はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 はい、今回でハンナ・アーレント編最後ということでやっていきたいと思います。
はい、最終回と言いつつですね、なんかアーレントさんもまた第2回とかありそうだなと勝手に思ってるんですけれども、
そのぐらいこうなんだろうな、なんか刺さる哲学者だなって思った、自分的にも。
いや確かにあのなんだろう、今の現実との手触り感とかがすごい近いよね、なんかね。
まあね、時代的にもっていうのもあるし、やっぱりこのね20世紀の時代のなんだ、上に21世紀の僕らってやっぱり生きてるから、ここが地続きっていうのはすごくあると思うんだよね。
なるほどね。
で、今回はナチスみたいなところから始まって、全体主義その手前にあった帝国主義みたいな話とか、
あとはね、人間らしさっていうのは同じと違う、複数性とかって話もしたけど、そういうものが大事なんだよとかさ、
あと前回ね、そのアイヒマンっていう人のことを踏まえた、思考っていうのは足りないんだみたいな、
凡庸の悪とかって話もしたと思うんですけど、なんかそんな流れを経てですね、結構ここまでで言うと割と暗くなるというか、
もうなんか人類に希望はないのかみたいなね。
なんかもう構造的に終わってますみたいな。
うん、そうそうそう。
っていうふうになっちゃうなと思うんですけど、一応ね、一応っていうか、もちろんね、アーレントさん的にもやっぱりじゃあどうやったらこの社会とか、
人間ってよりよく生きられるのかみたいな、そういうことも当然考えてたりするわけですよ。
そこも哲学なので、やっぱりわかりにくいというか、なんかね、明確にこうだよ、みんなこうしましょうとかでもないんだけれども。
危ないもんね、それやるとまた新たな全体主義が生まれちゃうから。
いやそうなんだよね、じゃあアーレントさんの言うとおりにしますって思考放棄するみたいなさ。
その考えに賛同しない奴は劣っているみたいなね。
そうそうそう、結局同じことをやっぱり繰り返されちゃうので、やっぱりこう自分で、よく言われちゃう、自分の頭で考えましょうみたいな話ってあると思うけれども、
やっぱそれってなんなんてのは難しいからみんな迷うわけだよね。
いやーほんと、それが難しいからそういうビジネス書がいっぱい出て、全部読んでもわからんみたいなね。
あの、わからんというかね、そのぐらい難しいんだよね。
わかってる人からするとこんなにわかりやすく説明してるんだけどって思ってるんだろうけど、
わかんない人からすると、そのわかるっていうところを突破するのがとても難しいんだよね。
っていうのを多分この、ここまでのアーレントの回で、なぜそんなに難しいかっていうのもわかった気がするよね。
そうだね、生半可なことじゃないし、あとこれはちょっと厄介かもんだけど、別に本を書いてる人がわかってるわけではないからね。
わからずに、うかがえてる人もいると思うから。
厳しいね、どうしたの?
自己啓発本いっぱい読んできたからね。
あー、そうなの?
これ絶対わかってねえだろうとか。
そしてその作者に突撃したりとかしてたの?
しないしない。それこそほんとダメなやつじゃん、ダメなやつっていうか。
心でね、こいつわかってねえなって思いながらね、読むみたいなこともありましたけど。
そうなんだ、怖い、そんな読者に読まれたくない、怖い。
確かにね。
ちょっと話戻して、今回ですね、アーレントさんの最後の作品になるのかな、精神の生活っていう話がありまして、
この本の中で、これもいろんなこと書いてるんで、もちろん全部は紹介できないんですけれども、
最後にこれ、わかりやすいかなと思って持ってきたのが、人間のまず考えるっていうような営みだよね。
そういったものを思考、いわゆるシンキング、考えることと、あと意思、意思を持つとか、ウィルみたいな話ね。
あと最後判断っていう、ジャッジするみたいな、この思考を意思、判断っていうこの3つに分けて考えるとやってるんですよ。
そうなんだ。
やっぱりこれでちゃんと分けて、それぞれの定義というかね、話をして、どういう機能とか役割を持つかっていうことを落とし込みながら、
それぞれが何が大事なのかとか、どういうふうな特徴があるのかとかっていうことを考えていくって話なんですけど。
これビジネス書じゃないの、これ。
違うよ。アーレントさんの本だよ。
自分の頭で考えようって、3つに分けて考えるんだ、みたいな。
ロジカルシンキングの時間ですよ、みたいなね。
そんなに分かりやすかったらいいんだけれども、この3つの背景には、もし勘付いた方がいたらすごいなと思うんですけど、
カントですよね、カント。いたじゃないですか、哲学者。
判断といえば、カントは判断力批判だ、みたいな話もあるんですよ。
あとこれは実は、この後話すんですけど、思考とか意志とか判断って、それぞれ時間の過去、現在、未来とかっていうのに対応したりするんですよ。
時間というのはやっぱハイデガーなんですよね。
なのでこの本の、この言葉の奥にはハイデガーとカントがいるみたいな。
分かんないよ。
もうさ、無理じゃん。だからね、やっぱり。そんなのさ、知らないじゃん。
実際そこを土台にしてるの?
