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はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 はい、今回はハンナ・アーレントの第5回ということでやっていきたいと思います。
はい、これまでですね、まあいろんな話をしてきたんですけれども、 一言で言うとね、このアーレント界でやっぱり考えたいことって、このエルマ西洋近代文明ですよね。
こういった自由がね、広がってきましたとか、 社会ができてきましたとかね、個人というものもいろいろ考える中で、ちょっと発展してきましたみたいな、結構そういう風な流れも多かったじゃないですか。
哲ラジオの中ではそういう話をしてきたんですけれども、 やっぱりじゃあなんでこの西洋近代文明において、まさに20世紀の戦争とか、
例えばホロコーストというものが起きたんだっていう、 これをやっぱりアーレントはずっと考えてるわけですよ。
うん、まあ当事者、被害者というかね、そっちとしてね。 そうだね。
被害者でもあるし、でも加害者でもあるっていうことをちゃんと持ってるんですよ、アーレントは。 加害者でもあるんだ。
だってアーレントさんもその西洋近代文明で生きた人じゃないですか。 前回で言うと、アーレントさんもスタジアムで生まれたわけですよ。
そうね。 スタジアムで生きてきたということは、そのスタジアムっていうのの維持に当然自分も関わってるわけじゃないですか。
まあまあまあそうね。 それがただ生まれてきただけとか、それが引き受けの仕方がなかったとしても、
そのスタジアムの、なんだろうな、あり方とかに疑問を持たずに生きてたっていう時点で、
加害者って言うと言葉が強いかもしれないけれども、それは自分だけは被害者と言えないわけよ。
そうなんだ、そっか。で、どっかで線が分かれた時にたまたま排除される側になって初めて気づいたというか、考え出したみたいな感じなのか。
まあそうだね、そう。だから変な話、これもちょっとイメージだからしにくいかもしれないけど、
今日もスタジアムの話をしましょう。あの前回、サッカースタジアムでサッカーを応援することしか知らないというか、それだけが良いとされる世界があったとして。
で、例えば何かのきっかけで、実はこの世界にはサッカーだけじゃなく野球というものもあったということが分かった時に、
例えばそのスタジアムの人たちがさ、俺らに野球を見せろみたいな、サッカーしか知らされなかったなんて、なんて俺たちは悲しい人たちなんだとかって言った時に、
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でもお前らサッカーで熱狂してたじゃん、みたいな。
それが手のひら返したように野球が良いっていうのって、どうなのっていう視点ってすごい大事だと思うのよね。
自分たちは被害者で騙されていて仕方がなかったんだっていう意識に置いた瞬間に、
自分たちは哀れな善人で、騙した奴らは悪だっていう、そういう風になるじゃないですか。
おー、そうだね。
これって本当って話がまさに今日したいところなんだよね。
わー、アーレンとヤバいね。
ヤバい、ヤバいのちょっと感じてる?
おー。
今の話はどんな風に感じたかな?ちょっとね、スタジアムの例で話しちゃったけど。
やっぱさっきのさ、そういう大きな、それこそナチスとかだと、やっぱりその大衆にあんまり目が向かないというかさ、
どうしても運営側に目が行くから、さっきのそのなんだろう、例えばそういうことがあった時に、
もし本当にね、その大衆が例えば、いや、あの運営側が悪かったんだ、俺たちを騙してたんだ、みたいな、信じてたのに、みたいなさ。
確かにね、おかしな話だったりとか、そこにその複数性と繋がれるかわかんないけれども、
そこにお前らの思考とか考えとか、意思はあるのかい?みたいな話になるなーって確かに思った。
ね。よく言われるさ、ナチスはちゃんと正当な手続き、民主主義的な手続きの選挙を経て政権を取ったみたいな話もあるけれども、
そこに投票した人、しなかった人、他の国で見てた人、つまりドイツ国民だけをやっぱり言うのもおかしくて、
じゃあなんでそれが起きたのかっていう、ヨーロッパとか世界とかそういった全体のものを捉えた上で、やっぱ考えなきゃいけないっていう話をこれからしていくんだけれども、
