学校スペシャル第2弾 映画『ブレックファストクラブ』スクールカーストを覗いてみると…… School Special Vol.2: The Breakfast Club — Peek Inside the Social Hierarchy and You Might See Yourself
2026-10-26 1:27:24

学校スペシャル第2弾 映画『ブレックファストクラブ』スクールカーストを覗いてみると…… School Special Vol.2: The Breakfast Club — Peek Inside the Social Hierarchy and You Might See Yourself

"When you grow up, your heart dies."
— アリソン・レイノルズ、『ブレックファストクラブ』(1985)

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毎度どうも。映画談義パーソナリティのまこです。
今回取り上げるのは #ブレックファストクラブ です📚

学校スペシャル、第2弾!

ジョン・ヒューズ監督が1985年に放った、青春映画の金字塔。アメリカのスクールカーストを白日のもとに晒した本作は、40年を経た今なお色褪せない名作です。脳みそ、運動部、不良、お嬢様、変わり者——たった5人、たった1日の土曜補講が、彼らの何かを変えていく。

アメリカのスクールカーストは日本とは文化的背景が異なります。でも、集団の中で生まれるヒエラルキー、ラベリング、そして「わかり合えない」という感覚は、日本の教室にも確かに存在するはずです。

なぜ子どもと大人はわかり合えないのか。誰もが子どもだったはずなのに、大人になるとなぜ子どもがわからなくなるのか。大人から見た子どもは本当に理解不能な存在なのか——本作が投げかける問いは、教育・スクールカースト・思春期・アイデンティティのど真ん中を貫いています。

答えを出すより、問いを楽しんでください🤍

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podcasterの まこ(@_macobana)が、語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『#よもやまこばなし 』(#まこばな )にて展開された映画談義がついに専門チャンネルに。
語りたい映画なんて尽きることない!
エピソードの公開は毎週or隔週となります。

ご感想は是非 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#リルパル #ReelPal でツイートをお願いします。
いただいたツイートは番組の中で取り上げることがあります。

公式noteもやってます。
https://note.com/mako_reel_pal/n/n17867575e9f5

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これからも番組をよろしくお願いします。


"When you grow up, your heart dies."
— Allison Reynolds, The Breakfast Club (1985)

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Hey there! I'm Mako, your movie talk personality.
This episode covers #TheBreakfastClub 📚

School Special, Vol.2!

Directed by John Hughes and released in 1985, The Breakfast Club is the defining classic of the American coming-of-age genre. Four decades on, it has lost none of its power. A brain, an athlete, a basket case, a princess, and a criminal — five students, one Saturday detention, and something between them that quietly shifts by the end of the day.

The American school caste system has its own cultural specifics. But the hierarchies that form inside any group, the labels that stick, the feeling of being fundamentally misunderstood — those cross every cultural boundary, Japan's classrooms very much included.

Why can't children and adults understand each other? How does every adult forget what it felt like to be a kid? Are young people really that impossible to read — or is it something else? The Breakfast Club sits at the intersection of education, school dynamics, adolescent identity, and the gap between generations, and it asks every one of those questions out loud.

Enjoy the questions more than the answers 🤍

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Podcaster Mako (@_macobana) started out sharing his unfiltered movie opinions on his talk show #Yomoyamakobanashi(#makobana) — and now those conversations have found a home of their own.
There's no shortage of films worth talking about!
New episodes drop weekly or bi-weekly.

