学校スペシャル第3弾 映画『学校』これもまた学校 School Special Vol.3: School (1993) — This Is Also a School
2026-11-07 1:36:23

学校スペシャル第3弾 映画『学校』これもまた学校 School Special Vol.3: School (1993) — This Is Also a School

おたよりを送る

「幸福って、どういうことなんだろう。」
— 黒井先生、『学校』(1993)


ーーーーー

毎度どうも。映画談義パーソナリティのまこです。
今回取り上げるのは #学校 です🏫

学校スペシャル、第3弾!

山田洋次監督が15年越しで温めた企画の映画化、1993年公開の名作です。西田敏行演じる黒井先生と、田中邦衛演じるイノさんをはじめとする生徒たちが織りなす、東京下町の夜間中学校の物語。

夜間中学と聞くと、「普通」のレールを外れた子どもたちが通う学校、というイメージを持つ人もいるかもしれません。でも、そこは誰もが自らの当然の権利として学びを得る場所。孫のいる年齢で入学したオモニ、昼間は肉体労働に励む少年、中国から移住してきた青年、不登校だった少女。世代も国籍も境遇も違う仲間たちが、学びを通して絆を育んでいきます。

そこに「特別」なものは何もない。ニンゲンなら誰もが持っている、当たり前の営みと絆があるだけ。

バイアスを取り払って、温かなニンゲンの和を感じる時間を、ぜひお楽しみください🌨️

ーーーーー

podcasterの まこ(@_macobana)が、語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『#よもやまこばなし 』(#まこばな )にて展開された映画談義がついに専門チャンネルに。
語りたい映画なんて尽きることない!
エピソードの公開は毎週or隔週となります。

ご感想は是非 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#リルパル #ReelPal でツイートをお願いします。
いただいたツイートは番組の中で取り上げることがあります。

公式noteもやってます。
https://note.com/mako_reel_pal/n/n17867575e9f5

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これからも番組をよろしくお願いします。


“What does it mean to be happy?”
— Mr. Kuroi, School (Gakkō) (1993)

⚠️ This is a paraphrase of the scene’s content, not a verified line from the film. It will be replaced once you specify the actual quote.

ーーーーー

Hey there! I’m Mako, your movie talk personality.
This episode covers #Gakko1993 (School, directed by Yoji Yamada) 🏫

School Special, Vol.3!

Yoji Yamada spent fifteen years nurturing this project before bringing it to the screen in 1993. Starring Toshiyuki Nishida as the teacher Kuroi and Kunie Tanaka (who won the Japan Academy Prize for Best Supporting Actor for this role) as the unforgettable Ino-san, it’s a portrait of a night junior high school in the working-class neighborhoods of Tokyo.

The words “night school” might conjure the idea of a place for kids who’ve fallen off the “normal” track. But it’s nothing of the sort. This is a place where everyone is exercising their fundamental right to learn: a grandmother who enrolled well into her senior years, a teenager doing manual labor by day, a young man who immigrated from China, a girl who once refused to go to school at all. Across generations, nationalities, and circumstances, they build bonds through learning.

There’s nothing “special” about it. Just the ordinary rhythms and connections that any human being has.

Set aside your biases, and spend some time with a warm community of people 🌨️

ーーーーー

Podcaster Mako (@_macobana) started out sharing his unfiltered movie opinions on his talk show #Yomoyamakobanashi(#makobana) — and now those conversations have found a home of their own.
There’s no shortage of films worth talking about!
New episodes drop weekly or bi-weekly.