そうそう、やっぱそこをベースに考えたりしてるんだよね。
なので、やっぱこれまでのことを踏まえつつ、アーレントさんがやっぱり学んだハイデガーと、
当然、アラシの方とも、哲学者が向き合っているカントっていうものを通じながら、
この思考、意志、判断、この3つをどういうふうに捉えていくんですかって話をして、
今日は最後にしたいと思っておりますというふうな感じなんですよね。
なるほど、面白そうだね。
で、早速やっていこうというとこなんですけれども、最初1個目の思考ね。
思考。これは時間的には、いわゆる現在、今ですね。
で、アーレントさんが言う思考って、いわゆるただ考えるとか、思考を巡らせるだけじゃないんですよ。
前回さ、思考の欠如みたいな話をしたときに、いわゆるナチスの幹部というか、
それでホロコースを推進したアイヒマンさんという人が、
実は自分の頭では考えてなかった。
組織で必要だったからやっただけだとか、
自分の仕事を遂行しただけだみたいな話で、
結局それがどれだけの影響を及ぼすのかとか、
自分の仕事の結果がどれだけ悲しむのかとか、そういうことをまさに思考してないわけだったんですよね。
ここが結構今回のテーマというか、
アーレント編の面白いところだと思うんだけど、
たぶんアーレントとか、
あと自分の頭で考えられる方の人というか、
俯瞰して見れる人からすると、
思考の欠如だよね。
足りないみたいなさ、とか、
思考の放棄みたいなさ、
たぶんそういう表現になると思うんだけど、
ここは結構危ないというか、
こんがらがるポイントじゃないけど、
これってでもアイヒマンとか、
いわゆる大衆の方からすると、
前回も話したけどさ、アイヒマンはアイヒマンなりにさ、
この仕事ちゃんとやらなきゃ、とか、
今の自分の立場でこの仕事を、
例えば仮に、
頭の中にチラッとでも、
友達に仲のいいあいつ、ユダヤ人、
あいつめっちゃいいやつだったしな、みたいな、
そういう感情があるけれども、
じゃあ仕事としてやらなきゃ、とかって、
これやらないと自分がご飯食べていけないじゃん、とか、
このご時世、ご飯食べられないどころか、
家族丸ごと消されるかも、みたいなさ、
多分アイヒマンなりにめっちゃ考えてるはず、
っていうのを思考の欠如だとか、
考えてないっていうのは、
結構危ないと思うんだよ、それはそれで、
っていうのは個人的には感じるかな、
だから欠如とかって安易というか、
ちょっとそれもポジションじゃん、
っていう感じはするから、
そこの言葉の選び方だったり、
言葉の捉え方っていうのを、
ここを定例にした方が、
自分の頭で考えるって何かとか、
考えられないって何かとか、
もしくは構造的に、
考えられないように、
思考欠如に陥っているってのは、
誰から目線の言葉なのかとか、
みたいなのは結構そこをちゃんと考えていった方が、
いいなっていうのは感じるから。
ああ、
やっぱりこうきちんと自分に落とし込むのは、
すごく大事だなと思ってて、
まさにさっきの話もそうだけど、
じゃあアーレントさんが、
確かに思考足りてない、
よし僕も思考するぞみたいなのは、
それこそ考えてないわけじゃない?
まあそうだね。
そう、思考が欠けてるって話なんだけれども、
今ここの場で言う思考っていうのは、
さっき思考は現在ですって話をしたと思うんだけど、
本当に今自分が何をまさに考えているのかとか、
どういう状態にあるのかとか、
何に動かされているのかとか、
そういうことをきちんと客観視するとか、
向き合いましょうねっていうふうな話なんだよね。
ああ、もう勘弁してくれ。
なんでなんだよ。
勘弁してくれってかすいませんでしたね。
なるほどね。
つまり、仕事だからやらなきゃとか、
命令されたから遂行しなきゃっていうのは、
過去に生きてるんですよ。
うわあ、もう論破された。
論破された。早いよ。
あれだね、テーブルが揃ってない感じが面白いね。
そうかそうか。
そうね、思考っていう言葉で考えちゃうとね。
ああ、そうそうそう。
だったりとか、その判断だとかさ。
思考の欠如って時に、その欠如とか足りないとか、
そっちに引っ張られて、
思考とは何かみたいな、何を論じてるのかってとこがなかった。
思考が欠如してました。
でも面白いよね。
やっぱりさ、思考とかって言われるとさ、
それを何と定義してますかみたいなことじゃなくて、
何だろうな、でも言っても頑張って考えてますとかさ、
自分なりに、例えばだから足りない頭を使って何とかしてるんですよとか
っていう気持ちになることがあるとした時に、
やっぱそういうことじゃないんだよね。
僕自身もそうだよ。
僕自身も全然自分で思考してますかってやっぱできないと思っていて、
それは、頭を回転させるとか、
何とかしようと思って苦労、苦闘する、苦悩をするとかってことじゃなくて、
本当に今っていう時間軸に焦点を合わせて、
冷静に自分の環境とか状況をつかむとか、
そこに対して自分がどういう感情を持ってるかっていうところに向き合うとか、
そういう、ちょっと現代風に言うとマインドフルネスっぽい発想なんだけど、
そこに焦点を当てることが思考だっていうふうに、やっぱりアーレントさんは言うんだよね。
うわー、はいはい、ちょっとちゃんと聞いてこう。
さっき、サニックはビジネス本っぽいねって考えるというのは、
思考と意思と判断に分けましょうっていう話だけれども、
分けるっていうことはすごく、
ビジネスシーンでも大事だし、どこでもそうなんだけれども、
分けたときに、ちゃんと一個一個を理解していくとか、
分けることにどんな意義があるのかっていうことを考えたからすごく大事だと思ってて、
だからこそさっき言った時間っていうことがすごくここには効いてくるんだよね。
いやー、なるほどだし、そっか、俺今のやりとりで、
例えばビジネス書とかでさ、自分の頭で考えようっていう本があったときに、
たぶんまずは自分編が10冊くらい必要なんだね。
まあ、そうだね。
別に自分の頭で考えるとかだ、頭編だよね。
はいはいはい、そうだね。
あと考える編みたいなさ、そういう話だね。
そうそう、だから自分編はさ、これまでやってきたじゃん?
