由に暑苦しく、うざったく、食への愛と食い意地を爆発させているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓せているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓https://lit.link/kuiizi
ざっくりサトちゃんちゃんといるよ(さっくりはしてないけど)&塩おにぎりをこのむゼット世代なんなのー、オムライスおにぎりだろ🟡🟥
• オムライスおにぎり、絶滅の危機?ハッピーな社会の指標だった「オムライスおにぎり」が消えつつある恐怖。世はチャーハンおにぎり一色に。パラパラであるべきチャーハンを無理やり固める不条理。私はオムライスの、あのポップなオレンジ色を求めている!• Z世代の「塩おにぎり」ミニマリズム色のついたおにぎりを選ぶ私を横目に、同世代が選ぶのは真っ白な「塩」。それは諦めか、それとも「引き算の美学」に早くも気づいた賢者の選択か。海苔さえも「歯への執着」を恐れて排除する、ストイックな食卓。• おにぎり「おしとやか」・パン「ポップ」期の到来おにぎりがシンプルへ向かう一方で、菓子パン界隈はコーティングに詰め物、シュガーまぶしとデコラティブの極みへ。この「炭水化物のバランス調整」こそが現代の歴史なのかもしれない。• 昭和の魂を持つ、4頭身の私金八先生を愛し、思想が完全に昭和。おにぎりはカラフルな「ポップ」を求め、パンには顎が疲れるほどの「素朴な硬さ」を求める。時代の流れと逆行する私の味覚は、生まれ落ちる時代を間違えた証拠かもしれない。最近もトレンディドラマみてる、さいこー• 「さっくりさとちゃん」伏線回収の散歩道お墓の前で思い出す、あのデニッシュパン。まさかの母との「聖地」共有。さっくりしてないのに「さっくり」、フランソワなのに「さとちゃん」。矛盾だらけのあのパンが、今もスーパーにあるという奇跡。『真っ白なキャンバスに、ケチャップの夢を。』最近のコンビニおにぎりの棚を見ていると、なんだか経済まで暗くなっている気がしてならない。かつて、そこには「オムライス」という名の小さな祝祭が並んでいた。雑穀米やもち麦という「正しさ」もいいけれど、私はもっと、不健康なほどにポップなオレンジ色の塊に救われたいのだ。周りのみんなが「塩おにぎり」という最小限の価値に気づき、ミニマリストとして完成されていく中で、私だけが取り残された昭和の子供のように、色のついたご飯を欲しがっている。海苔が歯に付くことさえ、食べ物が自分に執着してくれているようで愛おしいのに、今の世の中はあまりに「清潔で、静か」すぎる。母と歩いた散歩道で見つけた、さっくりさとちゃんの記憶。名前と食感の不一致、ネーミングの強引さ。それこそが、今のスマートな社会が忘れてしまった「人間味」ではないか。さっくりしていない「さとちゃん」を、しっとり、ねっとりと噛み締めながら、私は思う。時代がどれだけ「塩」へ向かっても、私はこれからもケチャップの色と、顎が疲れるほどの硬いパンを愛しつづけるし、ざっくりさとちゃんがさっくりしてないことも見逃し続けて手に砂糖まぶし続けるよ。
好きな食べ物ってコソコソ言わなきゃいけない話なんだね& 枝豆の殻の数は、理性の数である
好きな食べ物を聞くだけで、なぜこれほどまでに心が洗われ、そして自分の「汚なさ」に悶絶することになるのか。レジン作家(小4女子)と枝豆の賢者(中1男子)に教わった、真の「愛」の形をお届けします。 好きな食べ物は「秘密の告白」お母さんに耳打ちしないと言えない、小4女子の好きな食べ物。それは今の食卓への配慮か、それとも自分を形作る「核」を明かす照れくささか。安易に答えていた自分を恥じるほど、そのコソコソ声は尊かった。 枝豆を「3粒」で止める中1の聖人「好きな食べ物は黄緑色」。その答えが目の前の枝豆だと分かった瞬間、大声で正解を奪った私の「つまらない大人」感。しかし、彼は好きだからこそ、独占せず、みんなに分け、たった3粒を慈しんで食べた。脳なしで食い尽くしてきた私への、静かなる説教。 白ご飯の概念を問う、アバウトな三択「ご飯、唐揚げ、ラーメン」。三択の一番目に「ご飯」を持ってくる哲学的なセンス。白ご飯のこと?と聞かれて「うーん」と悩む彼女の姿に、私は安易な二択にできなかった自分の想像力の乏しさを反省した。 