水の中とか夢の中を走っているような、大瀬大学陸上部の伝統校の助けを途切れさせてしまった。
二度と陸上競技はしないっていうのを決めて、ランニングという世界があって、その人たちと一緒にいると好きな自分でいられるっていう感じ。
自分は遅いんだとか、そんなに走れないんで、そういう謙遜がすごくあって、楽しくてとかやりたくてやっているあなたたちの方が本当に美しくて、
いやいや走っている速い人たちよりも全然かっこいいですよっていうことを肯定してあげたかった。
声で届ける起業家の物語 スタートアップNOW、MCの大稲荷です。
本日のゲストは、株式会社ラントリップ代表取締役 大森 英一郎さんです。
ラントリップさんは、ランニングアプリラントリップを提供されるスタートアップでして、
2025年の12月、シリーズBラウンドにて1.9億円の資金調達を発表されたばかりとなります。
大森さん、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
大森さんとは結構いろんなシーンでお一緒させていただいて。
そうですね、いろんなシーンというか、主にランニングシーンぐらいかもしれないですけど逆に。
そうですね、僕自身もアプリも使わせていただいておりますし、一緒にマラソンを走ったこともあれば。
なので、もちろん大森さん、企業家としての側面は知りつつも、意外ともともと何でランニングをやり始めたんだろうとか、ラントリップなんだろうということは、さほど聞けていなかったかなと思うので、
今日はちょっとディープに深掘りたいなと思っているところでございます。
ここで番組を応援いただいているスポンサーのご紹介です。
1社目は、決まる商談が増えるイメディア。
問い合わせ直後や資料を読んでいるホットな顧客と画面上で商談を自動で設定。
電話もしなくてもアポが取れる有効商談オートメーションです。
2社目は、スタートアップがオフィス移転をするなら一歩。
通常のオフィス探しからイヌキ物件の紹介、待機の支援まで手厚く伴奏。
実はこのスタジオも一歩さんのご紹介でスムーズに立ち上げることができました。
3社目は、企業家投資家のための超伴奏型英語スクール、90English。
高天的な英語を習得した日本人バイリンガルコーチが言語学をベースに徹底サポート。
実は僕も90English受講中でございまして、今日もレッスンを受けてきたところです。
気になる企業さんがいらっしゃいましたら、直接でも僕の経由でも構いませんので、ぜひご連絡してみてください。
ラントリップさんのこともご存知のない方もいらっしゃると思いますので、
ぜひそこのサービスの紹介の部分から1、2分くらいですかね、簡単にお願いできますでしょうか。
ラントリップというランナー向けのサービスを展開している会社なんですけれども、
基幹サービスとしてはアプリがありまして、これもラントリップというアプリになっています。
なんですけど、割とその領域においてバーティカルに事業を展開しているという形になっていまして、
メディアやってたりとか、メディアも動画メディアもあれば記事メディアもあったりとか、
あとECですね、ラントリップストアというECサイトがあったり、あとはイベントですね。
イベントはリアルなイベントもたくさんやってるんですけど、オンラインのマラソン大会というものも今やってまして、
1回あたり6万件以上のエントリーがあるんで、
多分ですね、これ比較するデータがないんですけど、
多分世界一レベルのマラソン大会を毎月やってるんじゃないかなと思ってるんですけど、
はい、あのぐらいの希望感のものをやっていたりとか、
あとは代々木公園に今年の6月ですね、2025年6月にランニングステーションをオープンしたりといった形で、
割とリアルもデジタルもメディアもアプリも物販もいろんなものを組み合わせてやっている事業、スタートアップという形でございます。
大体今年間で400万人ぐらいのランナーの方と接点が持てるようになってきたので、
ランナー人口1000万人とよく言われてますけれども、
4割ぐらいの方には少なくとも年に1回ぐらい接点が持ててるんじゃないかなというふうに思っているそんな会社でございます。
機関サービスとしてはアプリをやっています。
本当にもうでもランニングのオールインワンサービスに今となって上がってきてると。
はい、もうこの10年、今起業して10年なんですけど、
フォーカスしろと散々いろんな都市課の方からもフォーカスしろも言われましたし、
どこがどこなんですかっていうのを散々聞かれてきてたんですけれども、
今以上に繋がりがなく飛び地でビジネスそれぞれやっていて、それぞれに相関性がないみたいな、
そんな感じに見えてたんですけど、数字上は。
だけどこれが一つのオールインワンというのは、一つの機能というかサービスとしてっていう目線でずっとやってきていて、
やっとそこが今全部循環し始めて、すべてに影響し合ってるっていうちょっと良い状態に何十年かかってるんですけど、
やっと持ってこれたっていうタイミングで、
スタートアップの教科書的にはフォーカスしろというのはすごい分かった上で、
歯を食いしばりながら何とか10年やってきたっていうそんな感じでございます。
その辺りも後半サービスの立ち上げからどういうふうに変身したのかもお伺いできればなとは思っているんですけれども、
今回に限っては大森さんの人生の物語深掘っていきたいなと思うので、
良ければご出身とかご家庭とか、その辺り少し触れさせていただいてから。
家庭的にはですね、5人家族で神奈川県横須賀市生まれ、今も横須賀市に住んでるんですけれども、
5人家族で両親は公務員ですね。
両方ともですか?
