リスナーリクエスト 映画『小学校〜それは小さな社会〜』学校を見つめ直してみませんか  Listener Request: The Making of a Japanese — Have You Ever Really Looked at Elementary School From the Outside?
2026-10-24 1:54:08

リスナーリクエスト 映画『小学校〜それは小さな社会〜』学校を見つめ直してみませんか  Listener Request: The Making of a Japanese — Have You Ever Really Looked at Elementary School From the Outside?


「小学校は、私たちの社会の未来です。」
— 山崎エマ監督、『小学校〜それは小さな社会〜』(2024)

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毎度どうも。映画談義パーソナリティのまこです。
今回取り上げるのは #小学校それは小さな社会 です🏫

学校スペシャル、始動!

山崎エマ監督によるドキュメンタリー映画。東京・世田谷区の公立小学校に150日・のべ4,000時間密着し、誰もが経験した「あの空間」を外側から映し出した一作です。第97回アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門にもノミネートされた話題作。

給食の配膳、掃除当番、運動会——日本人にとっては当たり前すぎてもはや意識すらしないルーティンが、海外の観客には驚きをもって受け取られた。では、その「当たり前」の中に、一体何が埋め込まれているのか。

誰もが経験した小学校という小社会を、あえて外側から眺めてみると……意外な発見が待っているかもしれません🔍

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podcasterの まこ(@_macobana)が、語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『#よもやまこばなし 』(#まこばな )にて展開された映画談義がついに専門チャンネルに。
語りたい映画なんて尽きることない!
エピソードの公開は毎週or隔週となります。

ご感想は是非 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#リルパル #ReelPal でツイートをお願いします。
いただいたツイートは番組の中で取り上げることがあります。

公式noteもやってます。
https://note.com/mako_reel_pal/n/n17867575e9f5

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⁠⁠yomoyamakobanashi@gmail.com⁠⁠

これからも番組をよろしくお願いします。



"Elementary school is the future of our society."
— Director Ema Ryan Yamazaki, The Making of a Japanese (2024)

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Hey there! I'm Mako, your movie talk personality.
This episode kicks off the School Special series — and covers #TheMakingOfAJapanese 🏫

Directed by Ema Ryan Yamazaki, this documentary spent 150 days and over 4,000 hours inside a public elementary school in Setagaya, Tokyo — capturing the daily life of a space every Japanese person has been through, but almost no one has ever really looked at. A short film spun off from the same footage was nominated for the 97th Academy Award for Best Documentary Short.

School lunch rotations. Cleaning duty. Sports day. For Japanese viewers, it's just how things were. For audiences abroad, it was revelatory. So what exactly is embedded in all that "normal"?

Step outside the familiar and look back in — and you might be surprised by what you find 🔍

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Podcaster Mako (@_macobana) started out sharing his unfiltered movie opinions on his talk show #Yomoyamakobanashi(#makobana) — and now those conversations have found a home of their own.
There's no shortage of films worth talking about!
New episodes drop weekly or bi-weekly.