今日の主人公はアイヒマンっていう人ですと、名前は聞いたことある方もいらっしゃるかもしれないんですけれども、
いわゆるナチスドイツの高官、いわゆるちょっと偉い人というか、そういう人ですね。
この人の裁判が1961年にイスラエルで行われるんですよ。隠れたところを発見されて捉えられてっていう話なんだけれども、
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やっぱりさ、いわゆる民族浄化みたいなことを言ってそれを実現するような人って、
ある種、言い方はいいけど狂った共振者とかさ、とにかくナチスとかそういったヒトラーとかに浸水して、
もうそれしか考えられませんでしたみたいな、そういう人であってほしいじゃない。
そうだね、ドラマチックだよね。
ドラマチックだし、やっぱりこういう人類の遺憾者がいたからあんな悲劇が起きたんだみたいなさ、したいんだけれども。
なるほど、個人の責任にしたいんだね。
そうそうそう、やっぱり自分たちは違うって言いたいんだけれども、やっぱりアーレントが見てそれを発表したことはむしろその逆だと。
要は、ある種アイヒマンっていうのはどこにでもいる人で、誰でもアイヒマンになるんだよっていうことをやっぱり描ききったって感じなんですよね。
ほうほうほう。
しかもその目は、ある種ヨーロッパとかドイツ人だけじゃなくて、その被害者だと言われるはずのユダヤ人にも向くんですよ。
これがすごいって話をちょっと今日していこうと思うんですよね。
どう向くんだ。
どういうことかっていうことなんですけど、まずこのアイヒマンっていう人は、アルゼンチンとかで潜伏したらしいんですけど、それが捕まって法廷に引き出されますと。
この人は何をやったかっていうと、その数百万人のユダヤ人を収容所に送る列車の手配とかを仕切ってるんですよ。
つまり現場責任者みたいな感じで、人をどういう単位でどこに送るかとかって、要はそれってもう毒ガス出送りなわけだから、ある種ユダヤ人を殺すっていうことも本当に現場責任者って感じなんですよね。
はいはいはい。
どんな人の心がない奴がそんなことできるのかって思うわけですよ。
当然僕もそう思うし、心が痛まんかったんかみたいなさって思うんだけど、法廷でアイヒマンさんが言うことを聞けば聞くほど、ただのサラリーマンなんですよ。
はいはいはい。
要はこれをやることが自分の仕事の責任だったとか、自分の仕事っていうのは効率的なスケジュールの管理だけであって、その前とか後でユダヤ人がどうなるかっていうことは正直私の範囲外だったとか。
はいはいはい。
あるいは私個人にとってはユダヤ人っていうのはすごく実は親密な人たちもいて、ユダヤ人に手を貸したこともあるから、ユダヤ人への憎しみっていうものはなかったんだとかってことを言い出すのよね。
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これってどう考えてもおかしく聞こえるじゃん。
そうだね。起こったことの大きさからすると。
やったことが数百万人のユダヤ人の死につながっているっていうことは知ってるはずなのに、憎しみはないとかさ、それは仕事をこなすだけだとか、あるいはそれをやらないと自分の立場が悪くなってしまうからだとか、そんなことを言うわけなんですよ。
そうね。
そういうふうになった時に、やっぱりどう考えてもそういった出来事を引き起こした人物と言ってることが噛み合わない、つながらないという時に、
このアイヒマンという人が悪なのではなく、そういったホロ構成を引き起こしたのは、自分で考えることをやめてしまった人間の思考の欠如とか、
そういう複数性というものをなくして、組織とかそういったものに身を委ねてしまったことによる、何だろうな、棄欠?みたいな。
そういうことなんだっていうのをアーレントがある種暴き出すというか、それをもうそういうふうに理解するしかないんだって言っちゃうんですよ。
はいはいはい。
だってアーレントからしたら、同胞をある種追いやったとか、自分をドイツからアメリカまで追いやって無国籍の難民にした、ある種超本人というかさ、憎い相手みたいなわけなんですよね。
でも聞けば聞くほど、別にこの人じゃないってずっとさ、これまで構造の話をしてきたじゃないですか。
そこも構造で捉えちゃって、このアイヒマンという人じゃなくて、こういう人を生み出して効率的に仕事をさせている、まさにやっぱ仕組み?