はい。父親が市役所の職員やってて、母親は教員、小学校の先生をやっていました。
姉が2人いて、一つ上の姉は年子で年齢も近いんですけれども、そんな家庭ですね。
だから幼少期からかなり運動神経が良かったっていうのは拝見したんですけど、
いやいや、そんなことないですよ。
そうですか。
ご両親もランニングをやってたとか、めちゃくちゃ運動をやってたとかでは?
ないですね。全くないんですね。
部活でやってた程度ですね。
じゃあ大森さんがガッツリ運動を始めたのも小学校バス系ですか?
そうですね。小学校の途中からミニバスの友達に誘われてやり始めたっていう感じで、
本当にやっぱ下手くそなんですよ。僕何やっても下手くそで。
その前はソフトボールとかスイーミングとかもやってたんですけど、
色々やってますね。
一向に上達したいとも思ってないから上達しないんですけど、
なんかただやらされてるだけって感じで。
で、バス系やり始めて、バス系はでも結果だけ言うと全国大会に最後、6年生の時に出て。
それを見ていたので、きっと上手かったんだろうと想像して。
散々怒られまして、もう本当に毎日全員泣かされてるみたいな。
結構スパルタな。
そうですね。手は出ないけど、ひたすら毎日みんな泣いて、
夕方の4時から夜の8時ぐらいまで毎日バス系してたっていう感じで。
ただただ量によって上達したって感じで、
なんか運動神経が良かったとは全く思えないし、
リデン選手になったこともないんで。
え、そうですか。
そんな感じですね。
結果的にバス系でもそのまま続けて、中学○○と高校ちょっとぐらいになりましたね。
そうですね。中学もそのまま行きまして、
で、中学やっぱその全国出たメンバーがそのままほぼほぼ上がったんで、
自分たちの台の時には相当強くて。
ただ、その時の顧問の先生が別に専門家でもバス系の経験者でもなかったんで、
ただただそのミニバスの時の貯金を食い潰してる感はすごいあって、
その3年間の上達感は全くなかったんですけど、
一応県大会で2番ぐらいになって。
めっちゃすごいですね。
ありがたいことに推薦みたいな形で、
本聖に行こうっていう本聖大学の附属校ですね。
そこそこ強豪校だったんですけど、バス系にしても。
で、一応そっちにそのまま入ったっていう感じでしたね。
バス系自体大森さん好きではあったんですか?
好きになった瞬間が5年生ぐらいであったって感じですかね。
4年目とかもうほんとサボりたくて、
ケビオを使って休んだりとかしてましたけど、
なんかちょっと上達を感じた時があって、そっからなんか楽しくなって、
あの時はすごい好きだったなって思いました。
今もやりたくて、バスケットボール背負って公園まで走って、
あ、あさらん。
走っててシューティングして、走って帰ってくるっていうこともちょこちょこやってますね。
スリートとかすごいですね、運動尽くしですね。
高校に入って、でもスポーツ先生、スポーツ推薦で行くってことは結構覚悟感があるというか、
なんかもうバスケ好きなんだなみたいな感覚で入ることになりませんか?
そうですね。バスケやるつもりで入ったっていう感じでしたけど、
手首をちょっと怪我してしまって、1年生の夏ぐらいにこれも続けらんないなと思って。
早いタイミングで。
意外とそこをドライにやめたんですよね、普通に。
後ろ髪に惹かれもせず、やめようと思って。
確かに場合によっては、じゃあちょっと選手はできないけど続けるとか。
そうですよ。
ありますよね。
どっかグレたりするじゃないですか。
あります。めちゃめちゃそう思います。
ミッチーみたいに、かなり挑発になって、タバコ吸ってみたいなの言うかもしれないですけど、すぐ辞めちゃいましたね。
辞めちゃって、そのまま帰宅部というかになるルートもありそうですけど、そうはならなかったんですかね。
そうなんですよね。何かはやってたかったっていう感じでしたね。
今自分がこのまますぐ活躍できそうというか、領域の中に長距離、陸上競技の特に長距離っていうのがあって、長く走ることは結構得意かもってちょっと思ってたので。
他の競技を今から始めると、いろんな神奈川中からすごい優秀な選手をとっている高校なんで、どの部活に行っても多分勝てないんですよ。
長距離って別にスキルとかテクニックとかいらないから、もしかしたらワンチャンあるかもって長距離に入りましたね。
長距離、でもそれでスポーツ推薦の子たちとかもいたわけじゃないんですか。
