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#14 新コーナー『みんなの早期回想』たった1つの記憶からライフスタイルは読み解けるのか!?
2026-06-27 23:42

#14 新コーナー『みんなの早期回想』たった1つの記憶からライフスタイルは読み解けるのか!?

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📝 今回のあらすじ・ハイライト

新コーナー『みんなの早期回想』、見切り発車でスタート! / たった一枚の記憶から、ライフスタイルは読み解けるのか!?

【一人目】ねずみ色のスズキの軽自動車と、いつも助けてくれた誰か / 「レポート」と「早期回想」、2種類の記憶の見分け方 / 悪い奴が一人もいない「災難型の危機」 / “いつも誰かが助けてくれる”という、世界への圧倒的な信頼 / 軽自動車から軽トラへ——世界が広がった瞬間 / 人に上手に乗っかれる才能

【二人目・タナさん】校庭の外側、砂利道まで爆走した子ども / 「同じレーンを走れない」という自己概念 / 万能感マックスと、素直さというチャーミングさ / ルールは覚えた、でも握りしめているのは“はみ出した記憶” / 枠に収まらない自分を、恐れなくていい

【ご質問】早期回想に「親」が出てこないのは、なぜ? / 登場人物は誰でもいい——大事なのは「小道具」と「その意味」


たった1枚の記憶からでも、その方の「ライフスタイル」、つまり、その人だけの“運動法則”が滲み出てくる。一人は「身を委ねて、流れに乗っていく人」、もう1人は「自分の足で、枠の外まで走っていく人」。同じ「幼少期の思い出」でも、そこに映る世界の見え方は、こんなにも違います。当たっているかどうかではなく、「この一枚から、こんな物語が見えるかも?」という妄想のプロセスを、温かい目でお楽しみください。あなたの心に残っている“たった一度の記憶”も、ぜひお寄せください。


■ パーソナリティ:あつくてゆるい(あつゆる)