そっちに問題があるんだっていうことをちゃんと言っちゃうんですよ。
あれだよね、この人が極端な思想を持ってたんだって言ってほしかったのにね。
そう。だからもうこの本が出た時は非難豪豪で、それこそプルカの友人とかからも、もうありえないみたいな、もう絶好だみたいな感じで、
本当にもう見放されるとか、そんなことでっかいしろみたいなことをガンガン言われたらしいんだよね。
なるほど、なんならナチス養護だみたいな。
そうそうそう。
まさにそういうことになっちゃって、すっごい非難されるわけよね。
まあでもそうだよね、大炎上、とんでもない炎上をした人の肩を持つような発言をすると、だいぶ火のこびるもんね。
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まさにそうそうそう、ほんと一緒だよね。
しかもちょっと社会的な影響がある人、大学教授でも芸能人でもいいんだけどさ、そういう人が大炎上した人を、いやこの人にも悪くないと思うとかさ、
この人を追求する前にあなたたち一人一人のことを考えたらどうですかとかって言ったらさ、もう飛び火して大炎上じゃん。
もちろんこの人も悪いんだけど、この人が絶対そういう信念からこれをやったわけではなくてみたいな、
どうしても立場調とか、いろんなこう習慣のいろんなこうなんかいろんな重なった時になんかそれが起きてしまった面もあるかもねーみたいな話をした時に、
ふざけんなーみたいな、まだ燃えてるからねっていうね。
そうなんだよね。もちろん用語ではないんだよ。アイヒマンが悪いというか、あり得ないことをしたっていうことはもちろんそうなんだけど、
これはアイヒマンのせいとかせいじゃないとかっていうことを超えてるんだっていうことを要はアーレンとは言いたいわけなんだよね。
でもねそれじゃあ納得しないというかね、燃えてますから。
そうなんだよね。もう今燃えちゃってるから大炎上だからさ。しかもね、これがさっきも言った通りなんだけれども、
この本というかさ、リポートして出すんだけれども、アーレンさんはアイヒマンとかドイツのことを分析するだけじゃなくて、
ユダヤ人にもその分析の目を向けちゃうんですよ。
あー。
これは要は被害者としてじゃなくて、このナイスホロコーストを行うときに、
要はユダヤ人を効率よく管理するようになるときに、ユダヤ人のある種、長老みたいな人たち。
そういう人たちを集めて、そういう人たちのグループを作ったんですよ。
で、ユダヤ人の長老たちに誰を収容所に送らせるかとか、
どこに同胞がいるかっていうことを報告させて、リスト化させてみたいなことをやらせてたんですよね。
ほうほうほう。
つまり、ナチスドイツはユダヤ人に対するホロコーストを遂行しようとするときに、ユダヤ人の中にも協力者がいました。
なるほど、なるほど。
そうすると、この戦後どういうことを言うかっていうと、これちょっと冷静に聞いてほしいんだけれども、
いやいやと、私たち確かに協力したんだけど、
まずナチスの恐怖支配の下で生き残るためには仕方がなかったんだとか、
いやいや、自分たちがむしろそこでナチスと交渉することとか協力することで、
被害を食い止めようとして、何とかそれをとどめようとしたんだみたいな。
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そういうことを言うわけなんだよね。
なるほど。
でも実際を見ると、その協力者がいたからこそ、本来逃げられたような人たちも、
その人たちにある種、要は同胞が裏切るなんて思ったんやから、
例えば捕まってしまって、その使用時に送られたとか、
本来ナチスだけなら探さなかったようなところを、その情報提供によって探せるんだとかっていうことで、
明らかに前に進んじゃってるわけよ。
で、あるところでは40万人ぐらいいたユダヤ人が、
教育会の人たちとか、そういった指導層たちの協力の下、
彼らも何とか頑張って被害を食い止めたって言ってるんだけど、
だけど40万人中2千人しか残ってませんでしたみたいな。
39万8千人は収容所に送られちゃってますって話なんだよね。
そういう中でいくと、やっぱりそういった仕方なかったとか、
むしろ自分は良いことをしてたっていう話。
これ前回兄貴が最後で言ってたさ、
僕らの共通イメージのあるサッカースタジアムでは、
指導者とか経営層みたいな話をしたじゃないですか。
良かれと思ってやっているとか、これが最適なんだみたいな話と、
ここってかなり繋がってくると思わない?
