007 なぜ私たちは「馬」と向き合うのか? ——思い通りにならない他者との調和がもたらす身体感覚
2026-06-07 41:06

007 なぜ私たちは「馬」と向き合うのか? ——思い通りにならない他者との調和がもたらす身体感覚

なぜ、私たちは馬と一緒に活動しているのでしょうか。一見、人間だけの環境でも成立しそうな教育や支援の現場において、あえて「馬」という存在を媒介にする理由を、最新の現場の出来事と結びつけながら深く探求します。

今回は、全スタッフが参加した真剣勝負の乗馬研修の様子や、古武術の視点を取り入れた「馬と身体」の合宿で得られた、無意識の感覚を言語化するプロセスについて共有。さらに「乗馬とナイフは似ている」という先代の言葉を糸口に、現代社会で過剰に排除されつつある「リスク」や「思い通りにならない存在」が、子どもの発達や生きる力においていかに重要な役割を果たしているかを考察します。

思い通りにならない他者と対峙したとき、人は技術ややり方を超えた「自身のあり方」を問われます。指示や命令ではなく、お互いのやりたい方向性をすり合わせる「中動態」的な関係性にこそ、教育の本質が隠されています。他者との真の調和や、身体感覚の復権に関心のあるすべての人へ届ける対話です。ぜひ最後までお聴きください。

馬と人の関係を見つめる対話の始まり
大人が真剣に向き合う乗馬研修が子どもに与える影響
身体感覚を研ぎ澄ます古武術と馬のセッション
教育の本質としての「なぜ馬なのか」という問い
思い通りにならない他者体験を日常にフィードバックする
中動態の思想で捉える馬との対話とチームビルディング
「乗馬とナイフは似ている」危険の排除がもたらす盲点
現代の公園から遊具が消える背景と、主体性が育つ環境の減少
岡田武史氏の事例から見る、自然体験の壁を乗り越える意義
現代の若者が直面する過度なストレス排除と生きる力のバランス
小さな失敗とつまずきの大切さ、冒険遊び場の自己責任の捉え方
馬を中心に置くことで多世代・境界なきコミュニティが生まれる瞬間
次回への展望と番組お便りフォームのご案内

▼配信

毎月 第1・第3日曜 朝

▼パーソナリティ

大堀 貴士(認定NPO法人ハーモニィカレッジ)
https://www.harmony-college.or.jp/

黍原 豊(一般社団法人三陸駒舎)
https://kamakoma.org/

▼コメントや感想、質問はこちらから

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#馬 #ホースセラピー #自然体験 #子ども #教育 #馬と人の関係 #関係性の教育 #馬との対話 #動物と人 #人と自然 #森のようちえん #野外教育 #自然教育 #体験教育 #非認知能力 #発達支援 #療育 #身体感覚 #非言語コミュニケーション #教育の本質

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中動態の風が吹く牧場で 〜支配と受動を越えた共鳴〜

[Verse]
ゲームの画面をなぞる日々
右手を開けば 右へ行く
そんな世界を 飛び出して
手綱を握る 静かな朝
思い通りにならない ぬくもりが
僕の常識を 揺さぶっている

[Chorus]
答えはいつも 馬が知っている
鏡の瞳に 映る本当の自分
言葉を越えて 響き合う時
中動態の 風が吹き抜ける
支配でもなく 受け身でもない
僕らはここで 共鳴している

[Verse]
安全な箱に 閉じこもれば
傷つく痛みは 忘れるけれど
危なさを知るから 命を知る
ナイフのように 研ぎ澄まされる
小さなつまずき 擦りむいた膝
それが未来の 盾になる

[Chorus]
答えはいつも 馬が知っている
鏡の瞳に 映る本当の自分
言葉を越えて 響き合う時
中動態の 風が吹き抜ける
支配でもなく 受け身でもない
僕らはここで 共鳴している

