それで自分たちの現場とかやってることとか、馬の力みたいなものをどうしたら伝えられるかなっていうのがあって、最初の頃なんか言葉にするとなんかうまく伝わんないなみたいな感覚もあったりしたんですよ、っていう
のはなんかマットのやってる体験って自分の中にあって、感覚というか、言葉にするってそれをなんか変換する必要もあるし、言葉として、
で、なんかそこから取り出した時に全部取り出せない感じがあって、変換効率で半分ぐらいになるし、みたいな、なんかうまく言葉に仕切れてないぞみたいな、で、なんか全部は体験感じてるものとかを言葉には仕切
れない感覚があったので、救い取るけど指の間からこぼれ落ちてくような、なんか救えたものほんとわずかでこぼれ落ちてこうが多いぞみたいな感覚があったので、なんか言葉になかなかできないなみたいな感じはずっと
ありました、なんか。
で、その時にいろいろ試行錯誤する中で、なんか言葉の使い方とかどういう言葉をそこに当てるかみたいなところは大事だなっていう、同じなんか乗馬してて、なんかそこで経験してるものを表す時にどういう言葉を使
うか、まさにでも前回のハーモニカリッジの理念とか言葉にするとして、それが自分たちの言葉になるっていう、なんかしっくりする言葉を探すみたいな感じだったりとかするかもしれませんけど、
ざっくりなんか心地いいって言っても、いろんな心地よさがあって、なんか、とか楽しいって言ってもね、楽しさもいろいろあるじゃないですか、なんか。ただただなんかワクワクして、なんか体がウキウキするみたいな
感じもあれば、いろいろこうなんか頭使って考えるんだけど、それ考えること自体が楽しかったりとかするときの楽しさってちょっとこうなんか動きが違うような気がして、
そういったこう言葉のその使い方みたいなところがまず一ついろいろあるなあっていうふうに思ったっていうのが、やる中でこう経営なんだ、思考する、作法する中であったっていうのがあります。で、それでこうまあいろ
いろ学問っていうか先人たちの心理学とか哲学とか、このポッドキャストでもちょっと出てきた中道体なんかまさにそういうところからの学びだったりとか、
そういうふうに言えるんだみたいな、一緒にやってる感じみたいな。そうするとなんかいろいろいった哲学、社会学とかもそうだし、文化人類学とか、いろんな学問領域で使われている言葉とか考え方とかは、なんかすごく
馬の世界をこう表すのに、言い表すのに、これは活用できるなみたいなのが一つありました。
結構その言葉の定義とかを精緻にというかしないと話が学問が特に進まないので、曖昧に使っててね、Aさんが使ってる言葉とBさん使ってて、同じ単語を使ってても意味合いが違うとずれてくるじゃないですか。そのあた
りなんかこう言葉が、語彙が揃ってくると、ある子供と馬との何かのやりとりのところをきれいにというか、ちゃんと正確に言い合わすことができるというか、捉えることができてくるなあっていうのがあったりとか。
お互い共通言語があると、結構話が早かったりとかするってこともあります。なんかですね、なんかいろいろ、うちだと週1回、1週間会ったことのケース検討みたいなのをやったりする時間もたまに取ったりするんです
けど、その時の話が、語彙が揃ってるとどんどん深めていくことができるので、
それってこう、その子の行動の背景にはこういうことが言えるよねとかっていう、こういうことが言えるよねっていうのを1日から説明するとすごく時間かかっちゃうけど、まるっとその何かある心理学の言葉を使ったり
すると、話が次にまた展開していくっていうのがあるので、っていう感じはあります。
で、さっき言ったように、週1回そのミーティングがある中でそういうケース検討もするし、なんか問題が起こればその都度話をしていって、僕も入って一緒に、実は今日こんなことあってね、大変だったみたいな話とか、
どう関わればよかったんだろうみたいなことをあらたこうだ話すんですけど、特にでも正解実はなくってやり取りしていくので、常に何か作り続けてるっていうような感覚があります。
