101 社会的マルトリートメントを予防する「場の力」の構造:馬という非人間基盤の役割
2026-03-25 42:26

101 社会的マルトリートメントを予防する「場の力」の構造:馬という非人間基盤の役割

今回のテーマは「社会的マルトリートメントと馬」。聞き慣れない言葉かもしれませんが、私たちの日常に潜む「能力主義」や「評価」という目に見えない抑圧から、いかに子どもたち、そして大人自身を解放していくかという深い問いが込められています。

東京で開催された「第3回社会的マルトリートメント予防全国研究集会」でのポスター発表を振り返りながら、三陸駒舎が大切にしている「評価なき空間」の設計図を紐解きます。馬という、人間を順位付けしない存在がそばにいることで生まれる「余白」。そして、思い通りにならない自然環境の中での試行錯誤が、いかに子どもたちの自律的な成長や身体感覚を呼び覚ましていくのかを具体的に解説します。

学校や社会の物差しに少し息苦しさを感じている方へ。馬の眼差しが教えてくれる「生きる本質」や、地域で子どもを育てるための「社会的親」という視点など、明日からの関わり方が少し優しくなるようなヒントが詰まっています。

現場での実践をモデル化した視点。下方のスライド資料と合わせてお聴き下さい。


▼ポスター発表資料(スライド、図解など)

https://kamakoma.org/jace26/

▼第3回社会的マルトリートメント予防全国研究集会 2026/2/28-3/1

https://jace-pom.org/information/2025/12/2405/


社会的マルトリートメントと馬の接点 能力主義という社会の抑圧と子どもの発達 馬が持つ「評価しない眼差し」の力 三陸駒舎の3層構造と「ままならなさ」の価値 評価を持ち込まない大人同士の対話と仕組み 研究集会で感じた「学びの主体性」という課題 非言語の体験から社会を変えていくアクション


■ 関連エピソード

039 劣化する社会から子ども達を奪還せよ 〜教育の中身の前に、社会をどう捉えるか?

本編で触れた「能力主義の抑圧」 [cite: 1] の正体に迫る回です。教育の手法を議論する前に、私たちが無意識に飲み込まれている社会構造をどう捉え直すかを考えます。

https://open.spotify.com/episode/7M1Qsd0xaFkZzCvxKEc0MX

037 身体性がないと人を幸せにできない〜馬とのアフォーダンスで身体性の獲得せよ

社会的マルトリートメント予防の基盤となる「非人間基盤層(馬や自然)」 [cite: 1] に深く関わる回です。言葉による評価ではなく、馬との身体的なやり取りがいかに人を健やかにするかを解説します。

https://open.spotify.com/episode/2gljpkx2DlFDUMI3qp9gas

010 馬との関わりは、子どもとのコミュニケーションに通じる

「馬は人間のような序列や評価をしない」 [cite: 1] という今回の核心部分を、より具体的なコミュニケーション論として展開。馬を先生として仰ぐ姿勢が、対等な関係性を育むヒントになります。

https://open.spotify.com/episode/5AqSxg9qAm9z9r8zKUqSiL

▼パーソナリティ

黍原豊 きびはらゆたか(一般社団法人三陸駒舎)
https://kamakoma.org

▼お便りフォーム

https://forms.gle/9St7s9semEhuF3DR8


最後に流れる曲は、本編で話した内容を文字起こしして生成AIで作詞作曲しました。


評価のない風に吹かれて〜馬の瞳と、ままならない自由

[Verse]

「もっと上を目指して」と 背中を押す社会の影

「できない」は「直すべきこと」と 誰かが勝手に決めた

数字や成績が ぼくらの価値を決めるなら

この息苦しさは どこまで続いていくんだろう

それは個人の弱さじゃない 社会が映すひずみ 「社会的マルトリートメント」 誰かの心が枯れていく


[Chorus]

馬の瞳は 決してぼくらを評価しない

ただ「今」を生きる命を そのままに映し出す

比べなくていい 効率もいらない 評価のない空気が ぼくらをそっと包み込む

ままならない自然が 教えてくれる

「そのままで、ここにいていい」という 自由を


[Verse]

