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#18 『拡張された心』——。「私」と「世界」の境界が溶ける瞬間【科学編④】
2026-07-25 28:02

#18 『拡張された心』——。「私」と「世界」の境界が溶ける瞬間【科学編④】

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📝 今回のあらすじ・ハイライト

高市早苗首相 X 風のやつ / スマホはただの便利な道具なのか、それとも「心の一部」なのか / 記憶が「7秒」しか保てない女性の壮絶な日常 / 彼女のアイデンティティそのものを担う「メモ帳」 / アンディ・クラークが打ち出した超・大胆な考え方『拡張された心』 / 脳はとにかく「省エネ」してサボりたい / 情報が頭蓋骨の内か外かは、脳にとって重要ではない / 天才ファインマン「ワシはこの紙の上で考えてんねん!」 / ただの道具と「自分そのもの」を分ける【4つの条件】 / 私たちは「皮膚」という境界線を特別扱いしすぎている / 道具を越え、「他者」にまで拡張していく心 / 100年前の心理学者アドラーと、最先端の認知科学が同じ地平で重なる瞬間 / 「利己か、利他か」という対立の壁が崩れ去る


📖 今回のベースにした本

⁠⁠『現れる存在: 脳と身体と世界の再統合 (ハヤカワ文庫NF)』

アンディ・クラーク (Andy Clark) 著/池上 高志 ほか 訳(早川書房・2022年7月20日発売)生命の心は、脳の中に閉じた形で存在しているのではない。ロボットや赤ちゃん、微生物など豊富な事例を交えながら提起する、「心」への斬新なアプローチ。人工知能や人工生命研究に多大な影響を与えた記念碑的名著です。


⁠⁠⁠⁠『経験する機械 ――心はいかにして現実を予測し構成するか』⁠⁠⁠⁠

アンディ・クラーク 著/高橋洋 訳(筑摩書房・2025年10月8日発売)「人間の脳は、予測する機械である」。脳科学と人工知能の最先端から、私たちの“現実”がいかに脳の予測によって作られているかを解き明かした一冊。気になった方は、ぜひ手に取ってみてください。


🎥 今回紹介した動画【初公開!完全版】7秒前の記憶が消えていく女性・・“すべてをメモする生活”に長期密着取材「消えていく今~7秒の記憶と生きる~」CBCドキュメンタリー

YouTubeチャンネル「CBCドキュメンタリー」より


■ パーソナリティ:あつくてゆるい(あつゆる)