現場自体も作り続けてるし、捉える時の言葉にするっていう今回テーマで言うと、それってどういうふうに言えるんだろうとか、現場で同じ場面見ててもいろんな捉え方ができたりとかするので、その時の言葉の使い方
とかそういったものを喋りながらお互い、僕も含めてやり取りする中で、これってこういうことだよねとかいうとこで言葉を当てはめ続けているというか感じがありますね。
で、あとは対話の冊子みたいなのをちょっと作ってて、それもなんかすごくいいなって感じは、いいなっていう言葉にする時に役立ってる感じがあって、今のとこ、今3冊目のデータの途中まではできてるんですけど、一応
2冊までは成本できる状態までなってるんですけど、
一つは5年ぐらいスタッフやってる時に、サニーコマーシャー来てどうだったみたいな話をしてて、馬との出会い、もう声を始めてたしみたいな、保育現場にもいたんだけど、そことの違いみたいなものも含めて語ってる
んですけど、お互いその5年間一緒に現場にいたので、なんか共通の経験とか体験とかいろんなものを見てたりとかしてるものがある中で対話してるので、
別に説明題外に説明してるわけじゃないから、2人で話してるので、馬と最初はなかなかうまくいかなくていいみたいな話から始まって、だんだんそれがその馬との関係が変わってくると、子供たちの結果なんか関係も変わ
ってきたみたいな話をしてるんですけども、それもなんか僕ずっとプロセス見てるから、うんうんうんって、そうかそうかみたいな、なるほどみたいな感じで聞いてるんですよ。
それがなんかこう、説明してないけど言葉にしてるので、すごくなんかこううちのやってることの大事にしてるものとか、そういったものがその馬に現れてくるというか、っていうことが起こっているっていうのが
あります。
で、このポッドキャストもなんか似たような感じがあって、実は。現場ね、それぞれ鳥取と岩手ですごく離れてるし、取り組んでる事業の形態も違うんだけども、僕なんかね大堀さんとも何度かお会いしたりとか、現場も行
かせてもらって、なんかこう馬に対する価値観とかそういうのが近いものがあるなみたいな感覚がある中で、こうやっていろいろ毎回ザクッとテーマを決めて対話をして、お互いその話をしていくと、いろいろこうね、出
てきた話から、
前回もその言葉がすごくそれぞれスタッフのちゃんと身、なんか自分のものになってるっていう。なんでかなーって。あ、でもそこってやっぱ馬がいて、先に馬っていう軸があってブレないからだなーみたいな感覚が浮か
んできたりとか、なんかそういうふうに話してる中で出てくるものってあるなーっていう。
でその中、対話の冊子は文字起こしをして、さらにコメントというか、今度は文字と対話するみたいな感じなんですけど、出てきた会話のやり取りの。最後冊子まとめるっていう目的があるので、そうすると第三者が読
んでも分かるようにしないとダメだなーみたいな。
でその二人の話だと、お互い分かってるからちょっとすっ飛ばしてるとことか、なんか説明してないとこっていうか、なんかこの第三者読んだら分かんない、これだけ読んでも分かんないんだろうなーっていうところ
をちょっとコメントつけて、もうちょっとこういうこと言いたかったとか、なんかこうちょっとニュアンスとして伝わりづらいなーっていうところに関してコメントを入れたりとかしてるので、そういったことをすること
で、より伝わる言葉にちょっとこう磨かれるという感じがあるなーっていうところで。
そんなことを今やってるっていうところはあります。で、そもそもでも言葉そのものでは、なんか伝えきれないなーっていう。5年ぐらいかな、その現場で子どもたちやってるとすごくいいいろんな変化があって、いろんな
人にこの現場を味わってほしいなーとか、この質問の人に届いてほしいなーっていう思いがあるんだけど、なかなかそれがなんかどうやったらね、来てもらえるかとか伝わるかなーみたいな。
伝えないとね、来てもらえないので、その時に言葉にしなくちゃなーとかっていうのはあったんですけども、所詮言葉でしかないというか、なんかその経験するのが100%としたら、言葉にするのは何パーセントかよく