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00:23
この番組は、話題の新作、往年の名作、謎を聞き作からぶっ飛びB級映画まで、あらゆるフィルムを倫理、宗教、歴史に陰謀、多様な視点から切りまくる映画専門チャンネルです。お相手は、パーソナリティーのマコと
……。
743回、おはようございます。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
もうね、説明が必要すぎるんだよ。
何の数ですか、743回は。
あの、モン・ハン・ワイルズにおける仲間への支援の回数です。
それ、通算ですか、これまでの。
えー、1回の回数です。
まあね、ちょっと本当に申し訳ないんですけど、今我々、モン・ハン・ワイルズ、今になってね、またやり直し始めるっていう。
そうね。
アップデーじゃなくてね、新しいパッケージというか、いわゆるC級に当たるようなのがね、出るということで、アセンダンスっていうのがね、出るということで、そこに向けての準備とも言えるのではない
でしょうか。
はい。
で、まあちょっと、ハンターランク100前後のところで止まっていたのをちょっとやり始めて、お互いちょっと今、最終ボスでだいぶ戸惑ってたんですけど、ついに先ほどオウマがラスボスを倒したと。
倒しました。ラスボスか、まあラスボスやな。
一応ラスボスだよね。ゴグマジオスっていうね。
ゴグマジオス。
まあクソデカドラゴンがいるんですけど、それに参加して一度の狩猟で味方を743回支援した。
はい。
もう支援しかしてないよね、どう考えても。絶対攻撃してないよ。
するよ。倒れたと思ったらザーってやってきて頭ポコポコ叩いて。
そう、ダイダウンの時だけ。
そうそうそう、動き始めたと思って逃げろーって。
DPS1ぐらいじゃないですか。
いやー、1あればおんのじよね。
でもね、あの気持ちがすごいわかるんですよ。
あの本当にね、何でしょうね、一回もらったら死ぬっていうゲームってなんかすごいストレスですね。
03:01
本当になんかもう一撃で死ぬんだなって。でもよく考えてみたらスーパーマリオもそうだもんね。
まあでも一応あいつ2撃までは。
いやいや、それはなんか能力ある時だけじゃないですか。
まあまあまあ。
そうそうそう、能力なかったら一撃ですからね、考えたらまあ。
そうね。
そう考えるとまあ、まだ良い方じゃないですかね。評価できたり。
まあでも俺らは楽しめるのはさ、ワリオぐらいしぶとくないとちょっとさ。
そう、むしろ食らうことで先に進めるみたいだね。
そうそうそうそう。コウモリになったりとかさ、潰れたりとかさ。
わざと食らわないと先行けないみたいな、そういう仮にダメージを食らってしまってもちょっと自分に言い訳が聞くようなね。
そういうなんか親切な設計であってくれると嬉しいなみたいなところがありますね。
そうね。あのポータブル時代の魔界像猫が懐かしいね。
伝わる人にしか伝わらないネタなんですけどね。モンスターハンターポータブルの悪魔猫って呼んでましたっけ。
悪魔猫だった。悪魔猫だね。
悪魔猫っていう非常にけしからんですね。バグ技みたいなものがありまして。
要はね、書き換えたね。能力値を書き換えたお助け猫っていうのを連れて行っている。
そうするともう猫がワイーンって一撃殴ったらモンスターが倒れるっていう非常にシュールなね、ゲームになるっていうのがあったんですけど。
まああれはね、やっぱダメですよね。本当に。
いや、めっちゃお世話になりました。
最低。最低。
俺の猫様が全てを解決してくれる。俺猫様のサポートしかしね。
しかもなんか、一緒にね、当時モンハン合宿だっつって大馬の家に遊びに行って、とりあえず夜通しやろうって言ってやったことがあるんですけど。
その時悪魔猫の話になって、そんなのあるんだみたいな。いいねみたいな。ちょっと試しになんか頂戴よとか言ってね、言ったら普通に断ってきましたからね。
こんなものに頼ったら、やっぱりゲームの本来の楽しさがなくなるし、やっぱりこれ何より上達しないから、やっぱりまずはモンハンの世界っていうのをしっかり楽しんでもらいたいから。
なんかその大いそれと渡すわけにはいかないみたいな。すごい偉そうに公釈されてましたよね。
まあね、500時間超えないやつにあげられないよね。
まあでも本当にさ、そのぐらいやりこんだもんね、普通にね。1000時間までがチュートリアルみたいな。
06:01
だって多分さ、モンハンの総プレイ時間をさ、1の時からずっと考えるってさ、俺リアルに多分1000時間超えてるぜ。
そうだよね。
まあでもさすがに超えるんじゃない?
そうよね。
だからお前も2000時間とかいってると思うよ正直。
いやそこまでいくかな。
いやいくでしょ。
いくんじゃない?だってゲームって割とハマってやったらそのぐらいいくでしょ。
俺もだってポケモンキンとかは300時間やってたよ。
確かに。俺ピカチュウバージョンそれぐらいやってた。
だからこんなシリーズ類型で通算していったら余裕で1000なんて超えてるだろうし。
何よりやっぱポータブルはすごい時間を取られましたしね、昔のゲームだからこそかもしれないですけど、
まあモンハンってすごい狩猟してる時間よりも採集してる時間の方が長いじゃないですか。
いや昔は探鉱婦だったじゃん。
ハンターの生活の約8割が探鉱婦です。
そうなんですよね。ポッケ農場でどれだけ仕事したかわからないからね。
いやいや本当だよ。ポッケ農場がある時代はまだ良かったよ。
そうね。
問題なくなってからよ。
いや辛いですよね本当にね。もうそこらじゅう走り回ってね駆けずり回って、
例のマークが出るところと出ないところとあるからね。
ここ採れますよっていう場所と、採れるかどうか出てないけどボタン押したら探ってアイテム採れる場所みたいな。
ノーヒント買いみたいなさ。
すごい時代だったなというふうに思いました。ネーム振りがね。
そうね。
よくやってたな。だから今回もモンスターハンターワイルス、ゴグマジオスが倒せないということで、
僕は今日、倒し方とか初心者とか倒せないとかって諸々ですね、検索ワードを入れながらYouTubeで動画を見て勉強しようと思ったんですけど、
気づいたらポータブルセカンドGの動画を見てるのね。
わかるー。
わかるー。
なぜか見ちゃう。
なぜか見ちゃう。
ディアブロス体験で闘技場のティガレックスを数分で討伐するみたいなのを見て。
はいはいはいはい。
ドドブランゴ、アシュを倒すための氷武器を作るために、ドドブランゴを倒すための炎武器を作るために、ディオレンスを買うみたいなさ。
09:01
そうね。逆算の逆算の逆算してやっていかないといけないっていうのもありますから。
いやー。
なんなら古竜四種を倒すためにさ、古竜を倒すためにはどうすればいいか。古竜を倒して古竜の武器を作ればいい。
じゃあその古竜を倒すためにはどうすればいいか。古竜を倒して古竜の武器を作ればいい。
そうなる。結局一番初め無茶をしないといけないっていうね。
そこは決まってるっていうところはね、その鬼畜さみたいなものが僕らを引きつけてきたみたいなところがあるので、
だから今結構だいぶぬるくなった環境の中でですね、ゴグマ城士さんが僕にもう一度モンハンを思い出させてくれたっていう、そういう状況にあります。
僕もなんとかクリアできるように頑張っていきたいと思います。
ということでね、僕らもちょっとなんて言うでしょうかね、誰しもが思い出してしまうあの頃の自分たちみたいなものを重ねられるような、そんな映画を見ていきたいと思います。
はい、ということで本日のテーマは、映画ブレックファストクラブ、スクールカーストを覗いてみると。
結構オシャレだね。
オシャレです。
オシャレだね。
どこから覗くかによって見える景色が変わってくるかもしれないよね。
なるほど。
まあ完全な僕らは今ね、外側からしか見えないわけですから。
そうだね。
かつてはその中にいたんだけど。
無理だよ。
無理だからね。
とにかくこのブレックファストクラブっていうのは一応人気というかね、非常に有名な作品でもあって、
たまたまね、この間なんてイオンシネマで4Kリマスター版が再上映されてるみたいなことに気づきましたけど。
すごい偶然だなと思いましたけどね。びっくりしましたが。
普通にプライムで見ました。
わざわざ見にはいかないですけど、いい作品でしたよ。
いや面白かったよ。
結構ね、時代もあるのかわかんないけど、ノリがね、テレビドラマ風なさ。結構ね、お笑いノリみたいなのもあったりしつつ、
終わり方もなんかちょっとモノローグが非常に土著級臭いセリフなんだけれども、でもなんかやっぱそれもいいじゃないみたいなさ。
真っ直ぐに響く感じの映画だったなという気がしますね。
そうね。
あらすじから行きましょうかね。
行きますか。
ちょっと待ってね。
12:00
じゃあ行きますよ。
ということで今回見たのは1985年公開のアメリカ映画でございます。
ブレックファストクラブ。
1985年ですね、イリノ一周にあるとある高校、ある土曜日の朝ですね、5人の生徒が補修として図書室かなあれはに集められると。
どうも歩行なわけですから何か問題を起こしたと集められているわけなんですが、理由はそれぞれに違うと。
人気者のクレアは両親のバガママに忠じてというか、学校を抜け出して、レスリング部のアンドリューは後輩をいじめた。
不良のジョンは校内での喫煙、変わり者のアリソンは特に理由はないと。
本当かなっていうちょっとわかんないんですけど、理由不当性のブライアンは不合格を恐れて持ち込んだフレア銃の問題でということで、
それぞれにですね、それぞれの理由でもって補校として罰を受けることになったと。