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00:06
Reel Friends in TOKYO 〜映画考察ポッドキャスト〜Watch, Talk, Dive Deep!
Reel Friends in TOKYO 〜映画考察ポッドキャスト〜Watch, Talk, Dive Deep!
今すっごい首振りながらノリノリだったんだけど。
リスナーさんにごめんなんですよ。
なんですか?
というものを、ノートの更新が折れ物の方もリリバルの方も、すいませんけど忙しすぎて全然更新できません。
もう我々完全に忙しい期間に入ってしまって、とてもじゃないけど手が回らないんですよね。
本当に回らないんですよね。
本当に回らないんですよね。ちょっと何とかしてくださいっていう。
まあ、あれじゃないですか。とりあえず年をまたいたらかな。
いや、年度をまたいたら。
年度をまたくまでずっと忙しいんだよな。
そうなんだよね。年度をまたくまではちょっとね、しばらくお待ちいただいて。
ちょっと不定期にはちょこちょこはやりますけども。
今までのように定期的にはちょっと今、僕もおまこちゃんもできそうに見ちゃいけないけど。
そうですね。
まあ、我々のノートを心待ちにしてくれてる人が一体何人くらいいるんだって話なんですけど。
まあ、いいです。
10人くらい。
大事なのはやっぱりニュースじゃないから。
ね。
少なからず読みたいなと思ってくれてる人がいる限り我々は発信の手を休めないって言いたいんだけど、休みます。
ごめんなさい。
本職じゃないんでね。
そうなんですよ。
我々これ本職じゃないんで、あくまでね、人生の余剰時間でどうにかやってるだけなので。
ちょっと我慢していただければなという気がしますけど。
さてね、謝罪から入ってしまって枕としてお話することなんもないですか?
枕って俺5面しか考えてなかったな。
そうなんだ。
ちなみにインターミッションでスパイダーマンの新作が云々って話しましたけど。
03:04
ああしたね。
見ました。
見たんだ。
課金して。
どうですか?
1850円ぐらいだと思いますけど、3日間それで見られるんで、6回見ましたね。
でっかい。
もう大好きなんで。スパイダーマンは。何度でも見れるんですけど。
いずれインターミッションで軽く触れようかなと思ってたんだけど、良かったっす。
てかトム・フォランドさんにバトンタッチをして、これまで脇役として出た作品。
アベンジャーズに脇役として出た作品もあれば、スパイダーマンシリーズとして撮られた作品もあればっていうところだったんですけど。
この新トム・フォランド版スパイダーマンは3作出て、今回が4作目になるんですが。
これまでの3作はプロローグでしたね。
こっからまた始まる?
そうですね。そういうことです。実際、タイトルもブランニューデイなので。
はいはいはい。
全く新しい日という。今までのはプロローグでした。
マジか。
なんか変な意味じゃなくて、アベンジャーズに巻き込まれて、若いヒーローがヒーローの自覚を持っていくっていうのが前の3作だったとしたら、
今回でようやく、今までトビー・マグワイヤーとガーフィールドがやった2つのスパイダーマンがあったわけじゃないですか。
ようやくあのフォーマットになった。
ほんの感じ。
そういう意味で言うと、これまでのは完全な盛大なプロローグだったなと。
アベンジャーズシリーズ含め。
ようやくスパイダーマンがスパイダーマンになって、ニューヨークの平和を自分の力でちゃんと守っていくぞって頑張っていってっていうお話。
ようやく到達した感じがしましたね。
なるほどね。
すごいだからね、僕としては懐かしい気持ちに逆になって。
はいはいはい。
そうそうこれこれってなんか、やれアイアンマンがみたいな、やれナイセンがみたいなそんな感じがなくて、逆に嬉しかったね。
はぁー。
っていう、ちょっと教習を誘われた感じですね。
そう、僕のスパイダーマンってこれだよみたいなさ、気持ちになったんで。
なんかね、そんな感じで言うと、今回は誰しもにとって教習を誘うような。
そうそうこうだったこうだったってなるようなね、そんな映画に触れていこうかなと思います。
06:05
はい。
そんなわけで本日も終わりましょう。
はい、ということで本日のテーマはリスナーリクエスト。
小学校それは小さな社会。学校を見つめ直してみませんか?ということでね。
なるほど。
お誘いしました。
見つめ直しましょう。
そうなんです。見つめ直していきましょう今日はちょっとね。
そうですね。
まあピンポンだっけ前回。
そうだね。
マーティシュプリームのとんでも人生録からちょっと卓球ものいいねってピンポンに行った後、なぜこうなったのかっていうところなんですけど。
一応ですねあのきっかけがありまして、えっとですね。
以前この作品インターミッションで何か触れたんですよね。
あそうだね。文科賞の推薦映画みたいなのに多分ノミネートされてたんだと思う。
そうだっけ。
はい!
秋のさ、芸術作品映画にしようって言ったら文科賞の。
そうね。推薦のね。文科賞推薦。
そうそう取り扱おうって言って小学校なんちゃらかんちゃらって言って、
ネットフリックスにあるじゃねえかって言ってけど、まあ見ねえよなみたいな感じで流れてた気がする。
ただ今回ですね、経験のリルパールリスナーのとある方ですね。
知ってるかな。ムムサノピーノさんって方なんですけど。
有名。有名も有名よ。
毎度お世話になっております。来ていただいてまして。
ありがとうございます。
ピーノさんからですね、ちょっとお便りいただきまして、
今回のインターミッションに出てきた小学校、それは小さな社会はローテナントでも取り上げたし、いまだに頭の中を巡る映画です。
ちょっと待て待て待て待て。あれは?切り替えは?
別によくない?
ピーノさんからの手紙?
普段のお便り形式じゃなくてね、ちょっとしたDMみたいな感じでさらっときたから。
ああ。
やめてください。お前そんな酔わせる感じすると、つぶ立てられるとちょっとないがしろにしてるみたいな感じになるやん。
全然そんなことないからむしろ。むしろ俺とピーノさんの仲だから。いつもお世話になってるからね。
そうですね。
当たり前のようにDMをしてるんですけど、ぜひリルパールで話してくださいということでいただきまして。
ローテナントのラジオ局ですね、ムムさんとピーノさんがやってらっしゃるポッドキャスト番組。
09:04
あちらでも取り扱ってらっしゃるということですので、ちょっとね、我々今回兜の尾を占めてというかね。
じゃあ話を戻してですね、今回の作品に行きましょうかね。
終わった?終わったらOK。
はい。では早速まずはあらすじ紹介からいきましょう。
いきなりもうオーマが止まってますけど、いきますね。
はい、いきましょう。
よーいスタート。
あれ止まった。
大丈夫?
はい。はいはいはい。よーいドン。
これ大丈夫かな今日。はい、じゃあいきましょう。
東京世田谷区立の塚戸小学校を舞台にしたドキュメンタリー映画になります。
児童数は1000人を超える大規模の学校ではあるんですけれども、別段ですね、名物先生がいるだとか非常に重要な教育研究を行ってますみたいな学校ではなく、
ありふれた公立学校という感じ、イメージで捉えていただければいいかなという感じですね。
本当にもう小学校の日常が描かれてはいるんですけれども、撮影時期はコロナ禍の2021年に撮影をされているので、
コロナの頃のちょうど特有な小学校生活みたいなものをある種記録映像として楽しむことができるような作品になっているのかなという気はします。
入学式からですね、6年生の卒業式まで1年間を子どもたちに密着して、
20歳段階に異なるいくつかの学年に密着して見つめていくと。
特別ですね、何かナレーションが入るわけではなく、時々大人先生の言葉であったりみたいなものが入ってくるんですけれども、
基本的には本当にね、内側だったり外側からひたすら学校っていうものを見つめ続けるような、
そんな視点の作品になっております。
誰しもね、日本人だったら経験した、よく見た、体験した、そんな日々がひたすら描かればするんですけれども、
本作非常に興味深いのはですね、英語の題がThe Making of Japaneseなんですね。
日本人の作られ方というタイトルになっております。
本作アカデミー賞の短編ドキュメンタリー部門にもノミネートされたということで、
実際ね、海外でも割とロングラウンドを記録している多くにもあるそうです。
ぜひですね、日本人としてあの頃を振り返る、あるいはね、全く新しい新鮮な目で日本の学校を見つめ直す、そんな機会にしてみてはいかがでしょうか。
ということで、ちょっとね、なんかぐちゃぐちゃ止まりましたけれども、やっていきたいと思います。
12:05
大丈夫ですかね、なんかね、今日ね、ずっとずっと不安定ですけれども。
ずっと不安定なんだよ、ちょっとね、怖いね。
怖いですね。なんだこの怖さは。
まあ、やっていこう。
はい。
はい、ということで、まずはJabから。
Jabから。なんだけど、一個ね、最初にちょっと言いたいのがあって。
なんですか?
マイクの性能すごすぎん?
マイクの性能?
はい。
なんの?
これってさ、ピンマイクつけてるわけじゃなさそうだよね。
ガンマイクです。
だよね。ガンマイクでやってさ、なんかピンポイントでそこの音声だけをこうカーッて拾っていくっていうのがすげえなって。
まあ、すごいんですよ。
てか別になんか、ドキュメンタリー撮影だったらもう当たり前のクオリティじゃないですか?
だってあなたナショナルジオグラフィック見てるでしょうが。
見てる。
ナショジオのガンマイクすごいじゃないですか。
すごいよ。クジラの声とかすごいんだから。
でしょ?
誰もクジラにピンマイクつけに行ってないでしょ?
全力でゴリゴリにパンチして喧嘩してるグリズリーベアにピンマイクつけに行く係やったことある?ないでしょ?
そんなに別になんかプロの映像の世界では珍しくないから。
ごめんね。ごめんね。
まあそうだよね。思考性があるガンマイクはどのくらいの本当に思考性を持ってるのかっていうところのイメージはなかなかわからないですよね。
本当にその部分を、本当にだから銃そのものですよね。
その車線上の音を拾ってくる感じですね。
本当になんかこのコソコソ話だけをちゃんと拾って他のガヤガヤは聞こえないとかさ。
もちろんその音声の編集みたいなのがしてるんだろうけど。
だからやっぱりガンマイクの性能とポストプロダクションの正確性でしょうね。
そのあたりはやっぱりちゃんとやってらっしゃるんでしょうねっていう気がしましたね。
すごかったっす。
じゃあ内容に行こうか。
はい。内容に関してはまず改めてってところなんですけど、
先生たちの字綺麗だなって。
まあ、そうですね。
特に黒板に書くってさ、黒板に字綺麗に書ける人って俺すげえなって思ってて。
あれはね、特殊技能ですよ。
そうだよね。
紙に書くとは全然違うもんね。
15:02
学生時代に塾の講習をバイトでやったことあるんですけど、
ホワイトボードに書くも同じぐらいしんどいですね。
わかる。
なんかやっぱり垂直な面に垂直に書くっていうさ。
たぶんね、字そのものを綺麗に書くだけじゃなくて、
配置・配列としてね、綺麗に並べるっていうことがまず難しいよねっていうところはあるかなっていう気がするね。
あとホワイトボードも黒板もそうなんだけど、基本チビ用に作られてんじゃん。
たぶん少し目線より上に手が行くことを想定して作られてるじゃない。
僕ら書き始めの段階から目線から下なんですよ。
書きにくくて仕方がない。
途中で手首折れんじゃねえかなっていう感じになるじゃん。
そうね、確かにね。
だからこそ、綺麗にあれを書ける人って俺すげえリスペクトすんだよね。
やっぱりね、だから特殊な専門職ですよね、あれはね。
いや、ほんと。
ほんとに思いました。
なんだろうな、プロフェッショナリズムがあるんでしょうねっていうのは見てて思ったんですけど、
特にその一年生のベテランの女の先生。
綺麗だった。
字は綺麗だわ。声がすごく良かったですね。
声いいよね。
みんな落ち着いちゃうわ。
あの先生すごくいい声だな。
落ち着く声が出せるって才能だよなって。
才能だとも。
思いました。なんか深くにも。
しかもそんなに大きい声出してないのに声がちゃんと通ってるんだよね。
そうだね。
やっぱすごくね、やっぱりもちろんすごい研鑽の末にね、
身につけた技能かもしれないしその辺はわからないですけれども、
実に素晴らしいなと思いましたね。
実に素晴らしい。
実に素晴らしいでしたね。
結構いろんな先生出てきましたね。
ちょっとね。
ちょっと寄稿をする先生も。
タマゴ、ダチョウのタマゴみたいなやつ頭で割るパフォーマンスで、
学年開きみたいなね、学級開きみたいな、
してる6年生の先生いましたけど。