わかんないけど、1割も満たないかもしれないし、言葉では伝えきれないっていうけど、でもなんか少しでもわかるような。
全部は伝えるんじゃなくて、なんかちょっと言ってみたいなーとか、やってみたいな、触れてみたいなーとか、馬に。そういうふうに思ってもらうように、なんかその人が動くような言葉の使い方をする必要があるんだなー
っていうのをちょっと最近思ってるとこでした。
今のお話聞いてて、木原くん若いから、まだまだこれからも長い時間かけてスタッフと語りながら言葉をどんどん深めていったり、共有していったりしていくと思うんやけど、自分自身も今53なんやけど、40歳ぐらいの
時に自分自身がいつか先代が亡くなったことも結構大きくあった。
人っていつかなくなるんやっていなくなるんやっていうことをすごい実感したから、ということはいつか自分もいなくなるっていうのをすごいリアルにイメージしたよね。
でもその時に、この先代と作ってきたハーモニーカレッジはじゃあどうなるんかって考えた時に、僕自身は残したいと思ったよね。みんなが痛くなる、好きな、そこに行くと元気になる場は残したいなって、永続してほ
しいなって思ったんよね。
自分がいなくなっても残る、でも時代は変わるから柔軟性も必要、でも軸はしっかりあるみたいな、そんな組織にしたいなって思った時に、まだ40歳やったんやけど、自分がいなくなった後のことをすごい考えたよね。
その時にもう自分は語れないし、一緒にワークして深めることもできないし、じゃあ何か指針となるものとかを残して、あとはでも今の時代、今のメンバーで柔軟にやっていってほしいっていう思いはあって、自分がいなく
なった後のことをすごいイメージした時にそういう価値観を言葉にしたりっていう風な手段を取ったんやけど、
氷原くんが若いけどいつか自分が死離族とか自分がもうこの世からいなくなってしまうタイミングって絶対来るやんか、いつか何十年か先に。
その時にこの三陸駒舎とかをどういう風に考えてるのか、自分と共に三陸駒舎は終わっていくっていうことも一つのものやと思うし、いや三陸駒舎は残していきたいっていうことも一つの、どちらもあっていいと思うんや
けど、その辺り含めて氷原くんの三陸駒舎の未来とかっていうことはどういう風に考えてるのかな。
考えたことなかったですね。
なるほど。
そもそも、いやでも別に法人は存続してほしいとかあんまないかもな。
やりたければ、やりたい人は出てくればやればいいしみたいな感じだし、あんまりないですね、そういうことは。この組織を存続させねばみたいな。なんかあって、もうね、このちょっと形態でやっていくの大変だみたい
になれば畳めばいいしみたいな感じは思ってるので。
なんだろう、まあでも僕自身はその馬からいろいろ受け取っているものはすごく豊かな世界がそこにはあるので、それはなんか少しでもいろんな方に伝えたりとか、こう何かかしら形に残していきたいなというふうに思
ってて。
それは別にその受け取ったものを別にサンリコマ社という団体でやる必要は全然なくて、いろんな場所でその馬との暮らしみたいなものがあったらいいんじゃないかなというふうに思っているので。やり方もいろいろある
し、地域とか状況によって、置かれた状況によって表現のされ方って変わると思うので。
でもなんか馬のその前回の最後に出てきたその馬のなんか存在が発しているものとかその軸になるものとかっていうのはなんか僕たちの生き方とか働き方とかそういったものを作る上で何か参照していくといいのでは
っていうふうに思っているので、こういったことはあるかなっていう感じですね。
言語化するきっかけになったのが、Japan Outdoor Leaders Award って通称ジョラって言うんですけども、応募したのがだいぶ大きなきっかけになって、今年も応募が始まっているので、誰か
いたらぜひ応募してほしいんですけど、審査が自分でこう自分の取り組みを書かなくちゃいけなくって、その項目が12項目、12、3項目くらいあるんです。
いろんな安全管理とか、どういう考え方でその活動をやってますかとか、スキルとか、あと人材育成とか、いくつかあるんですけど、それをこうそれぞれA4一枚、自分自身の特性にも書かなくちゃいけないものとか、