アドラーを実践して10年以上。教育現場に身を置きつつ、アカデミックな哲学研究とカウンセリングの修行を重ねてきました。


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感想

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00:05
アドラー心理学ラジオ。この番組では、お手軽な自己啓発として消費されがちなアドラー心理学を、
哲学、カウンセリング、そして、科学の視点から深掘りし、本物の知性として語り直していきます。
お相手のあつくてゆるいです。皆さん、今、スマホを没収されたら、仕事や生活がままならない、なんてことはないでしょうか。
明日のスケジュールも、初めて行く場所への道順も、私たちはもう頭で覚えているのではなくて、すっかりスマホに丸投げしていますよね。
そこでもし、「そのスマホもあなたの心の一部だ。」と言われたら、どう思うでしょうか。
いやいや、スマホはただの便利な道具でしょう、と思われた方。
もしスマホがあなたの記憶とか思考をがっつり肩代わりしているのだとしたら、あなた自身の心と外にある道具の境界線って、そんなに簡単に引けるものなのでしょうか。
アドラー心理学を科学の視点から深掘りする科学編、アンディ・クラークの著書、経験する機会、そして現れる存在をベースに、
私たちの心が頭蓋骨の境界を越えて外の世界へと拡張していくというスリリングな話をしていきましょう。
このラジオを始めてからの毎日は、帰宅してからの風呂掃除、入浴、夕食、夕食後の洗い物、洗濯、簡単な掃除まででプライベートな時間は精一杯で、
後の深夜時間帯は、明け方まで職場の持ち帰り仕事や、分厚いアドラー心理学の資料読みに追われます。
週末も家族との関わりや、ワールドカップ観戦などで0時間から3時間睡眠が常態化する中、
数え切れないほどの台本修正で明け方まで作業に追われていましたが、今日の午後は私的に使える貴重な時間になりました。
久々に5時間も睡眠が取れた上、昼からは手つかずだった大量のインナーのアイロン掛けを一気に処理。
私は特にアイロン掛けが下手で時間がかかるので、つい先延ばしにしていた結果、着る服がほとんどない状況に。
これで次回までの台本とインナーを確保でき、明日からまた頑張れます。
はい、というわけで最近バズりまくっている高市さない首相のXのポスト風のやつから始めてみましたが、
国書の折皆様ちゃんと睡眠は取れていますでしょうか?
いや今のは完全に高市公文に載せただけなんで、私自身は睡眠もちゃんと取れているので心配しないでほしいんですが、
03:06
とはいえですね、今年の3月末からこのラジオを始めて、なんとおまけ回を含めると、
今日で21回目の更新。本業の下勤とか家族との時間とか怒涛のワールドカップとかがある中で最低週1更新をギリギリ保ってきたんですが、
それが実現できたのは私が高市さんみたいな超人的な体力を持っているからでは全くなくてですね、完全にAIのおかげです。
いやもちろんAIがアウトプットした原稿をそのまま読んでいるわけではないんですよ。
でもアイデアの壁打ちから台本の叩き台作り、ファクトチェック、概要欄の作成まで、
もうAIを使い倒さないとこのペースで配信を続けるのは絶対に不可能です。
リスナーの皆さんの中にもスマホやAIがないともはや今の生活や仕事が成り立てないテレビルで依存している人結構いるんじゃないでしょうか。
でですね、普通AIにせよスマホにせよ便利な道具を使いこなして仕事してるって感覚でいますよね。
頭の中が自分でスマホやAIは外にある便利な道具、境界線ははっきりしていると。
でも本当にそう言い切れるのかというのが本日のテーマです。
この心と道具の境界線というテーマを深掘りしていくにあたって皆さんに紹介したいドキュメンタリー映像があります。
私なんかのスマホがないと不便という次元を遥かに超えたある女性の壮絶な日常の記録です。
その女性の名前は水田純子さん。
彼女はヘルペス脳炎という病気の後遺症で記憶を7秒ほどしか留めておくことができなくなってしまいました。他の7秒です。
今誰と話しているのか、さっき何を食べたのか。
瞬きをするような数秒の間に全てがふっと消え去ってしまう。
では彼女はどうやって日常生活を送っているのか。
鍵を握るのはメモ帳です。
