013 馬と暮らすと、なぜ争いは消えるのか?〜力づくを手放す関係性の教育〜
2026-09-06 34:24

013 馬と暮らすと、なぜ争いは消えるのか?〜力づくを手放す関係性の教育〜

世界各地で続く紛争や社会の分断を前に、「平和」をどう捉え直せるでしょうか。頭で掲げるスローガンではなく、馬という異なる命と向き合う現場から、平和への具体的なアプローチを探ります。

終戦記念日に収録された今回は、秋に開催される「森のようちえん全国交流フォーラム」のテーマである世界平和を起点に対話が展開します。大きな草食動物でありながら戦わずに逃げる道を選び、ネットワーク型の群れで生きる馬の生態。そして力づくや多数決が通用しない馬との関わりから、教育の本質や学びとは何かを掘り下げます。

大人が先回りして整えすぎた社会では失われがちな「暮らしの当事者性」を、子どもたちは馬の世話を通してどのように取り戻していくのか。非言語コミュニケーションや身体感覚を通して自分自身の内面を整えることが、身近な関係性や社会の調和にどう直結するのかを現場の実践から解き明かします。

日々の暮らしや子育ての中で、他者とどう調和して生きていくかを見つめ直したい方に届いてほしい対話です。ぜひ最後までお聴きください。

▼口上「馬は平和のあり方の天才だ」
(馬の特別プログラム開催にあたっての文章)
https://kamakoma.org/moriyo2026-10/#toc4

馬と人の関係から問い直す世界平和
森のようちえんフォーラムと教育の本質
身体感覚を研ぎ澄まし心身を一致させる
非言語コミュニケーションで築く安心と対話
自然体験と暮らしの中で育つ非認知能力
子どもの成長を支える役割と当事者性
心の成長を促す馬という鏡と内面の調和

▼配信

毎月 第1・第3日曜 朝

▼パーソナリティ

大堀 貴士(認定NPO法人ハーモニィカレッジ)
https://www.harmony-college.or.jp/

黍原 豊(一般社団法人三陸駒舎)
https://kamakoma.org/

▼コメントや感想、質問はこちらから

https://forms.gle/DXXT9babMNjbaaZq5

#馬 #ホースセラピー #自然体験 #子ども #教育 #馬と人の関係 #関係性の教育 #馬との対話 #動物と人 #人と自然 #森のようちえん #野外教育 #非認知能力 #発達支援 #子どもの成長 #身体感覚 #非言語コミュニケーション #自己肯定感 #学びとは何か #自然の中の学び

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争わない生き方 〜群れが教えてくれること〜

[Verse]
夏の空 静かなサイレンが響く
正しさの言葉並べても 届かないものがある
力で引けば 頑なに背を向けて
水飲み場へ誘うように ただ安心を差し出す

[Chorus]
争わない強さを 群れは知っている
角も牙も持たずに 風の中を逃げてゆく
誰かひとりの支配じゃない 柔らかな絆
心と身体が重なるとき 静寂が訪れる

[Bridge]
夕暮れの牧場 分け合う干草の重さ
好きや嫌いを超えて 暮らしの輪に加わる
任された小さな役目が 当事者へと変えてゆく
馬の瞳という鏡に 映る本当の自分

[Outro]
手綱を緩めて 歩調を揃えたら
ここから始まる ささやかな平和

 

感想

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サマリー

本エピソードでは、馬との関わりを通して「平和」を問い直す方法について語られます。馬は争わずに逃げる道を選び、ネットワーク型の群れで生きることから、力や多数決に頼らない関係性の築き方を学びます。子どもたちは馬の世話を通して「暮らしの当事者性」を取り戻し、非言語コミュニケーションや身体感覚を通じて自己の内面を整えることで、身近な人間関係や社会との調和に繋がることを探求します。馬を「平和のあり方の天才」と捉え、その生き方から現代社会における平和への具体的なアプローチを考察します。