バーノン副校長ですね、なんかすげえ偉そうな奴がいるんですけど、あなたは誰ですかっていう作文を書かせると。
みんな最低な文字って書こうとするけど書けないみたいなところで、結局5人はですね、もう書くこと諦めてみんなでちょっとだんだん話し始めるんですね。
お互いに語り合ってみると、それぞれに全く背景が違う、全く別の生き物に見えていたお互いが何かですね、ちょっと違う姿で見えるようになってくると。
それぞれが抱える悩み、そしてそれぞれが持っている共通点、そういったところに響き合って、最終的に彼らは一つの答えに到達していく。
一体彼らはどんな言葉を残して歩行を終えていくのか、みなさんもですね、ぜひご自身の目で見て、そして心で感じてみてください。
ということでね、世代を超えて語り継がれる青春映画の金字塔と言ってもいいのかもしれませんけど。
30も後半になってくるとね、やっぱりちょっと臭くて見てられないみたいなところありました。
まあまあまあまあ、そこはそうよ。
たぶんこれが40後半ぐらいになってくると、細々しいねってちゃんと見れるようになってくるのかなって気がするんですけど、中途半端、30代って。
そうね、なんか気持ち戻れなくもなさそうな気もしてなくもないのよ。
でもなんかそこに戻ろうとしちゃったら本当にむちゃくちゃ痛いなって思うから、自分でちょっとブレーキかけるから、余計にこうなんか嫌悪がグーって持ち上がっちゃうっていうのがあって。
なんか別になんかね、そうそうそう、本当によその青春だと思って微笑ましく見つめてやればいいのに、なんかそれがちゃんとできない自分のその心の状態にちょっと悲しくなりましたけど、はい。
15:05
そうね、まだやっぱり30代ってさ、自分のことおじさんって呼ぶのさ、心のどっかでためらってる自分がいるのよ。
なあ、ごめんそれはね俺でも受け入れてるから、おじさんって。
でも自分のことさ、お兄さんというのは絶対違うなっていうのは分かった。
でもなるほどね、ポカリスメット的な感じね。
え、どういうこと?
お兄さんでもおじいさんでもない、ただの30代みたいな。
子供じゃない、大人でもない、ただの18歳みたいな感じの。
そうそうそう。
どっちにしろ恥ずかしいのよねそれはね。
そうだよね。ポエミになっちゃうのはどうやっても。
ねえ、でもこの作品のいいところって、いわゆる青春映画と言いながらも、
おじさんたちの苦悩みたいなものも同時に描いてたじゃん。
そうだね。
副学長みたいな人もさ、すっげえやなやつなんだけど。
でもなんか彼にも心の中に葛藤があって、子供が理解できなくなりつつある自分みたいな。
夢をちゃんと胸にその仕事を選んだはずなのにみたいなそういう難しさ。
仕事に慣れていくうちに本当にその仕事に何を求めていたのかを忘れていってしまうみたいな。
教職とか関係なしみんなが抱えるであろう、
そういう社会と自分との間のアイデンティティの葛藤みたいなものも結構描かれているので、
ただ若者たちがどうこうっていうところだけじゃないっていうのが良さの一つでもあるのかなみたいなふうに思いましたけど。
じゃあちょっとジャブをパスパス打っていきましょうかね。
そうだね。
まずその副校長なんですけど、ちょっと同情した僕は。
本当?同情した?なんでなんで?
だってよく考えたらさ、休日補修のために借り出されてさ、あんだけ大暴れされたらさ、そりゃイライラもするわ。
そうだよね。ていうかそもそもそれなりの立場であろうはずなのに、
その休日出勤からのしかも一人であの人数をあの方向を見ろって結構無茶な要求されてるよね。
いやしかもそれやらせんのがレポートでしょ?
そうそうそう。
マックするのにもそこそこかかるじゃん。
そうだよね。何万字みたいなこと言ったらさ、めちゃくちゃ時間かかるし。
あげくなんかそれ欠かせる時間ずっと見てなさい、結構しんどいしねって言うたからなんかかわいそう。
かわいそうよ。
ただかわいそうだけど、さもなくば頭蓋骨を砕いてやるは言い過ぎです。
18:08
クラッシュアスカールって言ってましたから。やばすぎますよ、本当に。
完全にやべえやつでしたね。でもあのぐらいは普通だったんかな、80年代。
じゃあどうなんだろうね。あの瞬間の副校長は俺キャンディーに見えたもん。
キャンディー?
ジャンゴのキャンディー。
ああ、キャンディーランドのキャンディー。
キャンディーランドのキャンディー、頭蓋骨めった割りにしたキャンディーにしか見えなかった。
いや怖かったっすね。まあでもなんか、もちろんね、ドラマを作るために誇張してる部分もあるかもしれないけれど、確かに80年代までは学校環境って非常に支配と抑圧の環境だったよね。
だって僕らは90年代だけど、それでもまだ支配的だったよね、全然ね。
いや、俳句なんて超支配的だったじゃん。
本当だよね。
まあお前が怒られてたのは大概ちゃんと理由があったけど、
ええ?
お前が叱られてることに関しては全部理由はあるんだけど、まあ言葉遣いであったりとか、
そうだね。
出てくるフレーズは本当にね、今考えたらダメだろうと。
いや普通にさ、中学校それは小さな社会が僕らの時代にあったとしてさ、
ドキュメンタリー撮られてたらさ、多分ピーしか聞こえないよ。
そうだよね。
ええ? 君そんなこと上手くねえのかみたいな。
バカだか!みたいなこと平気で言うしさ。
バカ野郎!やる気ないなら帰れ!やめちまえ!とか言ってめっちゃ言われたよね。
先輩一回マジで帰ったよね。
そうね、帰ったね。
びっくりした、あの1校上のさ、キャプテンになった人さ、1回マジで帰ってブチギレですよね。
そうね、でもまあ言われた通りにしただけで怒られる人じゃないんですけど、
でもなんかやっぱりそういう、本当になんていうのかな、限界を迎えた時代なんじゃないのかなっていう気がするね、80年代から90年代にかけて。
新しい社会規範、社会モラルっていうものが生まれていくというか、
要するに自由っていうものが非常に重視されていく中で道徳観っていうものが変容してきて、
若者たちの行動っていうものがある程度ちょっと縛り切れなくなってくる中で、
せめて学校という環境の中では一定の規律の中ですごくさせるべきだという要請があり、
要請とあとは意識ですよね、親世代の。それによって非常に強力な支配体制、
21:02
抑圧によって子どもたちをある程度コントロールしようとするっていう、
そういった中でやっぱり大きく反発もどんどん向上効果で高まっていく中で、
最終的には破綻して新しい方法を模索せざるを得なくなり、
今現代の支援と育成みたいな感じに落ち着いていくっていうのは、これは日本でも同じですからね。
やっぱり80年代あたりに落ちこぼれ問題だとか、そういう話がやっぱり出てきて、
従来の非常に支配的で詰め込み型の教育っていうところの見解っていうのが見え始めてきた。
アメリカだとやっぱり銃の乱射事件っていうもので出てくるし、
日本ではやっぱり自殺だったりだとか、暴力、リンチ事件とかね、もろもろですね。
そういうところで出てきたっていうところがあるので、
だからアメリカのあくまで社会風刺っていうところを組んだ作品ではあるけれども、
日本の教育っていうものも振り返りながら見ていったら、
十分共感できたり共鳴する分っていうのはあるなというふうに感じましたね。
そうだね。
ただね、一番やべえやつ誰かっていうランキングやったら、
ネクラ女子が第1位ですね。
ちょっと誇張しすぎじゃない?っていう。
いやー、彼女さ、
これ個人的な好みの話ね。
メイクしてきたじゃない?出てきたじゃん。
あのー、松林サッカーの初めてメイクした時と俺そんなに印象変わんなかったよ。
いや、印象は変わってんだろ。
いや、印象の変わり方が松林サッカーだね。
お前にとってはマイナス評点。
マイナス評点。
まだ元の方が俺良かったんじゃない?
まあ、いわゆるスクールカーストみたいなものが、日本の造語らしいので、
実際アメリカではスクールカーストとは言わないですけれども、
向こうでのヒエラルキーっていうものの中でも、いわゆるゴスとかエモみたいなね、
そういうちょっと変わり者を扱いされるようなファッションをしてる子たちっていうのは、
比較的過剰に追いやられて、あるいは妻弾き者にされてしまうみたいな、
そういうものがあるようですね。
彼女もある意味ではちょっと苦労を貴重としてて、
ゴス系のファッションをしたら割とむしろ個性も強調されて、逆に輝くんじゃないかみたいな。
24:06
まあ確かにね。
気はしましたけどね。
でもいいんじゃないですか、彼女自身がその新しい自分を肯定的に受け入れてるんで。
まあまあまあ。
大事なのは本人の位置ですから。
それにしてもよ、
カバンの中に何本パンポン入れてんの?
本当だよね。
10本ぐらい入ってなかった?
あれは多分、彼女は何かしらのスペクトラムを持っているので、
当時そこまでのなんかあれで描いてるかっていうとちょっと微妙なラインなんですけど、
多分だから管理ができてないんですよね。
一本に入れたんじゃなくて多分使い切ってないうちに新しいのどんどん入れちゃうっていう、
多分そういう現象なんでしょうねっていうのは何となく感じさせてくれるので。
こだわりつくことにね。
周りの人たちが結局そういう何かしらの特性を持っていても、
変わり者っていうレッテルでもう完全に処理されてしまうっていう、
当時のリアルがある種あそこに意図してかあるいはたまたまか分かんないですけど、
見て取れるなという気はしましたね。
そうだね。
でもまあどっちが残酷かって言ったら俺分かんないけどね。
まあまあそうね。
変わり者ってある意味受け入れられることもあるじゃん。
もちろんなんか変なやつだって言って排除されることもあるけど、