同じだよね。良かれと思ってみたいな。
言い訳じゃないんだよね。
たぶん、もちろん自分が死にたくないみたいなのは、
まずトップレベルにあるとは言え、
その中で最善を探してるんだよね、みんな。
そうなんだよね。
でも、やっぱりアーレンと言わせると、
そうやって自分たちが交渉したんだとか、
最善を尽くしたんだって言ったとしても、
もしかしたら、いわゆる指導者たちが名簿を作らないとか、
何にもせずに、自分たちが死んだとしても、
ナチスに協力しなかったとしたら、
ナチスドイツも自力でユダラ人を探したいとか、
組織化しなきゃいけない。
で、それってユダラ人もっと反発とかしちゃったと思うから、
なると、そこまでの壊滅的なことって起きなかったかもしれない。
もちろん分かんないよ。
これは歴史の威負だから分かんないけれども、
そういったこともあり得たかもねと。
そうすると、やっぱりこう、
自分が生き残りたいでもいいし、
本当に同胞のためにやりたいだとしても、
そういったことをある種、
思って行動した時点でより大きな悪だよね。
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大量虐殺っていう。
そこに繋がってしまうのと。
これってアイヒマンも一緒なんですと。
アイヒマンっていう人は別に自分がいなくても、
他の人がやるよねとか、あるいは、
その仕事をちゃんとやることが自分の出世とか、
その組織の中でいい立場に繋がるから、
いい仕事をしようとしたっていうだけなわけですよ。
それって個人で言ったら合理的かもしれないし、
別にいい仕事をしたいという気持ち自体は、
誰も批判はできないんだけれども、
それによって数百万人のユダヤ人が死んでいるってことに、
ある種、思いが至らないというか、
それを考えないことで、
その大きなシステムっていうのは動いてしまう。
これがある種、本当の恐怖なんだというか、
加害者側も被害者側も、やや自分たちはいいことをしようと思ったんだとか、
これはもう致し方がなかったんだというところにたまってしまって、
その思考停止してしまう。
はいはいはい。
これが一番の恐怖なんだという話なんですよね。
いやー、思考停止とかっていうとね、
なんかその人が愚かだとかさ、
そこに対してもさ、
その人問題みたいになりそうだけど、そうじゃないんだよね。
もう思考停止だったりとか、
ベクトルを固定させられるような力学が働いちゃってるよねっていう話なんだよね。
そう。
人が前回言った社会的なものが社会に行っちゃったよねとか、
僕ら労働する動物になっちゃってて、
経済性とか、働くってどこか逃れられない。
そういう思考がもうできなくなっちゃっている。
そうだよね。だからアイヒマの話で言うと、
アイヒマはその仕事を放棄することもできたんだけど、
放棄した時に残るのは、
ユダヤ人の長老というかさ、リーダー的な役割をした人と同じなんだよね、実はみたいなね。
例えば、ナチスから同胞を集めてリスト化しろって言われたリーダー的な人。
もう断ることもできたけど、断ったらどうなる?みたいな話だし、
アイヒマもそう。
その組織の中で、よしそこの責任者任せたぞお前、任せたって言われた時に、
その職務を放棄したらどうなるって、実は同じじゃない?みたいなね。
うんうんうん。本当にそういうことね。
だからやっぱり、まさにこれが群衆とか、
動物ってやれやっぱり感じになっちゃうんですけど、
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与えられた役割とか、責任を果たすっていうこと自体は、もちろんいいことというか悪くないですと。
でもそのやっぱり責任を果たすっていうことだけに目が向いてしまってとか、
果たさないと自分の、例えば家族とか、路頭に迷うとかっていうところだけに目が向いてしまうと、
結局自分が何やってるのか本当にわかんなくなってしまう。
うーん。
でもこれって、実は、さっき兄貴も言ってくれたけれども、
個人が愚かだからとか、思考が足りないからとか視野が狭いからとかじゃなくて、
そういうところに追い込んでしまう社会っていうものになってませんか?