遠藤先生。
遠藤先生か。
いや別に否定はしないんですよ。
6年生、最後の1年が始まるよっていうところで、
おそらく何かしらね、
多分低学年と高学年のクラス替えとか、
新級の多分抱えるプレッシャーレベルって違うと思うんですよ。
6年生ともそれなりに友人関係とかある程度本当に確立されてきてるからさ、
いろいろね、ちょっと不安だなみたいな気持ちになってる中、
初日に先生がダチョウのタマゴみたいなやつを頭で割ったら面白いし、
18:03
ちょっと気持ちがね、
ちょっと緩むというか、
できると思うんだけど、
1個言わせていただきたいのは、
せめてブルーシート敷けよっていう。
あれね、
多分厳しめの体育の先生いたら普通に切れると思うんだよね。
むき出しの体育館の床で、
陶器製なのかわかんないけどさ、
パキャーって割って、
頭から流血するほどの。
陶器製ってあれ多分中身抜いたら普通にダチョウのタマゴだったんじゃない?
そうなの?
だってあの、
昔僕もね、
ダチョウ肉を買ったことがあって、
ダチョウ王国っていうね、
ダチョウ肉のオンラインショッピングがあるんですよ。
聞いたこともねえわ。
そういうのがあるんだよ。
で、そこでね、
ちょっと今一度ね、
ダチョウのタマゴっていくらなんだろうと調べたら、
4000円ぐらいしますね。
茨城県石岡市なのかな?
石岡?
石岡で売ってるらしいですけども、
食べれるダチョウのタマゴが、
ダチョウ王国に売ってます。
まあ自腹なんでしょうね。
でしょうね。
いやでも、
すごいよ、4000円をパキャって割ってさ、
でその後さ、
僕てっきりね、
結構ある程度粉々に割ったからさ、
逆になんか割れたやつを破片をさ、
空とかっていう文字見さ、
してさ、
黒板に貼っとくとかさ、
やるのかなと思ったら普通に、
なんか多分捨てたんだろうなっていう感じで、
新しいタマゴ買ってたからさ。
そうね。
たぶん、
まあ、
すごいね。
あの、
遠藤先生ダチョウのタマゴだけで、
約8000円ぐらい使ってるはずなので、
はい、
すごいですよね。
いやこれ経費で落ちないでしょ。
わけねえだろそんなもん。
どうやって学校予算通すんですか?
頭で割るよーっつって。
どの事務員がそれ通すんだよそれ。
工費で落とせそうですね。
なわけねえだろ。
やばいわ。
いやーすごかったですね。
いやーすごかった。
まああの、
いろいろ僕あるんですけど、
はいはい。
子供編で言うと、
放送委員の2人の距離感がいい感じでした。
いやーちょっとねあれね、キュンとくるよね。
いやなんかね、
僕の中で、
小学校、
それは、
男女の垣根を越えて、
友情育めるボーナスタイム。
21:04
なんかその、
恋愛云々みたいなものがさ、
まあなんかあるよ。
小学生もなんか。
いいねと、
付き合って嬉しいよ、
みたいなのがあったりするんだけど、
でもなんか本当に、
そういうさ、
なんか、
惚れた惚れたとは関係のない、
マジで関係のない、
男女の友情みたいなものが、
割と普通に当たり前に、
あってくれる空間って、
あのボーナスタイムだけなんじゃない?
って俺思ってんだ。
いや、そう思うよ。
結局その後さ、
男女の友情って、
結局、
汚い話になるかもしれないけど、
セックスが乗っかってくるじゃない。
まあそうだね。
乗っからない時期って、
あの時期だけじゃんじゃないかなって思うよ。
そうなんだよ。
だからやっぱこう、
性というその、
一つのなんだろうな、
垣根みたいなものが、
まだ全然その、
グイーッと立ち上がってこない時期。
だからこそ、
本当にもうなんか、
人対人で、
友情育んでますよっていうのが、
当たり前にあるあの感じ。
はいはいはい。
いいよねーって思って。
いいね。
本当になんか素敵だなーっていう。
あの頃を振り返ると、
あの委員会があるんだなーっていう風に思うと。
よかったね。
よかったし、
あの放送員の男の子。
はいはいはい。
スペック高かったっすね。
もう全然。
あの子放送、
上手いよね。
放送、
放送上手いとは全然思わなかったんだけど。
あ、本当?
そこじゃない。
きれいに読むなーって思ったね。
全然そこじゃなくて、
あのー、
縄跳び全然飛べなかったのに、
あのー、
1日でカバーしてきたでしょ。
いや、あれはさ、
1日じゃないでしょ。
いや、あれ1日でしょ。
間何日もさ、
あったでしょ、絶対。
だってずっと同じ服だったじゃん、あの日。
すごいなーって思って。
たった1日でこんなに持ってきたのかと思って。
いやでもさ、
仮に1日だったとしてさ、
言うて縄跳びを。
いやー、縄跳びね。
言うて縄跳びをさ、
あのー、道路でさ、
足高になってさ、
ゼーハーゼーハー言いながら
練習するっていうことができたら、
いや1日でカバーできるかもしんないなって思った。
なんかごめん。
じゃああんまり共感を得られなかったので、
次行きますけど、
1年生編の、
あやめちゃんのオーディションですね。
オーディションねー。
この後僕あれに言及するんだけど、
あの試練しんどくてしょうがなかった。
あれきつかったなーと思って。
でもね、僕実はあやめちゃんに一部ね、
関心したもんね。
大台高のオーディションがあって、
24:00
あやめちゃん落ちるんですよ。
そうだね。
一生懸命練習はしてたけど、
全然リズムが入ってなくて、
失敗しまくっちゃうんだよね。
失敗しまくったのに、
それじゃあ今回選ばれたのはって言われてる時に、
めちゃくちゃ祈ってんの。
そうだね。
で俺その瞬間、
いやなんか自分のパフォーマンス全く客観視できてねーのかなみたいな。
だって他の子ちゃんとできてて、
で自分あんなにミスして選ばれるわけないじゃんって思わねーんだなと思って。
しかも途中から泣いてたからね、高須。
そう、もうダメだってわかってるよねって思いながら、
俺はなんかそういう客観視みたいな、
自己認識みたいなものがまだ育ってないぐらいの子なのかなーなんて思ったら、
隣の子がね、選ばれて、
すぐに笑顔で拍手送ってたんですよ。
いやそうだよね。
本当に偉い。
でも内心もやっぱりすごいショックだから、
まあ帰るうちにもう泣き出して、そっからずっと泣いてんだけど、
いや、偉いねって。
偉かったね、アヤメちゃんって思いました。
本当に素直に、大人になるまで、
大人になってもあれができる人間でありたいなって思った。
今絶対拍手なんか俺絶対しないもん。
しろよ。そこはしろよ。
大人になってこそしろよ。
絶対無理だよ。
マジか。
全然上手くねえのにさ。
自分ミスしてんだからさ。
もう俺だったら、一回ミスった時点で、
この後どうやって拍手送るかしか考えないよ。
本当?
俺いかに今回はオーディションやりましたか?
全員、練習不足です。
もう一度やりましょうってその言葉を持ってる。
自分一人先にやったやつがちゃんとできてんのに。
できてんのに。
全員ダメになるっていうのをちょっと期待してしょうね。
全員ダメなパターンの言葉を願ってこうやって。
そんな感じですね。
あります?
あとこれさ、分かんないんだけど、
もし全然共感されなかったらごめんね。
のぼり棒が鉄っていうのにびっくりした。
どこの?
途中でね、ワンカットだけスッて入ってくるんだけど、
のぼり棒が全部鉄製なの。
だからどこの?
あの縦の。
工程?体育館?
27:00
工程工程工程。
あ、工程ね。
俺小学校の時竹だったからさ。
横サイドからこういってこの字型になってて、
そこにこういう輪っかみたいなのがついてて、そこに竹を通す感じだったのよ。
取り外し可能だったらのぼり棒の部分が。
取り外せるんだ。
俺幼稚園は竹だったよ。
小学校は普通に鉄だったんだよ。
まじか。
鉄っつってもなんかもう複合施設みたいな。
のぼり棒がいっぱいあって、両サイドにいっぱいあって、真ん中に釣り橋があって。
鎖の揺れる釣り橋があってみたいな。
で、途中なんか釣り輪があってみたいな。
サスケみたいになってた。
そんなやつがありました、校庭に。
今100%撤去されてるんじゃないですか。
多分ないでしょ。
のぼり棒って小学校にあんのかな。
どうなんだろうね。体育館の六木はあるだろうけどね。
あれはね。
あれ授業で一回も使わないんだよね。
腹筋のときの足を抑えるやつでしょ。
スポーツテストをね。
そうそうそうそう。
足ひっかけるためだけにやるやつだと思って。
あれまともに使われたことないんだよな。
あれ使い方未だに知らないもんね。
謎だよね。
まあとにかく学校に寄り切りだと思うけど、今時さすがに竹は見ないわな。
竹はもうなんか見なくなったよなと思ってさ。
そういえばうちの小学校竹だったなと思って友達にさ、
小学校の同級生の友達に小学校ののぼり棒竹だったよなってメールしたら、
確かにねって言って。
確かにねってなんだよ。
急にそれ言われて確かにねは出てこねえよ。
お前どうしたんだよさっきは。
しかも確かにねって返ってきて、
それでメールが止まっちゃった。
お前が責任持って広げなさいよそれは。
今それで無視してます。ごめんね。
竹ののぼり棒ね。
懐かしいなと思って。
節があるからちょっと足引っ掛けやすいかもしれないね。
そうそうそうそう。
みたいな。
僕登れないんですけどね。
僕も登れた試しがないんですよ。本当に。
当時ちびだったからね。当時幼稚園でちびだったから、
そんなすごく高いとこまで行ったって見えたのかもしれないけど、
友達20メートルぐらい上には登ってた気がしますよ。
絶対のぼり棒の高さ考えてますよ。
30:00
もう豆にしか見えなかった。当時。
高っ。
ビル何回分登った?
落ちたら死んじゃうって思いながら見守ってましたね。
20メートル、いや50メートルぐらい上がってたかもしれない。
すげー長い竹だったからね、あれはね。
いろんな竹がありますね。
そういう土木があるかもしれない。
あとね、僕気になったのは、今混戦してるのか。
どうぞ、じゃあ大間。
いいよ、今、ぼり棒高の試伏したから。
本当?じゃあね、国学院の教授だっけ?
杉田先生。
なんか出てきまして、特別活動の専門の方のようでですね、
特別活動って言って誰がわかるんだって気がしながら見てましたけど、
要は授業、科学とは別のね、科目外指導みたいな感じになるのかな。
それのご指導されてたんですけど、非常に内容が適切だなと思って。
本当にいい話した。
すっごいいい話してましたね。
あれだけ、あれだけで90分見たかったの、俺。
あの研修を受けたい。
あの話聞きたい。
俺もね、あの後杉田先生の論文探してずっと読んでたもん。
どうだった?
普通にサイニーであったからさ、ダウンロードしてずっと読んでたんだけど、
やっぱりこの人、小学校のそういう活動されてる先生なんだなっていうぐらい文章がすごく綺麗なの。
いいっすね。
超読みやすいと思って。
いや、読みやすい論文はありがたいですよね。
いや、本当にありがたいです。
しかもあの文系にありがちな何書いてるのかよくわかんない論文じゃなくてさ。
お気持ちシリーズね。
お気持ちシリーズは文系の論文本当に俺嫌いなんだけどさ、
ジョロウはどこだ、目的は何だっていうさ、
ホウホウはどこに書いてあるっていうのがよくあるんですけど、
文系のよくわかんない論文で、そんなことなくきっちり書かれてた。
すごく、特に創設がすごく好きです。
いい論文でした。
特にね、僕が今回の映画の中で言及されてることを見て思ったのは、
今の世の中っていうものを作ってるのは学校じゃないみたいなこと言うんですよね。
今すごくいろんな状況として何か失敗が起きたときに、
33:02
みんなで袋叩きするみたいな曲があるけど、
それ作ってきたの一端になってるのは学校ではないかと。
それは日本の学校が持ってる一致団結してっていう、
連帯感を引き延ばしていくような指導っていうのが持ってる、
負の側面っていうところまでちゃんと見れてないんじゃないのみたいなことをね、
簡単に言うわけですよね。
すごくいいこと言うなって思いながらも、僕はこの映画を見ながらですね、
あーって思ったシーンが一個あって、
上書きチェックシーンですね。
あれはね、絶対にやらせちゃダメだろうって思いましたね。
これ急に学校を批判してしまって申し訳ないんですけど、あれはダメですよっていう。
あれまさしくですね、先生が特派指導の中で触れてることに当たるんですけど、
子供同士に評価はさせあっていいと思うんだよね。
でもね、あれはね荒探しになるんだよね。
上書きちゃんとしまってあるかどうかっていうのは、それは大変素晴らしいなんてないんですよ。
だって綺麗にしまってあるかどうかなんだから。
結局あれはマイナス評価を探す活動になるわけですよね。
そうすると、その友達の名前の横に×を書いたり三角を書いたりっていう、
そういう世界線になってくるわけ。
そうすると自然と、たぶんこいつはだらしなやつっていうふうに擦り込みが生まれちゃうよね。
あれは絶対やらせちゃダメだよねって思いながら。
