012 なぜ馬は「人」ではなく「関わり方」を見ているのか?|身体感覚から紐解く非言語コミュニケーション
2026-08-30 47:10

012 なぜ馬は「人」ではなく「関わり方」を見ているのか?|身体感覚から紐解く非言語コミュニケーション

なぜ馬は、言葉を使わないのに人の心の迷いや微細な変化を見抜くのでしょうか。

本エピソードでは、ナチュラルホースマンシップにおけるコミュニケーションの段階(フェーズ)の捉え方から対話を深めていきます。リードがたるんだ「フェーズ0」から、非接触の身体の動き、そして道具を介した物理的な作用へと段階を踏むプロセスは、日常の親子関係や対人関係における「伝え方」そのものです。また、草食動物と肉食動物における学習特性の違い(負の強化と正の強化)や、馬は人間の肩書や個体そのものではなく「交わされているコミュニケーションの内容や観察の質」を見ているという本質的な視点を探求します。

さらに、大人が手取り足取り指示を出すのではなく、子ども自身が「できるイメージ」を鮮明に描き、他者を真似て自発的に学び始める瞬間の見守り方や、大人が果たすべき「つなぎ役」としてのあり方について、鳥取と岩手の牧場現場のリアルな実践から紐解きます。

馬との対話を通じて、教育の本質、心身の一致、そして他者と心地よい関係を築くための深い気づきが得られる内容です。ぜひ最後までお聴きください。

馬と人の関係における非言語コミュニケーションの段階
身体感覚を研ぎ澄ましイメージを共有する関わり
子どもの成長と能動的な学びとは何か
意識から無意識への定着と非認知能力の獲得
動物と人における正の強化と負の強化の違い
個体識別ではなく関係性の教育として馬と向き合う
自然の中の学びと大人が果たすつなぎ役のあり方

▼配信

毎月 第1・第3日曜 朝

▼パーソナリティ

大堀 貴士(認定NPO法人ハーモニィカレッジ)
https://www.harmony-college.or.jp/

黍原 豊(一般社団法人三陸駒舎)
https://kamakoma.org/

▼コメントや感想、質問はこちらから

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#馬 #ホースセラピー #自然体験 #子ども #教育 #馬と人の関係 #関係性の教育 #馬との対話 #動物と人 #人と自然 #森のようちえん #野外教育 #自然教育 #非認知能力 #身体感覚 #非言語コミュニケーション #自己肯定感 #学びとは何か #教育の本質 #自然の中の学び

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たるんだ手綱の先に

[Verse]
たるんだ手綱 伝わる鼓動
言葉より先に 体が動く
力で引けば 心は閉じる
微かな合図を 見つめ合う

[Chorus]
描いたイメージが 未来をひらく
意識の力を そっと手放して
馬が見つめる 本当の自分
歩幅を合わせて 風になる

[Bridge]
相手を変える術はない
変わるのは いつも私の方
信じて待つ その瞬間に
二つの呼吸が 一つに重なる

[Outro]
静かな馬場で 解き放つ
鏡の瞳に 映る道

感想

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サマリー

本エピソードでは、馬との非言語コミュニケーションにおける段階的なアプローチと、それが人間関係や子育てにどう応用できるかを掘り下げます。馬は人間の肩書ではなく、コミュニケーションの内容や質を見ているという本質に迫り、身体感覚を研ぎ澄まし、明確なイメージを持つことの重要性を説きます。また、動物の学習特性における正の強化と負の強化の違いを解説し、馬との関わりを通じて、教育の本質や他者との心地よい関係構築への深い洞察を提供します。