むしろなってるよねって話なんだよね。
だから、みんなそうやってるとかさ、
自分はしょうがなかった、それしかなかったんだみたいなことの、言葉の無責任さというか、恐ろしさだよね。
まあ、それをね、無責任というかっていうところもね、なかなかシビアなところだけどね。
そう。やっぱ苦しいじゃん、それを無責任と言われても。
でもさ、じゃあお前が同じ環境にいたら絶対同じのしてたよねって思うはずなんだよ。
って言われた側からするとね。
だって無理だもんね。だいぶ両方の天秤に乗ってるものがさ、重すぎるけれども、
でもこっちを選ぶしかないみたいなさ、勘弁してよって感じだよね。その天秤やめてよってね。
そう。でも僕らはもうすでにもうその天秤に乗ってるわけですよ。気づいてないだけで。
僕らはもうワールドカップしかやってないね、スタジアムで生きてるわけだから。
その子で生きてるでしょ。だから今日の冒頭言った、アーレンとも被害者である、加害者であるっていうのは、もうその天秤に乗ってるんだよと。
でもその天秤に乗ってないふりをするとか、自分の天秤はそんな重いものでありませんとかっていうふうに見ないふりをする。
これがまさに思考力がないとか、考えなくなってるっていうふうな話なんだよね。
まあ痛い話だけど、アーレンとの話と、古代のポリスからの話からすると、そういうふうな構造になった結果、構造的に我々は育ってるねっていうのは、
同意するしなべつとして、育ちとしてはわかるもんね。 育っちゃってるね、今ね、みたいなね。
っていうところは、第7章は実感としてあると思うんだよね。
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だからといって社会の側が悪いとか、そんなことを推進してきたヨーロッパが悪いとか、そういうふうに犯人探しをしても何にも変わらないというか、結局同じことをぐるぐるやってるだけなんですよね。
いやー、そうだよね。じゃあその経営人というか運営人を打倒せよ、みたいな。
なんかそういう、海外の人が作った動画、最近回ってきたな。
なんかテーブルを囲んでごちそうを食べてるんだけど、その人たちを倒してだったかなんだかして、別の部屋に行くんだけど、また同じことが繰り返されるみたいなさ。
せっかく犯行した人たちはまた別の部屋に行って、同じように贅沢なご飯を食べ、でも下では足は全員の臭いがつながっていてみたいな、
そういうちょっと風刺的な海外のアニメーター的な人が、アーティストが、そういうのが浮かぶよね。
ただ運営を打倒せよだとね。
そうそうそうそう。だから結局何も変わってないというか、構造が変わってないから同じことが起こるっていう話なんだよね。
やっぱりアーレントさんが言おうとしたことってすごいシンプルで、ある種悪がいるなら排除すればいいじゃないですか。今の話一緒だよね。
何か権利を、特権階級があって自分たちを虐げられてる人たちが悪なのすれば、それを全員処刑すれば世の中が良くなるっていうのが、まさにフランス・パリで起こったことじゃないですか。
そうだね。
革命。でもその結果起きたのは、結局その王政時代のもっとひどい粛清とか処刑とか、本当に阿鼻強悍な時代があったっていうことを人類はわかってるはずなんですよね。
そうだね。
歴史的には。でも同じことを繰り返してませんかというか、ナチスドイツとかアイヒマンっていう人がいて、この人が悪だからこの人を処刑すれば、
こういうのを死刑になるんだけど、アレントはやっぱり死刑にも反対したらしくて、というのは別に殺すんじゃないってことじゃなくて、
まずそもそもこのアイヒマンが死んだとて、食材にはならないんじゃないかってまず1個ね。
その罪の重さだったことと、刑っていうのは釣り合ったものになっては1つと、もう1個はやっぱりそのアイヒマンを死刑にして排除すれば、
世の中の秩序が保たれるとか回復するっていう、その発想自体がやっぱりおかしいんだと。
はいはいはい。
このアイヒマンの、いわゆる戦争の責任っていうのは、人道に対する罪とか。
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人道に対して何をしたんだって話なんだよね。
そのアイヒマンが犯した罪って何だったのか、要はナチスの中でユダヤ人を死に追いやったってことが罪なのかっていうとそうじゃなくて、
人類がこういうことを引き起こすっていう、その救われなさというか、
人類に共通するこの破滅性、これっていうものを体現してしまったっていうこと自体が、
ある種罪というか、その人間の未来っていうものを信じるってことに対して、すごく難しくするような出来事を起こしてしまったっていうことが、
このアイヒマンの罪なんだみたいなことを考えるんですよ。
死刑にした人は、じゃなくて、アーレントが?