アドラーを実践して10年以上。教育現場に身を置きつつ、アカデミックな哲学研究とカウンセリングの修行を重ねてきました。

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感想

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アドラー心理学ラジオ。この番組では、お手軽な自己啓発として消費されがちなアドラー心理学を、
哲学、カウンセリング、そして、科学の視点から深掘りし、本物の知性として語り直していきます。
いつもお聞きいただきありがとうございます。お相手のあつくてゆるいです。第14回、前回に引き続き、今回もちょっとゆるめにお送りしていきます。
というわけで、こんな企画をご用意しました。
みんなの早期回想。
みんなの早期回想。このコーナーでは、リスナーの皆さんから寄せられた幼少期、たった一度だけあった印象的な出来事の記憶、早期回想を、
私、あつくてゆるいが、あれこれ妄想を膨らませながら勝手に読み解いていくことで、ライフスタイルがちょっとだけ紐解けるかもしれないし、全く紐解けないかもしれません。
はい、というわけで、アドラー心理学ラジオ記念すべき初のコーナーということで、一気にラジオっぽくなったと、私自身勝手にテンションが上がっております。
ただですね、先に言い訳をさせていただくと、この企画、少々無謀なところがあります。
これまで長々と診断会をしてきましたが、ライフスタイルは正直、たった一つの記憶から読み解けるようなものではありません。
ですが、まあまずはやってみようという感じで、見切り発車でスタートしてみたいと思います。
読み解きが結果として当たっているかどうかじゃなくて、この一枚の記憶からこんな物語が読み解けるかも、という妄想のプロセスを温かい目でお楽しみいただけたら嬉しいです。
さあ、そんなわけで、本日は二人の方の記憶を読み解いていきましょう。
まずは一人目の方。
いつも楽しく聞いております。私の早期回想を聞いてください。
5歳頃の記憶です。
当時我が家は母子家庭で、私と3歳上の兄と母の3人暮らしでした。
母はよく私たちをネズミ色の鈴木の軽自動車に乗せて、あちこち連れて行ってくれたのですが、母は運転が下手で、路肩でしょっちゅう脱輪していました。
当時は携帯電話もなく、私たちも小さかったので、母は私たちを置いてどこかに助けを求めるわけにもいかず、3人で車を降りて途方に暮れる。
そういう時、いつも誰かが助けてくれたのです。
力を合わせて車を持ち上げてくれたり、ある日母はまた私たちを乗せたまま脱輪し、途方に暮れていると、一台の軽トラックから若い男性が降りてきて声をかけてくれました。
母の車が動かなくなったのか、なぜかそのお兄さんが軽トラに乗せてくれて、我が家まで送ってくれることになり、私は生まれて初めて軽トラに乗りました。
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その時の気持ちは、脱輪して家に帰れないかもしれない不安から、お兄さんが助けてくれてほっとした気持ちと、知らない人の車に乗ってちょっと不安です。
いやーめちゃくちゃ素敵な速回想ありがとうございます。
ねずみ色の鈴木の軽自動車、この細部の描写がたまりません。
これ最後にもう一度ここに戻ってこようと思います。
さてこのお便り、分析を始める前に皆さんにお伝えしておきたいことがあります。
この文章をよく読むと、2つの種類の記憶が混ざっているんです。
まず前半の、母はしょっちゅう脱輪していた。
そういう時、いつも誰かが助けてくれたという部分。
しょっちゅうとかいつもという言葉でわかる通り、これって一度きりの出来事じゃなくて繰り返された日常の話ですよね。
実はこれ厳密に言うと早期回想ではないんです。
早期回想の条件って一度きりの特定の場面でしたよね。
こういう繰り返しの日常の記憶は専門的にはレポートと呼んで、ちょっと区別して扱います。
えー、じゃあ分析に役立たないの?と思うかもしれませんが、そういうわけではなくて、今回の場合家族不知とか家族についての語りに近いものとしてライフスタイルを読み解くヒントになります。
そして後半のある日軽トラに乗せてもらったというエピソード。
ここは生まれて初めてと書いてある通り、まさに一度きりの場面。
ここが早期回想になります。
まずは前半の日常、レポートから見える世界像について見ていきましょう。
まず場面設定は車が脱輪して家に帰れないかもしれない危機。
ただ一言で危機と言っても、この一つの記憶を読み解く限りでは悪い奴が一人もいないのが特徴的です。
誰か意地悪な人がいるわけでも理不尽に怒鳴る敵がいるわけでもない。
お母さんの運転がちょっと下手でうっかり脱輪しちゃうという誰も悪くない災難型の危機なんです。
だからこの方にとっての世界というのは油断ならない警戒すべき怖い場所というよりもちょっと危なっかしいけど憎めない場所というような印象です。
そしてこの記憶の中で一際強いパワーを持っているのがこの一文です。