でもそんなのいくらでもあるんだろうなーと思ってね。
でも、そういう意味で言うと、いいなと思ったのが、
姿勢のいい人だれだーって、だれだれさん姿勢いいですねっていうシーンがあったんだけど、
本当はたぶん国学校員の先生はこういうことをやらせたいんだろうなって。
そうですね。要するに勝ちづけだよね。
その全体に何かしらの指導を浸透させていくときに、
ああしなさいこうしなさいでもないし、ほらお前ちゃんとしろでもないし、
だれだれさん素敵だよねっていうその言葉かけがそのものがもう勝ちづけとしての意味を持っていて、
その勝ちづけされた友人を見て自分もそうしようと思うっていう。
そこには強制はないんだよね。自発的な連帯っていうものがそこに生まれるわけで、
それこそがやっぱあるべき姿なんだろうなっていうふうに思うと。
やっぱちょっとね、あの先生素敵ですね。
彼の論文本当にね、あの先生の杉田先生の論文はね、ぜひ読んでいただきたいです。
リスナーも普通に検索すれば出てくるんでいっぱい。
ほんと著書買おうかなって思ってるぐらいです。
他に何かありますか?
少年たちの高校シリーズで、
36:03
1個だけもう絶対取り上げなきゃいけないなと思ったのが、
1年生の登校シーンなんですけど、
さんざ友達とどっちが一番前だってすげーこうチェイスするわけですよ。
しますね。
です。で、ちょっと歩いて自分が前に立った瞬間、
走っちゃダメなんだよ、クソガキかと思って。
いやだから、クソガキなんだって。
1年生なんてみんなそうでしょどう考えても。
いやもうこのコンボたまんないなと思って。
小学生って。
お前走っちゃダメなんだよ。
お前が競争しとったやないか。
いいですね、ああいう子供の純な姿僕大好きですね。
そうなんですよ。それがいいんだよねっていうのを思い出させてくれるよねシンプルに。
シンプルに。
自分たちもどれだけこうなんていうのかな、道理の通ってない生き物だったんだろうっていうのをさ、
ふと思い返すよね。
思い返すね。
全部多分さ、都合が悪いから忘れてるんだろうけどさ、
もう絶対にそんなこと当たり前にやってたろうね。
いや絶対当たり前にやってたし。
得するためにポジションを用意して、どうやって相手を引きずり下ろすかみたいなことしか多分考えてないぐらいのね、
ただそんな中でやっぱり困ってる子に手を差し伸べたりみたいなことが当たり前にこう出てくるっていうのもとても素晴らしくて、
大人になるといろいろ考えちゃうわけよね。なんかこう困ってる人がいたときに、いや自分が手を貸さなくても周りの人手貸してくれるだろうしとか、
いや今ここで手貸したら自分のやることで終わんねえしとか、もろもろいろんなことが関わってそのなんか一言が言えないみたいなのがあるんだけど、
すごいなんか一人の子が泣いてたりすると、大丈夫、ちゃんと言える子がやっぱりいるんだよねっていう、なんかすごく見てて心が洗われましたよ。
洗われたよ、あの算数カードみたいなのがなくなったシーンがすごい洗われてさ。
あったね、あったね。6たす9だっけ?
6たす9だった気がするんだけど、算数カード早く見つかるといいね、6たす9ね。
かわいいんだ。
暗号みたいな、私たちだけの暗号みたいな感じになってちょっと素敵だったね。
しかもあの6たす9のカードがなくなっちゃったんだって、見つかったら教えてあげてねっていう、たぶんこれを言いたくてみんなにいろんなこと言ってるんだろうな。
もうなんか目的と手段が入れ替わってる、あの子がいてさ。
39:02
そうね。
もうかわいい。
なんかね、やっぱり彼女たちにとっては大きな事件なんですよ。
大人から見たら、まあなくなるべくしてなくなったものがなくなっただけの話なんですけど、彼女らにとってはもう大事件発生なんですよね。
大事件。
いいですよね。
どうしたもの。
どうにかして自分たちで解決するんだ、みたいなさ。そういう感じが良かったですね。
あれこそね、少年探偵団のあるべき姿だと思いますよ。
そうかもしれない。
殺人事件とか関わっちゃダメ、小学1年生2年生が。
そうだね、何かこう友達の亡くしたものを探しに行くぐらい、ちょうどいいのよ。
ちょうどいいの。
連続殺人犯とか追っちゃダメだから。
いらないからそんなことしなくていいから本当にもう。
消しゴム見つけた場合でいいよ。
うなじゅうとか頼んじゃダメ。
いらないいらない。
あとですね、やっぱり発達段階によって大きな差があるなってすごい感じましたね。
また混戦した。
そうだね。また混戦したね。いいよ、発達段階の話聞こうよ。
はい。
じゃあ僕いいですか?
はい、発達。
はい、発達段階による大きな差があるなと思いまして、
6・3・3制じゃないですか、日本は。
6年間を一緒に過ごしていくっていうのってやっぱ素敵だなってちょっと思いましたね。
1年生と6年生ってこんなに違うんだねっていう。
これだけ違うからこそ学び合いが生まれるんだろうなと。
なんかモンテス・ソウリメソッド的な側面が一個あるような気がして。
子供同士が子供同士のコミュニティの中で年長者と年少者との間に何かしらの教え合い学び合いが生まれていくっていうふうな構図があるんだろうなっていうふうに思いまして。
すごく素敵だなっていうふうに思いました。
そうね。
特に例えば1年生のことを2年生がちょっと面倒を見たりとか、
あるいは6年生が最初は一番最初は1年生につきっきりになって、
そしたら少しずつ学年が落ちていくんだよね、最終的に面倒を見ていくっていうような。
そこで2年生になった子たちは僕らから見れば大して変わりはないんだけどさ、
たぶん彼らからするとすごい差なんだよね。
ものすごくたぶん1年生が幼く見えるんだろうし、
そこでもやっぱり人と比較することっていうことが小学校からすごく強くスタートしていくと思うんだけれども、
42:04
その中でこの自分との1年前をお世話したりとか関わっていくことで学んでいくっていう、
この縦の連鎖ってすごくいいよね。
なんか見てていいなって思う。
なんかそのオープニングぐらいかな、放送委員の2人が、
うちらってあんなにちっちゃかったっけみたいな。
はいはいはい。
なんかかっけえのが。
で、終わりの方では今度は2年生になったね、
あやめちゃんたちが入学式のお祝いの演奏の前に控室にいるんだけど、
あ、新入生入ってきた。かわいいーとか言ってるんだよね。
仲いいっすよね。
いいよね。僕らからするとどっちもかわいいよって。
大差ねえよって思っちゃうんだけど、
そういや違うんだよね、あの社会の中ではねっていうお話でしたね。
なんかさ、その放送委員の男の子のさ、
僕の中の名台詞。
名台詞っていうか名やり取りがあってさ、あの女の子との。
大人になるってどんな感じかな。
俺大人になりたくねえみたいな。
そうね。
ずっと子供でいたいって言ってたね。
俺いつもずっとトイザらスキーズって続くのかなと思って待ってたんだけど、
続かねえんだと思って。
そこまで頭回んないし、
彼はたぶん彼女の前ではちょっとかっこいい自分でいたいんで。
まあまあそうね、それは絶対あるからね。
恋愛感情とかまた別の枠で。
そうそうそうそう。
6年生だもん。
そういうね、いろいろ感じるところあるわけですから。
あれよかったっすね。
あのシーンよかったね。
いやだからね、これを見て純粋に子供たちのありのままを切り抜いたっていう風に思うのか、
もう一歩踏み込んで、当たり前の日常の中にカメラが入ってきてちょっと意識しちゃう子供たちを楽しむっていう。
そういう映画でもあるっていうことを、やっぱりちゃんとね、分かった上で見るともっとまた面白いんだろうね。
いやそうよ、あの男の子最後まで意識してるもんカメラを。
意識してるから当たり前だけど、そんなこといいしもんみたいな。
それがまたいいんですよ。
その年の子たちがいろいろこう、日常の中にカメラが入った時にどういうリアクションになってくるのかっていうところを楽しむみたいなところはあって。
それがすごくよかったですね。
あとしょうもない、なんか僕が見て思い出しちゃった悲しい場面があって。
避難訓練の場面なんですけど、僕小学校当時からでかかったもんでさ、一度たりとも机の下入れなかったなって思い出した。
45:11
頭隠して尻隠さず状態がずっと続いてたよね。
そうなんだ、かわいそう。
僕は他の子よりも大きい机を常に出してもらってたんで。
くそー。
他の子より2号ぐらいデカい机を必ず僕だけ使ってました。
中学校の時使ってた俺の机みたいな感じだよね。
だから犯人になってくださいって言われた時に俺だけデコってなってて。
上手くて使えない。
うちだってあのチビどもと同じ机使わされてたのよ。
だってあれ座ると普通に机が浮いちゃうじゃん。
机はずっと浮いてんだよ。
机の足が常に浮く状態になっちゃうから、これじゃ勉強できません。
変えてくださいって。
必ず俺がいるクラスには一回り二回り大きい机が一個だけ紛れてました。
ひどいな。それやってくれてたの中学校だけ。
そんな僕のために新しく買ってくれたんじゃないかな、あの机ね。
それを卒業前に僕が授業中ずっとカッターでタンポポを掘ってたんですよ。
掘ってましたね。
掘ってた。
なんかなんだっけ、なんかメイクフラワーみたいな、よくわかんない文章書いてたよね。
ね、なんかその文字に関しては全然覚えてないんだけど。
俺のね、卒業アルバムの寄せ書きのところにもお前タンポポ書いて、
なんかなんちゃらフラワー、イン・ヨー・ハートみたいな書いてくれてるんだけど、
フラワーとハート両方ともスペル間違ってるんだよね。
恥ずかしい。
こいつ可愛いなって毎回振り返るたびに思うよね。
当時からバカだったんだね。
あれもう大好きです。いつも見てます。
ありがとうございます。
で、その大事なスペルに掘って。
掘って、卒業してからめちゃんこ怒られましたね。
怒られてましたね。
卒業した日の放課後とかにもうすぐに怒られてますでした?
いや、俺の時期にこれどうすんだよって言われて、
どうすんだよ、こうすんだよ、掘っちゃったもんって言って帰ったら、
後日呼び出されたのにヤスリで削らされた。
僕もね、机掘ってね、僕は穴開けたんですよ。
穴開けてたよね。消しゴムのカスかなんかで埋めてるって。
綿を詰めて、そのてっぺんに木工用ボンドを塗りたくって、
その木工用ボンドが半乾きになった時に茶色のマジックペンを染み込ませたら、
茶同盟な感じで最終的に固まって、
まったくただの節目みたいな感じになる。
48:01
で、まったくバレませんでしたね。
俺もそうすればよかったのか。
そうなんだからね、やっぱりこう賢く生きるってこういうことなのかなって思って。
そうね。
いかに怒られないかって大事だから。
嫌なやつ。
ありましたね、そんなことね。
じゃあもうちょっと本題行こうか。
行きましょうか。
なんか今回どっち?
どっちだっけ?前回ピンポンどっちから言った?
全然覚えてないんだよピンポン。
まだ聞き返してもいないんだよ。ちょっと忙しすぎてマジで聞けてなくて。
じゃあ俺からね。
分かった、はいどうぞ。
でも俺ね、あんまり映画の本数値に関係ないから、俺後のほうがいいんだよ今回。
そうなの?
どうぞだから。
僕また暗い話するよ。
じゃあ俺先行こうか。
うん。
じゃあ行きます。
今回の僕のお話はこちらでございます。
小学校、地図上の本物の社会説。
ということでね、この本題の前にそもそも映画のタイトルが小学校、それは小さな社会みたいなこと言ってるんですけど。
副題についてる通りね。
一方でずっと学校にいるんですよね、僕っていうのを遠藤先生だっけ。
うん、遠藤先生。
丸刈りの先生が言うんですよ。
言ってたね。
社会知らないとか言われちゃうのかもしれないんですけど、みたいなこと言ってて。
まあなんていうのかな。
これもうずっと擦られてますよね。
学校関係者は社会を知らないっていう。
はいはいはい。
もう学校教師は社会を知らないからねってもう本当に。
もうそろそろことわざ辞典に乗っけてもいいんじゃないのかなってぐらい。
学校教師、社会を知らず。
もうさ、いい加減もうみんなもう言ってて、みんな言ってるから、さもそれはエビデンスがあるかのように。
ねえやろ。
そのうち論文の転挙に使われる可能性がある。
そのぐらいもうずっと言われ続けてるんだけど、果たしてこれって本当にそうなのっていうのを、今回はちょっと本作も絡めつつね、見ていったらいいのかなって気がするんですよ。
学校は社会を知らないっていう批判は一体何なのかっていうね、話で。
まずね、一つ言いたいのは、関係者は社会を知らないとかの前にそもそも学校が歴史とした社会であるっていうところからまず確認をしていきたいと。
51:03
フランスのエミル・デュルケームがですね、社会的事実っていう概念を提示していますけれども、社会的事実っていうのはその個人の外部にありますよ。
要するに社会の中にある通念というか、みんなが共有している行動様式ね、こういう時はこうしなきゃいけませんよねみたいな。