遊びに行く時も病院の診察室でも彼女は目の前で起きていることを絶えずメモに書き留める。
まるで新聞記者が取材で必死にペンを走らせているみたいな感じです。
そして書き留めては読み返す。書いては読み、読んでは書く。
これを息をするように繰り返すことで日々を成り立たせているんです。
このドキュメンタリーYouTubeで見られますし、概要欄に載せておくのでぜひ見てみてほしいんですが、その映像を見ながら私思ったんですね。
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水田さんにとってあのメモ帳って単なる持ち物なんだろうか。
もしあのメモ帳を取り上げたら彼女はただ不便になるだけなのか。
おそらく答えはNOですよね。
だってメモがないと昨日誰と会ったかも、自分が何を大切にしていたのかも全部失ってしまう。
以前も引用しましたが、神経科学者のリサ・ジェノバはRemember!記憶の科学という本の中で、
記憶があるからこそ自分が誰でこれまでどんな人間だったかという感覚を保つことができると記しています。
だからこそ幼少期の記憶を分析すればその人のライフスタイルが見えてくるという話にもつながるのですが、
記憶を失うということは自分自身のアイデンティティを失うのと同じなんですよね。
その前提に立つと彼女の自分らしさはもはや頭の中のみならず、あのメモ帳の中にもあると言っていいんじゃないだろうか。
いやもちろん物理的に見ればメモ帳は体の外にあるただの道具です。
でもその外部の道具が彼女のアイデンティティそのものになっているんだとしたら、
それってもはや彼女の心の一部と言えるんじゃないでしょうか。
実はこのどこまでが自分の心なのかという問いに真正面から挑んだのが、
科学編でずっと追いかけてきた哲学者であり認知科学者のアンディ・クラークです。
彼はデビット・チャーマーズという哲学者との共同研究で、
拡張された心、extended mindという超大胆な考え方を打ち出しました。
その議論はこんなセンセーショナルな問いかけから始まります。
心はどこで終わり、残りの世界はどこから始まるのか。
ここで言う心ってちょっと注意が必要なんですけど、
喜怒哀楽のような感情、いわゆるハートだけじゃありません。
記憶や思考、計算する力、そして自分らしさも含めた人間の知的な働き全体、
マインドのことです。
クラークが言いたいのは、私たちのマインドがオーラのように外の世界へ広がっていくというオカルトチックな話ではありません。
そうではなく、脳と外の世界にある道具が密接に連携して機能しているなら、
そのシステム全体をひっくるめて心として捉え直そうよという新しい見方の提案なんですね。
つまりさっきの水田さんの例で言えば、
彼女の記憶というマインドは頭の中だけで完結しているわけじゃない。
物理的に外にあるメモ帳とセットになって初めて成り立っていますよね。
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だとしたら、そのメモ帳も含めた拡張された全体を彼女の心として捉えるべきだ。
メモ帳そのものが彼女の心の一部として機能しているということなんです。
ここでええ?と思いますよね。
今までずっと脳の予測の話をしてきたのに、なんで急に心と道具のシステムなんて話になるのか。
おっしゃる通り。
でもこれ実は完全に繋がっていてですね。
予測する脳の話を突き詰めていくと、必然的に私たちの心は生身の脳の外側まで含めたシステムとして捉えざるを得なくなるんです。
ここまで私たちは予測する脳のいろんな側面を見てきました。
プラセボ効果ですっと痛みが消えちゃったり、脳が先回りして予測を立てておいて、
現実との違うところだけを処理して楽をしたり。
これバラバラの話に見えて結局のところ根っこは同じ。
脳が予測と現実のズレ、つまり予測誤差をとにかく手っ取り早くコストをかけずに消し去りたいというメカニズムが根底にある。
実は今回お話する拡張された心も全く同じ理屈です。
例えば一年ぶりに降り立つ駅で、前にも来たことがある場所に向かおうとしている場面を想像してみてください。
あそこに行くには確か東口だったよねー、とうっすらとした記憶。
つまり予測はあるんだけどいまいち確信が持てない。