フロイトとかさ、ベルクソンとか含めて、自分とは何かっていうのやってきて。
で、頭はあんまりやってないけれども、
まあ頭は自分に含まれるかもしかして、自分の頭とは何か。
まあでも、そこは深入りしすぎるとね、じゃあ頭と心は違うのかとかさ。
ね、そっちになっちゃうもんね。
そうそうそう。
前撮ってたもんね、心は何、どこにあるのかみたいな。
そうそうそう、まあ一旦そこ置いといたとして、
で、今回考えようっていう、じゃあ考えるって何?っていう時に、
あなたの考えるって言ってる考えるは、果たしてどれなんですか?とか、
どの時間で行われてるんですか?とか、
果たしてそれは本当に自律的に考えているのか、
異世界の常識とか、誰かの強い主張とかで考えさせられているんですか?とか、
そういうことって、いくらでも本当は掘り下げていけるんだよね。
そうだよね。
みたいなことが、やっぱり大事だという話が今回なんですよね。
はい、でもね、今すごいありがたいのは、やっぱり思考を一個取ってもこうじゃん。
いや本当にそう、本当にそう。
で、次意志、意志に向かいます。
あ、思考終わった?あれ。
一旦ね。
あ、ちょっとまとめてちょうだい。
なんか途中ごめん、チャチャ入れたから忘れちゃった。
OK、じゃあもう一回言うと、思考っていうのは、まさにこの今っていう時間に対して向き合っていくことですと。
で、その向き合った何が起きるかっていうと、いわゆる世間の常識とか組織のルールっていうものって、
これって要は過去から続いているものじゃないですか。
で、この過去のまさにこうなんだろうな、自分を動かすものっていうのを一旦遮断して、
本当に今自分はどういうふうにまさに考えているのか、行動しているのか、感じているのか、
こういったものにちゃんと目を向けること、これが思考ですと。
うんうんうん。
なので、思考の欠如ってアーレンとかやってるのは、そのアイヒマンが何も考えていなかった、
もうただただいわゆる側にやっていたってことじゃなくって、
今自分がっていうことに本当に向き合って、その意義を捉え直すとか、
ちゃんとこの自分が引き起こしているものに対する責任みたいなことに向かい合って、
ここに本当に自分なりの答えを出した上で行動しているかどうか。
だから変な話、アイヒマンさんが、絶対に良くないけど、でもこれは自分の人生の使命として、
どれだけ問いかけても問いかけてもやるべきだと思ってホロコースを推進しましたって言われると、
これは恐ろしいことだけやっぱり思考はしているはずなんだよね。
はいはいはい。
そうすると、アイヒマンさんはヤバいやつだとか、
どれだけ思考をしてもホロコースを推進するなんて異常性だって逆に多分なるんだけど、
そうじゃなくて思考をかけている、いやいや上にいられたからだとか、
自分の仕事だったからだっていう風に、要は自分と向き合ってないわけだよね。
うんうん。
でなると、これってみんなそうだよねっていう風にやったのが前回の話。
はい、なるほど。
ですと。なので、この思考っていうのがまず大事なんだっていうのが1個目なんだよね。
うんうん、なるほどね。
そうか、どんだけ自分が向き合ってますって言ったとしても、
このアーレントからするとやっぱり向き合ってないと言わざるを得ないっていう状況だって話ね。
そうだね。本当に向き合ってたんだったらもう少し葛藤とか苦悩とかそういうことも出てきませんか?みたいなこともあるよね。
うんうんうん。
うん、で、最後ね、それだけだとやっぱりある種過去を変えりみないとか、何だろうな、もう何やってもいい、とりあえず新しいことガンガン始めて、
あとは焼け野原でもオッケー、まあそこまでいったら思考がないかもしれないけど、
そうなっちゃいますよっていう時に、やっぱり大事なのが3番目の判断ですね、と。
ほう。
うん、で、残ってる時間は過去なので、判断はね、過去に向かうんですけれども、これ、たぶんちょっと日常的な言葉とやっぱりちょっと違うんだけれども、
この判断っていうのは、過去に起きたこと、まあそれが事実だったりとか、自分がやったことでもいいし誰かにされたことでもいいんだけれども、
それを後から振り返って、あれって良かったのかなーとか間違ってたのかなーとかさ、
うん。
あれってあの時はこうしたけど本当はこうしても良かったのかなーとか思うことってあるじゃないですか。
うんうん、あるね。
うん、ね。
っていう時に、過去は過去なのでやっぱり取り消せないし、起きてしまったことはもう元には戻らないんだけれども、
それがどんな出来事だったかを判断する。
ほう。
これ判断で使うんだけど、っていうことが実はできるよねっていうことなんですよ。
おー、はいはい。
うん、ね。
ある種こうやっていびづけみたいな話でも近いと思うんだけれども、やっぱりこうすごい後悔する出来事とかさ、
すごく苦しいことも、やっぱり時間が経つとさ、あれもなんか自分にとっては良かったなとか、
ある種ネタにできるからいいかみたいなことってあったりするじゃない?