そうですね。でもその時は長距離ブロックって言うんですけど、陸上競技部の中の長距離ブロック、そんなに言っても強い子いなくて、そんなに競合校でもなかったんですよ、たまたまその時代は。
だったので、割と生きない主力メンバーにはできなかったという感じでしたね。
バスケで鍛えた持久力ってことなんですか。
そうですね。バスケもだからそんなに上手いというよりは、運動量でカバーみたいなタイプだったので、体力は必然的にあったという感じかもですね。
高校の陸上長距離はどれくらい成果を残せたというか。
3年生の時には結構競合校になっていて、駅伝が週なんですけど、1年通して。
県大会の駅伝で優勝して宮古寺に行くっていうのが目標にしてずっとやっていて、一応優勝候補として上がるぐらいの、おそらく上位3校に入るぐらいにはなってたという感じですね。
ただ3年生の最後の県大会で、私一応エースだったんですけど、エースが一番長い距離を1区で走るんですが、そこで原因があれなんですけど、気負いすぎたか何かわからないけど、
ラスト1.5キロぐらいで脱水症状になって、記憶が飛んで、聞いた話ですけど、蛇行しながら、たまにテレビであったりしますけど、蛇行しながら走って途中倒れて、
はいつ配りながら、なんとか助けを渡したみたいな感じで、そのまま救急車で運ばれて、県で多分1区の順位としては、多分40番近くになってて、そこから最後10何番まで上げたらしいんですけど、引退って感じで、相当あれは十字架を背負った感じがあります。
背負った感じありますよね。大学入ってまた陸上やるんですよね。
辞めようと思ってたんですよ。
辞めそうですよね。トラウマというか。
というかね、うまく全国大会に出れたら辞めようと思ってたんですよ。
そもそもですね。
大学行ってまで走りたくないと思ってたんですけど、それで辞める気を逃したんですよね。
一応キャプテンではなかったんですけど、エースとして周りの子を鼓舞するみたいな感じで、妥協しないようにやろうぜみたいなことを強く言ってた人物だったのに、自分が完全に足を引っ張って、自分のせいで全員引退させる、その3年生。
引退みたいな。入賞もできない。関東大会にも行けない。全国ももちろん行けないみたいな。
一緒にやってきたメンバーの3年間を自分が無駄にした感じがめちゃめちゃあって、このまま辞めれないみたいで、この人たちに恩返しするにはもうちょっと結果を責めて出さないと。
っていうのもあって、自分の中のやりきった感もなかったかもしれないですけど、辞めきれなくて、辞め場所を求めて大学に入ったみたいな感じはあって、大学のそのまま陸上部に。
一応エスカレーターだったんで、受験はしなくてよかったんですけど、一般入部という形で、スポーツ出身ではないので、一般入部として法政大学の陸上部に入らせてもらったという感じでしょうね。
大学に入ったらとはいえスポーツ推薦の子たちとかめちゃめちゃいるんですか?
もうこれは9割型スポーツ推薦。それも高校のスポーツ推薦とはわけが違うというか、神奈川県の優秀な子が来てるとかっていうレベルではなくて、日本中のトップランナーたちが来てるって感じなんで、全然住む世界が違う感じでしょうね。
エースって言っても全然格が違うエースがいっぱい集まってきたみたいな。
マジでレベルが違います。5段階ぐらい違います。
私のベストタイム、例えば5000メートルで15分キル、14分58みたいなのが当時高校3年生のベストタイムだったんですけど、それで例えば15キロ走してるとか、自分のベストで3倍いっちゃってます。しかもそれが日々の普通の練習みたいな感じだったので、これどうすんのみたいな感じでしたね。
それ入ってから気づいたって感じなんですか?それとも分かってたけど?
なんかすごいんだろうなとは思ってたんですけど、そんなに何ですかね、ただやめた、吹き逃したからそのまま惰性で入っただけなんで、なんかあんまりどういう練習してるとか事前に調べることもせず、ただただ行ったって感じだったんで、相当衝撃してて。
そうなったら多分選手入りとかその時点では少なくとも絶望的じゃないですか?
絶対無理だと思いましたね。
気持ちとしてはどうなるんですか?
なので、やめどき逃したし、高校のコーチにはお世話になってたから、自分大学行って箱根走る姿見せて恩返ししますみたいな気持ちを。
当時ね、辞める時は割と本音で行ってたんですけど、入った瞬間これ無理だと思ったんで、割と口では箱根出たいって言ってるけど、出れないつもりでただそこにいるっていう日々を当時は過ごしてましたね、最初の1年目は特に。
1年目、2年目ぐらいから何か変わるんですか?