[Bridge]
馬を中心においた 牧場の四角い空
子どもも大人も 混ざり合いながら
一つの命を 見つめている

[Outro]
手綱を開く その前から
つながる関係が 始まっている
思い通りにならない 奇跡を
今日も馬と 駆けてゆく

感想

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サマリー

このエピソードでは、なぜ教育や支援の現場で馬が媒介として重要なのかを探求します。最新の乗馬研修や古武術を取り入れた馬との合宿の経験から、大人が真剣に馬と向き合う姿が子どもたちに良い影響を与えること、そして身体感覚を研ぎ澄ますプロセスが共有されました。また、「乗馬とナイフは似ている」という言葉を糸口に、現代社会で過剰に排除されがちな「リスク」や「思い通りにならない存在」が、子どもの発達や生きる力にとって不可欠な役割を果たすことが考察されています。指示や命令ではなく、互いのやりたい方向性をすり合わせる「中動態」的な関係性こそが教育の本質であり、馬との関わりを通じて他者との調和や身体感覚の重要性が語られています。馬を中心に置くことで、世代を超えた多様な人々が集まるコミュニティが生まれる瞬間も描かれています。

近況報告と乗馬研修の成果
答えは馬が知っている。馬という鏡が見つめる本当の自分。この番組はハーモニーカレッジの大堀と三陸駒舎のきびはらが鳥取と岩手の牧場で馬と子供たちに向き合いながら現場での出来事やこれからの生きる力について語り合う対話番組です。
はい、ということで今回第7回目となりました。
まずはちょっと今日収録しているのは5月30日土曜日なんですけども。
最近のそれぞれの近況からというか様子から行きたいと思うんですけども。
どうですか大堀さんとこは。
はい。ちょうどタイムリーですね。先週、違うな今週ですね。今週、
ハーモニーカレッジと提携している姉妹団体のハーモニーセンターというところから、
たてしなポニー牧場というところの上長、浜島さんと浜島さん率いる若手スタッフの2人がですね、
ハーモニーカレッジに乗馬指導、スタッフの乗馬研修で来てくれるというような時間があって、そこで
うちの職員が幼稚園の職員も、そしてフリースクールの職員も、そして実際馬のトレーニングしたりとか、
キャンプ事業になってくれているような牧場の施設管理とか馬の管理とかを主でやってくれているそういったスタッフたち、
全スタッフに研修をしてくれるという機会があって、大人が真剣に自分の、
馬との向き合い方とか対話力とか技術的なことを磨いていく時間って本当に真剣勝負で、
その姿が子どもたちに結構伝播してたようなイメージがあって、すごい子どもたちも馬やりたい、馬と関わりたい、乗りたい、そんなことが多い
1週間やったなぁと思って、なんか本当にこう、馬がいることで大人が真剣になり、その真剣な大人を見てまた子どもたちも
何かこう影響を受けて、やりたい気持ちが溢れるみたいな、そんなことがあった1週間でした。
おー、いいですね。
はい、指原くんの方は、三陸コマーシャルはいかがでしたか?
スタッフの入れ替わりと馬と身体合宿の深化
そうですね、いくつかあって、一番大きいのはスタッフが入れ替わりというか、があってですね。
うち、そんなに10年余りなので、それでも一番今まで長く一緒に関わってくれてたスタッフが、地元にいずれ戻りたいって話をずっと最初の頃からしていて、
あ、いよいよ来たかっていう感じで、一応5月末で退職というか、という形だった。最後ちょっと有給償還もあったので、5月中旬くらいまで。
さらに、うちで職場結婚して、2人とも離れるという、同時に。
そのスタッフともう1人のパートナーさんもスタッフ?
そうそう、うちのスタッフです。そのパートナーの男性スタッフは、東日本大震災のボランティアでずっと来てて、
僕は三陸コマーシャル立ち上げる前から知っていた方というかで、長い付き合いだったんですけど、途中からうちで関わっていただいて、
