1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #96 脱構築の終着点?デリダも..
2023-03-26 50:46

#96 脱構築の終着点?デリダも脱構築できなかった「正義」

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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(BGM)
はい、それてつらじお、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回はデリーダの脱高築の続きということで、二元論を徹底的に破壊してしまうというような雰囲気だったんですけれども、今回はその続きというと、これどんな感じになっていくんでしょうか?
はい、そうですね。前回ね、まさに善とか悪みたいなものとか、兄貴がピー玉って言って、なんか僕がおはじきって答えみたいなのもありましたけれども、
そう、それでなんだか二つに概念を分けた時に、片方がやっぱりもう一方より優れてるみたいな価値の問題を持っちゃうよみたいな、
そういうプラトンのイデア論以来のある種二元論というか、そういうものを脱高築っていうのはある種解体していくよというか、無効にしていくんだみたいな話をしたかなと思いますと。
で、じゃあそのあらゆるものが脱高築されちゃうのかとか、バラバラになっちゃうのかっていうと、そうじゃないよみたいな話もデリダはしていて、
その脱高築できないものみたいなのが結構大事だっていう中で、デリダは正義っていうのをそれを挙げてるんですよ。
正しい義ね、義理の義の正義。
ジャスティスね、ジャスティス。
そう、ジャスティス、ジャスティス。
で、そのジャスティスってまさに面白くて、それが法律、だから法ではない、法律とかと起きてとかっていうのと関係性と、正義の関係性っていうところでデリダはそれを話してるんですよ。
そうやって考えていくと、正義ってものはその悪との二言論じゃなくて、全然解体できないんだよっていう話になっていくって話なんだ。
そうそうそう。
ちょっとわからないね。
ね、そこをね話していこうと思って。
ジャスティスって法律って意味なかったっけ?あれか、勘違いかな。
あ、そうなの?ちょっと調べてみるか。
あーでもあるわ、司法とか裁くっていう意味があるね。
あー司法、はいはい。
うん。だから英語で言うと、正義と司法っていうのがやっぱり同じなんだよ、言葉としては。
なるほど、そっか、じゃあそこを繋げて考えてるのが結構、その、英語圏みたいな感じの人だと、結構自然な感覚なんだね、じゃあね。
まあおそらく、デリナシスはフランス語圏の人だからさ、ちょっとごめん、フランス語でそこがどういう繋がりがあるかわからないけど。
あーまあでもほら、アメリカに行ってたでしょ。
まだアメリカには行ってた。
だから、たぶんね、その日本語の感覚よりももうちょっと密接なものになってるのかもしれないね。
03:02
うん。それで、まあちょっとその正義とか正しさとかっていうのもちょっと、あのー、ほんとは違う言葉だから、分けて使わなきゃいけないんだけど、一旦その辺ちょっとふわっとさせるんだけど、
うん。
まあ普通に考えたらさ、法律って名前は正しいことじゃないですか。
正しい、まさに守るべきものとか、まあ一般的に正しいからそういうふうに決められてるみたいな話か、まあ正しいというか、あるべきみたいなね。
守るべきとか。で、まあおきてとかもそうだよね。その、レビューソースの時に言ったようにさ、あのー、スーパーの入り口にさ、入り口こっちって書いてある。
まあちゃんとやっぱり入り口から入るのが正しい、まあ基本的には。
あーそっかそっか、それもそっかそうだね。その範囲内での法律みたいなもんだもんね、確か。
そうそうそう、まあルールみたいな。
うんうんうん。
で、かつてやっぱり法の番人とかって言っちゃうとさ、まあただ裁判官とか弁護士みたいな、要は正義に使える人っていうイメージが一般的にあると思うんですよ。
で、ただね、そのデリナに言わせると、まさにこの法律そのものは正義ではないし、完全に正しいものでもないですよっていうふうに言うんですよね。
うーん、なるほどね。これはやっぱさっきのジャスティスの定義から考えると、結構その英語を使う人にとっては意外とびっくりな話なのかもしれないね。
そうなんだと思う。で、なんで?っていう話でいくと、ここで言う法律っていうのは、いわゆる名分化された、日本国憲法とかするだけじゃなくて、まさにさっきの暗黙的なルールとか独自のマナーみたいなものも含まれてるんですけど、
その共通点があるよっていうふうに言ってて、それが何かっていうと、要はそのルールとか法って、何らかの権威、権力、もっと言うと人を従わせる力を持ちますよねっていうふうに言うんだよね。
はいはい、まあなんだかわかる気がする。
で、これデリタンは例じゃないんだけど、例えばフランスの料理のフルコースをめっちゃ高いレストランで食べますとかってなると、たくさんの食器を正しく使わなきゃいけないみたいなのがあるわけじゃないですか、ルールとかマナーとしてね。
はいはい、あとはそもそも店に行く時のトレースコードみたいな話からね。
そうそうそう、そういうのもあるし、サンドルじゃダメですみたいなさ。
うんうんうん。 別にさ、箸1本でも食べれるじゃん日本人だったら。
うんうんうん、1本、1本一膳。
そうそうそう、箸1膳、全部1本では無理か、一膳ね。
うん。 ごめんちょっと細かいところで、つっこまってしまった。
いやそこは君の量分ですよ、言葉はね。
そうね、箸1膳でも食べれるんですけど、それがやっぱ許されないっていうのがマナーの力ですよ。
06:02
はー、まあ確かにね。
で、そうすると、デリタが言うには、すべての法律とかは脱構築ができるって言うんだけど、
なぜかっていうと、法律っていうものがそもそも構築されたもの、要は脱構築の反対構築だとした時に、
法律っていうものは歴史的にであれ、暫定的であれ、一時的にであれ、あるいは慣習的、
要は何となくこれがルールだよね、マナーだよねっていうものを含めて、
全部作り上げられた瞬間っていうのがあるんだと。
だからさっきその法律ってのは正しいよねって話があったんだけど、
法律がこれが正しいってなった瞬間がやっぱどこかにある?