そういう時いつも誰かが助けてくれたんです。
このいつもという特大の誇張表現がこんなにもポジティブに使われている。
この方の根っこには世界は危なっかしいけど困った時には必ず誰かしかも身近とは言えない人ですら助けてくれるという他者への圧倒的な信頼感がどっしりとありそうです。
06:00
ここでちょっとこの方の家族の風景を想像してみましょう。
母子家庭でお母さんと3歳上のお兄ちゃんと3人暮らし。
お母さんは女で一つで自分たちを育ててくれ。
休みの日には車で子供たちをあちこち連れて行ってくれる。
もしかしたらお兄ちゃんはちょっとお父さん代わりみたいにお母さんを支えつつ、妹か弟であるこの方の面倒をよく見てくれていたのかもしれません。
そう考えた時にこのリスナーさんは末っ子としてお母さんとお兄ちゃんの2人のことをよく観察しながら上手についていく。
そんな温かい家族の中での自分の立ち位置みたいなものが浮かんでくる気がします。
途方に暮れる時もいつも3人一緒だったというように危機の場面でも決して孤独じゃないところにもこの世界への信頼感が現れているようです。
ではいよいよ本題の早期回想。ある日軽トラに乗せてもらった場面です。
ここでまず注目したいのが動詞です。
この早期回想、実はご自身が主語になっている能動的な動詞がほとんど出てきません。
お母さんが乗せてくれる。見知らぬお兄さんが声をかけてくれる。
軽トラに乗せてくれて送ってくれる。
動いているのはいつも周りの大人たちなんですね。
ただ一箇所だけ最後に私は生まれて初めて軽トラに乗りましたという能動的な動詞が出てきますが、
それ以外は終始乗せてもらう側、してもらう側なんです。
これ決して否定的な意味で言ってるわけじゃなくてですね、
むしろこの方の世界への上手な乗っかり方がすごく素直に出ているなと思うんです。
お気づきかもしれませんが、この方も私と同じ乗り物の記憶です。
しかも面白いのが乗り物が乗り変わっていること。
お母さんの軽自動車から見知らぬお兄さんの軽トラへ。
だから生まれて初めて軽トラに乗ったのをはっきりと覚えている。
信頼できる相手が家族から世界そのものへと一歩広がった瞬間だったのかもしれません。
私のケースでは乗り物を人生のハンドルを自分で握れるかどうかのメタファーとして解釈しましたが、
それを今回も当てはめてみると、この方は終始乗せてもらう側です。
でも私のあの後部座席の恐怖とは質がまるで違うと感じていまして、
私のは無力に連れて行かれる怖さ。
対してこの方は身を委ねれば誰かがちゃんと安全な場所まで運んでくれるという安心感みたいな印象ですね。
ここから読み解くに、ライフスタイルのタイプ分類でいうと、
この方の場合、人を信じて頼ることができるベイビータイプに近いのかもしれません。
人に頼れる、上手についていけるってめちゃくちゃ立派な才能です。
09:05
この方、ちゃんと最後に感情の描写を送ってくださっています。
感情っていうのは早期回想でめちゃくちゃ重要なんですが、
記憶が危機管理マニュアルなのか、それともオアシスの地図なのかというのをひも解く上で、実はめっちゃ重要なんですね。
この方の場合、ほっとした気持ちと知らない人でちょっと不安。
これ、言うなればオアシスがほとんどだけど、危機管理の要素もちょっぴり混ざっているという感じでしょうか。
手放しで安心しきっているわけじゃなくて、心の中では知らない人でちょっと不安だなって感じている。
でもその不安を嫌だとか乗らないって外に言い出すことはなくって、
お母さんやお兄ちゃんと一緒にその場に身を委ねてスーッと流れに乗っかっていく。
能動的な動詞の少なさも含めると、どちらかというと自分でガツガツ行くより、
信頼できる流れに上手に身を委ねていく。
そういう運動法則というか生き方の型なのかなと思います。
この方にとって世界って温かい場所なので、大きく困ることはないんでしょうけれども、
時々周りのペースに振り回されたり、もやもやを言い出せないまま流れに合わせちゃうようなところもあるのかもしれませんね。
最後に冒頭の車の色の話をしておきたいのですが、この方の原風景に出てくる車、ネズミ色なんですよね。
ピカピカの新車でもなく派手な色でもなくネズミ色。
地味で素朴で目立たない色。豪華さじゃなくてすつましい温かさ。
この色の選び方一つにこの方が本当に大切にしているものが出ている気がするんです。
母子家庭でもしかしたら決して物質的に豊かじゃなかったのかもしれない。
でもその素朴な情景を宝物の原風景として握りしめている。それがすごく素敵だと感じました。
そしてこの素敵な記憶を踏まえた上でもう一つだけ知ってみたいなと思ったことがあります。
それはこの方が自分から動いた場面の記憶です。
先ほども言った通り人に身を委ねるというのは世界への深い信頼がある証拠で本当に素晴らしい才能です。
ただだからこそそんな安心できる世界の中で一体どんな能動的な動詞を選ばれるんだろうか。
人に委ねるという素敵な得意技を持つこの方がご自身の足で一歩を踏み出すときどんな風に世界と関わるのか。
そこが見えるとこの方のライフスタイルがさらに立体的になってきそうだと感じました。