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00:21
Reel Friends in TOKYOにようこそ。この番組は話題の新作、往年の名作、謎を聞き作からぶっ飛びB級映画まで、あらゆるフィルムを倫理、宗教、歴史に陰謀、多様な視点から切りまくる映画専門
チャンネルです。お相手はパーソナリティーのマコと
ファミマの豆腐、どこ行った?
馬です。よろしくお願いします。
ファミマ豆腐、どうしたんですか?
いや、あの、前にちょっとファミマの豆腐紹介したじゃない?
したね。なんか豆腐がうますぎるみたいな。
そうそうそうそう。なんか今日さ、やけにBGMうるさくね?
え、ほんと?
俺だけ?
ほんと?
多分、君だけだと思う。
俺だけか。
頑張る。
で、ファミマの豆腐紹介してさ、
うちの番組、いかんせんさ、リスナー多いじゃん。
そうですね。8億6千万人をついに超えたっていう。
そうそうそうそう。
で、なんか多分ね、その8億人の中の日本在住の方々がね、ファミマの豆腐買いまくってるらしくて、
いつも俺が夜ね、コンビニにね、パタッと姿を消して、
で、こないだたまたまタイミングがあって、
あの、トラックの搬入がね、あるタイミングで僕入れたの。
なるほどね。コンビニのその在庫管理のトラックが来たってことね。入荷の。
で、豆腐ねえやと思って、一通りいつものルーチンのやつを取ってって、
で、最後もうワンチャンって思ってみたら、豆腐が一個だけ置いてあったの。
おそらく多分俺が取る前にみんな取ってってこと。
そんなことないんじゃない?
さすがにあれでしょ、なんかあの、あんまり出ないから、数入れるのやめようってなったじゃん。
あれうめえのに。
どっちかだよね。そのどっちか。
バカ売れしてんのか、バカ売れないのかのどっちかなんで。
でもあれ本当においしいのよ。
まあね、ちょっと試してみたいなと思ってはいるんですけど、
やっぱちょっとお惣菜をコンビニで買うと高くつくっていうイメージがありまして。
実際高くつくからね。
そう、なんかね、やっぱこうスーパーの惣菜ってあれなんなんてぐらい安いじゃん。
なんなんだろうね、お惣菜のさ、なんかこう、デパ地下は高いじゃん。
はいはいはい。
03:01
コンビニも高いじゃん。
はいはいはい。
スーパーだけ異常に安いよね。
なんなんだろうね。
でもなんかあれはなんかなんだっけ、あの、その賞味期限レンダリングみたいな。
あーなんかさ、
あ、ロンダリングか。
俺の勝手なイメージね、ロンダリング。
あの、まず肉として売るじゃん。
はいはいはい。
その後にダメそうになったら、味付け肉として売るじゃん。
うんうんうん。
で最終的にそれが焼かれた状態でお惣菜になるっていうさ。
そういう流れあるんじゃないかなって思ってる。
ちょっとね、勝手にそういうなんか説をちょっと構築しちゃうんですけど、
本当なのかどうかわからないからあまりこわだかに伝える気はないんですが、
はいはい。
ちょっとね、いろいろ考えてしまう。
ちなみに僕、大学時代にスーパーの店員やってたことあるんですけど。
はいはい。
ありました。
やめなさいよ。
いやでもね、何も悪いことはしてないんですよね、別にね。
調理したらそこでまたちょっとね、リセットじゃないけれども、
火は通してるわけですよ。
リセマラね。
そう、リセマラ。
お肉リセマラしてたんだ、あれ。
そうそうそう。
いい顧客が出るかどうかのリセマラ。
顧客ガチャのリセマラしてるわけね。
なるほど。
はいはいはい。
まあでもね、スーパーのお惣菜さんには非常に助けられてますんで、
特にあのヘイテンマギアのお惣菜なんでね、もうわけがわからない価格になってるんで。
ありがたいですよね、ほんとね。
あとスーパーといえば最近アルプスに結構ハマってて。
アルプス?
アルプス。
聞いたこともねえな。
え、うそ?
アルプス?
スーパーアルプスっていうの?
うん。
ほんとだ。
初めて見ましたね、ロゴすら。
マジ?
全国展開してるのかと思ったんだけど。
え、これ全国展開してんの?
ちょっと気になりますね。
少ないですよ。
マジか。
少ないですね、はい。
まあでもあれなんですかね、一部地域では非常に強いんじゃないですか。
そうね、今ラインナップ見る限り僕の在住地域がバレそうな気がする。
なんかもう非常にピンポイント感がありますんで、ちょっと気になりますけれども。
ここのね、春巻きがうめえのよ。
お惣菜にね、力を入れてるスーパーさんも結構あるみたいですからね。
アルプスさんもそうなのかな。
そう、あとハマってるのが同じ春巻きシリーズでキッチンオリジンの12品目のなんちらかんちらが入った春巻き。
もうキッチンオリジンって時点でうまいのよ。
06:01
安定の。
そう、キッチンオリジンに関しては評価がガバガバになってますから、私どれ食ってもうまいから。
食ったことなくてもうまいって言っちゃう。
絶対うまいもんね。
最近さ、キッチンオリジンから揚げの種類半端ないのよ。
そうなんだ。
いつものから揚げと、あとから揚げの亜種としてたつた揚げシリーズみたいのがあってさ。
それも海苔塩風味みたいなのとか、わさび風味とか、定番のから揚げの醤油味塩味とか。
いろいろ出しててね。
ありがたいね。
家道に買っちゃうんだよね。
うまいよな、普通に考えて。
200円ぐらいだからいいかつって帰りの家着くまでにモグモグして毎日帰ってるんだけどさ。
まあ奴らは俺のダイエットを妨げる。
俺は痩せてって言ってるのにさ、駅降りたらあるんだもん。
通勤経路変えるしかないね。
駅にやんのよ。
駅にやるんだ。
一駅前で降りるしかないんだよだから。
そっか。
そしたらもうダブルで効果的じゃない。歩かないといけないしみたいな。
確かに。
それで行くしかないんじゃないかな。
そんなわけで、本日はキッチンオリジンのから揚げがごとく非常に多様性に満ちた学校の話をしていこうかと思います。
そんなわけで本日も参りましょう。
はい、ということでね、本日のテーマはこれだ。
これもまた。
ということでね、やらせていただきたいなと思います。
まあこんな感じの作品やったんやなっていうところですね。
まずいなって知らないところからスタートだったんで。
学校シリーズのイメージって夜間学校じゃなくて養護学校の話だったのよ。
養護学校の話って紹介された気がするんだ。見たことないんだけどさ。
と思ってたら学校2でした。
2はまた違うの?
2は同じ西田俊之が養護学校の先生で、別の人で。
別の人なんだ。
そうそうそうそう。
黒ちゃんじゃないの?学校2は。
09:01
黒ちゃんじゃないの。
違うんだ。
違う人。
そんな感じ。
そう、今朝ぐらいから見始めたんですけど。
西田俊之出てんじゃんと思ったら、全然龍ちゃん先生って呼ばれて。
本当だ。青山龍平。
そうそうそうそう。
こっちの方は順君が出てるんですよ。
そうなんすね。違うんだ、それそれ。
順君も出てるし、後郎さんの奥さん、順君のお母さん役の人も出てるし。
だからもう、北の国からのキャストで学校シリーズは埋まってますね。
あと蛍が出てくれば完璧。
いや、でもね、順君は男は辛いよシリーズでもありますんで。
なんだったら第一作普通にね、厚見清志さん友情出演みたいな感じで出てましたし。
覗いてたね、親の親父だっけ。
こんな一瞬で終わるはずないと思ったら、もう覗くシーンまで入ってたからね。
カメオ出演にしてはやっぱちょっともう山田陽司監督が厚見清志のこと好きすぎて。
これでもかって。
俺もう一回ぐらい出てくるのかなと思ったら、出てこなかったね。
さすがにね、さすがにそこまでやっちゃダメだよ。
シーンを壊すほどではなかった。
でもあそこのカットだけ男は辛いようだったね、完全にね。
ダメだよーっつって。
これ雨降るよーっつって。
後ろ姿もさ、腹巻きにさ、シャツにさみたいな感じでちょっと意識してるしさ。
遠くの方にお坊さんがさ、雨降るよーっつって言ってて、こうセンスで悪魔みたいな感じでさ。
あれは御前様の。
御前様感ですね。
あー面白いね。今ねちょっとざっと見たんだけど、学校はね、2は養護学校。
現在では特別支援学校って言いますけど、当時は養護学校ですね。
3が職業訓練校。
4が学校が舞台じゃない。
学校4なの?
15歳学校4っていうので、不登校生徒が家出をしたロードムービーみたいな感じ。
あれは出てこないのか?
もうね、3から西田さんは出てこないですね。
あ、そうなんだ。
3は大竹忍さんでした。
赤い秀勝出てくるぞ。
12:02
しかも長距離トラック運転手。
いやもう、どうして大きくなっちゃったんですかーじゃん。
どうしてそんなに大きくなっちゃったんですかーって。
真面目にやってきたんでしょうね、多分。
真面目にやってきたんでしょう。
結構やっぱりこう昔の作品を見るとは、この人こういう役をやってきたんだなとか、
いろいろ出会いがあって非常に面白いなと思って見させていただきました。
とりあえず1の話に戻ってきますが、
とりあえずはあらすじから紹介していきましょうかね。
はい、よかったです。
じゃあ、2分で。
いきますよー。
よし、よーい、どん。
はい、ということで今回見たのは1993年公開の山田耀司監督作品、学校でございます。
舞台は東京都荒川区の区立の夜間中学校。
昼間は働いたりなんだりしてですね、夜に学ぶ、そんな生徒たちが集まっている学校でございます。
担任の黒井先生ですね、西田徳之さんが演じた黒井先生はですね、
この教室ではそんな多様な背景を持つ子どもたちに対して真剣に向かい合いながらですね、日々指導していると。
在日コリアンなのかなの焼肉店を営んでいる主に、
あとは脳性麻痺を患っているオサム、
アルコール依存症の父親を持っていて家出がちなミドリ、
日中ハーフのチャン、
登校拒否のエリコ、
清掃業をやっているカズなどですね。
それぞれ世代も性別もバラバラな、
様々なですね、いわゆる普通という普通の中学生みたいな外側で生きてきた人たちの物語になっていると。
物語の軸になっているのが井野さんですね。
目の不自由な母と幼い妹を支えるためにですね、
10代から肉体労働を続けてですね、50代過ぎるまで読み書きができないまま生きてきた。
その中で夜間中学で初めて字を学んだり仲間たちと笑い合って学ぶことを始めるんですが、
そんな彼がですね、死を迎えホームルームで黒井先生は幸せとは何かというのを子どもたちというか生徒たちにですね、話しかけていくと。
非常にですね、一人一人の生徒にフォーカスを当てながら生きるとは何か、普通とは何か、幸福とは何か、色々なテーマに迫っていく物語となっております。
ぜひ皆さんもご覧ください。
はい。
15:01
いや、いい映画でしたね。
いい映画でしたね。なんかね、なんかオシャレな構成でした。思ったより。
なんかこうオムニバス形式。
そう、そんな感じ。
