自分と相手の見ている世界は違う
こんにちは、フユコです。 シリーズ自分を生きるのその先で、ちょっと結構空いてしまいましたが、今日は第2話です。
はい、第2話の今日、あなたのいいよねに相手はいる? っていうお話をしていこうかなと思っています。
第1話、前回はね、自分で決める、これがゴールじゃなかったっていう話をしました。
相手はどう思うか、普通はどうするのか、何が正解なのか。
そんなふうに、いつも自分以外の誰かを基準にしていたところから、私はどうしたい?
そう自分に問い直せるようになる。
これは、自分の人生を自分で選んでいくためにとても大切なことです。
でも、今日はその先のお話をします。
ちょっとこんな場面を想像してみてください。
あなたがね、ずっと楽しみにしていたイベントに参加することになりました。
ようやく予定があって、申し込みもできて、当日がめちゃくちゃ楽しみで仕方ない。
なんだけど、当日一緒に行く予定だった友人から、
ごめーん、ちょっと都合が悪くなっちゃった。
って連絡が入ります。
そこであなたは、えー、そうなの?
でもせっかくだし、少しだけでも来られない?午前中だけとか。
そんなふうな返しをします。
相手のことを嫌がらせしようなんてもちろん思ってないし、ただ一緒に行きたい。
せっかく楽しみにしていたんだから、できれば来てほしい。
そんな気持ちから出た言葉です。
でもね、ここでちょっと考えてみたいんです。
少しだけでも来られない?
この言葉を口にしたとき、あなたには何が見えていましたか?
楽しみにしていたイベント、一緒に過ごすはずだった時間、せっかく予定を合わせたこと。
そういった自分にとって大切なものが見えていたかもしれません。
では、相手の側には何があるでしょう?
急に仕事が入ったのかもしれない。
ご家族の事情があるのかもしれない。
体調が悪いのかもしれない。
もちろん、理由は聞かなければわかりません。
ここで大事なのは、相手の事情を勝手に想像して正解を当てることではないんですね。
自分が見ている世界と相手が見ている世界、これは必ずしも同じではないということなんですね。
私たちは普段、自分が見ている世界、これをあまりにも当たり前に感じています。
自分にとって楽しいこと、自分にとって大切なこと、自分にとって安心できること、
それらが自分の中ではとても自然に成立しています。
だからこそ時々、相手にとってもきっとそうだろうという前提が紛れ込むことがありますね。
例えば、これにすっごい便利だから使ってみて。
あのね、この人めっちゃいい人だから会ってみて。
絶対楽しいから一緒に行こう。
選択的注意で見えなくなる相手の事情
日常でよくある会話ですよね。
どれも相手のためを思って言っている場合だってあります。
でも、私にとって便利なものが相手にとっても便利とは限らない。
私が信頼している人を相手も信頼できるとは限らない。
私が楽しいと思うことを相手も楽しいと思うとは限らない。
当たり前のことのように聞こえるかもしれません。
でも、これが自分のこうした意がはっきりしている時ほど見えにくくなることがあるんですね。
ここで少し認知の仕組みのお話をしますね。
私たちは目の前にある情報、これをすべて同じように認識しているわけではありません。
自分が何に関心を持っているか、何を重要だと感じているか、
何を実現しようとしているか、そういったことによって注意を向ける情報が変わります。
例えば、新しい車を買おうと思い始めた途端、街中でその車ばっかり目につくようになった。
そんな経験ないですか?
それってその車が急に増えたわけではありませんよね。
これって自分にとってその車の重要度が上がったことで、以前より気づきやすくなったわけです。
これを認知科学では選択的注意と言います。ラスとか言ったりします。
たくさんある情報の中から一部の情報に注意が向く動きのこと。
この仕組み自体は私たちが日常生活を送るために必要なものなのね。
ただ、注意があるところに向いているということは、他の情報には十分に注意が向いていない場合もあるということ。
自分の個自体が明確になった時も似たことが起こりうるのね。
どうしたら実現できるだろう?いつだったらできるだろう?誰にお願いすればいいんだろう?
自分の目的を実現するための情報、これがどんどん見えてくる。
ラスが発火してどんどん入ってくる。
その一方で、相手にはどんな事情があるのか?相手はそもそもそれを望んでいるのか?
相手にとってその選択はどんな意味を持つのか?そこまで注意が向いていないこともあるんですね。
相手の答えを決めつけず、自分の希望も消さない
ここで一つ区別しておきたいことがあります。
それはね、相手のことを考えていないということと、相手を大切に思っていないということは同じではないよということ。
相手を大切に思っていても、自分の前提で相手を見ていることはあります。
逆にね、相手の気持ちを一生懸命考えていても、自分の想像を相手の本音だと思い込んでしまうこともあります。
なので、今日お伝えしたいのは、もっと相手の気持ちを考えましょう、ではありません。
相手の気持ちを想像することと、相手が実際にどう感じているかを知るということは別だからです。
じゃあどうしたらいい?
私はまず、これは誰にとっても当たり前なんだろうと、自分に問い直してみることだと思っています。
私は楽しい。でも相手はどうかな?
私は安心している。でも相手は安心しているだろうか?
私はこれで大丈夫。でも相手も同じ条件で大丈夫かな?
ここで、相手の答えを自分で決めてしまわないということです。
わからないなら、わからないままにしておく。
必要があったら本人に聞いてみる。
これだけでも、見える世界は変わってきます。
そしてもう一つ、ここで、昔の自分に戻らないでほしい。
相手が嫌かもしれないから、私はやめておこう。
迷惑になるかもしれないから、言わないでおこう。
相手に合わせたほうがいいよね。
そんなふうに、自分の希望を消してしまう必要はありません。
私は行きたい。これはあっていい。
相手はいけない。これもあっていい。
その2つは同時に存在できるんです。
相手が行けないからといって、私が行きたいという気持ちをなくす必要はありません。
私が行きたいからといって、相手に来てもらう必要もありません。
私は一人でも行くのかもしれないし、今回は見送るのかもしれない。
選択肢はいくつもある。
大切なのは、最初から相手の答えを自分の中で決めてしまわないということです。
日常の前提を振り返る自己適用
さて、今日は最後に一つ、日常の中で観察してみてほしいことがあります。
最近誰かに、これいいよね、これで大丈夫だよね、こうすればいいんじゃない?
そういった場面はありませんか?
あるいは、実際には口にしていなくても、きっと相手もそう思うだろう。
そう考えて進めたことはありませんか?
その時、自分は何を前提にしていたのか。
そして、相手も同じ前提に立っていることを実際に確認していたのか。
そこを少しだけ振り返ってみてください。
もし、確認していなかったとしても、だから私はダメなんだ、って評価する必要はありません。
ただ、「ああ、私は自分の見ている世界を相手も見てるって思ってたのかもしれない。」って気づく。
まずはそこからです。
私はどうしたい?この問いで自分の主語を取り戻す。
取り戻したらその次に、私とは違う世界を見ている人もここにいる。
それに気づく。
自分を生きることは、自分だけの世界を生きるということではありません。
次回は、今日のお話をもう少し具体的な場面から読み解いていきます。
タイトルは、「親が安心なら子供も安心なの?」
同じ一人の大人に対して、親と子供では全く違う世界が存在しているかもしれない。
そんなお話をしていきます。
それでは、今日も自分の人生を自分の主語で。
えいこでした。