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聞いていただいてありがとうございます。
この番組は、Web3コーチ起業家のペスハムが一日一Qチャンネルということで、
昨日問いを出していないんですけれども、問いに回答しつつですね、皆さんに問いを出していくというチャンネルです。
ということで、今日も聞いていただきましてありがとうございます。
昨日はですね、30分超にも及ぶ配信をですね、結構多くの方に聞いていただいて本当にありがとうございました。
僕自身ですね、すごく忍者ダオというコミュニティに長く関わってきている中で、
忍者ダオの方々はですね、声を表には出していない方も多いです。
裏側のチャンネルも僕は結構見れるので、僕が見ている限りではですね、ほとんど声に出ていなくて、
結構萌え萌えされている方も多いのかなというふうに思っている中で、
自分の思っていることを言語化させていただいたということで、
思うことがある人もいらっしゃったんじゃないかなというふうに思うんですけど、
聞いていただいた方は皆さんにまず感謝したいなというふうに思います。
今日はですね、ちょっと違った切り口、哲学からですね、
この剣に関しての話をちょっと切り込んでいきたいなというふうに思います。
どうしようかな、問いが出せていないんですけど、
まあいいか。
ちょっと話しているうちにまた問いが出てくるかもしれませんね。
今日ですね、一つボイシーなですね、配信を紹介したいなというふうに思っていて、
哲学者のトマノ一徳さんという方がいらっしゃってですね、
たぶん97%くらいの人はね、もっとかもしれないと思うんですけれども、
NFTをね、触っていらっしゃる方はずっと守るのトチさんっているじゃないですか。
トチさんってですね、哲学好きなんですよ。
で、プレミアムの放送で哲学扉っていうね、チャンネルをご自身でも週1回かな、
されているみたいな感じもあったりとかするんですけど、
哲学皆さんどうですか?好きですか?嫌いですか?知らないですか?
違う世界の話ですか?っていう感じで、
僕自身もですね、哲学に興味を持ち出したのはほんと最近の話だし、
まだ全然ですね、置いていないんですよ。
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分かってないところがあるんですけど、
哲学面白いですよ、ほんと。
で、海外、例えばフランスとかって、哲学の、フランスじゃなかったっけな、
教養としての理解っていうものが本当に必修とされているみたいな、
そんな風にもなっていたり、海外って日本よりも全然哲学を学ぶっていう文化があるみたいですね。
特に西洋ですね、ヨーロッパとかアメリカとかに関してはですね。
で、やっぱり哲学を教養として身につけているっていうことが、
いろんな分野に応用できるし、
やっぱりビジネスにおける決断とか、
あるいは考え方、あるいは過去の歴史とか学ぶ姿勢みたいなところって、
いろいろですね、哲学から生きてくる部分っていうのがあるみたいですね。
なので、まず哲学オススメですよっていう話と、
このトマノ一徳さんというボイシーパーソナリティは、
哲学の専門家としてすごくね、
わかりやすく、そして声でお伝えされているっていうのがすごくスッと入ってくる。
哲学ってやっぱり文章だとね、眠くないじゃないですか。
そう、だからね、ちゃんと声で伝えてくれて嬉しいんですよね。
ちょっと前置きがとても長くなったんですけれども、
紹介したのが、昨日のボイシーがですね、
ハンナ・アーレントという人のですね、著書の紹介になります。
このハンナ・アーレントという人は、
ドイツのですね、ドイツ出身のアメリカの政治哲学者ということなんですけれども、
このナチスってね、いわゆるホロコーストといわれる大量虐殺があったじゃないですか、
第二次世界大戦ですね、ドイツのヒトラーとかですね、
ユダヤ人を大量虐殺したというものがあったんですけど、
アーレントはこのナチスの終わった後の裁判ですね、
主犯覚であるアイヒマンという人がですね、
裁判でずっと処分されていくこの過程をずっと見届けてきたという人がアーレントなんですよね。
この裁判を見てアーレントは衝撃を受けるんですよ。
何かというと、このアイヒマンという主犯の大量虐殺をした人ですから、
極悪非道な人間なのかというふうに思ったらですね、
本当に平凡で普通の高学歴の組織のいうことを絶対と一定に従うような、
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そういう普通の人だったんですよ。
つまり、これだけユダヤ人を殺したという事実がありながらにしろ、
単純にこの上の命令に忠実に従っただけであって、
そもそもこの人を殺しているみたいな、
そういういわゆる良心の過酌みたいな感覚というものは全くないような感じのね、
そういう態度だったんですよね。
これは後にですね、実はこのアイヒマンは、
