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なぜ人は怒ってしまうのか?ブッダが明かす「怒りの正体」
2026-10-03 15:45

なぜ人は怒ってしまうのか?ブッダが明かす「怒りの正体」

現代心理学と仏教における「怒り」の捉え方の違いやウッタラーの物語を通して、怒りの本質を解説。怒りに怒りで返さず、慈悲や平静(捨)の心で克服するための仏教の智慧を分かりやすくお届けします。


【目次】

現代心理学と仏教における「怒り」の捉え方の違い

激しい嫉妬と怒りを「感謝と許し」で受け止めた女性

怒らないことによって怒りに打ち勝つ

なぜ人は怒るのか:アイデンティティ(所有物)への執着

怒りに怒りで返してはいけない2つの理由

シャーンティデーヴァの教訓


【出典】

『ダンマパダ・アッタカター』及川真介訳

『ブッダの真理のことば・感興のことば』中村元訳

『ダライ・ラマ 怒りを癒す』ダライ・ラマ14世


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◆ 講義テーマ

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TEL:090-1928-1461

Email:Jisedai-Tenseikai@outlook.jp



【大忍貫道プロフィール】

1987年福岡県生まれ。花園大学文学部卒業。臨済宗妙心寺派僧侶。

尾張妙興寺僧堂にて修行。

2011年より九州地方の臨済宗妙心寺派寺院にて住職を務める。

SNSでも仏教の情報発信を行い、Instagram フォロワーは4万人を超え、Podcastフォロワーは3千人を超える。

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サマリー

怒りについて、現代心理学が傷つきや不当な扱いを知らせる感情として捉える一方、仏教ではなくすべきものと見る違いが語られます。ウッタラーの物語では、嫉妬から熱いバターをかけられても相手を責めず、慈悲と許しによって怒りを退けます。怒りは家族や応援するチーム、思想など、自己のアイデンティティや所有物への執着が傷ついたときに生じます。怒りに怒りで返すと相手と同じ土俵に上がり、品位や冷静な判断力を失うため、慈悲や忍耐によって対処すべきだと説かれます。最後に、シャンティデーバの「善行の一切は一つの怒りによって打ち壊される」という教訓が紹介されます。