そうだね、前回やったような何かの言葉が生まれた瞬間に、
その反対の言葉、例えば「美しい」っていう言葉が生まれた時に、
「醜い」っていう概念と言葉が一緒に生まれるみたいなイメージで、
こういうルールとか法っていうのも何かをしていいっていう時に、
もしかしたらダメっていう時に、その反対のものを同時に定義されてるよねっていう話だね。
本当にそう。その扇引っていうのもどこかで決められてるよねと。
ここでデリダが指摘することが面白くて、
さっき兄貴が言ってくれた通り、
作られた、挙げられた法律っていうのは、そこの扇引をするって意味では正しいんだよね。
こっちはやっていいです、こっちはやっちゃダメですっていうのは正しいんだけど、
ただその法律が作られるっていうことそのものに関しては、何の正しさもないんだっていうね。
つまりその法律の性質根拠っていうのは究極的には無根拠だっていうふうに言いますと。
はいはいはいはい、なんとなく分かる気がするね。
例えば日本国の法律とかで国会の議員の人たちがさ、
いろいろ議論して、じゃあ法律に指定しますとかって言うんだけど、
国会とかああいう司法っていうものがその根拠だって言えるかっていうと、
じゃあなんで国会にはそれができる根拠があるんだっていうのをたどっていくと、
それをどんどんどんどんやっていくと結局無根拠に陥るんだっていうのがデリダが言ってることなんだよね。
はいはいはい、勝手にやってるよねみたいなところに行き着くってことだね。
まあ勝手には手続きはあるんだけど、手続きの正当性ってどこにあるんだっけって話があって、
例えばね、いろんな説明してるんですけど、
実際デリダがアメリカ独立宣言ってあるじゃないですか、
09:04
たぶん歴史とかでやったと思うんですけど、
イギリスからアメリカに行って、
その人たちが独立宣言でイギリスとは違うんだぞ俺たちはって言ったやつがあると思うんですけど、
それを脱構築するって話があって、
それがわーってめちゃめちゃ面白いんで見ていきたいと思うんですけど、
デリダがアメリカ独立宣言を通して統一を立てるのは、
要は一つの国家、国っていうのはいかにして作られて、
かつそれが基づけられるのか。
ある意味、国が生まれた瞬間って話だもんね。
独立宣言は歴史的に見たらアメリカっていう国が生まれた瞬間なんだけど、
それを見ていくって話だね。その時に何が生まれたかみたいな。
歴史的に言えばトモス・ジェファソンっていう人がいて、
この人が独立宣言の想行、いわゆるアイデアを作ってるんだよね。
じゃあ国っていうのはトモス・ジェファソンが作ったのかっていうと、
まるでそういうわけでもなく、
彼にそれを作ってくれって言っている大陸会議って、
13の当時植民地があったのかな。
そこの代表者による会議会がありました。
そのメンバーたちっていうのは、
いわゆる植民地の善良な人民を代表するっていうふうに独立宣言には書かれてるんだよね。
なるほど、ちゃんと書かれてるんだ。
そう、ちゃんと書かれてる。
だからいわゆる国民、その時はまだ国ではないんだけど、
その国民というか人民から選ばれた代表者っていうのが、
その責任を持って独立宣言を行いましたよみたいな。
はいはいはい。
そういうふうに言うんだけど、
実はそうじゃないんじゃないかっていうのがデリダの見方なのね。
そうなんだ、書いてるのに。
しかもそういうふうに宣言されてるんだ。
書いてるんだけど、一般的にはそう受け止められてるんだけど、
それと違うって実はデリダは言いますと。
うーん。
どういうことかっていうと、さっき言った通り、独立宣言っていうのは、
善良な人民を代表する大陸会議の人たちが中心になって作ったよっていう感じなんだけど、
この善良な市民そのものって、果たして独立宣言以前に存在したんですかっていうことを疑うのね。
うーん、はいはい。
要はこの独立宣言があって、その中で善良な人民とか、そこから選ばれた代表者っていうものが正しい、
12:05
要はそういう人たちが存在して、その正しさによってこの宣言が生み出されたっていうある種のストーリーが生み出されたのであって、
そうやっていうのが、アメリカは独立しているんだっていう事実を後から述べたに過ぎないよねっていうふうにデリダは言いますと。