群像劇がありつつ。
それこそちょっと下町情緒あふれる感じの、街並みを西田俊幸がテクテク歩いていく様子から、またそんな感じのね、男は辛いよ的な感じかなって勝手に思ったんですけど、全然そんなことはなくてですね。
卒業を迎えるにあたっての作文を各々が書き始めるっていうところから、それぞれがそれぞれの学校生活を振り返って、回想シーンで構成されていくみたいな感じのね、お話だったんですけど。
井野さんがね、実質主人公みたいなところありましたね。
いやー、やっぱりもう主人公ですよ。
田中邦江さんですけども。
田中邦江さんはやっぱり主人公ですから。
そうですね。
やっぱりいいね。ああいうさ、下町の労働者役をさ、させたらさ、田中邦江さんの右に出るものいねえよ。
すげえな、なんか、なんかやっぱりハマるんだよな。
ハマるんだ。
ハマるんだよ。すげえハマるんだよ、しっかりと。ハマりすぎなくらいハマってんだよね。
オラー、ジム学びてんだよ。
オグレキップは第35回アリマ記念だよ。
行け、行け、スパーちゃん。
好きなヤフオクハマっせ。
オグレキップ。
楽しい月です。
いいっすね。
でもなんかね、こう、日銭を石に稼いで、そんな彼にとってのね、たった一つの娯楽が競馬だったのかなみたいな。
なんかそんなことを思わせてくれて。
オグリキャップだけはちゃんと字書けるみたいな。
競馬新聞の文章は読める。
それは読めちゃうっていう。
それが結局学びの本質的なところなのかなって気がするよね。
その目的がそこにあるからこそ、目的や関心があるから結局入っていくっていうのはおそらくあるんだろうねっていう。
そうなんだよね。
僕らもさ、好きだからこう覚えることっていろいろあるじゃん。
好きだから呪文も覚えちゃうしさ。
そうね。
そうね、好きだとなんか覚えちゃうっていう。
なんか興味が湧くとなんか全然覚えちゃうっていうのありますね。
そうそうそうそう。
いまだになんかもう幼少期に覚えたさ、三つ目が通るの呪文とか覚えてるもん。
すごいですね。
18:00
アブドルダムラルオムニスノムニスベルセオ、ベルセオホリワク。
我と共に来たり、我と共に滅ぶし。
えーとじゃあ、天空の城ラピュタ。
あーやべ、飛んだ。
ルシータトゥエルウルラピュタがちょっと邪魔してる。
アリアロスしか出てこないわ。
アリアロス。
ネトリーヌで終わる。
我に光よ。
なんかそういうやつだよね。
リスナーの5億人ぐらいはもう答えてますね。
諦めて調べてる。
リーテラトバリタウルスじゃないですか。
リーテラトバリタウルス、アリアロス、ネトリール。
素晴らしいですね。
よかった。
何を試されてる。
我に助け合う光をよみがえれば。
よかった、検索する前に思い出せて。
やっぱりそう、関心があると入っていくっていうのはね。
それに例えば主になんかもね、自分でこの店は営んでるわけだから。
自分の生活基盤の中で使ってる物事、使ってる知識っていうのはしっかりとあるわけだから。
だからこそ文字どうしても私は書きたいんだっていう思いで、
学校に入ってコツコツやってきたからこそ、
はがきがかけて喜ぶ思いみたいな、そこ結構グッとくるんですよね。
グッとくりますね。
素敵でした。
じゃあちょっとね、もうジャブをガツガツ打っていきましょう。
まずツッコみたいところなんですけど。
いきなり、はい。
いきなりね、ツッコみたいんですけど、
生徒の前で鼻毛を抜くな。
めっちゃ抜いてたね。
めっちゃ抜いてるしさ、鼻毛買ったら買ったじゃないのって。
つまり、買ってもらうくらい日々抜いてるってことだね。
日々抜いてない。
誕生日に何あげるってなったときに、
鼻毛買ったら第1候補に出てくるばかりか、
実際に買ってプレゼントされるくらいには、
必ず鼻毛抜いてるんだろうね。
これなんの、昭和だからねとかそういう問題じゃないの?
昭和だから抜いていいんじゃない?
でも鼻毛は抜いちゃダメだからね、本当ね。
可能してすごい痛くなるからね、バイキン入って。
鼻毛買ったらちゃんと使いましょう。
電動のやつって僕いっつもやってますよ。
僕電動持ってるけど、あんまりなかったけど。
21:05
でも俺手動のも買いましたよ。
やっぱりいいっす、手動は。
ロマンがありますもんね。
シャコンシャコンっていうのを切っちゃって、すごい感情出た。
それクロちゃんね。
肉まで切っちゃってさ。
中途半端で大変だったんだよ、つって。
クロちゃん可愛いキャラクターでしたけれども。
西田斗司夫さんのああいう演技いいよね。
いいね、どこまで台本なのかわかんないからね。
ちょいちょいあの人アドリブ挟んでるから。
わかんないですけど。
でもやっぱね、クロちゃん先生の通勤経路ってやっぱ羨ましいですね。
古き良き日本って感じで。
何よりあの駅前の柵のところに武蔵さんに針金で引っ掛けられてる謎の缶ね。
歩き煙草が基本だから、道端に普通に謎の缶があってそこにみんな捨ててくっていう。
あの感じよ、あれ懐かしいのよ。
すごいよね、クロちゃんも普通に交差点じゃなくて海切りのところでさ。
ぷかって吸い始めるしさ。
あの感じ。
学校でね、パイプ吸ってるからね。
しかもあの絶対葉っぱ詰めてね、パイプをずっと加えたり外したりをしてるからさ。
やに中なんだよな、あの人。
まあそうだね。
緑にも言われてたからね。
タバコ臭い息でさーっつって。
いやーなんかね、日本だなっていうのを感じましたね。
あの頃の日本っていうこの、毎度おなじみ、自分たちが存在してなかろうが思わず懐かしくなってしまうタイプの昔ながらのっていうね、感じはしましたね。
まあでも言って、俺らが小学生ぐらいの頃は職員室で別に吸ってる先生いっぱいいましたからね。
なんだろ、中学生の時も非常階段で吸ってたじゃん。
いや非常階段ならいいじゃん、だって職員室だもん。室内で普通に吸ってたからね。
だってJRのさ、あのホームもさ、僕らが大学生ぐらいまで灰皿あったじゃん。
灰皿あったね、普通にね。
今やなくなってしまったけど。
なんかそこら辺もすごい。
普通に石切りとかも何もなく置いてあったよね。
当たり前に。
当たり前に置いてあった。
すっかり変わりましたね。
変わりましたね。
僕すごい心温まったものがあるんでいいですか。
バレーボールのシーンですね。
猪野さんのバレーボールの審判がじわじわ来るのは置いておいて。
24:05
えりこちゃんですね、その不登校のえりこちゃんがやってきてですね。
学校見学みたいな感じで来たところにたまたまボールが転がってきて、
みんながサーブしてみたいな感じになってね。
えりこちゃんが満を持してやるわけですよ。
それをあれ誰かな、ちゃんかな、誰が受けたかわかんないけどね。
おさむかな。
あのサーブはあれ接待したのかなっていうふうに思ったんですよ、俺は。
それは分かる。
ガチで入ったとして、それも全然いいんだけど、
もうあれなんかあの後のみんなのね、
じゃあもう一回みたいな感じのあの空気が見てると、
やっぱりみんないろんな事情があってあの場に来てるから、
えりこちゃんの事情みたいなものもなんとなく察した上で、
この場所にいていいんだよっていう安心感を与えるために、
あのサーブを受け損なうっていうことをしていたんだとしたら、
あれはなんか実にあったかいシーンだなっていうふうに僕は思いましたね。
それに関してちょっと僕意義があります。
何ですか。
あのサーブお願いねって言われた後、
真ん中狙うんだよとか、なんとかして、みたいな感じのことをさ、
げんげんげんげん言うじゃん。
あれ多分ガチです。
ガチハズレ。
だから多分、
なんかもう真ん中狙えとかこういうふうに写んだみたいなやいのやいのがガイアがめちゃめちゃいるんですよ。
その上でおサーブに行ってからたまたま入ったんだって。
多分あれ外してたら、おーいって。
最悪やないかい。
最悪やないけど、えりこちゃん来ないじゃん。
絶対入学しないじゃん、そんなの。
逆に言うと奇跡だ。
奇跡だね、なるほどね。
奇跡が起きたんですね。
そうそうそうそう。
美しいシーンかもしれない。
かもしれないね。
どっちかわかんないですけど。
あとはもう俺結構ツッコミどころだな、どっちかっていうと。
あったかいはないな。
あ、一個あるけどね。
ツッコミどころで、冒頭シーンなんだけど、
どのシーンって言われても冒頭シーンとしか言えないぐらいの冒頭シーンなんだけど、
職員室で黒ちゃんとかが話してるシーンがあるのよ。
そこにチラッと鶏のくっそ下手くそな絵が見切れるの。
何とも言えない下手な鶏の絵がね。
意地悪。
27:00
全然気づかなかったけどね。
真ん中下あたりに鶏が。
そうなんだ。
雄字のなんかあれで描いたような感じじゃない?
白字に黒だけで鶏を描いてる絵があって、
何とも地悪い絵なのよ。
誰かが描いたんでしょうね。
スタッフさんがセットのために描いたのか、
あるいはもう本当にそのお借りした現場の学校のね、
生徒さんが描いたやつがそのまま貼ってあったのかもわからないですけどね。
でもね、気になることがあってさ、
まだね、オサムが描いたと言われたら、
俺まだ全然納得できる。
あれ中学生が描いたにしては下手くそすぎるのよ。
あまりに下手くそすぎる。
でもどうなんだろうね。
文字をそもそも学んでこなかった人っていうのが、
紙に鉛筆なりペンなりで線を引くということが、
絵も同様に難しいんじゃないの。
確かにね。
そのあたりってちょっと、ある程度リンクはしてそうな気がするよね。
確かに絵が上手な人って字が記号として描けるから綺麗なイメージはあるよね。
一部リンクはしてるはずだから、多分そういうところもあるのかもしれない。
あるいは今まで一度も鳥を見ないで生きてきたから上手く描けなかったのかもしれない。
じゃあ主にじゃないな。
そうだね。
鳥ってね、鳥っていうか、やっぱり人間って知らないものは上手く描けないんだよねっていうのはすごい俺感じてて。
日本人が描いた象の絵とかさ、
見て描いたのに全然別の生き物に見えるじゃん。今の我々が見たら。
象が来たはずってそれを見て描いたはずなのにとかさ。
バケモンが。
ペリーさんとかもそうじゃん。
なんかもうバケモンみたいな人物が出てきたりするんですけど、
ちゃんと本心的なところを理解して見てないとそうなるっていうか、
理解を伴わないと上手く描けないってなんだよね。
だから俺も大学時代かな。
本当に勉強しかやってきてませんみたいなやつが、
なんかの講座で鳥を描くみたいな。
スケッチ、デッサンみたいなんじゃなくて、
とりあえず何かドローンの説明のために、
じゃあ皆さんちょっと一旦簡単にでいいんで紙に鳥の絵を描いてみてくださいみたいな。
勉強をしてみんなでカリカリ描いて。
そしたらそれさ、描けたって見せてきたんだけど、
アヒル描いてたのね。
そこまではいいんだけど、足が4本あったの。
30:04
形的にアヒルなの。
アヒルの足らしいものを描いてるんだけど、足が4本あって。