現代心理学と仏教で異なる怒りの捉え方
今日のテーマは、怒りです。 現代の心理学では、怒りそのものは決して悪いものとしては、扱われていないように思います。
この怒りというのは、自分が傷つけられたことを、また、不当に扱われたことを知らせてくれる、
そういう大切な感情として捉えられているなというふうに思います。
私自身、現代の心理学には疎いんですけれども、
ただそれでも、ざっと見た感じ、怒りの持つポジティブな面、
そういう部分、ここに目を向けているなという印象を受けます。
ところが、仏教の見方は違うんですね。
仏陀は、怒りというのは、良くないもの、なくすべきものだと、
この怒りの持つネガティブな部分に着目をされているんです。
今回は、仏教に伝わる物語を通して、怒りの本質と怒りを退治する方法についてお話ししたいと思います。
ウッタラーの物語と怒らないこと
今回の物語の主人公は、ウッタラーという名前の女性です。
彼女の親は、もともと使用人として正規を立てていて、貧しい家だったそうなんですけれども、
仏教相談との関わりによって裕福になった、そういう家庭で生まれ育ちました。
そういうこともあって、このウッタラーは大変信仰心の厚い女性だったそうです。
ただ、彼女の突起先が、仏教を全く信仰をしていない家庭だったそうで、
そのせいで彼女はそれまで、ライフワークとして、
仏陀とか、またいろんなお坊さんの教えを聞きに行ったりすることをされてたらしいんですけれども、
そういうことが一切できなくなっておりました。
彼女は、この仏陀の教えを聞くことが人生の一部になっていますので、
それができないということにすごくストレスを覚えるんですね。
みなさんもそれぞれ趣味とかあられるかなと思うんですけど、
例えばウォーキングが趣味の方とか、雨の日でウォーキングができなかったらストレス感じられると思うんです。
それと同じようなことが、このウッタラーにも起こったということです。
雨でウォーキングができないというのはずっとは続きませんから、
やがてウォーキングができるようになるんですけれども、
ウッタラーの場合は忙しくてですね、家庭のことをいろいろやるのに忙しくて、
趣味に、ライフワークに時間を割く余裕がなくなっているんですね。
そのことを不満に思った彼女は、自分の実のお父さんにそれを相談します。
するとお父さんは大金を送ってきてくれて、これで家政婦を雇いなさいと。
家政婦が家族の皆さんの身の回りの世話を代わりにやってくれている間に、
あなたはブッダの教えを聞きに行ったり、ブッダのお世話に勤しむといいですよと。
大変いいお父さんですね。
そのようなこのお父さんの好意とアドバイスを受けて、このウッタラーは早速家政婦を雇いまして、
家政婦が家族の世話をしてくれている間に、自分はブッダの教えを聞きに行ったり、
ブッダや弟子のために自ら食事を用意して提供するという、そんな日々を送っておりました。
ただ家族はそれをあまり面白く思ってなかったんですね。
特に夫がそう思ってたんです。よく思ってなかったんですね。
育児放棄じゃないですけれども、自分の世話を放棄されているように感じたんだと思うんです。
慌ただしくブッダの食事を用意するウッタラーを見て、
この夫はそれを嘲笑うんですね。何をしてるんだあいつはと。
この夫は面白くない気持ちで嘲笑ったんですけれども、それを隣で見ていた家政婦、女性ですけれども、
彼女はこの夫が妻への愛情によってウッタラーを見て微笑んだんだって誤解をするんですね。
いつしかこの家政婦は自分が雇われた身であることを忘れてしまいまして、
このウッタラーに激しく嫉妬をするんです、女性として。
で、我を忘れて台所で調理されていた熱々のバターをウッタラーの頭にかけます。
しかしウッタラーは家政婦が自分に代わって夫の世話をしてくれているおかげで、自分は好きなことができている。
そういう思いを思っていたので、家政婦に怒りを覚えなかったというんですね。
で、傍聴を働いた家政婦はウッタラーの次女、月人の使用人たちによって力づくで取り押さえられたんですけれども、
その取り押さえられる過程で家政婦は大変ボロボロになるんですね。乱暴に押さえつけられたので。
それを見たウッタラーは彼女にかわいそうだと思って解放をしてあげるんですね。
その優しさに触れたときに家政婦は正気を取り戻しまして、自らの過ちに気づいてウッタラーに許しをこいました。
このように許しをこわれたウッタラーはちゃんと家政婦を許します。
この一見を受けてブッダは次の祝を唱えられたと。
怒らないことによって怒りに打ち勝て。
良いことによって悪いことに打ち勝て。
分かち合うことによって物惜しみに打ち勝て。
真実によって虚言の人に打ち勝て。
怒りとアイデンティティへの執着
この怒りってのはどういうときに生じるのか。
それは言葉とか行動によって自分を軽んじられたり、傷つけられたりするときに起こります。
代表的なのは容姿とか肉体とか人格。
こういうものを傷つけられると怒りを覚えます。
以前ブッダに恨みを抱いたマーガンディアの娘の話をしましたけれども、彼女はその典型ですね。
自分の容姿に自信を持っていたのでブッダからそれを傷つけられたと思って怒りを覚えました。
でもそれ以外にも傷つけられると怒りを覚えるものがありますよね。
例えば家族。
親とか配偶者を侮辱されると怒りを覚えますよね。
応援しているスポーツチームとか、アーティスト、アイドルとかもそうですね。
そういう自分がよく思っているものを批判されると怒りを覚えますよね。
人によっては支持している政党とか政治家、政治信条、また考え方とか見解とか、そういうものを批判されると怒りを覚えるという人もいると思います。
なぜこれらを批判されると私たちは怒りを覚えるんでしょうか。
それはこれらのものが自己のアイデンティティの一部になっているからです。
だから逆に言うと、自分が何に怒りを覚えるかによって何が自己のアイデンティティになっているかというのがわかるんですね。
ブッダの時代にはこのアイデンティティという言葉はなかったので、ブッダはこれを自己の所有物とこういうふうに表現されているんですけれども、
ただこの怒りを覚えるというのはそれに執着している可能性が高いんですね。
私たちは家族やスポーツチーム、アイドル政治家、政治信条思想見解、こういうものに執着をしているんです。
世間一般の感覚だったら、大事にしているものを批判されて怒る、怒りを覚える、これ当たり前じゃないかと、こう考えられると思うんですけれども、