人類の義務教育「唐揚げ→ラーメン」の法則小4で唐揚げからラーメンへ推しが変わる。この遍歴は、もはや人類の勤め。やがて高校でセットになり、大人になって「しっとり感」や「酢豚のフルーツ」という掛け合わせの深淵にたどり着く。私たちはみんな、この道を歩んできた。 レジンの透明感に、汚れた心を洗浄してクイズに正解して(奪って)もらった、子供たちの手作りレジン。この透明な塊を持ち歩くことで、私はかろうじて「汚い大人」の暴走を制御できている。レジンブームの生みの親に、最大級の感謝を。『三粒の枝豆と、透明な御守り。』私はいつから、好きな食べ物を「即答」するような、つまらない大人になってしまったのだろう。枝豆を目の前にして、殻の山を築くことしか考えていなかった私に、あの中1の男の子は教えてくれた。本当に大切にするということは、無限に扱わないこと。みんなで分け合い、一粒一粒を「形跡」として愛でることなのだと。小4の女の子が、お母さんの耳元で囁いた「唐揚げ」と「ラーメン」その移ろいゆく季節のような好みの変化を、彼女は一生懸命に自分の心に問いかけていた。白ご飯というアバウトな選択肢の中に、彼女が何を見ていたのか、私はもっと丁寧に想像すべきだった。子供たちが作るレジンのキーホルダーは、私の汚れた自意識を浄化してくれる御守りだ。これを持っている間だけは、クイズの答えを先に叫ばない、枝豆を無心で貪らない、そんな「少しだけ綺麗な大人」でいられる気がする。唐揚げからラーメン、そしてその先の多様な味覚の旅へ。私も彼女たちのように、一口の幸せを耳打ちしたくなるような純粋さで、もう一度「食」と向き合いたい。まずは、次に会うときのお土産のカップラーメンを、彼女がキラキラした笑顔で受け取ってくれるように、全力で予習して選ぶことから始めよう。
世の中にもっとおかあさんコミュニケーションが増えますように!残ったものは全部持って帰らせて⭐︎
【「会食前の牛丼ルーティン」を卒業させてくれた日への感謝】ワークショップの講師として行ったはずが、気づけばお母さんのような温かな愛に包まれ、煮豚の卵に「大人の階段」を見出した中村の幸せ報告です。• 「おばさん」ではなく「お母さん」政策呼び方に迷う関係性への終止符。たとえ、相手から「おばさん」と自ら名乗られても、お母さんと呼びたい。そして、人類みんなお母さんだと思えば、世界は愛で満たされるし、みんなのことをこどもだとおもっていただけたら最高です。世界平和ですという提言。• 食欲という名の野生 ―― 理性と煮汁の境界線大皿料理を前に、くいいじがとまらねえわたしは、1週間ぶりの食事かのような勢いで食べたくなる衝動。理性を保って「適量」で止めたはずなのに、目は「煮汁まで飲みたい」と叫んでいた。言葉よりも雄弁な「私の目」への深い反省。• 心を満たす「本物の塩おにぎり」と高級海苔の余裕会食前のいつもの虚しい牛丼ルーティンを救ったのは、手作りの塩おにぎりだった。常に焼き海苔がある家、子供が馬刺しを嗜む家庭のリッチな愛情。ワックスペーパーを敷き、紙袋にまで入れてくれる丁寧な「持たせ方」に、ホームパーティーの極意を学ぶ。• 煮豚における「味玉」という名の頂点肉にしか目がいかない子供たちを尻目に、味の染みた卵を尊ぶ。わさびを覚えた寿司と同じく、煮卵の「縁取りのある濃厚さ」に感動したとき、私は自分が大人になったことを確信した。• 土日の正解 ―― アリを愛で、キメの細かいカステラを想う仕事をせず、ただゆっくり歩き、花やアリに挨拶する。それこそが土日の作戦。赤ちゃん肌のようなキメの細かいカステラを手土産にする、そんな「キメの細やかな人」に私はなりたい。私の言葉は、いつも軽すぎて本心に追いつかない。「ありがとうございます」と言う私の声が、あのおにぎりの塩加減や、煮豚の卵の完璧な染み具合に対する感動を、1ミリも表現できていない気がして最悪な気分になる。可愛い柄のビニール袋をさらに、スタバの紙袋に入れられた、クラフトボックスのお弁当。その下に敷かれたワックスペーパー一枚の余裕に、私は本当の「リッチさ」を見た。将来、私も人を招くときには、こんな風に相手の心をおにぎりでパンパンに満たせるような、キメの細かい「お母さん」になりたい。会食という名の「食べてはいけない場所」向かう前に、手作りの愛を胃袋に詰めて挑む幸せ。