うん、ねー。
うん。
っていう意味で、やっぱりこの判断っていうものを使うことで、
人間は過去の出来事が持つ、まさに意味とか重要さっていうものを変えていくことができるんだって。
うんうんうん。
うん。やっぱこれも同じで、やっぱ過去っていうものが辛いこととか苦しいこととか、
ある逆にすごく幸せなことがあってそれに捉えてるっていう人もいるじゃないですか。
あの頃は良かったみたいな。
うんうんうん。
でもそういったものから、ちゃんと自分をなんていうのかな、
まあいい距離を取るというか、それに捉われずに過去を判断して、やっぱり今だったりとか未来に繋がっていく。
うんうんうん。
こういったものがやっぱ人間の精神にはあるよっていうような話をしますね。
おー、なるほど。
うん。
そう。なので、やっぱり今日の思考、意思判断っていうのは順番でいくと、
やっぱり僕らは今この瞬間において、果たして自分はどういう状況なのかっていうことをやっぱ思考して。
うん。
で、そこに対してちょっと順番は人によるかもしれないけれども、
順番は人によるかもしれないけれども、未来に向かって意思っていうものを使って新しいことを始めていくとか。
うん。
あるいは過去に向かってあの時のこれがこういうことだったなっていうふうに判断を行って、
じゃあ次はこうしようっていうふうにまた未来に向かうとか、あるいは思考を深めるとか。
そういうことをある種こうじゅんぶりじゅんぶりというか、
やってるっていうものがある種人間のやっぱり精神的な活動なのっていうふうに言うんですよね。
おー、ほうほうほう。
うん。どうかな、この何か3つ聞いた時に。
何かその聞く前、ただ単純に思考、意思、判断みたいに聞いてたことと、何かちょっと変わったりしたかな。
そうだね。だから考えるとか、ちゃんと考えてって言った時に、
うん。
人によってこのバランスが違かったりとか、
うんうん。
なんか人によってね、その過去がゼロだったりとか、
さっきの過去に縛られてるんだったら過去がもう90でみたいなやつ。
はい、はい。
そういう感じになっちゃうっていうところが、確かにこうやって分けてもらえると、
うん。
これがちゃんとバランスというか、全てが入ってますか?あなたも考えるにはって言われると、
うん。
確かにっていうのは思えるかもね、これ。
ね。
うん。
結構大事で、やっぱりこう未来について話をしてるように見えて、
意外と過去にやっぱりとらわれてる。
例えば、あの時もやったから無理だよとかさ、
うん。
逆にね、あの時うまくいったから、えーと今回もこれでやろうよみたいなさ。
うん。
ね、よくある成功の逆説というか、それはあると思うんだけど、
うん。
例えばこううまくいってることを引っ張ってきて、もう時代に合わないってことだったときに、
こうやって未来に向けて意思を持ってるようで、実はその過去に判断もしないのかな。
まあでも一応判断はしてるか。
あの時のことは有効だったっていう、その本来は有効じゃないものに対して有効だという判断をして間違ったラベリングをしている。
うん。
うん。で、まあある種アーレントの判断は、ちゃんとその過去に対してもう適切な判断をしましょうとか、
うん。
より未来に繋がる判断をしましょうっていう風な意味合いも含むから、
あーそうなの。
うん。基本的にはやっぱりこう、人間の精神的な活動をちょっとより良い方に行くっていう風なイメージなんだけど、
うん。
なんかそこまで行くとなんだかちょっとポジティブすぎるなって感じるので、
うん。
今みたいな、その間違った判断をするとか、
うん。
その、誤ったラベリングをしながら意思を持つみたいなことを、
うん。
なんか言ってもいいんじゃないかなとは、なんか僕の中では思うかな。
はいはい。だしまあ、あとそうだよね、その適切な判断とか良い判断の軸もわかんないもんね。どうなんだろうね。
あーそう、何を持ってそれが良いとかね、悪いと判断するか、あの、良いとか悪いと言うかっていう風な話だよね。
そうそうそう、アーレント的にはあるのかもしんないけど。
うん。これがね、実はね、この後の後半の話なんですけれども、
おー。
そう、第一回とかで言ったの覚えてるかな、あの手すりなき時代とかさ、
うーん。
そんなこと言ってもちょっと覚えてる?
