ただとりあえずだから、1,2,3がシドニートリロジーとして、一応完結しているので、1,2,3をスクリーム3部作というふうに今回は振らせていただきました。
4,5,6の熱烈なファンがいらっしゃいましたら本当に申し訳ないんですけれども、僕の中ではスクリームは1,2,3で一応終わったことになったので、
今回はその1,2,3を一応3部作として取り扱い、お話しさせていただこうかというところでございます。
ということで、早速ですがあらすじ紹介から参りましょう。
30分になっちゃってる。30分はまずいね。2分でいいですか?
おだしょー そうですね。
じゃあ2分でいきます。よーいどん。
おだしょー ということで今回見させていただきましたのは、ホラー映画スクリームの1作目から3作目まででございます。
1996年に公開されたスクリーム、舞台はカリフォルニアの田舎町、うつぼろ。
高校生のケイシーが電話で映画トリビアを出題されて殺されるという不気味なオープニングから始まって、
そこから次々と若者たちがゴーストフェイスと呼ばれるハロウィン用のマスクをかぶったナイフを持った殺人鬼に襲われていくという物語です。
1年前に母親を亡くしたトラウマを抱えるシドニープレスコット。
ところがその死の裏にも何か隠された真実があることがわかってきます。
物語はホラー映画のルールを逆手に取った形の演出で、
最後に犯人が身近な人物であることがわかされ、シドニーの命がけの反撃によってめでたしめでたし。
スクリーム2においては大学に進学したシドニーを再び惨劇が襲うというような構図です。
前作の事件を元にした映画スタブという作品が公開されている中、またしてもゴーストフェイスが現れてきます。
映画のルールが引用されながら続編の起き手として死者は増えスケールも拡大されていくといったような展開。
劇中劇のスタブがまさに観客としてスクリームを見ている我々と重なるような構図になっています。
そしてまた隠された真実が明らかになりシドニーがマッチョにそれを倒して終わっていきます。
そしてスクリーム3、舞台はハリウッド、今度はスタブ3の撮影現場を舞台にまたしても惨劇が繰り返されていくと。
シドニーは人里離れて院頭しているものの、そこに再び現れた殺人鬼のせいで表舞台へ引きずり出される。
そしてまたいよいよ母の死の真相が明らかになっていく中で意外な人物が犯人であることが分かり、またしてもシドニーがマッチョに生き抜くというような物語です。
シドニー最強!
シドニー強いわね。
シドニーがね、マッチョすぎんのよ。
普通にさ、男殴り飛ばすだけだったらまだわかるよ。
そこの自分との葛藤、自分への許しっていうこともできずに、
実際にそういう奔放な状況っていうことで、
ある意味自傷行為みたいなところと、
自尊感情みたいなところを取り戻すために、
こういう男性と肌を重ねていったっていう状況があって、
モーリーがどういうトラウマかを抱えてどういう風に過ごしていたかっていう、
トラウマみたいなところを誰も真剣に聞こうとしていないし、
語られなかった叫びっていうところが、逆にシドニーに対して呪いのように降りかかっていく構図。
だからこれ二重構造になってて、
結構性暴力を受けた人っていうのが、その後ちょっと語れなくて自分を傷つけていくっていうような状況っていうのと、
あと、何か罪を犯した人の家族。
ぶっちゃけ家族って関係ないじゃん。家族ではあるけど他人だからさ。
別に弟が殺人犯なんですとかって言っても、
お姉ちゃんは別に殺人犯じゃないから別に四国真っ当に生きてくれればそれでいいじゃないっていうけれども、
そこに殺人犯の姉っていうところの構図を作り上げてしまうっていうようなところがあって、
だからそこの、
罪がある人、あるいは罪をかぶった人の人とその家族みたいな、
そういう社会構図のレッテルによって壊されていく家庭だったりとか人生みたいなところも描いていて、
さらにシドニー自身っていうのもずっと見るものと見られるものっていう視線に晒されているじゃない。
ゲイルだったりとかスタブだっけ。
スタブシリーズ。
インタビューだったりとかニュース報道とかで、
どこにいてもこのシドニープレスコットっていうキャラクターとして消費されていく。
売り物として、自分は別に自分から売り出してるわけじゃないけれども、
そこに金を生み出される構図が生まれてしまうがために、
キャラクターとして刺激的な見せ物として消費されていくっていうことがあって、
これもさっき言ったような、殺人事件の被害者の家族みたいな感じでさ、
好奇の目に晒されるっていうところがすごく似ていてさ、
なんだかんだで殺人がありましたとかっていう犯人の家族みたいなところに行くと、
実はこのお母さんってすごい教育に厳しくて辛く当たってたらしいよ。
だから彼が殺人に至っちゃったんだねみたいなような報道がよく出てくるし、
でもそのらしいって結局真実って実際はわかんないよねっていう。
でも見えないまま断定されて物語にされちゃったら、物語だけがずっと先行しちゃう。
劇場化されて、どんどん暴力的な構造みたいなのが生まれていく。
こういう構造たちを見せていて、ずっとメタ視点をこの映画やってるじゃない?
