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こんばんは、フユコです。さあ、ゴールの錯覚。それは本当に現実なのか?それとも、今のあなたにはそう見えているのか?
今日も一つ、自分の認知を紐解いていきましょう。はい、今夜は第7話。
同じ出来事なのに、人によって意味が違うのはなぜ?というお話をしようかなと思います。
前回はね、嫌われた気がする。これの中には何が入っている?という話をしました。
例えば、LINEの返信が来ない。そこから胸がざわざわする。不安になる。嫌われたのかも。そう意味をつける。このまま関係が悪くなるかも。そんな未来を予測する。
普段は全部まとめて、嫌われた気がする。そう感じているけれど、細かく見ていくと、事実と体の反応と感情や解釈、そして未来の予測、いろんなものが入っていました。さあ、今日はね、そこからもう一歩進みますよ。
そもそもさ、同じ出来事が起きた時に、みんな同じように意味をつけるのでしょうか。
例えばさ、あなたを含めた3人が同じ会社で働いているとするよ。ある日ね、上司から3人にさ、
明日の朝ちょっと話したいんだけど、9時に会議室に来てもらえる?そんな風に言われました。話の内容はまだ聞いてません。
これを聞いたAさん。
昨日出した資料か。いや、怒られるんかね。急に不安になります。
Bさんは。え、なんだろう。新しい仕事かな。この前話してたプロジェクトかも。で、ちょっと楽しみに。
Cさんは。あ、わかりました。了解。これで終わる。
同じ言葉を聞いてるんだよ。明日の朝9時に会議室に来てほしい。まだ誰も何の話か知らん。
なのに、Aさんの世界では、なんか悪いこと起きるかもしれない。だし、Bさんの世界ではね、なんか新しいこと始まるかもしれない。
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だし、Cさんの世界では、明日9時会議で、これだけ。ね。同じ出来事なのに、もう既に見えてる世界違くないですか。これめちゃくちゃ面白くない。
もし、出来事そのものの中に、最初から意味が入ってるんだったら、3人とも同じように感じることができるよね。
だけど実際には、同じことが起きてるのに、不安になる人もいれば、嬉しくなっちゃう人もいるし、腹立っちゃう人だっているし、何とも思わない人もいるでしょ。
っていうことって、結局さ、私たちって、外側で起きたことだけに反応してるわけじゃないんだよ、っていうことなの。
その出来事を、自分がどう受け取ったのか、そこによってね、見える世界が変わってるってこと。
例えばさ、お友達から、最近頑張ってるね、そう言われたとするよ。
ある人が、見てくれてたんだ、めっちゃ嬉しいって思うけど、別の人はさ、なんか上からじゃない、もっと頑張れってこと?みたいに感じたり、
また別の人は、心配かけたんだな、なんか無理してるように見えちゃったのかな、出してダメだな、みたいに思うかもしれないじゃん。
言われた言葉は同じなんだよ。最近頑張ってるね、これだけ。
でも、受け取ってる意味は全然違うよね。
っていうことはさ、私たちが普段、相手にこう言われたからこう感じた、そう思っていること。
それも、実際にはその間に、自分の意味付け、これが入ってるかもしれませんよ、っていうことが一体。
上司に呼ばれたから不安になった。何じゃなくて、上司に呼ばれました。
私はそこに何か悪いことを言われるかもしれないっていう意味をつけました。だから不安になった。
もちろん、毎回こんな風に頭の中で文章にしてるわけではないよ。
第3話で話したように、意味付けってめちゃくちゃ早く起こるから。
だから本人にとっては、上司に呼ばれたら不安になるの普通でしょ、くらい自然に感じることがあります。
でも本当にみんなにとって普通なのかな。だってBさん楽しみにしてたよね。Cさん何も感じてなかったよね。
ここで初めて、自分が今まで当然そのように見えるものだと思っていた世界、これが実は私にはそう見えている世界なのかもしれない。
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それがわかるということ。これが今日一番持って帰ってほしいところ。
あなたが世界はこうだと、私には世界がこう見えているとでは似てるようで全然違うの。
人前で話すのは怖い。ではなく、私は人前で話すことを怖いと感じる。なんだよね。
失敗したら恥ずかしい。じゃなく、私は失敗をすることに恥ずかしいという意味を付けている。
こんなことしたら周りから浮いちゃう。なんじゃなくて、私はそれをすると周りから浮くと予測している。
こうやって見ていくと、ちょっとずつだけど、世界そのものと自分が見ている世界の間に距離ができるでしょう。
ここでも自分の見方なんて変えなくていいの。Aさんが怒られるかもしれない。
そう思ったら、そんな風に考えちゃダメだよ。Bさんみたいに前向きに考えようとかじゃないの。
それやると今度はポジティブに解釈するのが正しいっていう新しい正解を取り込むだけになっちゃうから。
そうではなくて、Aさんが見たいのは、私はこういう場面で何か悪いことが起きるかもしれない。
そういう意味が立ち上がるんだな。っていうこと。それをAさんが見てほしい。
Bさんだったら、私はこういう場面を新しいチャンスかもしれないって受け取るんだな。
Cさんだったら、私は情報がない段階ではあんまり意味付けないんだな。
私ちょっとCさんかな。分かんないもんだって。分かんないことで悩まない。
それでCさん。これが誰が正しいかじゃないんだよ。誰が間違ってるかでもない。
そうじゃなくて、自分は世界をどう見ているのか。それが少しずつ見えてくることが今は大事って話がしたい。
分かる?で、ここから一個面白い問いが生まれるんだけど。
同じ出来事なのに、なぜ私はこの意味付けるんだろう。
なぜ私は怒られるかもしれないと思うんだろう。
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なぜ他の人はチャンスかもしれないと思ったんだろう。
私たちは生まれた時から同じ出来事に同じ意味を付けてたかな。
それともこれまで生きてきた中で少しずつこれがこういうものだっていう自分なりの見方を作ってきたのでしょうか。
どう?
今日はまだ答えを出しません。
でね、今日やってみてほしいなって思うのが一個だけあって、誰かと自分の反応が違った時、
なんでそんな風に思えんの?ではなくて、一度ね、
あ、この人にはそう見えていて、私にはこう見えているんだ。
そういう見方をしてみてください。
そして自分に、私はこの出来事にどんな意味付けてるんだろうって聞いてみて。
今日持って帰ってほしいのは、同じ出来事でも人によって意味って違う。
っていうことは、私自身がね、これが現実って思ってるものの中にも自分自身の見方が入ってる。
世界がそうなんじゃなくて、今の自分には世界がそう見えているのかもしれない。
これ、この視点を一個持って帰ってください。
はい、そして次回は第一章の最後。
あなたの当たり前は誰にとっても当たり前?
普通こうするよね。そんぐらい出来て当然だよね。
こうするのが常識でしょ。私たちが普段疑うことすらない当たり前。
これを見ていきます。
もしかするとね、あなたがずっと世界のルールだと思っていたものの中にも
あなたにはそう見えているが隠れてるかもしれません。
怖い!それでは。