築百年の古民家 馬と草木の匂い

思い通りにいかないから こそ生まれる余白

教えすぎず、比べず、ただ一緒に考える

誰かの役に立ちたいと 自分で一歩を踏み出す 体で覚えるルーティン 繰り返す安心の場所 馬と自然が土台となって ぼくらを守っている


[Bridge]

診断名や成績で 人を分けるのをやめて まるごとの「あなた」と 出会うことから始めよう

当たり前だと思ってた 鎖をひとつ外して

個人の痛みは 構造の光で溶かしていこう


[Chorus]

馬の瞳は 決してぼくらを評価しない

ただ「今」を生きる命を そのままに映し出す

比べなくていい 効率もいらない

評価のない空気が ぼくらをそっと包み込む

ままならない自然が 教えてくれる

「そのままで、ここにいていい」という 自由を


[Outro]

馬と、自然と、響き合う心 この場所が土台となって 予防の種を広げよう 評価のない風が 今日も優しく吹いている


#馬 #ホースセラピー #社会的マルトリートメント #自然体験 #子どもの発達 #教育の本質 #能力主義 #非認知能力 #療育 #発達支援 #身体感覚 #対話 #三陸駒舎 #子育て #野外教育 #関係性の教育 #評価なき空間 #自己肯定感 #森のようちえん #非言語コミュニケーション