でもなんか何かしらの障害とか疾患とかって言ったら、
ある程度こう受け入れられる面もあるじゃん。もちろん。
どっちがいいんだろうなって言ったら俺分かんねえやって思っちゃった。
まあそうね。その名称がつくだとか、
それによってどういった反応がこう結局得られるかっていうところは、
必ずしもプラスだけではないっていうのはあると思いますから。
それによって距離を取られてしまうだとか、
あるいは受けられる支援の幅っていうものが変わってきてしまったりとかね。
諸々あるかもしんないよね。だからね。
どっちが正解かっていうのは結局分からないから、
多分教育分野っていうのはずっと研究を続けていかないといけないし、
10年20年先のことを考えながら逆算して今の支援を考えないといけないんでしょうね。
だからまあ80年代のリアルはあんな感じだったのかもしれないですけどね。
いやーでもね、なんかどの子も非常に象徴的な子たちを見事に抜き取ったなって感じがしますね。
そうね。ジャックにクイーンに。
ジョックね。
ジョックか。
そう、ジョック。ジョックがまあいわゆる運動大好きな、
運動によってこう、なんていうかな評価を得ている人ですね。
27:04
男子のトップ層にいる。
で、あとはまあ誰から見ても人気者っていう、クイーンPみたいな女の子のトップみたいな。
あとはブレインですね。
頭だけいいやつ。
そうね。俺イメージしたらブレインとナードの違いがよく分かってない。
ナードは別にただのいわゆるオタクと呼ばれている人たちのことですね。
陰キャオオタクを、
ナード。
ナードなんだ。
ちなみに理系の結構テック系が好きなタイプの子たちはギークって呼ばれるので、
ある意味ナードとギークっていうのは文系と理系で呼び分けているような感じらしいですよ。
なんかちょっと知的だね。
なんかね、だからアイアンマンはギークですよね。
でもアイアンマンめっちゃイオケじゃん。
それはだからイケメンだから。
顔が全てを解決するんです。
ジョックはあくまでも、別にスケルカストって言うけど全部がなんかティアみたいな感じでずらっと序列が決まってるわけではなくて、
それぞれにいわゆるレッテルとして名前がペペペって貼ってあるだけの話で、
それが一体どのぐらいの層に位置付けられるかっていうのは多分、ある程度の指向性はあるけれどもみたいな。
明確にここにこれがあるっていうわけではないと思います。
あとだいたいクイーンピーの下にワナビーがいるわけですよね。
私もああなりたいって思ってる。
鳥巻の連中とかね。
あとはゴスとかの子がね、代わり物として置かれていたりだとかって感じで。
僕はすごくね、昔から謎だと思ってることがあって、
なんで運動ができる子と頭がめちゃくちゃいい子っていうと、
運動ができる子が上に置かれるのかっていう。
単純にコミュニケーション能力だと思います。
あそこ?
だと思うよ。
頭がめちゃくちゃ良くてコミュニケーションがめちゃくちゃうまい子と、
運動がめちゃくちゃできてコミュニケーションできない子で、
絶対に頭がいい子の方がモテるって言える?
でもさ、考えてもみ?
アイアンマンとハルクだったらどっちがモテるかってアイアンマンでしょ。
それはさ、それは違くない?
それはコミュニケーションかとかじゃないじゃん、もう。
別にだってブルース・バナーさんだってね、
30:01
変身する前の状態で比べたら別に大差ないと思いますけど。
でもハルクがハルクの状態でずっといたとしたらさ、
ナタシャは惚れなかったと思うよ。
だからさ、ちょっとね、ごめんね。
今リアルな話をしているのであって、
アメコミヒーローの話をしたいんじゃないのよ。
いや、でもどうだろうな。だって、
例えばよ。
例えば運動めっちゃできたとしてもさ、
運動部のさ、めっちゃできる陰キャいるじゃん。
はいはいはい。
我々っていうところの、我々のキャプテン。
キャプテン、たびたび出てくるな、うちの番組。
キャプテン、俺らはさ、ずっと一緒にいるからさ、
あいつのこと俺らは大好きなんだけど。
しかも陽キャの集まりとイメージされがちなバスケ部だけど、
キャプテン悪いけど陰キャなのよ。
そうなんだよ。めちゃくちゃ陰キャだったんだよね。
めちゃめちゃ陰キャだけどあいつめちゃめちゃいいやつなのよ。
そうなのよ。
だから別にね、どっちでもいいんだけど、
陰キャ、陽キャは別に陽キャが上ってわけじゃないよねっていう、
ただそれだけの話で。
本人が内側向きなのか外側向きなのか、
外向型、内向型って話だよね、たぶんね。
それと言うと限りなく内向型に近いような、
でも一生懸命外側に向いて関わろうとする感じがけなげで可愛かったよね。
すごく愛してたね、我々は。
すごく自分を得ようとすごく頑張るんだけど、
すごく空回りするところがね、
僕彼すごく愛おしい。
だからこそ多分メールの文面だけやたらとハイテンションだと思うんですよ。
あれが多分本当に彼がなりたい自分の姿なのかなみたいな、
そう感じてすごく大好きだったんですけど。
僕はすごく思ったんですよ。
それは非常に理不尽だって。
だから別に頭が良ければ頭が良いでトップに踊り出たとして、
それは別に運動ができてかっこいいっていうのと同じように扱われてもいいはずだと思うんだけれども、
ただ不思議と世の中に出てからでないと、
頭が良い子っていうのが本当の意味でその点を消化されない方向があるじゃないですか。
確かにね。
あの子が学年トップなんだって、すごいねっていうのと、
あいつ、この間体育祭のリレーで1位取ったんだよ。
うわ、すげえ。みたいな。
鉄量の差がすごいじゃないっていうのがあって、
これは俺ずっと納得いってたかったんだけど、
最近ね、知り合いの子に非常に有益なというか、
33:00
めちゃくちゃ関心する意見を聞かせてもらって、
周囲への貢献度、運動ができるっていうのは、
運動って結構周囲と協力してやるじゃないですか。
体育祭もそうだし、体育の授業も、
個人技よりも結局チームプレーで何かをする機会っていうのは、
一応の方が多いじゃない、どっちかっていうと。
そうだね。
ってなってくると、自然と運動ができる子っていうのは、
周囲の子たちにとって助けになるシーンが多く想起されるんですよ。
実感として。
あの子はすごい、あの子のおかげで勝てた、やっぱりこの子すごいっていう、
その実感を伴ったすごいがそこにあるわけ。
対して勉強って徹底的に個人技なんですよ。
そうね。
もちろんね。
求めなきゃダメだもんね。
もちろんグループワークとか発表でとかあるかもしれないけど、
でも発表だって、やっぱりそれぞれが発表しないといけなかったりするから、
そのグループで発表って言ってもその人が喋る量には限界があるしとか、
いろいろ考えると、貢献が体感として実感できるほどまで貢献されないっていう。
ってなってくると、いざ社会に出て、
例えばなんかプロジェクトを率いてやっていきますだとか、
あるいはそれが結果として年収につながって、
付き合っててすごく余裕のあるお付き合いができるだとか、
そういう目に見える形での貢献度になるまで時間がかかるから、
結局学生時代に頭のいい子っていうのが非常に正しい評価を受けづらいんじゃないのかみたいな話を聞いて、
うわー確かにそれはあるかもって思って。
じゃあよくさ、それこそ暗殺教室みたいな形でさ、
クラスのテスト順位がそのままヒエラル基準になると世界戦みたいなのがさ、
漫画でよく描かれるじゃない。
特Aクラスと落ちこぼれクラスの、
落ちこぼれクラスがよくわかんないけど、
なぜか落ちこぼれと言いつつ、
一点特化の天才野郎ばかり揃うっていう謎クラスによって帰国調査されるみたいなのあるじゃん。
あの世界戦だと、むしろスポーツ万能とか、
そういうスポーツ系のやつがナード扱いされる可能性は高いよね。
暗殺教室、お試しで第1話しか読んでないから何も響いてない。
あの人の漫画面白いんだぞ。
36:07
ネウロの時から俺大好きなんだからあの人。
僕はミステリー好きだからネウロは第1話読んだ時点で切っちゃったんですよ。
これはもうミステリーにすらなってないなって思っちゃった。
そもそもミステリーとして読むことが間違っている漫画だってことは後々気づいたんですけど。
そりゃそうだ。
あれとんでもいい能力バトルだな。
なので、あんまり読めてないんですよね、彼の作品。
環境が違えば天才が当たり前のように、
頭がいい子っていうのが当たり前のように評価されるようにもなるのかなっていう気がするし、
これから学校教育っていうのが変わって、
本当にお互いに教え合ったり学べ合ったりみたいな機会がバーって増えていくと、
おそらく正当に評価されるようになっていくんじゃないのかみたいな。
そうね。いわゆる参加型の授業みたいな形で、
座学的なところは自分でやんなさいっていうところが主になってくると。
そうね。だから多分80年代とか90年代なんかは特に個人主義じゃないですか。
で、学校の成績はもうとにかくテストの点数高いものを取るっていうわけで、
そうすると結局、勉強という面においては体育のゲームとは違って、
完全な個人のレースになっちゃう。だから周りが完全にライバルになって仲間意識が生まれないし、
あげく勉強ができるやつっていうのは先生に褒められて、
できないやつはいじめられるっていう構図があると、
結局嫉妬心とか厄介みが頭のいいやつに向いて全く得しないよねっていう。
確かにね。
そう、おそらくそういった構造的な欠陥が、
これまでに頭のいい子たちっていうものを不当に扱う学校社会っていうものを作り上げていた可能性はあるよね。
あるね。
やっぱ構造的な欠陥って確実にあったんだろうね。すげえ今になって本当に感じますね。