本当に動物に興味とかないとこういうことが起きるんだなって思って、
ちょっと俺びっくりしちゃって。
いやそうだね。
なんかもう、だからやっぱり理解してない可能性がある、ニワトリを。
でも逆にそういうところからペガサスとかが生まれるのかもね。
かもしれないよね。
理解してなくて見てるからこそ、
なんかこうだんだん人伝に話がデカくなってそうなるみたいなことが起きるのかなという気がしますけど、
僕からのツッコミなんですけど、
えりこちゃんすごい可愛いじゃないですか。
可愛いですね。
可愛いらしい子なんですけど、
心配になるチョロさ。
えりこちゃんはちょっと不登校だった感じで、
非常にまたちょっと不締めがちで、
引っ込み時間の女の子なんですけど、
カズっていうね、清掃会社で働いてるちょっと俺ムードメーカーみたいなやつが、
下校中にダルガラ見せてくるんですよ。
えりこちねーみたいな。
お前んちあっちだろ、送ってやれやバイク。
後ろに乗れやみたいな。
レッドーンみたいな風にやってたんだけど、
その次のカットで急に、
であそこがベイブリッジへみたいな。
レインボーブリッジかな、忘れてた。
もうね、カズの後ろ、バイクの後ろに乗って普通にデートしてるんだよね。
デートしてる。
劇調労働。
悪い人じゃないんだけど。
それ何なのって。
結局付き合って見つけ合ってどっちだろうみたいな。
何言ってんかわかんねーの、あいつみたいな。
面白かったね、えりこちゃんって。
同時にあのデートの時には、ちげーよって言ってハンバーガーをうるさくして、
ペッチャンコにか潰して食わせるって。
あれはね、本当にあれ言っておきたいんですけど、
日本のバーガーは潰す必要がないんですよ。
これもうね、えりこちゃんがめちゃくちゃね、お口が小さい子だったら潰してあげてもいいかもしれないんですけど、
日本のバーガーは潰さなくても食えるからね。
アメリカのバーガーは潰さないと食えないからやって食べるけど、
日本のクマって食べないよ。
チキンカツサンド潰す必要ないんじゃないかなってちょっと思いましたね。
しかもあれさ、そこそこ潰れてたよ。
ペッチャンコだったね。食感が失われるからね。
俺あんまり潰してパン食うの好きじゃないんだよな。
分かる分かる。
何のために、何のためにわざわざコーポ入れて膨らましてんだよっていう。
33:04
何でいいんじゃない?
潰して食うんだったらもう別にね、発酵させなくていいのよって思っちゃう。
そうそう、無発酵パン。
何どころかプレティアとかそういう系でいいのよ。
ペッチャンコね、ピタピタでいい。
ピタでいいね。
っていうのちょっと思いましたね。えりこちゃんの今後が心配でございます。
そうね、あとそのシーンで潰して食うじゃん。
たぶんえりこちゃん家で今後ハンバーガー店に家族で行くことはあまりないと思うけどさ、
万が一行った時のご両親のその時のどんびきする顔が見えたんでさ、
俺かわいそうになっちゃって。
違う、そうやって食べるなよって言って、えりちゃんがハンバーガーをギャーって潰すってさ、
あのなんかこう気弱そうなお母さんがさ、えーみたいな感じでどんびきするっていうのはね、想像したらお母さん不憫ですからね。
そうね、でもあの家はね、やっぱりこうファストフードとか行かなそうなお家だったので、
その日は来ないままなんじゃないかなっていうちょっと思いますけどね、どうなのかわかんないけど。
いやーほんとねえりこちゃんね、ろくなデートしてないような気がするんですけど、
でもまあ楽しそうなんでいいです。
あとあのえりちゃんのシーンでもう一つなんですけど、
慰めた後に曲のチョイスが後向かうっていう。
黒ちゃんね。
黒ちゃん。
黒ちゃんの帰り道。
口笛をおもむろに吹き出したと思ったらさ、いい声で歌うんだ。
いい声なのよ、バリトンね、いい声。
夜、夜、真夜中にね、真夜中に口笛と歌を披露してますけど、
あれはね、時代で言ったら普通にあの窓開けて、うるせーってコップとか投げつけてくるおっさんとかいそうだから。
いや口笛だよね。
ちょっと危険な感じがしましたけどね。
しかもあのシーンで歌い方がさ、ムード歌謡みたいに歌うっていうのがあるよね。
そうね。
黒ちゃんのキャラクターだったら、
アートムードクラーミーぐらいのさ。
そこまでコテコテじゃないでしょ。
余計な合いの音入れそうじゃん。
入れてもおかしくはないような気がしますけど。
あそこはだからもう、あれもアドリブなんじゃない?
アドリブっぽいよね。
なんかいろいろやりそうな気がしますからね。
でもいいシーンでしたよ。
36:00
夜の学校から帰り道、慰めつつ歌を歌って。
やっぱり黒ちゃん先生は強化外指導のプロなんでしょうね。
強化外指導と言っていいレベルかどうかわかんないけど。
強化指導してないからね。
強化指導のシーンがなさすぎてさ、心配になる。
しかも強化指導し始めて夕日がとか言ってブチ切れたのにやる気なくしてたよって。
そうかもね。
でもなんかさ、あのぐらいでいいのかなとか思っちゃうね。
本当はね、文部科学省から学習指導料出てるわけで、それをしっかりとやっていくっていうところは重要なのかもしれないけど、あれは夜間中学だから、ある意味では学びに向かうって楽しいよねっていうふうな思いを育て
る。
そして学んで自分が成長していくって気持ちいいねっていう、そういう経験を積ませるっていうところがクリアできたら、それでもすごい財産になるんだろうし。
ああいうなんかね、気の抜けた指導があってもいいのかもしれないなってちょっと思いましたね。
いやー確かにね。
みんなで応援したくなるもんね、黒ちゃんをね。
黒ちゃん。
そんな黒ちゃんの指導は僕は好きなんですけど、ちょっとね、やっぱり田島先生の指導法がちょっとずるいよねっていうふうにちょっと思ってしまって。
田島先生って誰だっけ?
田島先生はね、竹下恵子ですね。
女の先生です。
算数の。
英語の先生。
英語だった。
はい。
いやー、田島先生も一生懸命なんですよ、すごいね。
独身でお子さんがいらっしゃって、一生懸命子供たちのためにみたいな感じで日々やってるけど、うまくいかなくてちょっとへこたれることもあるみたいな、そんな感じのね。
で、田島先生がちゃん君とのやりとりがあって、ちゃん君は日中のハーフだから、
なんかそんな自分の出自で中国語しか話せなかった自分を日本人がいっぱい差別してきたから僕はもう日本人なんて嫌いだみたいな。
日本なんて大嫌いだみたいなこと言ったら、まあなんかそんなこと言っちゃダメみたいな。
田島先生すごい怒るんですよ。
あなたにも日本人の血が流れてるんだから自分自身を否定することにならないよみたいな。
田島先生いいこと言うなーとか思って。
そしたらその上に対してちゃん君が先生には僕の気持ちなんてわかるわけないんだみたいなこと言って。
そしたらね、もう田島先生はもう泣き始めちゃったね。
泣きながらね、泣くのはいいかもしれないけど泣きながらフェンスにもたれかかって、
39:07
私はあなたに何もできないっていうのっていう風に言ってくるんですよ。
ちゃん君じゃなくてもそれはちゃんとしなきゃなってなるけど。
ちょっとずるいよ。
ずるくないって。
そんなね、なんかその田島先生の美貌ありきなんじゃないのっていう。
できれば論理で訴えてほしいなっていう気持ちになってしまって。
あのシーンはなんかちょっとね、田島先生ずるいなっていうふうに思いましたね。
結果としてそれでちゃん君がまっすぐ頑張ってきたのであれば、それは結果論としてはアリだと思うんですけど。
それね、例えば俺が夜間中学校で教えるってなった時に、田島先生が先輩で、
なんかちゃん君すごい頑張るようになりましたね。どんなご指導されたんですか、ちょっと参考までにって言って。
あのエピソード話されたら、いやそれ俺にはできねえんだけどなって。
泣き落とし?
ちょっとねって思ってしまうシーンではありましたね。
まあそうだね。あと僕最後なんですけど、すごくメインシーンのところでね、僕また余計なところ気になっちゃいまして。
ラストシーンですね。幸福ってなんだっつって言って、いろいろやり取りをした後に、
ミドリーがね、後ろの黒板にさ、近くの棚に持たれかかりながら、とうとうと自分語りをするシーンがあるじゃない。
いいシーンだなと思って見てたのよ。
でもふと黒板を見たらね、猪野さんの病院の住所が書いてあったの。
で、その上に猪野さんのおそらく似顔絵みたいなのがあって、手紙くれよって書いてあったの。
俺もそれが気になってしょうがなかった。
誰が書いたんだよ。
わかんないけど、ミドリーの話全然当たらへんだけど。
自分でも、あたりどこまで持つんだろうって心配だったんだみたいな、言ってる脇の似顔絵が気になって入ってこないと。
気づいたら黒ちゃんでした。
それ終わりだから、ミドリーの話のおしまいだから。
いやー、気づかなかったな先生。
まあでも愛されてるってことだよね、猪野さんがね。
まあそうだね。
キャラクターを愛されてるって感じ。
42:00
いやー、だからやっぱり猪野さんについて僕も二つ言いたくて、
もうちょっとね、そろそろ切り開けたいのでサクッと言いますけど、
やっぱり黒ちゃんどんなに気遣いしたとて、ラブレターの返事代行は絶対ダメだよっていう。
あれはね、あれダメだよね。
何なんか中学生女子みたいなムーブしてんだよっていう。
黒ちゃんが付き合いないって言ってたよって。
そこにね、その事実とは別にプラスアルファで余計なことを言ってくるみたいなのありますからね。
なんなら前から結構悪口とか言ってたしみたいな。
うるせー!
すいませんね、これは架空のあれですから。
そうそう上の中学生女子なんでね。
そうそう。
そういう傾向が本当にあるかどうかっていうのはちょっとほっといて。
よくありそうなっていうところ。
あとはですね、そういう事を考えると、
井野さんもね、井野さんでちょっと怒りすぎかもしれないけど、あれみんなで叱っちゃダメだよ。
井野さんの気持ちも分かるよって。
ちゃんと言ってあげないとねっていうね。
そんななんか、なんてこと言うんだみたいな風に言っちゃダメだよ。
だってすごいひどいことされたんだから今。
まあまあそうだね。
ひどいことされたら怒るのよ人間はっていう。
井野さんにはあそこで怒る権利があるんだからさ。
ちょっとね、一気になってしまったっていうのが一つと、
あともう一個最後いい話をしておきたいんですが、
井野さんが地元に帰るんですよ。
もう本当にもう病気で全然動けなくなっちゃってね。
そうだね。
なんで、あんな真っ黒いクソが出るんかなみたいなね。
言ってましたけど、おそらく大腸に疾患があるんでしょうね。
大腸がんの典型的な症状ですよね。
そうなんですよね。
で、そんなわけで本当寝たきりの状態で車で地元に帰ってくるんですけど、
車窓からですね、その山が見えてきてね。
