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【考えすぎて不安な人へ】考えすぎを止める仏教の教え
2026-10-10 15:11

【考えすぎて不安な人へ】考えすぎを止める仏教の教え

考えすぎて不安になる「妄想」の原因と、心を安定させる仏教の対処法を解説します。妄想を膨らませてしまった僧侶の説話や、妄想を断ち切る「念(サティ)」の実践法をご紹介します。


【目次】

考えすぎ(妄想)について

サンガラッキ尊者と叔父の説話

妄想を膨らませた僧侶を踏まえたブッダの詩

ブッダが説く苦しみのメカニズム

妄想を断ち切る「念(サティ)」とは

念(サティ)を養う2つの方法

一夜賢者の偈


【出典】

『ダンマパダ・アッタカター』及川真介訳

『ブッダの真理のことば・感興のことば』中村元訳

『中部経典 第6巻』片山一良訳



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【大忍貫道プロフィール】

1987年福岡県生まれ。花園大学文学部卒業。臨済宗妙心寺派僧侶。

尾張妙興寺僧堂にて修行。

2011年より九州地方の臨済宗妙心寺派寺院にて住職を務める。

SNSでも仏教の情報発信を行い、Instagram フォロワーは4万人を超え、Podcastフォロワーは3千人を超える。


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サマリー

考えすぎによって不安や苦しみが生じる仕組みを、仏教の「妄想(パパンチャ)」として説明する。説話では、僧侶サンガラッキタが衣を受け取ってもらえなかったことから、還俗、結婚、子ども、妻への怒りまで想像を膨らませ、現実には起きていない出来事に苦しむ。『中部経典』のマドゥピンディカ経をもとに、認識、考察、妄想、苦しみという流れを示し、妄想に気づく「念(サティ)」が断ち切る働きを持つと説く。念を養う方法として、1日5分程度の瞑想と、読書や歩行など日常のあらゆる場面で対象に意識を置く実践を紹介する。最後に、過去や未来にとらわれず現在を観察する「一夜賢者の偈」を唱える。