だってなんだかんだ出来すぎやはぶられてるもんね。
そうだよね。それはドラえもんさんサイドにね、問題がありますからね。
あいつ来たら2時間持たないからっつって。夏休みには積極的に省いていくスタイルなんで。
なんだろう、通商会でも結構積極的に省いてないかな。
可能性ある、確かに。それはあるかもしれない。
大魔教の時なんてオープニングで相談に行きながらも結局連れていかないからね。
ちょっと戻しまして、なんか他にジャブがあれば。
あとはね、僕一番気になったところがね、指抜きグローブって付ける人が付ければ結構かっこいいなって思っちゃった。
39:04
指抜きグローブってそもそも何のためにあるんでしたっけ?
わかんないよね、あれ。
あれかな?運転かな?手のひらの振動だけ抑えて指先の感覚を残したいみたいな。
でも確かにそう考えると、ライダーがよく使ってるイメージはある。
そうだね。
その、イージーライダー的なさ、そういうのでよく付けてるイメージはあるし、
なんならさ、ここの指の根元のところにさ、鉄がこう入っててみたいな。
あのこの拳の部分ね。原骨のところに。
ちょっと今調べてみよう。指抜きグローブの。
まあ現代人なんかはね、親指だけ指抜きグローブっていうのがね、結構スマホが使えなくなるからさ。
親指だけこう指抜けるみたいなのありますね。
僕も一応指抜きグローブよく使ってて、キャンプでよく使うんですね。
であの、冬場しか行かないから、寒いは寒いから手袋つけたいのよ。
でも手袋つけるとナイフの作業とか、あとはフォーク持ったりとかがすごく持ちづらいの。
ああまあそうね。
そうそうそうそうそう。
で指先の感覚はしっかり残しておきたいってことね。
それで言ったらバスケのキャプテンは手の甲だけグローブつけてたからね、冬は。
ああ俺も持ってるよ。
手の甲にしかないやつ。
あのバスケ用のやつでしょ。あれ便利。
俺あれ未だに効果が全くよくわからないから。
あれ手首と手の甲があったからね。
手の甲を温めたいときないからね。
本当気になる方調べてください。バスケ用の手袋ってあるんです。
バスケやってなかったらマジで見たことないと思うんですけど。
マジで見たことない。
手の甲にしかないんですよ。完全に何もない。
あれを持ってたっていうのは、キャプテンも僕も同じミニバスに入ってたんですけど、同じミニバスのやつは全員持ってたのよ。
そうなんだ。
バスケ用手袋。
だから俺もあいつも持ってたのよ。
今ね衝撃的な事実が明らかになりました。
なんですよ。
オープンフィンガーグローブを世界に最初に考案したのはプルスリーらしいです。
えーそうなの?
らしいよ。
42:00
プルスリーとつけてるイメージねえな。
いやそれさあれじゃん。
うん。
それはMMAとかでつけてるやつじゃん。
そういうことか。
全然違う話してんじゃん。
なんだ。
あとはなんかね、スタンカーメイン応募から見つかった手袋は指抜きグローブがあるらしいですね。
ああじゃあやっぱ昔からね。
まあだって別にそんな大した発明じゃねえからな。
ああね。そりゃあそうよ。
手袋ね、手寒いから手袋作ろう。うわなんかめっちゃ物つまみねえじゃんみたいな。指先だけ切ろうっていうそれだけの話じゃん。
そりゃそうなるわなっていうね。
ああそうよね。
でもあのなんだっけあの子誰だっけね。暴力沙汰の王はジョン。
君元気?
ちょっとかわいかったですね。
あの子のマスクはなんかかわいいっていうか甘いマスクしてるよね。
甘いマスクしてたね。ちょっとヒスパニック系なのかわかんないですけどね。ジャッドネルソンさん。
少しちょっと彫りが深くもあるけどなんか銅眼っぽくもありみたいな。
であの目が綺麗なの。
はいはいはい。
すごくクリッとしててさキラキラしてるんだよね。
だから彼がちょっと悲しい目をするとさ本当に悲しそうに見えんだよ。
なんかすごくねいい感じでしたね。
ブライアン・ジョンソンさん?
ブライアン・ジョンソン?
って誰?
あ、違うこれ校長だ。
だれだれ。
ジャッドネルソン。
ジョン・ベンダー。
ジャッドネルソンか。
今なんかすごい変わったね。
そんな変わったかな別に。想像通りの顔してますか。
ポーズに見えて。
想像通りです。髪の毛長くしてヒゲなくしたらそのまんまじゃないですか。
ああまあまあ確かにね。目はずっと変わってないね。
いやーでもなんかこう普通に見てたらなんかもういきなりあのパンツのドアアップが映ったから結構焦りましたけどね。
急にドアアップみたいな。しかも迷わずそこに顔突っ込んでいくジョンっていうね。すげえな。
ああいう描写もなんかちょっと懐かしさを感じるというかね。
45:00
あれぐらいこうアグレッシブな高校生だったらこっちもあんま怒れないよね。
いやいや怒れよ。あれをさまあエッチねみたいな感じで済ませられる世界っていうのがやっぱすげえな。
なんかやっぱ80年代だなっていうのをね。90年代までギリそんなテンションだったんで。
今じゃなんかもうねあの時点でもうなんか警察呼ばれて終わりですからね。
いや終わりだと思う。
顔突っ込んでみたいなね。
怒るとかじゃなくてあの女の子多分もうギャンギャン泣いてセカルなみたいなことを言って捕まりますからね。
そうそうそう。それが当たり前なんですけど。
それはそうなんだけどよ。
当たり前なんですけど、なぜかなんかそうならなかった時代があったみたいなんですよねっていうね。不思議なあれですけど。
ちょっとぼちぼちね、本論に行きましょうかね。
行きましょうか。
前回は何やったっけ?
えっと学校?小学校。小学校が赤ちゃん先か。
そうだったっけ?
違ったっけ?
もうね最近よくわからなくなってるんだよね。一個貯めて取ってるからね。
そうなんだよね。
じゃあまあはっきりしないから、僕から行こうか。
まあいつものパターンね。
こうなってくるとさ、もうそれで良くないって感じになってくるけどね。毎回。
まあね。
交互でなきゃいけないとかないから、どうしても先に行きたいとかね。
そうそう。あるんだったら別にあれなんですけどね。毎回同じやり取りしてて、ちょっとそろそろね。いつの間にも疲れてきちゃう。
そうね。一個懸念があってさ、まこちゃん先にするとね。まこちゃん、僕が喋ってるとき眠そうなんだよね。
まあそれはあるかもしれない。でも最近反省して常にモンスター飲んでるんですよ。収録の時。
なのでもう大丈夫です。間違いなく行けると思います。今日もサクッといきたいと思います。いいですかじゃあ。
お願いします。
私が持ってきたのがですね、映画ブレックファーストクラブ。事実上の子ども再発見映画説シーンということでね。
ブレックファーストクラブ、それは小さな社会ってこと?
まあそういうことですね。いわゆるスクールクラストを社会にバーンって。
子どもたちの社会ってこうなってんだよって出した映画。ということはもう本当にそのまんまなんですけど。
ただまあなんていうかな、子どもってなんだみたいな。子どもってそもそもなんだったんだっけっていうのを、
48:07
まあそのまるごとね、こちら側に伝えてくれた映画だったのかなっていうふうにちょっと思ったんですね。
ただまあなんていうかな、スクールクラストっていうところだけじゃなくて、もうちょっと幅広く見ていきたいなというふうに思っていて。
まずですね、これは大学で学んだんですけどね、子どもの誕生っていう1960年の著書がありまして。
フランスの歴史家フィリップ・アリエスという人物が残したものなんですけれども、
要はですね、中世ヨーロッパには子どもという概念が存在しなかったという主張なんですね。
実際に引用されていた絵画とか見させてもらいましたけども、
その当時の絵画を調べると、子どもっていうのは大人と同じ服を着ていて、ただ姿形が小さいだけなんですね。
つまりは絵画から見るに、その当時の人々は子どもっていうものをただの小さな大人として捉えていたんじゃないのかと。
7歳を過ぎたら大人の仕事の場に入って、大人と同じ社会の一員として扱われている。
つまりその子どもは無邪気で周囲から保護されるべき存在であるっていう、
今日の自分らが当たり前に持っているそういう感覚っていうのは実は近代になって徐々に構築されたものであって、
それは人間社会に自然と備わっていたものではないっていうことをアリエスは主張したんだよね。
これが1960年の文献なんですけれども。
それでなんですけども、つまりは子どもっていうものは人間社会が定義して初めて子どもをたり得るのではないのかと。
そういう要素が見えてくるんでね。
その点をちょっと踏まえて教育の歴史っていうものをもう一度見ていくと、
要は近代的な学校制度っていうものが成立していく中で、子どもっていうのは発達段階の初期にあたり、
大人とは明確に区別して扱われるべき存在であるっていう認識は近代教育の中で社会一般へと確立されていったっていうところはおそらくあるだろうと。
子どもっていうものは大人から区別された一つの存在である子どもには固有の時間と場所っていうものを与えて、
そして保護しながら育っていく。
これは要は近代における子どもっていう概念の発見だったわけでね。
ただここで僕が気をつけたいのは、子どもっていう概念を確立することっていうのは実は一長一短あったんじゃないかと。
要は子どもっていう存在を明確にしたことで、我々は子どもたちが常に守られて、
51:03
そして健全に育成されるような場所を提供するっていうふうな学校教育制度っていうものをしっかり作ることができたのは確かなんだけれども、
要はそれはつまり子どもと大人の間に線を引くことでもあるんでね。
一本引かれた線っていうのは要は境界を生み出すわけだよね。
これって結局のところその第二次成長を迎えた10代の若者たちのいわゆる子どもでも大人でもないっていう、