アーレントは。
アーレントはそう考える。
つまり死刑にしたからといって、何が回復されるんですかっていうのがレベルでの議論なんだよね。
だった時に、どう思う?やっぱり法律だから、もちろん手続きに従って裁きを行うってことは大事だし、リンチになったらいけないから、
アイヒマンがひどいことをしたからこいつだけ特別な残酷な刑をしてやろうとかってことはもちろんナンセンスなわけなんだけど、
でもこのぐらいのことを引き起こした人をきちんと処罰をするって、果たしてどうやったらできるの?っていう話もなるわけなんだよね。
いやー、そうだね。
もっと言うと、ある種抑えきれない苛立ちとか、そういったアイヒマンこそが悪いからこいつを排除せよっていう気持ちで、
そういった死刑とか裁判をしてませんかってことまで言えるわけよ。
そうだよね。
自分たちは守りたいからみたいなね、いうふうなことを突きつけてくるアーレントさんですって感じなんだよね。
そうだね。だから多分アーレントからすると、そのアイヒマンの死刑にするかどうかっていうよりは、
やっぱり何をしたのか、何があったのかっていうところを、スタジアムの中からの基準で考えるんじゃなくて、
ちゃんとスタジアムの外からの基準でそこを考えようよっていうふうに言ってるんだけど伝わらんなーっていう感じなんだろうね。
そうだね。全員がスタジアムにいるからね。
そうそうそうそう。
これはやっぱすごく難しいというか、なんだろうな、やっぱりこれを読むと気分が暗くなるんだけれどもさ、
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前回会社の話で日本電さんっていう会社の話をしたと思うんですけど、
やっぱり組織の決定だからとかさ、自分の家族を差別させるためには仕方がなかったんだとかっていうことって、
往々にしてあると思うんですよね。仕事を失ったらどうすんだとか、誰も助けてくれないじゃんみたいな話ってあるじゃない?
あるある。
っていう意味では、やっぱりこうやって自分を正当化できるというか、
なんだろうな、本当に何が大事かっていうことじゃなくて、やっぱり家族のため、生活のため、お金のためっていうふうに言いちゃうんだけど、
その瞬間、やっぱり僕らは自分自身の人間性とか複数性っていうものを明け渡しちゃってるんだよね。
こうやってまさに思考を止める瞬間、ここがある種、アーレンとか言わせると、
このアイヒマンになる瞬間というか、一歩近づく瞬間だよって話なんですよ。
いやー、そうね。
で、第1回とかの手すりなき思考みたいな話したかもしれないんだけれども、
やっぱりそういうふうに僕らが何が正しいのかとか、どういうふうに生きたらいいのかっていうことが、本当にわからない時代に入っちゃってる。
面白いね。古代の話から言うとさ、今こういう時代だよっていうのって結構軽い言葉な感じもするけど、
だいぶ重みを持って伝わるね。
そうなんだよね。
今そういう時代なんだねってね。
そうそうそう。
まさにこの自在性とか、この社会っていうものがどういうふうに成り立っているかっていうことを考えたときに、
果たして本当に複数性っていうものが大事にできますかとか、
それが大事だっていうことをきちんと世の中に対して発信できますかっていうことなんだよね。
はいはいはい。
そういうことがアレントが言ったことで、だからこそやっぱり発信がされるし批判もされるし、ありえないって言われる。
でもアレントは曲げないんですよ、自分の言ったことを。
まずならばそれが絶対に大事だとか、それがないと結局ほんと同じことがまた起きるっていうふうに本気でやっぱりわかってるから。
そうね。
うん。
やっぱり思考するものをちゃんと、第二回とかで言った世界への愛を持って思考するっていう、
これにしか人類の希望というか、未来はないんだよぐらいの発想なんだよね。
いやーねー、だからこれはちょっと考えすぎというかあれかもしれないけどさ、
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アレントからすると、愛媛を死刑にすることで、むしろ死刑にするっていうことを決める運営者たちが、