あ、うん。あったあった。うん。
要はこの手すりっていうのは、まさに判断軸だよね。
だから宗教的なこととかさ、伝統的な倫理でもいいし、あるいはね、もっと昔であれば、街の風習とかさ、そういうことも含めて、
大抵これに従ってればOKっていうものがあったわけなんだよね。
あーはいはいはい。
でもこれまでやった人通りやっぱり全体主義とか、ホロコースターみたいなことを踏まえると、やっぱり外の基準に全てを合わせるっていうことはできないねと。
あーだから手すりぐらいならいいけど、もう手すりじゃなくて、もうなんだろう、もうベルトコンベアじゃないけどさ、
あーはいはいはい。
もう自動運転なのか、もうレールの仕替えた電車なのかわかんないけど、もうそのぐらいになっちゃったじゃんみたいな感覚なのかな。
あーでもそうだね。だからもう明らかに自分っていうものがまさにない。
考えるとか精神っていうものがない状態で、ある種動かされてしまう、動いてしまっている。
うん。
まあそういうエミネの手すりとか、自分の支えるものがあんまり、それを個人の側から見ると手すりがない。
何につかまっているかわからない。
うん。
っていうふうなことがあったときに、やっぱりこれを、じゃあどういうふうにその個人個人が掴んで生きていきますかっていうことなんですよね。
わー確かにね、じゃあその、なんだろう、ベルトコンベアから飛び降りたとして、手すりに残っていればいいけど、もうありませんみたいな感じか。
そうそうそう。
で、そんな感じで、さっき思考・意志・判断って3つをやってきたんですけど、やっぱりアーレントさんの中ではこの最後の判断ですね、これってやっぱりすごく大事だよっていうふうに言うんですよ。
うんうんうん。
で、これはさっきもちょっと話したカントですね、っていうところが、やっぱりこの判断力期間っていうのをやってよっていうことを言ったんですけど、
この判断力って何かっていうと、これカント界でちょっとだけやったんだけれども、いわゆる美、あと美しさっていうのがあるとか、あとは味覚とか味とかもそうなんだけれども、
結局その、カントってさ、道徳法則、要は、万人に妥当するものに自分回せろみたいなさ、そういうことがあると思うんですけど。
人格になろうみたいな話をしたよね。
あーそうそうそう、そんな無理じゃんみたいなさ、話を。
定格名言、何だっけ、なんとか名言。
定言名法かな?
定言名法だ、それそれ。
それだ。
で、カント時に、道徳ならいいんですよ、例えばね、人を殺してはいけませんとかさ、嘘をついちゃいけませんみたいな。
っていう時に、例えばさ、この花は美しいとかさ、今日の星空は綺麗だとかあった時に、これってさ、万人がそう思うかって、まさに基準ってどうするのって話なんですよね。
っていう時に、みんなが綺麗だ綺麗だって言ってる花を見たら、自分も綺麗だって思わなきゃいけないのかって言うとさ、そうはやっぱできないじゃないですか。
そうだよね、自分はそう思ってないっていう現実があった時、どうするって話だよね。
そうそう、それでもしね、みんなが綺麗だって言ってるから自分も綺麗だって思いましょうっていうのは、まさに思考をしてないというかさ。
っていう時に、自分は綺麗だと思えないんだよねっていう、まさにそれは判断。ある種感情的な部分でもあるんだけれども、そういった判断っていうものを、やっぱりこう、他者と共有するってことができてくるんです
よね。
で、ここに対してカントが考えたのが、やっぱりその共通感覚みたいなものとか、いわゆる人と人ってそれをちゃんと共有できるような場というか、つながりというか、そういうのがあるよっていうことを、こんな言葉
ではとて言い合わせないんだけれども、言ってますねと。
うん、いう時に、このアーレントさんはこのカントの話を、いわゆるものの美しさとか、そういった感情的なことだけじゃなくて、まず社会とか政治以外のものにも応用できるんじゃないかっていうふうに考えるんです
よ。
つまり、この社会、日本でもいいんだけど、その日本社会において何が正しいのかとか、何を優先するべきか、それは例えば政治や政策でもいいし、組織で言えば予算の悪いとかかもしれないけれども、そういった一個一個
の意思決定とかに対して、やっぱりそのよしよしを判断するっていうパターンってたくさんあるじゃないですか。
うん。
うん、いう時に、この手すりがない時代、つまり過去の、いわゆる正解とか、こうしたらいいっていうふうな、何だろうな、もう習慣みたいなものがなくなった時代において、やっぱりそのよしよしを作るためには、結局自
分を知ることと他人を知ることの両方をやらないとダメだっていうふうな話なんですよ。
ほうほうほうほう。
うん。
すごく分かりやすい例で言うと、さっきの花でさ、自分は綺麗だと思うけど、あの人は汚いと言うと、やっぱりね。
うん。
そういった時に、花が汚いとか何言ってんの、こいつマジありゃいいんだけど、もう分かり合えないわってなったらさ、もうおしまいじゃん。
そうね、うん。
ね。
だから、やっぱりその、汚いって言う人は何を見ているんだろうとかさ、どういう現実が見えているんだろうっていうことをきちんとやっぱり考えるというか、まあまさに今日で言うと、思考したり意志を持ってみたり、
判断してみたりっていう、そういったことを使いながら、相手のことをちゃんと理解していく。
うん。
その上で、いやいや汚いって言ってるけども、こういう風に言えば綺麗だよねっていう風にちゃんと伝えられるかどうか。
うんうんうん。
うん。
で、これは大事だし、すごい逆もしかりなんだよね。
うん。