そうですね、1年生の冬に初めて箱根駅伝に大学チームが出るんで、私も生で初めてそれを体験するっていう場があったんですけど、自分は箸にも棒にもかかんないんで、補欠とかサポートすらさせてもらえなくて、
自分は大学のジャージを着ることができず、学連のスタッフの箱根駅伝って書いてある黄色いジャンパーみたいなのを着て、一区の沿道に行き、歩道のボランティアみたいな、沿道のボランティアみたいな。
入っちゃダメですよって。
それをやるっていうのをやっていて、それが初めての自分としては箱根駅伝、生の箱根駅伝だったんですけど、その日に結構意識が変わったんですが、
一区のボランティアやってた時に、すごい静けさなんですよ。選手が来るまでの沿道の静けさの中で、どんどんわらわらと20分前ぐらいになると人がバーってきて、黒道1号線がパンパンに人が埋まってるんですけど、
遠くからヘリの音がバラバラバラバラってしてきて、なんか来たみたいな。その後にこう、扇動車両とかが来たりとか、中継車がバーっていって、明らかに向こうから何か来るみたいな中で、歓声が先に聞こえてくるんですよね。
わー、頑張れー、みたいな小さい音がどんどん大きくなってきて、一区だったんでみんな集団でいるんですけど、その集団がわーって自分の後ろを通過した時に、とてつもないエネルギーの塊みたいなものが向こうから波として迫ってきて、自分を通過していったみたいな。
で、すごい声援の中、いつも一緒に練習しているというか、グランドに一緒にいる先輩がその中にいて、ここにいる大監修たちは全員そっちを見ていて、自分はそちらを見ることもできず、道路に背にしてその人たちを見ているみたいな。
で、その、なんか、とてつもないエネルギーの塊に侵された感じの中で、誰も自分を見ていないみたいな。なんかそれがすごい衝撃的で、これちょっと向こう側に立たないといけないなっていうふうにすごい思ったんですよ。
で、少なくとも陸上部に所属している、チームが箱根に出ている以上、道はつながっているわけですよね。道がつながっているんだったら、ちょっとこれなんか目指した方がいいなっていうのをすごい感じて、ちゃんとあっち出ようっていうふうにやっと思ったっていうのが1年目の冬。そこから割と意識は変わったというか、目指したいなってちゃんと口にするようになったという感じですね。
口だけで言うのではなくて本当に出たいなって気持ちもついて。
そうですね、思うようにはなりましたね。
とはいえ実力値で言ったらだいぶ遠い状態だと思うんですけど、それでもあまりにも使命感というか、駆られるものがあったんですね。
そうですね、そうですね。いやなんかこれあっち出た方がいいなって思いましたね。
どうやって駆け上ってくるんですか?
普通は箱根駅で1日のために364日努力するっていう考え方で周りの選手とやってるんですけど、それじゃ足りないなと思ったんですよね。
なので自分はその1年生の冬から3年後、4年生の冬をゴールにして、360日頑張るんではなくて×3みたいな約1000日間を1日のために努力するっていう、継続するっていう考え方にして、
そうすると一応3倍やれるんで、他の人のマインドと比べると1日に対して努力できるんで、3倍やればワンチャンあるんじゃないかみたいな、そういう考えで1000日計画っていう、後付けで呼んでる3千日計画立てて、
2年生中にAチームに上がるっていうのを目標にし、3年生の時には16人の補欠メンバーに入るっていうのを目標にして、4年生では12番目にいるっていうのを目標にして、
これトップ10人じゃないと出れないんですけど、だいたい10人揃わないっぽいっていうのが分かってたんですよね。怪我があったりとか、コンディション悪いとか、体調がピークが合わないとかで、トップ10揃わないんですよ、だいたい。揃ったらもうしょうがないと思って。
でもワンチャン12番目ぐらいだったら、いられる可能性があるなと思ったし、12番目にいればもしかしたらチャンスが回ってくるかもな。で、回ってこなかったらしょうがないみたいなので、4年目で12番目を目指すっていう、ちょっと自分の中で現実的っぽい目標にして、1000日間やるっていうのを一応やって入れたっていう感じですね。
その12人目に入ってとはいえ10人が枠で、何人かが出られないっていうのはやっぱそれは怪我だとか体調とかあるわけじゃないですか。そういう意味では大森さんもその約1000日間の間怪我したりとか、なんか無理すればいいものでもなさそうな気もするんですけど。
もうその通りで、1000日間怪我しないとか、1000日間休まないってことを目標にするんで、それでやりすぎで怪我しちゃうとか、燃え尽きちゃうとか、いろいろあるんですけど、そうならないようにコントロールするっていうのは結構工夫したポイントかなと思いますし、それ難しいのが、追い込まないこと、追い込みすぎないことが果たして妥協なのか、そうじゃないのか。
そういうのをちゃんと自分の中で自問自答しなきゃいけないっていう、この辺はすごい今思えば難しかったかもなって思いますけどね。妥協じゃない、戦略的に今やらない方がいいってちゃんと思わなきゃいけない。
さっきおっしゃっていただいた燃え尽きっていうリスクも当然あるわけじゃないですか。しかも始まりが実力値では相当低くて、ものすごいエネルギーに見せられてガッて上がったけど、そういうのって1日とか1週間後とかにはもうなんかそんなこともあったなとかなりがちだと思うので、そういうのはならなかったんですか?
