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93歳現役!酒造りの神様が語る想い ゲスト|農口尚彦研究所杜氏 農口尚彦さん
2026-10-14 16:50

93歳現役!酒造りの神様が語る想い ゲスト|農口尚彦研究所杜氏 農口尚彦さん

■内容

#135|93歳現役!酒造りの神様が語る酒造りへの想い 


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サマリー

石川県の農口尚彦研究所を訪れ、農口尚彦さんへの取材や蔵見学、5種類の日本酒の飲み比べを行う。酒米ごとの香りや旨味の違いを確かめ、白身魚や刺身、茶碗蒸し、松茸のフライとの相性を話す。農口さんは、かつて廃れつつあった山廃造りを学び、石川県で木桶山廃を復活させた経緯を語る。能登杜氏の仲間や後進に技術を伝えた時代の思い出にも触れる。農口さんは、日本酒を日本の米、水、魚、食、技術で造り、海外へ輸出すべきだと考えている。作り手の前で酒を飲むことで、店で飲むのとは違う感覚が得られるという話も交わされる。酒を飲めない体質でも仕事として飲み手の喜びを追求してきた農口さんの姿勢が印象的に語られる。出演者は、今回の取材を日本酒の未来や100年後にも残したい経験として振り返る。

農口尚彦研究所を訪ねる
これはもう、日本酒は本当に素晴らしい飲み物です。
お米を飲んでいるような、それぞれの、お米の香りを楽しんでいるような。
酒の道〜日本酒の聖地から〜
皆さん、こんにちは。こんにちは〜。
東京都北区大路にあります、日本酒屋つどっこの店主、平田雅人。
はい、上北信用金庫職員で、菊酒師の佐紀です。
こんにちは〜。
やばい。
はい。
ここどう見てもさ、王子じゃないよ。
いやもう、だって後ろに杉玉があるから、絶対王子ではないですよね。
王子ではないよね。
はい。
ここはどこですか?
ここはどこでしょう?
石川県の戸松市まで来てます。
はい、なんと野口直彦研究所に来てるんですよね。
SSIさんのイベントで、野口直彦さん、酒造りの神様といわれる、野口陶事にお会いできるということで、
しかも取材OKいただきましたので、酒の道も3年目にして、すごいところまで来たね。
本当ですね。
本当に。
これからいろいろ取材もさせていただくんですけれども、
まず、蔵見学でしたりとか、野口陶事との懇談とか、
あとはテイスティングルーム、東安でのプレステージラインのテイスティング、
そして戸松市の名店日本酒料理の梶助さんの出張解析も楽しむことができますので、
いっぱい飲んで食べて、話を聞いていきましょう。
それでは行ってきま〜す。
5種類の日本酒と料理のペアリング
10枚、大仁町の山谷仕切り。
はい、24枚。
1番、右です。
こっちは別途、日入れのもの。
はい、日入れです。
全て日入れです。
2番目が、山谷の大仁町の山仁仕切り。
3番目が、山谷の大仁町の藍山。
尾町。
尾町、こっちが尾町。
4番目が、
山谷の大仁町の藍山。
5番目が、山谷の10枚以上の500枚です。
はい。
今、5種類飲み比べて、
5種類。
やはり藍山が一番香りと旨味が出てる。
やはりそこの白身魚を作り合わせるのがいいんじゃないかと思って、
やっぱりこれが一番美味しい。
で、逆に貝、貝貝の刺身はさっぱりしてるので、
と思って、宮間か、宮間が美味しいと思って、
僕は宮間を選んで、
だから、必死で大トロ、マグロ、
すっかり脂っこい味わいの部分で、
僕は尾町を選んで飲んでる。
だから、勝手に美味しい。
勝手に美味しい。
マリアージュされちゃってますからね。
野口研究所の酒粕を入った、
茶碗蒸しで、
あんが乗っかって、
トリュフの削ったのがかかってると。
美味しそう。
これはどのお酒と合いそうですかね?
旨味が強いなと思ったので、
山田錦から行ったらすごい合って、
愛山をいただいたら、
やっぱり愛山の香りが強いから、
山田とか尾町の方が、
宮間だとちょっと柔らかすぎたかなっていう印象を受けております。
なるほど。
飲み比べ自体はどうですか?
やっぱり違いありますか?
全部違います。
それぞれのお米の特徴が引き出されてるし、
お米を飲んでるような、
それぞれのお米の香りを楽しんでるような、
松茸のフライなんです、天ぷらじゃなくて。
フライですか。