いわゆる曖昧な領域に置かれる者たちっていうのを生み出したとも言えるんじゃないのかというふうに思うわけです。
で、ここでやっぱりですね、出てくるのはおなじみマージナルマンでございますね。
エリックソンがと思ったら。
これはね、アメリカの社会学者がロバート・パークが言った言葉なんですけど、マージナルマン。
これはまあ何よっていうか公民とかで学ぶかなって出てきたと思いますけれども。
俺大学院の時に聞いたぐらいな気がするけど、高校生の時に習ったっけ。
へたしたら中学の保険とかでも出てくると思いますよね。
2つの文化の境界に生きる人間、どちらの文化にも完全には属していなくて、その狭間でアイデンティティの葛藤を経験する存在のこと。
これマージナルマンという。
これはですね、当初は移民の経験として論じられた概念なんだけれども、
要するに別のアイデンティティを持っていながらして、他の国へ来て、そこでアイデンティティの葛藤にある者たちをマージナルマン。
ただまあ青年期の若者たちっていうのも、ある種子ども社会と大人社会の境界に生きているマージナルマンにあたるんじゃないのかという。
だからこの映画に出てくる5人っていうのは、全員がある種このマージナルマンという一つの特性を持って報酬室に集められている。
大人からは問題のある子どもっていうふうに扱われていながら、自分たちの内側ではすでに複雑な社会っていうのを作り上げていて、
だから子どもっていうカテゴリーに押し込められてはいるんだけれども、一方で大人と変わらないような苦悩を抱えてるんだよね。
で、大人たちは彼らを子どもとしか見てないから、自分たちの持っているいざこざみたいなものを子どもが感知して同じように悩んでるみたいなふうに全く理解していないんだよね。
そういういびつな状態っていうものがこの映画の舞台設定になっているんじゃないかなというふうに思うわけです。
で、エリクソンはもちろんね、毎回オーマが、毎回ではないけど、エリック・エリクソンといえばオーマぐらいの勢いで毎回引っ張ってくれますけれども。
僕はピューシェのほうが好きですけどね。
青年期のアイデンティティ葛藤の話も以前してくれたと思いますよね。
54:00
アイデンティティと役割との間で生まれる葛藤みたいな。これってもう本当にまさにこの映画では土直球で描かれているわけで、
青年期の若者っていうのは自分は誰なのかっていう問いを中心に生きてて、
社会から与えられた役割と本当に自分がやりたいこと、本当の自分ってなんだろうっていうところで常に揺れ動いている。
そういった中で副学長みたいな人が書いた作文のテーマがあなたは誰ですかっていう、
全力投球の一問だったのも偶然ではなくて、
この映画っていうのがエレキスさんの言うところの青年期に主が一つの葛藤っていうものを、
この映画の中心課題として据えていることはそこからもわかるかなというふうに思うわけです。
ここでね、もう一度スクールカーストの話に行きますけれども、
この作品ではもう完全に典型例が5人の子供たちに投影される形で提示されているんだけれども、
ただやっぱりこの子たちは果たしてそのなんていうのかな、その役割、生まれた時からその役割だったのかっていうのをすごく感じるわけね。
例えば頭がいい子、人気者、運動大好きマンとかいろいろあるけれども、
でもこれってそれぞれが持ってるそういったなんていうの、その役割のようなレッテルは、
親だったり周囲の大人たちからの期待だったり評価によって貼られたものなんじゃないのかっていう。
最も直球で描かれるのはアンドリューでね、レスリングの子なんですけれども、父親からその勝利への執着だったり、
いわゆる男らしさ、男なんだからそんなね、友達と悪さしていじめたりしても当たり前だろうみたいなことを言われて、
それに結局自分を合わせなきゃいけないっていうふうに思ってしまっている。
そして運動部のスターであり続けるためにはその父親から求められる全てに応えなきゃいけないと思っている。
で、ブライアンもね、親の期待を裏切らないために優等生であり続けなければいけない。
そのためには電子工学なんて当たり前にできないといけないようにできない。
それじゃ困るっていうんで証明団を持ってきちゃうみたいな。
彼らも結局のところ演じさせられているところがあって、
元からその枠組みそのカテゴリーに収まる人間であるかどうかというとそういうわけではなくて、
そこに押し込められてしまっているんじゃないのっていうことなんですよね。
で、そう考えると子供たちが持っているアイデンティティあるいは役割みたいなものって、
57:06
育った環境によって体に染み刻み込まれている振る舞いのパターンによって決まっていて、
それらは一体何によって生み出されているかって言ったら家庭の価値観、親の言葉選び、で学校での評価基準、
そういったものが結局複合的に合わさって最終的に子供たちは自分が作り上げた独自の序列じゃなくて、
大人たちがもともと作り上げている社会の価値観というものを押し付けられて、
その中に収まり、互いに差別し合い始めるんじゃないのかと。
だから結局彼らが一番初め全然うまくいかなくて、お互いを全く理解ができない相手っていうふうに見ていたりするのって、
あれはそのままその家庭の親がそう見ている眼鏡をそのまま使ってるわけなんだよね。
だから結局彼らは初めのうちはずっと敵対するんだけれども、
腹を割って話し合っていくうちに彼らはだんだんと距離を縮めていくわけなんだけれど、
その決定打になっているのが家庭の問題を共有するだったんですね。
あそこは非常に意図的にそうされていると思っていて、つまりは子供たちって非常になんていうの、
親とか大人の都合によってその役割に押し込められているね。
だから結局共通項はそこなんだよねっていうことにたぶん彼らは気づいたから、お互いを認め合うことができたんじゃないのかと。
レッテルを張ったのは大人であって、そして彼ら自身は一つのレッテルに収まるような人間ではないんだよねっていう。
だから本当の自分って何なんですかっていう問いを大人が聞いてくるんだけれども、
そもそも本当の自分が見えないようにしていたのは誰かって言ったら、それは子供たちの周りを固めている大人であるし、
なおかつ彼らを子供という枠組みの中に無理やり押し込めている大人でもあるんじゃないのかなということを気づかせてくれる作品だったんじゃないのかと。
だから僕がこの作品を子供再発見映画というふうに呼ばせていただくのは、
結局僕らって子供っていう概念もあって当たり前のものだと思っているし、小中高までは子供だよね、なんだったら大学生も子供だよねみたいなことを大人になるとポンポン言うんですけれども。
そもそも子供だ大人だみたいなところ、境界線っていうのは結局どこにもないわけで、
一人一人がそれぞれの発達の曲線の中で社会を意識したり、そしてその中で自分自身がやるべき行動に自ら演じてみたりだとか、そういうことをしていく中で自然と大人っぽくなっていく。
そうね、適応していくというね。 そうそうそう適応していく。そこには別に明確なライン、何歳だからどうとか何年生だからどうみたいなのは本当は存在しないはずなんだけれども、
1:00:10
結局子供っていうものを等しく守っていくために作られた枠組みが、本当は良かれと思って作られていた枠組みが、いつの間にか大人から子供っていうものは外側から覗き込むしかできなくて、
彼らのことを理解しようとしないっていうふうな仕組みを作ってしまった。子供は子供であるっていうふうな、ただ名前をつけて安心してしまうようになってしまったっていうふうな構造が実はあるんじゃないのって
いうことを気づかせてくれるような作品でしたということです。
ありがとうございます。 なるほどね。確かに今いわゆる子供の権利条約っていうのがWHOから出て1980年だったかな、日本が批准して、それに則って教育だったりとか医療だったりとかいろんなところで子
供が関わるっていうところで、
そういうふうに子供とかっていうふうに言われているけれども、その権利条約の元になったのがそのやっぱりエリクソンであったりとかのその発達っていうところの曲線上に人はすべて障害発達論っていうところでつなが
っているんだよっていう考え方から来てはいるんだけれども、
でもどっかで分断してるよねっていうのはすごく大きいなと思うし、あとなんなら日本の歴史から見ても子供って結構分断されがちだなっていうのをちょっと今なんか改めてちょっと思ってさ、それこそさ江戸時代ぐらい
からさ、これは武家限定なのかもしれないけど妖妙ってあるじゃん。
例えば妖妙1個しか知らない、ハケチオとかさ、ボンテンマルとかさ、そういうのがあるわけじゃん。だから子供、何歳になるまでっていうのがそのやっぱりもう幼いと、大人からも分断されるようにいて、原服になるまで
家族であったりとかそういうものを一切引き継げないよっていう立場にいるし、
あるいはその世界的にも割としっかりした継続教育っていうものをやり始めたのは日本のその寺越時代からやってるわけだけどさ、ある意味それもその大人と子供の分断の話からスタートしていってるっていう見方も、
もちろん教育レベルが非常に高いっていうところは日本の美徳ではあったと思うんだけど当時のね。
でもなんかそこに分断があったんだとすると、やっぱり結構根強く日本っていう社会の中でも残っている概念なんだろうなっていうのはすごい容易に想像できるなっていうのをすごく思った。
なんかね、子供、子供のやることだしとかいうさ言葉もあったりするけど、それも結局思考停止なんだよねっていうさ。
1:03:04