馬と平和:森のようちえんフォーラムのテーマ
答えは馬が知っている馬という鏡が見つめる本当の自分この番組はハーモニーカレッジのおぼりと三陸駒舎のきびはらが鳥取と岩手の牧場で馬と子供たちに向き合いながら現場での出来事やこれからの生きる力について語り合う対話番組です。
今日の収録は8月15日夏休みまさかりですけども最近どうでしょうか?
はい、最近あのまあちょうど今お盆真っ只中でハーモニーカレッジの方ではあのサマーキャンプ、馬のサマーキャンプをやってます。全部で10回ぐらいかな。
もう7月後半8月いっぱいまで子供たちが入れ替わり立ちかかわりトータル何人ぐらいかな200人ぐらいが入れ替わりできてくれて今も今日はですねちょっと天候も暑くなってきて
馬は一旦お休みでシャワークライミングというか自然の中に入って今日は滝を3つぐらいちょっと目指して森林浴をしに行っているところです。
なので超マイナスイオンを浴びて子供たちは体はクタクタになっているけど多分心は思いっきり解放されて帰ってくるんじゃないかなというふうに思って帰ってくるのを楽しみにして牧場で今いるところです。
なるほど。
はい、清原くんの方はどうですか。
えっとそうです今ちょうどお盆で8月の頭にキャンプがあった後はこの何日だ10日間ぐらいお盆休み中ですけどもあのまあ馬のねいろいろこうお世話とかは交代でやっているので
あと研修でねこれ実は8月1ヶ月こられてる方もいたりとかしてまあでものんびりはいあでもた天気がずっとこっち悪くてようやくはいえーなんかまだ梅雨が続いてるような感じだったんですけどようやく晴れてですね今日は青空を久しぶりに
そんな感じだった。
見ているところでした。
被害とかはなかった?
はないですね。
なかったようか。
ないんですけどただなんか日照時間が短いからか作物なんか日照時間必要な作物があんまり育ってなかったりとかそんなこともあったりしてました。
あと釜石は何だ漢方射撃って言って戦艦からあの世界大戦の時に砲弾が打ち込まれた土地でもあって実は。
8月の頭ですね毎年漢方射撃があった日とかはなんかこう有線放送で木刀のサイレンが鳴ったりとか今日もですけど原爆の日と漢方射撃の日と終戦の日はあの木刀のサイレンが鳴って木刀するっていうのは高齢でちょうど今日ね終戦日ということもあってはい。
あとなんかねお盆で地域の方のなんか親戚の人たちが帰ってきててそう若い人たちが普段全然いないんですけどいて。
規制してきてきたなんかお孫さんとかそういった方がちょっと馬乗りたいってことでお案内したり。
普段ねいろいろお世話になってるんでそれぐらいはやりますよって感じでやってました。
ちょっとまぁのんびり過ごしてるお盆でした。
確かにあの牧場うちのね牧場の方も規制の人たちがおじいちゃんおばあちゃんが県外に出た息子娘そして孫を連れて今東京から孫たちが来てるんでとかって言って今日も何組か来てくれてたねそんな感じです。
はいということで今日第13回半年越えてますけどちょうどさっきねこう楽屋トークでちょうど15日で終戦記念日ってこともあるし。
あとは実はあの今度10月に森の幼稚園の全国交流フォーラムっていうのが長野県であって。
その時にもちょっとこう実は知り合いのね馬やってる方と一緒にプログラムをやることになったんですけどもちょっと大森さんにもちょっと絡んでもらってさっき打ち合わせしてましたが。
実はその全国交流フォーラムの全体のテーマが世界平和っていうのはすごく大きなテーマなんですけども。
その中でちょっと馬のプログラムをやるっていうことで馬と平和っていうのはなんかちょうどいいんじゃないかなって話をしていてそのテーマで今日は話してみようかというふうになっておりますが。
僕はなんかねそのプログラム書く上でなんでこう馬が世界平和につながるかっていうことをちょっと言っとかないとダメだなっていうのがただ馬が来てね馬に触れてだけだとなんか全然テーマと絡まないなっていうふうに思われてしまうので。
いや馬と平和ってつながってるぞっていうのを書いた文章があるのでまだちょっといろいろ考えたんですけどどうなることやらという感じですがなんかどうしましょう僕から行きますか最初。
お願いします。
してるけどそこにはなんか限界があるんじゃないかなみたいな。
まあ戦争だけに限らないですけどいろんな分断だったりとか格差とかそういったものを開いたりとかしてて。