なんか価値観みたいなものとか、そういったものを書いていく中で、A4一枚ずつにそれそれまとめなくちゃいけないので、結構しっかりまとめないと入りきらないみたいな感じなんです。
ビッチリ書いて、全部それぞれの項目に対して、だいたい2万文字ぐらいになって、結構まとまった文章を久しぶりに3年前から書いたっていうのが卒論以来かもしれない、その一つの何かに関して。
普段の活動とかエッセイとかでちょっと書いても数千文字なので、何万文字にならないのに、一つの何かに関して。
それによってだいぶ原稿化されたというか、いろいろやってきたこととかをまとめる一つに束ねる機会になったのは大きかったですかね。
そこでいろいろ自分自身、震災後に学問的な心理学とか、そういったものにも出会ったなとか、その前は現場の経験でやってきたなとかですね。
過去を振り返る機会にもなったし、今はこうやってるんだなっていうところが少し見えてきて、それをまとめていったので言葉に落とさなくちゃいけないので、自分はどういうふうに活動、いろいろな体験活動を作ってる
んだろうっていうのを見つめ直すいい機会になったっていうのがあります。
ただ現場、サンリコマーシャそのものをどう作ってるんだろうっていうのは、さっき言ったように作り続けてるって感じがあって、その時にいろいろな問題とか課題とかが浮上した時に、何かそれに対して対応しなくちゃい
けなくって、
その対応の仕方とか、その時にスタッフに投げる言葉とか、そういったものが多分自分の価値観みたいなものを反映してて、そういうのが溜まってくるともしかしたら最終的には理念とかそういったものになるかもしれない
けど、今はまだそこまでまとめないで、まとめちゃうとその言葉に縛られる感じもあって、
一応ね、前にしようと思ったんですよ、行動指針みたいな相言葉みたいなものを作ろうかみたいな話もあったんだけど、途中で止まりました。もう一回やってもいいかなって感じはしますけど。
また、毎週の定例のミーティングは、今最近録音してて、どういう発言、今、それこそ文字起こしできるので、それを全部解析して、AIとか使いながらやると、もしかしたらそういう、こんなことを大事に三陸放射してる
っていうのが出てくるかもしれない。
自分自身が立ち上げた仙台とやってきたことにすごい誇りを感じてたり、これを残したいっていう思いがすごく強くなって、やっぱり人って確実にいつかいなくなるんやっていうのを肌で感じたので、
時代によって柔軟に変わっていきつつも、なんとなくみんなが生きたくなったり元気になったりとかする場所はあるといいなっていうのがあって、その場には自然もあり馬もいて、子供からいろんな多様な大人が過ごせてる
ような場所を作りたいなっていう風に続けたいなっていう風な思いがあったんで、
それでまあ価値観とかそういったことの抽象度の高いものを一旦言葉にしてみたぐらいの感じやねんけど、でも桐原君が今やってることも会話の中で言葉を紡ぎ出して価値観にしたりとかっていうことが多分集積してい
ってると思うよね。
何かしら例えば自分がちょっと現場から少し退くような怪我をするとか病になるとか、次世代にすごい期待したい子が出てくるとかってなった時に、でも全く新しい、全く別物の三陸駒舎でもいいってなればそれはそれや
と思うんだけど、このエッセンスを残しながら続けてほしいとか、
逆に次世代が桐原君とのこの培ってきたものも継承しつつ何かしたいってなった時に初めて何か残すものっていうのが必要になってきたりするんかなと思ったんで、もうすでにその準備ができて初めてあるんやな
っていうのはすごい思って、本当に自分の時よりは遥かにそこに向かってる準備、さっきの対話集作ったりとかってまさにそうやと思うんやんか。
なるほど。うちもホースセラピーとかって呼んだりとかしてますけど、活動の内容を説明する、わかりやすくいうときは、セラピーっていろいろなので内実はもっとちゃんと説明しないと伝わんないんですが、
