そうやって、生まれたてを飲む。その一方で、すごい熟成したものを飲む。
いろいろあるじゃないですか。 だから、なんか本当に、その一言に日本酒、酒の道と言っても、
本当に奥が深くて、もう何年生きてても、この世は飽きないなというふうに思っています。
酒の道 日本酒の聖地から
皆さん、こんにちは。東京都北区大塚の日本酒屋つどっこの店主、平田麻里です。
上北信用金庫職員で、菊崎氏の佐紀です。
ということで、今回のゲストは、株式会社彩色顕微の代表取締役、手嶋真希子さんにお越しいただいております。
どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
というところで、それでは佐紀さん、手嶋さんのプロフィールをご紹介お願いします。
株式会社彩色顕微の代表取締役、手嶋真希子さんです。
日本酒スタイリスト、食文化研究家として活動されています。
日本酒と料理のペアリングをはじめ、酒蔵ツーリズムのコンテンツ開発や受け入れ体制作り、海外への日本酒文化発信などを長年手掛けていらっしゃいます。
ということで、酒の道にご出演のきっかけがたくさんあるんですけれども、
今年の2026年2月22日に酒isnewagainというイベントでご出演させていただいたりとか、
あとは実は酒の未来図代表の越子高信さんのお母様ということもありまして、
いろんなつながりがあっての今回のご出演になったということですけれども、平田さんどうですか?
緊張してました私。日本酒業界を元祖インフルエンサーと言っても過言じゃないぐらい、
インフルエンサーって言葉がない時代から大恐縮なんですけれども、
本当に日本酒を聞きざけ、SSIさんも30周年近く超えまして近くなってますけれども、
そういった形で90年のバブル後ですよねどちらかというと日本酒をきちっと発信していこうという形。
それまでは飲んで飲んでわーってもう一回盛り上げろっていう80年までの時代から、
サラリーマンがネクタイハチ巻きで帰って寿司のこういうのを持って、
ドリフの志村健さんじゃないけどそういった時代じゃない。
たとえば以前も別のイベントで僕もご一緒したときに、
山形の出羽桜の中野社長とかも銀城酒ブームの引き役だったりだとか。
そういう時代がほんとまさに。
ちょっと90年代、あの子たとえば常勢水野ことしとか。
そうですね。
あの頃からガラッと日本酒が変わり始めた時代。
そうですね。おっしゃる通り私が日本酒スタイリストに、
これは日本酒造組合中央会が認証しているものなんですけども、
認証されたのって2002年なんですよ。
その頃なぜそういう組合が行ったかというと、
当時はとにかくおじさんの酒としての日本酒を、
いかに女性たちにも飲んでもらえるお酒にするかっていう、
そういうことがあって、この日本酒スタイリストっていうものができて、
それで活動を始めたっていう形なんですね。
今では信じられないと思うんですよ。
女性もみんなパワフルに日本酒たくさん飲むじゃないですか。
そうですね。
でも当時はほんとやっぱりまだまだ銀城酒ブームっていうのが始まっているんですけれども、
まだまだ日本酒は男性のものっていう、
そういう時代の中でこの日本酒スタイリストっていうものが組合事業として行われて、
そこで私は食文化というジャンルとテーブルコーディネートというジャンルで、
日本酒を女性たちにいかに親しんでもらえるかみたいな役割をしてきたっていう、
そんな流れがあるので、まさに今皆さんがおっしゃった通りのその時代背景があります。
2002年って僕が20歳になった年で。
そうなんですか。
1982年生まれだね。
ちょうど大学2年生、2年生ですね。
20歳になった時だから。
そうですか。
あの時代ですよね。
僕は江古田の日本大学芸術学部に通っておりまして、
演劇学科の仲間がたまる居酒屋があって、
あの頃ビール飲んだり、何飲んだんだろう、ウロハイ飲んだり。
そこで宮の行きのたる酒があって、
それは飲んでた印象が居酒屋さんで何飲んでたかなっていうと、
そういう印象というのがやっぱり飲んでましたし。
そうですね。
当時も結構おいしいお酒はたくさん銀条酒も流通して、
私たちが一般的にも味わえるようになっていたので、
すごい良いお酒を飲める環境はあったんですけど、
それまでの歴史の中でやはり日本酒を飲むと頭が痛くなるとか、
戦後のお米がない時代に作られていた、
お米が不足している時代にやっぱりアルコールをたくさん添加して
作っていたお酒のイメージが。
山蔵酒とかには。
そうですね。
まだまだ残っている時代だったんですよ。
だからさっき長年この業界でっていう、
もう20年以上になるんですけれども、
その移り変わりが本当にすごかったなと。
今現在の状況を見ると、
当時2002年から日本酒スタイリストという形で、
じゃあ女性にも飲んでもらえるようにということで、
当時は女性のためのお酒スクールとかがあったんですよ。