帰ってきたよっておばさんかなんかが言ってくれるんだけど、
本当に山から霧がもくもく出てですね。
なんかあれを見た瞬間、僕はね、故郷という言葉の意味を初めて理解しましたね。
出身どこって聞かれてもピンとこないんですよ、天津族だと。
別にどこの土地にも懐かしいなとは思いこそすれですね。
思い入れがある土地ってどこかって言われるとちょっと難しいんですよね。
そういった中で、故郷に帰るってみんな故郷を思えばみたいなこと言うじゃん。
昔から文学の中でも遠く離れた地で故郷を思って涙するみたいな。
45:01
故郷を思って涙するって何やみたいな。
死んだ母ちゃんとかを思って涙するはわかるんですけど、故郷を思って涙するの意味が俺わかってなかったんだけど、
あの瞬間ね、リノさんを通して俺はあの山を見て、
生まれ育った土地に帰るっていうのはこんなにも胸締め付けられる思いなんだなって。
そしてこの感覚を通して見る土地のことを故郷と呼ぶんだなっていうのを僕は今回初めて知ったんですね。
別にただ生まれ育った場所っていう意味じゃなくて、
多分そこにいろいろ乗っかってくるいろんな思いっていうのがある意味では帰りたいけど、
決して何もなく帰れないみたいなさ、
そういう何かしらのこじれた思いみたいなものも乗っかって初めての故郷、故郷っていうことなのかなっていうふうに思いました。
確かにね。
故郷ありますか?
故郷ね。
でもそう言われてみるとさ、福岡の土地もさ、思い出こそあれ多分リノさんの気持ちにはならんなと。
そうそうそう。
今横浜越してきた時の土地に関しても思い入れはあるよ。近くで車通ったりすると、うわここで何があったんだなとかって思い出は全然いっぱい出るんだけど、帰りたいとは一切思わないんだよね。
故郷の土地も。
違うんだよね。だからね多分ね、感覚が何かなと思ってすごくしみじみとしてしまいましたんで、とてもいいシーンでした。
いいシーンでしたね。
ということで僕からのチャプも終わりましたんで、ここから本題にいきたいと思いますけれども、今回は大間からいこうか。
僕からか。
もうこれやめる?毎回俺からでいい?
それもそれで嫌だ。
それはそれでね、マコちゃんが眠そうにしてる中で喋るのはすごく悲しい気持ちになるから。
じゃあ今日はサクッと喋れるとか言ってたから大間先にどうぞ。
いいですか?多分本当に20分もかかんないです。
別にいらないんだって。決めなきゃいけないとかないから。
説を作る、タイトルつけるの忘れちゃうんだよね。
まあまあいいや。今回なんですけれども、今回の映画を見てね、やっぱりあの教室の空気感ってすごくいいなと思うよね。
黒井先生がいて、年齢も国籍もバラバラな人たちがいて、なんだかんだギャスクギャスカ言いながら、同じ机に向かってなんとなく授業を受けてるみたいな。
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今回ちょっと自分が考えていったのは、これを今の時代に置いたら何が見えるかっていうところを勝手に思いを巡らせていったわけさ。
夜間中学ってちょっと調べてみたら昔話で今ほとんどないんだろうなって勝手に思ってたの。
でもなんか今むしろ増えてるらしいんだよね。
そうなのよね。
すごい意外だったんだよね。すごいびっくりしちゃった。
だからね、定時制とか定時制高校とかもそうだけれども、もともとは勤労学生、働かないといけないけど学びたいみたいな。
ある意味では数とか、あるいは井野さんもそうだし、あるいは大森もそうかもしれないけれども、そういう学びたくても学ぶ機会がなく、金銭的な理由で学ぶ機会が得られない。
しかもそれで学校どうにかして通おうとしてもやっぱり日中は働かないといけないっていう人たちに向けたある種支援だったんだよね。
でもそれが結局今回の作品で言えばエリコみたいな、不登校になってしまって、大人数で日中に全日制のところに通うっていうところが難しくなってしまった子に対しても、
そういうちょっと違う時間帯で、より少ないコミュニティで、なおかつ背景もバラバラな人たちのところの方が安心していけるみたいなところで、そういった不登校支援の一環みたいなところの役割っていうものが生まれ始
めて、
今不登校の人数ってもう爆発的に増えてってるから、それに比例する形でだからその夜間中学とか定時制高校っていうところが今そういう不登校支援の役割として生き始めてるっていう感じだと思うんですね。
あとは何かこう見てみると、やっぱりあのちゃんみたいな立場の人っていうところの役割っていうのもだいぶなんか増えてきてるらしいなっていうところが、やっぱり日本に移り住んでいくっていう人たちが一定数やっぱ
りいて、そういうところの人たちのこの受け口になっているっていうところで、
今のその時代にこの学校のスタイルというか、学校のスタイルというよりかは多分黒井先生みたいな関わり方っていうところが、今の時代はすごく再現しにくいんだろうなっていうところがあって、
で、なんかこうああいう関係が生まれる場所だったりとか、一人の先生の熱意に頼らずに続けていくっていうことを今の時代多分しなきゃいけないんだろうなと。
51:06
で、その外側だったり、制度みたいな行政っていうのは何を見てどう評価するのかっていうところをちょっと考えたいなっていうところが、今回の僕の話のちょっとスタートだったんで。
夜間中学、さっき桃子ちゃんも言ってくれたんだけども、いろいろ学校に行けなかった人たちのために始まって、2016年ぐらいに教育機械確保法っていう法律ができて、
で、なんかいろいろその夜間中学作りましょうっていう方針が出て、今はなんか全校でもう50校以上あるらしいの。
なんか調べて、いろいろ数がバラバラすぎて、60校って書いてあるところと50校以上って書いてあるところがあって、ちょっとせっかくの数よくわかんないけど。
で、なんかどういう人が通ってるかっていうと、中学出てない人だったりとか、不登校だったりとか、あるいはさっき言ったようなちゃんみたいな形の外国籍の方っていうところが出てて、
今も昔もそんなにこう、なんだろう、その夜間中学っていう場所をニーズとしている人々ってそんなに変わらないんだなっていうところがまずあって、
で、あとはその今、公立のそういうところとまた別に自主夜間中学っていうのがあって、ボランティアの人たちがそういう風に運営しているっていうところもあるから、
それらを含めると結構なんか全国に100以上、そういう施設っていうところがあるらしいっていうのがちょっとわかったと。
で、なんか冒頭のシーンからなんだけども、最初黒ちゃんがね、古田亜紀になりたいんだっつって言って、移動を断るわけじゃん。
そうだね。
断れるんだって言った時にまたびっくりしたんだけど。
断れるんだっていう。本当に断れたのかどうかはまだわかんないけどね。校長は結局はいとは言ってないからね。
そうね。強制的にってなったらダメくらいでもできちゃうんだろうけど。
いいシーンなんだけど、今の目で見るとこの映画って最初からあの教室が続くかどうかっていうのは移動を断る黒ちゃんという一人の先生の創建に
全てのしかかっているっていう構造を描いている話なんだよね。
で、公立の先生である以上、普通は何年かおきとか、細かくは知らないけど、絶対移動があるらしいんよ。2年とか3年とかで。
黒い先生がいなくなったら、あの教室の空気感は残るのかって言ったら、多分だけどわかんないよねっていうところなんで。
さっき言ったようなボランティアのところも同じような構造で、ボランティアの全員に回ってるからその人たちが続けられませんってなったら終わっちゃうよねっていうような、
そういう脆弱性もあると。公立とその実習中学みたいなところの形は違うけど、どっちも場がちゃんと続くかどうかっていうのが、
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中に運営する人たちの頑張りに左右させられているっていうような構造の点では、今も昔もそんな変わってないんだろうなと。
中の人がどう頑張るかっていうよりかは、外側の人間がどういうふうにこの施設っていうところとか場所を支えてどう評価するかっていうのが、
今の現代においてものすごく大事になってくるんだろうなと。黒い先生の人みたいな人をもっと量産しようじゃなくて、
黒い先生じゃなくても運営できるよねっていう場にしていかなきゃいけないなというところなんだけど。
夜間中学もすごい誰でも入ってオッケーみたいなことを黒ちゃんもいろいろ言ってたんだけど、
調べれば調べるほど、いろいろ入学要件みたいなのがちょっとあるらしいよね。
外国籍で日本語がわからないとか、小学校中学校に何らかの理由で行けなかったとかっていうところの要件があるらしくて、
そこで考えなきゃいけないのがスティグマの問題なんだと思うんだよね。
夜間中学が映画の中では不登校とか外国人っていうようなラベリングじゃなくて、
エリコとかちゃんとか主にみたいな形で、その人自身としてそこにいられたんだけども、
入り口に関してはラベルで不登校の子だから入学できますとか、外国人だから入学できますっていうふうに区切られていても、
中ではラベル語されるっていうことがなくなっていくと。
それとあと、エリコだっけ?エリコじゃないな。
ミドリか。
ミドリ。
ミドリって最初、夜間中学のことを友達の家にシンナー吸ってぶっ倒れそうになっているときに、
友達の家の雑誌で知ったみたいなことを最後のあたりで言ってたんだけどさ、
逆に言うと知らなかったら来れなかったみたいな。
必要としている人にとってそもそもあまり見えにくい場所だったっていうところもあるんだろうなと。
今の時代のスティグマって偏見を向けられていることだけじゃなくて、
支援を受けるには自分はこういう困り方を抱えた人ですっていうふうに名乗らなきゃいけないなっていうシステム自体があるなと。
だからこそこの入り口の重さっていうのがあるんじゃないかなと。
自分はそういう存在なんだっていう、ある意味自分に対してラベリングだったりスティグマを張るっていうところで入学していて、
中では安全だよっていう風なそういうところを外側の人たちがどう支えていくかっていうのがものすごく大事なんだろうなと。
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その外側を評価するって言ったけどこれがすごく難しいなと思って、
事実その子ども家庭調でその居場所づくりの子どもに対する指針を作っているんだけども、
その検討の中でも居場所づくりを検証する必要性は高いんだけれども、
効果的な指標はまだ決まってないっていうのが今後の課題だっていうふうに書いてあるんね。
だからその居場所どう測るかとか、どういうふうに設置すべきだみたいなところって誰もまだ答えを持っていない状況になっていると。