そうですね。だからあんまり上目指しすぎると、どっかでモチベーションが下がっちゃうと思うんですよね。2年生で言うとAチームに上がる。Aチームに例えば懐かしく連れてってもらうには、春にこれぐらいで走れてなきゃいけないと。春にこれぐらいに走るには、この時期にこういう練習で大体これぐらいのタイムでできていればいいみたいな。
そういうよりと目の前のことを追いかけていったって感じなんで、膨大な冒険をしてる感じも逆に言うとなくて、目の前のあれをこなしていくっていう短期的な目標に切り替えてたんで、あんまり燃え尽きずに同級生と比較しないって目指してるところが今見てるラインが違うので、自分もっと手前のもっと低いところが超えられれば良しとしてたんで、焦るみたいなこともあんまりなかったし。
嫉妬みたいなのはずっとありましたけど、ああなりたいとか。嫉妬はあったけど今に見てろみたいな。そんな感情でやってた感じですかね。
目標も含めては達成していったものなんですか?
振り返ってみると確かに2年で1位に行って、3年目で16位に入ってて、一応4年目も自分の中で12番目にいたんですよね。自分より早いやついたんで、行ったけど出れなかった子たちがいたんで、12番目から14番目の間ぐらいにいたなっていう感じでしたね。
結果的に駅でも走れた?
そうですね。結果的に当日のメンバーで言うと多分9番目ぐらいだったんじゃないかなと思いますけど、入った感じでしたね。
どうだったんですか?
それがもう全然ダメで。
ダメだったんですか?
全然ダメで。私9区走ったんですけど、そこの9区走るっていうのも直前になって、1人怪我しちゃって、本当は10区走る予定だったのが、あのくらいぐらい巡り回って、巡って9区になって、当日ぶっつけ本番みたいな感じだったんですけど、全く走れなくて。
というか、水の中とか夢の中を走ってるような、まさに地に足がついてない感覚で、ひたすら走っていて、いつの間にか終わっちゃったっていう感じで、そもそもスタートラインに立った時点で、すごいとてつもない疲労感みたいな。
やっとここに立てた。自分の中で箱根出ることが目標になってたんで、スタートラインに立ったっていう時点で、わりともう終わっちゃってたっていう感じで、そのまま全然ダメで、結果的にタスキも43秒から時間が足りなくて、タスキもつなげなくて、そのまま終わったっていう感じだったんですよね。
どんな感情になるんですか?
結果的に3年間でやりたいことを見つけて出ていけたんですか?どうでしたか?
1年半で辞めました。
1年半。
1年半で辞めました。
入ってリーマンショックで、求人のニーズが皆無みたいな感じになって、その中で飛び込み営業しなきゃいけない、電話営業しなきゃいけない、1日200件かけるみたいな。
めっちゃきついですね。
めっちゃきついじゃないですか。
全然普通にやれないと思って、1年半で。
たまたま自分が新規で挙げたお客さんから、営業欲しいんだよねとか言って、大森くんどう?って言ってもらって、そこに早期退職リクルートさんが募ってたタイミングでガキーって。
いわゆる今でいうリクルートの人たちが選択しそうな企業をするとか、もうちょっとアーリーなベンチャー、スタートアップに行くとか、そういう転職でもないってことですか?
2009年とかだったんで、いわゆるスタートアップみたいなのも今みたいになかった。
ほんと一部はあったかもしれないけど、全然まだまだスタートアップというワードも知らなかったですね。
転職してどういう仕事をしてたんですか?
地元の観光業ですね。神奈川県の横須賀市の観光系の仕事をしてたという感じです。
それはどれくらい続けてたんですか?
それは5年半くらい。
結構しっかり続けて。
そうですね。それはそれでもうただただ楽しくて、ストレスもなく普通にやりがいがある楽しい仕事っていう感じで、悪く言えばぬるま湯でもあったっていう感じでしたけど、
別に生涯ここにいても楽しいんだろうなって思ってたという感じでしたけど。
リクルート出身者が元リクとか、元リクだから起業してるって言われるんですけど、リクルートに育ててもらった感じは一味もなくて、ただのお荷物だったというだけですね。
リクルート出身の素晴らしい起業家の方とかいらっしゃいますけど、それとちょっと比べられると本当に申し訳ない感じでした。
この観光客の仕事をされている中で時間もできてランニングをちょっと、これは何で再開されるんですか?
ただそうですね、時間ができたっていう、リクルート辞めて時間ができたっていうのと、タバコも吸ってたし、お酒もすごい飲んでたし、仕事もすごい18時には終わるんですよ。
17時半くらいに終わるんですよ。
早いですね。
そこから12時くらいまでみんな若いメンバーだったんで、飲みに行くみたいな感じで、1日だから5、6時間タバコ吸いながらみたいな生活を数年間送ってたんですよ。
ただなんかこれ普通に不健康だなみたいな感じになってきて、ちょっと運動してみるかで、そういえばランニングしてたのでランニングを始めたという感じと、
あとリクルート辞めて地元の中小企業に行ったんで、給料も結構ガクッと下がって、なんか副業をしたいみたいな、そういう割と下心で、
ランニングブームだったんで、地元にそういうのを教えてる人もいなかったし、小銭に稼ぎできるかなみたいな、そういうかなり横島なというか、大した意義もなく始めたって感じですね。
お自身がランニング趣味程度にやりつつ、プラスアドも教えるというか、そういうスクールっぽいことをされたってことですか?