最初はアルバイトみたいな形で、週何回かで来て、途中から上金みたいな形で来たメンバー、2人が同時に抜けて、しょうがない。引き止めたいけど、みたいな。
お互い次のステージというか、なかなか嬉しい。結婚して新たなステージに行く2人を見て嬉しいけど、なかなか現場としての大変さとか苦しさとかはあるよね。
僕自身もここの場所を立ち上げたのも10年前、40目前だったので、年齢的なところもあるから、そんなに長く自分のところをやるのを引き伸ばしてもしょうがないというか、
いいやって時に行かないと次の場所に行けないので、送り出したい気持ちもあるけど、引き止めたい気持ちもあるということもあって。
あと4月から新しい方も来ていただいたりとか、あと5、6、7の3ヶ月間だけの短期で研修という形で来てる方もいて、
ちょっと新しくメンバー入れ替わりながら、その研修で来てる方は子供連れで来てるんですよ、4人。
なので、普段来てる人たちもいるんだけど、そこに混じりながらいつもと違う空気というか、雰囲気もあって、いいなという変化があるというところもありまして。
なるほど。
あともう1個だけ、前回のときに話してた馬と身体合宿があって。
はい、小藤さん。
はいはい、小藤さん先生と。
4回目にして、また新たな扉が開いた感覚がありました。
良かった。
意味があるな。
そうなんです。
小藤先生、もう色々4回目にして、毎回彼なりに色んなことをテーマにしながら滞在されてて。
結構今回ちょっと試したいことがあるんですかって言って。
そうそう。
馬の長馬策で、武術相手と対峙して何かするってところなので、エッセンスだけ話すと、相手気を合わせて何かできるんじゃないかみたいなことを話されてて。
馬とまず気を合わせてから走らせたりとかしてみましたとか言って。
その感覚は、桐原君も掴めたの?
そこから色々、桐原さんどういう風にやってるんですかって話になって質問されて。
長馬策とか、長馬策って馬を円状に走らせる証拠というかトレーニングがあって。
それをちょっと研修っていうか、プログラム的にみんな体験してもらったんですけど。
自分も一緒に歩いたりとか走ったりとか、そういう感覚を共有しながらやってますみたいな話で。
馬を走らせる時、走ってないけど一緒に走ってる感じみたいな。
感覚的なことをちょっとお話をして。
じゃあって言って、普段その感覚だけだけど、実際に自分も走ってみるとどうなるかみたいなのをやって。
同じように走ったり歩いたりとかっていうので、馬を一緒に走ったりとかしましたみたいな感じで。
確かにそういう感覚でやってたなみたいな。
対話する中で、そういう風にやってたみたいなのを気づかされる感じがあって。
なるほど、感覚と繋がった感じがあった。
そうですね、それが普段無意識にやってたのが引っ張り上げられたみたいなとこがあって。
でも実際、普段は体の中だけでやってたんだけど、それを表に出しても一緒に馬を走ったりもするので。
そういうのを一緒に見ていただきながらというか。
なるほど。
というのと、夜対談もして、そういう話もしたりとかして気づきがあったなって感じ。
そうやね、また夜より深まりそうだよね。
そうですね、ずっと昼間は皆さん、参加者の方と一緒にいろんなことを試行錯誤もするし、
ちょっと振り返りも曖昧曖昧もしてるんですけども、
皆さんの感想とかいろいろ気づきとかも言葉にしてもらいながら一緒に、
2泊3日一緒に時間を共にしていたので、
いろんなものが、それぞれ言葉の出し方が違ったりとかするとこもあって、
そこに触発されていろんな気づきが生まれたりとかする。
いわゆる普通の常話技術とかそれにしてはないところではあるんですけども、
それはそれで面白いなというようなところでした。
なるほど。
いつか。
またじゃあ、3回目。
今4回か、5回目、6回目って続いていくから。
そうですね。
今、一応春と秋にやっていこうみたいな感じになって、
次また秋、10月の第1週目の日、同日月か。
予定しているという感じでした。
なるほど。
いいね、どんどん深まっていくね。
そうですね、ちょっとなんか、
分かりやすいそういう呪文とかそういうところじゃないですけど、