馬とのコミュニケーションにおける段階的アプローチ
答えは馬が知っている。馬という鏡が見つめる本当の自分。 この番組はハーモニーカレッジの大堀と
三陸駒舎の黍原が鳥取と岩手の牧場で馬と子供たちに向き合いながら、現場での出来事やこれからの生きる力について語り合う対話番組です。
はい、ということで第12回目となりました。
前回の11回目は、モンティ・ロバーツさんの馬と話す男という本があって、その本との出会いからナチュラルホースマンシップっていうものに出会い、馬と話すことができるんだ。
人間と話す、話して、ボディー、いわゆる、こうやって今喋っている言葉じゃないですけどね、ボディーランゲージとか体の言葉を使いながら、それによっていろんなこうね、ハーモニーカレッジの変化とか大堀さん自身のいろんな気づきとかあったよって話があって、
で、まだまだ続きそうだったので、その続きという感じですけども、で、前回にちょっと受けて、そうですね、いくつか、最後になんかその伝わったことがすべてっていうことで、
その、よくアドラー心理学で、相手は変えることができないけど、自分は変わることができるっていうか、自分の関わり方とか変われば、その関係性が変わったりとか、現状変わる可能性があるよっていう、まず相手変えるのはすごく難しいけど、自分は伝え方とか変えることができるよねっていうのがありまして、もう1個なんかフェーズって話がちょっと出てきて、
僕たちもなんかね、馬と関わるときにちょっと意識しながらやっていて、ちょっと具体的に話をすると、例えば引き馬って言ってリードをつけて馬と一緒に歩くときに、最初はリードはつけてるんだけど、リードはたるんでて、で、何もしてないこっちも止まってるって、フェーズゼロって言いますけど、僕たちのところだと何もしてなくて何も伝えてないよって、
何も今しないよっていう、どうやって馬がね、じっとしていられるかみたいな、勝手にいかないみたいなところがスタートして、その状態でいいよっていうことですけど、で、次にフェーズ1っていうのが、分け方いろいろありますけど、あの非接触のコミュニケーション、コミュニケーションのレベルの段階みたいな話ですよね、フェーズ1っていうのが非接触なので、
例えば足を前に出して歩こうとするっていうのに馬が気づいて一緒に歩いてくれるみたいな、リードはたるんだままみたいな感じですね、で、次が前に歩いたけど来なくて馬が、リードちょっとテンション張って、で、馬に顔にホルダーって言って、無口って言ったりしますけど、顔につけてる道具がある、そこに作用して、で、頭のところに刺激が入って、
物理的に直接馬に伝わって、前行くのでって言ってついてきてくれるみたいな、次のフェーズで、それはどんどん上がっていって、そのフェーズ2ですけど、さっきの物理的な作用があるの、2も強さが強かったりとか、本当に軽い力だったりとか、細かく分けることができるんですけど、それも普段の人とのコミュニケーションにおいてもあるなっていうふうに、
いきなりなんかこう、ご飯なんでもいいんですけど、宿題よくある、ありそうな場面で、学校から帰ってきて宿題やってなくて、なんで宿題やってないのとかって言って、やろうとしたのに、いきなりこう強い口調で言われたら、言われた方も不愉快だし、
そういうふうに、ちょっと休んでからやろうと思ってたんですけど、いろいろこうね、事情があったりとかするのに、突然そういうふうに強い形で言われたらすごく嫌だなって思うんですけど、そういうふうにちょっとずつ段階上げていくことで、円滑なコミュニケーション取れるよねっていうことにも非常に、普段の日常でも繋がるようなことがあるんじゃないかなって思ったりしながら聞いていたとこでした。
イメージの力と子どもの自発的な学び
そうなので、ナチュラルホースマッシュペース、僕は最初からそっちのやり方っていうのを知って、まあでもやるのはすごく難しいっていうか、難しいんですよね。何が難しいって。そうだなあ、頭で分かってて、もう体がちゃんとできないと馬とコミュニケーション取れないので、考えながらやってたら、なんかもう遅いしみたいな。
特に馬だと、言語じゃなくて、頭いろいろ考えて何かするとかじゃなくて、もう体が速度に反応してやり取りをしているので、そういった部分では、こっちの伝え方が変わればいいよとか、理論的にはいろいろ分かっているんだけども、それを本当にやろうとするとなると非常に難しいとこがあるなあっていうふうに思いながら、日々やってるんですよね。
今はもう修行の身だなあっていうふうに僕は思いながらやってます。うちの中に馬が今4頭いて、それぞれ個性があるので、前回もちょっと話し合ったように、ちょっとした刺激ですごくよく動く馬もいれば、なかなかその辺り伝わりにくい馬もいたりとかするので、どうやったら相手に伝わるかなあみたいなのはね、本当に今も不風というか試行錯誤することもあったりしてて。
でも、体でコミュニケーションをとってるんですけど、迷いながらやってるとか、そういう心理的な、本当にこれでいいのかなあとか、疑い、信じきれてなくてやったりしてると、それも伝わるんですよね、結構そういう。
なので、非常に心身一致の状態が求められるのが微細なコミュニケーションの中にあるなあって。強制的にやるっていうのはもうぶったたいて走れみたいな感じになるかもしれないけど、そういうわけでもなくて、ちゃんとこう相手の状態も読み取りながら適切な強さで相手に伝えていくっていうことが、しかもそれをなんか自然体、自然と出てくるっていうか、必要があるっていうことがあるので。