なんかみんな綺麗って言ってるけど、私にはどうしても汚いとしか思えない。でも綺麗だと言ってるからには何かそこに理由があるはずで。
うん。
っていうことはどういう風に見えてるんだろうっていうことをやっぱりこう自分の中に取り入れて。
うんうんうん。
で、そこと自分の汚いっていう価格を照らし合わせながら、だからみんなは綺麗だって言ってるんだとか、ってことはこういう風に言えば鼻が汚いっていうことを理解してもらえるかもしれないみたいな。
うーん。
こういう風なコミュニケーション、まあそれは言葉で行われるのか、まあイラストとかで何で行われるのかっていうことはあるとは思うんだけれども。
うんうんうん。
やっぱりそういったやり取りっていうことを踏まえて初めて、この鼻は綺麗か汚いかっていうことの正しさっていうのが見えてくる。
そこに軸ができてくるんだよっていう話をするんですよね。
ほうほうほう。
どうかなこの軸の話。
うーん、結構難しいかなと思った。
うん。
単なるあれでしょ、自分の感覚の押し付けでもないし、相対主義でもないんだよね。
あなたもいい、私もいいでもないんだよね、これ。
ではない。
その感覚がちょっとまだピンときてないかな。
なるほどね。具体の例で言ってみようかな。
この前さ、サッカースタジアムの話してたじゃん。
ああ、生まれた時からサッカースタジアムにいるよねみたいな話ね。
全体主義を例えるならっていう。
例えるならっていうね。
そういう時に横に野球のスタジアムが発見されたとしましょうと。
うん。
どちらの人も生まれた時から野球しか見てなくて。
はいはいはい。
サッカーのことなんか知らないし、もうわけわかりませんみたいな、お互いね。
っていう時に、さっき兄貴が言った自分の感情を押し付けるっていうのは、
サッカースタジアムの人が野球なんてもうよくわかんないからサッカーやろうぜ、お前らもサッカーやれよっていう風にして侵略することなんだよね。
はいはいはい。
そうすると相手のことも何も考えてないというかさ、押し付けてるだけになるじゃん。
そうだね、そっちのスタジアムに並べ込んで野球をやらせてサッカーやらせるみたいな話だもんね。
ホームベースとかいらないからさ、ゴール立てようぜみたいな感じで勝手に立てちゃうみたいなさ。
もう迷惑極まりありませんみたいな。
そうだね。
っていうのが、これがまさに帝国主義とか前代主義をやってることなんだよね。
うんうんうん。
ですと。
で、相対主義っていうのは、野球も確かになんか良さそうですねと聞いてみたら。
でも別に僕らはサッカーで十分満足してるんで、あなた達は野球やっててくださいよと。
僕らはサッカーやってるんで。
で、どっちがあってもいいですよねっていう感じ。
うんうんうん。
そうすると、このサッカースタジアムと野球のスタジアムは隣同士にあるけど、別に交流も起きないし。
うんうんうん。
まあまあそれぞれ、ある種侵略しないからあなたも侵略しないでくださいねっていうような感じ。
うん。
で、やっぱり関係性は生まれないんだよね。
そうね。
そう。
で、あった時に最後の、やっぱりこの軸を立てるっていう意味で言うと。
うん。
ある種破例賞も起きるんだよ。
じゃあサッカーと野球、どっちを今やれる気ですかとかさ。
うんうんうん。
どちらの方が未来に残す価値がありますかとかって言われた瞬間に。
うん。
けんけんがくがくの議論というか、多分どっつき合いが起きると思うんだよね。
あーまあそうだね。こっちの方がこうだみたいな。
そうそう。絶対サッカーの方がいいでしょっていうスタジアムのサッカーの方を見れば、
何か野球の方が至高でしょみたいな人たちもいて、
でもその中でも野球かサッカーかっていうものを打ち立てなきゃいけない。
そうした時に、
多分なんかあるはずなんだよ。
なんでサッカーっていいのとか、野球のどこが面白いのとか。
うんうんうん。
っていう風にアイドルをする中で、
あ、なるほど野球にもそういうところがあるんだねとかさ。
あ、なるほどサッカーってそういうところが面白いんだみたいな感じで、
関係性が少しずつできていきますと。
はいはいはい。
すると、分かんない。
例えば、いや、そもそも1個しか残さないって言ってたけど、
1個に混ぜちゃダメだから、
やっぱりサッカーと野球って両方あるってことが正しいよねとかさ。
あーはいはいはい。
うん。
そっか、その議論減てるか減てないかで全然違うね、その語が。
ね、違うでしょ。
違う。
なんか確かにその結果、めっちゃ議論した上で、
あーもうやっぱりどっちも残そうってなって、
もういい、そっちは野球やりましょう、こっちはサッカーやりますってなった時に、
うん。
見た目は相対主義と一緒なんだけど、
うんうん。
起こってることは全然違くて、
うん。
多分ちゃんと交流も起こるし、
うんうん。
なんならお互い観光じゃないけどさ、
はいはいはい。
ちょっと野球の方興味に観光に行ってきますみたいな、
そういう交流みたいなものも生まれる可能性もあるっちゃあるね、もしかしたら。
そうだよね、うんうん。
あー、だし、野球なんてやっぱりダメだって思う人ももちろんいるし、
うん。
っていう中だけど理論減ってるから、それでちゃんと安定というか、
なんか早いと見ると軸みたいなものがそこで生まれてるのか。
そうそうそう、だから自分は思考した結果、
うん。
野球には絶対に興味を持てないということが分かったけど、
うん。
それに関心を持ってきたとか、それを生涯大事にしている人がいるということが分かったみたいな、
うんうんうんうん。
そこまでは行けるわけだよね。
わー、行った。行ったね、今。
行った?