かなり馬世界でも端っこの方で穴を掘っておりました。
なるほど。
「なぜ馬なのか」という問いの探求
ということで、今日のどんな感じでいこうかっていうところで、
なんで馬なのかとか、馬の魅力ってこういうところにあるよねっていうような、
別に馬と一緒にやらなくてもできそうなことでもあるかもしれないけど、
なんで僕たちは馬と一緒にやってるんだろうっていうところを深掘りできたらなというふうに思っております。
話し始めるといろんな方向に行きそうなので、
そうですね。
果たしてこの今日の収録だけで終わるのだろうかという感じがします。
今最初の話でもね、さっき言った、
たてしさんの牧場の方が来ていろんなことを学ぶっていうのもあるし、
僕は今回小淵の先生と一緒にやったりとか、
いろんなやり方があるので、馬の深め方は。
なんかパッと思いつくことありますか?小森さんのところから。
なぜ馬?
はいはいはい。
ってことやね。
うんうんうん。
もういろんな切り口があるんやけど、
今パッと頭に出てきたものは、
思い通りにならない相手というか、ものっていうかね、
世の中で思い通りにならないことがたくさんある。
その思い通りにならない絶対的な自然とかってそういうことやと思うけど、
そこと調和してどう生きていくのかみたいなことが、
すごい体感できるすごい小さな縮図というか、
なんか延長するとそういうことと同じだよねっていう、
いろんなものにつながっていくものが結構凝縮されてて、
それを馬と対峙したり向き合ったりすることで、
たくさん出会わせてもらえるなっていうふうに思ってて、
なんかこう、なんていうかな、こうしたら、
例えばゲームで上を押したらキャラクターが上に行くとか、
右に押したら右に行くってあると思うけど、
馬に乗ってて、じゃあ右の手綱を引いたら右に行くのかって言ったら、
そんなことないよね。一応やり方としてはあるけど、
それをやったとて、その個体差もあれば、
その日の馬のなんていうかな、メンタル的なこともあるし、
逆に言ったら人の乗り手のメンタルもあるし、
あと力の強弱とか、あと微妙な角度とかタイミングとかって、
もう本当にいろんな要素があって、ただ右を引けば右に行くとかっていうもんじゃなくて、
両方の手綱を引けば止まるとかって言って、逆に止まらなくて、
スピード上がることもあれば、お腹をポーンと脚を入れて、
脚をね、お腹をタップするような感じでやると前に進むっていう風に、
一応こう言ってはいるけど、それをしてもガンと動かなかったりもあるし、
だからやり方ではないっていう、やり方とその時のやっぱり双方の在り方もあって、
で、結局は相手に伝わったことが全てなので、
相手を思いやるというか、相手のことを想像しないと自分本位ではうまくいかないとか、
でも言葉が通じないけど、つながったなっていうような瞬間もあって、
なんかそういうことが日常生活でも思い通りになることばっかりじゃないやけど、
例えば、天気とかもそうやし、あともっと身近で言えば人間関係とかも、
相手のことを変えるってなかなか難しかったりできないんじゃないかなって思ったりするけど、
自分のアプローチの仕方とか表情とか、いろんな変えれることはあると思うんで、
どうやって他者と調和していけるかって、そういう他者体験がすごくできて、
それを日常にフィードバックできるみたいな、そういえばこういうことかって、
なんかつながるのがいっぱいあるなと思って、
ちょっと今、話し始めとして頭の中に出てきたらそんなところかな。
中動態と共鳴による関係性の構築
なるほど。
福原君はいかがですか。
今聞いてて、そう思うっていうか、
今わかりやすいところで、手綱を開くとそっち側に曲がるみたいなのが、
そうすればそうなる時もあるけど、その前からも始まってて、
開く前の時の状態とか持ち方とか、
ずっとそこのやりとりがあって、
じゃあ曲がろう時にそれが伝わるかどうかっていう、
その曲がる時だけ伝えたら伝わるかっていうと、そうじゃないっていうか、
その前からちゃんと馬とつながってないと、