ほうほうほう。
だからそもそも独立したっていう事実があって、それを後付けで宣言したんじゃなくて、
その宣言によって独立っていう事実を後からあったように見せたっていう、フィクションだっていうふうにデリダは捉えますと。
うーん、フィクション。ほうほうほう。
そう、この辺伝わるかな。
どうなんだろうな、えっとね、フィクション。そうね、今のだと確かにそう思ったよ。
どういう事かっていうと、独立宣言をした瞬間にアメリカが独立したんだっていうふうに捉えちゃうんだけども、
実際その実態だよね。もう実際エギリスから独立してるという、独立したいもんいろいろもう、それこそ行政だったりとか、
そういう決まりはもう13州の代表でいろいろもう話し合って、既にやってるし、実態として既に独立してるじゃんと。
もう自分たちはエギリスの国民だっていう感覚もないし、もうこのアメリカ、名前が当時あったかもしらんけど、この土地で生きていくんだと。
俺たちは独立して生きていくんだっていうふうにもうなっていると、実際。もう人も住んでるし、そこに人もね、子供も生まれて、どんどんもう人も増えて仕事もしてる。
事実があるものにただ名前つけただけじゃんみたいな話で、それの瞬間に、例えばさっき言った善良な人民がそもそも存在しないっていうのは、
その通りで、独立宣言したアメリカっていう国がない段階で、そもそもそれを作るために善良な人民が集まって、その代表者がそれを作ったっていうのもおかしな話で、
独立宣言をしたアメリカっていう国を規定、概念を定めたからこそ、その後、初めて後から善良な人民とか代表者みたいな概念も生まれてくるじゃん。
その順番逆だよねっていうところまではわかるんだけど、それをフィクションって言い切るのはちょっとわかんない感じがする。
兄貴っていうのが一個違うのは、アメリカは独立してはいなかったんだよね。
だってイギリス王国とか王権にまだある種支配されているというか、代表なくして課税なしみたいな、
15:01
そういう土地としても離れているし、別にイギリスの国会に何か影響を与えるわけじゃないのに、支配があるし及んでいた時代なんだよね、まだこの時代って。
そうなんだね。じゃあそこはどれだけ、もちろんアメリカも全員じゃないにしても、イギリスから離れてやろうと、それこそボストン茶会事件を起こして、
全部ぶん投げたみたいな、船からお茶をぶん投げたみたいな、関税もうやめろよみたいな話でしょ。
もう税金を納めねえよみたいな話だったと思うんだけど、そういう状態、まだそういうふうに喧嘩している状態っていうのは独立してないから、
実体、どれだけ自分たちはイギリスから独立しているんだって言い張ったとしても、それは違うよっていう話。
実体みたいな話で言うと。
実体としては独立していなかったし、
アメリカが独立したっていうことも、その宣言にある種ちょっと遅れてというか、
その宣言の少し後に独立っていうものが主張された。
かつそれってまだイギリスから認められていない宣言のはずだから。
だからそこに、要はアメリカが独立するとか、あるいはしたっていう根拠っていうのは、根拠はないんだよね。
そういう意味でのフィクションってこと?
そういう意味のフィクション。
なるほど、なるほど。
じゃあ、さっきの話と全然違うね。
実体があってそういう名前をつけたじゃなくて、規制事実を今作り始めてますって話か。
そうそう。
だから宣言したことによってその事実が作られたっていう、そこに根拠はないよね、無根拠ではねっていうのが、デリナが言ってることなんだよね。
それは面白いし、全然感覚違うね。
今さっき根拠があるって発信したんだ、自分は。
アメリカはもう既に実体としての独立があって、それを宣言したと言ったんだけど、そうじゃなくて。
なるほど、多くのアメリカというか、独立宣言はそうだよねって思ってる人は、この感覚だったんだ。
実体としてそうだったし、イギリスと喧嘩してたから、もう独立してたじゃん、しようと思ってたししたじゃん、だけど、デリナは違うって言うんだ、そこが。
18:03
デリナは違う。
どういうことだろう、さらにちょっと、もうちょっとある、これ。
この話は終わり?