そういったことを繰り返してると、体自身が変わっていく感じがあるというか、そういうコミュニケーションをとれるような体になっていくっていうのがあって。
そうですね、その時に、そう思ったのが、例えば一緒に歩くっていう時に、こういうふうになってほしいなってイメージを持つことが、持てるかどうかってすごい大事だと思うんですよ。
例えば一緒に歩くっていう時に、このラインをこれぐらいのスピードで一緒に歩いてほしい、この位置でみたいな。
例えば耳の横で歩いてて、耳の横をキープしながら一緒に、ちょっとゆっくりした歩幅で歩くとか、なんとなく歩いてると馬もなんとなくしか分かんないけど、そのイメージが自分の中にしっかりあると馬にもちゃんと伝わることがあるなあっていうふうに思ってて。
それがなかなか経験ないと、馬とやってるとこういうふうにできるとかって分かんないとイメージがなかなかできないんですけど、こうなりたいなとかこうありたいなっていうイメージができると完成する感じがしてます。
で、それが思ったのが、ちょうど今研修で3ヶ月来てる方がいて、夕方になるとみんなで動物の世話をするんですよ。馬も含めて。馬以外にもウサギがいたりとかニワトリがいたりとかするので。
で、それを手分けしてやるんだけど、その日によってやりたい気分的に乗らなくて、やりたくないとか、役割決めた時に自分がやりたいところに入らなくて、もう嫌だとかって言っちゃう子がいたりとかして、その時に子供がいろいろアドコーダー、今日は気分は乗らないとかいろいろ言うけど、どうしたらできるかっていう時にすごく迷うんですって話を先週ちょうどミーティングでしてて。
話したのを持ったのは、その時にこの子だったらこういう形だったらできるかもなっていうようなイメージが持てないままその話を受けちゃうんです。その子がやりたくない、じゃあやりたくない、やらないんだなみたいなイメージを持っちゃうと、やらないんですよ、やっぱり。
その時に、この子だったらこういう形だったらできるかもなっていうイメージが持てて、それをちゃんと子供なので言葉で伝えたりとか、じゃあちょっと休んでからこの後、例えば最後バケツ持っていくとこだけ一緒にやろうよとかって伝えて、じゃあちょっと他の仕事やってくるから、また終わったら来るからねっていうふうに、これだったらできそうだなっていうのを見えたら伝えて、それを投げて渡しといて、戻ってくるとやりたいとかするんですよね。
そういった部分では、ナチュラルフォースマンシップの中で技術的な細かい色々あるけども、こうやったらまた一緒にこういうふうにできるかもっていうイメージを持てたりとか、具体の想像ができるっていうところってすごく大きいんじゃないかなっていうふうに思ってて、それは子供たちとの関わりの中でも一緒だなってちょっと思った次第です。
その信じるイメージを持てるみたいなんてすごい重要だよね。どうせ無理って思ったら無理な未来が来るっていうか。でもできるって信じたりとかそのイメージが持てるっていうのはすごい重要な感じがするね。イメージトレーニングとかってあると思うけど結構重要よね、ああいうのは。
子供たちが馬乗ってるのとかを見たときに、始まりは教えてもらうみたいなところから始まんねんけど、もちろん得体が知れないものなんで、どうやったら危なくなく安全に乗れるか、まずはこういう姿勢で乗ろう、ここ持ってね、こういう合図しましょうとかって教えてもらうフェーズが必ずあるんやけど、
そこからどんどん発生とか成長していくと、自分でできる領域が増えてきて、そしてやってみたらできたとか、やってみたらうまくいかなかったとかって言って、それを繰り返すとうまくいかなかったときにすごい思考が働くっていうか、
うまくいけば、これでよかったんやなっていう学習もするんやけど、うまくいかなかったときになんでダメやったんやろうって考える。で、そのなぜっていう疑問を持ったりとか、もう一個もっと上達したいっていう願望があったりとかっていうのがあると、
子供たちどうなるかって言ったら、降りた後、自分と同じぐらいか自分よりちょっと乗れる子をすごく見るんよね。どうやってんねやろとか、あの子にできるんやったら自分もできるはずとか、すごいそうすると、ババの横で盲導的に学ぶってこういうことなんかなって思ったりするんやけど、教えてないんやけど、めっちゃ食い入れるように見て、たまにうなずいたりするっていう、
で、次自分で試してみるっていう場面がすごい馬の、ババの周りでよく起きることやけど、子供たちが最初教えられるフェーズがずっと続いて、ああやってこうやってって言ったら、教える人がちょっと他の馬見たりする途端に、え、何したらいいんですかとかってなるんやけど、
自分で試してやってみて疑問を持ったり、もっとうまくなりたいという願望がセットであると、降りた後にもずっとそこに向かっていってるって学習が続いてる。で、見てるときにイメージがつながるんよね。
あ、次こうやったらうまくいくかもって、そのイメージが持てたとき、子供たちは試していくんやけど、もちろん最初うまくイメージ通りいかないこともあるんやけど、でもなんかイメージに近づいていくっていう、それはすごいあるなってさっき木原くんの話聞きながら、だからなんか繰り返して練習すればいけるようになるっていう自分の
上達とか成長も信じてるし、やっぱりそのできるイメージを持てたら体がそう動いていくとかっていうようなことがなんかあるんやなって。