そう、その最初の、前回かな、最近の近況のとこで、9月から神戸の牧場からサポートで、ヘルプできてくれてる方がうちの取り組みっていうか見たりとか、いろいろうちのスタッフの話聞いてて、あ、むっちゃ人間
がセラピーしてんじゃんみたいな話をしてって言ったんですよ。
で、なんか、もっと僕たち馬に力頼っていいよねみたいなとこがあって、だからもっと、なんていうのかな、馬中心のセラピーというかをどうしたら目指せるんだろうかっていう話なんですけど、話はちょっと全然
飛ぶかもしれませんが、馬にもっと頼れるような場作りとかそういったもの、仕組みとか考えなくちゃいけないので、
そうするとちょっと言葉にしていかないと難しかったりとか、そういうふうに言われて、また考え出すっていうかそういうフィードバックをもらったことで、人間がセラピーしてるって、じゃあどうしたら人間じゃ
なくて馬がセラピーする状態作れるのかなみたいなことを、もう言葉にすることで生まれてくるなっていうことはあって、
で、だから僕たちもなんていうのかな、セラピーというか馬からもっといろいろ馬を軸にしていくっていうことをもっとしたいなというふうに思ってて、それをどうしても人間がいるとなんかやりたくなっちゃう
ので、なんかねセラピーしてあげちゃうみたいな感じがあるけど、そこをどうしたら削れるかみたいなことをやろうとしてるっていうとこに今あったりとかしてます。
だから本当にまだね現場も作ってるとこだし、これが大事だよねっていうことも、言葉だけじゃなくてその内実も含めてこう形を作っていくってこともやっていかないとずれてくるというかこともあるんですけど、だから
そのなんかDNAとか価値観みたいなものも馬から得たものを中心にしながらしていきたいなというふうに思ってて、人間中心じゃなくて馬を中心にしながらそういったものが出てきたら面白いなというふうに思ってる
んですよ。
で、最近っていうか6月ぐらいからセルフスタディっていう自己研究っていうか、これもともと教員、この本のタイトルにも教員のためのセルフスタディ入門っていうふうにあって、教員の方が自分自身の実践を研究してよ
り良くしていく、その実践を改善するっていうこともだし、その実践の取り組みの研究が他のなんか教員とか現場の方にも役立つような研究にしていきましょうみたいな。
N1の事例ってなかなか研究になりにくいんだけど、それをやる手法みたいなのがあるよっていうのがあって、これはちょっと教員養成の現場なんですけどもともとは、そうじゃなくって学校現場以外の対人援助職って言わ
れてる。
うちもそうだし、セラピーとかなんだろう、あとソーシャルワーカーさんとかカウンセラーとか、人を支援する現場で取り組んでる人たちでやりませんかって話があって、それで読書会があって、今これをやり始めたとこ
なんです。
で、その中に一つに一人だけでやると独りよがりになっちゃうので、クリティカルフレンドって自分の取り組みとかをまとめて、それをお互いこういうZoomとかで今やってるんですけど、やり取りして、うちの実践で
こういうことがあって、この間こういうことがあってこういうふうに思ってみたいな話をして、それに対してクリティカルに批判的にコメントをもらったりとかして、
第三者の意見も取り入れながら深めていくってことをやってるんです。で、この間そのちょっと元々スタディのことを長く取り組んだりとかして、大学の先生で教員の要請されてる方なんですけど、その方から話してたら、
馬をクリティカルフレンドにしたらいいんじゃないかみたいな話があって、人間も人だけどもちろん、今パートナーにしてるの、一緒にやってる方は冒険遊び場、プレーパークやられてる方と一緒にやってて、
彼女もどうやったら言葉にできるかみたいな話を、まさにこの今日のテーマをずっとしてるんですけど、僕はその自分の現場を、セルフなのに自分の研究しなくちゃいけないので、自分自身がどういうふうにこの三人駒舎
っていう現場を作ってるのかっていうのをちょっと明らかにしたいなっていう話をしてて、
まあでもまあその、なんか手法みたいのがいろいろあって、アート的な形もある、この本にもちょっと出てくるんですけど、写真撮ったりとか絵描いたりとか、自分自身の実践を絵に表してみたいとかいうのがあるから、う