なので、まさにアイキがさっき、ある種ちょっと間違って、だけど言ってたような、根拠、要はアメリカは全員独立しているとか、自治権があるとか、そういう根拠に基づいて独立ってのがされたと、国ができたんじゃなくて、
根拠はないんだけど、ある種アメリカ国民としての善良な人民とか、アメリカの意思決定をする代表者っていう、そういう存在をあえて宣言することによって、
それが正しいとか正当だとかって無関係に、アメリカが独立されたと宣言されてしまったっていうことを、ここで言ってるんだよね。
うわー、怖い。あれか、さっきのじゃあ実態が先にあったんでしょっていうのは、これ洗脳、このストーリーに沿って洗脳された後の感覚みたいな話なんだね。
そう、だからそれフィクションはもう、真実の後の世界なんだよ。
うんうんうんうん。
えー、そうも言えるか。
いや、それは本当に怖いと思うし、ただそうだね、ちょっともうちょっと、こっから先は多分ね、歴史の話とかになっちゃうかもしれないから、違うと、あれだけど、
そうだね、で、そこまでフィクションだって言った話、もうちょっと詳しく聞きたいな、この話、面白いね。
いや、そうだね。
でも感覚はわかった。
ちょっと僕はね、歴史では実際どう動いたかっていうのまではちょっとちゃんとわかんないけど、
まあ、これって言っても法が構築されているっていうことと一つの例なんだよね。
要は国家っていうのも、やっぱりそのいわゆる法律的なというか、主権的なものだし、さっきのテーブルマーカーとかも含めて、
要はじゃあなんでフランス料理であんだけの食器を正しく使わなきゃいけないかっていうと、別にないんですよ、根拠は。
外側から使わなきゃいけないとか、そのナイフとフォークをうまく使わなきゃいけないとかっていう根拠はないんだけど、
でももうそのフィクションの中に入った瞬間に僕らはそれに従わなきゃいけない。
なるほどね、まあそういういろいろ理由があるからね、その音を。
それは理由をつけられているからっていう感じね。理由がもともとあるんじゃなくて理由がつけられているから。
なるほど。
そこは、だからデリダに言わせると暴力とか権力とか、そういう無根拠な力なんだっていうふうにやっぱ指摘するんだよね。
なるほど、これはすごく面白いね。さっきの例のばっかり、アメリカ独立宣言の話ばっかりになっちゃうけど、
21:06
デリダの話をもうちょっと知るには歴史の話が必要かもみたいな話さっきしたんだけど、意外と違うのかもしれないね。
例えば独立しようと言っている党人たち、いわゆる経営の側の人たちも、もしかしたら真面目に本気でやっていて、
それをただ後からデリダが「いやそれは無根拠だったんだよ」と指摘しただけであって、いくら歴史を紐解いてみても、もしかしたらわからない話なのかもしれないね。
ああ、そういうことか。
その無根拠さみたいなものはね。
そうね。なので、まさにそれはすごい大事な感覚で、別に彼らもフィクションを作り出そうと思ったらやってないんだよね。
あくまでも彼らの現実としては、アメリカが独立しているとか、そのに足る土地であるとか地域であるっていう方の確信があって、それをやっていて。
法人たちも本当に「これ、もう実体そうじゃん」と思っている可能性が高いとか、全然あるって話だよね。
全然ある。し、やっぱり脱口地区はそれをするんだよね。要は法律もそうじゃん。
だって別に赤信号は渡ってはいけませんって、例えば法律・道路交通法があったとして、それも「そもそも信号の正当性っていうのはなんだ?」みたいな話とかって、誘っていくことができるわけだよね。
まあそうだよね。もう誰かが言い出しただけですみたいな話とかね。
でも別に信号を作ってる人とか、それによって人の命を守りたいっていう人は、この法律を守らなければダメだっていうのは、絶対どこかで確信しているはずなんだけど。
そうよね。信号を作った人って絶対さ、これめっちゃ混雑してるし、交差点でめっちゃ事故が起きてるし、これ信号跡がスムーズじゃんって、実際スムーズになってるわけだからね。
そうそうそうそう。そこに対してデリナは、「でもそれって根拠ないですよね」っていうのを突きつけられちゃうんだよね。
そしてここまで解体していくわけだね。
でも正義は解体できないってのはどういうことなんだろうね。ここまで解体しちゃってるのに。そこに繋がってくるんでしょうね。
ここからが入り組んでくる話で、ちょっと僕もどこまで説明できるかっていう話があるんだけど。
まず正義がどこにあるんだって話で言うと、デリナが言うには、不可能なものの経験としてあります。
つまり法っていうのは経験できるんだけど、正義っていうのは経験ができません。
24:06
あるんだけど、人間の経験の外だ。外だというか、人間には経験できないものとしてあるんだっていうふうに言うよね。
全然わからん。
ここまでいくと存在論みたいな話になってくるんだけど。