お酒はどれが合いそうですか?
やはり、僕自身こうやって旨味のある状態だと、
自然と尾町に手が伸びるんですよ。
ここで愛山を飲んじゃうと、
甘みが邪魔する気がしてて。
なるほど。
尾町だと、
香りですね。
香りの部分で、愛山よりは尾町かもしくは宮山ぐらいの方が
お料理とのペアリングがいいんじゃないかなって僕は思います。
なるほど。
キレがあって、キレは旨味も残るので、
お料理のペアリングでこんなに素敵なお酒を並ぶと、
口の中の結婚式がどんちゃん騒ぎなんですよ。
どんちゃん騒ぎしている。
大変なんですね。
大変なんですね。
大変なんですよ。
口の中が忙しいですね、今。
複雑味のあるお酒がこんだけ並んだ中で、
お料理をいただく機会もなかなかないので、
今日の経験を生かして、
より帰宅の未来に、酒の内の未来につながる
一日にしたいなと思っております。
柔らかさの中に愛もあるようなお酒を
いつも作っていただいて、それを我々が使わせていただいて
非常にありがたいなと思っております。
ありがとうございます。
山廃造りを学び復活させた歩み
伝えたいことがまだまだ終わりなんじゃないかなと思ってます。
たくさんあります。
その中でも、これだけは伝えたいなみたいな酒作りだったりとか、
この100年後、山肺が広がっていたらいいのか、
世界中にもっと日本酒とか、
逆に狭い範囲でもきちっとおいしいお酒が伝わればいいのか、
とりあえずこの未来に対して、
どういうお酒の思いがあるか、まずお伺いしてもよろしいでしょうか。
山肺、基本的に土台があって、
その土地でも不死草風になれば、
あちこち腐ったった子が逃走していくんですね。
巣造の時代ですよね。
そういうのがたくさんあって、
枝川二郎という先生が、
昭和の年齢で、巣造元の土台を開発したんです。
いきなりPH4の3世に作って、
そこからスタートしていく巣造元の土台を開発されて、
ああ、それ安心です。
一番作りやすいところで、
わーっとみんな巣造に関わってしまったんです。
巣造元のお酒を作ったら、
こんなの飲みたくないよ、巣造元のお酒。
すごいお酒を飲みたいんだ、山へ行く人たちが、
みんな言うんですよ。
そしたら、4年、5年、6年ですから、
十何年下積みのところで育ったんです。
その巣造元を作る、軽いお酒を作るのを身につけて、
石垣にしたわけです。
そしたら、9名いる山のほうの人たち、
みんな山仕事に行って、
弁当持ってあがって、熱水垂らして、
木を枝葉で払う、木を切る、
そういう仕事をする人がほとんど居てたんです。
山を越えに。
たくさん、スラムネ村まで村子もあるある。
その人たち、みんなそうです。
こんな巣造元飲みたくないって、自然にみんな言われて、
巣造元の人たちは綺麗な酒やって褒めてくれたんです。
ところが、飲む人たちは嫌われて、
それから、こういう酒を作るのに、
私は田んぼまで山肺を習いに行ったんです。
私も山肺を作る人は一切なかったくらいの時代なんです。
お酒を勉強した時代は、
こっちがいい木元山肺元は、
業界では昔の酒だと。
昔の酒だとしたりできて、
もう2、3年しか飲みやすくない。
みんな巣造元に変わってしまって、
安心で腐らせずに、
毎年同じ形の巣造元を作れるということで、
巣造元にみんな変わって戻ってきた時代で、
これを作りたいと言ったら良いということで、
田んぼへ行きました。
山肺を習いに行ってきたんです。
松陰という父さんに教えてもらって、
急に山肺を作りたかった。
そうしたら、山へ行く人は、
これうまい、喜んでくれた。
そうしていたら、石川県では、
大きな木元山肺を復活させた。
能登杜氏の交流と技術継承
日本酒大好きな人は、
何十年か前ですけど、
のとし天皇と言われた時代。
長谷さんだとか、三昧さんとか、中さんだとか、
のと当時軍団というかですね。
その当時の、のと当時の交流とかって、
どういう交流があったんですかね。
のと当時、軍団があって、
その中で、基本が私だったんです。
東京へ山へ出して、
石川県から車に行けば、
群馬銀行があった。
その裏側に、のささ酒という飲み屋があったんです。
そこに捕らえられて、
私ども山へ作ったのささ酒で飲まれていた。
米軍軍に出船直後やったから、
米軍軍にもう50年経って、
急に作ってそこへ、
私どもの酒を飲んできたんです。
これを見とって、