続いて2人目の記憶。
田中さんからいただいた早期回想です。
私は幼稚園の頃都教操が得意でした。幼稚園の運動会では一番になった記憶があります。
12:03
そして小学校に上がって1年生の最初の体育の授業か何かで都教操があったのです。
先生がその都教操の説明で前の人を追い抜くときは外側から抜いてくださいと言いました。
私はその言葉を真面目に受け取りました。
そしてレースが始まると前の子を抜くために大きく外側へ膨らみました。
トラックの外側さらにその外側、校庭の脇の砂利道あたりまで回り込むような勢いで走ったのです。
当然ながらレース後に先生から優しく注意されました。
先生の言う外側は前にいる人のレーンの少し外側という意味ですね。
でも当時の私は足の速さに自信があったのか、外側ならもっと外側の方がいいと思ったのだと思います。
この出来事は60年近く経った今でも覚えています。
というかことあるごとに思い出すエピソードです。
もちろんそれはこのエピソードは私自身をよく表していると思っているからです。
この経験が自己高揚感が高い傾向の自分が社会に適応するために、
感情や行動を抑えることを始めたきっかけだと思っているんです。
なので私の中では皇帝の外側まで走ってしまった子供というのが自分の原風景の一つです。
はい、田中さんの記憶でした。
トラックを飛び出して砂利道まで回り込んで全力疾走する小学1年生。
めちゃくちゃ微笑ましい光景ですね。
場面設定を見ると自分の足でレースを走り抜くと競争ですね。
だから第一印象としては自らの足で道を切り開いていくドライバー的なライフスタイル。
さっきの乗せてもらう記憶の方とはこれだけでも手触りがまるで違います。
それでですね、まず注目したいのがこの一文です。
皇帝の外側まで走ってしまった子供というのが自分の原風景の一つです。
私ですね、この一文に田中さんの自分とはこういう人間だという自己概念がはっきり現れているなぁと感じたんです。
つまり自分は人とは同じレーンの上を走れない、レーンをはみ出しがちな人間であるというような
パッと聞いた感じだと少々ネガティブにも聞こえる自己概念をお持ちかもしれない。
そんな可能性を視野に入れつつもう少し詳しく見ていきます。
都教授が得意で幼稚園で一番になってまさに万能感MAXな田中少年。
小学生に上がってワクワクドキドキの最初の授業。
先生から前の人を抜くときは外側から抜きましょうと言われてその言葉を愚直に受け取った田中少年は
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その期待に応えようと思ったのかガーッと勢いよく若干空回りしながら走っていっちゃう。
あとはご自身で自己高揚感つまり自分ならできるという前向きな気持ちが高いとおっしゃっていますが
これはすごい強みだという前提でただそれを出しすぎちゃうとつまりオーバードーズしちゃうと
自分の万能感の中で周りが見えなくなっちゃうというか
子供ってそういうマイワールドに入っちゃうことよくあると思うんです。
でも田中少年のすごく素敵なのが先生から優しく注意されたって言っているところからもわかるように素直に聞けるんですよね。
ああそれは違うんだみたいなことをちゃんと受け止めていく。
ただ暴走して走って自分を否定されて辛かったみたいな感じじゃなくて期待に応えたいとか素直に聞けるチャーミングなところがあるように感じました。
そして田中さんはこの記憶が自分を抑えるきっかけになったとおっしゃっています。
つまりやっぱりそれじゃいかんのやと。
人と競争する時にはちゃんとルールを守ってレーンの枠の中で走らなきゃいけないんだって。
それは頭でちゃんとわかっていらっしゃるしおそらく普段から上手にやられている。
だけどここがすごく面白いところで60年たった今でも握りしめているのはちゃんとレーンを走れた記憶じゃなくて外へ飛び出してしまった記憶の方なんですよ。
数え切れない過去の中からわざわざ枠に収まらない自分を原風景として選んでいる。
これ私なんとなくわかると感じていまして私自身にとっての完璧主義とか喧嘩のエピソードと多分似たところがある気がするんです。
人生経験を積んで普段はうまくバランスを取れるようになってきたのにふとした瞬間にまた極端にやりすぎちゃう自分とか
抑えきれない自分の根っこの衝動が顔を出すんじゃないかと私自身ちょっと恐れているところがありまして
棚さんももしかしたら心のどこかでまた枠をはみ出してやりすぎちゃうんじゃないかとご自身のその有り余るエネルギーを少し警戒していらっしゃるのかもしれません。
ただですねここで私が一番お伝えしたいのはその枠に収まらない自分をネガティブに捉える必要はないということです。
決められたレーンの内側をただお利口に走り続けることが正解とは限らないですよね。
世の中枠を飛び出した人が新しい道を切り開いてきたわけです。
しかもあの走り方を思い出してください。
内に縮まるんじゃなくてトラックの外さらに砂利道まで外へ外へと膨らんでいく拡張のエネルギー。