さっきの木原くんの話は、寄り添う側の信じるイメージっていうこともやったと思うんやけど、そういう自分の仕事に対してもやし、事業に対してもやっぱりイメージ、これはいけるって、なんか根拠がないけど、いける気がするってなったらいけるんよ。
そこって結構重要やなって、なんかその気になるっていうか、どうせやっても無理って思いながらやるのと、なんかわからんけどいける気がするっていうこの、なんかわからんっていうこのなんていうかな、要素が一個じゃないものってすごい力強いなって思ったりするんで、
ちょっと話がごめんなさい、なんかあの、とっ散らかってしまいましたけども、イメージするっていうお話を聞いてそんなふうに思いました。ちょっとじゃあ僕も、ちょっとさっきの。
学習の本質:真似ぶと慣れる
でもちょっと今のとこだけちょっと先に話すと、能動的にね、学んでるって話あったけど、学ぶって語源って、まねぶって、まねるみたいなとこが語源ってよく言われてて、そうそうそうそうそうそう。で、習うって学習の習の方は、慣れるっていうのが語源って言われてて、
そう、だからどっちも今言った、そのね、そうそう、信じて繰り返すことでこう慣れてくる、習うことができるっていうのと、学ぶっていうのは両方入ってんなみたいな話を。
なるほど。
聞いてて、そうそうそう、学習のなんかね、本質的なとこがそこに詰まってんなーって。
いやもう、リスナーの皆さん、今の聞きました?これがね、キビハラ流の知識量と。
語源ってね、面白いっていうか、そもそもそういうの見ると、あ、実はそうだなーとか、本質がわかってくるみたいな、原理みたいなとこにたどり着くみたいなとこは最近そう思ってて。
いやー、そういうのすごいなっていつも思いながら、なんかこう、自分が話してることを客観的に意味付けとか言い付けしてくれるから、話した自分もそうそうって、それが言いたかったみたいな、人の手柄取るみたいな感じになっちゃうけど、いつもありがとう。
でもなんか、もう一個、頭で考えながらだけど、リーダーシップの、前も話したな、ちょっと忘れましたけど、リーダーシップのことを色々教えてくれた方がいて、その時にリーダーシップを学べるんですって話で、リーダーシップの最初は知識でまず入れて、そのうちまず意識しながら体でやっていって、最終的には無意識で、それが立ち振る舞いとして出るようになるよって話をしていて。
まさに馬とやる時とか同じだなあっていうか、それも学習のそのプロセスでそういう、まず頭から入って意識して、次に無意識でこうやるようになるっていうものだよねっていうのはあるんだよね。
そうね、俺が馬のババに立ったりした時に子供たちに伝えるのはまさにそれかな、今どんなところがポイントだと思う?って問いかけた時に、例えばいいけど、今は足に力が入るから足を奥、あぶみが奥に入っちゃうんだとか、
じゃあその奥に入っちゃうことをよくしたいと思ったらどうしたらいいと思う?って思った時に足を下げたらいいと思う?とか、あーなるほど、じゃあ足を下げるっていうのは力を入れて下げた方がいいのか、力を抜いて下げた方がいいのかどう?とかそんなやり取りをして、じゃあ一旦やってみようって言って力入れて下げてみる。
じゃあ次は力抜いてやってみよう。どっちが良さそう?ってなった時に力抜いた時ってなったら、じゃあ今意識するのはその力を抜いて乗る。もうこの一点だけやろうと。これをやっていくとだんだんなんか乗れるような感覚になったりとかする時に、無意識にもう力抜いた状態じゃないと逆に気持ち悪くなるっていうか。
なのでそうするとそれが無意識に落ちるから、人って意識してやる、集中してやるのは1個しかできへんねんみたいな。それをずっとやっていくと無意識になるから、そうすると意識せずにできるようになってるからまたもう1個次のことが意識的にできるようになる。
これが成長につながると思うから、今すぐにできなくてもさっきの反復練習じゃないけど、自分の意識から無意識に落としていくっていうことには時間がかかるから、そこをやろう。
シュートが言ってることが、例えばアドバイスとかが変わってきたら成長したって思ったらいいよって、それが無意識に落ちて次のポイントに進んだんやなって思えばいいよっていうのをコミュニケーションとってやるようにしてるんですけど、
本当に意識、姿勢もこうして、足の力を抜き、手の薬指はこれを感じとかって言って全部やってたら、もうなんかわけわからんことになって、すごいチグハグなことになるから、
初めて乗った時の車の運転ってすごい意識して、まずシートベルトして、サイドブレーキを下ろして、左右確認してウインカー出してとかってすごい意識してやるけど、慣れてきたらそんな無意識で考えずにシートベルトしてて、周り見てサイドブレーキを下ろしてて、
もう無意識に落ちてるから、より運転がスムーズになったり安全になるっていうことやから、まさに意識から無意識にこう、どんどん落としていくことができるといいよね。ただなんか、それって逆もあると思うよね。
良くない習慣も無意識でやっちゃうっていう、ちょっと暇あれば携帯見てっていうのをずっとやってると無意識に携帯見るみたいな、なんか座れば携帯見るとか、なんかそんな風になっていく無意識に落ちていくこともあるから、意識的にやっていくことは自分がこうなりたいなって思う方向のものを意識してやりたいよね。
正の強化と負の強化:動物と人間の学習
なるほどね。
なんかちょっと話がだいぶあって。
すいません、なんかさっき話しかけたこと、ぜひ。
