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おはようございます、ユコです。 さあ、ゴールの錯覚第1章、私たちは世界をそのまま見ているのか。
第2話は、事実と解釈は何が違う、です。 前回は、私たちは出来事をそのまま見ているわけではないよっていう話をしました。
例えば、
ここまででしたよね。 今日はここをね、もう一段細かく見ていきます。
テーマは、事実と解釈は何が違う。 まず、言葉の意味、これを揃えておきます。
このシリーズでは、事実とは実際に起きたこと。 第三者が確認しても、基本的に同じように確認できるもの。
そして解釈とは、その事実に対して自分がつけた意味として扱います。
例えば会社でね、上司からこの資料もう一度確認しておいて、そう言われたとします。
ここで事実は、上司がこの資料をもう一度確認しておいてと言った。ここまで。
ところがその瞬間に、やっぱり私の資料ダメだったんだ。 ちゃんとできてないやつって思われたかな。
またミスしたのかな。 仕事できないやつって思われたかも。
こんな風に言葉が出てくることがあります。 さて、これは事実でしょうか。
違いますよね。 上司があなたの資料はダメ、そういったわけではないし、
あなたは仕事ができませんとも言っていない。 実際に起きたことに自分が意味をつけている。これが解釈です。
もう一つ。 友達にLINEを送った。
夜になっても返信がない。 事実は現時点で返信が来ていない。これが事実ですよね。
ところが、なんか怒らせたかな。 この前のあれが嫌だったのかもな。
距離置かれているのかも。 そう思った瞬間、私たちの中では、
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ただの返信がないという事実が、 嫌われているかもしれない世界に変わります。
ここで大切なのは、解釈が悪いわけではないということよ。
人間は起きた出来事に意味をつける生き物です。 これ原理原則。
なので、解釈しない人になりましょうっていう話ではありません。
問題になるのは、どこまでが事実で、 どこからが自分の解釈なのか、その境界線が見えなくなった時。
例えば、上司に注意されたから私は仕事ができないと思っているとします。
本人の中ではね、私は仕事ができないまでが事実になっちゃってるね。
そうすると次に、だから自分は難しい仕事は任せてもらえないだろう、とか、
ここから転職なんか無理だ、とか、 自分にはこのぐらいの仕事が合ってるんだ、
などと未来まで決め始めちゃう。
だけど最初に起きたことは、もしかしたら、 上司から資料の一つの部分について修正を求められただけかもしれない。
ここかなり大きな違いですよね。
事実と解釈がくっついてしまうと、 自分がつけた意味を世界がそうなっていると思い込んでしまう。
だから事実と解釈を分けるという目的は、 正しく解釈をするというためではありません。
まして、ネガティブな解釈を無理やり ポジティブな解釈に変えるということでもありません。
目的は、ここからは自分が意味づけしているんだ。
自分の認知、これを見えるようにするということ。
これを認知科学用語では客体化って言います。
お客さんの客に、体に分けるでね。客体化と言います。
客体化っていうのは、自分の中で起きている思考または反応。
これを、これが私だ、これが現実だと一体化してみるのではなくて、
私は今こう捉えたんだな、私は今こう考えたんだなと 一歩離れて観察できる状態のこと。
例えば、嫌われたから、私は今嫌われたって解釈してるんだな、ここに変わります。
たったこれだけなんですけど、この二つは全然違くて、
嫌われたが現実なら、私にできることはその現実に対応することになっちゃう。
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謝ったほうがいいかなとか、もっと好かれるようにしないとなとか、
今LINEしないほうがいいかなとか、何かしら正解を探し始めちゃう。
でも、自分は今、嫌われたって解釈してる。
それが見えた瞬間初めて、その解釈そのものを採用するかどうかっていう余白が生まれるんですね。
ここが、これからゴールを考えていく上でめちゃくちゃ重要になります。
自分を虐待化できるかどうかってことがね。
例えば、私にはそんな仕事できないとか、今さら遅いよねとか、今お金がないから無理とか、
まだ子供が小さいからできないとか、夫がうるさいからできないとか、
未来を考えた時にも、私たちの頭にはたくさんの言葉が出てきます。
その時、すべてを現実として扱っていたら、未来ってどうなると思いますか?
今の自分が現実だと思っている範囲からしか、未来を考えられなくなります。
できそうなことしか思い浮かばなくなる。
やり方がわかっているゴールなんて、すべて現状の延長線上の未来でしかない。
なので、このシリーズではいきなりゴールを決めません。
まず、私は何を事実だと思っているのか?
どこから自分の意味付けが入っているのか?
ここを見られるようになるところから始めています。
今日も何かもやっとしたら、一つだけやってみてほしいです。
頭に浮かんだ言葉に対して、それカメラに映ってますか?って聞いてみて。
上司がこう言った。
上司が言ったことは映像や音声として残せるよね。
上司は私に呆れてる。
これは映像や音声として残りますか?
LINEの返信が来ていない。これは確認できますね。
やっぱり嫌われた。
これは確認できませんね。
もちろんこれだけで全ての事実と解釈、これを厳密に区別できるというわけではありません。
でも、ここから先は自分が意味を付けているだけかもしれない。
そこに気がつく入り口にはなります。
今日持って帰ってほしいのは、事実と解釈を分けるのは解釈をなくすためではなく、
自分がどんな意味を付けて世界を見ているのかを自分で見えるようにするためということです。
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さあ、ではなぜ私たちは自分で意味を付けているにもかかわらず、
それをこんなにも簡単に事実だと思ってしまうのでしょうか。
次回は、なぜ解釈を事実だと思ってしまうのか。
面白いね。人間の認知の仕組みをもう一段階で読み解いていきます。
それでは。