大衆の流位を下げて、また新たなスタジアムを作り始めるペルじゃないかとか、そういう意味で構造が変わらないよねっていうふうに見えるみたいなイメージなのかな。
そういうこともあるね。
だから本当の意味で、これをきっかけというか、せっかくこんな揺れてる状況だから、ある意味で一人一人が複数性みたいなものに気づくとか取り戻すみたいな。
タイミングというかきっかけかもしれないのに、その死刑にすることでそれ潰しちゃわない?みたいなのあったのかなーみたいな。
そうそうそう。そしてやっぱ彼女はテーブルっていうね、さっき愛媛もテーブルでって話したかと思うんだけども、そういうふうな食卓って言ってたじゃん。
あー、はいはい、あの動画の話。
動画の話ね、そう。やっぱりまさにそういうふうなイメージがあって、このテーブルってイメージが何かっていうと、
要は、僕らが今言う社会ね、いろんな人が生きている中において、同じテーブルについて議論をするとか、
そういうふうに、お互いのことに対してどうすればより良くなっていくかってことを話すっていうことって、
まさに出来ますかってことをやっぱりアーレンとは考えるんだよね。
はいはい、表れの空間だね、まさに。
そう、まさに表れの空間で、あれは個人個人の活動的なことなんだけども、
もうちょっと社会的とか経済的なことにしたときに、やっぱりどうもすると僕らって利害関係だから対立しがちじゃないですか。
よく営業とかでも言われるけど、正面に向いちゃうと結構対立するというか、お互い緊張するみたいな。
はいはい。
でも隣り合って座るとか、何かモニターがあると同じ方に目線が向くからちょっと一体感が生まれるみたいな、そういうふうな話ってあるんだけれども、
まさにそこと同じで、その上にフラットに他者と関わり合うとか、
やっぱりその善なら者について話すとか、利害関係を超えて対話をするとか、そういうことがあまりにも今の時代減ってるし難しくなってるよねっていうことも考えるんですよ。
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そう言われるとそうかもね。
うん。
スタジアムにおいてさ、僕らがいわゆるスタジアムにおいて、本当にこのスタジアムの運営ってこれでいいんでしたっけとか、
僕らはこうやって必死になって頑張ってるんだけど、これってやっぱり本当に今あるべき一番いい姿なんでしたっけみたいなことを考えたいとしたときに、
それをやれればってこのスタジアムの中に多分ないのよ。やりたかったらあなたも経営者の一員になりなさいとかさ。
うん。あれでしょ、リズム隊から歌の方に移動しなさいみたいな話でしょ、例えば。
でもそれはさ、役割が変わるだけで、何がいいかっていう話になってないじゃん。
何がいいか。そうだね、なってない。なってないなってない。なんかそう言われるのがオチってことだよね、普通は。
そうそうそう。だから本当はここにリズムと歌だけじゃなくてダンスも入れた方がいいかもしれないんだけど、
ダンスっていうものについて話すことはできませんみたいな、なぜなら今ないからみたいな。そういうふうになっちゃってるわけよね。
そういう意味では、前回も言った同調圧力とかさ、時代の流れとか、空気とかって言っちゃったらもう話はそこでおしまいなんだけど、
もっとその奥にあるこの社会の不気味さとか、自分たちをある種追いやっている仕組みっていうものが何なのかとか、
それに対して僕らがいかに無力で流されていって、まさにこう、自己をなくすとか、
ある種自己欺瞞に陥って本当に大事なことに気づけなくなるとか、そういうことって全然ありませんっていうのを、
ある種50年前ぐらいにアーレントがやっているし、今でも多分その状況って変わってないのだというふうなことなんですよね。
はいはいはい。
はい。どうでしょう。結構前年回ぐらいからちょっと苦しい話が続いて、今回まさにナチスドイツみたいな話なんで、
ちょっと重たかったかなと思うんですけど、なんかちょっとイメージ分けましたかね。