そうですね、それでそういうのやってみたいなと思って教えるのを個人事業として、インストラクターやったりとか、クラブチーム作ってみたりとか、NPO作ってみたりとか、
結構やってますね。
なんかちょっといろいろやってみたっていう感じですね。
そこでまたランニングへ対する印象とかがガラッと変わってきたりとかいろいろあるんですか?
そうですね、そこで印象がかなり変わって、今のマインドになったって感じですね。
今のマインドというと、どう変わっていたんですか?
そうですね、なんかその自分が知っていた陸上競技とは全然違う世界がランニングという世界があって、
市民ランナーと呼ばれるお金を払ってでも走りたい人たちがこんなにいるんだみたいな、
その人たちと触れ合うとすごく輝いていて、ポジティブな気を発している集団たち。
この人たちと一緒にいると、好きな自分でいられるという感じがあったんですよね。
夜な夜なタバコを吸って飲んで、たわいもない話をしているのとはまたちょっと違う自分でいられて、
そっちの自分の方が好きだったみたいな感じもあって、
この人たちの役に立ちたいなと思ったんですけど、
その人たちがよく言うのが、自分は遅いんでとか、そんなに走れないんで、
箱目ランナーに教えてもらうなんて本当に申し訳ないみたいな、そういう謙遜がすごくあって、
今以上にランナーの会話が月間走行距離かフルマラソンのベストタイムで基本挨拶するみたいな、
そういう感じだったんですよ。
遅い人は本当に居場所がないというか、申し訳なさを感じながら生きているみたいな業界だったんですよ。
僕からすると走ること本当に嫌いだったんで、生も婚も尽きちゃったから、
だけど走りたくて走ってるって人たちが本当に美しくて、楽しくてとか、やりたくてやってるあなたたちの方が、
嫌々走ってる速い人たちよりも全然かっこいいですよっていうことを肯定してあげたかったっていうのが課題感として芽生えてきて、
いろんな走り方があるっていうか、どんな形であれ走ってるっていうことが素晴らしいっていうことを、
私の経験から伝えられるんじゃないかなって思ったっていうのが、ちょっと長くなりましたけど、
マインドのチェンジっていう感じでしたね、当時の。
ことをグッと企業を決意するというか、またステージが全然違うような話な気がしますけれども、
その辺りは何かきっかけがあったりだとか、そういうのがあったら教えてください。
レッスンとかイベントやっていく中で、ラントリップっていうワードが出てきたんですよ。
それがサーフトリップのように、ランナーがいい道を求めて旅をするみたいな、そういうカルチャー。
要はタイムを求めることとか、速くなることだけを目的としないライフスタイルとしてのランニングみたいなものが、
もっと広げられたらいいなと、そういうカルチャーを作っていきたいというふうに思って、
自分がいろんなレッスンをやったりとかしてたんですけど、
言っていることは多分正しっぽいし、すごい求められている。
それを聞いた人からは素晴らしいみたいな感じで言ってもらえてたんですけど、
目の前の20人、レッスンとかだと目の前の20人とか、
クラブチームにしても多分100人とか、よくて200人とかしか伝わらないこの思いみたいな。
なんかちょっと違うみたいな。
もっと世の中的に、もっと早くより多くの人に届けたいというふうに思って、
ビジネスにしないと副業でやっているとかぐらいじゃダメだし、
もっと言うとデジタルを使わないと、今の言葉で言うとスケールしないっていうのがやっとわかったんですよね。
その時に20代の企業論っていう、サムライさんの坂木ブラさんが書かれた本があって、
それに出会って景品急行の電車の中で読んでたんですけど、
めちゃめちゃ具体的ですね。
未だに覚えてますね。
本当にそれを読んで、そういうスタートアップというビジネスの立ち上げ方、
持たざる者でも挑戦ができるというスキームがあり、
それの成功事例としてこういうことが今世の中で起こっているみたいなのを知って、
自分は何も持ってなかったんですけど、積み上がってなかったので、
でも思いとやりたいことは明確にあって、
やりようによってはそれをより多く早く多くの方に届けることができる手段があるって知ったのがすごく衝撃的で、
めちゃくちゃ嬉しくなって、
これだみたいな。
景品急行の電車の中でマジで座りながら読んでたんですけど、
座ってられないぐらい、
あの感覚なんていうんですかね、
本当ワクワクしたというかドキドキしたというか、
出会ってしまったという感じがあって、
これで自分がやりたいことをもしかしたら届けられるかもしれないみたいなすごい思ったのをめちゃくちゃ今でも覚えてて、
その中に侍さんが出資してたのがヤマップっていう、
今でこそとんでもない素晴らしい会社だと思いますが、
ヤマップさんがいると、
ヤマップさんがやってる領域とかやろうとしてることが、
僕がやろうとずっと考えてたこととすごく近いみたいな思って、
なんかカンファレンスがあったんで、
そこに行って、社長の春山さんも出待ちして、
名刺交換させてもらって、
春山さん自分ランニングでこういうことしたいんですよ、みたいなのを挨拶に行ったのを超覚えてます。
それがわりときっかけで、
自分がラントリップっていうものをデジタルの領域において、
スタートアップというスキームで立ち上げていこうというふうに意思決定したって感じ。
その頃のランニングを取り巻く環境でいくと、
さっきの体制的なところはいただきましたけど、
ビジネスでやったらサービスとかってなるわけじゃないですか。
今だったらいろんなアプリとかもあると思います。
当時もいっぱいあったんですか?どんな感じだったんですか?