成城石井への怒り
• 成城石井への宣戦布告 ―― 150円の正体手にした12品目のサラダ。マイバスケットなら290円、成城石井なら450円。中身は同じ工場、同じ具材。この差額への怒りがどうしても収まらないけどまた同じことしそう。成城石井怖いよ。• 5%・10%割引の「微かな幸せ」レジで気づく「意外と安くなってない」という現実。でも、割引シールは節約のためじゃない。それを理由に「これ、買っちゃおう」と自分を甘やかすための、免罪符という名のエンターテインメントなのだ。• 人生を支えた「ボルシチ」の衝撃ロシア料理店で出会った、ボルドー色のスープ。成城石井は、そのマイナーな「血の色」のスープを、お惣菜として用意してくれている。水(スープ)にお金を払うという壁を越えさせる、ブランドの凄み。• 「もしもし成城石井」への改名案?ラベル一枚で人を狂わせ、高くても「やっぱり成城石井がいい」と思わせる圧倒的な存在感。イラストレーター「もしもし五島列島」を捨て、いっそこの強靭なブランド名に改名したいほどの敗北感と憧憬。• ソクラテスも驚く「無知のハッピー」知らない方が幸せだった。マイバスケットの正体を知らなければ、私は成城石井のサラダを最高のご馳走として立ち食いできていたのに。解像度が低いからこそ、駅の階段を登るだけで「F4の世界」のように楽しめる私の人生。成城石井の惣菜は、味や見た目だけではなく「成城石井で買っている自分」という物語を食べているのだと思う。工場が同じだと知ってしまった今、私の心はマイバスケットの冷たい現実に引き戻された。290円のサラダと、ラベルが貼られた450円のサラダ。160円あれば、美味しい牛乳がもう一本買えたはずなのに。けれど、ボルシチという「庶民には遠い異国の味」を身近に置いてくれる成城石井の優しさは、やっぱり捨てがたい。スープは水だ。けれど、あのボルドー色の水に150円余計に払うことで、私は日常の少し先にある「リッチな時間」を予習しているのかもしれない。知らないことは、最高にハッピーだ。バラのお風呂を知らなければ、銭湯の薬湯で王族の気分になれる。成城石井の「正体」を知ってしまった私は、もう無邪気な立ち食い客には戻れない。けれど、騙されていると分かっていてもなお、あのラベルが放つ「威厳」に抗えない自分も、また愛おしいと思うのだ。これからは、成城石井で買うときは「私は今、150円の夢をトッピングしている」と自覚しながら、背筋を伸ばしてレジに向かおう。
めんどくさいことは、「めんどくさい」とおもったときがいちばんめんどくさくないからそこのタイミングで
小籠包の「底」にある意地チュルチュルした蒸し小籠包への不信感を払拭したのは、ガリガリの「底」を持つ 焼き小籠包だった。それはまさに北海道の雪底ブーツ。食べ物を食べ物として守るための、丈夫な意志がそこ(底)にはあった。 「スープを先に飲む」という矛盾への提言「先に穴を開けて汁を吸え」という公式ルールへの違和感。スープこそが本体なのに、なぜ先に解体しなければならないのか。だけど酢好きとしては、小籠包をお酢を大量に摂取するための「器」にしてくれてるのはありがたぴ。 肉汁ビッシャー! 軸ブレ人間の悲劇他人の食べ方に気を取られた一瞬の隙。閉じるタイミングを失った口から放たれた肉汁の弾丸。お気に入りのジャンパーは犠牲になったけれど、それは「紙エプロン」という予習をサボった自分への報いだった。 「めんどくさい」は、今この瞬間が最小値自転車カバーと同じ。後回しにすればするほど、めんどくさいは成長し、巨大化する。「めんどくさい」と思ったその時こそが、人生のやり時。小籠包の汁を浴びる前に、私たちはエプロンを着けなければならない。 北九州の激渋居酒屋と「自分への酔い」知らない土地で一人、居酒屋の暖簾を潜るカッコつけ。中身が謎すぎる「10種類入り洋風お好み焼き」に困惑しながらも、テレビと喋る店員さんの余裕に救われる。カッコつける勇気が、新しい景色を見せてくれる。お客さんより店員の数が多くてそれゆえ、お茶を一口飲むと一口注いでくれるお店はいい店だ。めんどくさい、という感情には鮮度がある。その場でエプロンを借りれば一瞬で終わったはずのことが、断ったばかりに、ジャンパーの洗濯という巨大な「めんどくさい」へと膨れ上がる。自転車のカバーも、後片付けも、今やるのがいちばん!