今では考えられないですね。
女性のためのとかが作っている。
それも静岡宮中央会がやっていて、
10年くらいその授業が続けられて、
そのくらいこの20年くらいで、
日本酒を取り巻く環境っていうのは、
もうガラッと変わったと思っています。
僕の学生時代を思い出すと、
ちょうどどちらかというと焼酎ブームど真ん中な。
そうですね。焼酎がすごく。
黒霧島で逆に手に入らないものだと、
森井蔵だとか真央だとかが、
インターネットがちょっと出始めた頃、
ヤフオークションとかも始まった頃で、
やっぱり4万円、5万円で、
あとは100年の孤独とか、
そういったものがすごい高価に取引されている時代で、
日本酒バーよりも焼酎バーの
圧倒的に街でも多かった時代ですもんね。
だからもうその焼酎ブームにあがって、
日本酒もなんとかっていう感じで、
ちょうどそういうことを仕掛け始められていた業界として、
そういう時代の時に入ったんですよ、この業界。
そうなんですか。
それもしかも女性が日本酒を飲んでいこうというか、
楽しんでいこうっていう。
だから今は全然当たり前ですけど、
そうですね。
それも第一人者みたいな。
いやいや、そんなことはないんで、
いろんな方々が応援団となってやってきているというのがあるので、
今本当に20代の人たちもたくさんが、
この業界に対して関心を持っていて、
お酒で何かやりたいっていう人たちが増えているっていうのは、
本当に素晴らしい変化だなと思っています。
なるほど、ありがとうございます。
ちなみにプロフィール紹介の時に、
株式会社彩色顕微の代表取締役を務められているっていうふうに、
先ほどあったんですけれども、
これってどういった活動などをされているんでしょうか。
活動というより、彩色顕微という会社は、
色を彩ると書いて、
県は豪華絢爛の県で美しいと書くんですけど、
来年で35周年くらいになる会社なんですよ。
あっという間にこういう自分の会社で、
職っていうのはコミュニケーションの原点だっていう思いがあって、
そこから職を通じたもてなしという、
ホスピタリティということをテーマに、
テーブルコーディネートであったり、
日本酒ペアリングであったり、
酒柄ツーリズムであったり、
その横節は全てもてなしということなんですけども、
それをコンテンツ開発やイベント、
それを体験する場の提供、
こういったことをずっとやってきた会社なんです。
そうだったんですね。
コミュニケーションだったりとか、おもてなしという。
ホスピタリティっていう、
職を通じたホスピタリティっていうのは、
自分にとっての一番の原点にあるものなので、
会社の名前も職を彩り、
剣っていう、豪華剣乱の剣っていうのは、
織りなすという意味があって、
美っていうのは美しい空間とか、
美しいつながり、美学という、
非常に深いものを追求していきたいなと、
まだ若かれし頃の思いというか、
そういうものでつけた名前なんですけども、
その中で多く日本酒ということが、
一つ大きな軸になってきているという形ですかね。
なるほど。どうですか。
飲食業界の兄さん、どうですか。
今のお話をお伺いして。
僕がお店を始めたのが2009年なんですね。
ちょうど脱細酸とかのブームが、
始まりだした頃って言ったら、
本当の第二期金上酒ブームなのか、
やっぱり2010年、11年くらいから、
僕も震災は2011年くらいから、
例えば柿沼さんだとか近くの酒屋さんに足を運ぶような、
本格的に日本酒を扱い始めさせてもらった。
約10年前ですよ、2002年。
2000年頃から、
組合中央会社さんの方でもやっぱりちょっとガタガタガタって、
結局1970年代には4000くらいあったところが、
2000年頃に多分2000くらいまで減っている。
結局もう会社の数も半分まで減っちゃったというところで、
どうにかしなきゃいけない。
じゃあまずは女性だというところがあったかもしれないんですけど、
その活動が10年経って、
逆に根付き始めた頃に、
僕が酒を使わせてもらい始めた時期なんじゃないかなと、
今お話を伺いながら。
非常にタイムライン的なイメージが僕の中で浮かびましたね。
何をやったから、今だからそれがこうだとか、
なかなかそれの因果関係っていうのはわからないじゃないですか。
でもきっかけの1個だったのは間違いなくそうなんじゃないかな。
でもそういうふうに言ってもらえると、すごいなんか嬉しいですよ。
いろんな活動をその期間やったことがね、
少しでも今のこの日本酒大ブームにつながっているっていう風な流れを、
今安平さんが言ってくださると、それはすごく嬉しいなと。
例えば本当にチェーン店的な、
例えば日本酒玄関坂倉さんとか、
そういったところも増えたじゃないですか。
だからだいぶ日本酒を、
当然僕が店を始めた16、17年前よりも、
入りやすいお店が増えたと思うし、