仮に出口を間違えちゃったりすると連絡通路をぐるっと回って戻るのが絶望的にめんどくさい。
これめっちゃあるあるじゃないでしょうか。
この時脳の中には自分の予測が本当にあっているかわからないという不確実なモヤモヤが生じています。
脳のシステムにとってこのわからない状態こそがいち早く消し去りたいズレなんです。
さあこのズレをすっきり消し去るためにあなたならどうしますか?
うーんと立ち止まって1年前の記憶を必死にたどる。
あるいはサクッとポケットからスマホを出して地図アプリを開く。
実は予測する脳にとってこれら2つは全く同じことだと捉えられます。
なぜならどちらもズレを消してくれる確実な情報にアクセスするというアクションそのものだから。
情報が頭蓋骨の内側つまり記憶にあるのかそれとも外側つまりスマホにあるのか脳にとってはそんな場所の違いは重要ではありません。
脳はただどこにアクセスすれば一番手っ取り早くズレを消せるかだけを見ているんです。
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だからこそ私たちは外にあるはずのスマホをまるで自分の頭の中の引き出しを開けるようにごくごく自然に頼っている。
このように私たちと外部の道具がシームレスにつながって一つのセットとして機能している状態。
それこそがまさに私たちの心マインドが外の世界にまで広がっているということなんだとクラークは主張するわけです。
まだわかるようなわからないようなという感じですよね。
それにこう突っ込みたくなりませんか。
いやいや地図アプリを使うにせよ何にせよそれって単に自分の記憶をスマホという外側にあるものに害虫しているだけでしょ。
便利な道具を使っているだけで心が広がったなんて大げさじゃない。
いや実に鋭い突っ込みです。
でもクラークが言いたいのは記憶の話だけじゃないんですね。
例えば私たちが考えている思考しているその瞬間すらも脳みそだけじゃなくて私たちの体全体が外の世界と相互に連動つまり相互作用することで初めて成立しているんです。
ここでノーベル賞を受賞した物理学者リチャードファイマンのエピソードを紹介します。
ある歴史学者がファイマンの膨大なメモやスケッチを見てこう言いました。
先生これほんまに素晴らしい思考の記録ですな。
先生の頭の中でやり張ったごっつえ仕事がここに行参残ってます。
するとファイマンさんはちょっとムッとしてこう言い返したそうです。
ちゃうちゃうこれ記録ちゃいます? わしは頭の中だけや脳でこの紙の上で考えてまんねん。
ファイマンは頭の中だけで数式を完成させてそれを紙にアウトプットしていたわけじゃありません。
手を動かして紙に書き出しそれを目で見てまた書き出す。
脳みそだけじゃなくて手とか目も含めた体全体と紙とペンの相互作用のループこれこそが彼の思考そのものだったんです。
皆さんも頭の中だけでうんうん悩むよりノートに書き殴ったりAI相手に壁打ちしたりしているうちにああそういうことかという答えが出ることありますよね。
その瞬間あなたの思考は頭蓋骨の中だけで完結しているわけじゃなくてノートとかAIと密接に相互作用する中で初めて見出されている。
逆に言えばその外部のツールとの相互作用なしではその思考自体が成り立たないわけですよね。
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これ昔学校でやった筆算を思い出してもらうとすごくしっくりくると思います。
例えば7222×9422みたいな複雑な計算、頭の中だけじゃ絶対解けませんよね。
でも紙とペンがあれば小学生でも答えが出せる。
これだってあなたが天才の脳みその持ち主だから解けたわけじゃないんです。
あなたの脳と外にある紙とペンこれら3つが相互作用することで初めてそこに知性が発生しているんです。
そう考えていくともはや脳みそだけを特別扱いしてこれだけがマインドだと捉える意味ってどれほどあるんでしょうか。
頭の中にあるものだけが自分の心で外にあるものは単なる便利な道具。
そんな風に内と外をすっぱり切り分けて考える必然性が果たしてどれほどあるのか。
皆さんだんだんそんな風に思えてこないでしょうか。
ちなみに私たちの脳がそれだけ積極的に外の世界に頼りたがる理由も予測する脳の話と見事に繋がってきます。
理由はめちゃくちゃシンプルでして脳はとにかく省エネしたいからなんです。