じゃあそのコミュニケーションで、さっき冒頭のフェーズの話とかちょっとあったと思うんだけど、馬のトレーニング、そのホースマンシップを学んで試して、もちろん今でも全然その何、学んでる途中やし成長段階だと思ってるんやけど、ある程度こう自分の中で理解できてできることも増えてきたときに、
ちょうど出会いがあって今うち牧場に僕がゴールデンレトリバーを買ってるんやけど、それまでのゴールデン、2頭買ってたけど3頭目のゴールデンは生まれてすぐぐらいに知り合いのところで生まれた子を中東のところで買えないかなみたいなことでもらったことがあって、それで今買ってもう10歳になるんやけど、
本当にこう無事の状態というか生まれてすぐ4ヶ月でうちに来たんやけど、その状態からコミュニケーション、何もできなかった、何もできないというか散歩もできない、足の下に入っていて踏んじゃうやんみたいな、どこでもうんちするし、もう車乗せたらうんちまみれで、後ろの扉開けたら喜んで尻尾振ってうんちが飛び散るみたいな、
喜んで飛びかかってくるし、やめてくれーとかって言いながら、そんなスタートやったんやけど、ホースマンシップの考え方を犬のトレーニングでやってみたらどうなるのかっていうので、自分の中では今うちのゴールデンはホースマンシップでトレーニングしたんよ、コミュニケーションの。
そしたらね、めちゃくちゃ、なんか俺、ドッグトレーナーかなって思うぐらい、全然ドッグトレーニング学んでないよ、学んでないけど、ホースマンシップで育てたんよ。そしたら、なんかね、めっちゃいい。
すごい、だからそれがドッグトレーナーのプロの人から見たらどういう風に映るのかわからないけど、今牧場にいて困ることもなければ、もちろんケースバイケースやけど、ノーリードで過ごすことも結構多くて、でも呼べば来るし、一緒に歩くこともできれば、僕が馬に乗って馬の横を一緒に走ることもできて、障害物一緒に飛んだりもできる。
それをすごい喜んでやるんよね。でもそれ無理やりさせたりしたわけじゃなくて、ホースマンシップでやるときにすごい考えたことがあって、まずこれ心理学やったかな、なんかオペラント条件付けとかって言って、あるよね、学習の条件付けのことで性の強化、負の強化やったかな、
っていうことをその時は座学でも学んでたから、ホースマンシップをそのまま使うっていうよりはもともと馬と犬は違うんだと、人ももちろんそうなんやけど馬と犬は違うんだと、馬は草食動物、捕食される側で犬は肉食動物で捕食する側っていう基本的な違いがあるから、
この違いは関わり方、要はオペラント条件付けの条件付けが変わるんやっていうところに自分の中で行き着いて、本当にもう手探りなんやけど、馬はどちらかというと負の強化って言われるんやけど、負の強化って負ってネガティブな負じゃなくて、何かをしたら何かを取り除くっていう、引き算するっていう関わり方なんやけど、
例えばプレッシャーがずっと与えられてて、やってほしい方向に動いたらプレッシャーがなくなる、これが負の強化、馬っていうか捕食される側はいつも求めてるのは安心とか安全やから、プレッシャーがかかってこっちを選べばプレッシャーが解放される、取り除かれるっていうことで、
そういう繰り返しで馬は自分から安全な方を選んでいくっていう、この負の強化でホースマンシップでトレーニングしてたっていうことは分かってたんやけど、じゃあ犬の場合どうしたらいいのかって思ったときに、捕食する側は性の強化なんやって自分の中でたどり着いて、
こうしてくれたらめっちゃ褒めてあげるとか、プラスするっていう感じかな、これをしたらめっちゃ関わる、でも飛びかかってきたら止めさせるんじゃなくて飛びかかってきたら無視する、でも飛びかかってきた足を下ろせばめっちゃ関わるみたいな、
そんなことをずっと繰り返してやっていくと、性と負の違いはあれど、ちゃんと犬も馬も思考を働かせてコミュニケーション取ってくるんよ、特に犬は自分からめっちゃコミュニケーション取ってくるから、すごく良かったんで、犬好きな人とかはホースマンシップを学んだらいいんちゃうかなって、
僕はこれ専門家じゃないけど、すごい良いよって思った。なので、自分はまだ犬3頭ぐらいしか関わってないんでトレーニングしてないけど、どれも結構犬の理解度が高い犬種とかっていう個体差っていうのもあるとは思うけど、
すごいコミュニケーションの質が良かったんで、そう考えると人の世界にも両方が存在してるなって思ったことがあって、負の強化で言うと、車乗った時にさ、シートベルトしてなかったらピーピーピーって鳴るやん。
ピーピーピーってずっと鳴るから不快やから、シートベルトをカチャってしたらそのピー音が止まるっていう。あれがまさに負の強化。取り除かれるから。
そうやって安全を守るとかっていうこともあれば、例えば良い点を取ったら褒められるとか、なんか表彰されるとかっていうのは性の強化だと思うから、人の世界の中にも負の強化と性の強化があるんやなっていうのは、そのことを学んでからすごい見えるようになってきて、
装飾動物なんやけど、すごい性の強化をしようとしすぎて、これやったら餌あげるとかっていうのは結構端的に何か覚えてもらいやすそうなんやけど、本当にその個体が持っている個性が何求めてるんかっていう本質と提供するものを一致してないと、質がマッチしてると質が良くなるっていう感じがすごいして、
僕はこのホースマンシップを学んで、性の強化とか負の強化っていう考え方、ちょっと日本語のワードにするとちょっと聞こえ悪いけどね、なんか性と負やし強化するとかっていう、ちょっとワードの語訳はいまいちかもしれんけど、考え方としては僕はいいなというふうに思って、ちょっと意識して馬と関わるとき、犬と関わるとき。