街の中のチェーン店、飲酒屋さんでも、
僕が扱っているようなラインナップのお酒も飲めるようになってますし、
やっぱり十数年前は考えられなかったので、
そうやって酒販店さんもたくさん努力なさって、
ルートも作ってっていうのはあるかと思う。
それと比べて、最初に話した2000年頃の
焼酎バーが全然ないなっていう寂しさはどこかであるんですよ。
現在ですか。
どこにあるかなっていうと、パッて浮かばないんですよね。
そうですね。
やっぱり時代で流行っていうのはすごくあるので、
そうなんですね。
やっぱり長くやってると、
その時の社会の流行っていうのはあるなっていうのはすごく感じますよね。
だけど、流行っていうのはそれがアウトプットされる手前に、
いろんなインプットというか、いろんな仕掛けが、
いろんな人たちがいろんな方面からやってるっていう、
そこが私は一番面白いと思うところなんですよね。
それのどれがどういうアレでアウトプット目が出るのかっていうのはわからないんですけども、
そこにいろんな試みがされるっていうのを、
だから今やっぱりクラフト酒とかね。
ありますね。
本当に考えられない20何年前では、
そういうジャンルがどんどん大きくなっていっていて、
それをまたすごく自分たち流に楽しむ文化があるじゃないですか。
そうですね。
そういうのを見てると本当にワクワクするというか、
これがじゃあどこに行くんだっていう、
なんかそういうのはすごく感じます。
クラフト酒とかね、その他の醸造酒っていうジャンルかもしれないですけど、
ビールの話がさせてもらうと、
今年ビール類の種類が均一になったじゃないですか。
第3のビールとか発泡酒とか均一な種類が出始めたのは、
本当に僕が飲み始めた20数年前頃、
約20年か30年かけて業界が変わっていったこのビールの方ですけど、
今度だから日本酒もクラフト酒って出始めてここまだ5年。
そうですね。
インチ得たのは5年くらいですよね。
だからここから15年くらいかかるかもしれないけれども、
もっと日本酒の醸造の仕組みがどんどん変わっていくことを
僕は望んでいるし、進んでいくんじゃないかなとすごく思っているタイミングではあります。
私は逆にそこがどうなっていくのかなっていうのはすごい楽しみなんですけど、
と同時にじゃあ日本酒とは何ぞやっていう、
そこをきっとそれによってまたみんな考えて、
それがどこに着地するのかっていうのもすごく楽しみな感じではありますね。
やっぱり何千年という歴史がある飲み物なので、
今自分が生きているところの状況ということを考えると、
そういう伸びしろと原点みたいな、
そのところのあり方みたいなのが非常にやっぱり関心があります。
これからも日本酒、いろいろな動向とかもちょっと気になるんですけれども、
これからもたくさん私たち先の道でもそういういろんな動きがあったら
いろいろ取り上げていけたらいいなというふうに私も感じました。
今どこでもいつでも絞りたてのお酒が飲めるとか、
今冬眠酒っていうね、冬眠っていうのは凍らせるっていう字に眠るって、
マイナス40度ぐらいで今までの冷凍技術とは全然違う技術で瞬間冷凍させて、
つまり今までは酒蔵に行かないと飲めなかった絞りたてを
冬眠させることで家で飲めるっていう、そういう時代になってるんですよ。
そういう技術なんていうのも、
生酒っていうのは少し前から流通してますけど、
やっぱり流通過程で味が変わるとか何とかいろいろあるんですけど、
もう冷凍技術がそこまで発達すると、
そういう今まで本当に蔵元に行って絞りたてを飲むなんていう贅沢っていうのが家庭でもできる。
まして外国人も可能なわけですよ。
冷凍だったら輸出する時に冷凍で輸出すれば。
確かに。
そういうことも考えて開発されている技術だと思うんですけど、
まだ日本で20社も作って扱ってはいないと思うんですけど、
本当にやっぱりそれって買って、
それを自分家で解凍させて、
それを開けて飲んでいただくと驚かれますね、皆さん。
やっぱりこれが日本酒っていう。
だからクラフト酒と伝統酒っていう違いもあるけれども、
日本酒はどんな段階で飲むかっていうのでも全然違う。
そうやって生まれたてを飲む。
その一方ですごい熟成したものを飲む。
いろいろあるじゃないですか。
だから本当に一言に日本酒、酒の道と言っても本当に奥が深くて、
何年生きててもその辺は飽きないなというふうに思っています。
そうですよね。
本当にクラフト酒が今出てきましたけど、
また今度別のお酒とかも日本酒の派生で出てくる可能性もありますし、
またいろんな飲み方も今増えてきましたし、
これからもすごく楽しみなところがあるので、
やっぱりその日本酒なんだなっていうのを感じましたね。
今度ちょっと帰宅についてお話を映していきたいと思うんですけれども、
なんと手島さん、帰宅花火会にお越しくださったこともあるということで、
帰宅にはどんなイメージがありますか?