私たちがこれまで見てきた脳の予測って何のためにやっているかというと世界を毎回ゼロから処理するエネルギーのコストを省くためでしたよね。
脳って体重のたった2%の重さしかないのにエネルギーはなんと全体の20%も消費するんです。
だから害虫してサボれるんだったらそれはもう喜んで外の世界に丸投げしたい。
クラークはこれをスパイ映画になぞらえて007原則と呼んでいます。
映画007シリーズの主人公ジェームズボンドって作戦の全貌が書かれた分厚いファイルを全部丸暗記してから現場に向かったりしませんよね。
いわゆるNeed to know、その場その場で任務に必要な情報だけを外から与えられて動きます。
脳もこれと全く同じです。
情報を全部頭の中に完璧に保存しておこうなんて絶対にしません。
必要な時が来たらその瞬間に外の世界、例えばスマホやメモ帳から引っ張ってくればいい。
つまり脳の基準は内か外かじゃないんです。
どのルートを使えば一番手っ取り早く栄光に処理できるか。
本当にそれだけしか見ていない。
だからクラークはスマホやメモは体の外にあるから心じゃない。
心は頭の中にあるものだという意見に対してそれは何の科学的根拠もないただの思い込みだと指摘します。
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ここで誤解してほしくないのはクラークも私たちの意識が頭の外に広がるなんてことは一言も言ってません。
私たちが痛みを感じたりとか喜んだりする意識は間違いなく頭の中にあります。
でも私たちはよく心と意識を混同してしまう。
記憶を引っ張り出したり計算したりする心のシステムは意識とは違って頭の中だけで完結しているとは限らないんです。
私たちは知らず知らず皮膚とか頭蓋骨という境界線を少し特別扱いしすぎていたのかもしれません。
とはいえここで当然の疑問が湧きます。
じゃあスマホに入っている便利なアプリは全部私の心の一部なのか?
Googleマップも私の心なの?
これについてクラークはきれいに整理しています。
心の一部という時には大きく2つのレベルがあるんです。
1つ目は考える働きとしての拡張。
これはさっきの筆算と同じです。
Googleマップを見ている瞬間、道を見つける知性は確かにあなたの頭とアプリの間で動いています。
それは間違いない。
でもそれはその瞬間だけ一時的につながっている補助エンジンみたいなものです。
そして2つ目が自分そのものとしての拡張。
こっちは話が違ってその人のアイデンティティまでが漏れ出しているレベル。
では外にある道具が一時的な補助エンジンに留まるのか、
それともアイデンティティまでが拡張された自分そのものになるのか。
この2つのレベルを分ける基準としてクラークは4つの条件を挙げているんです。
1つ目、いつもそこにあること。
2つ目、すぐに取り出して使えること。
3つ目、無意識レベルで信頼していること。
でもここまでならGoogleマップも条件を満たしちゃうじゃないですか。
いつもあるし、すぐに開けるし、疑わずに信じている。
だからこそ決定的なのが4つ目の条件なんです。
4つ目、その中身を築き上げてきたのが他ならぬ自分自身であること。
Googleマップの地図データって、見ず知らずの誰かが作ったものですよね。
明日もしサービスが終わっても、不便だなぁ、で終わります。
便利だけどそこに自分の歴史はない。
でも水田純子さんのメモ帳はどうでしょうか。
あれは彼女自身が目の前の現実と向き合って一文字ずつ書き留めてきたものです。
そこに刻まれているのは彼女の歴史そのもの。
21:03
だからあのメモ帳が失われたら、彼女は不便になるんじゃなくて、自分自身を失ってしまう。
クラークはこんな美しい言い方をしています。
私たちと外にある道具との関係が、雲と雲の巣くらい近くて親密になった時に限って、
自己の境界線は世界の方へと突き出していくことになる。
筆算する時の紙とペンは確かに私たちの思考システムの一部ですが、雲の巣ではありません。
使う時だけ一時的につながる補助エンジンです。
でも水田さんにとってのあのメモ帳は、まさに雲にとっての雲の巣くらい親密なものなんです。
そして私たちの心はさらにとんでもない場所へと広がっていきます。
スマホやメモ帳といった無生物的な道具に留まりません。