そうだね。全くもそうよね。 そうそうそう。その辺を結局、本当は子供たちを守るために作られた概念、その大事な発達の中を守るために作られた概念なんだけど、それが結果的に大人と子供っていう一つ
の線引きが生まれて、それが結果的に悪い方向に向いている部分もあるよねっていうふうな、そんな感じですね。
ということで、大間君。よろしく頼むよ。
大間 了解です。おそらくエリクソンの話をするだろうなと予想してきたマコちゃんをどうしても裏切りたくて。
そうですね。お願いします。裏切ってください。
大間 別の裏切りたくて、ちょっと僕もね、今回ちょっと堅苦しい話になっちゃったんだよな、結局。まあいいや。やけどの跡を見せるのが早すぎた説という。
そう。
大間 というものはちょっと今回お話ししていきたいんですけれども、今回の筋ね、ネタバレだけすると、この映画でお話をしたいなと思ったのがやっぱり、自己開示、ディスクロージョンについてっていうところなんです
けれども。
まあいろんなね、心理学の先行研究からも、その自己開示が起きる場だったりとか、条件だったりっていうのがいろいろ言われてるんだけども、この映画に関してっていうところで見ていくと、その居心地のいい安全な場が
あったから自己開示できたわけではないよねと。
ぶつかり合いの中でお互いが同じぐらいのもの、自分の傷を見せるだったりとかっていう、お互いがお互いそれぐらいのものを出してくれるのねっていうところを言ってくれたからこそあの場が成立したっていうような。
だからその今回はちょっと自己開示として、自分の内面というものを人に話すっていうことが、この映画の中でどういうふうに、何がきっかけに起きたっていうところを何かちょっと追っていきたいなという、そういうお話
でございます。
で、冒頭の場面からちょっと見ていくと、先ほどマコちゃんがちょっと親子関係っていうところでいろいろ話してくれたんだけれども、ちょっと一人一人見ていくと、クレアのお父さんっていうのは補修の埋め合わせを
するって言って、むせかえに何か約束して送り出すようにするし、
ブライアンに関しては勉強をしっかりしろって言われるし、アンドリューは問題を起こすと進路に響くからなみたいなことを言われて、でアリソンはなんかもう黙って降りてくるし、ベンダーに関しては誰にも送らず一人
1:06:01
でノコノコと歩いてくると。
で、この時点では観客はもうその様相っていうところが、まだ意味がわからないわけね。で、この後半の部分の告白があって、この総芸の短いカットが一個ずつ、その過程環境がどうあったのかっていうところがなんか
こう、あらわになっていくっていうすごく大事なシーンになってたんだよね。
で、実は一番最初に自分の内面をさらけ出しているというか、むしろずっとさらけ出し続けていたっていうのが一番攻撃的なベンダーだったんだよね。だけどもその告白っていう形ではなく、挑発の形をとっていたっていう
のが彼のちょっと下手くそなところで、ベンダーはずっと前半のところから自分の本音しか言ってない部分がすごく大きくて、
その本音を使って他の4人をからかうっていうような、で、そのブライアンの家庭を仲のいい食卓として、「おい、ブライアン、今日は何を勉強したんだい?」みたいな、そんな一人芝居を始めるわけじゃないですか。
そうね。絶対違うけど。絶対違うけど、やってたやつ。
やってたよね。で、なんかその後に自分の家庭の食卓はどうなんだみたいな話になって、家庭の食卓を演じて、そこで出てくるのが、どなって手を挙げて、なんかこうやっていくっていうような父親像っていうのを話して
いくと。
で、アンドリューがこの作り話だろうって、こいつはホロ吹きだみたいなことを言うんだけれども、ベンダーはこの腕のこの、いわゆる根性焼きをね。
しかもあの時代だから、シガレットじゃなくてシガーっていうね。
ガチ太なやつね。
ガチ太なやつ。そりゃ痛いだろうよと思うけどさ。で、その場の空気がいいってなったんだけども、ベンダーはすぐ茶化師に戻るっていう感じで。
で、ここをね、すごく大事な場面だと思ってて、自己開示をしてみるんだけれども、それっていうのが、そのベンダーは割と最初から全部自分をひきらかしていくんだけども、その受け手がいない状況で自己開示をしても、
自己開示自体が成立しないっていうところなのかなと。
だからこの、よく変能性だったりとかっていうふうに言われるんだけれども、何かアクションをかけたときにそのリアクションっていうものがそもそも返ってこないとか、本人にとっての望む形で返ってこないって
いうことが起こってくるから、彼はさらに攻撃的になっていっちゃうっていうような心理状態が生まれたと。
で、本格的に告白が始まるっていうところまでに、まこちゃんがさっき言ってくれたその家庭の問題っていうところが出てくる前に、多分僕はこの2つの段階含んでるんじゃないかなと思っていて、1つはその共犯を犯す
1:09:07
っていうことと、もう1つはそのマリファナっていう部分が出てくるんじゃないかなと思ってて。
で、5人はその共闘の目を、なんで抜け出したのかちょっと俺全然思い出してないんだけどさ、まあ抜け出すわけさ。で、ベンダーのロッカーまで行って、そうだマリファナ取りに行ったんだ。
取りに行ってましたね。
取りに行って、見つかりそうになったときベンダーがなんかこう叫びながらバスケットを押して。
ことなきは言え。
なぜか片足だけバッシュ履いて、あのバッシュマジでどこから取ってんの。
謎ですね。
謎ですね。で、ここで初めてベンダーが他の4人に、今までずっと自分の攻撃性を向けたことで、他の4人が損を受けたっていう形の構図になったんだけど、初めてベンダーが損を引き受けるっていう形を取るんよね。
で、その後にこの5人がマリファナ吸って、特殊管の床に輪になって座って、で、なんか家族のことだったりとか、なんでここに来たのかっていうことを打ち明け始めると。
で、ここでちょっとマリファナが絡んでるから、ちょっとお酒の席で本音が出るのと同じような感じで、この気持ちのタグが外れてるみたいな状況があったっていうところで。
だからまあこの場面っていうのはその場の力だけで心が動いたっていうのとなんかちょっと違うかなとは思うんだけれども。
でもなんかまあ、そこのこの2つっていうのがあって初めてちょっと打ち明けるっていうところに進んでいったんじゃないかなと。
で、ここの自己開示の場面っていうのがすごく安全で、しかもこの誰かが全員が受け入れてくれるっていうような空間では決してなく描かれていて。
で、最初はこう質問だったりとかフェイクだったりとかっていうことがこうずっと繰り返されながら少しずつ開示が引き出されていくっていうところなんだけれども。
クレアに関しては彼女の生活、バージンかどうかっていうところをすごく質問されるし。
あるいはその自分の経験、精神科医にレイプされたかどうかみたいなことを嘘をつくし。
で、本音を言う、本当バージンよみたいなことを言うまで追い詰めたりもするっていう場面がやっぱり出てくるんだけれども。
やっぱ守られた空間での告白ではなかったんだけども、でもなんかそこでその自己開示がすごく応酬されていったのって、お互い様っていう状況になったからなんじゃないかなと思って。
ベンダーを最初にこう火傷を見せて、ロッカーで身を張ってみんなを守った。
1:12:05
で、アンドリューは自分が精錬潔白なスポーツマンじゃなくて、すごく過害者ですごく嫌なことをしたんだっていうようなこの弱みを出したし。
で、ブライアンに関してはまあ多分自分がその頭脳っていうフィールドの中では一番こううまく見せなきゃいけないっていうところの中で一番こう弱みを出したっていうところだし、
なんかこう誰か一人だけがこう何かを虜されて、ああみんなそうだったんだねっていう知るだけじゃなくて、自分が自分、全員が全員自分のこの嫌な部分だったりとか見せたくない部分っていうものをこう差し出し合った
っていうところが、
この辞めずに済んだ一番の要因だったんじゃないかなと。で、やっぱりその何かの関係性を深く結んでいくっていうところには共通の何か理解だったりとか共通の体験っていうのがすごくやっぱり重要になってきて、
そこはさっき真子ちゃんが言ってくれた通りで、その家族親との関係で苦しんでたところだったと思うんだよね。で、これよくスイくんが大好きなさ、はい僕はオーマン、はいオーマン、今日は薬物をやっちゃった
んだ、みたいなそういう精神療法のシーンっていうのが。
集団セラピーのシーンね。 そうそうそう。よく映画では出てくるんだけど、これ大体ヤロムっていう人が主に始めていったっていうあれなんだけれども、治療にそういう集団セラピーに働く要因として自
分だけではないっていう気づきっていうのがすごく大事っていうふうにヤロムが言ってて、
先生って言ってて、いや実は自分が得意な存在ではなくて、みんなある程度大なり小なり同じことがあるんだよねっていうところからセラピーがスタートしていくというところが言われてるんだよね。だからその
自分だけじゃなくて他の人もいろいろなものを出していく。で、自分も出していくっていうその応酬のこの変能性のこのやり取りっていうのがすごく大事になってくると。
でもここがすごくいいなと思ったのが、月曜日について話し合うシーンが僕すごくいいなと思って。
はいはいはい、いいねあれ。
すごくね、リアルですごくいいなって思っているんだけど、月曜日になったらね、僕と話してくれるのかって言ってっていうシーンがあるんだけれども、でもクレアははっきり学校では絶対にもう話さないかな
っていうし、
なんかなんだっけあの人、クレアじゃなくてブライアンジェルって、アリソンか。アリソンに関しては絶対話すよって言ってくれたりとか。
1:15:06