でもブッダはそうは考えられないんですね。
怒りを覚えるということは、大事なものとの距離が適切ではないんじゃないかと、接し方を間違えているんじゃないかと、こういうふうに言えるかもしれませんね。
感情によって堅入れをしてしまっているんですね。だから堅入れをしないようにしないとならない。
怒りに怒りで返さない理由
仏教ではこれをウペッカー、漢訳するとステルと書いてシャというふうに言います。現代語訳だと平成と平らに静かで平成というふうに翻訳されたりします。
私たちは粘りっ気のある思いで自分の大事なものと接しています。だから相手とかその対象が自分の意に沿わないとすごく腹が立つんですね。
親や配偶者が自分を理解してくれないと腹立ちますよね。悲喜のスポーツチームが負けても腹立ちますよね。これは私たちが自分の期待とか願いという粘着質な思いを持って対象に接している証拠です。
その点においてブッダは本当に粘りっ気がなくて、自分の親族が殺害された時ですら怒りを覚えなかったと言われています。
自分の息子も特別扱いはしませんでした。そこまでいくのは本当に難しいと思うんです。でもそれでもこの粘着質な思いをある程度サラサラなものにすることはできると思うんですね。
それは大事なもののためにもやっぱりなるし、自分自身の心の安寧にもつながるものになります。
私たちは普通、怒りを発せられると怒りによって応答しますね。でもブッダはそれはいけないよって言われてるんです。怒りには怒らないことによって打ち勝たないといけないんだと。
ここには2つのことが読み取れます。1つは同じ土俵に上がっちゃいけないんだということですね。よくSNSを眺めてますと、いろんなところで感情的な論争が起こっているのを目にします。
皆さんもご覧になられたことあるんじゃないでしょうか。怒りをぶつけられて怒りで返している。その本人はそれが正当なことだと思っている。多くの場合はもう正当ですとかそんなことすら頭から抜けてると思うんですね。もうカットなってしまって、感情によって動かされている。支配されていってしまう。
これ、第三者から見ると、やっぱりだんだんとどっちもどっちに見えてくるんですね。最初はまあまあそれは起こるよなっていうふうに見るんですけど、だんだんそのやりとりを追っていくと、いやもうどっちもどっちだなみたいな、こういう気持ちになること結構ありますよね。
これは、同じ土俵に上がってしまったことで、本人の品位、徳、これを損ねている。しかも、周囲の評価も落としているんですね。先日、タイのことわざでこんなものを聞きまして知りまして、犬に噛まれても噛み返すなっていう。
この犬に噛まれたからといって、同じように噛み返すのは、これ犬と同じレベルに落ちてしまうことなんだよっていう。こういう内容になるんだそうです。私は犬好きなので、犬が人間より下等な生き物かのように扱う、表現することはちょっと抵抗があるんですけれども、ただ、言わんとするところはわかります。先ほど私が申し上げた、同じ土俵に上がれなということですね。
そしてもう一つ、この怒りというのは私たちの冷静さを欠如させます。冷静さを欠いていいことってまずないですね。判断力であったり、洞察力が眠ります。そういったところから、怒りには怒らないことで打ち勝たないといけないんだということなんです。
慈悲と忍耐、シャンティデーバの教訓
ではどうすれば怒りに対して怒らないことで打ち勝てるのか。仏教ではよく二つのことが言及されます。一つは慈悲です。これブッダがしばしば経典の中で説かれていることになるんですけども、怒りの対極にあるもので退治していくということです。
私の好きな映画のセリフで何か事情があるはずというものがあるんです。これは悪意を剥きられて怒りに震える主人公に対して主人公のお父さんがかけた言葉なんですね。慈悲というのはこういうもので、悪意を発した相手がどのような過程、プロセスを経てこういうふうになったのか、そこにちゃんと目を向けようとするものなんです。
目を向けて理解しようとしていく。仏教は縁起といって物事には必ず原因があると考えるんですけども、怒りを覚える相手にもそういうふうになる、そういうふうな言葉を発する原因、過程が必ずあるんですね。そういう姿勢によって怒りというものに退治していくということです。
そしてもう一つのやり方があって、これは忍耐です。これに関してはまた別の機会に詳しくお話をしたいと思いますので、詳細はそちらに譲りたいと思います。現代のチベット仏教でも大変な影響力を誇っている古代インドの僧侶、シャンティデーバという人がいるんですけども、この方の著作の冒頭でこんなことを書いてあります。
善行の一切は一つの怒りによって打ち壊されると。どれだけ素晴らしいことをしてきても、一つの怒りによって積み重ねたものが全部台無しになってしまうんだよということを言われてるんですね。
これ短い言葉なんですけども、実感の伴うと言いますかね、本当にうなずける言葉だなというふうに思います。このあなたがこれまで築いてきたもの、実績とか信頼とか努力、そういうものが一つの怒りによって消消しにされてしまうことがやっぱりあるんだということなんですね。これはぜひ念頭に置いていただきながら生活していただければいいかなと思います。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。この話がためになったと感じていただけた方は、いいね、またチャンネル登録もよろしくお願いします。また、ポッドキャストでお聞きの方はですね、レビュー、フォローの方もよろしくお願いします。また、私の活動、この番組というものは皆様のサポートを必要にしております。サポートの方法につきましては、概要欄にリンクを貼っておりますので、前向きにご検討いただければ幸いです。
それではまた来週お会いしましょう。
東京で開催される仏教講座のお知らせ
最後にお知らせをさせてください。
10月より毎月、東京において仏教講座の講師を務めることになりました。毎月ですね、第3土曜日の1時から始まります。私は10月、11月、12月、1月、2月と担当を持たせていただきます。東京のですね、世界貿易センタービルアネックス別館の10階会議室で開催されます。
私は13時15分から14時15分までとなっております。こちら書いてあります通り、無料で開催される講座となっておりますので、ぜひ皆さんにもお越しいただければと思います。東京でお会いしましょう。
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