そうですね。私の最初のイメージはやっぱり、
イメージっていうか帰宅っていうのを意識したのはやっぱり
飛鳥山公園の桜なんですよ。
東京のやっぱり桜の名称としての飛鳥山公園。
でも日本酒業界に関わるようになってからは、
やっぱり赤レンガ酒造工場なんですよね。
日本酒の聖地ということで。
これは業界では滝の川って言うんですよね、地名を。
滝の川の赤レンガ、滝の川の、
あそこの地名は帰宅滝の川ではあるんですけど、
だけどそれがあそこは帰宅なんだということで、
そこからまた一挙に距離は縮まってですね。
去年初めて花火大会にかかったんですけど、
ありがとうございます。
驚きましたね。東京人としてやっぱり、
花火って言ったら墨田川市から、
もう墨田川が団地外で地名度があるじゃないですか。
こんなすごい花火大会を
滝さんはもう10年以上やってらっしゃるんですよね。
だっていうことで、
荒川というその水域とか、
なんかやっぱり23区っていうのは
広いんだなっていうことをすごく感じました。
ありがとうございます。
ちょうどあのあれですね、
今年のその帰宅花火会なんと、
日本酒のストーリーがあったんですよね。
比叡だったりとか、
百個もいろいろストーリーに組み込まれていて。
今年は私はちょっとインバウンドコーナーを、
インバウンドエリアっていうのがあって、
そこのエリアをちょっとお手伝いさせていただいたんですよ。
ありがとうございます。
どんな方々が来るのかなと思って。
結構本当にアジア圏の人もいればヨーロッパ圏の人もいて、
アジア圏の人たちなんかは本当にそのために来てるんですよね。
その花火大会のために。
香港とか台湾とかだったら近いじゃないですか。
そうですね。
だけどやっぱりすごいなと思って、
その知名度があるや、
そんなインバウンドエリアをまた、
エリアとして作ってる花火大会もそんなに多くないと思うんですよ。
200名ぐらい多分いらっしゃってたのかなっていう形で。
帰宅っていうイメージは本当に私にとっては、
その赤レンガ酒造工場というお酒を軸に、
かなり広がってきているところであります。
その赤レンガ酒造工場の隣に、
なんと日本醸造協会さんがあって、
日本醸造協会さんの理事も実は手島さん勤めていらっしゃるということで、
ちなみにこの日本醸造協会ってどんなところなんですか?
そうですね。日本醸造協会。
その堅苦しい説明で言うと、
上部組織にその日本醸造学会という学会があって、
そこには日本の本当に醸造学の博士の先生たちが、
皆さん日々学会として醸造学の研究等々をされているわけなんですけれども、
その赤レンガ酒造工場っていうのも、
もともとはこれ今から120数年前に建てられた明治時代の建物なんですけど、
そこは日本酒を中心とした醸造酒のクオリティを上げていこうということで、
国が作った建物なんで、研究所なんですね。
ですので、そこにはかつては全国の酒蔵さんたちが研修に来てたわけなんですよ。
そこで研修をして醸造学の先生たちに品質、クオリティのお酒を作る技術を学んでたわけなんですけど、
その毎年出てくる卒業生たちがせっかくここで出会ったこの縁をということで、
一番最初に立ち上げたのが日本醸造協会というふうに聞いています。
今は日本醸造協会は皆さんがお酒を好きな方はいろいろ気になるところだと思うんですけども、
いわゆる協会公募という、日本酒を作るのに必ず必要な公募を一括で管理、販売しているところなんです。
もちろん培養も、だからあわなし公募だとか、あわらい公募とか、だんだん日本醸成が入っていくといろんなことあると思うんですけど、
そういうことを全部一括管理して、ここが販売しているということなんですね。
そうだったんですね。
その設立の経緯とか全然知らなくて、平田さんって知ってましたか?