考えすぎと妄想の仕組み
私たちはしばしば多くのことについて考えすぎます。
そのことで不安が増大して、心は不安定になる。
考えすぎるときは、多くの場合、まだ起こっていないことを
ああかもしれない、こうかもしれないと考える。
一つの事実を足掛かりにして、思考が展開して、
それがどんどんどんどん飛躍してしまうんですね。
まだ起こっていないことをあれこれ想像して考えてしまうこと、
なんていうか知ってますか? これを妄想と言うんです。
仏教ではパパンチャ、漢訳するとケロンというふうに言います。
仏陀は、これを止める方法について説かれています。
今回は、妄想を膨らませる僧侶の話をご紹介して、
考えすぎない方法についてお話ししたいと思います。
サンガラッキタの説話
今回の物語の主人公は、サンガラキタという名前のお坊さんです。
彼のお母さんのお兄さん、つまりおじさんですね。
このおじさんが出家をしてお坊さんになっていて、
そのおじさんの名前がサンガラキタという名前だったんです。
このおじさんすごく優秀なお坊さんでして、
出家して数日で悟りの最高段階であるアラカンに到達をした人なんですね。
そのおじさんにあやかって今回の主人公は、
生まれたときにおじさんの名前をもらってサンガラキタと名付けられた。
最近の日本だとあまり聞かないですけども、
一昔前まではおじいさんの名前を孫につけるみたいなことが結構ありましたね。
これ余談ですけれども、以前NHKのテレビ番組のファミリーヒストリーの撮影に協力したことがあるんですけども、
某有名俳優さんのご先祖が私がいるお寺の団家だったということで、
過去帳を調査したことがあります。
皆さん、過去帳にどういうふうに名前とか介名が書かれているか、
ご存じないと思うんですけれども、
だいたいの場合はですね、それぞれの亡くなった、
それぞれの年に亡くなった人の日付、名前、介名、
あとは続きからっていうんですかね、
そういうものが書いてあるんですけれども、
戸籍みたいには細かく書かれてないんですよ。
だから、この関係性としては、
誰々の戸みたいな、すごくアバウトな書かれ方がしてるんですね。
お寺の規模にもよるんですけれども、
私がいるお寺の場合は、
1年間に亡くなる団家さんが、だいたい15人前後いらっしゃいまして、
それが過去帳で500年分の記録が残ってます。
だから単純計算すると、15×500なので、
7500人分ぐらいの亡くなった方の記録から、
1つの家の先祖をピックアップしていくっていう、
そういう作業を先祖を調べるという時にはやるんですね。
確か、このファミリーヒストリーに協力した時には、
7、8時間かかったと思います。
本当にすごく大変な作業なんですよ。
でも、おじいちゃんと孫の名前が一緒だったりとか、
順番通りに亡くならないこともやっぱりありますよね。
親より子供が先に亡くなるっていうパターンも結構昔はあるんですよ。
そうなると、1つの家計に同じ名前が、
何回も出てきたりして、しかもそれが順番が、
ごちゃ混ぜになっていることがある。
これが家計図作りというのを非常に難しくするんですね。
もし皆さん、家計図を作りたいなって希望される方がおられましたら、
その辺を考慮していただいて、
これすごく大変な作業なんだってことを踏まえた上で、
お寺さんにはお声掛けいただけるといいかなと思います。
話をちょっと元に戻しますけれども、
このお一子の三柄北は青年になりまして、おじいさんのもとで出家をします。
出家するときには後見人みたいな人が必要でして、
これを一人だけ選定するんですね。その人のもとで出家をします。
出家した後は、この後見人になる人が、
監督して育成をしてくれるんですけれども、
この後見人なんていうかっていうと、これを和尚というふうに言うんです。
だから、私たちにはそれぞれ、
実のお父さんっていうのは一人しかいませんけれども、それと一緒で、
一人のお坊さんにとって和尚さんっていうのは一人だけなんです、本来は。
現代ではね、現代の日本ではそんなこと気にせずにですね、
お坊さんはみんな和尚さんって呼んだりしますけれどもね、
本来はそうじゃないということです。出家したお一子さんが
ラッキー川、あるとき二つの衣を手に入れます。
おそらくは信者の方から寄信されたんだと思うんですけれども、
それを受けて彼は一つは自分用、
そしてもう一つはおじさんにあげようと思うんですね。
なかなか関心な心だけです。そこでおじさんのところに
衣を持っていきまして、おじさんを奥義で仰ぎながら、
衣をいただいたので、これもらってくれませんかと
話しかけます。しかしおじさんから、いや、
実はもうわしね、もうすでに多くの衣をもらっとるから、
もうちょっともういいよと、それせっかくあなたがもらったんだから
あなたが使いなさいと、こういうふうに言われるんですね。
そう言われても、お一子さんから来たもう心に決めてるわけです。
おじさんにあげようと。だから、いやいや、おじさんそう言わないでくださいと、
この衣をもらったときからあなたに差し上げたい、
あなたに着てもらいたいと、こういう思いを持ってたんですから、
どうぞもらってくださいとお願いをするんです。けれどもおじさんは、
いや、本当にもういっぱいだからと、もうもらえないと、
大丈夫だと断ります。このお一子さんから来た再三再始、
いやいや、もらってくださいとお願いをするんですけれども、
結局受け取ってもらえませんでした。
彼、どうもおじさんとおそろいで衣を着たかったみたいなんですね。
でもそれが果たされなくて、すごく傷つくんです。
彼は扇でおじさんをあおぎながら、
もうお坊さんやめようかなと思うんですね。
さらにお坊さんやめて、在家者、一般の人になったら、
どういう仕事をしようかなって考えて、よし、じゃあ、
羊飼いになろうと思うんですね。じゃあ、羊飼いになったら、
羊をうって、もとでを作って、奥さんを迎えようと。
しばらくたったら、奥さんは子供を産むだろうと。
その子供には、コレコレという名前をつけて、
3人でおじさんのところに遊びに行こうと。その道中で、
どちらかが子供を抱っこするかで揉めるだろうと、奥さんと。
その時に、誤って子供を落としてしまって、子供がけがをしてしまう。
そのことで、私は腹を立てて、妻を失跡するかもしれんと。
こういうふうに一人でどんどん妄想を
していくんですね。で、上の空になるんです。
で、その時に誤って、おじさんの頭を扇で叩いてしまうんですね。
で、そういうことがあって、彼はもう恥ずかしくて