三者三様こういろんなことを言うんだけれども、でも全員ちゃんと本音で話してるよねっていう。だからこそブライアンも何でだよって思いつつもちゃんと受け止めることができるしっていうような、そういう
場が出てきてると。
最終的にはその本当の自分が見つかったっていうところではなくて、その一つのラベルで住む人間っていうのは誰にともにともに存在しないよね。そのラベルだったりとかスティグマだったりとかっていう
のは、その自分の外側の人間が勝手につけてるだけで、自分が捉える自己像ではないよねっていうところを捉えることができると。
それは多分全員そうだったと思うんだけども。だからそのブレックファーストクラブにおける自己開示っていうのが、その挑発と衝突の中でお互いがお互いにとっての同じものだなっていうものをちゃんと差し出
したっていうことができたからこその自己開示によってお互いのこのある意味セラピーにつながっていったっていうところがすごく大事なんだろうなぁと思うと。
都各青年期の自己開示っていう意味においては、なかなか自分の傷だったりっていうのを、その年々の僕らの世代になっていくとどうしても自分の読みを出すっていうことが、ある種交渉のキーカードになってい
ったりするとかしてそれをわざと使ったりっていうことも全然あり得るんだけれども、そこを出しにくい世代でもあるのかなと。
それは何か単純な打算とかじゃなくて、何かそれを出すことで自己像が崩れるんじゃないかっていうその自分への危うさっていうところがあると思うんだけれども、何かそれを何かうまく引き出せるようになることでそこの
成長の過渡期で揺れ動いている自分たちっていう人たちを何かうまく癒していけるんではないかなというのが、
今回のブレックファーストクラブのその自己開示におけるお話でございました。
まあでもやっぱり日本人っていうふうに言いたくないですけど、自己開示って慣れてないと難しいですよね。
まあ苦手よね。
本当に。やっぱり本音の建前っていう社会的な、社会構造の中で生きてきた建前、むしろ何か本音っていうものをいかに丁寧に包んで相手にお渡しするかみたいなさ、そういう世界線でいて。
非常にこうやっぱ難しいですよ。でも何か必ずしもその自分自身っていうものをさらけ出すことは別に弱点を晒すというわけではなくて、
1:18:05
おのれの取り扱い方法だったりとか、あるいは何かこうね、あなたからはどう見えているのみたいなのをすり合わせていくような、何か非常にポジティブな意味合いでもあるんだよっていうことを
やっぱり考えておいた方が、たぶんいざね、いざって時にたぶんディスクローズしやすいんじゃないかなという気はしましたね。
そうね。その点においては僕らは本当にあの河原でのディスクローチャーの応酬みたいなのかな。青春のね。
そうね。青春におけるね。それが結果的にこう今につながってるのかもしれないですね。
なんかね、別にその何なのかな、諸情か諸情でないかは別にどうでもよくて、そこはどうでもいいんだけど、でもなんか本当にこう自分のこう、
どうしようもなくかっこ悪いところとか、だったらあんまり人には伝えたくないような自分像みたいなものを知ってくれてるないしは知ってくれてもいいというか、
知られてもいいと思えるかどうかっていうところはすごく大事なのかなっていう感じはしますよね。
そうね。
そんな相手がいるみたいな。
知ってくれてるから逆に安心できるとか、今こんな感じになってるけどあいつは俺の内心をわかってくれてるから、
そうね。
ある程度安心して暴れられるみたいなさ、安心して3階の窓から濡れたティッシュを窓から投げられるみたいなそういうところあるじゃん。
それはね、ないですね。
ないか。
安心して投げられるじゃなくて、投げて全校集会になったとしても、安心してその犯人は自分だと打ち明けられるっていうことだと思いますけど。
そうだね。ちゃんと自分は言いましたよ、僕は。
そういう相手を作るためにはディスクローズが必要でしょうね。
そしてディスクローズしない限りはずっと建前の中で生きていくから息苦しくなるし、お互いにレッテルを張り続けることにもなりかねないよねっていう。
別にそれはそれで回るんだったらね、大人の世界はそれでいいんですけれども。
やっぱり子供たち、子供の頃はやっぱりね、本当に本音だけでぶつかり合えるいい機会だと思うので、せっかくならディスクローズしていこうよっていうね、そんな気持ちにさせてくれるような作品だった気がしますね。
ありがとうございました。
はい。
なんかね、直球映画はやっぱり直球語りで終わりますね。
いやー、しみじみ僕も今ディスクローズした気分だもん。
1:21:00
ねえ、それ。
いやー、なんかね、まあでもいい映画でした。
ぜひちょっと皆さんもご覧になってください。
まあヒューマンドラマといえばヒューマンドラマでしょうね。
そうだね。
さて、何かじゃあ言い残したことでもあればお聞きしますが、何かございますか?
この映画ね、僕一個すげえ気に食わないテーマあって。
うん、そこは。
全然気に食わないんだけどさ、結局陰キャは一人かよ。
語りたいものがある。好きでたまらないものがある。それならもう話すしかない。
気になったもの、ハマったもの、人生をちょっと楽しくしてくれる者たちを持ち寄って本気で語り倒す30分。
笑えてちょっとタメになって、たまに明日何か書いたくなる。
毎週日曜更新、俺たちの物語。まこと大間でお送りいたします。
それが80年代です。
いやだってさ、あの流れでさ、アリソンがさ、月曜日ちゃんと話すよって言ってんだよ。
言ってるね。
それにブライアンがどれだけ救われたかっていう感じなんだけど、結局行くのジョッカかよっていう。
は?
そうなんです。そうなんです。それが80年代アメリカの価値観ですから。筋肉はすべてを解決するっていうね。
ブライアン最後まで救われねえんだよ。
そうなのよね。だからね、やっぱりそこなんだよね。どうしても。
80年代の価値観の限界ってあそこだと思うんですよ。
筋肉はね。
陰キャを救ってくれ。
そう、なんていうのかな。今でこそ陰キャとかどうか言うけど、別にそれでもいいじゃないというか。
それも一つのキャラクターとして自分たちを愛していこうみたいなさ、そんな方向性もあったりするじゃない。
そうだね。
でもさ、80年代くらいの日本のテレビのバラエティとかの映像を見ると、素人いじりとかも結構辛辣ですよ。
いや、それこそさ、僕らが幼少期に見てたさ、コンネルズ。あれなんてもう素人いじり陰キャいじり異端いじりのひどい例だと思うよ。大好きで見てたけどさ。
寝蔵に対するすごい感じありましたから。寝蔵に対するタイ語で寝やかっていうのもありましたからね。寝が明るい。
1:24:08
これ本当ですよ。本当です。寝やか寝蔵っていうね。寝蔵だけ残りましたけどね。
そうだね。
そうそうそうそう。でもまあね、それも結局そういう言葉が生まれるように、やっぱり人間ってとりあえずレッテル貼って安心したいんでしょうねっていう。
それもなんか人間の真理よね。
そうね。そういうもんだろうなというふうに思うしかないので、そういう社会の中でどうやって自分を見失わずにやっていくのか。
そのためにやっぱり自分っていうものを知ってくれるもう一人がいてくれれば、自分で自分を見失いそうな時でもその人が自分を知っていてくれるかもしれないので。
要するに親友っていうのは自分のバックアップなんですね。
いいこと言うね。
そんな気がします。はい。ちょっといい話で終わる感じになりましたね。珍しいですね。
すごいいい話だね。
珍しいね。
今もう1億人のリスナーが涙してるよ。
涙してるね。大丈夫、僕はついてるよって。リスナーのみんなのバックアップそれが俺だから。
まあバックアップするデータがジェロにはあまりないんだけどね。
何も届いてないですね。むしろこっちが積極的にいろんな人にバックアップ作ってる感じだと。
そうね。
世界中のリスナーが俺のバックアップサーバーなんだぜっつって。
なんか急に嫌なやつが。
そうね、かぶさげて終わらないと気が済まないんで。
さてね、じゃあ次回どうしようかね。
学校スペシャルなんで。
西田俊之。
西田俊之学校行きますか。ついに。ついに行きますか。
ついに。
ここ踏み込んでみよう。
そのまま学校だからね。
そうだよね。なんかね、でもやっぱりパッケージ見る限りね、ちょっと面白そうだよねっていうね。
そうなんだよ。俺実はまだ見たことないんだよね。
ちょっとね、期待していきますよ。山田陽次監督ですから。
ちょっと皆さんもぜひね、ちょっと学校見たことない人ちょっと見ておいてください。
どんな感じのドラマになっているのかちょっと楽しみにしながら来週迎えていきたいと思います。
ではそんなところで本日お聞きいただきましたのはリールフェンスイントーキョー。
映画プレックファストクラブスクールカーストを覗いてみるとでお送りいたしました。
番組では投稿フォームを通じて寄せられた感想やリクエストを実際に番組のテーマや構成に反映しながら制作しております。
面白かったここは引っかかったなど短い言葉でも大歓迎です。
またXでハッシュタグリルパルをつけたポストも受け取っております。
いただいた声は番組の中でご紹介させていただくこともありますのでぜひあなたの声をお届けください。
1:27:00
公式Xアカウントはリールフレンズイントーキョーで検索フォローもよろしくお願いします。
リールフレンズイントーキョーはアップルポッドキャストを始めとする主要なポッドキャストアプリで配信中です。
本日のお相手は誠。
大間でした。
それじゃまたねー。
またねー。
01:27:24

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