いきなりそうだね。プラトンのイデアの話聞いてるみたいになっちゃってる。
法律ってのは認識できるし、それに従って行動もできるじゃないですか。
でも正義はそうじゃないんだよっていうふうに言ってて、これちょっと苦しい言い方に思われるんだけど。
ちゃんと説明を聞くと、穴勝ち突破をしもないことじゃないなみたいな、まあまあ言ってることもわかるかみたいな感じで。
僕も何とか理解しようとしてたって感じなんですけど。
どんなふうに説明するかっていうのをこれから話すんですけど。
例えば「私は正しい人間だ」とか「私は正義な人だ」みたいな人が仮にいたとしますとAさんがね。
正義な人Aさんがいた時に、たださっき見たように、あらゆる正しいとされるものと法律っていうのは無根拠なんだよね。
だからそのAさんの正義っていうものが何らかの前提、要はこの故に私は正しいっていうことを言ったとすると、その前提というのは無根拠だから。
結局そのAさんの正義は証明できないっていうふうになります。
逆に何の根拠にも訴えず「とにかく私は正義なんだ」って主張するとしたら、それもまた正しいってことは証明できないよね。
「誰?なんで?」みたいになっちゃうから。
なので、仮にそのAさんの正義があった時に、その正義っていうのが仮にあるとしても、それが生まれた瞬間っていうのはその正しさを誰も証明できないんだよね。
証明できないっていう事実によって、あらゆる正義は完全な正義ではないからこそ、その正義、いろんな世の中に言われている正義をある種相対化するものの正義として正義が存在する。
ちょっとこれは今の話はイデアロンっぽくなっちゃうんだけど、
正義が何かを言い尽くすことはできないんだけど、正義っていう完全なものというか、人間が経験しきれない概念があることによって、正義以外のもの。
27:14
法っていうのは本当の正義ではないんだけど、正義に近いものとか、正義が現実に形を持つ時にある種乗りこなせるもの、乗り物になるものっていうものが存在できるよと。
なるほど、そっか。うん、わかったと思う、言いたいことはあれだね。
多分その前回話した人間だよね、人間の感覚っていう話と、言語ってなった時に感覚を表しきれない部分って出てくるよねっていうところとすごく似ている話なんだね、これは。
正義っていうふわっとした言語とかでは説明しきれない分野があって、人間という感覚みたいなのがある分、それを法だったりルールみたいなものに正義のふわふわっとした感覚をどうしても人間が認識できるようにするにはルールとかマナーとかにしないと形のあるものを引っ張ってしなきゃいけない。
ただそれをした瞬間に、本来それが持っていた正義っていうふわっとしたものを説明するには絶対足りないものにはなっちゃうんだよね。
それを表しているものではあるんだけど、それそのものでは絶対にないものっていう、だから人間の感覚と言語と同じで、
それをただ、人間も言語を使わないととはいえ、言語を使わないとコミュニケーションもできないし、見ていくこともできない。
それと同じように、正義っていうものを形としてルールっていうものがないと、さっき言った赤信号みたいなもの、これも意味ないよねって言ったらそれはおしまいなんだけれども、
ただその不完全だけれども、正義という概念からすると不完全なんだけれども、そういった信号を作ることによって、確かに何らかの当時の不具合みたいなものは解消されるよね。
さっきのアメリカ独立宣言も、今、例えば13州の代表語とか、そこに住んでいる人たちの位置、多くの人たちが何か苦しんでいると。
イギリスとはちょっとうまくやっていけないぞと思っているっていう不具合がある。それを解消するための独立宣言っていう、新たなルール枠組みを作るっていうのも、自分たちの正義を実行するための手段ってなってくると、
30:05
正義っていうふわっとしたものをもちろん説明できないし、無根拠だって言われちゃうんだけど、でもそういった意味で、でもそれやらないとっていう、信号と同じだよって話だよね。
ちょっとそういう意味で理解した。
でも本当にそう、兄貴が言ってくれたのが、やっぱりバランスをとれた捉え方だなと思ってて、やっぱりデリナもだからこそ法律は意味がないとか、マナーっていうのは解体され尽くすべきだとは別に言わないんだけど、
そんなアナーキーな人ではなくて、
もう言葉も使っちゃいけないみたいなね、ルールも全部なしみたいなね。
だから正義っていうのは無根拠っていうのがむしろ当たり前というか、その性質なんだから、やっぱり自分で責任をちゃんと取るとか、根拠がないけどそれを言い尽くすみたいな、どうしてもそういう次元に陥っちゃうよねっていうことをむしろ言ってるんだよね。
そこまで言ってるんだ、もうしょうがないよねって。うちらは言語で認識の世界じゃなくて言語っていう世界で生きてるし、ルールとか正義の感覚の世界だけじゃなくて、それを形にした社会っていう人間がうまく、人間同士が生きていく。