設立の経緯まではあんまり、当然ね、公募を培養して販売している、それが一個の機関事業だっていうのは知ってはいて、
で、もう一番有名、最近有名なのがランバーシックスの原政さんの公募を培養して6番として売ったりだとか、
1番は坂田正宗さんだったり、7番の増美が1番全国で使われたりとか、
っていうところで設立の経緯だとか先ほどお伺いしたやっぱり、こんなに近くにいても全然知らないことだらけ。
だから見せ始めたときに、なんかあるなぐらいなんですよ。
別にもともと医学でどっかで修行した、ちょっとノリという勢いで見せ始めたもんですから、
なんかあるなぐらいで、あ、そうか日本酒使ってみようかな、おでんもやってるし、みたいな感じ。
あれ、そういえばあったな、あそこどうやって見学するとか。
あそこの浄土協会はもちろん見学はできないんですけど、公募の売買を管理してるところは。
でもその歴史を知ると、今平田さんおっしゃったように、当時やっぱり銀錠酒っていうものを開発しているときに、
今言ったように、すごい美味しいお酒を作っているところを、公募をそこから採取して、それを買用して販布するって、
これってすごいことだと思いませんか?っていうのは、やっぱりこれは国の文化なんだなっていうのをその話を聞いて思ったんですけども、
例えば自分の酒蔵ですごい美味しい酒ができる公募がこれだとわかったら、普通はそれって売りたくないですよね。
別に売るとかじゃないと思うんですけども、みんなが国を挙げてうまい酒を作ろうって言って、
うまい酒を作る公募が出た酒蔵は、そうやって提供する、浄土協会に提供して、
それを協会公募として全国の酒蔵さんで、こういう公募を作ったら酒ができたんだよ、こういうのができたんだよっていうのをシェアしながら酒作りをしているという、
その仕組み自体に、私は非常に初めて知ったときに驚いたんですよ。
やっぱり一位その企業活動として、そういう目に見えない微生物という恩恵を、
その同じ酒蔵たちが共同で持ち合うっていう、そういう考え方っていうのが、本当にこれはやっぱり文化なんだなというか、
そういうふうに感じて、一番驚いたことですね。業界内に入って知ったことが。
ライバルとか敵視するんじゃなくて、みんなで、じゃあ使って使ってよっていう。
本当に一番最初の桜山三宅さんなんて本当にすごいですよね。
あとそういったことをしようって、公募が大事ってことはどこかで気づかれた先生方がね、と思うんですけど、
それをじゃあみんなでシェアしようっていう、事業化したっていうところがやっぱり素晴らしいですよね。
そうですね。やっぱり国の告示としていい酒を作りたい。でもそうやって、でもやっぱりとは言ってもみんなでシェアしたからといって、
みんなが同じようなお酒ができないっていう、そういうことも多分先生たちは分かっていて、
だからこそでもこういういい公募があるんだよっていうのをみんながシェアして、
常に切磋琢磨して、でその蔵でしかできない、その酒、味を作っていくっていう伝統が多分この世界のすごい好きない、面白さなんじゃないかなというふうには感じています。
本当にでもそうですよね。蔵によって同じ工房だったりとか使ってるのにもかかわらず、全然やっぱ味って違うじゃないですか。
その蔵によって特徴が出てるというか、本当でもそこが日本酒の面白いところだなって私も思うので。
いやもう酒の道ってやっぱ長いですね。道のりが。
長いし深いし。
30年近く我々は大先輩で大会の仕事なんですけれども、そのインフルエンスの道を作っていただいたということで。
なんと日本酒に興味を持ったきっかけのお酒が菊姫の山肺というお話もちょっと事前アンケートでお伺いしたんですけれども、
どんなところに興味を持っただったりとか、覚えてらっしゃったらいろいろお話をお伺いしたいと思うんですが。
これは本当もう何十年、30年近く前に石川県のお酒の品評会みたいなところに立ち会う機会があって、
もう本当右から左に一つずつ飲めるというか試飲できる機会があったんですね。
その頃は業界に入ったばっかりでお酒の右も左も全然わからないという状況でこういうふうにしてお酒が品評されるという中に、