感想

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さんこまラジオ、築100年を超える古民家で馬さんとともに暮らしながら、ホースセラピーの取り組みをしている、きびはらがお送りしています。
さて、今回のテーマは、社会的マルトリートメントと馬というテーマで話していきたいと思っております。
そもそも、社会的マルトリートメントというところの解説をしないといけないかなと思うんですけども、
でも、馬ってすごくいろんな社会課題に役立つんだなということが分かってくるような内容になるのではないかと思っております。
今回、そもそもの社会的マルトリートメントという話なんですけども、
マルトリートメントというところからまず話していくと、トリートメントって取扱いっていう意味で、
よく自動虐待とかっていう話がありますけども、そのもっと広い概念がマルトリートメント。
マルというのは不適切なっていう意味なので、不適切な取扱い。
不適切な子供に対する関わりとか状況みたいなことで、虐待のちょっと広いバージョンみたいな感じです。
そこに社会的っていうのがついてて、これは個人的に、例えば親が子供に対して不適切な関わりをするとかっていうのもあるんだけども、
それは個人の問題じゃなくて、そういったことが起こってしまうような社会的な抑圧だったりとか価値観とか、
そういったものがあるよねっていうのが社会的マルトリートメントっていう考え方です。
個人の問題に留めないで、社会全体で子供たちがよりよく育つような場というか空気というか、
社会を作っていこうよっていうのが社会的マルトリートメント防止の考え方になります。
もうちょっとだけ解説すると、例えば勉強をたくさんして能力を高めて、そうするといい会社に入って地位も得て収入も高くなるよっていうのが当たり前というか、
能力主義みたいな、それも本当は前提があるっていうところで、そういう前提がない社会。
昔は階級社会だったので、能力主義じゃなくて階級主義、貴族はいい地位についてみたいなことだったんですけど、
今はそうじゃなくて能力主義みたいなところが当たり前になってるけど、
そういった当たり前を疑っていくというか前提を疑いながら考えていく必要があって、
03:00
そのときに、例えばその能力主義の今社会において子供を育てるときに、
勉強しないと困るよみたいなね、どうしても行っちゃうみたいな、将来困るから今勉強しなさいみたいな、
それが行き過ぎると、いわゆる最近教育虐待とかやりすぎ教育みたいな言葉があるんですけども、
それを良しとして、子供のためにと言いながら、それでも実は社会からそうしないと困るよみたいな欲圧というかですね、
いわゆる社会的な構造から最終的に弱いところに、そういうマルトリートメント的なことが起こるっていうのが、
この社会的マルトリートメント。
だから自分の中で物差しっていうのは、自分の中にある物差しが当たり前だと感じてるけども、
それをちょっと一旦疑ってみようよっていうのが、社会的マルトリートメント、
防止を考えると非常に大事なことになります。
それがJACEっていう団体がいろいろな取り組みをしていて、
2月28日、3月1日と社会的マルトリートメント予防全国研究集会っていうのが第3回目になるんですけども、
東京であって、これは面白いと思ってですね、参加してきました。
そのときにポスター発表みたいなのができるってことで、ちょっと手を挙げさせていただいて、
でもね、社会的マルトリートメントっていう概念を聞いたときに、
馬っていうか、僕たちの馬の暮らしをやってることって、これにすごくつながってるなって思ったので、
これはぜひっていうふうに思って、そのポスター発表をした次第です。
このJACEっていう一般社団法人、JACEっていうところの代表をされているのが竹田信子さんっていって、
やりすぎ教育っていう本、書籍を出されていたりとか、社会で子どもを育てる、
これ僕、大前に買って、一度サラサラって読んだんですけど、今ちょっと読み直してますけども、
いわゆる子育てっていわゆるさっきの虐待、社会的じゃないマルトリートメントだと、
親の問題にされるんだけど、社会全体で子どもたちを育てることがすごく大事ですよね、
その研究報告書みたいなのがあって、そこにもいわゆる血がつながった親じゃなくて、
社会的親みたいなものを、存在みたいなものをたくさん作ることが、
そういうマルトリートメント防止になるんじゃないかっていうことを書かれていたんですけども、
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人だけじゃなくて、馬もそこに入れていくといいんじゃないかなっていうふうに思っているというか、
僕は結局その社会的な抑圧とかって、人間社会が作り出しているもので、
その外側に生きる本質というか、ただ毎日ご飯を食べて元気に健康でいられるってことが本当に幸せで、
大事な、一番根本の大事なことなんだけども、それをもっと勉強しなさいとか、
能力つけないと、もっと価値を出さないと、この社会ではやっていけないんだみたいなことを言ってしまうのは人間で、
全然関係ないそういう人間の物差しとか評価とかとは全然違う世界が本当はその外に広がっていて、
それを気づかせてくれるのが馬だし、その馬との暮らしの中で、