もちろん自然とかもあるかもしれないけど、そういうルールの中で生きてくんだぞっていうとかもうしょうがないんだと、みたいな話があるんだ。
だからやっぱりデリナはね、実際脱口地区っていうのは根源的に他者っていうか他人の存在の肯定だみたいな話もしてるんだよね。
これどういうことかっていうと、これは自分なりの読み方なので、デリナの説明からずれてはいると思うんですけど、これまでそれこそ、それですラジオの中でもデカルトとかサルトルとかって話してきたように、
いわゆる小人というか、自分にとっての理性とか認識っていうものから始まって、どう他者を捉えますかみたいな話っていうのはしてきたじゃないですか。
そうだね、理性をどう使ってこうって話があった。
でもやっぱり普通に考えると、他者を経験するっていうのは不可能なんだよね。だから僕が兄貴がいるとか、話しているってことは理解できるけど、じゃあ兄貴を経験するとは言わないわけよ。
はいはい、それは結構サルトル的な感覚の話だよね。
33:01
そうだね、いわゆる退治即治的な感覚ではあるんだけど、自分の中に相手が存在、一部含まれているとは言えても、兄貴の経験を経験することまでやっぱりできないわけだよね。
はいはいはい。
そういう意味で言うと、他者っていうのはまさに人間が自分が経験できないものとか思考できないものっていう意味では、正義とかと結構近いのよ、感覚的に。
はいはい、さっきの通りだよね。人間と正義のふわふわした部分と環境が似てるって話だもんね。
そうそうそうそう。
なので、他者とか他人が存在しているとは言えても、やっぱりそれはどんなふうに存在しているかってなかなか難しい問題なんですけど、
デリダっていうのは、自分っていう存在を他者に対する応答可能性、だから答えられる、そういう可能性を持つ存在だっていうふうに定めちゃいます。
だから自分の理性があって対応を捉えるとかじゃなくて、そもそも事故とやっぱり他者っていうものが存在したときに、自分っていうのは他者に対する、本当は他者っていうのは先にあって、自分というのはそれに応える存在なんだっていうふうに言うのね。
例えば誰かに何かを、それこそまさに言語だよね。話すとか書くとか、そういうことを考えたときに、やっぱりそこには常に他者の存在っていうのを肯定しているっていうのが含まれてますと。
そうだよね。それ前提じゃないと生まれない概念だよね。
そうそうそう。
ツールか、ツールだしの概念。
言葉っていう、思うとか、本当に自分だけで完結する行為っていうのはあるはあると思うんだけど、それとも言語的な行為っていうのを考えたときには、他者っていうのはやっぱり前提になるよねと。
そう、一人の部屋でさ、例えば無意味に踊り狂うとかできるかもしれないけど、それを誰かに言おうとかさ、伝えたいって思った瞬間に、そこにはそもそも他者が存在していて、その中に自分も存在してって世界観って生まれてきちゃう。
うんうんうんうん。
なので、やっぱデリタっていうのは、いわゆる小人的な、自分の認識中心的な世界観とか人間観じゃなくて、言語っていうもの以前にある種の構造性、そして既に他者っていうものが含まれていて、そこに無意識の次元で呼びかけられている自分がいるんだみたいな世界観を持ってるんだよね。
36:06
うんうんうんうん。
だから、言葉を使っているのはそもそも他者っていうものに開かれている存在、人間ってそういう存在なんだっていうことを、大前提か土台に持っています。
はいはいはい。うん、面白い。
なので、こういう文脈においてだと、ある種人間っていうのは他人の呼びかけに対して応答し続けなきゃいけないし、その応答っていうのは、いわゆる法とかマニュアルとかルールっていうのを今日はずっと話したけど、
それに従うっていうのは、やっぱり他人に応えてないよねっていうことも言うのね。
マニュアル対応とかマニュアル接客とかってさ、ちょっと前で言っても10年前くらいかもだけど、結構批判された時ってあったじゃん。
マニュアル人間みたいなね。
でもそれって、要はその人が他人に応答するんじゃなくて、マニュアルに従ってるだけだから、要は人と人のコミュニケーションじゃないっていうことまである種言えちゃうわけよ。
なるほど。そこに多分違和感を感じる人が多かったから、そういうふうに揶揄されるような言葉になっちゃったみたいな感じですね。
そうそうそう、多分そうなんだね。
まさにデリタ的に言うと、そういった全てのマニュアルとかルールとかっていうのは、無根拠な暴力によって生み出された仮初めの正義だから、
人間って別にその仮初めの正義に従うんじゃなくて、自分のちゃんと正義に従いましょうと。
ただその自分の正義ってものをやろうと思うと、例えば奥さんと娘、子供から、奥さんは家でゆっくりしたいけど、子供は外に遊びに行きたいと言われた瞬間に、