そうそうそう。なのでこのサッカーサジアムと野球サジアムは、
たぶんいい関係でやれるんですよ。
なるほどねー、そっか。
うん。
ヘイゲルじゃないけどさ、
うん。
なんかそこで技能者的化の、
うん。
ヤッカーみたいなさ、
うん。
競技を生まれるみたいな。
アウフヘイベンされてね。
そうそう。
そっか、そう考えちゃうのはなんか、
うん。
あれだね、こう考えさせられてるというか、
うん。
なんかそういう感じがするね。
そっかそっか。
そうね。
必ずしもより良いものを生まなくてもいいんだ。
うん。
というか、そのまさにそこがたぶん大事で、
うん。
その、やっぱりヘイゲルは普通は混ぜ合わされないものを混ぜ合わせるっていうはずなんですね。
矛盾と統合っていうのは。
そっかそっか。意外対立とかの矛盾が大事だもんね。
うん。
そうそうそう。
で、やっぱり次のより完全な状態に行くとか、
最終的には絶対精神っていうものを目指すっていうか、
発展の発想だから、
最強の。
やっぱりこうやっていくんだよ。
最強のスポーツみたいなのに修練させていくんだよね。
そうそう。
だから、世界からあらゆるスポーツが消え失せて、
うん。
なんか、ね、まさにヤッカーみたいな、
なんかよくわかんない1個だけの頂点のスポーツができましたみたいな。
はいはい。
もう全体主義極まれるみたいなさ。
そうだね。
確かにね。
もちろんね、それはある種発展系だし、
全員がそれ納得してればいいのかもしれないけど、
うん。
でもアーレント的にやっぱそれは思考を奪うし、
うん。
で、多様性もなくなるし、
まあやっぱり良くないというか、
現実的じゃないんだと思うんだよね。
まあ、その失敗で見ちゃったしね。
うん。
あー、そうそうそうそう。
ね。
なので、やっぱりこの判断力を使ったコミュニケーションっていうのが、
うん。
自分のね、持ってる性格を押し付ける、
まさにそれはもう侵略だし、
逆に無関心で、
まあもう我々関係ありませんねってお好きにどうぞお互いやっていきましょうっていう風な、
いわゆる分断でもないし。
うん。
うん。
もう、ある種、行ったり来たりを繰り返しながら、
やっぱ新しい関係を作っていくとか、
うん。
ちゃんと、少なくとも今の私たちのこの状況においては、
この軸が良さそうですねとか。
そういうものを作り出していくっていう風なことなんだよね。
いやー、面白いね。
うん。
なかなか壮大じゃないですか、これ。
なかなかどころか、
すごいね、とんでもないね。
っていうのが思考・意志・判断みたいな、
すっごいシンプルな、誰でも知ってるような言葉。
で、やっぱり語ってくれてるのがアーレントさんですって話なんだよね。
いやー、すごいね。
いいよ悪いって何?みたいなツッコミが入るところを、
ちゃんとアーレントなにに、
ここです、みたいな。
結構具体的に置いてくれてるし、すごいね。
もちろんそうやって理想論じゃないのとかさ、
そんなことやってる暇ないんだけどとか、
そういうことは言おうといえば言えるとは思うんだけども。
まあ、メディオン中にぶん殴ってくるやつもいるわけじゃないしね。
まあ、そうね。
でもやっぱり、
まさに力こそ正義となっちゃうと、
常に苦しくなるとかね、
そういった弱者とか、知りたげられた人が出てくる時に、
やっぱりこのアーレントさんはある種知りたげられた側?