私たちの心は生き物、つまり他の人間にまで拡張していくんです。
クラークが言うように、私たちの脳は徹底した省エネ主義です。
自らのエネルギーを節約するためなら、使えるリソースは何でも利用します。
当然そこには物だけじゃなくて、自分以外の人間もごく自然にシステムの一部として組み込まれていくわけです。
ここで他の人間を利用するなんていうと、なんだか冷徹で少し抵抗を感じる方もいるかもしれません。
でもあまり難しいことを考えずに、例えば長年連れ添った夫婦とか家族、あるいは何でも話せる親友、心を許すという言葉もありますが、
そういう関係を思い起こすと自分の心が他者にまで漏れ出している感覚、なんとなく腹落ちしないでしょうか。
そしてここで100年前のある心理学者がにやりと笑って登場します。
その名はアルフレッド・アドラ。
アドラは言いました。
人間は弱い存在だ。肉食動物のような牙も鋭い嗅覚も鋭い目も持っていない。
だからこそ人間は集団生活に身を置くことでのみ、自らを維持することができた。
集団生活こそが人間が生き残るための必然だったのだ。
このロジック、さっきのクラークとそっくりじゃないですか。
単体では圧倒的にスペックが足りない。
だから外にあるものと手を組んで補うしかなかった。
そして補うために手を組む対象に、両者ともしっかり他者とか人間同士のネットワークを含んでいる。
24:01
100年前の心理学者と最先端の認知科学者が全く別の入り口から入って同じ地平へとたどり着いているんです。
自分という存在は皮膚の内側だけで完結している。
私たちが当たり前のように信じていたこの大前提が今、二人がかりで見事に崩されてしまったわけです。
そしてこの大前提が崩れると、私たちが普段抱えている悩みは緩み始めます。
自分のために生きるか、それとも他人のために生きるか。
利口的か利多的か。
この対立って、自分と他人が完全に分かれていることが前提ですよね。
皮膚という境界線がはっきり引けるからこそ、どっち側を取るんだという問いが成り立つ。
でも、その境界線なんて最初から存在せず、他者も自分の心の一部になり得るとしたら。
他者に貢献することは自己犠牲なんかじゃない。
自分を成り立たせているネットワーク全体を豊かにすることそのものなのだと。
そう視点を少し変えてみるだけで、利口か利多かという二項対立の壁が少しずつ揺らぎ始めてきませんか。
今回は、アドラー心理学ラジオ科学編、アンディ・クラクの経験する機会、そして現れる存在という2冊の本を手がかりに、予測する脳から拡張された心の話までをじっくり見てきました。
実は当初の予定では、ここからもう一つ別の科学編のネタをやるつもりだったんです。
でもさっきのラスト、最先端の認知科学の行き着いた先と、アドラー哲学のスタート地点がピタッと繋がってしまった。
あの着地が個人的に美しすぎまして、私自身もどうしてもこの熱量のまま哲学の話に行きたいってなっちゃったんですよね。
ということで科学からバトンを受け取り、哲学編に突入していこうと思います。
アドラーはそもそも人間をどう捉えていたのかという根本の話から、彼の大切にした価値観、共同体感覚について数回にわたってじっくり深掘りしていきます。
ただ科学編、かなりカロリーが高かったかなと思うんです。
それに私自身もこの科学編をやってきて、新しい発見とか日常生活にこんな風に活かせそうだと気づいたことがたくさんありまして、
なので哲学編に突入する前に、次回は一回ゆるめの雑談会的なのを挟もうかなと思っています。
27:05
科学から哲学へのちょうどいい橋渡しになるような回にしたいと思っているので、ぜひ一息つきながらお聞きいただけると嬉しいです。
あとですね、科学編に入ってから実はお便りが全然届いてなくてですね、内容が内容だけにちょっと送りにくいのはわかるんですが、
科学編に関係ない内容でも全然構いませんので、良ければ概要欄のリンクから送ってください。
皆さんの早期回想も引き続き募集していますので、楽しみにお待ちしております。
この番組が少しでも面白いと思ったら、ぜひ番組のフォローをお願いします。
アドラース心理学ラジオ第18回お聞きいただきありがとうございました。
お相手は熱くてゆるいでした。
28:02

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