その時になんか人間から世界を見るんじゃなくて馬から見るとその何かこう糸口が見えるんじゃないかっていうことをちょっと書いた。
その時にで2ついくつか理由はあるんだけどそのうち大きなものをたくさん書いてもあれだったので大きく2つあげて1つは馬そのものの何か生き方が大きな草食動物の中でも例えば牛とかは骨のを持ってたりとか。
ゾウだった牙があってで群れを守るため戦うってことをねするんだけどまあまあまあ多少戦うけど後ろ蹴りみたいな。
戦うのに後ろ蹴りかみたいな感じはしますが基本なんか走って逃げて安全な場所に行ってまたそこで安全な場所になったら草をはんでっていうのは戦わないっていう選択をして生き延びてきた動物だよねっていうのがあったりとか。
それが一つ大きな生き方の特徴的なところで争わないっていうしかもその中群れの形がピラミッド型じゃなくて非常にネットワーク型というか誰もがリーダーを取り得る可能性があってその時に必要な馬がリーダー尻尾を握って群れを導いたりとか守ったりするっていうのがあって。
誰か一人に権利を集中しているわけじゃなくてみんなで組織をつくって一緒にみんなでやってるっていうところは民主主義のこれからのあり方にも直結するんじゃないかなっていうふうに思ったりもするし。
もう一個はまさに大森さんのとこの団体名がハーモニーってついてますけど、調和っていうのを、さっきちょっと安全な場所に行って草をはむって言いましたけど、安全安心みたいなものがあって求めて生きてて、その時って馬同士もだしその周りの環境、外敵がいないとか安心して草を食べてられるような環境との調和みたいなのもあるので、
そういった部分では調和する力というか、外界と自分といい感じに接続するそういう力を持っていて、それを馬からいろいろ学ぶことで、いろんな不和とか争いとか逃れるというかじゃない関係性みたいなのをつくっていく、
そういったあり方みたいなものを馬から学ぶことができるんじゃないかなっていうふうに思ってるっていうのが2つ目のところですね、その調和っていうところ。しかもそれの中に心と体が一致してるっていうか、人間だと頭だけ考えてて行動が一致してないとかってあったりしますけど、馬ってそのあたりがすごく一致、心身が一致してて、ずれがないところもすごいなっていうか。
そういうふうに馬からいろいろ学んでいくことで、そこから人間、僕たちの生き方とか暮らし方とかっていうのを見つめ直していくことができるんじゃないかっていうことを、今回その森大知園の馬プログラム、タイトルがですね、馬と子供の育ちの場を探求するっていうふうにしてるんです。
サボタイトルで、馬との対話から私たちの暮らし、生き方を見つめ直すっていうふうにしてて、それは平和へつながってる生き方とか暮らし方への道が見えるんじゃないかっていうふうに、そんなことを目指そうというプログラムを考えてみたというところでした。
馬の生き方から学ぶ平和と調和
めっちゃなんか興味持って、切り口が平和っていうことを考えるのを馬を通してっていうところが、多分なかなか皆さんそういう視点から考えることとか得られるものってなかなかないと思うから、これは新たな発見がありそうだなと。
もう今からその中身聞くだけでも、僕も関わらせてもらったりするのも楽しみやし、実際にそこで興味持ってきてくださる皆さんとまたつながっていくっていうのもすごい楽しみやなと思って、ぜひいい対話のワークショップにしていきましょう。
具体的な中身ってあんまりまだないって言い方ですけど、今言った目指すものとか、今の立ち位置みたいなものは今ちょっと説明したようなところにあるんですけども、別に答え持ってるわけじゃないし、そういう馬の目線から平和っていうものをテーマに暮らし方とか生き方みたいなのを見てみたらどういうふうに気づきがあったりとか変化とかあるのかなっていうのを一緒に楽しみながら作っていけたらいいなというふうに思っているところなので、
どういう形に最後なるのかっていうのは未知数ではあります。でも一つこうなるんじゃないかって思ってることは一つあって、いわゆる頭だけで考えて平和っていうのはこうあるべきだとか、平和のためにこういうことをした方がいいみたいな感じでスローガンとか言葉だけで掲げるんじゃなくて、