しかもこの居場所ってここは私の居場所ですって感じるかどうかって自分次第になってくると。
だから外側からここは大丈夫なんだよとか居場所として機能してますよっていうことってなかなか判断しにくいし判定できない。
でも例えばその夜間中学ってはっきり言って、金の面だけ見れば生産性はかなり低い場所だと思うよね。
でも予算をつけるにはその効果を示さなきゃいけないわけじゃん。
でもそうするとここがあるおかげで、例えば国全体の収益の何パーセントが上がりますとか、
あるいは福祉の費用がこれだけ減りますみたいなことってなかなか言えないんだろうなと。
でもこれって居場所の問題と評価の問題ですごく矛盾しちゃって、
その役に立つかどうかの物差しから離れなきゃいけない場所にこの夜間中学っていうのは今も昔も設置されているわけなんだけども、
結局役に立つかどうかを証明しないとそこを存続できないっていうすごく大きな矛盾をはらんでいると。
さらにこの測り始めた瞬間にその場所が成果を出す場所に変わっちゃうっていう危険もあって、
そうなると英語みたいな子だったりとか数みたいな子っていうのが余計生きにくくなると。
例えば井野さんが字を書いたっていうものを何の成果としてあるんだみたいなことをカウントし始めたら、
それはもうあの学校のあの空気感じゃなくなっていくと思うんだよね。
それこそもう新学校の塾みたいな、そういう機能に変わっていくと。
役に立たないことの価値っていうのを役に立つかどうかで証明しないと続けられないっていうこの矛盾っていうのが、
この制度を作る側の人たちがどれほどちょっと認識しているかなっていうのがすごく大きな分かれ目になるんじゃないかなと。
評価システムが矛盾していることがあるからこそ、その評価システムをどうするかっていうのがこの現代における、
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この次亜間中学というものの構造と課題とは何か言わないんだけども、
制度が決められるっていうのはその校服そのものっていうところではなくて、
それを問える場所があるかどうかっていうところは少なくともできるんじゃないかなと。
で、その最後のホームルームで井野さんが亡くなったんで仕事に入って、
で、黒ちゃんが授業をちょっと変わってくんねえかっつっていって、変えていって。
で、数がどの項のとか、校服とは何だろうっていう話が始まっていくんだけども、
あそこが大事だったのはその答えそのものっていうよりかは、
あの教室にはそれを本気で問える時間と相手がいるっていうことだと思うよね。
今日の話のこの全体的なところで言うと、校服か何かっていうのは制度自体が決めるものじゃないし、
それを決めちゃいけないっていうのは多分国のシーンとしてずっとあるもんだと思うよ。
だけども制度にできるのは、その校服とは何かと問える場所と時間っていうものを社会を残しておくこと。
で、じゃあこの50校以上にいっぱい夜間中学が増えた今、それを何で測って、
じゃあどうやって一人の先生の頑張りに頼らず守るのかっていうのが、
今の現代の問いっていうふうに打ち出せるような、そんな映画になってたんじゃないかなと思っているっていうのが今回の話の大筋で、
じゃあこれに対してオウマは何かしらの考えを持っているのかって言ったら、難しいねとしか言えないんだけど。
でもなんか聞いてて思うのは、教育っていう分野は効率化していくこと、利益追求していくこととは非常に対極にあるというか、
そういう分野なんだろうなっていうのがすごく感じられて、
もちろん既に教育的ニーズっていうものがどんどん多様化していく中で、今の体制では多分答えきれない状況にあるから、
それを何とか業務整理をして、ちゃんと回るようにしていくことが大事だよっていう、その理念は分かるんだけれども、
やっぱり黒ちゃんがやってることって、今の教育の常識で言ったらもう全部アウトになるわけじゃないですか。
緑にその真夜中に会ったとして、追いかけてって、何も食ってないならラーメン食えって言って、
緑の野菜を食べなきゃとか言って、緑とかけてるのかどうなのかちょっと最後までわからなかったんですけど、
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そんな風にラーメン作ってやってさっていう、でも確かに緑が必要としていたのは、そういう当たり前の温かさを向けてくれる人なわけじゃないですか。
それで緑はある意味では頑張ってみようと、これだけ自分のためにね、自分のことを思ってね、色々サポートしてくれる人に対して自分も答えたいと、
思ったがゆえに彼女はその夜間中学での日々っていうものを受け入れてやっていくことになったであろうし、それは本当に美談としても描かれているし、それはおそらく事実なんだろうけど、
でも現代の教育においてはおそらくアーはならなくて、夜間にラーメン食ってましたと、そしたらそこに緑がやってきてラーメンスープ奪ってすすり始めたと。
そしたらもう多分警察と連携して終わりなんですよね。
まあそうだね。
そうそうそう。っていう世界線になっちゃってるじゃないですか。なんで子供でも法の下では平等に裁けみたいな感じになって、
そんな感じで多分彼女の再スタートのきっかけっていうものはおそらく与えられないだろうし、多分黒ちゃん先生がやってることも複数人でちゃんと連携しないといけませんよねっていう世界になってくると、
突発的な彼女の気候に対してそれをしっかり捕まえて、それじゃダメだよっていう風に言ってあげるような指導っていうのは今後はもうできなくなっていくっていう風に考えると、
とにかくやっぱり難しさですよね。それじゃ回らないからっていうので、おそらくは切り捨てられていってしまうニーズもあるんじゃないのかっていうところにすごい難しさを感じてしまった。
だからそれはたぶんこの1980何年、この作品、93年か、公開当時のおそらく教育の中ではむしろ全然それは再現可能な世界だったんだろうけれども、それが今になっていろいろと状況も変わってきたときに、こう
いう指導がもうできない時代になってるんだなっていう。
で、それによって失われるものにもやっぱり焦点を当てないといけないんじゃないのかなっていうことをちょっと思いましたね、僕も見ていて。
そうね、特にそのバウンダリーの問題ってさ、今すごくセンシティブじゃん。その境界線をどこに行くかって、たぶん黒ちゃんみたいに生徒一人一人に親身にとか、例えば家に生徒を招いて話をしたり食事を振る舞ったり
とか、時間と場を共有するので、
二言目には不適切な行動はなかったんですかみたいなことに、実際に事件になってる例っていうのがいっぱいあるからこそそういうことが問われるっていうのはもちろんわかるんだけれども、でもそう過程でも、制度の中
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でも、
どうしてもそこに入り込めなかった人たちっていうところがどこに救いだったりとか安全基地っていうものを求めるかってその人にしか決められないからさ、それがたまたま黒ちゃんの家だったとしたら、
じゃあそれを弾いたら、じゃあ一体その子の安全基地を誰が保証するのっていうところがものすごく難しいなと思うんで、たぶんカズにしてもさ、あのミドリにしてもエリコにしても、たぶん今のコンプラ問題でやったら
あの子たち一切通えないでそのまま終わったよなと思うと、すごく難しいなと思う。
やっぱこう感じるところがいろいろある作品になりましたね。それはたぶん今の時代に生きている我々が今の目で見るからこそ感じられるものだと思うので、やっぱそういう見方も面白いですよねっていうね。
昔の作品を見るときに昔の目に戻ってみるっていうのも大事だよねみたいな話を前にしたと思うんですけど、でも現代のその眼鏡をかけて見ていくっていうところで、現代の課題に気づくというか、そういう面白みもある
んだろうなっていうのをちょっと感じさせてもらえたのでよかったなと思いました。
じゃあちょっと僕からも行きますね。
お願いします。
僕もちょっと今日はもうサクサクっていきますんで、もうすでに1時間超えてますから。
え、もう超えてるの?
今日ね、なんかね語り口がのんびりなんですよ、2人とも。
たぶんちょっと日田という集計が下りてきちゃってるね。
可能性ありますね。
そのうち早いよ。
やめてください。真面目に聞いてください。
ということで今回はですね、僕はもう本当にこの作品の一番最後のホームルームで問われたね、幸福って何なのかっていうところを正面から考えてみましたよということなんですけど。
でもなんていうのかな、幸福の定義っていうものを考えていくことっていうのが、どちらかというとこの作品において普通の定義って何なんだろうっていうところにもつながってるんじゃないのかなっていう気がするので、
そこから考えてみましたよって話なんですよ。
っていうのもこの映画に登場する生徒たちっていうのは、いずれも世間でいうところの普通の人生っていう基準からこぼれ落ちてしまった、いろいろな理由があって、それで夜間中学に至ったっていう子どもたちなわけです
よね。
僕らが普通の人生って言った時に思い浮かべる普通って一体何やねんっていう話で、ここで出てくるのがもう本当にオウマが大好きな風光なんですよ。
ミシェル風光。
ミシェル風光、監獄の誕生なんですけれども、この中でノーマライゼーションっていう言葉が出てくるんだけれども、これ今現在ノーマライゼーションって言ったら、いわゆる社会福祉の中で使われるノーマライゼーショ
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ン、
インクルーシブ社会の実現に向けた、言うならば生涯の有無に関わらずみんながそれを普通の音として受け入れていくみたいな、そんな前向きな意味合いの言葉なんですけれども、
風光が言ってるノーマライゼーションっていうのは、これは規範化っていう言葉で、要は社会が普通っていう基準を作り上げて、そしてそこから外れた人間を問題として分類管理していく、
そんな仕組みのことをノーマライゼーションって言ってる場合、要するに非常に批判的な意味合いの言葉で使ってるんですよね。
でもこれって実際その学校っていうシステムもまさにそれで、一定の年齢までに学校を卒業する年齢主義の日本の学校システム、そして読み書きができるのが教養であるっていう現代社会の基準、
そして定職についていなければ一人前ではないっていう風な風潮、これらって結局いずれも別に法律で定められているルールではないんだけれども、
多くの人が当然できてるよね、それはできてなきゃいけないことだよねって感じていることなんだよね。