うまくいかないとこがあるなっていうのを聞きながら思ったので、
切り分けてその部分だけ何かしようって言っても、できないなっていう。
ずっとそのやる、その何かしたいことをやる前から始まってるみたいな、
関係性がっていうふうにちょっと思いました。
っていうのが一つと、
もう一回何か思い通りにならないってことは、
本当にまさにそうだなっていうふうに僕も思ってて、
だからこっちも何ていうのかな、
さっきは調和って話がありましたけど、
何か一緒にやろうとしたら、
こっちのやりたいことも伝えるけど、
向こうの相手の状態も受け取りつつ、
それを擦り合わせながら、
こういうのやってみようみたいな、何て言うんだろう、
気持ちというか、やりたいことの方向性を合わせながら、
そっちに行くみたいな感じだなっていうの。
だからこう、一人で勝手にやるんじゃなくて、
相手と合わせながら一緒にやるみたいなところ。
前回の、いわゆる何か話したっけな、
中導体みたいな考え方があって、
させるとかっていうのは、
能動的に歩かせるとか、
右に曲がらせるとか、
反対側受け身で、受導体ってありますけど、
その間みたいな感じ。
一緒に歩くとか、
一緒に右に行くとか、
そういう、さっき言った調和とか、
最近僕は共鳴とかって言いますけど、
お互いにやりたいものを鳴らすというか、
鳴るような状態があったらできるみたいな感覚があるので、
そういうところはすごく、
馬だと分かりやすいというか、
自然の中で、
調和した暮らしをするっていう、
大きなね、
最近日が昇るの早くなって、
そういえば朝目覚めが早いなって、
最近の話だなと思ってたんですけど。
こっちちょっと東にあるから、
午後5時ぐらいに明るいので、
明るくなってきてますけど、
そういう日々の自然の流れに合わせて、
巡りに合わせて、調和しながら生きるってあるけど、
もっと馬だと動きがあるので、
その瞬間その瞬間のやり取りがあって、
そういった部分では、
それが思い通り鳴らないけども、
一緒にやるっていう感覚を養う上では、
すごくいい先生だなっていうふうに、
そう思っていたりします、僕も。
さっきの中道隊のところで話してたんですけど、
例えばチームで何かするっていう時も、
なんか命令してっていうか、
じゃあこの商品売って営業してこいみたいな感じで、
やらされてやってもできないこともないけども、
非常にお互いストレスだったりとかする。
そうじゃなくて、一緒に何かある目的に向かって、
やるっていう感覚を持ちながら、
チームとして動くっていう時にも、
さっき言った馬と一緒にやるっていう、
中道隊的とかなんかそういう、
調和しながら何かするっていうところにも
繋がっていくんじゃないかなっていうふうに思うので、
そういう感覚を養う上では、
とても大事な現場というか、
教えてもらってるなって感覚はありますね、僕も。
「乗馬とナイフは似ている」危険排除の盲点
なんかその感覚っていうのがすごい大切やなって、
なんかその感覚から、
次の思考が生まれるんやけど、
なんていうかな、
例えば馬のことを感じるとか、
今うまくいった気がするとか、
すごい感覚的なことなんやけど、
でもそれってすごい大切なことやなって、
それが信号になって、
思考が働いて行動が生まれるみたいな、
感じかなって思うんです。
その感覚とかがすごい研ぎ澄まされるような感じはする、
馬と関わってると。
前も話したかな、
仙台とかよく言ってたのが、
定刃とナイフは似ているみたいな。
その例え話は初めてです。
本当?
はい。
定刃ってナイフって聞いた瞬間に、
どんなことを思い浮かべるかって言うと、
人によってそれぞれやと思うんやけど、
例えば危ない危険なものって捉える人もおれば、
ナイフがあるとこういうものが切れるから、
例えばロープも切れるし、木も削れるし、
調理もできるし、
いろんなナイフがあるからできることもあるけど、
危なさも併せ持ってる。
馬もそれに似てて、
危なさもやっぱある。
でも馬と関わることで、
関わってないと感じれない、
