学びの楽屋、この番組は、学ぶ力を再創造するをミッションに掲げる、株式会社Learner'sLearnerの黒川きみはると、大谷直樹が、これからの学びやリーダーシップの在り方を面白がりながら、
問い直してみるビデオポッドキャストです。
こんにちは、Learner's Learnerの大谷直樹です。 黒川きみはるです。
よろしくお願いします。
はい、さて、前回のいまけんさんに引き続き、今回もゲストをおまけにしておりますね。早速ちょっと本題からいきますけど。
はい。
はい、株式会社ラントリップ取締役、そして我々Learner's Learnerの、が運営するミネルバシキリーダーシッププログラムのファカルティーでもあります富田賢治さんです。賢治さん、よろしく
お願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
はい、賢治さんにはですね、僕のイメージ、走る人っていうイメージがあるんですけど、ファカルティーの中でも、お兄さん的な存在だと僕は勝手に思ってるんですが。
そんなことないです。
はい、ちょっとじゃあ賢治さんから軽く自己紹介をしていただいて始めていきたいなと思います。お願いします。
はい、富田です。
今、肩書き的にはご紹介いただいたんで、ラントリップっていう会社はまさに文字通りランなので、走ることをビジネスの中心としてやってます。
その傍らですね、いろいろご縁があって、ミネルバのファカルティーとしても学びをいろいろ私自身が得ているという感じで、大変お二人並びに皆さんにはめちゃくちゃお世話になってますという感じで。
仕事の話ばっかりしてもなんなんで、45歳ですね。
この収録時点で最新のエピソードがナビの楽屋のミドルエイジークライシスだったんで、面白い話題だなと思って。
私自身は別にクライシスしてないんですけど、周りで結構クラッシュしている友人がいるので、そういう世代ですかね。
子供が2人いて、上が今8歳でした。6歳です。
ランニングも好きなんですけど、最近はボクシングにハマっているので、どちらかというとボクシングの方がしたい。
ランニングはそんな別にしたくない。けど仕事だから走んないとなみたいな。そんな感じで過ごしています。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回から2回にわたってですね、2回にわたってケンジさんといろいろ話していきたいなというふうに思います。
え?いつぐらいからでしたっけ?ミネルバに入ってくれたのって。
1年前?1年半前かな。
1年半前ぐらいですかね。
一応ね、ボクがトレーニングみたいなものを主催させていただいて。
もう衝撃でしたよ。きみはるさんのキレッキレなスキルと。
始まった。始まったって。
衝撃でしたね。
始まった。始まった。いいね。
俺できるのか、俺みたいな。ハードル上げてくるんですよ。いちいちきみはるさんが。
いやいや。
いやですよね。そのいちいち上げてくる感じとかもね。
すごい陰銀な感じで来るでしょう。このケンジさん。下からえぐるようないじり。
これ2回にわたってずっと続くのできみはるさん覚悟しといて。
大丈夫ですか?こんなトーンで。
いやでも本当ね。こんな感じなんですよ。たぶん聞いてる方もあれなんですけど。
ケンジさんはですね。ボクのことを愛持っていじってくれる数少ない人なんで。
愛しかないです。好きなんですよね。やっぱりね。あと憧れがあります。かっこいいから。
キメ顔とか声とか。
キメ顔って言ってるやん。
ハリアとかなんかもう全部かっこいいじゃないですか。
声はいいけどキメ顔って言ったらもうそこ悪意が込められてますからね。
いいですね。じゃあ今回のテーマにいきたいと思います。
ケンジさんは新卒入社された有線で事業の立ち上げやプロダクト作りを手掛け
スマートニュースにジョインしてからは専任人事として組織を大きく成長させてこられました。
そして今ファカルティとしてビジネスリーダーの学びを支援する活動も行っていますが
今回はそんなケンジさんのキャリアを紐解きながら
ケンジさん自身の学びの変遷といったことをちょっと掘り下げていきたいなというふうに思います。
はい。お願いします。
そうか。キャリアが。スマートニュースが一番最初。
スマートニュースが3社目ですね。
有線という会社に入って、今はユーネクストホールディングスという会社になってますけど
その後当時はECナビっていうかわいらしい名前だったんですけど
今はまたちょっと別の会社と合併したりもしてるんでいろいろ変わってきてるんですけど
ECナビボヤージュグループって変遷してるんですが
わかりやすく言うとサイバーエージェントグループの子会社で当時
途中からMBOしてもともと独立でグループ入ってまた出ていったみたいな感じなんですけど
端的に言うとサイバーエージェント群の一群みたいな感じですね。
そこからスマートニュース行って今に至るみたいな感じです。
人事、キャリアとしては有線で人事スタートなんですか?組織とか。
最初はモバイルずっと私はモバイルアプリ当時はまだスマートフォンなかったんで
柄系のサービスのモバイルアプリディレクターみたいな感じで
ディレクターと言いながら本当に泥臭く企画作ったり
自分でhtml書いたり何でもしたんですけど
そんなノリを結果的に次の会社でもずっとやっていて
でスマートフォン出てきて柄系から主軸がスマートフォンアプリに移ったんで
みんな当時やっぱりアプリ作ってましたよね。
しらっちがいっぱいあったんで
いろんなカテゴリーのいろんなアプリをひたすら作りまくるみたいなことをやっていて
そこでスマートニュースに出会って衝撃を受けてみたいなそんな変遷で
そこまではなのでずっとむしろ人事は絶対一番やりたくない職種でした。
絶対やらないと思って人事だけは。
もともとエンジニアというか理系バックグラウンドでしたっけ?