実際こうマットでやって体験したりとか、自分の中の体の気づきとか、そういったものを通して出てくるものがあるんじゃないかなっていうふうに思ってて、もっと感覚とか体の中から生じてくるものとか、そういったものから言葉に最後はこうしていくかもしれないんだけども、そういうところから平和の在り方みたいなものが見えてくるんじゃないかっていうふうに思ったりしていたところでした。
大森さんはどうですか?馬と平和って聞いて、どんなところを思ったりとか感じたりとか。
なんか平和って聞くと、世界平和とか特にその世界とかってつくと、なんか国と国との紛争とかっていうところにすごくイメージが行きがちなんやけど、もちろんそこ、そういう国と国との紛争とかもなくなってほしいなと思うけど、でもそれのもっとこう自分に近いところで言うと、
今自分がいるコミュニティ、例えば職場とか学校とか家庭とか、うちで言ったら牧場とかっていうのは平和でしょうかっていうこととか、あと自分の心の中も平和かどうかみたいなことも結局すごい遠くやけどつながってるような気もするんで、
なんか国と国の紛争とかをなくしたいっていうことと、自分の関わっている身近な平和もなんかつながってるような気はするから、そこを整えていくことができたら、そういうふうにつながっていくんちゃうかなって思って、そういう意味でも活動は続けてるし、
馬がいることがすごくいいなって思うのは、人間中心の社会でいると正しさとかパワーバランスであるとか、なんかいろんなことでこう、あとは多数決とか、なんかそういうことでこう物事が決まっていったりすることもあると思うんやけど、馬と関わる時って別に多数決やったって何も決まらへんし、
なんかこう馬と関わる時って力づくでコントロールしようとしても馬は反発するから、その時にどう対話するのか馬が受け入れたり、コミュニケーション取りたいなってまず思うためには、安心とかがベースにないと対話にもならへんから、まず安心な関係を作るっていうところから始まるし、
なんかしてほしい時にはこっちからの提示があって、やるかやらないか馬が決めることだから、ことわざにもあるやん、馬を水飲み場に連れて行くことはできるけど飲ますことができないってまさにあれやと思うから、僕はこうしたいと思うっていうことの提示はできるけど、それをするかどうか馬も考えるし、
なんかそんな風に対話をしていく、安心感の中で対話をして、お互いの共通点を見つけていくみたいな、そういうこうやりとりが実はもう1回大人も学び直せるっていうのが馬のすごい良いところやなって思うから、
平和っていうところから遠い感じがするけど身近な平和を気づかせてくれるし、その自分の心が平和じゃないときは結構馬が気づかせてくれることが多いから、馬は人の鏡とか、僕ら馬やってる人はよく言うと思うけど、まさにそれが自分を映し出してるから、
メタ認知になるっていうか、なんかそんなところは馬やってて、そういう部分が平和とちょっとつながっていくんじゃないかなって思って、このいうものが僕らは子どもにも感じてもらいたいし、子どもとも共有したいなって思うんで、
平和っていうところと馬っていうところの両方の共通点というか、つながるところはそういう何か日々の暮らしとか、馬との関わりの中にもたくさん平和につながるヒントがあるなっていうふうにはちょっと思ってます。
多様な存在との共生と暮らしの当事者性
なるほど。今の馬にいろいろ提示したりとかするっていうところは、価値観とか生き方全然もともとは違う、人間と馬って違う存在と、人間でもいろんな文化背景とか宗教とかいろいろな戦争ありますけど、そういった何か違いがあって戦争になってとかすると思うんですけど、
その時に馬と人間と全然違う生き物だけど、だけどその一緒にどうやったらできるかっていうことを試行錯誤して、共に生きるっていう道を作ることができるわけじゃないですか。そういったことを何か具体的な体験としてやることができるっていうところは、いろんなね、いわゆる多様な人たちと一緒に生きていくっていうことの良い練習、練習って言い方あれですけど、になるんではないかなっていうふうにちょっと思ったりしました。
だから本当に人と人間で一緒に生きていけるんだから、人間同士だったら余裕じゃねっていうか、そういうふうになったらいいなっていうふうに思ったりします。