どっちにも応答する義務というか責任があるんだよね。
はいはい、まあそうだよね。
奥さんに答えると子供に答えられないし、子供と外に行くと、子供と外に行けばいいのか、奥さんは家に入れるけど家族で家に行くことはできないみたいな、
そういう矛盾っていうのが日常の中でも起きますと。
その中で自分がどうやって責任を果たすのかっていうふうに、そこが今のちっちゃい話だけど、
そこ自体に正義があるし、自分の決断とか責任がある。
はいはいはい。
これがある種脱構築できない正義というか、僕がそこで例えば子供と外に遊びに行くっていう決断をすること自体は、
39:04
やっぱり脱構築できないというか、ある種二項再立にならない決断なんだよね。
なるほどね。どんだけ批判したとしてもね。
そこは奥さん大事にしろよとかって、いくら他の人が言ったとしても、
同じ土台だから、その奥さん大事にしろよって言った方も無根拠だし、子供を選んだ方も無根拠だし、というふうに結局行き着いちゃうんだよねって話だね。
そうそう。その正しさっていうのは自分で作らなきゃいけないよねっていう。
だいぶ法とかって話からは短いなというか、しかいりになっちゃったけど、そう言われるとわかるような気もするんじゃないかなと。
うん。すごく分かった。さっきの他者だよね、と自分。自分が応答する存在なんだみたいなさ。
これまでのデカルトとかサルトルみたいな、自分を通して他者にたどり着くみたいな感覚と全然違うっていうのは、すごく面白いなと思った。
ここから先、次回の話になっちゃったらカットするから、思った感想を伝えたいんだけど、
すごく本当に面白くて、今の他者、自分と他者の関係が、今回の話を聞いた上で聞くとね。
それが何かっていうと、今回その正義っていうものと、法だったりもらえる関係と、人間と個等の関係が似てるってとこもすごい面白かったんだけど、
それから言うと、言葉だよね。人間に対して、人間が使ってる言葉っていうのも結局は無根拠であるっていう話になるじゃん。
そうするとさ、他者との関係で見た時に、さっきハヤトが一人で部屋で踊っていることもできるみたいな話したでしょ。
まさにそうだと思うんだよね。言葉っていうのは無根拠なもので、人間の感覚っていうのは先にあるとしたら、言葉は後から生まれてるはずなんだよ。
例えば人間の集団で、生きていくにあたって、仮に最初言葉がなかったとする。多分なかったと思うんだけど、
そうするとさ、あーとかうーとかさ、もしくは踊るみたいなさ、身振り手振りで、もしくはな、書き言葉が先に来たかは知らんけど、記号とかね。
そうすると、コミュニケーションを取るっていう、さっきの信号と同じで、協力したいけど、うまくチームプレイできないなって、もどかしさを解決する手段として、
42:05
そのモヤモヤとさ、認識の中から言葉っていう手段、ツールがポコって信号とか、正義で言うルールみたいに生まれてきたとすると、そういう風に捉えたんだけど、そうするとだよ。
そうすると、今まで例えばやってきた哲学そのものが、言葉を扱ってるでしょ。だから人間が言葉を扱える、それを、物事をさっきその、踊るとか身振り手振りとかじゃなくて、
人間が何か一人で物事を考えてるってことは、もうその言葉を使ってる時点で人間は、さっきハヤトが言った他者が多く存在する中の一人として、それに応答する存在として、存在していることの証明であるわけだよね。
言葉を使ってる時点でね。それからその言葉を使って一人でどんだけ物事を考えたとしても、そのもの、例えばマナーについていくら考えても、正義そのものにたどり着けないように、言語をいくら、それで思考したとしても、
その人間の認識にやっぱりたどり着けない限界みたいなものがある、みたいなところがすごく面白そうだなと思って。
ちょっと上手くまとまらなかったんだけど、ニワトリ卵みたいな感じで言葉と人間の認識どっちが先みたいなところで言うと、やっぱり言葉が後だったんだなみたいな。
その言葉をどう使っていくとか、物事を捉える限界性、哲学が真理にたどり着けない限界性みたいな、だから前回のレビィストロースの構造主義、今回のデリーダーのポスト、構造主義みたいな感覚が生まれてきたっていうのが、
やっぱりよほどすごかったし、内部から突き崩したみたいな話をしたけど、今までのね。そうやってそもそも突き詰めていくと、あなたたち言語でそれやってる時点でもう無根性だったみたいな、そこまで崩せるんだろうなーみたいな面白さと、
とはいえ今回の正義の、ただそこまで認識した上で言語を操るとしたら、そこまで認識した上で正義というものを操るとしたら、そこには責任と何かしらの希望だったりとか、とはいえ具体的な言葉っていうのはコミュニケーションの手段として、
あの鳥を一緒に捕まえに行こうっていうのも、全然踊りじゃちょっと、もうそういう点に見えちゃったよみたいな、絶対あるはずなんだよ。だからもう鳥捕まえるぞ、で済むのも、そこが言葉で解決されたみたいな意味で、