20年代、30年代ですね。
それを見とって、
手熊井でも、石川県でも、
三昧さんでもね、
迎えに店が、
それを見とって、作ったんです。
そしたら、
みんな、
長谷くんで、
私、同級生なんです。
そうですか。
私が、
技術作りを教えたんですよ、長谷くんに。
そうですか。
一番てっぺんの側を教えたんですよ。
てっぺんの側を教えたんです。
それがみんな、そこにあったり、
もともと14年、
5日間作ったんですけどね。
一番のちょっかかりの側の、
ささずというようなのにあったり。
それがね、
米軍なんですか、
業術を作って、
50代には、
コップとりなんですよ。
2杯ぐらい飲んで、
みんな戻ってくる。
次の店に行くだとかね、夜だとね。
そんな時代があって、
もう、
9位まで俺が入った時、
650個くらいしか作ってなかった。
長谷くんにしてもらったんですけどね。
日本酒を日本で造り世界へ届ける
前に近づくとき、
小学校に出た、
実験室にね、
いっぱい出てくるんですよ。
まだまだ、
日本酒を知らない日本人、
たくさんいます。
はい。
最後にメッセージいただけますでしょうか。
当然にお酒を飲める世代、
そして飲めない世代の子たちにも、
日本酒の素晴らしさを一言いただけたらと思うんです。
ああ、そうですか。
これはもう、
日本酒は本当に素晴らしい飲み物です。
世界から今、
注目をやたら浴びています。
やっぱり、
日本酒は日本の国道で作るべきだよ、
というのが私の考え方です。
米も魚前、
それから水、
山脈から上がってくる水、
きれいな日本の水、
それと、
作る技術と、
これはもう、
みんなが大切なのは日本酒なんだ。
これを日本で本当に作って、
海外に輸出するべきだ。
やはり、
日本の海、
日本の魚前で、
日本の水で、
日本のフードで、
日本の技術で作るべきだ。
それは私は思いません。
本当に、
美味しくいただきましたし、
ご本人の前でそのお酒を飲ませていただく機会、
なかなか、
作り手さんの前で飲む機会、
一般的に飲めるお酒でもなかなかないので。
私もね、
本当に、
飲み屋にたまに行って、
飲み屋で飲むと、
あれ?と思って、
自分で再確認するくらいの、
しか、
だけどね、
いつもくらいで、
ギザギザしていると、
感覚が全然違います。
そうなんですよ。
不思議なところに違います。
僕も店で出して、
食い分けして、
テイスティングするんですけど、
飲めない体質でも追求した飲み手の喜び
やっぱ、
お客さんとして座って、
食事と食べて、
こうやって飲むって、
全然違うので、
そうです。
だからこういうのも、
自分としてはやっぱ、
もっと大事に、
努力しなきゃいけないなと、
なかなか時間がないんですけど、
非常に貴重な経験させていただきました。
本当にね。
でも最後に聞きたいんですけど、
当時、実はゲコなんですよね?
ゲコじゃない。
全然飲めないんですよ。
飲めないんですよ。
僕、飲めちゃって、
困っちゃっているんですよ。
いや、全然飲めないんですよ。
もう爪までばっかりになる。
飲んだら、
この酒を一杯でばっかりになる。
アルコール分解するコースが、
この茶屋さんにいないんです。
振らせてもばっかりになる。
けど、やっぱり、
ギザギザしますよ。
ブレンドして、
水飲みの時はブレンドします。
真っ赤になります。
けど、仕事は仕事ですからね。
で、お客さんの喜ぶのがどこやーってことを、
追求した。
追求やりたい。
素敵なお話どうもありがとうございました。
なかなか、
作り手さんの前で、
お酒を飲む機会、
ないじゃないですか。
世の中で、
酒作りの神様と言われている方。
緊張は、
初めは本当に緊張したんだけれども、
お話が上がってて、
伝えたいことがまだまだある方。
だからメディアにも、
たくさん出てらっしゃるし、
80歳超えられたら新しい事業に参画なさるし、
今日のインタビュー、もっと聞けることもあったかもしれないんだけれども、
伝えたい方だから、
より未来に向かって、
残る我々インターネットラジオ、
ビデオポッドキャストっていうのが始まっている中で、
100年後も残るインタビューになればいいなと思いながら、
インタビューしちゃいました。
16:50

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