ハンバーグの本質は、「肉のハナマサハンバーグ」に学び、準備の大切さは「キューピー3分クッキングに学ぶ」
エッセイ①:キューピーの三分間と、私の不時着人生私はこれまで、予習という言葉を辞書から消し去って生きてきた。教科書を先に読むくらいなら、現場で盛大に転んで膝をすりむく方が、よっぽど情報の入りが良いと信じていたからだ。しかし、この歳になってようやく「予習」という名のカンニングペーパーの重要性に気づき始めている。その代表格が『キユーピー3分クッキング』だ。大人はあの番組を「本当に3分で終わるか」なんていう、小学生の「うんこ」並みの低レベルな視点で見たりはしない。私たちが圧倒されるのは、あの3分のために費やされた狂気じみた事前準備の凄みだ。オープンキッチンでありながら、調味料一つどんぐらがしゃん(転倒)させず、汚れた姿を一切見せない。調理技術以前に、あの「散らかっていない」という一点にこそ、プロの腕が凝縮されている。Netflixの『白と黒のスプーン』に出てくる一流シェフたちもそうだ。キッチンが綺麗であればあるほど、料理は美味くなる。私は今、明日のハンバーグという不時着予定のフライトを前に、生まれて初めて「散らかさない予習」をしようとしている。しかし、15分かけて歩いて聞きに行った祖母の助言は「玉ねぎが好きなら生、嫌いなら炒める」という、味の真理をどこかへ置き去りにした「好き嫌いの二択」だった。おばあちゃん、私は美味しいか否かを聞いているのに。エッセイ②:肉のハナマサという名の衝撃と、繋がれたい愛私の自炊能力が壊滅的だった高校時代、お弁当という名の戦場を救ってくれたのは、コンビニの121円のチルドハンバーグだった。ひじき煮やきんぴらごぼうがその奥ゆかしい量で同じ値段をとる中、ハンバーグだけは圧倒的なボリュームでメインを張り、ご飯の上に虹(ふりかけ)を降らせてくれた。しかし、レトルトハンバーグへの概念を根底から覆したのは、肉のハナマサだった。2個入り298円という、この世のものとは思えない安さ。パッケージを突き破らんばかりの、大人の手のひらサイズ。一口食べれば、そこにあるのはレトルト特有の練り物感ではなく、脳内メーカーが「肉・肉・肉」で埋め尽くされるほどの圧倒的な肉感だ。島へのお土産にしたいと願うほど、それは私にとっての福音だった。世のグリルレストランはこぞって「牛100%・つなぎなし」を謳い、目の前で半分に切るパフォーマンスを披露する。しかし、私は声を大にして言いたい。ハンバーグは、繋がれていてほしいのだ。肉感だけを追求するならステーキでいい。ハンバーグに求めているのは、つなぎという名の優しさと、手ごねという名のカモフラージュされた愛だ。ふわふわとしていて、どこか霧がかかったような「モヤフード」であってほしい。結局、祖母のみかんジュースを飲んで帰るだけの予習になったけれど、私は知っている。明日のハンバーグが成功するかどうかは、玉ねぎの炒め具合でも肉の配合でもなく、最後にすべてを包み込む「ソース」が美味しいかどうか、ただ一点にかかっているのだということを。
ランチミーティングって何!?!二つもある耳ですら同時に同じことしか聞けないのに、話すと聞くは両立できません。口は一つしかないよ。飴のなめどきも難しくて舌をコインランドリーにさせる。