45:03
もう一回哲学だったりとか、言葉とか、さっきその人間のコミュニケーションだったりとか、でもそこから捉え直すっていう意味での光が見えてきたというか、やっぱそこをなんか、前回までさ、虚無感がみたいな話してたんだけど、ちょっとその光がね、見えてきた感じがする、今回の話で。
ちょっと長くなったけど、止まらず。
でも本当にね、やっぱり兄貴が言ってくれたことってすごい大事なことだし、まさにその哲学的な流れにも沿ってるんだよね。やっぱその言葉って何とか、言葉を使って思考するって、
その中に限界があると思うんだけど、それってどうやって乗り越えるのみたいな話って、まさにすごく大事なことで。
やっぱその、もどかしく思ってたわけだもんね、ずっと昔からとはいえね。
そうだね。
いろんな。
そうね、というか、そういうのがやっぱり構造主義的な考え方によって、すごく明らかになってきた感じかな。
だからそのデリダの仕事、第1回に言ったけどさ、そのデリダに名誉、白紙庫を与えようってした時に、
いやもうデリダがやったことなんて理性とか心理とか学問への価値への理解しがたいもん、傍規だ、攻撃に過ぎないんだ、という批判が出たわけよね。
まあそれもわかるよね。確かに「アメリカ独立戦で意味なかったんだ」みたいな話してるってことだもんね。
そうそう。
あれは向こうだ、みたいな。
逆に、現代の哲学でいうと、まず言語哲学とか分析哲学みたいな形で、論理学とか言葉によらない、
要はA=Aとか、論理を使ったものに近づいていったりとか、また数学だよね。
なるほど。
数学は言葉ではないけど、それによって果たしてどこまでのことを証明できるんだみたいな話とかも出てくるし。
なるほどね。
記号ではあるけど言葉ではないから、そう扱うことでみたいな話になってくるのか。
そうそうそう。XとかYには意味はないじゃない。
うんうんうん。
でも、いろんな複雑な記号を扱うことによって、例えばある程度のことを証明できるとすると、それは正しくそれを証明したことになるのか。
でもそれは論理の中の正しさって何かみたいな話も繋がってくるし、やっぱり学問の正しさというか切実さということにも関わってくるし、
まさに構造主義に入るときにも言われると思うんだけど、文学とか芸術とか建築とか表現とかっていうあらゆるものに影響するとそういうことなんだよね。
48:00
はいはい、ただの今までの歴史の破壊とか解体だけじゃないって話なんだね。
そう。
ここまでのことをやってるって話なんだ。
そういうことです。そこだけの影響を与えるだけの威力が構造主義とか出す構造主義にはある。
ああ、そっかそっか、そうだよね。だしそのキャッチーさもあるからどこまで使いこなせてるかっていうのはまた別としてみたいな話ね。
そうそうそうそう。
それがすごい伝わったのはやっぱり嬉しいなって思うし、まさに次話すことが兄貴が言ってくれたような言葉を書くとか話すとかそういう言語についての話。
そうなんだね。はいはいはい。
やっぱりこれが出す構築っていうものとかやっぱりデリダっていうものが本家にあるんですよ。
うんうんうん。
デリダの言語論とか言語観みたいなのはめちゃめちゃ難しいので、ちょっとそれを全部僕も伝え切るっていうのは当然できないので、
一つの面白さというか、こういうことを考えたんだよっていうのはちょっとね、動画に触れていただくことで、そのすごさとか面白さはまたね、深く伝えたいなというふうに思っている感じでございます。
はい、了解。そうなんだ。じゃあさっきの感想のさ、結局言語も無根拠じゃんみたいなそういう話じゃないってことだね。
でもね、まさにそうやって言語も無根拠じゃんっていう、でもその無根拠じゃんって何でだろうっていう話をちょっと次で触れられると思います。
はいはいはい。おー。了解です。わー楽しみだな。いやーなんか後半に行くにつれてなんか盛り上がってきたな。光が見えたからかな。
そう、見えないでも兄貴の顔がどんどんほころんでるんですよ。なんかこう、最初はムズイなって見栄にしようとしたのがちょっと今ニコニコしてるから。
そうだね、だって虚無主義かみたいな感じだったんだけど。まあでもこの前提が大事だもんね。やっぱり何をやったのかとか、今やっとこう、
デリナがちゃんとやったことに追いついてきたというか、そういう話になってきたってところなんだね。少しずつ見えてきたかなっていう感じだもんね。
わかりました。じゃあ次は言語というか、そういった言葉、話す、書くみたいな、そういったとこを見ていくというところで。
わかりました。じゃあ次回も引き続きよろしくお願いします。お願いします。今回もありがとうございました。
(♪ BGM)
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