そういった感覚みたいなものを養っていくことができるよねっていうふうに思っていて。
だから、だいぶ前に話したかな。
結局、今の社会っていうのが本当にいいのかっていうところからまず立ち戻って考えていく必要があって、
やっぱり社会によって抑圧される人が、社会的なものから、構造から抑圧される人が出てきているっていうことを考えないと、
対処療法にしかならないというか。
うちもいろいろと児童相談所が関わっているご家庭とかいろいろあるんですけども、
その保護者の方とかも自身も苦しんでいるというか、いろいろ困難さを抱えていたりとかしてるし、
個人の問題として片付けても何も解決しないなということがあって、
これは地域とか、うちだと地域のコミュニティというかの中で、
そういうマルトリートメント的なことが起こらないような、
そんなコミュニティになっていったらいいなというふうに思ってるんですけども、
その時に馬と関わることが全然違う視点というか物差しを僕たちに与えてくれるなというふうに思っている次第で、
それを社会的マルトリートメントという考え方があるんだというのを聞いて、
これはすごく思っていたことだぞというふうに思ったのが、今回言葉と出会ったところでした。
もう一度社会的マルトリートメントについてまとめておくと、こういうふうに一文で表せられます。
ある社会で当たり前とされている価値観や習慣によって、
弱い立場の人のウェルビングが損なわれる状況ということなので、
09:03
略体というと子どもが中心になるかもしれませんけども、子どもに限らず大人も含めての状況ということになります。
さっき構造でという話をしていましたけど、特徴としては能力の基準があって、それによって順列が決められるということとか、
あとできるのかできないのかというようなところで分けられる。
あとは外部評価が優先的になっているというか、前に出てきていて、成績とか診断。
うちだと障害が診断がついてます、ついてませんみたいな障害名があるかないかみたいなこととか、
あと成果がどれぐらい出てるかみたいな、仕事において特にそういう指標があって、
それによってその人が評価されるみたいなことがあるかもしれません。
あとはそれが対象として序列されて、序列が決められていくところ、管理とか改善すべきみたいな、
そういう対象として見られるっていう。
特に学校なんかは子どもはできない存在だから改善が必要だとか教えなくちゃいけないとか、そういうことになっていったりとか。
あと成果主義、成果を出せるか出せないかとか、効率良い悪いみたいな、コスパタイパーみたいなのが最近ありますけど、
効率主義みたいなのが常に起こっているような状況になっていくよということで、
まず能力の基準を定められて、それによって比較されて、順序が決められて、
さっき言ったように改善とか管理の対象になっていくみたいな、そんな流れになっているっていうのが評価の社会ですね。
それがベースにあるなっていうことがあってあります。
馬は何でいいかっていうと、そもそも人間じゃない存在としていて、
当たり前と言ってますけど、いわゆる人間的な評価みたいなのはしないんですよね、馬は。
もちろん関わりの中で一緒に歩くとか歩かないとかってありますけど、
いわゆる人間みたいな除列をつけるとか、そういったことをしない存在としてでも人と関われるっていうことがあります。
そこが一番大きくて、いわゆる除列をつけるような評価の眼差しを持たない存在で、
それが馬がいて一緒にやっていると、関わる僕たちもそういう馬の眼差しというか、評価しないような、
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僕たちにも養われていって、それがまた子どもたちにも伝わるっていうことがあるので、
そういう馬を先生に、馬を中心にしながらその場を作っていくというか、
いわゆる僕たち大人が主導者でやっていくっていうところになるとまた全然違う、馬がいても違う場になると思うんですけども、
うちらあくまでも馬が先生だよって言って、僕たちスタッフも馬から学んで、
それを学んだことをまた子どもたちに返していくっていうことをやっているってことがあるので、
そこが一番馬がいることで、社会的マルトリートメント的な状況を打破する、そこ大きな役割を馬がになってくれてるなというふうに思います。
いわゆるどういうふうに子どもと関わるかとかそういうこともあるんですけど、
社会的な構造を変えないといけないので、いわゆる馬をどういうふうに作っていくかっていうのはすごく大事になるので、
今回ポスター発表したのが、三輪コマーシャル、タイトルが長いんですけど、
馬と自然が紡ぐ評価なき空間による社会的マルトリートメント予防モデルの構造分析というようなタイトルになっています。
これ概要欄に発表のスライドをアップしておくので、それ見ながらこれまたもう一回聞いていただけるといいかなというふうに思いますけども、
解説の音声も別で作ったりしてあります、実は。
あと図もあったりするので、そっちも見やすいかなというふうに思います。
そもそも三輪コマーシャルって、さっき言ったようにどういう掛かり方をするかとかっていう、
もっと手前にどういう実践の構造になってるかっていうと、まず3つに大きく分けられるなっていうのがあって、
まず人間じゃない非人間基盤層、基盤になるもの、馬とか周りの自然環境、山があって川があって森があって里山があってみたいなところ。