そうね。
だから、俺らも多分この構造に巻き込むように作ってるのかなっていうふうに思ってて、
なんでゴーストフェイスなのかなっていうところもちょっと考えたんだけど、
結局仮面っていうのが何のメタフォーだったのかっていうと、
誰でもなれる名前のない存在で、正体はバラバラなんだけれども、
全員が同じ仮面を被っているっていうところ。
だからその暴力っていうのは匿名性の中で生まれていて、
民主主義のように多数決が多かったらお前犯人だにされちゃうっていうような、
現代社会の大きな風刺になってるんじゃないかな。
だから今で言うSNSとかで叩くとか炎上みたいなところ。
本人は正義を行っていると思ってるんだけれども、
これが劇場化された暴力だよねっていう、
エンターテインメントとしての暴力を行っている行動なんじゃないのっていうところ。
だとするとスクリームのこの1,2,3で一番怖いのって、
犯人がどこで現れるかっていうところじゃなくて、
その構造に気づいたとしたら、
お前がこの構造を作り上げている犯人なんだよっていうところを言いたかったんです、本当は。
なるほどね。
ただ1個この論にね、感慨1個致命的なやつがあるんです。
なんですか?
スクリーム3ですね。
3。
この構造を僕は言いたかったんです。
ところが。
ところがその構造を作ったのは犯人自身だったって言われちゃったから、
ダメだってなっちゃった。
そうね。犯人がね、
コンセプト丁寧に最後の最後で、
総決算としていろいろとお話してくれたので、残念でした。
観客じゃなかった。
まあでもさ、いいのよ。それはそれで。
だから3で出てくるゴーストフェイスは観客のメタファーだと思えばいいんですよ。
なるほどね。いいこと言うじゃない。
っていうことだと思いますよ。
本作においてはそのゴーストフェイスっていう記号が3つやっぱり機能していて、
シドニープレスコットという記号とゴーストフェイスという記号、そして最後に母という記号ですね。
1,2,3全部通じて母親っていうものがめちゃくちゃ重要になっていて、
1は母親の復讐でしたね、ゴーストフェイス。
2はその1のゴーストフェイスの母親による復讐ですよね。
そして3作目においては、また改めてシドニーの母親っていうものが大きく関わってくる形で、
ゴーストフェイスが作品の中で暴れ回るわけですから、
母という記号についてもやっぱりこれが一体何のメタファーだったのかっていうのを考えるのも、
なかなか面白いのかもしれないなというふうには思ってます。
結局なんか若者文化っていうよりかは、今の社会構造っていうところが、
この暴力を生み出す母なのではないかみたいなことも言えるのかもしれないなとかって。
そうね。あるいは、うー、眠い。
あるいは、さっき僕が言ったローンと照らし合わせたキリスト教的価値観。
キリスト教的価値観みたいなものと照らし合わせると、やっぱり聖母マリアを思い浮かべるわけですよ。
そうだね。
母という記号にこの聖母というような救いの象徴みたいなものを感じるわけじゃない。
でもそこには一切キリスト教的、聖母マリア的なモチーフは一切扱われてこないんだよね。
許されるもの、許すものっていうふうな記号としては扱われていなくて、
最後まで悲劇のまま消えていく母だったり、あるいは復讐に燃えてすべてを忘れる母だったりっていうふうなものが出てくるので、
この後にも宗教と照らし合わせるのであれば、信仰を失った現代社会っていうものを描き出すために、
母というモチーフを使い倒しているんじゃないのかみたいなことも考えられるかなというふうに思います。
なるほどね。同時にだけどさ、みんな母を失ってるって思うと、
その守るべき存在がいなくなってしまった社会っていうところも言えるかもしれないよね。
シドニーはいろんなところで母を失ったっていうのもあるし、
2では母親自身が出てきてスプラッとしてるんだけど、
結局1での主人公における母親はもういなくなってしまった母親の亡霊というかさ、
みたいなところが襲ってきたっていうところもそうだし、
3では母を失った子がまた暴れ出すっていうところにまた原点回帰していくわけだからさ。
普通だったら許すものとかっていうところだけども、
なんか拒絶っていうふうに作ってるっていったところが、
さっきマコちゃんが言ったキリスト教のあれを逆に描いてるよねとか、
っていう反転構造になってるよねっていうところで言えるかもしれないね。
そうですね。っていうすごい真面目な論をお互いに用意してきたわけじゃないですか。
そこで満を持して僕のもう一個の論を紹介したいんですけどいいですか。
おーっと、はい。
映画スクリーム、ホラー映画文化を終わらせた先般説です。
それね、同じこと言おうとした。
ここなんですよね。