本当に何というかオブザーバー的な存在ででも好きなお酒は飲んでくださいみたいな味わってくださいという形の立場でいたときに、
全くそれまでお酒とかをテイスティングした経験とかはそんなになかったんですけれども、
右から左へ一つずつやっていったときにふって止まったお酒がやっぱりそのお酒だったんですよ。
で、わからないくて全然その時はどれがどういうお酒かって、
でも通り過ぎた後にいろんなお酒を飲んでわからないんだけれども何だろうと思って、
で、それでそこにいる先生たちにお聞きしたら、
いやこれはキクヒナのヤマハイなんだよと言って、
もうその歴史を変えたお酒でもあるっていうようなヤマハイというその作り自体も全く知らないわけですけども、
やっぱりその時にこう味わった、何というかその人に感じさせる深みみたいなもの。
深み。
深みですね。
というか私からもうその言語化とかできないわけですよ。
今でこそいろんなフルーティーだとかうま味がどうのとか酸味がどうのとか、
その甘味とのバランスとかいろいろ言ってますけど、
味わうっていうことに対しての深さを食べ物も含めて食の仕事をしている身として、
ここまで液体一つで感じさせるって何なんだろうって思ったものがその時はキクヒナのヤマハイでした。
だからそれが綺麗なヤマハイなのかとか、
よくヤマハイにもいろいろと表現するじゃないですか。
そんな専門的なことは全く知らない時期でしたから、
ただ味わいということの深みということの体験がこのお酒でしたね。
その時のキクヒメさんのヤマハイがもしかしたら前後で、
今の石川県の野口当時がもしかしたら作っていたかもしれないお酒だった。
ベースを作った頃ってことですよね。
ちょうどそうですね。
私が支援したのは多分退職された数年後ぐらいなので、
そのベースを作られたのが、
その後たぶん定期減産に移っている頃かと思うんですけれども、
何回もあの方が復帰してますからね。
実は先日もインタビューさせていただいて、
いろんな足をかかったんですけれども、
やっぱり日本酒文化をこの先語りつかれる方とお話しさせてもらって、
非常に素敵な機会をいただいたなと思っております。
私が本当に野口さんっていうのは、
私はまだお会いしたことないんですけれども、
野口当時のお酒を水平シーンって言って、
この時の機会ではないんですけれども、
菊姫にいらした時代のお酒、
その後に定期減に移られた時のお酒、
そして今の研究所、野口研究所のお酒っていうのを、
たまたまコレクションで持っている人がいて、
その過去のものを。
それを水平シーンっていう言い方、
そんな仕事的な形ではなくて、
ちょっと仲間うちで飲む機会があったので、
非常に贅沢な。
その時にすごい感じたのは、
やっぱりこのフォトワークのすごいところって、
今ご高齢になる中でも作ってるってことは、
もちろんすごい尊敬に値することなんですけど、
時代を読んで、
自分の味わいを作っていけるんだなっていう、
そこをすごく私は、
やっぱり巨匠だなと思いました。
いろんなプロの巨匠っていると思うんですけど、
やっぱり時代性を味に閉じ込めていけるっていうか、
取り込んでいけるっていう人って、
なかなか少ないんですよね。
だからやっぱり飲食店とかレストランも、
すごく波があると思うんですけれども、
やっぱり時代性をそうやって自分の作るお酒に、
反映していけることをずっとされてるっていうことを、
私なりの水平シーンの時には感じて、
そのすごさはすごい感じました。
私たちがインタビューに行った際も、
飲み手の顔を思い浮かべながら、
作ってるといったようなお話をされていたので、
やっぱり飲む人って時代によって変わっていくじゃないですか。
その人たちがどうしたら美味しいと思ってもらえるかなっていうのを、
追求して作っていらっしゃるっていうお話を聞いたので、
今の手島さんのお話を聞いて、
やっぱりそうなんだと思いながら。
貴重なインタビュー、またこのお酒の道でも
オンエアされると聞いているので楽しみにしています。
ぜひ、2026年の10月14日に配信されますので、
ぜひ皆さん遡って聞いてみてください。