誰もが輝いたり被害してもあるとかさ、悪を配慮するんじゃなくて、やっぱり自分の中でもその構造を見るとかさっていうところでちょっと伝わったかな。
いやー、そうね。私、今回の話聞くと、自分たちが被害者だみたいなふうに思っちゃうのがやっぱり一番ダメかなとは思ったよね。
難しいけどね。
そうそう。今日みたいな話で聞くと、やっぱり時代がこうとか構造的にこうで、その構造の被害者なんだっていうよりは、
やっぱり、もちろん自分が望んでないのにその場所にいちゃってるっていう意味では被害者かもあるけど、
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でもそれに気づいてないっていう意味では、やっぱり当事者でもあるわけで、完全なる被害者でもないというかね。
やっぱこのアーレントンの言うところね。
これは難しくってね。やっぱりその弱い立場の人に対して、お前らが弱いからだっていうのはもうナンセンスだし、受けた苦しみとかは本当にこうね、
共感した上で何とかしようってしないといけないけれども、もうちょっと違う立場。まさに少しスタジアムを俯瞰で見るみたいな立場になった時に、
むしろそこって同じ構造とかどちらにもやっぱり課題の根っこが進歩してるから、この根っこの方を取らないことでやっぱり解決したよねみたいな。
っていう風な冷静な目線ってやっぱりすごく大事だっていうような話だと思うんだよね。
いやー、ねー。
ね。だからやっぱり何度も言うけど、自分が加害者にならないようにとか、自分が被害者にならないようにとかってやっぱ思考自体がやっぱり間違っている。
すでに加害者だり被害者だり、むしろ当事者なのだから、ちゃんとそこに向かって、社会に向かって生きていこうねっていう。
そういうことをやっぱり大事にしませんかっていう問いかけなんですよ、という風な話がここまでだと思うところなんだけど、
次回はね、もうちょっと希望というか、さすがにこの段階でみんな頑張ってよって言われてもさ、ちょっと無理というか、なんか気持ちが上がんないじゃん。
はい、最終回でしたー、ではない。
ではないではない。さすがにちょっとそれは苦しすぎるので、さっき言った世界への愛みたいなことも含めた、
どうしたら、じゃあ本当に人間らしくというか、より良い社会、より良い人生っていうのがやっぱりできるんだろうねみたいな。
そういう部分も、やっぱりこの晩年の思想というか本として出たりするんですよ。
あー、なるほどだし、そうだもんね、それも人間の条件っていう本出してたぐらいだから、やっぱりちゃんと人間になりましょうや、みたいな話ではあるんだもんね。
そういう時代、社会において何をやっぱり大事にしていくかだよね。
はいはい、ごめん、読んでないからさ、もうタイトルだけでイメージしてるからさ、もうちゃんと人間になりたいなーとしか思ってないんだけど、今。
ギャラトルズじゃなくて原始人とかじゃないんだからさ。
まあでも、そういうことも含めてというか、それはまた次回にお伝えしていくんですけど、
次回は一応、アーレンとの最終回です。第6回っていうのはなんかすごい重たかった気がするよね。なんかすごい長くやった気がするんですけど、
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でもやっぱりその、いろんな構造とか分析とかを経た上で、じゃあアーレンとか晩年にどんなことを言っていたのか?
ここも、ある人も別にね、簡単な救いとか公衆衛生ってことではないんだけれども、
こういった世界の理解をした上でどう生きていきますかって話をすることで見えてくるものとか、これが大事だっていう風に語れることもあるかなーとは思うので、
ここを次回やって、アーレンと最終回にしたいなと思ってますという風な感じですね。
はいはい、わかりました。次回ですね、最終回ということで、ちょっと希望を持って終わりたいんで、その辺の話聞けるのを楽しみにしていますということで、楽しみにしていきたいと思います。
では、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。