さっきあの身体性とかっていう話もあったと思うけど、どうしても人ってすごい言葉だけのコミュニケーションにすごい偏っていきやすいと思うんやけど、馬はその言葉を言語としては持たないけど、体全体とかいろんなことでコミュニケーションとっているから、
人も言葉だけでないコミュニケーションが、なんていうのかな、こういう意見とこういう意見を対立させるっていうよりは、ちょっと一回一緒に火囲んでお酒でも飲みながらとかお茶でも飲みながら、ちょっとこう同じ時間を共有するっていうこととかの方が、なんかもっといろんな接点というか、お互いが歩み寄れるものが探せるんじゃないかなって思ったりすることもあるんで、
全部がね、そんなやり方やってたら、今の現代社会では時間がかかりすぎたりするかもしれんけど、でも結構やっぱ対話するとか、なんかそういう時間はすごい大切やなって思う。
馬と人っていう関わりの、さっきはちょっと話をしたけど、実は馬を中心において、馬のためになんかやると、人と人の対話も結構自然に生まれるから、そういう意味でも平和につながるというか、
信頼関係を築いていくときって、ある意味なんか、共有した時間の長さとか、共有する回数とか、そういうものでだんだんと深まっていくんかなとも思うから、効率よく人間関係を作るとか、短時間で愛情を伝えるとか、そんな愛入れないというか、結構信頼関係作れたりとか愛情を感じたりするときって、
効率とかよりも、どれだけ無駄なっていう言い方、ちょっと語弊があるけど、無駄な時間を誰かのために使えたかみたいな、無駄じゃないんだけどね、それは無駄じゃないけど、そういうこうなんか意味があることだけやるっていうんじゃなくて、なんかそういうものが結構馬を中心にすると、馬のためにって思って力を出していることが、実は自分を元気にしてくれてたりとか、
一緒にやってる横同士のつながりを生んでくれたりするっていう副産物的なものも大きいなって思うんで、なんかそういう馬と人っていう対話だけじゃなくて、馬を中心において人と人がつながるっていうことも結構平和につながるなって思う。
たしかにあのうちに放課後来てる子たちなんかは結構テンでバラバラ遊んでるんですよね、学校から帰ってきてしばらくは。まあ何人かグループ作って一緒に遊んだりはしてるけど、全員みんなで一緒に何かするっていうことはないっていうかなんだけど、夕方はみんなで馬も含めて他の動物たちのお世話の時間っていうの作ってて、みんなでやるんですよ、手分けしながら。
それがなんかね、あるおかげか、バラバラに活動しているようで、それぞれやりたいことやってるようで、なんかどっかで繋がってるっていう感じが生まれてて、いわゆるそれぞれやりたいこととか、やっぱり価値観が違うメンバーなんだけど、でも仲間としてそこにいるっていうのが、そういった作業というか、馬のお世話とかっていう、動物の世話を通してつながれるんだっていう感覚が、
なんかうちの現場っていうか、子供たちと一緒にやってる場の中で、生まれてるなーっていうのは思いますね、見てて。すごくなんかわかる、納得。
そこやと思う。そこ、本当に今、馬との暮らしっていうのをすごい俺らは大切に今してるんやけど、暮らしがすごい重要やなって思ってて、今、本来やったら昔の日本の暮らしの中にはあったんやと思うんやけど、
お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん、子供、孫、いろんな人たちで家族とか暮らしを形成してるけど、みんな何かしら役割は違ったりできることは違うけど、暮らしの何かを担ってるっていうか、役割があるっていうことが結構重要なんちゃうかなって。
でも、いろんなこう、時代が進んで便利になったり豊かになったことによって、子供が暮らしの中に参加しなくても、勉強をその間しといてとか、大人がやった方が早いとかってなってくると、子供が暮らしの中にいなくなるっていうか。
でも、それを今の現代社会でも馬がいる場所では自然にできるっていうのがいいなって思って。別に強制力がなくても、結構子供たち馬のために何かいろいろやってくれるし、当然程よくサボったりもするし、全くしないとこもあるし、でも暮らしってそういう余白がいいと思うよね。