ランチミーティングなのに、ランチの食べどきがわからんくてパニックになる。私は要領が悪い。その代表格が「ランチミーティング」という、人類が生み出した最も残酷なシステムだ。ミーティングというからには話すべき大事なことがある。しかし、目の前には美味しそうなランチが並んでいる。私は一体、いつ噛んで、いつ飲み込めばいいというのか。「話す」と「食べる」を両立するのは難しい。口は一つしかないのに。そもそも、二つもある耳ですら、違うことを一度に聞けないのに、口がそんなに器用なことできるはずがない。もし、その日のランチのメインの一番デカい欠片を口に放り込んだ瞬間に、相手から難しい質問を投げかけられたら?せっかくのメインを急いで胃にウォータースライダーしなければいけなくなる。私は獲物を加えたまま巣に戻る親鳥、あるいは頬袋をパンパンにしたリスのような顔を晒しながら、白目を剥いて咀嚼を急ぐしかない。リスの顔でビジネスの核心を突くことなど、果たして可能なのだろうか。口の中を見せるといけないと思って片手を犠牲にすると、ナイフとフォークを使う食べ物だったらその作業をしてる暇もなく、口に入れる前準備もできずに余計にパニック。スープとて油断はできない。相手がよそ見をした隙に、器から直接ダイレクトに流し込めば時短にはなる。しかし、それがポタージュだった場合、器の縁に残る「流域の残像」が、私のガサツさを雄弁に語ってしまう。「噛む」という行為は、時に思考を妨害する。らっきょうをボリボリと噛み砕く音は、相手の大事な話をかき消すロードサイドの「バ〜ニラバニラ高収入〜〜」のような広告トラックのようなものだ。舌だけで粉砕できるほど柔らかい、「歯いらずフード」の高級肉だけが供されるミーティングに呼ばれる身分にならなければと、血眼に決意。あるいは、舌だけでヒレカツを粉砕できるほど舌の筋肉を鍛え上げ、フェイスリフトアップと効率的な咀嚼を同時に手に入れる。後者の方が現実味があるので、舌トレしよう。それこそが、ランチミーティングという荒野を生き抜く唯一のサバイバル術なのかもしれない。失われたチュッパチャップスと、コインランドリーと化すの打ち合わせ前の舌私は、飴という存在の魅力に、おそらく人類最高齢で気づいた女である。私の高校時代、世の中は「片手にチュッパチャップスを持って帰宅する」のが女子高生のステータスであり、全盛期だった。制服を着て、飴を舐めながらタピオカ屋に寄る。そんなキラキラした計画は、ベッドの上で過ごした私の暗黒の青春によって霧散した。私はチュッパチャップスを経験せぬまま大人になり、飴の食べ方を知らないまま社会に放り出された。先日、オンライン会議の5分前に、計画性を持って、さすがに会議前には舐め終わってると思い、飴を口に入れた。3分もあれば溶けるだろう。そう高を括っていた私は、形が丸ではない飴のタイプの執念を甘く見ていた。会議開始1分前、口の中にはまだ八割の飴が鎮座している。私は焦った。舌をコインランドリーの脱水機のように激しく回転させ、摩擦熱で飴を溶かそうと試みたが、飴は微動だにしない。結局、会議開始のチャイムと共に、私は涙ながらに飴を「ペッ」と吐き出した。飴デビューが遅すぎた私は、その造形によって溶ける速度が異なることすら知らなかった。予定の前に飴を舐めるなら、絶対に「まん丸」を選びなさい。これは、失われた青春の空白を埋めるために、必死で舌を回転させた女が辿り着いた、人生の教訓である。【食い意地ラジオについて】9/14 、くいしんぼうの日に生まれた私は日々食べ物や食事の時間を抱きしめて過ごしています。食に対して毎日真剣に、全力で、血眼で向き合った結果、食事を睨むくらい食い意地が止まらなくなってしまい、1日中食のことしか考えられなくなってしまいました。そしてなんでも食べるようになってしまいました。食いしん坊がただ自由に暑苦しく、うざったく、食への愛と食い意地を爆発させているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓せているラジオです。自我強くてごめん。食い意地ラジオみてね↓https://lit.link/kuiizi
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