こういう時にこういうふうに考えましょうとか、そういうような体系っていうものはそもそもですね、個人の意識の積み重ねじゃなくて、社会のその単体の中に存在しているリアルなわけですよね。
これ学校で考えたら、これまんまですね、そこには社会的事実っていうものが存在していて、例えば挙手の仕方、廊下の歩き方、掃除当番のやり方、給食の配膳手順とか、
これ1年生の先生がもう一通りに全部教えてくれてましたけど、あれはもう完全に個々の教師のやり方っていうんじゃなくて、
学校っていうその現場が持ってる一つの固有のルールと秩序としてもう機能してるんだよね。
これはまさしく1年生が入学したその初日から、もう社会的事実としてのその学校の中で機能してるルールや秩序に直面して、それを体で学んでいく。
そして6年間は過ごしていくっていうその学校という一つの大きなコミュニティの中に生きてる社会的事実の姿そのものなんだよね。
だとしたらそれがある以上、学校ってそもそももうすでに一つの社会ですよねっていう。それはもう明確でしょうよというお話なんですよ。
プラスで言うと、次はブルデューですけども、
ピエール・ブルデューですね。フィールドっていう概念です。
フィールドは固有の規則だったり資本、あるいは非エラルギー、そういったものを持つ相対的に自立した社会空間のことです。
これは要するに様々な、要は自然界みたいなのがあるのと同様に、学術界であったりだとか、医学界であったりだとか、
あるいは芸術界、芸能界というかもね、あるいは経済界、それぞれ回ってついてるようにこれ全てフィールドなわけですよ。
これらのフィールドにはそれぞれ独自のルールっていうものが働いていて、そしてそれらのルールっていうのは他の場所に移植ができないんですよね。
移植しても機能しないわけですよ。だとすると学校もまた固有のフィールドですよね。
それは例えば子どもたちが生活している生活様式もそうだし、あるいは保護者対応のイロハであったりだとか、
学校行事の企画と実施に関する様々な業務様式、特別活動の指導なんかは今回取り上げられていたけれども、
あれらって一般企業のそれとは異なる学校固有の専門的知識と技能、あるいは教員の職能としてそれらが必要となる特別な活動なわけですよね。
54:12
そこが多分そもそも論、多分イメージできていない人が多いのかなって気がしていて、
社会に出てない人たちがなんかやってるみたいなふうに言いますけど、じゃあ社会人経験者が学校現場に来たらすぐうまくやれるのかって言ったら、
これブルデューの視点から言ったらそれがいかにナンセンスな話かわかると思うんですけれども、フィールドが違うんだから当然それもうまくいくはずがないんですよ。
学校教師は社会で通用しないって言うけど、いやいや社会しか経験してない人は学校現場で通用しないんですよ。
ただ単に全く同じことを言ってるにもかかわらず、なぜかそれが多分入っていかないっていうお方が多いんですよ。
これは単純にもうそのフィールドっていうのは双方向において閉じているものなのだから、当たり前ですよねっていうお話なんだけれども、
どうもその辺がなんかいつもすれ違ってしまっているなっていう。
じゃあなんでこんなすれ違いが起きるんだっていうお話になってくると思うんですね。
僕としてはおそらくこれらの批判ね、学校は社会を知らない人たちの集まりだっていう風な批判は、
おそらくはこれは認識上の根本的な問題があるんじゃないのかと。
認識論的な障害っていう概念、これガストン・バシュラールが言ってますけれども、
これそんなに難しい話でも全然なくて、要は自分はそれを知ってるって思ってる認識感覚が正確な理解の邪魔をするわけですよね。
だって知ってるしって思ってる人はやっぱり知識の入力がいかないわけですよね、うまく。
これは学校批判ってまさにこの構図に最も陥りやすい土壌を持っているんじゃないのかっていう。
それは何でかっていうと批判する人の多くは学校に通った経験をみんな持ってるからです。
つまり内側から見た世界を知ってるって思うんですよ。
実際6年間なり3年間なり通ってるわけだからね。
あれだけ通って僕はもうそれを見て体で経験してるから分かってるって思っちゃうんだけど、
ただここで気をつけなきゃいけないのはその経験は教育を起きる子供の立場から見た学校でしかないということ。
そして教師という立場から見た学校ではないし、あるいは学校運営の統括をしている管理職としての視点でもおそらくないだろうし。
そんな気持ちで学校通ってる子供いませんからね。
当たり前なんですよ。
だとしたら実際僕らも自分らが小学生の時期のこと思い出してみても、
学校運営の実際、運動会で先生たちが何をしていたのかとか、あるいは保護者対応の実際ですよね。
自分の親と先生がどんな感じで関係構築していたのか。
57:02
それも知らないじゃないですか。
知る余地もないもんね。
知る余地もないんですよ。
子供に託しておきたい部分が多い。
こんなものは子供の目には映らないわけなんだよね。
さらに言うと、じゃあ小学校の時にどんな経験、先生との関わりとしてどんな経験が一番心に残るか。
もうね、8割9割は叱られた経験なんですよ。
すっごい褒められて嬉しかったっていう記憶もおそらくあると思うんだけど、
残念ながら印象的に残るのは叱られた経験の方が確実に多いんですよね。
これが結局、あくまで叱られたという事実の方が残りやすくて、
そこの背景だったり文脈っていうものは得てして失われやすいわけですよね。
そうなると一体何が起きるかっていうと当然のことながら、
マイナスな気持ちの方が先にずっと残り続けますよねっていうところだと思うんですよね。
批判者が特に自分の子供の頃の経験を通して学校を見てるっていうのもものすごく大きく影響していて、
カール・マンハイムが言うですね、世代的経験っていう概念があって、
これ一体何かっていうと人が社会を見る時っていうのは自分の世代の中での経験ね、
自分っていうものが形成された時代の世代的経験っていうものを通してしか社会を認知できないわけですよ。
ってことは学校批判も同様で批判者が基準にしてるのは自分が子供だった頃の学校なんだよね。
制度も変わってる、子供たちの環境も変わってる、教師への要求も変わっているっていうそういう現在の学校を
自分自身が子供だった頃に見た過去の経験で測るっていうのは必然的に認識はずれますよねっていう。
だからどう考えたってそんなもんはどうやってもナンセンスになりやすいですよね。
だからなんだかんだで明らかにね、明らかにナンセンスとしか言えない学校は社会を知らない論が
当たり前に通用してしまうというか当たり前に口にされ続けているのはそういった部分にあって、
自分は学校を知っている、そして学校は明らかに社会とは違う。
で、それは良くないことだっていうところにやっぱりみんな帰結してしまうっていうふうな状況がおそらくあるんだろう。
ここまで僕は学校批判をする人たちの持ってる認知的な課題というか問題点をずっと言ってきたけれども、
学校の見方を100%したいわけではないんですね。
それはさっきジャブの中でも言ったように、やっぱり好ましくない指導は存在していると。
僕はやっぱりあの上書きは絶対にダメだと思ったし、特活の先生もね、特活の教授もビー玉貯金に関しては苦言を呈してましたよね。
1:00:00
今まで語ってきたその学校批判が起きる土壌っていうものは、実はその学校の中での新陳代謝が起きにくい理由にもなっているなと思っているんですね。
これはもう構造的に仕方のないことだから、構造的な欠陥、構造的課題って言っていいのかなって気がするんだけども、
結局まあ人だけが入れ替わり続けていく、そして同じ1年間があるいは同じ6年間が繰り返されていくっていうのが学校環境の異質さになるんでね。
そうすると、思考停止で残り続ける悪臭っていうものは絶対にあるわけだ。
なんとなく効果がありそうだと思った、誰々さんがやっていてなんか良かったみたいな、検証がされていないまま慣例として残り続けている観光、指導内容、そういったものは意識的に問い直しが行われない限りはどうした
って残り続けてしまうわけです。
学校が一つの社会であるとするならば、それこそ他のフィールド、他の社会が持つ事情作用っていうものをまた学校には求められるよねと思うわけ。
で、その学校の事情作用っていうものを妨げている最大の要因として、教師が持っている原体験としての学校教育をそのまま再生産してしまうっていう構造かなと思うわけ。
知れば絶対あるだろうね。
これは絶対あると思って、要はさっき言ったその学校を知らない人たちが学校を語ってしまうっていう構図と全く同じで、要は教師もまた子供の頃に受けた教育っていうものを原体験として持ってんだよね。
そうすると自分がそれを受けて良かったって思ったら、それを思考停止でそのまま擦ってしまうっていう、そういう構図も自然と起きてしまうわけだよね。
ただ、自分が子供の頃に受けた教育をベースに指導を組み立てるってなったら、単純にそれ十数年前の教育を繰り返していることになるんだよね。
そしてこのズルは致命的で、教育学術っていうのは常に未来を想定して指導方法っていうのを模索しているわけですよ。
それは何でかって言ったら、子供が大人になった時にその指導っていうものが障害学習だったり、そして社会の中で適応して生きていくために活用されるっていうことを考えると、次の社会に向けてより先進的な学び
っていうものを模索しなければならない。
そういう構図なんですよ。にもかかわらず現場の教員が自分の現体験に則って指導を考えたら、そのギャップは10年20年じゃくだらないレベルになってくるわけだ。とんでもなく前の指導。
それはどんどん遡ってくることさえ生まれるもんね。 そうそうそう。ということになってしまうんだよね。だからとてつもなく大きな時間的なギャップがそこには生じてしまうよね。だからもうここで
僕が言いたいのは、要するに学校って特殊な社会ですよねと。
1:03:00
それは誰しもが一度はそのコミュニティに属していたという経験を持っているということ。その上でそこはいわゆるその一般的とは言い難いフィールドであるということ。ただ同時にそこは立派な社会でもあるんだ
ということ。
だからその社会の中でそのフィールドの中で生きているルールっていうものを問い直しながら、それでもやっぱり特殊であることは変わりないんだからその特殊な社会の中で適合していかんなく職能を発揮できるような教員
がそこを支えていくっていうことは何も変わらないし
さらに言えば結局そこでやってる人たちにはそこでやってる人たちの責任はあるけれども同時にやっぱり専門性と、要するにプロフェッショナリズムがそこにあるわけだから、それをフィールドの外にいる人間が自分の子供
の頃の記憶を頼りに一方的に批判するのはナンセンス過ぎやしないかということなんじゃないのかなっていう気はするんだよね。
多分だからみんないわゆる一般社会の中で働いてる方々も同じこと言われたらハッてなると思うんだよね。例えばだから何だろうな、医学系の人たちが医学の人たちは社会知らないよねって言われたりとかさ、
あるいは何かこう、技能系の工場とかで働いてる人たちは工場で働いてる人たちは社会知らないよねとか、あるいはこう普通に何だろうな証券会社とかいる人たちは経済界の人たちは全然なんか世の中のルールわかってない
よねみたいな。同じじゃんっていう全部。
そうですね。なんかもっとミクロなところにいくとさ、サッカー選手ってスポーツ知らないよね。何のおかしなことあるかいみたいな、そういうことだよね。 そうそうそうそうそう。それだってもうね。
サッカー選手って野球できないじゃんだってみたいな。 ああ意味わかんないよねって。それは当たり前じゃんって。みんなそれぞれ自分のフィールドに自信を持ってやっていくべきであって、
なんだろうあつかもここには一般社会と呼ばれる大きなこうみんなが所属しているコミュニティがあって、学校関係者としてそこが、だけはそこから弾かれているみたいなのって、まさしく幻想だよねっていう。
そうそうそう。だけどその社会というさ、イデアをさ、誰もが共通認識で持っていると勘違いした上での話になっちゃってるから、意味がわかんなくなっちゃうんだよね。
大概しかもね、そういうことを大言壮語を言う人に限って、結局どこのコミュニティにも属してない人だったりすることもあって、何かなっていうふうに思うこともやっぱりありますよね。
そうだね。 だからやっぱり一番叩きやすいフレーズになってしまってるんじゃないのかなっていう気がするね。
なんかこう、どんどんやっぱり教員っていうものの立場っていうのがさ、やっぱりこのいわゆるサービス業だよねっていうことが言われ始めて、教員っていうのはサービス業だよっていうことを言われ始めてから
1:06:11
というもの、その教員というものが