そのフーゴが言ってるそのノーマライゼーションっていうのは、いわゆるこの当然であるっていう風なその認識っていうものがあるし、権力的な権威的な働きをしているんじゃないのっていう。
社会っていうものが僕らに向けてくるそのパワーというか、その行動を制限させるような動きの一つとしてその普通っていうものがある。
でもじゃあその普通っていうのから漏れてしまった人たちって言ってどうなんのって話で。
で、例えばそのオモニのことを考えてみると、オモニがね、その50代まで字を知らなかった。
オモニがね、その50代まで字を知らなかったのは、決して彼女が平らだったからじゃなくて、在日コリアンとして生きた歴史的な文脈っていうのがそこには確かにあって。
猪瀬さんが読み書きできなかったのも、やっぱりこの学校社会に溶け込めなかったとかじゃなくて、やっぱり家庭の事情っていうのがものすごく大きくあったわけじゃないですか。
っていうふうに考えると、こういうさ、なんていうのかな、要するに個人的な問題で彼らはその普通から外れたのではなくて、社会的な問題でそれらが起きている。
そこをやっぱり忘れちゃいけないよねっていうことだと思うんですよね。
結局僕らは普通から外れた人っていうのを、その人の努力不足だみたいなふうに捉えがちなんですけれども、そういうバイアスがありますから、どうしてもそういうふうに考えてしまうんだけれども、
実際はその社会的な問題、構造的な問題っていうものがあって、その人たちっていうのはそういう状況にあるわけだから、個人の困難っていうものをあいに切り捨てるべきではないよねっていう。
それがやっぱりその夜間中学校っていうその場が存在する基本的な意味なんだろうなっていうふうに思うわけですよ。
1:12:08
それでこの作品見ていって、素敵だなっていうふうにいろいろ思って見ていったら、最後の最後に井野さんは死んじゃうわけじゃないですか。
そこでカズとオモニが対立するわけですよ。
それも何かっていうと、カズさんが井野さんが幸せなわけないよって言うんですよね。
こんな50代にもなってひらがな学んでさ、そんで死んじまってよ、幸せなわけあるかいみたいなこと言ったら、オモニはこの男はね、自分は幸せだと思いながら言ったんだよって言って。
カズにお叱りつけるわけですよね。
これ2人が何で別々な意見をぶつけ合うのかっていうのをやっぱり僕らも考えた方が良くて。
いずれもこれ大前提にあるのは、カズもオモニも井野さんのことが大好きだということなんですよ。
2人とも井野さんの人生にリスペクトを払ってるわけなんですよね。
でもそれでも出てくる言葉が違うのは、何を通して彼の人生を見ているかってところだと思うんです。
まずカズなんだけど、カズは何を通して見ているかって言ったら、幸福っていうものを一つの物差しとして見てるんじゃないのかなっていう気がするんですよね。
僕が大好きなベンサムなんですけど、公理主義のベンサム。
ベンサムといえば最大多数の幸福っていう公理主義の基本的な構造を唱えた人なんですけれども、
要するに社会っていうものを成立させるためには、より多くの人が幸福になれる手段を選択していくっていうのが正しいんだっていうことなんですよね。
実際それは民主主義の原則として生きてたりするんですけれども。
ただこの論っていうのは、社会っていう大きな共同体を動かす上では非常に有効だと思うんだけれども、
必ずしも個人レベルに落とし込んでいくと、そうでもないんじゃないのっていう。
つまり何が言いたいかっていうと、幸福ってそもそも量として捉えられるのっていう。
たぶんそこなんだと思うんだよね。
そういう視点で見たら猪野さんの人生っていうのは物質的な豊かさもないし、時間的な猶予もないし、
要するにそこに幸福の量みたいなものは一切観測できないと思うんですよ。
そういう視点で言えば、ある種猪野さんの人生っていうのは間違いなく不幸だったと言えることになるかなと思うんですよね。
ただ、猪野さんの人生って幸福である量っていうのが少なかったからと言って、
じゃあ本当に幸福じゃなかったのかっていうふうに考えると、そうでもないんじゃないのっていう。
それは何かっていうと、彼は本当に晩年になるけれども夜間中学で字が書けるようになる喜び。
1:15:05
文字を通して人に思いを伝える喜び、それが字を書く意味なんだと気づくという喜び。
そして仲間と笑ったり、共に切磋琢磨する喜び。
いろんな喜びをあそこで得たんだよね。
で、それって彼の長い人生の中ではほんの一瞬の量として捉えたら非常に少ない一瞬ではあったのかもしれないんだけれども、
じゃあそのわずかな量がわずかだったからと言って彼は幸せではなかったのかって言ったらそんなわけではなくて、
おそらく彼は幸せなまま人生を終えたはずだとは思うんですよ。
それがやっぱり人の心っていうものを量で測ることって難しいよねっていうところで、
その数が彼の人生が幸せなはずはないって言ってるのはおそらくはもっともっと彼、
猪野さんにはいろんな素敵な思いをしてほしかったんだっていう思いの裏返しだと思うんだけれども、
でもやっぱり人の幸福っていうものは必ずしもその経験の量とかだけでは測れないんじゃないのっていうところがあるのかなっていうふうに思ったりしたんですね。
一方で主にも主にで、あの男は俺は幸せだと思いながら行ったんだっていうふうに言ってて、
それはそれで一ついい考えだと思うんですよ。
これその考え方ってそのどこから来てるのかなって調べたんですけど、
あのあれなんですよ、愛田光雄じゃないですね。
光雄のね、人間だものとかの中にさ、幸せはいつも自分の心が決めるっていうのあるんですけど、
あるんですけど別に光雄が初出じゃなくて、
フランスの哲学者のアルベール・カミュですね。
カミュなんだ。
シーシュポスの神話っていう著書の中で、シーシュポスっていうギリシャ神話の人物は神々の中の罰としてね、
大きな岩を山の頂上まで運び続けるっていう永遠の平等を課されてるんですよ。
頂上に着いたら岩は転がり落ちてまた運ぶっていうのを繰り返すっていう、要するに祭の瓦をやってるんですよ。
完全にね、石積んだら鬼が崩すみたいな同じようなことやってて、
でまぁ完全な不条理な労働を強いられてるんだけれども、
シーシュポスは神はそんなシーシュポスに対して、しかしそこで幸福だと想像しなければならないんだと。
どんな不条理な仕事でも。
でもそれが、要するにこの不条理の中でも、自分の行為に意味を見出してそれを選び取るとき、
それは本物の幸福だと言えるんじゃないのかっていうのを神は言ってるわけですよ。
まあつまりは幸せは自分の心が決めるということなわけですよね。
で、これっておそらくはその主にもこの世界線で物事を見ているから、
イノさんは幸福だったってはっきり言えるというわけだと思うんですよ。
ただ、それも慎重に考えなきゃいけないんじゃないのかなって俺は思うのね。
1:18:04
だってそれ言い出したら、その人生でおそらく最も不幸なね、
劣悪な環境で何も喜びのないまま人生を終えた人が、それでも自分の心の中では幸せだと思ってたら、
彼の人生はとても良かったなって本当に僕らは言えるのかっていうところに対して、やっぱりどうしても抵抗を感じてしまうわけだよね。
それは何でなのかなっていうふうに考えると、自分の心が確かに幸せは決めてくれるかもしれないんだけれども、
でもそれでもさ、人生において起きる出来事すべてを自分がコントロールできるわけではないわけで、
なんて言えばいいんだろうなこれ、それでも自分の心は自分が決めればいいっていうのは分からないでもないけど、
分からないでもないんだけれども、でもそれを押し量るのは外側が勝手に押し量って決めていいことじゃないっていう。
これは何かっていうと、例えば僕らは夜間中学のリアルを知らないわけじゃない。
映画の中で今初めてこれを見ました。そこに描かれてるのは虚構かもしれない。
本当の彼らの苦しみは知らないかもしれない。でもそんな僕らが何も知らない状況の中で彼らは不幸だって決めつけるのも失礼な話だけれども、
何も知らないのに彼らは彼らがきっと自分で幸せだと思ってるんだって断するのも非常によろしくないんじゃないのと思ったりするわけ。
あの言葉は主にが言うから説得力があるのであって、
あの言葉は外側から見ている僕らは決して言えない言葉なんだろうなとも思ったということで、
結局のところ何が言いたいのかっていうと、僕らはなんとなく自分たちは普通の人生を送ってるなと思いながら普通サイドで作品を見たりするんですけれども、
普通っていうのは結局その多数派が自分たちの経験を基準にして無意識に作り上げている勝手な評価基準であって、
夜間中学の生徒たちが普通ではないよねっていうふうに言われたりするのは別に彼らに個人的な問題があるんじゃなくて、
普通っていうものを定義してきた社会に多数いる、多数派の経験の中に彼らが経験した人生っていうものが含まれていなかっただけであって、
だからこそ彼らが勝ち取っていく幸せっていうものを外側にいる僕らが勝手になんか外からやいのやいの言って不幸だねって言ったり、
幸せに感じてるならそれでいいよねっていうのもなんか違うなと。
じゃあ僕らができることって何かって言ったらやっぱりこの映画がこの社会に対して嘘を機能したように、
スポットライトが当てられていないところにおいて起きている出来事っていうことをまずは知るっていうところだよねっていう。
この虚構を通して知った事実からプラスアルファでやっぱりこの今も日本のいろんなところで夜間中学に通っている子どもたちがいて、
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その中にはいろんな年齢層がいてね、彼らは人生の中で得ることができなかったその学習体験、そして学習を通した成功体験みたいなものをそこで積み重ねているんだという現実に、
まずは興味関心を持って知っていくことってめちゃくちゃ大事だなというふうに感じたというお話でございます。
なるほどね。難しいのがさ、幸福とか普通ってさ、絶対評価と相対評価が同時に成立しちゃうからこそ難しいんだろうなってすごく思って、
自分が幸福だと感じるっていうのはもしかしたらその自分だけの指標で確かに幸福だって感じる時っていうのはもちろんあるんだけども、
あいつよりも今の自分の方がいい感じになってるだろうから今幸福だもはもちろんあるじゃん。
そうね、他者と比較して得る充足感みたいなね。
そうそうそうそう、ちょっとなんか下劣な話みたいに聞こえるけど、でもそれって絶対あり得る話だと思うよ。
ちっちゃい話だとあいつよりもなんか小遣い1000円高いから俺の方が幸せだとかさ、
嫁さんの写真見せられたらうちの嫁の方が美人だなってちょっと幸せに感じるとかさ。
むやしい人生だなあ。
でも人生あるじゃんそういうのは。
そこはあると思うし、それで言ったらたぶん夜間中学に通ってきたね、この作品の中に出てきた人たちっていうのは、