そうですね。2015年に私起業してるんですが、
その前後でグローバルデジタルランニングのアプリがわりともう台頭してきていて、
Adidas、ASICS、Under Armourがそれぞれ買収してたっていう時代。
数百億の規模感で買収してたのが、
1、2年で3社バコバコバコと続けに起こったというタイミングだったので、
いわゆるランニングの計測アプリとしては、もう勝負ついた感も実は正直あって。
すっからやってももう間に合わないというか。
Nikeのランニングアプリと、今だとAdidas、ASICS、
Stravaとか直近でか最近ありますけど、
この辺がグローバルで数千万人のユーザー囲ってますみたいな。
買収も一通り終わって、一旦終わりましたこの領域みたいなタイミングでしたね。
じゃあそこに乗ってこうとはならず別の道を探したんですか?
そうですね。ランニングの計測アプリっていうところだと高発すぎて、
しかもそこにもデータも溜まってるし、スイッチングコストかかりすぎるから、
ちょっと別の切り口みたいなのは考えていて、なので社名にもあるんですけど、
ランニングコースを検索したりとか、投稿し合えるみたいな、
みんなでいろんな地域にある素敵なコースを紹介し合うサービスからスタートしたっていう感じですね。
めちゃめちゃ素敵なサービスそうな感じはしつつ、
儲かんのそうですよね。
っていう印象を多分抱いたと思うんですけど、どんな思いだったんですか?
そうですね。なのでそういうニッチな領域、一部ニーズとしてはあるけど、
ニッチな領域から入ってユーザー基盤を作り、
ユーザー基盤ができてくればまたやれること増えると思うので、
そこにメディアを載せたりとかイベントやったりとか、
物販するみたいなのが当時から計画としてあって、
今の形にやっと10年かけてたどり着いた。
なので、もともとこれとこれとこれやろうみたいなメディアがあって、
そうですね。自分たちがTシャツ作っているみたいなところからやっていったし、
今も自分たちで売っているからといって、
スポーツブランドからシューズを下ろしてもらうとかは通常できないんですね。
むしろ絞っていますね、今、各ブランド。
今はどうやって取引しているんですか?
今は各ブランドのシューズ取扱いができているんですよ。
それは今年この1年ぐらい、やっとですね。
特例的に。
ブランドさんごとに取扱いの店舗さんのランクみたいなものがあって、
そのランクによって扱えるモデル、シューズのモデルとかがあるんですけれども、
うちはその特例的に結構認めていただいていて、
トップのT1レイヤーのやつが扱えるようになっていて、
国内でいうとトップ10みたいな店舗になっているという感じですね。
それはメディアとして培ってきた信頼とかもあるし、
会員の基盤とかもあって、そこが特例的に認めてもらって、
このラントリップってショップなのか、メディアなのか、
これ何なんだって扱いにもなっていたんですけど、
特例的に1個飾らないで、
バーっと今のきなみ全部取引させてもらっているという感じですね。
そこでまた一気に売上も増えたり、ユーザーも増えたりとかもしていく?
そうですね。それもあってすごい相関してきている感じはありますね。
品ぞれによってユーザーも増えるし、
ユーザー増えているから売れるから品ぞれも良くなるし、
最初におっしゃっていただいたラントリップベースの代々木のパークは、
あれは何なんですか?