何をする職業なのかって、まあ教育なんだけれどもさ、じゃあ何しているのかっていうところの本質を見ずに、教育を受けさせることがあなたの義務であってっていう、なんだろうな、従来的にはね、それこそテレ小屋時代
から振り返っていくとさ、
先生というものがいて、先生というものが生徒に対して時間をわざわざ割いて自分の知識を教えてあげると。その知識を得たいからわざわざ先生のところに支持しに行くっていうところからスタートしていってるわけ
です。
そこから時代を経てに従って、今その職業として金をもらっているんだから、その商品としての教育というものを上げさせないわけにはいかないよねっていう、なんかこのカスタマー精神みたいなところがバランスが今取れ
なくなってる、ちょうど過渡期になってるんじゃないかなっていう。
たぶんそこにねじれというか、いびつさがあって、たぶんもうそんなこと言い出したら教師が本当にただ科目指導だけすればいいのかって話になってくるんだけど、小学校なんかは全然そことは関係ない部分まで本当
に教師の仕事っていうものが広がってんだよね。
今回この映画を見れば全て伝わってくると思うんだけども、本当にね、たぶん業務としては教科指導よりも教科外指導のほうが明らかに多そうじゃない。だからだとしたら、たぶんそんなお金もらってんだからやれよって言
われたら、たぶんその学校業務の半分以上は動かなくなるんじゃないのっていう。
そこはもうもはやサービス業になっちゃってるじゃんっていう。余剰サービスを行ってますよねって話になってきちゃうから、金の分だけ働けって言っちゃったらあれだし。なんだったらこんなにさ、こんなに教師に対する
冷たい冷ややかな視線が向けられる世の中で、あれだけ丁寧にお仕事してるこの映画に出てくる先生たち、成人すぎん。
いやすごいと思うよ。
無理だと思う。あんな風にさ。
批判も褒めるも同時にやるんだけれども、遠藤先生さ、朝6時に来てるんだよ。
そうね。
ある意味では、6時に来なきゃ仕事が成り立たないっていうようなプロフェッショナリズムを持っているのかっていう批判ももちろんできるし、そういうふうなことを時間外の労働をあえて進んでやるからこそ、教員と
しての時間っていう勤務としてのものが成り立たないようなことが起こるんだっていう批判ももちろんあるのがわかるけれども、
1:09:05
じゃあよ、職業意識だけ、金をもらってるだけの精神の人が朝6時から仕事をしようとするかと、言うちゃ悪いけど教員って発球よ。
そうだよね。
あれだけやって、クソほどしかもらえないんだから。それをちゃんと6時からやるっていうのは、彼なりの教員というものへの矜持がしっかりあってプライドがあるからこそ、子供たちに何をできるんだろうっていうのを朝
6時から、何食ってんのか全然最後までわかんなかったけど、進みながらやってんだよ。
朝っ端からね。世の中が多分いろんな価値観を、もろもろ合理化、効率化みたいなところで、多分全て制御しようとしつつあって、それがかっけえみたいな感じになりつつあるんだよね、多分。
そのせいもあってやりがい搾取みたいな言葉が出てきたりするんだけれども、結局さ、やっぱり学校教育って一つのエッセンシャルワーキングじゃないですか。社会を支えている仕事を。そこは結局、やりがい搾取みたいな
言葉が生まれるようなメンタルで進めるものじゃないじゃないですか。
あの仕事に関わるっていうのは。だから本当に遠藤先生、いろいろとね、いやいや体育館の意欲は傷つけないとか思いましたけど、でもやっぱりすごい思いがあって、金のために働いてるなんかじゃ到底ないんだよね。
いかに今目の前の子供たちに、その社会に歩みを進めていく上で、何かを残してあげなければいけないんだという。そういう思いがあるからこその労働なんだよねっていう。だからそういう人たちがやってくれてるんだ
ったら、やっぱりなんかこう、かける言葉あるんじゃないのかなっていう気はするんだよね。
本当に尊い仕事だし、エッセンシャルワーカーの人たちが本当に給料分だけの仕事をしたら、世の中ひどいことになりますよ。
だって例えばさ、よくあるのか、医者はカルテしか見ないで患者のことちらりと見ないみたいな。こっちの心に寄り添ってくれないんじゃないか。給料分で働くんだったら別に患者のことなんか見なくていいんだよ。
ベントゲント診断書を見て、これだね、じゃあこの薬って言って別に患者と対面しなくてもいいじゃない。看護師なんてタオルペッて渡してお世話になるよ。体引いといてペッて。むしろそのタオルすら渡さないかもし
れない。
ご家族の方はやってくれないんですか、逆に。私たちは無理です。点滴つなぎますから私たちっていう話になってくるからさ。
あれはそのエッセンシャルワーカーとそのいわゆるエッセンシャルワーカー以外の部分っていうところは本当に明確に分けなきゃいけない職能なんだろうなと思いつつ、エッセンシャルワーカーの中の、
1:12:15
僕、すごい嫌な言い方するけど、白球のエッセンシャルワーカーの人たちに苦言を呈したいことは一つだけあって、確かに社会を知らないなっていう面は確かに存在すると思うんです。何かというと、研究論文を読まなす
ぎる。
世の中で最新のものが何があるのかとか、今やってることに対しての最新の知見は何かっていう学会に参加したりとか、研究を自分でしてみたりとか、研究に参加したりっていうことに関しては、
例えばドクターなんかすると、そこがもう仕事の一部に完全に組み込まれているから、最新の知見に触れざるを得ないわけさ。一部のクリニック等々は除くんだけど、
大学美容院っていうところだったりとか中小規模美容院っていうところにいる方々はだいたいもうカンファレンスをやって、省令報告をあげてみたいな形でずっと進んでいってるんだけれども、これ給料のレンジが下がれば
下がるほど、その研究だったり最新の知見に触れようとか、最新の公演を聞きに行こうっていうのが
どんどんしなくなるっていうのが僕の勝手の感想なんだけど、そういう意味では、最新の社会を知らない教員は多いんじゃないかなって
だから最低限の知識、経験を積んでいくだけのセーフティーネットは必要だろうなと。たぶんあれは校内研修の講演会だったんでしょうね。大学教授招いてお話を伺うっていうね。
たぶんあれは一つの市会研修として組まれてるんだろうなって気がするんだけど、それ以外のところで研究会に所属してやっていくかどうかっていうのは多分自治体によって違うんじゃないという気がしますけどね。あれは
東京都立ですかね。
プリッツ世田谷だからね。 だと思いますけど、東京都は東京都でそういうことはやってるかもしれないけど、全国のね、全国規模の例えば学会に所属をするだとか云々かんねんは本当に個人の自由におそらく
かなってくると思うので、そこでいうと本当にもう個々人がどこまで意識意欲を持ってやるのか責任感を持ってやるのかっていうところが多分
1:15:01
もう任されちゃってるんだろうなという。 そうね。これに関しては、やっぱり時間がないっていうのも一つ問題ではあるとは思うよ。 まあでしょうね。あとはまああれだよね、その学識に関する形式地とは
異なる部分として、現場において積み上げていく経験値というか、
そっちの方がむしろ評価されやすいような環境であるっていうところも学校の特殊性になるんじゃないのかなって気がするね。本当はそこって別に別物じゃなくて根っこのところでつながってるからどっちも伸ばしていか
ないといけないんだけれども、結局その1年間をどうやって乗り切るかっていうところをもうすごい必死になって進めていかないといけないわけじゃない。
必死に進めていく上ではやっぱりもうどうしようもないわけですよ。っていう気がしますね。大間どうぞ。そろそろ大間のローンかな。
はい。じゃあちょっとここからね、また僕の暗い話になるんですけども。
今日ってごめんね、またせつ。今回ちょっとつける気が起きなかったのでつけてないです。
えっと、この映画で一番長く引っかかった部分がやっぱり先ほどのちょっと出てきたオーディションの場面だったんですよ。
あやめちゃんオーディションですね。もう僕はね、大間は絶対あやめちゃんオーディションに言及するだろうなって思いながら見てましたから。
もうね、あれ見てて本当につらくて、一回見るのはここで止めたぐらい。
あーっつって言って、トラウマなんですけども、練習で上手く叩けない子がみんなのいる前で先生にどちゃくちゃ叱られるというか、叱咤をされるわけね。
その後にこの台風間のリハーサルで上手くできた時、先生がよくできたと。できると思ってたよ、あやめさんはって言って声をかけるシーンがあって。
結局本番ではすごく上手にできて、映画でそこで終わるっていうところがあったんだけど。
これをね、あやめちゃんの成長の物語として感動的に見られるっていうところも描かれてはいるし、実際にそう受け取った人も多いと思うんだけれども。
でも僕はね、この全員の中で叱られるという構図のところでめちゃめちゃしんどくなったのね。
というのは当時の僕によく似てたからっていうところがあって、この前番組のマコバナの一番最初の最初。
一番最初の最初ですね。
一番最初の最初は僕がポッドキャストというものの収録を初めてやったぐらいの時のやつですね。
いじめはなぜなくならないのかっていうテーマで、マコちゃんと雑談を1時間近くするっていうやつをやって。
1:18:01
そこで詳しい話は多分してるからここちょっとさらっとやるんですけども。
僕小学校の5年生と6年生の時に学校に行けなくなって、いわゆる不登校児だったんですね。
一応最初に言っておくと、今回の映画に出てくる先生たちを批判したいわけでも、
僕が当時受けていた教育、むしろ特定の先生を批判したいわけでもないんだけれども、
これから話すのはある意味僕のアイメッセージであって、こういうふうに受け止めたっていう前置きをした上でちょっと話をさせてもらうんだけども。
当時の授業では例えば漢字のテストがありましたっていうとか図工の絵を描きましたっていうと、
僕の絵をとか僕の漢字のテストとかを黒板に貼って、ここができてないね、あれができてないねっていうような授業の形態っていうのが
当たり前に行われてたのね。当時の教育資料でそうなってたのかどうかも私は知らないですけども。
なってるわけねえだろ。なってるわけねえだろ、そんなもん。
まあそうよね。
恐ろしい世界だもん。そんなわけねえ。怖いな。
もしかしたらね、教員からするとその間違いから学ぶっていうような意図があったのかもしれないけれども、
でも当時の僕にすると、まあしんどいわけだ、それが。
で、もう一つきつかったことが、そうした指導が続くうちに同級生が純先生になってるのね。
で、生活の場面でありとあらゆる場面、例えば僕が手を洗った後にズボンで手を拭いたとか、
もうそんなどうでもいいちっちゃいところから上履きを揃えてないとか、
給食の並べ方が違っていたとかっていうことを、
逐一僕をいろんな目が監視するようになったんですね。
監視するようになって、監視がそこで終わればまだマシだったのかもしれないですけども、
逐一先生に報告をするという流れが生まれてしまったんです。
まさにキツネ狩りの状況が生まれて、
で、その純先生みたいなうまくやろうとする子供たちに関しては、
先生からやっぱり褒められるわけじゃない。
注意してくれたんだね、ありがとうって褒められて、
僕はそれで叱責をされる。
で、その子はもう嬉しくなるもんだから余計僕の監視を強めるみたいな、
そういうもう僕にとっての負の連鎖みたいなのが重なって、
ある日学校から帰ってきた瞬間、玄関先で大量のお漏らしをしまして、
言ってましたね。
多分ね、僕の中の限界が何かをツンっていったらしいんだけど、
玄関開けて本当に苦痛。
玄関入って一歩入った瞬間に止めどなく大漏らしをして、
1:21:00
号泣をして、そこの翌日から朝起きたら体が動かなくなるとか、
学校の準備をすると体がピタッと止まって本当に自分の意思で動かせなくなるとか、
あと一日中吐き気があってとかだるさが続いてっていうことが
身体症状として現れて学校を休むことになって、
その後はね多分カウンセリングを受けながら過ごしてたっていうような状況がありましたという、
詳しくはちょっとマコパラの方でまだたぶん残ってるよね。
残ってる。CMみたいにすんなよ。
あの時すごくね、こと細かにね、語りつつ、
そこからまた発展してね、
いじめってなんだろうね、どうしたらいいんだろうねみたいなお話までしましたもんね。
そうそうそう。
まあそういう体験があってこの動画を見たもんで、
あの綾芽ちゃんのシーンが本当にしんどかったなっていうところと、
それと同時に杉田先生の話っていうのが非常に、
非常に感銘を受けたっていうところもあったのね。
先ほどマコちゃんが言ってくれたように、
特別活動を長くされてた先生で、
ビー玉貯金っていうのが、
いわゆる多分僕のあれと同じような構図ですよね。