でもそっち側に立つだけじゃなくって、
ちゃんと知りたげた方も知りたげられていた方も、
やっぱり囚われていた問題とか構造があったっていうことを、
常に目を向けた人なんですよね。
それはナチスとかドイツとかヨーロッパだけじゃなくって、
やっぱり近代社会っていう、
やっぱり世界全体において起きてることだと。
そこに対して、
教育というような判断というものを使って、
ちゃんと過去というものに向き合いながら未来を作っていく。
思考を欠如させずに、
ちゃんと自分に向き合いながら生きていくっていう、
こういったことをきちんとやっていけるのが、
人間のマルシュ、素晴らしさだし、
可能性だよっていうふうな、
そういうことなんですよね。
話はね、第1回にまた戻ってくるんですけど、
第2回か、アルグスティンスっていう人が話をしたときに、
神への愛みたいなものと、
あとはこの世というか、
現世の愛みたいな2つあるって言ったじゃないですか。
ある種宗教的な発想とかでいくと、
神への愛の方が大事だよみたいな。
それってどうなのっていうような話をしたと思うんですけれども、
やっぱりアレンジさんの中で大事な言葉として、
世界への愛みたいなものがあって、
ただ単純に世界を愛しましょうとかさ、
愛は地球を救うとかってことではないんですよ。
これどういうことかっていうと、
やっぱり世界って過去もいろんな悲劇が起きてるじゃないですか。
戦争であれ、侵略であれ、いろんなことが起きたときに、
まず知れば知るほど人間って救いようがないんじゃないかとかさ、
一層人間が絶滅したらこの地球はもうちょっと良くなるんじゃないかみたいなさ。
そういうことを考えちゃう瞬間もあるじゃないですか。
悠々白茶みたいなさ。
悠々白茶ってそうあるのかな。
だったときにそれでも、
僕らって地球上で生きているし、
人間としてお互いに関わり合っている。
でもそれはもうどうしようもないっていうか、
変に理想に入れ込んで、
いやいやみんなで手を繋いで仲良くなれますよっていうのも無理だし。
でも心理史はやっぱり一緒みたいな、
ニヒリズム的なところもやっぱり違う。
これはさっき言った存在主義でやっぱり関係性が断裂するってことになってるから。
その両方に陥らずに、
やっぱり思い通りにならない世界で生きていく。
他人と繋がり合いながら裏切られたり騙されたりとかすることもあるかもしれないけれども、
それでもちゃんと生きていくんだっていうのは覚悟。
そういうものが世界への愛っていう言葉に含まれてるんだと。
っていう風な話があるんですよね。
はいはいはい。
はい。
なのでね、これまで6回分やってきましたけれども、
今回ナシスドイツみたいな話もして、
やっぱり苦しいというかさ、
人のエキシーンの話とかってやっぱり辛くなるし、
できれば目を背けたいことなんだけど、
やっぱりそこにちゃんと目を向ける強さというか勇気というか、
そういったものを持ちながら、
ある種人と人の分かり合いなさとか、
その多様性があるからこそ、
やっぱりどうしてもぶつかっちゃうみたいなこととかも含めて、
いかに生きていくかっていう、
やっぱり生々しさだよね。
いやー、確かになー。
今言ったとこ塗ってると、思考と判断が抜けて、
意識だけ、理想をただ想像するみたいになっちゃうってことだね、例えば。
そうだねそうだね。
それこそ神の国で来世に来たいみたいになっちゃうわけよ。
それもやっぱり人間の精神的活動としてはやっぱり足りないよね、
なっちゃうんだよね。
そうだね、今回の話からするとそうだ。
そうそうそう。
だからやっぱりそういう厳しいことを言っていると思うんだよな、アレントさん自身。
そうだね、だいぶカロリー使う話してるからね。
いやそうそうそうそう。
一人一人が人間としてにより精神を活動させましょうとかさ、
今日活動っていうのも大きなテーマだけれども、
労働とか仕事じゃなくて活動ってやっぱ新しいものを作るんだとかさ、
生まれてきたからこそ、あなたが生まれてきたことに意味があるとかさ、
あなたが世界を作っていくっていうのは、
希望でもあるけど重たい責任とかさ、
そんなの放っておいてくれよみたいなただただ生きて過ごすだけで精一杯なんだよって思う時もあるんじゃない?
でもやっぱりそこにある種逃げ込ませてくれないとか、
そういう厳しさらしい優しさみたいなものをアレントさんから感じるんだよなというぐらいのところなんですよね。
はいはい。まあでも面白いし、活動っていうところの解像度も少し上がったかもな。
やっぱりそこでも何かの成果物というかさ、
出さなきゃみたいに感じてたけど、
今回の議論をするみたいなところももしかしたら活動に入るのかな?みたいなさ。
うん、入るね入るね。
そもそもポリスのそういった会話とか、
だりどりっていうところをアレントさんで理想化してるから、
会話をするみたいなことも入るね。
そうだよね、その結果何か決まりました、みたいなことはなくても、
その対話の結果さっきの、前後で状況変わんないんだけど議論を尽くしましたみたいな状況は、
ちゃんと意味があるというか、
ちゃんと実はその成果物あるんだよっていう話。
そうだね。
目に見える成果があったとしても、この集団が善なる方向に向かいましたとかさ、
そういったものがそれぞれ参加した人たちの中に生まれましたとか、
それはやっぱり大きな成果、成果って言っちゃうとそっちに回収されちゃうけど、
出来事だよね、話はね。
なるほど、面白いね。
これはすごく深掘りがいがあるというかね、本当にいくらでも話したいなって思っちゃうんですけど。
でもね、まだまだアレントさん、社会編の一人目みたいな感じなので。
ああ、そうだった。大きいな、そうだよね。
人間編やって、今社会編やってのスタートか?
そうです、一人目。
次ね、ヤスパーさんとしてやろうと思っているんですけども、
まあね、ここでもね、いろんなまた違う話をしながら、
社会で生きるって苦しいよね、みたいな、苦しいなんて僕がそう思ってるからだけなんだけど、
そういうことも加えつつ、でもそのクレーサーって何だろうね、みたいなのを、
皆さんと引き続き、一緒にこう考えて向き合っていきたいなと思っておりますというところですね。
そっかそっか、まだまだあるんだ。なんかもうこれで、
今の現実が説明しつぶされたと言っても過言ではないのではないかっていう。
いやいや、やっぱり人間ね、まだまだ世界というものはどんどん複雑で、本当に複雑ですからね。
へー、まだあるんだ。
っていう感じでね、一旦今回のアーレントさん編は以上として、
次回ちょっと雑談を挟んで、次ヤスパーさん、カールヤスパーさん行こうと思っておりますという風な感じですね。
はい、わかりました。今回でアーレント編終了ということで、
次回からヤスパーさん入っていくということで楽しみにしていきたいと思います。
では、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。