元々の戦争中は自己顕示欲が高くて、
ユダヤ人をどんどん殺すということに対してすごく快楽を覚えるような、
そういういわゆる悪い奴だったらしいんですよ。
なんですけれども、裁判において完全に平凡な男を装ったという、
そういう実は逸話があるんですけれども、
ただし、このアーレントの見たアイヒマンというものは、
本当に普通の平凡な男だったということなんですよね。
でもこの実際にこの悪いことをする人は、
実は平凡な人で、上からの命令を忠実に従っていて、
そこに対して自分が決めたことではないので、
自分は悪くないという思想で悪いことをしている、
あるいはそもそも自分が悪いことをしていることにすら気づかない、
という例は今の社会でもすごくたくさんありますよね。
例えば、優秀な大手企業が紛失決算、
自分たちの数字を偽って書くことによって、
売上を水増ししてしまった事件だとか、
あるいはパワハラを当たり前のように行っていることだとか、
そういったところも自分が悪いことをしているという感覚がなくても、
それがそういうものなんだというふうに企業文化としてなっていると、
対して自分自身で考えない人というのは、
言われたままに従ってそういった結果的には悪いことをしている事例がたくさんありますよね、
ということを書いている本なんですよね。
その辺は僕は説明下手なので、
ぜひトマノ一徳さんの母石を聞いていただければと思うんですけど、
これですね、今のクソリープ界隈ですね。
まさに今、
昨日もお話をしたカネリン事件のですね、
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当事者ではないこの問題に対する自分の正義とか自分の考えていることを
とにかく語る人たちですね。
いけはや嫌いだとか、カネリン嫌い。
カネリン嫌いという意味では僕もそういうふうな立場になるのかもしれないですけれども、
そこをですね、わが物顔で語る人たちというのは、
ある意味この凡庸で平凡な人が、
自分は対して別に悪いことをしていないという意識を持っているのに、
結果的に外から見たときにこういうふうに叩かれているわけじゃないですか。
叩いている人たちが叩かれているじゃないですか。
ということをしているということなんじゃないかなと。
つまり自分自身でこの善悪、自分の行っていることが誰かを傷つけているのではないか、
誰かに対して悪い影響を及ぼしているのではないかみたいなことを
考えもせずに、ただただ盛り上がっている、炎上している事例に対して、
自分はこう思いますみたいなことを軽い気持ちでツイートしている。
こういう人たちはある意味この平凡で普通の人なんだけれども、
このユダヤ人大量虐殺をしていたアイヒマンと重なるところがあるんじゃないかなというふうに思ったんですよね。
もちろん血が流れているわけでもないし、
誰かがこれによって自殺をしてしまったとかっていうほどのことではもちろんないんですけれども、
ただしやっぱりそういうリスクっていうのもありますよね。
やっぱりSNSの世界っていうのは自殺してしまったみたいな。
だからそういうことに加担している一人一人っていうのは何も自分は悪いことをしていないと、
そういうつもりでいるただの普通の人なんじゃないかという話ですね。
ただしその人たちが集まって巨大な悪を今生み出しているということ。
これは我々がいつそちらの立場になるかどうかっていうところは誰も分からない話なので、
こういうような意識を持っておくということはとても重要なんじゃないかなというふうに思います。
やっぱり発信をするというのはそれを受け取る人がいるわけで、
その人がどういう気持ちになるのか、どういうふうな受け止め方をするのか、
人それぞれなので僕らがコントロールできることではないんですけれども、
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できる限りやっぱり想像するということ。
そして間違ったことをしてしまったと自覚したときにはきちんと謝る。
こういった言葉は常日頃ですね。
人として血の通った人間同士で発信活動している、受信活動しているんだということを改めて意識したいなというふうに思ったという話でございます。
ということでちょっとまた長くなってしまいましたけれども、
今日はですね、発信をしている人っていうのはきちんと自分の及ぼす影響っていうものをちゃんと考えなきゃいけませんよねというお話でした。
また明日の問いは何にしようかなというところですけれども、
ぜひあなたはどう思いますか?
ではこうしましょう。
発信をすることで誰かを傷つけてしまったというふうに自覚したことはありますか?ということですね。
こんな感じでどうでしょうか。
これはまた明日僕は傷つけてしまったエピソードを語るということになりますので、
そんな感じでまた進めていきたいなというふうに思います。
ということで今日も聞いていただきましてありがとうございました。