人と関わるときはあんまりそれ強化っていうよりはもうどちらかというと子どもたちの場合は認めるとか、そんなところを特に意識はしてるけど、ごめんなさいちょっと話がコミュニケーションの質を上げていくときに僕はそんなところ意識して関わったっていうお話でした。
個体識別ではなく関係性の認識
ちょっと余談ですけど、うち今いる前の先代の犬が保護犬で、その保護活動されてた方がドッグトレーナーの方で一緒に来ていただいて、子どもたちとドッグトレーナーの話をしてもらってたときに、僕は全然ドッグトレーニングの中身まで学んでるわけじゃないので話したわけですけど、
その方が言ってたいわく、ドッグトレーニングのいろいろな手法とかメソッドって馬の状況っていうか、相当いろいろ取り入れてるっていう話はされてました。
そうだったなと思って、なのでナチュラルホースマンシップを馬に生かせるっていうのはまさにそういうことだなって思いつつ。
この前、木村君にちょっと教えてもらった考え方は、ちょっとさっきの性能強化不能強化の条件付けとまたちょっと違う考え方を俺はインストールしてもらったっていうか聞かせてもらったのをちょっと改めて聞きたいなと思ってるけど、
その馬って関係性とか環境の中で学習していくとか、個体識別みたいなそんな話なんかしてくれてたよね。
中道体の話のとこでですか?
いや、中道体じゃない、でも中道体も結局そこなんだ。
にも関連しますけど、結局その安全安心みたいな心地いいみたいなところを求めるみたいなところはあるから、いわゆる強制されてやるっていうのはあんまり不快じゃないですか。
無理っくりさせられるって。
個体識別、そうだな。
人を認識してるんではないみたいな。
そう、直接人を認識してるんじゃなくて、そのコミュニケーションの中身で認識してるので、こっち側だからリードを持って歩いてるとか、手を前に出したとか、リードを引っ張ったとか、
引いてる人じゃなくて、そのコミュニケーションの内容で判断してるって言われてて、だから別に普段お世話してる人じゃなくても、ちゃんとできる人が来たら、
キャンプクークーたち、別に普段お世話するわけじゃなくて、乗れる子は乗れるじゃないですか。
コミュニケーションの中身がちゃんと適切に取れてればやり取りできるよっていうことの証で、犬だと結構人を覚えてるから。
確かに。
会社の人呼んでもなかなか来なかったりするじゃないですか。遊びで行く場合もあったりするけど、結構人についちゃうみたいな。
個体識別してるからっていう現れですよね。
じゃあさ、今は個体識別をしていない。
人間みたいな個体識別じゃなくて、その中身で行われてる内容で判断してるから、僕のでも微細になってくれば、より手の動かし方とか歩き方とか特徴あるので、僕の。
例えばリードを持って一緒に歩くときも、持ち方、強さ、スピード、歩幅。
手だけなんか変えれないから、あれですけど。
そうすると、いつものキビハラって、名前つけ続けてないだろうけど、の動きの人が来てるなって。
同じような動きする人が来たら、ついて歩くじゃないですか、リードを持ったら。
なるほど、そういうことか。
同じように、だからナチュラルフォースマッシップならなくて、ちゃんと先行で何か手を出したら前に行くとかって決めておけば、他の部屋でもやるじゃないですか、馬って。
必ず。
人でやるかやらないかを決めないっていう感じですかね。
決めてないってことですね。やり取りの中身で決めるから、パッと北海道からもち田さん来たら、ハーモニーカレッジの馬たちはやるわけで。
馬子をもち田さんは分かってて、彼らとコミュニケーション取ってるからっていう。
なるほど、そういうことか。
それを学んだ人が来たら、やれるし別に他の人でも。
手入れしてる時に若干うるさいとか、すごい動いたりとか、足で慣れてない人やったら、ドンって体を押したりとかするような馬がいるんやけど、またやっとるわと思って、近くに行ったらやらんようになるよね。
僕は何もしてないけど。でもそれって僕個体識別してるからやと思ってたんやけど、そうじゃない。
じゃなくて、この人ちゃんと私のこと見てて、その時行く時ってやめなさいねっていうような情報発信しないといけないじゃないか。
そこは来て、私ちゃんと見られてるみたいな。コミュニケーション取ってるから。
なるほど。そういう場面で自分が近くに行ったら、ちょっと馬のうるささがなくなって手入れしやすくなるとか。
あとババでも子供たちが乗ってて上手くいかない。でもスタッフがバンって入ったら、何も言ってないのに急に馬たちがシュシュシュって動いたりするっていう。
体から情報発してて。
寝てるんやね。
見てるし、例えばその繋いでて手入れしてるうるさい馬。足上げようとしたらこの人反応するなっていうのは分かってるっていうか。
そういうとこ見てるわけじゃないですか。例えばちょっと足上げようとしたらダメよって目線送るとかするわけじゃないですか。
うちでもパタパタする時とかなんかは、おいって目だけ合わせるとか。
ちょっとした相手の観察してて、ちょっとした予兆があった時にちゃんとこっちが反応を送るみたいなことをしてて。
全く見てない人が来て、こいつ何も見てねえなっていう人に対してはやるわけじゃないですか。
確かに。
この人は見られてるっていうだけでスイッチ入るっていうか、いつものそのじっとするモードが入るって話です。
見られてる時はちゃんとやったら、これ怒られるとかじゃないけどその夫婦の強化が来るなみたいな。
どっかで覚えてて、いかんいかんいかんみたいにちゃんとやろうみたいな。