そういう感覚に出会えたりとか、
あと実際馬に乗って、
目線とか、
見えてくるもの、感じるものが変わってきて、
そして技術が上がってきたりとか、
いろんなことがあって、
やればやるほど安全になる。
だから今危ないから除外するとか、
排除するっていうことが多くなってると思うよね。
それはもう権利が先行する時代になってるのかなと思うけど、
例えばパッと子供が遊ぶ公園見ても、
圧倒的に自分らが子供の時に比べたら優遇が減ってるよね。
ブランコも柔らかい。
くるくる回るやつなんかどこにもないし、
あれ楽しかったのに。
でもあれ指を挟んでしまう子がいたりとか、
ジャングルジムも落ちて怪我をするとか、
いろんなことがあって、
結局残ってるのは下にフカフカのマットが敷かれた、
もしくは砂川の中にある低い滑り台とか、
あとは本当に柔らかい、
座るとグニャンって曲がるブランコぐらいで、
危険やからなくしていくっていうことになっていくと、
子供が力をつけていくものとかがなくなってきて、
結局面白くないから、
滑り台の下りたところで座って携帯いじってるみたいな、
そんなことが多かったり、
あとボール遊びも禁止っていう声も多いし、
今やったら大声を出さないで遊びましょうっていう声も増えてるから、
いろんなものを禁止したり排除したりする、
それはやっぱり誰の責任?ってなってくると、
責任を負う行政とか管理してる人が問われるから、
じゃあなくしていこうっていう判断になっちゃうんやけど、
だからある種、馬も絶対に安全やから乗りましょうとかっていうものじゃないと思うよね。
限りなく安全にしていきたいし、していく必要があるけれども、
どんなに言っても100%安全かって言ったらそんなことはないなと思って、
そういうことが実は多いんやけど、
例えば車もそうだと思うけど、
車って便利やから乗るけど、
でも車で事故を起こしたり人が亡くなったりすることって多いやんか。
でもじゃあなくしていくっていう選択をしていくと、
どんどん人の世界が狭くなってくると思うんで、
馬も危ないけれども、
ちゃんと馬のことを理解して力量を上げていくとどんどん安全になっていく。
そしてステップ、スモールステップを踏んでいくと成長していけるっていうようなところが、
これはすごくいいなと思って、
確かにナイフと乗馬、なんか似てるとこあるなみたいな、
ちょっとそういう比喩で先代が使ってたので、
それも馬が教えてくれるところやなって思って、
ちょっと今思い出したんで話しました。
自然体験の重要性とストレス耐性
でもすごくそれ今の話重要っていうか、
結局安全な場所にいたら危険、
本当の危なさが分かんないっていうか、
危険なことがあるから危ない、ここまでやったら危ないなとか、
これ以上行ったらダメだなっていうのは身についていくというか、
安全な場所にいるとどこからが危ないかって全然分かんなくなっちゃうよなっていうのが一つあるのと、
あと去年の森の幼稚園の全国交流フォーラムが青森であって、
最後の特別講演が元日本代表の監督の岡田さん、岡田たけしさんが講演だったんですよ。
彼今今治でクラブチーム。
FC今治か。
あと高校も地元の高校と一緒にやったりとかして、
その中でいろいろ自然体験のプログラムを入れたりとかしてるんですよ。
あと企業の自然体験の研修とかも受け入れしてて、
すごく今引き合いがあるって話があったんです。
何かっていうと、結局丸々ハラスメントとかいろいろあって、
社員に頑張れって頑張らさせられないみたいな、
頑張ることでいろいろ壁にぶち当たってそれを乗り越えていくことで成長ってあるよねっていうのがあるはずなのに、
何もいわゆる頑張れる体験がないっていうか、
無理くりとかそういうのはちょっと別だけど、
なかなか人だけの環境の中だとそういう壁を乗り越えるとかっていうことが設定しにくいって話があって、
だけど自然だとさっき言ったように思う通りにならない環境が自然とそこに立ち現れてきて、
嫌顔でもそれを何とかしなくちゃいけないとか、予定したものと全然違うことが起こるとか、
