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どうもー、めぐです。
今日はですね、朝のジャーナリングから気づいたことをお話ししたいと思います。
最近私、もっとシンプルに自分のやりたいことを楽しんでいいんじゃないかなって思うようになってきたんですね。
今日、ジャーナリングしてみて。
でもそう思った時に、なんとなくシンプルに楽しめたらいいなと思うんだけれども、
なんとなく心に引っかかるものがあって、それって何かなってノートに書き出してみたら、
どうやら自分の中にやっぱりちょっとした罪悪感があるんだな、
それがモヤモヤとして残っているんだなということに気づいたんです。
例えば、明日、私は沖縄のミヨのエイサーっていうイベントを見に行くんですよね。
そのお仲間の皆さんと一緒に見に行って、夜は一緒に沖縄の音楽を楽しめる居酒屋さんに行く予定なんですよ。
これめちゃくちゃ楽しみなんですけど、この楽しみの一方で、
夫は仕事だし、子どもたちを家に残して夜まで出かけることに後ろめたさがあるんですよね。
以前に比べて、私が外に出たりだとか、遊びに行くこととか、自分の活動をすることに、
自分にも少しずつOK出せるようになったり、家族もそこに少しずつ理解をしてくれているようにはなっているんですけど、
それでも100%、じゃあお母さん行ってきます!みたいな、そういう趣には慣れていなくて、
やっぱりどこか申し訳ないな、みたいな後ろめたさがまだやっぱり残っているなって思っているんですよ。
その時に、今回その罪悪感を手放した方が、手放して100%楽しみ尽くすべきなのかなとか、
そういうことがシンプルなのかなと思って、ノートに自分が思うことを書いていた時に、
今回その自分の楽しみが円グラフの中で100あることの中に、どれくらい罪悪感が残っているかなっていうので、
罪悪感が残っているところを円グラフにしてみたんですよ。
そしたら、その罪悪感って楽しみ100のうちに、20%か25%くらい罪悪感が残っているなって、
100%楽しめるようになった方がいいのかなって思ったんだけど、
その罪悪感25%円グラフの中に残っているその絵を見た時に、
それがすごくなんか嫌なことかな、それってダメなことなのかなとかって考えた時に、
その円グラフを見たら、全然自分の中で嫌だなって思わなかったんですよ。
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そう思った時に、100%楽しんでいたのはまるで、
罪悪感を持っていたら罰ってそんなことはないんじゃないかなって思ったんですよね。
何でかっていうと、その罪悪感自身って何で生まれるんだろうと思ったら、
それって申し訳ないっていう気持ちの裏に、家族のことを大切に思っているから、
ちょっと自分が楽しむところに気になったりしても、そんな自分もいていいんじゃないかなって思ったんですよ。
自分の人生を楽しみ尽くす中に、自分の中では自分も大切にしたいし、
家族も大切にしたいっていう思いがやっぱりあるから、
その中で100%振り切って楽しむことも大切かもしれないけれども、
その罪悪感っていうのが罰ではなくて、
家族のことも大切に思っている自分もいるからそう思っちゃったっていいんじゃないかな。
100%楽しんでいいんだよっていうことにも許可を出していいし、
罪悪感っていう言葉にしちゃうとあれだけれども、
それを持って楽しんだって、それすらも許可を出していいんだよって思ったんでしょうね。
そしたら、自分の中でもやもやシンプルじゃないことに、
シンプルに楽しめない、100%振り切って楽しめない、
うしのめたさがないほうがいいんじゃないかなって思ったけど、
それすらもあっていいんだって思えたら、
なんかね、今日もやもやって思ってたことが手放せたんですよ。
自分の人生楽しむっていうことは、ネガティブな感情を全部なくすことじゃないんだなって、
楽しみもあるし、ちょっとしたうしのめたさもある。
でもその両方持ったままやりたいことをやっていい。
100%楽しめなくてもいいし、100%楽しめたっていい。
どっちの自分にも許可を出してあげたいなって、そんなふうに思いました。
皆さんはどうでしょうか。
自分のやりたいことを楽しむときに、心の中の罪悪感って何パーセントくらいありますでしょうか。
その罪悪感っていうのは、90%締めてたら苦しいですけども、
それがちょっと残ってたって、それだっていいんじゃないかなって思った。
そんなお話でございました。
ということで、今日も心地よい向こう側へ。
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それではまたね。