なるほど。じゃあ個体識別じゃなく、そうか。
そういう目線でちゃんと見てるというか、観察できてるかどうかっていう話です。
だっていうふうに僕は捉えてます。
なるほどなるほど。
個体識別はしてないのか。あったとしても犬よりだいぶ弱いような気は。
弱いし、この人見てる人だなっていうのは歩き方がわかってて、よりその特徴がインストールされてるからっていうのもありますけど。
なるほど。
違う人でもちゃんとこの人、この人ちゃんと見る人だなってわかればやんなくなると思います。
なるほど。
主要にだから相手の、だからよりどこまで観察できるかっていうのがナチュラルフォースマンシップでも大事じゃないかなっていうふうに僕なんか思ってて。
いかにどんだけ相手の情報を読み取って、それに対してちゃんとリアクションできるかっていうところのコミュニケーション、量が増やせるかどうかっていうところで全然変わってくるっていうか。
大人の役割:つなぎ役と影響力の減少
リードで歩いてる時もちょっと顔、少し草あるからそっち向けよう、向けようぐらいのちょっとピッてこういう時においって、そっち行くの?みたいな。
そっからはーはーはーって止まるじゃないですか。
気づかないでいると、うまく食べ始めて、食べ始めてから一生懸命引っかかってる、いやもう遅いからみたいな話で。
そうだね。
そのシグサあったでしょみたいな。
相手の言葉を読み取って聞いてましたかみたいな話で。
話せるっていうよりまずなんか相手の言葉聞けるかどうかっていうところはすごく大きいと思います。
確かに。人ってすごいやり方にすごい気にしてどうやってるんですかとか、めっちゃ聞かれるんやけど、それ以上に観察してその動きの前兆とかがあるとグッてちょっとなんか自分の中のエネルギー値グンって高くして、
馬にギュッて近寄れば馬はフッてこう張って気づくとかあるから、その反応の速さとか、なんかそれが結構重要やから、さっきみたいに草を食べに行く、もう初動で右手がキュッて上に上がるだけで。
そうそうそうそう、ほんとにもうちょっと握りが上がるだけじゃなくて、握り始めるだけでも筋肉の変化がわかる、まあわかってるから、こいつわかってんなっていうか。
そうだね、そこがわからずに食べに行ってから引っ張ったりとかしても、もう力は馬の方が強いから、だから引きずられてるみたいになるっていう部分ね。
手入れして手うるさいって時も、なんか足バタバタ動かす時も、動こうとする前、動こうとした瞬間にこう、おいおい違うよ、ちょっと今手入れ中だよってサイン送ってるかどうかって話なので。
確かに。
そこに対して、この人はちゃんと分かってるっていうか、読み取る、私のこと見てる人だなっていう細かいところまで。
分かるとちゃんと馬も予兆、出せないなっていうか。
うーん、確かに。
手入れしてる子が、ちょっと馬がうるさくなってきて、ちょっと大変そうやなと思って、俺が近くに行って目を光らせるって感じにすると、ピタッとなんかいい子になるっていうか、おとなしくなって。
その子が、シュート近くにおってよみたいな感じになって、分かった分かったおるわって言いながら、大体大丈夫なんやけど。
でも、パッて誰かに話しかけられて、俺の視線がそっちに行ったら、近くにいるのにまたうるさくなってるってことはあるから。
だから本当に、そこは自分がいるからというよりは、そういう馬の動きに対して動ける人が近くに、分かってる人が近くにいるのかどうかみたいな、自分を見てるのかどうかっていうのは結構馬にとっては重要なんやね。
さっき乗馬しててババにスタッフ入ると変わるっていうのも、なんか見られてるみたいな。見られることでやっぱこう変化したりとか、力が出たりとかってことはありますよね。
でも俺、子供の感性もすごい、そういう時すごい好きで。スタッフ入ってきたら全然馬の動き違うやんみたいな。そこ分かるんやんみたいな。全然分からん子もいるんよ。
上手くいったけど何が要因やったか分からへんみたいな。でも気づく子は気づくし、そうするとなんていうかな、ここでいつも馬が逃げるなって思ったら、スタッフスーッとその辺に行っとくとそこに来なくなるから、子供は上手くいった気になるんやけど。
でも感がいい子は、今のスタッフそこ行ったからやんとかって、もうそこどけてとかって、もう一回やるかなとかって言われたりするんよ。うわ、それ気づくんやと思って。
こっちはなんとなく、ちょっと一旦ここで答えが出せる状況を作りたいなと思ったけど、子供は自分でやりたかったよね。自分で乗り越えたかったのに、シュッと何いらんことしてんの?みたいなことに気づくとか、なんか感がいいとかっていうのはだんだん子供らが育ってくるのは、本当にこの馬の活動の魅力やなって思うね。
いやー、だから、うちでも子供たちとスタッフがかかるところでは同じようなことがあって、うち機械創芸してたりとかするので、スタッフによって全然子供たちの様子が違うっていうか。
ある、そう。
ある、ある。だからもう、このスタッフだといろいろ起こる、トラブル起こるとやばいって思うと、子供たちそれ以上いかないみたいな、一線越えない。
みんなで働く。
そういうのはやっぱり人間でもわかるっていうか、ここで何かトラブル起こしたら、やーやべーなーみたいなのがあるじゃないですか。
いつもこのスタッフだと、いろいろ起こって大変みたいな。
大変なんです?とか、いやその前にちょっと声かけたらいいんじゃない?とかって言うけど、声かけれないとか。
同じですよね、馬も。