その中で登山とかシーカヤクでどっかから縦断しますとみたいなすごく大きなプログラム組めば起こりやすいんだけど、
馬だと日常的にさっき大森さん言ったように段階的にその子の今の状態に合わせて、
いろいろプログラムというか活動内容を組めるし、
ちょっとしたさっき言ったように一緒に歩くときも馬が草食べたくなったら食べ始めたりとか、
本当にそこに葛藤みたいなのが、僕は行かせたいのにみたいなちょっとしたそういうやり取りがあったりとかして、
日常の中にそういった思い通りにならない経験がふんだんに訪れるのはすごくいいなと思うんですよ。
台所含めてこっちこっちもいろいろ一緒にいろんなこんなことを馬と一緒にやってみようとか、
設定する中でちょっと大きなチャレンジみたいにもできるし、
日々のちょっとしたさっき言った馬の部屋から馬房から手入れするつなぎ馬場まで移動するときも一緒に歩くときに、
ちょっと馬が道草食ったりとかするときにどうするかみたいなのもあるし、
そういうのがいろいろあるのがいいなと思いました。
ちょっと前に、傷つきやすいアメリカの大学生たちっていう、
今の若者がすごくストレスに弱いんだみたいな、
いわゆる善意として、良かれと思っていろいろストレスがないように育てる子ども中心に、
最近子ども真ん中っていう子ども家庭長出ましたけど、
そうやってやることで、子どもにいろんなそういうちょっとした負荷というか、
かかるような経験が全然ないまま大きくなってくると、
大人だってか、ここはあと大学生の話なので、アメリカの大学生の事例なんですけど、
いろいろ自分と違う言説の人が講演会で思想が違う人が来たときに、
それを聞くと、僕はすごく気づくから、やめてほしいっていうか、
反対憤怒みたいなのが起こるっていうか、びっくりする。
結局ストレスに対してストレス対策なくなっていくって話なんですよ。
ストレスあるから、植物だってそうだし、強くなるわけじゃないですか、そういう風に。
そういう適切にストレスを悪だみたいな感じになってて、
全て排除して、さっき言った講演と一緒ですよ、安全にすることで。
そうすると身体力が下がるわけじゃないですか、子供たちも。
ジャングルジム、怪我しないで遊べよってすればいいんだけど。
冒険遊び場なんかは、怪我と弁当は自分持ちとかって言ったりしますけど、
怪我するから、これはやりすぎたんだなとか、次は怪我しないように遊ぼうとか。
ナイフも一緒ですよね、安全、使える道具として使う。
手を切るか使わせないって言ったら、全然一生ナイフの使い方覚えられないわけで。
まさにそういうストレスと生きる力みたいなところのバランスというか、見余ってしまってるというか。
子供中心で。
小さな失敗と自己責任の捉え方
馬が行ったときに、子供たちたくさんいっぱい失敗とかぶつかってうまくいかない経験って、
本当に大小様々いろいろ経験するから、
なんか基本的に思い通りにならないものっていう前提があって、
でも上手くなりたいとか、もっとこうなりたいって、やっぱりその内面からあふれてくるものがあると、
したいところに行く前に上り坂があったり、石ころがあったら乗り越えようってする、
そんな経験が、
特に子供たちの時って、
怪我しても結構小さいことが多かったりとか、
そういう小さな失敗とか、小さなつまづきっていうのを、
どんどんできたらいいなって思うよね。
もちろん怪我してほしいってわけじゃないんだけど、
その小さな怪我が、ゆくゆくの大きな怪我を防いでくれたらそれがいいと思うし、
命を守ってくれたらいいと思うやんか。
でも本当に、さっきのね、冒険遊び場とかの考え方はすごく共感できることが多くて、
自己責任で自由に遊ぶっていうのは、
あなたの自己責任やからねって言ってるわけじゃなくて、
周りとか対社会とか言ってるような気がするよね。
自己責任で自由に遊ぶ。
だから自由で遊んでるのに怪我したら、
管理者のせいとかってなってくると、
やりたい放題やっても、なんかあったら誰々のせいみたいに、
主体性がなくなっちゃうなっていうふうに思うので、