まいんじゃないとかっていう、その大学の先生から言われて、馬かーみたいな、確かにでも馬から僕たち色受け取って、馬を先生にしながら、
馬が先生、僕たちが先生じゃなくて馬が先生だよっていうふうによく説明はしているので、馬がやってることを僕たちが体現するみたいな形だろうなっていうところはなんとなく思ってるので、それを何を体現しているのか
っていうのをちょっと明らかにできたら面白そうだなみたいな、馬からこういうことを得て、学んで感じて気づいて、それとこう実践との関連みたいなものをつなげていくっていうふうにしていくと、なんかすごくブレない
存在として馬がいて、
人間こうやって頭にあれより考えるので、こうね、右行ったり左行ったりするじゃないですか、なんか、馬ってなんかもう生き様がそんなにブレがなくって、そこを中心にしながら価値観とか理念とかそういったものが立ち
上がられてきたら、なんかいいんじゃないかなっていうふうに思ってるっていうところがありました。
興味深いね、そのセルフスタディーで見えてくる木原君の取り組みを。そうですね。ちょっと進んできたら、そんなんもまたこのポッドキャストで聞かせて欲しい。はい。一応なんかね、1回最初は9月ぐらいにある程度中
間発表とかまとめて発表開始しました。もう9月なんですけど、他の方も含めて全然そこまで進んでなくて、もうちょっと時間しっかりせっかくやるなら、もうちょっと時間かけてやろうって話になって、
3月になんかどこかで合宿、今内側候補に上がってるんですけど、みんな集まって発表会しようみたいなことを言ってるので、まあちょっと数ヶ月後ぐらいに少しその取り組みの何かやってる中で見えてくるものがあるか
もしれないので、失敗も含めてご紹介できればとは思っておりましたが、
まあでもその中でね、ウマとの言葉は記録するのに言葉は使わなくていいので、どっちにしろ言葉にはしていくんですけども、ピチッと短いそういう理念とか価値観とかに落とし込めるかどうかはわからないですけども、
もう少し物語的になるかもしれないし、どんな形になるかわからないですけども、こうやっていく中で見えてくるところはあるかなっていうところはあって、それをやろうとしている試行錯誤の過程ではあります。
なのでね、さっきの質問にもつながってて、青森さんたちってどういうふうにウマから受け取ったものが現場の言葉になっているのかなっていうふうに聞いてみたっていう感じでした。
まあでもなんかね、それをもしかしたらこのポッドキャストでもなんかやってるかもしれないなっていうふうに思ってて、それぞれのね、毎回テーマ一つ決めて、大体そういう流れに最近なってますけど、2回収録している
2回分、それについて新たなコーナーで話すっていう答えがあるわけでもなくみたいな感じではありますけど。ということで、いいですかね、だいぶ何か言い残したこととか、今回のテーマであれば。
昨日ちょうど視察、大学生が来てくれたって話をして、その子がすごく言ってくれてたことが、ちょっとウマから学ぶというか、その大学生は子供の時に実家で牛を飼ってたらしくて、大学生のまだね、20歳ぐらいだ
けど、その子供の時って言ってたから、十数年前やと思うんだけど、その時に実家でウマがいたってすごい糧やなと思ったんやけど、
で、なんかいろんなことが起きた時に、その子が言ってたのは、学校とか友達関係でいろんなことが、家でもね、嫌なことがあったりした時に、自分のとこで飼っている牛に話をしてたって。
牛は何も言わず聞いてくれるんやっていうことを言ってて、それを聞いた時に、うちの幼稚園の子供たちもふっと馬の方に行って、馬とこう、なんていうかな、対話してるっていうか、で、自分の中である程度の時間を置
くと、よしみたいな感じになって、バーって出てくるみたいなことがあって、
話してるって言っても、音声として話してるっていうよりは、馬に向かってこう思ってるんだみたいなことをなんとなく心で言ってたりするんかなっていうのをすごく感じて、なんかそうやって、それが本当の意味でホー