そうですねありがとうございます。
一堀系で勉強してきたのはむしろ制御工学とか工学系なんです。
そうなんですか。
車が大好きで車オタクだったんです。走り屋の時期があって
マジですか。
いろんな車好きのベクトルありますけど私はもう走り屋ドリフトみたいな感じで
ホンダ技研にそういった自動車の研究運動制御に強い研究室が
永井県というのが東京農工大学にあって
高専5年間行ってそこから編入をして
永井県で修士2年間取ってホンダ技研内定したんで
ホンダ技研行こうとは思ってたんですけど
なんかいろいろあって
気になるなぁ。
IT業界かなみたいな。いろいろないんですけどね。
端的に言うとやっぱ飽きたんでしょうね。
車に嫌だと思って。
新しいことしたいなと思ってやり尽くした感がありましたね。
早いですね。まだ20前半の時に
好きな分野を結構やり尽くした感からの
そうですね。ので多分グーってなるタイプで
本当に友達と遊ばずにドリフトはしてましたけど
ドリフトするか研究するかみたいな
そういう大学生活だった。車づけで
もうやったらいいだろうみたいな
知ってた君くん?
全く知らなかった。
言いませんでした?
ドリフトの話は聞いてないですね。
ドリフトはしなくてもいいですよね。
でもなんとなくそういう趣味があるっていうのは
そんなに違和感ないですね。
そうですか。
アグレッシブに突っ込んでるイメージはありますね。
そうですかね。
どこのファクトからの仮説が
完全に印象。
印象大事。
印象大事だから。
じゃあそこからの
本田議研からのいくつか選択肢があったと思うんですけど
優先にいったのもたまたまなんですか?
当時2006年
新卒の台なんですけど
堀江さんです堀江門が出てきてる時期が2005年かな
私の悪友から
研究ばっかりしてないでこういうの読んでみるよって渡されたのが
稼ぐが勝ちっていう堀江さんのめちゃくちゃ当時売れた
いいですね。
稼ぐが勝ちだとは思わなかったんですけど
そこで言ってたのが既得行為権益に
搾取されてるんだから
お前ら若い力で新しい産業を起こせということを
言ってたんですよ。
で今はインターネットだと。
そうかと思って
じゃあそっち行こうかなっていう感じでした。
そっからじゃあ優先に入って
優先は当時
元々いわゆる優先放送の
アナログなネットワークの会社でそっから
いわゆるブロードバンドインターネット通信の会社に転身して
さらにそこからインターネットの無料番組ですね
ギャオとか当時で言うと
そっち側に思いっきり乗ってきてたんですよ
ヒルズ族みたいな感じで
山谷代表のさんっていう方が
当時は結構ガーって出ていて
なんかキラキラしてて素敵だなと思ってっていう
それぐらいの理由です。
でももう仕事やっていく中でその優先からの
そのイシナビっていうのも
のめり込んでたというか
面白さみたいなのも結構感じてたってことですよね。
なのでもう当時は
じゃあ今度はビジネスで
研究領域はもういいやってなって
ビジネスでもうなんか成り上がってやるぞっていう
矢沢彦氏じゃないですけど
いつかは起業する
成り上がるやってやんぞみたいな
ほんと鼻息荒かったです。恥ずかしいです。
いやいや全然恥ずかしくないですけど
当時のアメーバブログとか残ってるんですけど
もう恥ずかしくて見れないですね。
読めたもんじゃない?
読めたもんじゃない。
これ本当に自分が書いたのかみたいな。
その結構こう
意欲が
鼻はだしか
鼻はだしみたいななんていうのかな
成り上がりたかったみたいなエネルギーは
結構昔からの性格であったんですか?
どうなんでしょうね。
未来のために今は正直違うんですけど
未来のために今を犠牲にするみたいなことを
あんまり幼少期はやってこなくて
普通やんないか
スポーツとかやってる子って
割とそういうイメージありません?
私スポーツがむしろ苦手で
なんだろうな
のほほんと過ごしてきたんですよ
学生時代
ちょっといろいろ病気することもあって
人生ってデッドラインあるんだなっていうのを
実感したタイミングもあって
たまたま自動車好きだったし
交通事故で当時は年間1万人以上死んでたので
今はもう半減以上してますけどね
命救える医者ってすごいなとか
病気した経験から
車領域で運動制御で
自分がそういった社会に価値を出せたら
いいなって思いは
途中からすごく強くなって
そっからなんかギア入った感じがしますね
何かこうやらねばみたいな
ことをなさねばみたいな
ずーっとそっから
つい最近まで生き急いでた気がします
へえ
じゃあもう結構
その後戦時代ぐらいとか