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足さない、急がない、装わない、私はもうある、しょうこのわーままラジオ。皆さんこんにちは。このラジオでは、考えすぎる頭が静かになる、焦る気持ちが落ち着く、そんなラジオです。
私はもうある、足さない、急がない、装わない、それでも人生は美しく育つ、おテーマに発信しています。改めまして、こんにちは。
今日は早速なんですけど、変わりがいても私は消えない、というテーマで話しています。
前回も似たようなね、自分の存在価値を相手に委ねてないか、なんてそういうテーマで話してたんですけど、今回は変わりがいても私は消えない、というテーマで話してみたいと思います。
なんでこれを思ったかというと、私は今、育休中なんですが、ふと思ったことがあって、育休中に仕事、職場のね、私の持っていたポジションの仕事が、私なしでも回っているんだよなーって、それを知ったときにちょっと胸がざわついたっていうこと、私っていなくてもよかったのーなんて、これを思ったんですよね。
なんで、きっかけもありまして、そう、職場の方がメールをくださって、そのやり取りをしているときに、今こんなことがあるんだよ、これが大変そうなんだよーって、私がやってた仕事、○○さんが今やってて、こんな感じなんだよーって、向こうからしたら、今の現状をただただ伝えてくれているだけなのに、それを聞いたとき、私が勝手にね、そう、
ああ、私がいなくてもね、いいんだ、仕事って回るんだよなーって、まあもちろんそうなんですけど、そうなんだけれども、なんだかこう、胸がざわついたっていう、こうちょっと、どうしてこんなに怖いんだろうって考えたんですよね、そう、誰かが自分の役割を代わりにやってくれている、それを聞いたとき、見たとき、なんとも言えない気持ちになる、あの感覚、皆さんもありませんか?
うん、あとは、こう、旦那が自分の代わりに子供をあやしてて、子供がすんごい楽しそうな、あの笑顔を見せているときとか、すごく素敵なことなんだけれども、どこかでなんか、ああ、私じゃあこんな笑顔出せないよなーなんて思っちゃったり、うん、自分がいなくても、なんだか家がきれいになっていたりだとか、そう、ね、私じゃなくてよかったんだなーなんて、こうちょっと足元が、こうふわふわになって、
ふわっとするような感覚があったんですよね。けれどもこれって、こう、その感覚の正体に、私はちょっと気づいたことがありまして、うん、何かというと、役割と存在を、私の中でごちゃごちゃにしちゃってたんですよね、そう、役割と存在について。
例えば、ご飯を作るっていう役割は、確かに私じゃなくても誰か代わりにできるじゃないですか。旦那もできるし、うん、でも、私がご飯を作るという行為は、誰も代わりに経験できないですよね。
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うん、どんなことかというと、その行為には、その家族のためを思って、そう、家族が喜ぶかを想像しながら味付けを考えた私の時間であったりだとか、そう、笑顔を見せたいなと思って、こう、レシピを考えている時間、ご飯を作る行為ですよね、そう。
あとは、それは誰も引き継げないものだと思うし、うん、ただご飯を作るっていう役割は、確かに誰かとの交換可能だけども、その役割を担ってきた私っていう、その今までの経験だとか歴史っていうのは、もう誰とも交換できないですよね。
私たちは、こう、いつの間にかそうやって、その役割イコール自分の価値って思っていることがあると思うんですよ。役割が自分の価値であるという。
どういうことかというと、ママという役割、妻という役割、職場でのポジション、役割、その役割がうまく果たせているときに、自分の価値をなんだか感じてしまっている。
だから、その役割がうまく果たせている自分が価値を感じているわけだから、その役割を誰かが代わりにやれる、やってる、知ったとき、見てるときに、なんだか自分の価値が消えるような気がしてしまっているっていう。
やっぱりそれって、その役割に自分の存在を乗せてしまって、一緒に乗せてしまっているから起きることだと思うんですよ。
役割って、ただの、ただのって言い方あれですよね。役割は役割で、私ではない。役割は私が持っている、その機能の一部に過ぎないですよね。
なので、自分の価値っていうのは、その役割とは違う、役割の外側にあるっていうのを気づいたんですよ。
それに、代わりがいるっていうのをちょっと視点を変えてみたいんですよね。
代わりがいるって、最初の職場でね、私の代わりにやってくれてる方、本当にこれって私が不要ということなのかなって。
その代わりが機能しているっていうことは、機能していることはね、仕事が回ってるだとか、それに家事が回ってる、旦那がやってくれて家事が回ってるだとか、
それって機能しているだけであって、そこに私がいた意味がない、私がいる意味がないっていうのは全く別の話なんだよなって。
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ここをちょっと境界線を曖昧にしちゃっているから、ちょっと苦しくなっているんだなっていうのに気づいたんですよ。
なので、この役割に価値があるんではなくて、私たちはその役割を担ったという、自分という人間に価値があるっていうのに境界線を置いて考えると、こう違うんじゃないかなと思ったんですよ。
私が今まで感じたこととか、感じたこととか、経験してきたこととか、感じてきた喜びだったり痛みだったりだとか、それってみんなそれぞれ一つしかないじゃないですか。
だから、この似た役割を担う人はいるかもしれませんよね。仕事を引き継ぐだとか、家事をやってくれる、子守りをしてくれる。
その役割を担う人はいるかもしれないけれども、でも自分と全く同じ存在っていうのはどこにもいないし、その役割を担った人と自分が全く同じ経験をする、全く同じアウトプットをするっていうのはないですよね。
だから私はここで感じたことは、自分ってだいがい不可能な一人の人間なんだよなって、ちょっと辿り着いたんですよ。視点を変えてね。
そう思えると、この代わりがいるっていう事実が最初のより怖さが小さくなった気がしたんですよね。
もしこの聞いていただいている皆さんの中でも、この代わりがいる、あなたの代わりにやっといたよとか、今日変わっとくから大丈夫だよとか、そういった言葉になんだか胸がざわついているのなら、きっとそれはあなたも役割に対して自分の存在を重ねているサインかもしれないです。
でも決して悪いことではないと思うんですよね。そこでこうなんだか胸がざわつくってことは、あなたはその役割を一生懸命やってきた証だし、その一生懸命その役割を生きてきた証拠であるとも思うんですよ。
でもそれは役割であって、その役割があるからあなたの存在があるわけだし、私たちのそのあなたの存在っていうのはその役割よりずっと大きいものだし、役割は誰かに渡すことはできるけど、私自身、あなた自身がここにいる存在っていうのは誰かに渡すことはない。
今日伝えたかったなっていうのは、この役割と存在を混同するとき、私たちはその代わりがいるっていう言葉の恐怖に囚われるなって思いました。
でも私たちの価値っていうのはその役割の外側にある。はい、これが今日の気づきです。
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代わりは、役割は引き継げることです。でも私という存在は誰にも引き継げないし、私は大外不可能な一人の人間だっていうのを、今日の気づきとしてお伝えしたかったです。
いかがだったでしょう?皆さんちょっと最後に一つだけ、代わりがいるって感じたとき、皆さんは役割と自分自身を同意し、同じにしていましたか、いませんでしたか?
いかがですかね?この問いを今日、どこかで思い返してもらえたら嬉しいなと思います。
今日も最後までお聞きいただきありがとうございました。
それでは。