これすごいよね。
これはね、本当にね、とんでもないことをしてしまったなっていうふうに思ってます。
ただ、ここで気をつけないといけないのは、スクリームがやったことっていうのは、映画愛。
映画愛を作品を通して伝えるという、スクリームシリーズは古典ホラー映画に対するラブレターでしかないんですよ。
それはめちゃくちゃ良かった。ラブレターだから。
そして多分、ホラー映画ファンもそのラブレターを読んでニヤニヤするっていうふうな構図で楽しめたはずなんですよ。
だから、スクリームっていうのはそれ故に大ヒットしたんだと思うんですけれども。
ところが、そこに致命的な欠陥があって、要はですね、メタ視点でのホラーの楽しみ方っていうものを生み出してしまった。
それがホラー映画を終わらせた先端としての機能だったんじゃないのかっていうことを言いたいんですね。
このスラッシャー映画的な文法っていうものがやっぱりあって、
ハロウィンしかり、13日の金曜日しかりっていうお話をしましたけれども、
80年代ホラーが散々築いてきたですね、刃物を持って襲ってくる殺人鬼に対して、
どのようにしてその危機を乗り越えるのかみたいなお話を、やっぱり土著級で語るキャラクターがいるわけですよね。
そうやって語らせた上で、それをあえて破っていく。
あるいは語らない部分に関してはしっかりセオリー通りに殺す、みたいなことを繰り返し行っていく。
しかもその最中に様々な古典ホラーのイースターエッグを仕込むみたいなことをやることによって、
なんでそれが楽しく見えるかって言ったら、観客の先読みを前提としてるからなんですよ。
この構図がめちゃくちゃ問題になるというか、
次はこうなるでしょって思いながら見てる。
それが破られて楽しい、あるいはそれがそのまんまその通りになってて面白い。
これは両方とも先読みした上での楽しみっていうメタ視点を前提としてるんだよね。
ホラー映画を見るとき、ある程度見慣れてるとそういう方向性もあるのかもしれないんだけれども、
基本的に映画はやっぱり追体験をするものであるっていうふうに考えると、
メタ視点なんていうのは基本的にない方がいいんだよね。ない方が面白い。
嫌いなやつじゃん。 楊 ジャンルシフトの始まりは間違いなくスクリームからだと僕は思いました。今回見て。
なるほどね。 楊 これは一体何でかっていうと、結局ホラー映画っていうものにメタ視点を持ち込んだということによって、
ホラーのセオリーっていうものは誰しもがそれさえ用いれば、これはホラー映画なんだって感じるということが判明したということです。
だからそういう演出を前半に散々持ってくればみんなホラーなんだなと思って見始めるわけで、途中でそれをひっくり返してしまったらめちゃくちゃ面白いことになるよねっていうのが見えてきたんじゃないのかと。
それが結果としてジャンルシフトになってるんじゃないのっていう気がしますね。
ホラーだと思って見始めたら全然違ったよっていう風な描き方ができるような理由っていうのは、ホラー映画の文脈っていうものが文化レベルで確立されていない限りはできないわけですよね。
確かにね。それこそキャスパーとかさ、ある意味サプライズもそうかもしれないし。
サプライズもね、あとキャビンもそうなんだけれども。
あとは、なんだっけ?
僕、幽霊が見えるんだ!
シックス・エンスね。
そうそうそうそう。
みたいな感じになってくるのかなっていう気がします。
ホラー映画文化はここで区切りがついてしまったんじゃないかなって思ってますね。
逆に古典として扱われるのに脈々とずっと同じことをやってるっていうところの終止符っていうのは、逆に良かったのかもしれないね。
だからこそ、全く新しい切り口でいうミート様、まだ俺見てないからあんまり詳しく語れないけどさ、みたいなところだったりとかっていうところが生まれてこれたのかもしれないし。
そうだね。それはそういう側面は限りなくあると思いますんで。
だから別に必ずしも悪いことではなかったと思うんだけれども、ラブレターのつもりで書いたら、それがもう終止符だったということですね。
そうね。いろんなところでラブレターが拡散されちゃったりするよね。
1,2,3と続けていく中で余計にねっていうのはあったんじゃないかなっていう気がします。
ただ、ホラー映画全般に対して興味を沸かせてくれるようなライトに描かれた作品なので、ぜひちょっとホラー映画まだよっていう人はスクリームからスタートしてみるっていうのもありかもしれないね。
それはあるかもね。
逆の視点で見ていけばいいわけですから。後々ハマってね、他のホラー見た時に、これスクリームで見たやつだってなるシーンがいくつも出てくるはずなんでね。
そういう逆算的な楽しみ方もあるんじゃないかという気がしております。