でも、誰かがやってくれてる中に自分がおるっていうのを感じてるだけで、いつかその子も気づいて、馬のために暮らしのために自分ができることをやるようになると思うので、馬がいる場って、それこそ乗るサービスとして僕らがもし馬のことをやってたら、乗馬しに来た人は乗馬をして、で終わったら軽く手入れはするけど、
本当の手入れはスタッフが終わってからやるとか、乗る前の準備は全部スタッフがやって、で馬小屋掃除は基本お客さんはしないみたいな、そういうサービスいっぱいあると思うんやけど、暮らしの場合は別にそういうサービスとしてやるっていうんじゃなくて、暮らしの仲間として一員としてやるから、
子どもたちが乗ることもするし、手入れもするしっていうのが自然とこう理屈なしに入っていくというか、そこがすごく馬がいると暮らしを取り戻せるなって思うし、自分もそこの一員なんやとか役割があるんやっていうふうに思いやすい。
あとはあれかな、そこにいるスタッフがやってることの意味付けを丁寧にする必要はあるかなって思う。馬に乗ったから手入れをしようとか、なんかすごいそういうちょっとしたワードなんやけど、結構重要。じゃあ馬乗らなかったらやらなくていいんやになったりとか、
そういうこう何気ない暮らしの中での発する言葉が、実は日本の中ではずっとそういうのを大切にされてきたんやと思うね。おじいちゃんおばあちゃんが言うこととか、ご飯を食べるときの何ていうかな、行儀のこととかいただきますとか、そういうこともなんかさせられるというよりは、なんかそこに面白いからやるとかじゃなくて、
ただそこに感謝をしている大人がおるとか、なんとなくこう食べ物にはお米には神様が宿っててみたいなこととかね、なんかそういう意味付けとかが馬がいる場ではすごいやりやすいし、サービスとして馬と関わるんじゃないっていう部分をすごく大切にしてるんで、
それはさっきのね、入り口のところで話した平和とかにつながっていく大切な日々の積み重ねのような気はする。はい、ちょっと話がとってなかったしまいましたが。
内面の平和と馬という鏡
聞いてて思ったのは、生活のいろいろね、ことはいいから勉強してなさいってなると、なんかこう自分自身のなんかその当事者性というか、自分も社会の一員なんだっていうところのなんか感覚っていうのが薄れていくような気がして、
まあなんか小さな社会だけどその一緒に関わってる、まあうちだとその三陸駒舎という牧場、それぞれの牧場で役割があって、で僕もその牧場を一緒に作ってるんだっていう、社会を一緒にこう作ってるっていうような感覚っていうのがやっぱすごい大事。
うん、それがなんかないから一言になったりとか、世界が平和じゃない状態に関して、自分、だからそのね、そういうのはいい、そういうのなんかいろいろこう生活は大変だけど置いといて勉強だけしてなさいってなると、なんか関係なくなっていくじゃないですか、なんかその周りの出来事と。
そういった繋がりの中で生きてるんだっていうような感覚を、特に馬とか大きな命を預かってるから、よりなんかリアルにね、まざまざと感じるというか、そういったことが起こりやすいよねっていうふうには聞いてて思いました。
本当そう。当事者性とか当事者意識を感じさせてくれるなって思う。それが理屈抜きにっていうところがすごいなって思う。なんか例えば今うち娘が2歳になったんやけど、
あの俺とかね、妻がこう台所で料理してたら必ずキッチンで自分もやりたいし、自分が切った野菜が入ってる味噌汁とか、それをうまーとかおいしいとかって言って親が食べてるのはめっちゃ嬉しくなって、なんかそこってすごい当事者意識っていうか関わってるから見てみてみたいなことがすごい起きてきて、
自分もそこの当事者で、料理であっても当事者で、家のことも当事者になるし、地域のことも牧場のことも当事者になるっていう、なんかあの今うちサマーキャンプやってるけどリピートして来てくれる子たちがだいたい7割から8割いるんですけど、
それって馬がいることはすごい重要なんよ。あの馬のこと大好きやから。でも今日、あの自然の中に行くのも楽しんでるし、で今日みたいにお盆の時やったらサマーキャンプ中に里帰りで一般の人が来たりもするんよね。
そうすると一般のお客さんに対してサマーキャンプに来てる子どもたちが、リピーターの子たちはこんにちはとか言って、めっちゃ自分から声かけてさ、馬初めてですかとかって言って案内始めるんよね。で、この馬はこうこうこうでとかってすごい馬の説明してくれたりとか、