公園の再開発の事業として、パークPFYって言うんですけれども、
公園って保全するのにお金がかかるじゃないですか。
それを行政のお金だけでやっていると、あんまり良い未来がないという中で、
民間施設を入れてそこに営利のビジネスをしていいから、
その利益の中から公園の保全の費用を出すというのがパークPFYという考え方。
これ今日本中で広がってきているんです。
当然公園なので公益性のあるサービスを一部やらなきゃいけなくて、
特に健康増進に資するものとか、
そういう機能を公園の中でビジネスしていいけど、
一部そういう機能を持たせなさいというのがルール上あるんですよ。
今回東急不動産とラントリップが東京都の入札に出そうという時に、
東急不動産から相談をもらって、
何かこうランナー、代々木公園ランナーも多いから向けて何かできないかという相談を
2021年ぐらいにもらって、
コロナ中ですよね。
コロナ中にリアル店舗を出さないかという、
ランニングステーションをやらないかという相談をもらって、
今みたいな絵を描いて、一応出したら止めてというのをやっています。
一社単独でやるというよりかは、
いろんなアリアンスを組んでやっていくというのが多いんですね。
そうですね。
なので公園の中に、
パークPFIといって、きれいなハードは結構できてきているんですよ。
なんですけど、結局そこにコミュニティができないとか、
ソフトがないみたいな部分で、
課題が健在化してきていて、
割と今そこの引き合いが増えてきている感じですね。
僕もこの前使わせていただきましたけれども、
ランナーとしたらめちゃめちゃ最高なランステージャンという感覚で、
裏ではそういう社会的な意義とか、
ちゃんと背負った上で体験がうまく織り混ざっているんですね。
そうですね。ただ施設があるというだけじゃなくて、
データと連携しているとか、
データが取れるというところがむしろ、
推しというか売り。
今回使っていただいたときにチェックインしてもらったときなんですけど、
チェックインしていただいたので、
今後運動量が僕らとアプリで分かってくるので、
いつ走って、今月どれくらい走ったかとか、
逆に言ってやめてしまっているかとかも分かるんですけど、
その方たちがだから、
施設を使ったときだけじゃなくて、
それ以外のときにも接点が持てるように、
月間30キロ累計で走っていただくと、
毎月ご褒美として、
うちの施設で飲めるクラフトビールのクーポンとかが送られてくる。
めっちゃいいですね。
運動頑張りましょうという話と、
もう一回来てくださいねというようなスキームになっているのと、
稲荷寺さんが走っていただくと、
1キロにつき0.1円が代々木公園に寄付されるというスキームになっているので、
自分のためにも頑張れるし、
社会のためにもなるというような、
そういう仕組みを導入していて、
これをいろんな地域にインストールしていきたいというふうに思っています。
僕らが施設、ハードを作らなくても、
このソリューションだけをインストールするということはできちゃうので、
そういうのをちょっと作っていこうかなと思っています。
すごい、じゃあどんどん先が広がっていく感じはしますし、
逆に言えばさっきの博年の話じゃないですけど、
結構スムーズに事業立ち上がって拡大しているように、
逆にそうじゃない部分とかも聞きたいなと思って、
この10年間、相当いろいろあったと思うんですけど、
いわゆるハードシングスじゃないですけど、
あれやばかったなとかありますか?
そうですよね。
時間がかかっているということですよね。
もっと上手に経営できる人だったら、
もっと早くこんな世界を作り、
こういうことができちゃっていると思うんですけど、
やっぱり持たざるものをやっているので、
別に起業経験もないし、
そもそもITの業界にもいなかったし、
部下すら持ったことがなかったので、
その中で起業しているので、
みんなに助けてもらいながらやれたという10年で、
ハードシングスというとどうなんですかね。
順風満帆では1ミリもなかったですけど、
やめたいかって思ったことも別になかったですね。
ハードシングスか。
うまくいかないことだらけですけどね。
ハードシングスって思ったこともないけど、
でもキャッシュですかね。
キャッシュがつけるみたいなのは何度かあったんで。
何度かありますね。
何度かありますね。
そのときぐらいじゃないですかね。
ハードシングス。
結構いろんな外のメンバー含めて巻き込まれているから、
つきそうになると相当ヒヤつけませんか。
ヒヤヒヤしますよね。
どうにか。
どうしてですね。
10年経っているんでね。
直近のスキンチョークスもね、
だいぶヒリヒリする瞬間は全然ありましたよね。
そうなんですね。
結構珍しい投資家さんが入ったりとかもありますし、
個人でもあの方がみたいな方が入ったりもありましたけど、
今回の調達の目的じゃないですけど、
概要とか含めて。
目的2つあって、
1つはランニングだけじゃなくて、
まさにウェルネスの領域とかヘルスケアの領域に対して、
もう少しサービスを広げていくっていう、
わりと一視表示ですね。
なので今回パラモナントベッドさんからご趣旨を受けて、
睡眠と運動と栄養が結局、
予防医療において重要な3つの要素なんですけど、
その中の運動と栄養っていうデータを掛け合わせた、
サービス開発を今後していくっていうことがずっとしたので、
そこのある種、一視表示ですね。
もう1個はこれまで、
やっぱり僕の現体験にもあるんですけど、
タイムだけじゃないトランニングの良さ、
っていうことを広げてきたつもりなんですけど、
それをちょっと言い過ぎた部分もあって、
ここのある種苦しみを伴った達成感みたいなものは、
ラウンドトリップの世界観ではないっていうふうに、
思われる方もちょっとずつ増えてきた気がしていて、
自分を超えていくこの感覚も、
苦しみすらも楽しめるっていう、
1つの人生のスパイスとして楽しむっていう楽しみ方も十分あるし、
リスペクトできる部分なので、
そういう楽しさも僕ら否定してないよっていうことを、
ブランドとしてちゃんと立体的に伝えたくて、
意図的にトップアスリートですね、
三代目山の神野金太一さんとか、
800メートルの元日本記録保持者の横田松さんに、
入っていただいたほうがという形で、
ゴリゴリの競技者をあえて入れて、
彼らが目指している世界も、
ラントリップが目指している世界も、
登り方が違うけれども、実は同じことを言っていると。
それは楽しく走り続ける人が増えると、
いい社会になるっていうことを言いたいということで、
そこの立体感をもたらすっていう目的で、