みんな勝手に当て馬にされて勝手にかわいそうって思われ続けてきた、そういう扱いを受けてきた人たちだから、
余計にそういう無意識の悪意というか、周囲から向けられる、そういうものにはすごく敏感なんだろうねっていう。
だからそれを感じないで済むね、そのセーフティーゾーンとしてね、
あの場があるっていうのがすごく温かい気持ちになる、その厳選なのかもしれないね。
そうだね、結局はそれこそ聖書だったりとかさ、仏教のストーリーにあるようにさ、
いわゆるヨブだったりとかスダッダとかさ、その人たちの話とまたかぶってくるじゃない、
ヨブはもう神からあらゆる責め苦をこらえてされたけれども、
なんであいつが神を最後まで信じてるってことは一切理解できないんだけど、
不器用天国に行ったから幸せっていうさ、
これもそうだし、スダッダは超億万長者だったけども、
このブッダの話を聞いて、金貨敷き詰めたところがブッダの土地やるよって言って
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全財産売り払って、基本象徴を立てたっていうような有名なストーリーがあるけども、
あれも相対評価の幸福から絶対評価の幸福っていうところに価値を見出したっていう話だろうし、
ヨブの話も結局そうだと思うんだよね。
相対評価的にはもうあいつ絶対不幸じゃんって思えるんだけども、
でもヨブの中では幸せ、天国に行けたからっていう、
だから神への絶対的な信仰こそがあっていう、そこに幸せがあるという、
そういう世界だと思いますけど、確かにね、そういうことだね。
そういうことなんだよね。
絶対評価、幸せ指標、欲しいですね。
欲しいね。
無敵にはなれるかもしれないけど、
自分に関するいろんな出来事に鈍感になりそうですね。
渇望がなくなりそうな気がする。
こうありたいっていうね、だから結局はバランスになっちゃうのかなっていうところはありますけどね。
それはそうだよね。
はい、というそんな映画でございました。
いやー楽しかったです。でも本当にしみじみ見れる作品で、
僕が最後に本当に思ったのは、これ卒業式やらねえんだっていうね。
いや、そうね。
そこがね、良かったんですよ、僕すごく。
やらないんだなってそういう要因なんですよね、本当にね。
そこはただの区切り、形式的な区切りに過ぎないっていう、
そういうなんか良さがあったんですよ。
学校ものといえば終わりは卒業式やって、
でなんかもうキャストが本気で泣きましたみたいな、
クソどうでもいいような話出てると一緒に、
視聴率稼ぎのためにバラエティ番組とかの10分テーマトークみたいなところに出て
晩戦して終わるっていうさ、クソ伝統があるんだよ。
あれ本当に泣いちゃったんですよって言って。
そんなわけあるかいって。
仕事しろよって話しちゃうよ。
本当に泣いちゃったんですよじゃないんだよ。
お前役者なら仕事しろよって思っちゃうんですけど。
実際はあの授業のあの一コマこそが彼らにとっての卒業式なんだよね。
そうね、一つをね、自分たちのここでの学びって一体何だったのかっていうのを
本当にしみじみと考えた、その時間っていうものが
彼らが人から向けて社会に向けて旅立つためのですね、
その気持ちの準備みたいなものも多分したんでしょうね。
それはまあ一つ猪野さんの志を乗り越えるためのイニシエーションとして
うまく動いているだろうし、だからすごくね、
良かったんですよそのね、終わり方の気持ちよさというか、
しんしんと降りしきる雪の中で去っていく黒ちゃんに
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2を見ても二度と会えないんだということがわかってですね、
僕は今悲しい気持ちなんですけどね。
ぜひ皆さまね、ちょっとご覧になってください。
とても良いキャラクターだったんで。
じゃあそんなところでね、今日も何か叩き切った気がするんですけど、
言い残したことでも何かしらあればお聞きしますが、いかがですか。
散々ね、二人していろんな深いことを考察した中で、
最後に言うのもすごい申し訳ないんだけど、
主にも数も思い違いをしてるんですよ。
そうですか。
僕は猪野さんの幸福を知ってます。
何?
万馬券です。
語りたいものがあれば、好きでたまらないものがある。
それならもう話すしかない。
気になったもの、ハマったもの、人生をちょっと楽しくしてくれるものたちを持ち寄って、
本気で語り倒す30分。
笑えてちょっとタメになって、たまに明日何か書いたくなる。
毎週日曜更新、俺たちの物語。
誠大間でお送りいたします。
オサム正解。
オサムが正解になっちゃうじゃん。
でもオサムも半分正解で半分ハズレなのよ。
猪野さんは競馬というものを楽しんでるから、
競馬で当てたことに対する金にも嬉しいし、
自分が予想した馬が一着になったというその事実そのものも嬉しい。
なるほどね。
両方ね。ストーリーと経験と金ね。
全て得られる。
なるほど。
競馬の良さは僕さっぱりわからないんで、申し訳ないですけど。
僕もオーバーフェスで多い競馬場の中でやった競馬しか僕はわかんないんで。
全くわからないですね。
なんちゃら娘みたいなのでちょっと盛り上がってんのかちょっとわかんないですけど。
わかんないです。
JREのCMで結構カラフルな服着た人たちがみんな集ってるみたいな感じでCMしてましたけど、
実際の写真みたいなのが並ぶとね、みんな薄暗い服着てるんですよね。
それはさ、僕らの住んでる場所が結構悪くてさ、
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幼少期から横浜周辺で僕ら集まってきたじゃん。
そうですね。
関内行けばJREのデカい建物に入ってくる人たちの顔を毎日のように見せたわけだからさ。
もうリアルを知っちゃってるんですよね。
知っちゃってる。
いくら綺麗に飾り立てようとってね、僕らの脳内の染み付いたあの記憶からは逃れられないのよ。
悲しいですね。
悲しいね。
悲しいですよ。
一つ言っておくと、このオサム演じてる方なんですけど、
カンビヒロシさんは本当に脳性麻痺を持ってる方なんですよね。
あの喋り方も本当にそのまま。
でもなんかね、学校2でも同じような脳性麻痺役として出てたんですよ。
ちなみに男はつらいようにも出てるんですよ。
結構後の方だったかな。
20作目以上かな。忘れちゃったけど。
旅先でソラさんとちょっと絡んだりしてますね。
非常に個性を生かした素敵な演技なんで、僕大好きですね。
あと大間一押しの結城奈恵さん、良かったですね。
結城奈恵さん良かったね。
結城奈恵さん良かったですね。
素晴らしい。
奈恵さんは結構いろんな役をやってきたんですけど、
結構嫌いな女優みたいな風に数えられることが多くなって。
信じらんね。
そういう擦れた女の子みたいなさ。
あるいは誘惑してくる女の子みたいな役柄がやたらと当たっちゃったせいでさ。
当時の日本人ってすぐそういうの入り込んじゃう人多いじゃん。
今もそうかもしれないけど。
虚構と現実の区別がつかない連中が多いから。
それで罰金を受けちゃったらしいんですけど。
でも素敵な演技だったし、何よりファッションセンスがね。
今の若い子たちがやってそうな感じですよね。
グラさんかっこいいよね。
あの丸井グラさんね。
ゲットバッカーズみたいな。
世代がバレるのよ、そういうの。
ゲットバッカーズみたいなね。
トライガンみたいなね。
トライガンみたいなね。
マチマの方なの?
マチマの方なの。
すごい思ったんですよ。
今の子たちなんかY2Kファッションって言ってるけど、
いやそれ1990年代のファッションだからなっていう。
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そうだよね。
Y2Kじゃないよね。
リンコのファッションは完全に昭和のファッションだったけど、
あの緑に関しては現代でも普通にいる。
いるいる。
髪型こそね、ちょっとソバージュな感じで今いない感じですけれど、
あのファッションは完全にね、あれ1990年代のファッションで、
今の子たちがY2Kって言ってるのはあれ、
実際はまだ2000年迎える前のファッションな気がしますね。
そうだね。
Y2Kは正直もうね、渋谷界隈のね、
ギャルギャル王文化が強くなってきてますから、
そこまで大した服着てないですよ大体。
大体英語のしょうもない、しょうもない英語が書かれたピチピチのTシャツ着てるだけですからね。
そうだね。
ちょっと思いました。
じゃあそんなところでよろしいですかね。
で次回どうすんのっていう。
次回また学校関係が何かあるかな。
何かあるかな。
もう学校の階段見ちゃったしな。
そうね、もう見ちゃったんだよな。
そうなんだよね。
じゃあ別系統の学校。
ポリスアカデミー?
ポリスアカデミー?警察学校?
ポリスアカデミーって映画化してんの?
映画シリーズあるよね。
あ、そうなんだ。
配信あるのかな。
あるね、映画ポリスアカデミー7作品って書いてある。
Amazonプライムで100円で見れる。
じゃあ見るか。
これをどう語るかっていうのは俺らの歴史が食べされてる。
ガッツリコメディーなんでちょっと頑張りますかね。
そうね。
しかもちょっとお下品な方のポリスアカデミー。
そうなんだよね。
これ言っちゃうってなったらもうね、何でも来いようになりますけど。
まあいいでしょう、ポリスアカデミー見ましょう。
ちょっともう真面目に語るのに疲れてきたみたいな感じになってますけど、そういうわけじゃないんで。
ちょっと息抜きも必要かなぐらいのつもりで。
じゃあポリスアカデミー見ましょう。
ということで今回いただきましたのはリールフレンズイン東京映画学校これもまた学校でお送りいたしました。
番組では投稿フォームを通じて寄せられた感想やリクエストを実際に番組のテーマや構成に反映しながら制作しています。
面白かったここは引っかかったなど短い言葉でも大歓迎です。
またXでハッシュタグリルパルをつけたポストも受け取っております。
いただいた声は番組の中でご紹介させていただくこともありますので是非あなたの声をお届けください。
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1:36:01
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本日のお相手は誠。
大間でした。
それじゃあまたねー。
リールフレンズイン東京
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01:36:23

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