なんかね本当にもうまさに当時、お願いもしてないよ。してないけどもう完全にそこがそこで暮らして、短い限られた時間でも暮らしてるから結局いろんなことが当事者性になって、その期間だけでも自分の牧場になったりとかしてるん。
暮れてるからこそこんにちはって迎え入れるっていうその大阪の子たちとかが、なんかそれがねすごい本当に当事者性を持てるとそういうモードになるから、例えばそのなんていうかな今で言ったらふるさと教育とかであると思うけど、やっぱりその自分の暮らしている地域の中に当事者性が持てたら県外に出てても地元のこと気になるしなんかできることないかなとか言って、
いつか戻りたいなとかっていう風になるんかなって思うから、子供は勉強しとけばいいよってなると暮らしの中に当事者性がなくなっちゃうからさ、そこはすごい後々いろんなことをこじれていく、こじれるというか当事者性がある方がいろんなことがつながっていくんちゃうかなっていう風に思うかな。
馬いるとほんとそれで、なんか自然となるよね。馬の世話とかさ、そんな連続じゃないな。
しかも大きな動物いるって力も必要だったりとかするからお世話するのに、そうすると一人でできないっていうか、巻き込まれてみんなが当事者になろうってじゃなくて、いつの間にかそうなってて、馬と一緒にやってると。
いつの間にか巻き込まれてしまってるみたいな感じもあるし、そこで何か複数で、みんなで、一人じゃなくてみんなでやるっていうところにおいても、何だか協力したりとか助け合いながらやってたりとかする。
それは別に、あいつのことそんなに好きじゃないしって思ってても、一緒にやっていく中で、別に好きとか嫌いとか超えて一緒に生きるっていうか、一緒にその暮らしを作るっていうところに行けるような気がしてて。
親友がいろんな国にいて、それで戦争が防がれるっていうこともあるかもしれないけど、好きとか嫌いとか超えて一緒にいるっていう感覚も、馬と一緒にやってると、馬を介して繋がれるっていうか、そういうこともあるなっていうふうにちょっと思いました。
あとさっき、もうちょっと前に話してた中で、個人の中の平和みたいなものも話がちらっとあったと思うんですけど、馬とやってる時も自分の中でザーザーしたりとか、いろいろしてると上手くいかなくて、自分の中の気持ちが落ち着いてたりとか、静かであったりとか、いわゆる平和の状態というか、
自分の中の内面ってすごく、馬は鏡だってよく言いますけど、自分の中の内面がザーザーしてたら、それが映って上手くいかないことがあるので、そういったことを気づいたりとか、そういう時にどうやったらそういう平和な状態に自分の中の状態を持っていけるかっていうことを学んでいく、すごくいい先生にもなり得るんじゃないかなっていうふうに思ってます。
その中で僕が一番最初に話した心身一致の状態というか、馬はそのあたりが上手で、いわゆる調和して安全安心のところに来ると、スーッと静寂が訪れるというか、静かって何て言うんだろう、ズレがなかったりとか、相手とのギャップがなくて綺麗にピタッと合ってるみたいな感じですけども、一緒に例えばリード、引き手を持って一緒に走ってる時も、
自分と馬との間に何かズレがなくて、ピタッと合ってるとなんか気持ちシンクロしてるような状態になったりもするので、なんかそのようなことを思ったりもしました。
番組の締めくくりと今後の展開
で、まあまあいい時間になってきたんじゃないかな、ちょっと僕スタートの時間見てなかったんですけど、後半に続くという形にしたいと思いますが、よろしいでしょうか。
お聞きいただきありがとうございました。本番組は毎月第1、第3日曜日の朝7時に更新されます。チャンネル登録や番組のフォローをお願いします。
概要欄にお便りフォームのリンクがありますので、コメントや質問などをお寄せください。それでは良い1日をお過ごしください。ありがとうございました。
並べても届かないものが 力で引けば固くなり背を向けて
水飲み場へ誘うように ただ安心を差し出す
争わない強さを群れは知っている
風の中を逃げてゆくが一人の支配じゃない
絆を体が重なるとき静寂が落とし草の重さ
好きや嫌いを超えて暮らしのは小さな役目が
当事者へと変える人を認める
34:24

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