馬と関わってる時ってうまくいかなかったら自分のせいってわかりやすいから、
うまくいかなかったら、
自分から乗りたいってなってない時にはそれでも他者のせいにすることがある。
僕は乗りたくなかったのにとか、
教えてる人がこうしろって言ったとか、
他に言い訳を持ってくるんやけど、
でも自分で決めて乗る子とか、
そこにアドバイスしたことに対して全部自分持ちになっていくから、
それって日常的な生活とか学校生活とか人間関係でも、
相手が悪いって、
なりやすいところが、いや自分の言い方がとかタイミングが、
ワードのチョイスが悪かったかもとかっていうふうに、
ちょっとずつ自分ごとにフィードバックできる体験を、
すでに体とか感覚とか肌感を通じて、
自分のものにしていける経験がそこに詰まってるなって思って、
しかもそれが一人じゃなくて、
馬を中心としたコミュニティと他世代交流
結構周りにも、さっき子供真ん中に中心にっていう話あったけど、
ある種、牧場とかだと馬を中心に置いてるようなところがあって、
馬を中心に子供もおるし大人もおるし、
障害のある子もおれば高齢の方もいて海外の方もいるみたいな、
みんなが同じ馬を中心にいると、他世代が一気につながれたりとか、
もうほんとね、ごめん話いっぱい飛んじゃうけど、
馬つれて、この前イベントに呼ばれて行ったよね、
2000人ぐらい、そんなに大きなイベントじゃなかったはずやねんけど、
馬を連れてったからかどうかはわからないよけど、
すごい今までにない人数が来ましたっていう報告があって、
そんなに人が多くないから、
しかも主催者有料で乗馬コーナーみたいなのやってたから、
乗るときもあれば馬が休憩できるときもあるかって思って行ったら、
なんのなんのすごい長蛇の列がずっと絶えずに、
人も馬も大汗かきながらやってたんやけど、
でもなんかそういう、なんていうかな、
何の話しようと思ったら今飛んじゃったぞ、俺。
あ、そうそう、中心において、
馬がいなかったらこんなに俺らんとこ人けえへんよなって話をしてて、
俺ら人だけでそこに行ったとて、長蛇の列なんか誰もできへんし、
でも馬がいると、乗らなくてもごめんなさい、
あの乗馬コーナー終わったんですって言っても、
ちょっと触ってみていいですかとか、写真撮っていいですかとか、
草あげれますかとか、いろんなことで人がうわーって集まってくるんよね。
で、馬の話をちょっとすると、
えーそうなんだーって、馬って普段どこで会えるんですかとか、
そんな風に、馬を中心におくと結構他世代が自然と会話ができたりとかすることがあって、
本当になんかそれはある種、人と人をつないでくれるっていう話を前もしたと思うけど、
それをすごく感じて、なぜ馬なのかの魅力の一つは、
そういうところもあるかな。
なるほど。
はい。
番組の締めくくりと次回予告
いいですね。ということで、いい時間になってきたので。
そうか。
これさ、張らんぐらいの感じで馬だおっと話したい動画がどんどん出てきちゃう。
そういうテーマですよ、だから。
でも次も続きをいきたいと思いますが、
一旦7回目はここまでにしたいと思います。
ありがとうございます。
はい。お聞きいただきありがとうございました。
本番組は毎月第一・第三日曜の朝7時に更新されます。
チャンネル登録や番組のフォローをお願いいたします。
また概要欄にお便りフォームのリンクがありますので、コメントや質問などをお寄せください。
はい、それでは良い一日を。
お過ごしください。
バイバイ。
会話は始まっている
答えはいつも馬が知っている
鏡の瞳に映る愛
中度帯の風が吹き抜ける
僕らはここで共鳴している
安全な箱に閉じこもれば
傷つく痛みは忘れるけれど
危なさを知るから命を知る
ナイフのように研ぎ澄まされて
小さなつまづきすりむいた膝が
未来の盾に変わっていく
馬を中心に置いたなら
子供も大人も混ざり合う
一つの愛
奇跡を
今日を待つ
駆けていく
41:06

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