スセラピーみたいなとこなんかなって思ったりして、
それが昨日視察に来てた子は牛やったんやけど、人やとどうしてもちょっと問いかけで逆にいろんなことを深めていこうとしたりとかしちゃうんやけど、馬とか牛とかもうそうかもしれないけど、ただただ聞いてくれる
だけで、自分の中でよしって一つのことが完了して次に迎えるっていうことがなんかあるんやろうなっていうのを改めてちょっと感じて、
それはうちの職員でもちょっとこう馬のところに癒されるとかっていうのはまさにそういうことがあるんかなっていうのは思ったんで、そこに関してなんとなく馬が受け止めてくれてんねんなぐらいのことでしかない
けど、そうやって馬から影響を受けたりとか癒されたりとか、自分でなんかの物事に一旦の区切りをつけれたりするっていうことは日常的にあるなっていうのは、
そういったところで馬の力に救われてる部分がたくさんあると思います。
なるほど、面白い。そうだ、ちょっとこのセリフスタディ紹介して、その読書会この本やってたんですけど、その時にいろいろ出てくる内容が、あ、これ馬、そのセリフスタディすることでこういうことがありますみたい
なことを書いてて、その中でこれって馬で普段やってるときにあるぞみたいなこととつながったのはいくつかあって、
少しだけ紹介すると、そのセリフスタディ、自分自身のことを研究していくから、自分自身の枠組みっていうか、いろんなものがこう再構成されるっていうか、再リフレーミングっていうふうに書いてあるんですけど、再
枠付けっていうふうに言ってるんですけど、そこなんかこういうふうに書いてて、
実践の背景になっている設定そのもののフレームが明らかにされ、見直されなければならない。自分のものの捉える枠組みとかそういったものが再構成されて、セリフスタディすることで。
それって結構馬で、馬と関わってるとさっきね種族も違うしみたいな、さっきの伝わる伝わったっていうことも、いやほんとそうだよねみたいな、身をもってそれをね体験して変わっていくみたいなことって馬とやってる
とあるじゃないですかなんか。
言葉だけで聞くと、まあそれは当たり前じゃんみたいな伝わったことだけが大事っていうか全てだよねって。でも馬でやってると本当にそれが起こるから、本当にそのリフレーミングみたいなことがまちまちと起こる
みたいなことがあったりとか。
あともう一個、僕はすごくこれ印象に残ったのは、セリフスタディはリスクを負ったり弱点をさらけ出したりするといった段階を伴うっていう。
馬とやってるとまさにその伝える伝わるみたいなところができてないっていうのを本当に馬から突きつけられるっていうか、わかんねえよそれその言い方じゃんみたいなことあるじゃないですかなんか。
ちょっと信じきれてないで何かやってると馬ってやってくれなかったりとか、自分のあり方がブレてると馬も迷ったりとかするみたいなところって過分にあって、すごく馬と向き合うと結構ショック受ける。
うちのスタッフとか全然馬に関わってないで、最初の半年ぐらいはガーンとかってなって、できないとかってなるんだけど。
やっぱりコントロールできないから、そういったところで非常に自分の弱みとか課題の部分、関係性を築く上での課題とかに気づいたりとか、気づいてたけどないものにしてたものが表に出てきたりするので、
まさにリスクじゃないけど、弱点が自然とさらけ出されるというか、そういうことがあるなって思って。すごく馬と向き合うと、もしかしたらセルフサディが進むんじゃないかっていうふうにちょっと思ったりも。
そうして、すごく本読んだときに繋がるなっていう。セルフサディが実際現場ごと記述したりとか、教師の方が自分の授業の内容を録音して全部、それ書き起こして、本当は子どもたちに自主的にやらせたいと思ったのに
すごくこっちで指示してたとか、
そういうズレみたいなのを気づいたりするっていうのは取り組みしてるんですけど。やり方もさまざま、先ほどアートの写真撮ったりとかもするし、絵描いたりもするし、いろんなやり方あるんですけど、すごく場の現場と
も繋がるなと思いながら、この本読書会をして読んでいてっていうことがありました。