その人を覚えててから、この感じの人だとこういうふうに見られてるっていうところがあるとっていうのはあって。
だから僕たちの役割って、面白いのがレッスンとかでやり方伝えるときもあるけども、馬と子供たちの間に立ってつなぎ役をしてて、最初。
だんだんその中、存在っていうか影響力をどんどん減らしていくことだなっていうふうに僕は捉えてて。
さっきさっきのように、乗ってるときに馬場に入ってたけど、ちょっと存在気して、なるべく影響力ないようにいるみたいな。
いるけど身を潜めてるとかってしたりとか。
ちょっとダメだなってときは、こっちも馬に向けて視線を送ってみたいなことをやったりも。
まずなんかね、さっき言ったイメージじゃないけど、感覚を掴んでほしいっていうところもあったりとかするので、それがあると次からできたりとかするから。
まずその感覚を掴んでもらう、イメージを掴んでもらうために、まず最初は一緒にやるけど、みたいな感じはありますね。
あるある。それは馬と関わってる人へとすごい、そうそうそうっていうところが多分共感できるとこかな。
さっきずっとよく言うと、前に進んでもらうために客足で合図を送るけど、それが出るって感じが分かってないと、体固まったまま馬の上にいても前出なかったりとかするので。
まずこう動いときに、こういう感じに体がなるんだみたいなのを味わってもらわないと無理なので。
客したらまず出すとか、こっちでお手伝いしてとか。
こういう感じねっていうのをね、分かってくると自分でも前に出たりとかするってあるので。
すごくイメージみたいなものを掴むって大事だなっていうふうに。
持っている時の自分の体の中の感覚もそうだし、こういうふうにできたらいいなと。
という感じで、どこに行く当てもなくですけど、かなり長くなりました。
ということで12回目、これぐらいに一旦したいと思いますが。
学びの振り返りと今後の展望
1回収録しましたが、振り返りをして終わりにしましょう。
ありがとうございます。
改めて馬とコミュニケーションを取って、それが結局人との関わりにも活かされてるなとか、
相手を変えようと思っても変えれない、結局は自分やなとか。
コミュニケーションの基本は相手を見るとか相手を思いやるとかで変えれるのは自分っていう。
本当そこをやったっていうのを改めてちょっと再確認する時間にもなりました。
ので実際馬を買って乗ってもらう環境を作ったりはしてるけど、
実は自分が一番いろんな成長させてもらってるなっていうのを改めて感じることができました。
いや馬やっぱりいいなと。
もう早く馬のところちょっと行きたいなって思うような気持ち。
今も子どもたちが外で元気に乗ってますが、ちょっと後で見に行こうかなと思ってます。
ありがとうございました。
きばらくんはいかがでしたか。
つい先週だったかな。
娘とLINEで話をしてて。
最近馬術競技にハマってて。
いくつ?
今中3です。
今この週末も出てるんですけど大会に。
地元にいないのでLINEでやりとりしてて。
いや馬はイメージなんだよとか言い始めて。
今日の話と。
まさにその馬術でこういう形で動かしたいとかっていうのは、
自分の中でありありとイメージができたらできるんだってことを発見したらしくて。
すごいね。
すごいなと思って。
でもまさにそうだなっていうか。
今日もちょっと思いがけずそっちの話になりましたけど。
なんかいろいろそのね。
本当に話ね。
ちょうどそういう話をしてるとそういうことがこういうところでも出てくるし。
ちょうどあの僕先週から保育系の人たちと保育というか野外保育とか興味ある人たちなんですけど読書会をしてて。
その本が生きている者同士の創造力っていう山本一成さんっていう方の本なんですけど。
副題がアミニズムが開く生命の保育教育っていうので。
まだまだなんだこれ。
一章、第一章しか読んでないけど。
そこで何か創造力っていう大事なんだってことを言ってて。
そこでそうまさに今日の話とつながるから。
ちょっとだけご紹介すると。
創造力に5つの何か大事な働きがあるって言って。
一つは身体に埋め込まれてるっていう身体勢の話。
もう1個がクリエーションの創造力を作り出すイメージがクリエイトする力の創造の演説になってるっていうのと。
もう1個は中導体の話が出てる。
3つ目、4つ目があと自由。
自由を生み出していくんだ。
イメージすることが。
最後は5つ目が美的経験って言って。
美しさだったりとか。
馬だと馬と一緒に何かイメージがあってできたときってすごく心地よかったりとかすごく充実した感覚みたいなのがあると思うんですけど。
馬乗ってて走ろうと思ったらスッと馬と一緒に走れたみたいな。
すごく身体の中って落ちる感覚が流れると思うんですけど。
そういうことにもつながるのかしらっていうのがあって。
ちょうどいろんなものがつながるなっていうふうに思いながら今日話をしてました。
ということで長くなりましたがこれぐらいにしたいと思います。
本日もお聞きいただきありがとうございました。
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それでは良い1日をお過ごしください。
伝わる鼓動
言葉より先に身体が動く
力で引けば心は閉じる
微かな合図を見つめ合う
描いたイメージが未来
意識の力を乗せて
幅を合わせて風になる
術はない私の方を信じて待つその瞬間に
二つの呼吸が一つに重なる
静かな場で解き放つ
鏡の一つ
未来
47:10

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