誰か指摘する人を見つける、
そこを批判することで自分らの活動をうまくやらせるっていうような、
総合監視の対象を子どもたちの間で作るっていう構図になってしまうよっていうような、
諸花剣だよねみたいなことをお話しされると。
完全に仕組みとしては同じではない。
ビー玉貯金に関しては連帯責任の話で、
僕の場合に関する先生の評価みたいなところからスタートしているわけなんだけれども、
そういう子ども同士がチェックし合う取り組みによって、
監視し合うっていうことが、
この教育の場で行われてるっていうことが、
僕にとって本当にしんどい話になって、
いろんな論文、杉田先生のやつすごい読ませていただいて、
もう半分、杉田先生ちゃんと話している面があって、
そういうような連帯責任をなくせっていうふうに、
協力活動をなくせっていうことは杉田先生全く言ってないんですね。
別の論文では、今の学校では強制することっていうのが良くないっていうような空気が強くなって、
子どもに要求もせず、失敗もさせず、
失敗から学ぶ機会がすごくなくなってるんではないかっていうことを危惧しているっていうことも述べられていて、
1:24:03
その例として挙げてたのが、
まさにこのオーディションみたいなことっていうのの機会が、
小学校の中でほとんど行われなくなってしまったっていうことが、
非常に危険なんじゃないかっていうこともおっしゃってるわけね。
杉田先生、集団で育てることそのものっていうのを指定してるわけではなくて、期待するから要求する、失敗を乗り越えさせる、それは大事だよと。
でも子どもたちを攻め合わせたりとか監視し合わせたりする仕組みっていうものは、
絶対に避けた教育っていうものをしなきゃいけないよねっていうようなことを言っていて、
この先生本当にすごいなっていうふうに思ったっていうところ。
ここでちょっとオーディションの場面に戻ってくるんだけどさ、
このできると思ってたよっていう一言に関しては二通り読めると思うんだよね。
一つは杉田先生の考え方に沿った意味で、最初から期待してたからかそう厳しく要求したと。
で、乗り越えたときにそれをよくできたねっていう言葉にしたと。
期待するってことは要求することだから失敗から学ばせることであって、
その形が映画のあのシーンで撮られていたっていうところだと思うんだけれども、
実際にこの子は本番ではすごく上手に堂々と演奏されてたので、
本当に頑張ってやってたんだろうなっていうこともあるし、
そういう指導で子ども育つ子がいるっていうことに関しては否定はしないんだけれども、
もう一つはね、僕の経験上からの見方だとすると、
できるっていう信頼っていうのは、
少なくとも映画化で映されている範囲に関しては、
先生からかけられてない言葉なんだよね。
オーディションをやった後のリハーサルの場面までに、
その間にどんなやりとりがされてたかっていうのは僕らは見ることはできないので、
そこはもう分かんないんだけれども、
少なくともその映像内では先生から大職だよ、できるよっていうことを言われながら、
ここまで練習したっていう場面がなかったっていうところで、
前提でちょっと話させていただくんだけれども、
もしね、このあやめちゃんが最後までできなかったら、
このその信頼してたからとかっていうような言葉っていうのは、
あやめちゃんに最後まで伝わらなかった可能性があるなっていうことがあって、
ちょっとこの映画の監督にも、
そういう学校の負の側面っていうのは今回の映画でほとんどあまり
ドキュメンタリーとして取り上がってないなっていうところはちょっと思ったので、
どういう視点でこの映画撮りたかったのかなと思って、
この映画監督のことをちょっと調べたら、
1:27:01
なんかこうインタビューかなんかでね、
不登校とかいじめとか日本の教育の裏側の部分とか負の部分っていうのを
あえて取り上げなかったって。
両方を描くのはちょっと時間的にも厳しかったし、
撮影期間上ちょっとできなかったっていうこともあったと。
確かにね、それを一つの選択肢としてすごく理解をできるんだけれども、
ただ同じ構図の中で乗り越えられなかった子たちとか、
レジリエンスできなかった子たちっていうことは、
この映画には映ってこなかったんだよね。
僕はたぶんその乗り越えられなくて、
もう溢れちゃった子供の一人であったと。
で、もう一つね、この対照的な、
あゆめちゃんとすごく対照的だなと思ったのが、
ちらっとさっきも話出てきたんだけども、
あの縄跳びの少年よ。
あの放送員の少年なんだけども、
運動会の縄跳びもひたすら失敗し続けるんだよね。
で、女の子からも一つ一つの技が上手にできてないと思います、
みたいなことを言われて。
すごい、あの瞬間めちゃめちゃしょんぼりするんだけど、
その後に放送員の放送室の中で、
あの女の子と、
俺さ、縄跳びちょっと苦手なんだよね、みたいな話をして。
女の子の、
その時の女の子のね、対応がものすごくね、
あの美しいなと思ったんだけど、
あの女の子はそうなんだ、意外だねって言って、
あのスラッと返すのね。
本当にそれだけの場面なんだけれども、
足早いのにねって言って。
そうそうそうそう。
ちゃんといいところもね、いいところもちゃんと言及してくれて。
いいところもちゃんとあげるのよ。
しかも、受け止めた上で、
なんていうの、
流すって言ったら非常に言葉が悪くなるんだけれども、
流すっていうのは、よいしょってあっちにやるっていう意味じゃなくて、
受容した上で、
大きい問題じゃないように対応したっていうのが、
彼女の本当に美しい対応だなと思って。
オーディションの場面と並べてみると、
僕はここがすごく大事なんだろうなって思って、
オーディションの子はうまくできないことをみんなの前で示されて、
で、認められたっていうのができた後だったんだよね。
放送員のことは苦手なことを自分で打ち上げて、
まだできていない段階っていうところで
受け止められたっていう経験をしたと。
そして、そこにいた女の子っていうのが、
その評価するっていうわけじゃなくて、
そうなんだね、でもこれはそうじゃんっていう風に、
受け止めるっていう経験だけをちゃんとしてたっていう、
一番対比として強く出てたんじゃないかなと。
僕の場合はね、周りの同級生は評価する側に回ったし、
1:30:01
2年生の担任だった先生を除いて、
全員僕はクソガキだっていうレッテルを貼られてしまったので、
おそろしい世界だって。
いや、おそろしい世界だって、本当に。
おそろしい世界だからって。
本当に、検索すれば出てくるような有名な学校に僕いたんですけど。
ああ、怖いな。
いや、当時の2年生の、その後に副校長になられる先生、
本当に立派な先生で、本当にお世話になったなと思ってるんですけども、
その人だけが、お前は悪くないと思う。
この学校の今のシステムがおかしいってずっと言い続けてくれたらしいんです。
僕に直接言ったわけじゃないけど、両親に対して。
それは当時の僕からすると評価に関してはちょっと知らなかったもんで、
じゃあ僕がどうやって学校というシステムにカムバックできたかっていうと、
副高校になる前からずっとミニバスに通ってたんですね。
学校に行けなくなってからミニバスも休んでたんですけれども、
ある時からミニバスもどうでもいいやみたいなことをポロッと言ったら、
両親がこいつはやべえと思って泣き叫ぶ僕を引き連れて、
ミニバスだけは通わせるって言って無理やり連れて行ってくれたんですよ。
でも当時の僕からすると、学校という場合大体そのものが怖くなっちゃってるもんだから、
全然入り口に入れないと。
入り口の学校の高門のところにコーチがわざわざやってきて、
何をするまでもなく30分くらい2人で突っ立って、
じゃあ僕帰るねって言って、僕が帰ってコーチはここまで戻っていくみたいなことを繰り返しながら、
半年くらいかけてかな、練習に参加できるように徐々になって、
そのミニバスっていう居場所ができたからこそ、
学校という場所に6年生の三学期の後半くらいにやっと戻れるようになって、
卒業式まだあと1月2月とかそんなもんだったと思うんだけどね。
そういう時期だったよと。
だからそういう居場所があるっていうところだったりとか、
安全だなと考えられる場所っていうところが、
何よりも教育で大事なんだろうなと思っておりますと。
心理学にはこの安全基地っていう考え方があって、
ジョン・ボールビーさんが提唱した愛着理論のところの一つなんですけども、
困った時に戻れる場所があるから子供は外の世界に出ていって、
新しい挑戦ができるよっていう考え方で、
これを教室に当てはめるんだったら失敗を乗り越える力っていうのは、
失敗しても戻れる力があって初めて働くのではないかと。
だから放送員の子に関しては打ち明けて受け止めてもらえる相手がいたと。
オーディションの子は乗り越えて、その後で先生の信頼を知った。
僕の場合に関しては先生も同級生も戻れる場所がなかったと。
1:33:05
杉田先生がいう期待すること、要求することは大事だと思うんだけれども、
子供を育てる時に上手く育つ方に働くか、追い詰める方に働くかっていうのは、
やっぱりその手前にある安全基地があるかどうかっていうところで
すごく変わってくるんじゃないかなっていうのが強く思って。
だからこそ今回の映画っていうのが日本の小学校の上手くいってる部分っていうのは
すごくすごく丁寧に撮った素晴らしい作品だと思うし、
協力することであったりとか役割を持つこと、乗り越えることっていうことの価値っていうのが
すごく高いなっていうことを表してくれたいい映画だと思ったんですけども。
ただ不登校であった僕みたいな、うつだらなかった側の学校の側面から見ると
そういう同じ場面を見てもしんどいなっていうふうに見られるっていう見方もあるよっていうような
そういう話を今ちょっとしてみたっていうところで、
もしねこれ今学校がちょっとしんどいなとかっていう子がいたとして、
その子の側にいる大人がもしこれをね聞いていってくれたとしたら
うまくやれるようになる前にまずその子にとっての安全基地になってほしいなって
そういう願いを込めてお話をしました。以上です。
はい。あの先生誰でしたっけ。
杉田先生。
英校への1年生の先生。
英校への1年生の先生でね、遠藤先生の気候でね、遠藤先生がこうすり込まれすぎてね。
誰だっけ。渡辺先生だっけな。わからないんだったかな。わからないけど。
なんかすごい、ちゃんと安全基地になってたよね。
いやそうなんだよ。
あの先生がいたからこそだよね。
あのフォローはでかいなというふうに思いましたね。やっぱりね。本当に。
いや、よかったです。
なんかこう僕はすごいね、どっちとも見れるようにちゃんと撮ってるなっていう気がしましたね。
あのシーンなんかもそうだけれども、その学校の先生たちが何を考えて子供たちに何をしようとしているのかっていう。
で、それを果たして我々はどっちの立場で見ていいのかみたいなね。
そこも含めてこっちに投げてきてる感じがして、すごくいいドキュメンタリーの在り方だなって思いまして。
なのかなって気がしましたね。
だからそういうさ、どっちで見てもいいっていう立場に関しては、あの修学旅行の夜が一番わかりやすいかなと思って。
その騒ぎをこう収める先生と、でもこれってこういうのが楽しいんだよなみたいなさ、廊下で2人でさ、先生たちが話し合ってさ。
1:36:04
わかるよね。
でも本当にね、あのどっちとも見れると思います。だから僕はなんかこう、なんていうのかな。
まあどっちもだから感じたっていう。
本当にあのなんだろう、辛いなとか、これはちょっとなって思いながら見るシーンと、こういうところはやっぱりいいところだなって思うシーンと、やっぱり両方ともあって。
両方ともあるっていうことが多分正常なんだろうなっていうことは思うんだよね。何もかもが素晴らしい世界なんてやっぱないわけで。
常にその両側面をやっぱりこうまっすぐ捉えていく。で捉えた上で批判をしていく。
そしてより良いものを作り上げようとしていくっていう、それがやっぱり正しい在り方なんじゃないのかなと思うから。
だから僕だろうな、この作品を見てなんかこう、いやー素敵でしたねーっていう。
小学校って素敵だよねーとか、日本の教育ってやっぱいいよねーみたいなのはやっぱりちょっと薄いだろうと思うし。
一方でそのなんかもう何もかもひでえよなっていうのも、多分それはすごい自分自身の苦い記憶とのバイアスが多分かかってしまっているところだと思うし。
やっぱりこう、バランスの取れた見方で見れば見るほど、良い側面とそうでない側面っていうのは絶対両方ともあるわけで。
その両方を認めながら、もっと良いものを探っていこうじゃないかというふうに思っていくためにこの映画はとても良かったなと思いましたね。
はい。
いやー。
いやーいい映画だった。
ね。良かったです。