たまらなくなって、逃げようとするんですけれども、
途中で仲間に見つかりまして、ブッダのもとに連れて行かれます。
で、追い子さんが来たからことの天末を聞いたブッダは、
妄想から苦しみが生じる流れ
次の詩を唱えられました。心は遠くに行き、
一人動き、形体なく、胸の奥の洞窟に潜んでいる。
この心を制する人々は死の束縛から
逃れるであろう。私たちは
怒った出来事をそのままにしておけないところがあります。
これ、認知行動療法でも言われているんですけれども、
事実をそのまま受け取るんじゃなくて、それに意味付きをしてしまうんですね。
そしてそこからストーリーを紡いでしまう。
追い子さんが来たもそうですね。
子供を受け取ってもらえなかった。教典には書いてないですけれども、
その後の思考から察するに、彼はこの事実に対して
おじさんは自分を好きじゃないんじゃないかっていう風に
意味付きをしてるんですね。そこから妄想がどんどん膨らんでいくんです。
で、ブッダは死の中で、心は遠くに行き、
一人歩きすると言われてますけれども、
瞑想してたらよくこれ分かるんですけど、心は連想ゲームをするんですね。
時には連想ゲームにすらなってない時もあるんですけれども、
ポジティブな時はそれでも構わないと思うんです。
でもネガティブな時は思考っていうのはどんどん暗い方に向かっていきますから、
やがては苦しみになっていくんですね。
ブッダの言葉が説かれている中部教典に収録される
マドピンディカ教というものに考えすぎることによって苦しみが生じる
メカニズムが説かれています。そこでは大まかには
認識、そしてそこから考察、そしてそこから
妄想、最後は苦しみと、こういうステップ
メカニズムで苦しみが生じているというふうに書いてあります。
具体例を挙げますと、職場で同僚に話しかけるとします。
同僚がちょうどそのタイミングで離席をする。
そのことで話しかけられないわけですね。
そのことで、あ、トイレに行ったのかなって考察を加える。
ここまではいいんです。でもここから
もしかして嫌われている?何かしたかなって考え出す。
これが妄想なんですね。結論。
では、この妄想結論を立つにはどうしたらいいのか。
気づくという働きが必要になります。
あ、これは妄想だぞと、まだ起こっていないことを
今私は考えているぞと、こう気づかないといけない。
妄想を断つ念(サティ)
この気づくという働きを仏教では
サティ、簡訳しますと念というふうに言います。
お念仏の念ですね。お念仏という言葉も
日本だとナムアミラ仏って口でお唱えすること
これを指しますけれども、このお念仏というのは
念仏の派生系の一つなんです。もともとは
瞑想をするときに、仏様の姿、形
これを心の中に思い浮かべて、その思い浮かべた仏様に
意識を向け続ける、つまり気づき続けるということ
これをお念仏と言ったんです。
このことから分かるように、念という言葉には気づくという意味合いが含まれているんですけれども
考えすぎるということに関しては、この気づくという働きが
すごく重要になるんですね。斧みたいなもので
これによって妄想がスパッと立たれるんです。
念と聞くと、世代によっては
ユリゲラーのスプーン曲げみたいな、こういう超能力を
想像される方もいらっしゃるかもしれないんですけれども、ああいうのではないです。
仏教が言っている念というのは。
仏教では気づくという心の働きを念というふうに呼びます。
この念の働きというのは本当に大事で
悟りに至るためには、7つの心の働きが必要だと
言われるんですけど、その一つにも念は入っています。
この働きみんな持っているんですけれども、人によってこの働きが
弱い人もいるし、強い人もいるんですね。
もちろん強い方がいいわけです。その方がこの働きは盛んになりますから。
念を養う瞑想と日常実践
ではどうすれば、この念という働きを強くする
養うことができるのか。これ2つ挙げられます。
1つは瞑想です。
瞑想というのは、1つのことに気づき続けるという
作業を基本的には行いますので、1日5分だけでも
瞑想するだけでも念を養うことのためになると思います。
でもそれだけじゃなくて、この仏陀は行、住、座が
つまり日常のいかなる時にも
この気づきというものは養えるということを示唆されていまして、
これ実際に私もそうだと思います。前週ではよく
日々これ道場というふうに言いますけれども
いかなるところでも私たちは実践を
することができるんですね。本を読んでいるときでもそうですし
勉強しているときもそうですね。歩いているときもそうですね。対象に
意識を置いて念を養うということができます。
そのようにして養われた念が考えすぎるとき、妄想に行こうと
しているときに働いて、妄想を遮断させて、私たちの
心が苦しまないように安定したものになるように
一夜賢者の偈
寄与してくれる。最後にですね、仏陀が説かれた有名な詩の
一つに一夜賢者の下と呼ばれるものがありますので
これをご紹介したいと思います。過去を追い
行くことなかれ、未来を願い行くことなかれ、
過去はすでに過ぎ去りし者、未来は
未だ来ぬ者ゆえに、現に存在している方
を、その場その場で観察し、揺らぐことなく
動じることなく、知者はそれを修するがよい。
今日こそ勤め励むべきなり。
誰が明日の死をしろう。かの死亡の
大雲と。約束することなきゆえに、
この世に住み、熱心に忠や怠る。
熱心に忠や怠ることのない、かれこそ
健全一期なり。本日も最後までご視聴
いただきありがとうございました。私のこの活動、
番組をサポートしてくださっている方々のご安寧を心より
お祈り申し上げます。またご視聴してくださった
方々が、またご視聴いただいた皆さんが仏教にますます
親しまれますことを心よりお祈りします。
東京での仏教講座のお知らせ
それではまた来週お会いしましょう。最後にお知らせを
させてください。10月より毎月、東京において
仏教講座の講師を務めることになりました。
毎月ですね、第3土曜日か
の1時から始まります。私は
10月、11月、12月、1月、2月と担当を
持たせていただきます。東京のですね、世界貿易センター
ビルアネックス別館の10階会議室で
開催されます。私は13時15分から
14時15分までとなっております。こちら書いて
あります通り、無料で開催される講座となっておりますので
ぜひ皆さんにもお越しいただければと思います。
東京でお会いしましょう。
15:11

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