自分の世界をもっと広げたい枠の外にもっと面白いものがあるはずだという衝動。
あるいはエネルギーが豊かすぎて夢中で走るうちすい外まで行っちゃう。
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これ立派な持ち味だと思うんです。
田中さんはちゃんとやらなきゃという理性とつい自分のペースで走ってしまう衝動との間でこれまで葛藤もあったのかもしれない。
でもこれからはその飛び出す力を恐れるんじゃなくて
ご自身の良さとして、時には思いっきりエネルギーの赴くままに走らせてみてほしいなと感じました。
ちなみに田中さんからはこんなご質問もいただいています。
早期回想というと親とのエピソードが多いイメージですが、私の両親は自営業、友働きで本人だったせいか、
親との思い出よりも学校や友人、自分一人の体験の方が記憶に残っています。
親に不満はないんですが、これってアドラ的にはどう解釈するんでしょうか。
まずですね思いつくのは、家庭の中に生き残りをかけた危機があまりなかったという可能性です。
親からの理不尽も兄弟との激しい競争も少なければ、そもそも家の中で必死に戦う必要がないわけですよね。
だから強烈な記憶が家の中には残りにくい。
棚さんの親の記憶がないのは欠けているんじゃなくて、むしろ安心して外の世界へと飛び出していけた証なのかもしれません。
そしてもう一つお伝えしたいことがあります。
実は早期回想にどんな登場人物を使うかは人それぞれ違うんですよ。
これですね当たり前のことを言っているように聞こえるかもしれませんが、
要はみんな自分の使いやすい小道具を都合よく選んで、そこに自分のライフスタイルを象徴させているんです。
私の場合父親とか乗り物とかがやたら出てきたじゃないですか。
そんな感じである人は親を引っ張り出すし、ある人は学校の先生を持ってくるというわけなんです。
でもここが大事なところなんですけど、たとえ出てくるのが親だろうが先生だろうが、一段階抽象化してしまったらどちらも目上の人というメタファーとして、もしかしたら同じように読めるかもしれない。
だから登場人物が誰であるかそのものは実はそこまで重要じゃないです。
その人がどんな小道具を選ぶ癖があって、そこにどんな意味を込めているのか、
そこさえ読み解ければ登場人物が親だろうと先生だろうとライフスタイルはちゃんと見えてくるというわけなんですね。
新コーナーみんなの早期回想いかがだったでしょうか。
一人目の方の軽トラに乗せてもらうという他者に身を委ねる安心感の曲。
そして二人目Tanaさんの自分の足で砂利道まで爆走しちゃうというエネルギーに満ちた曲。
同じ幼少期の思い出でもそこに映っている世界の見え方も選び取る動詞もまるで違いましたよね。
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たった一枚の記憶からでもその方のライフスタイル、固有の運動法則が滲み出てくる。
そんなことを感じていただけたんじゃないかなと思います。
改めて素敵な記憶を送っていただき本当にありがとうございました。
さてさて次回からはガラリと趣向を変えて科学編に突入します。
ここまでアドラシン理学は科学よりフィクションのノリで捉えるものだという話から、
ライフスタイルというその人だけの主観的な物語、まさにフィクションど真ん中の世界をずっと探求してきました。
でも賢明な皆さんの中にはこんなモヤモヤをお持ちの方もいるかもしれません。
フィクションフィクションって言うけど、やっぱり結局エビデンスのないこじつけに思えるんだよな。
これすごく真っ当な違和感だと思うんです。
私たちが生きているこの世界はやっぱり科学やエビデンスで動いている。
フィクションだからといって科学に一切目を向けないのはそれはそれで違うんじゃないか。
私自身もそんな疑問を持ってアドラーの言っていることと最新の科学がどう繋がるんだろうと思って調べてみたんですが、
これがめちゃくちゃ面白かったんです。
というわけで科学編の一発目としてお届けするテーマが脳の予測モデルについて。
人間の脳がそもそも世界をどう捉えているかという最新の科学です。
これと100年前にアドラーが語ったライフスタイルが実は驚くほどピタリと重なってくるんです。
ただのこじつけだと思っていたあの話が最新の脳科学の言葉で見事に裏付けされていく。
もしかするとアドラーは科学が追いつく100年も前に人間の本質をつかんでいたのかもしれない。
そんなワクワクするお話をしていきますのでぜひ楽しみにしておいてください。
番組では引き続き皆さんのお便りを募集しています。
概要欄から気楽に送ってください。
今回のみんなの早期回想も今後もたまにやっていきますので、思い浮かんだ記憶があればぜひお待ちしています。
この番組が気に入っていただけましたらぜひ番組のフォローをお願いします。
アドラー心理学ラジオ第14回お聞きいただきありがとうございました。
ご相手は熱くてゆるいでした。
23:42

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