これはね文科省やっぱり推薦すべき映画ですね、ほんとに。
ね。
子どもたちに見てほしいもん逆に。
うんうん。
なんか、先生ってこういうこと考えてるんだっていうのを知るっていうのも、なんかいい教育になるんじゃないかなって思って。
ね、なんかね、すごい思いました。
だからなんかこう、なんだろうな、僕はすごい気になったこととして、ランドセルが全然入らないロッカーとかありましたけど。
入ってなかったね。
あれダメだと思いましたけど、それはさておき、海外の人たちがこれを見て新鮮に思うのと同じぐらい我々日本人もこれを見て新鮮に思うっていうのが、
どれだけ学校っていうものが特殊な環境なのかっていうのをまさにこう体現してるんじゃないのかなというふうに思いましたね。
ああな。
いやー、面白かったです。はい。
見て良かった、これは。何回か見るな、この作品は。
1:39:03
でもなんかね、ほんとね、これの今僕、レビューみたいなのをまとめてあるのありますけど、すごいいろんなこと言ってんなーって。
そうね、なんか僕もなんかちょっとレビュー見たんだけど、同調圧力が気持ち悪いとかなんとかって言ってるけど。
そういう側面しか見てないんだ。
ちょっとなんか辛かったなねって思いました。
なんかまあいろいろ、いろんなことを言ってる人がいますけれども、なんだろうな、そのドキュメンタリーって自分、これでいいんだと思いますんで。
全くその通りだと思う。
こう読ませるがあんまりバーンって出てるようなものじゃないからこそ、こちら側もその両側面を見ていった方が多分もっと感じることができるんじゃないかなという気がしました。
はい、というところで、言い切ったかな。
そうね、今日は僕は結構喋った気がする。
何も今日言い残すことはない?
いや、あるんです。
何ですか?
敬愛するジョン・ボールビー先生、1988年のアセキュアベースの名言を最後に皆さんに届けて終わりたいなと思います。
人は揺りかごから墓場まで、愛着な対象が与えてくれる安全基地から、長短様々な遠出を繰り返すように人生が組み立てられているときに最も幸せでいられる。
語りたいものがある。好きでたまらないものがある。それならもう話すしかない。
気になったもの、ハマったもの、人生をちょっと楽しくしてくれる者たちを持ち寄って本気で語り倒す30分。
笑えてちょっとタメになって、たまに明日何か書いたくなる。
毎週日曜更新、俺たちの物語。誠大間でお送りいたします。
揺りかごから墓場までってサッチャーじゃないの?
知らないよ、でもボルビー言ってるんだもん、そうやって。
そうだっけ?
そうなんだっけ?歴史の勉強で出てきた気がするんですけどね。
もしかしたらこれを和訳したときに異訳でこういう言葉が出てきたのかもしれないけど。
あるいはその揺りかごから墓場までという言葉がそもそも寛容句としてね、
終身の何かを指すっていうよくある言い回しなのかもしれないですけど。
1:42:05
まあね、そうよね、旅をするんだよ我々は。旅をしてで学ぶわけです。
別に学校がその社会のミニマムサイズである必要はないですからね。
だってみんな新しい場所に飛び込むんだから。
そういうのであればさ、社会の最小単位は家庭なわけでしょ。
家庭のルールとは違うルールのところに飛び込むっていう経験を積んでたらもうその時点で意味があるわけで。
そしてまた社会に出てまた全く違うルールのところに飛び込むわけだから、
違うルールのところに飛び込む、違うフィールドのところに入るという行為の練習をしているというふうに思えば、
なんら不思議はないんじゃないのっていう気はしますけどね。
いや本当ですよ。
たぶん同調圧力が気持ち悪いだろなんだろ言ってる人たちっていうのは、
同調しないで今まで一度も同調しないで生きてこれたのかなっていう。
だとしたらすげーなっていうふうにも思いますけど。
たぶん山とかで育ってさ、
最近人口を覚えたんじゃない?
それは言い過ぎです。
それは言い過ぎです。
でもさね、やっぱりバランスなんでしょうね。
難しいんですよ。
バランスって本当に大事だと思うね。
自分らしくとかもう個性がとかこの時代だとかいろいろ言うけど、
結局個人だけじゃ生きていけないから。
だからコロナ禍で我々の社会はグダグダになったわけですし。
本当にこれだけで完璧に生きていける時代だったらそんなこと起きるわけないんだから。
やっぱりある程度人に合わせていくだとか、
人と一緒に何かを練り上げていく、新しい価値を創出していくっていう力は絶対に必要だし。
かといってじゃあそればかりを突き詰めていったらどうなるかっていったら、
そのリスクについても本作は言及しているし。
だからこそその両者の良いところをいかにうまく拾っていくのか。
そこなんじゃないのって。
そこのバランス感覚っていうのが恐らく教師の職能として必要になってくるんじゃないのみたいなことを考えます。
本当に。
自分が受けてきた教育とちょっとでも違ったら、やはりこういった指導には違和感が残りますねみたいな。
あたかも専門的に研究してきましたみたいな面して言う人たちは僕は大嫌いなんで。
そこについてですけれども、やっぱり本作を見て自分の時とはこんなに違うんだって思ったことについては、
じゃあなんでそんな変化が起きたのかっていうところをたどって考えていった方がよほど面白いし、
たぶんためになる見方になるんじゃないのかなというふうに思いますので、ぜひですね。
新旧の指導要領を比較した本とか今山ほど出てるからさ。
ありますね。それも文科省が出してますからね、新旧比較表は。
1:45:01
全然見た方がいいね。
すごい面白いよね。
絶対意味があると思うんですけど、やっぱりそこの辺は是非とも是非とも是非とも見てもう一度見返してほしいなというふうに思いますね。
いや面白かったです。
面白かった。
次回どうするかね。
いや次回どうしようか。
じゃあねちょっとここで一応お便りが1件来ているんで紹介させていただいてもよろしいですか。
はいお願いします。
つってもこれリクエストじゃないんですけどね。
え?
じゃあちょっと読ませていただきます。
あすはわがみさんです。
あすはわがみさんありがとうございます。
まこさん、あ間違えた。
まこさんおはようございます。
こんばんは。
マーティーシュプリームのリクエストお答えいただきありがとうございました。
ありがとうございますこちらこそ。
ご紹介の通り終始マーティーが物語をぐちゃぐちゃにしていってその様子が本当に見苦しく楽しい映画でした。
大間さんがジャブで触れていた食中毒の件ですが、おそらく映画の冒頭にあるシーンのことですね。
マーティーが働く靴山で会いに来たレイチェルはホットが食中毒だから家を抜け出せたと説明していました。
確かにマーティーに会うよりも食中毒で苦しんでいるはずのホットが気になるシーンでした。
そういうことね。
さて、お二人の考察も非常に聞きがいがありました。
共演シーンに囚われいつしか卓球が手段そのものになってしまっていたマーティーというのであるということ。
またケイストーンがマーティーの承認の力になっているというまこさんの説。
そして冒頭にあるランシュとピンピンの間を重ねるシーンも映画全体に投影しエフェクトが鳴るのかという大間さんの説。
どちらの説もマーティーという人間をただの靴としてではない視点で分析されていてとても良かったです。
私はどちらかと言うとまこさんと同じくこの映画をギラギラ笑って鑑賞していました。
ですが終始ないがしろにされる女性陣が不眠で仕方なく感じてしまって私にとっては大間さんの説も聞いていて救いを感じるところがありました。
ここまで深い映画談義を聞いていてとても嬉しかったです。
そしてまた改めてマーティーシュプリームを見てみようかなと思いました。
今回も素晴らしい配信をしていただきありがとうございました。
今後の更新も楽しみにしております。
という大変ご丁寧な感想をいただきました。
ありがとうございます本当に。
みっちり聞いてるじゃん。
超嬉しい。こういうお手紙。
そうですね本当に。
僕の承認欲求がどんどん満たされていく。
1時間超えが当たり前で2時間に差し掛かるようなエピソードを最後まで聞いてくれてる方がいらっしゃるということに本当にね、はなはだ疑問ですね。
1:48:00
疑問の前に感謝が。
感謝しなさいよまずは。
本当にありがたいですよね。
いや本当よ。
でもなんかね、この感想を見た限りなんか俺も私と一緒でね、真子さんも私と一緒で人出なしですねみたいな感じになってますよね。
真子さんと同じくギラギラ笑って鑑賞してみました。
大間さんの発説を聞いてて救いを感じるところがありました。
ちょっとなんか納得いかねえな。
次からはもうちょっと優しい説を僕も組み立てていこうかなと思いますんで。
僕のね人間性の良さがちょっと出ちゃうんでね。
じゃあまあそんな感じであの素敵な感想をお便りもいただきましたので、次回の映画は何かこう感謝にまつわる映画にしようか。
感謝?
感謝にまつわる映画。なんかあるわね。
感謝にまつわる映画。
え?P4はどう?
感謝にまつわるね。
まつわるよね。
でもシューマンドラマではカルボツですね。
P4はどう?P4はどう?
今じゃあじゃあによっかーっていう流れだったじゃん。
あと学校つながりでさ、日の渡る教室とかでもいいかなって。
日の渡る教室?あのあれ猫の恩返し?
え?
それ日の渡る坂道を自転車で駆け下りるだって。
そうだよ。
日の渡る教室っていう作品ですね。
そうですね。
95年のアメリカ映画?
昔のやつだね。あるいは、ちょっと待って。
あ、出た。アイルディスカスしかない。
出た。
くっそー。Pのゾーンしか見れないやつだ。
ダメですね。じゃあダメですね。
ロビン・ウィリアムスのあの映画なんて言ったっけな。
王船長よ、王船長みたいなさ。
王船長よ。
王船長。
王船長。
ロビン・ウィリアムス。
ロビン・ウィリアムスの、ちょっと待ってね。今wikipediaを開いてる。
今を生きる。
あー、そんなのあったね。
あれも学校の話だし。
1:51:00
はいはいはい。ありましたね。
教育に感謝するっていうようなお話。
あんまり教育教育出てくるよりさ、
学校の人たちが、子供たちが中心の子供たち社会を描いた作品が見たいです。
感動的教師との出会いみたいなのは、僕ちょっとあんまり苦手なんで。
子供たち社会の映画って言ったらさ。
学校じゃねーじゃん。学校行ってねーじゃねーかあれ。
確かに。学校行ってねーや。
ブレックファストクラブは?
ブレックファストクラブってわかんないな。
これ行きませんか?
85年のアメリカ映画なんですけど。
Amazonプライムでもあるね。
いわゆるスクールカーストの映画です。
いいじゃんすか。
これちょっとアメリカの学校社会。
はい。
スクールカーストを世の中に暴露した映画として記録されているので。
これちょっと行ってみるのはどうかなというふうに思うんですけど。
まあちょっとね、いろいろ問で。
じゃあちょっとしばらくは学校スペシャルで行きますかね。
学校スペシャル。
俺もまだ見たことないんだけど、西田敏幸の学校シリーズもどれかを見てみたいんだよね。
何それ。
西田敏幸の出てる学校っていう映画。
あ、首が動いてる。
え、何それ。知らない。
え、学校知られてる?
シリーズなの?
なんかね、いっぱい出てるよ。
へえ、学校2。
ほんとだ。
4ぐらいまでなかったっけ。
へえ。
そんな数だな、小地区の。
そうそうそうそう。
なんかすごくいい映画だと言われているんだけども、全然見たことはない。
はい。
じゃあまあこれもいずれ手を出すかもしれないので。
かもしれない。
かもしれない。
忘れてるかもしれない。
におわせておきましょう。
はい、ということでちょっとね、詐欺が長くなりすぎなので、そろそろ終わると思います。
はい、ということでお聞きいただきましたが、
リールフレンズイン東京、今回は小学校、リスナーリクエスト小学校、それは小さな社会、学校を見つめ直してみませんか?でお送りいたしました。
番組では投稿フォームを通じて寄せられた感想やリクエストを実際に番組のテーマや構成に反映しながら制作しております。
面白かった、ここは引きかかったなど、短い言葉でも大歓迎です。
また、Xでハッシュタグリールパールをつけたポストも受け取っております。
いただいた声は番組の中でご紹介させていただくこともありますので、ぜひあなたの声をお届けください。
公式Xアカウントはリールフレンズイン東京で検索、フォローもよろしくお願いします。
リールフレンズイン東京はアップルポッドキャストをはじめとする主要なポッドキャストアプリで配信中です。
本日のお相手は誠、大間でした。
それじゃ、またねー。
1:54:01
リールフレンズイン東京。世界中の映画愛好家たちと一緒に。
01:54:08

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