2つ目が運用、どういうふうに運用してるかっていう運用原理層って付けましたけど、どういうふうにその場を運用してるかっていうところ、成果よりも空間の質を大事にしてるっていうのがあります。
もう1個が子どもたちの活動、活動層って、その3つの層が非人間基盤層のベースにあって、そこをどういうふうに運用してるかっていうのがあって、そこに子どもたちが来て活動するみたいな、そんな3層構造になってるかなというふうに思います。
1番のベースになる非人間基盤のところ、特に馬なんかは予測ができなくて、思い通りにならないので拒否されたりとか、体でいろんな反応が起こったりとかするっていうので、自然も含めてですけども、やはりままならないような状況がそこにあるっていうところがあります。
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そういったところで、どういうふうに僕たちが運用してるかっていうふうに見ていくと、教えすぎないとか、最低限のことは教えなくちゃいけないんだけど、基本は自分たちで考える、一緒に考えていくみたいなこととか、比較もしないようにしようとか、ルールとかは全体で決めるんじゃなくて、
もちろん馬がこういうふうにしないと危ないよっていうのはあるんだけども、いわゆる学校の拘束的なような、そういうルールは作らないで、スタッフが僕たちが感じたものをフィードバックしながら、関係性の中で馬を作っていくってことをやっています。
そういうベースがあるところで子どもたちが来ると、ままならないような状況で、いわゆるコントロールできないので、そこに余白が生まれるんですよ、子どもたちのところに。余白があることで、子どもたち自身がいろんな役割を獲得していくっていうことがあって。
しかもそれが、動物のお世話の時間っていうのがいつも決められていて、みんなで動物のお世話をするんですけども、それを繰り返すことで、体を伴う、体を使うことを伴うようなルーティーンがあることで、安心感とか安定するようなことが起こって。
共同とか、いろいろ子どもたち両親の助け合いとか、喧嘩もあって仲裁が入ったりとかいろいろありますけども、そういうことでいろんな試行錯誤とか挑戦が起こっているよっていうのがあります。
ちゃんとそれが本当にあるのかっていうのを、今回ちょっと研究チックにやろうということで、今まで子どもたちの領域記録っていうのはずっと取ってあるので、そういったものとか。
あとスタッフのミーティングの、最近はもう毎回ロックオンしておいて、文字起こししてデータ化もしているので、そういったものも、あと手打ちでメモというか二次録も取っているので、そういったものを分析にかけたりとか。
あとスタッフに今回こういうことをやるっていうことを聞かないとわからないなということもあったので、インタビューもしています。
それをベースにして、それをちょっとAIの力も買いながら、そこにどういう構造があるのかというのを対話しながら抽出していったってことがあります。
まず評価がないような、比較しないような空間っていうのが、立ち上がっていく、出来上がっていくっていう構造が一つあるっていうのがあって、
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さっき言った3層構造のところで、いわゆる人間じゃない存在、馬とか自然とかがあることで、僕たちがコントロールするっていうのをやめるっていうか、やめざるを得ないような状況が生まれて、
そうすると、コントロールされてないっていうことは、そこに余白みたいなのが生まれるわけですよね。
そこで後が自分たちで、さっき言ったようにいろんな仕事を自分たち役割を見つけていったりとか、試行錯誤したりとか、挑戦したりとか。
失敗しても別に怒られるわけじゃなくて、またやってみようみたいな感じで、安心していろんなことに取り組めるような環境があって、
それによって自立的な、自分から何かしようっていうような思いが湧き起こってくるようなことができてるよねっていうのが一つ見えてきたところでした。
もう1つは、それが生まれたときにそれを維持していくっていうことはしないと、すぐやっぱりどうしても社会的な、いわゆる社会的マルトリートメントで話してたような、
価値観とか社会からの価値観とか習慣みたいなのがあるので、そこにどうしても引っ張られてしまうっていうことがあるので、
子どもたちも家に来て、また家に帰って、学校行ったりとか、そういう社会的な目に晒されてまた戻ってくるってことがあるので、
そこに気をつけないとどうしてもそういう社会的な抑圧みたいなものを、僕たちもどうしても受けてしまうってことがあるので、
それをしないように、どういう仕組みでなってるかっていうことが2つあります。
1つは大人側の評価を持ち込まないような仕組みとして、いわゆる外部から子どもたちが成績つけられるとか、
病院で診断されて、なんとか障害みたいな話でラベリングされるみたいなことがあるんだけど、
そうじゃなくて、僕たちは一人一人の子どもたちを一人の人間としてちゃんと見ていくっていう、
診断されたその部分だけじゃなくて、全人格的とか言いますけど、その人を丸ごと見ていったりとか、
あといろいろ困ったことあって、いろいろ聞くんだけど、そういったものも対話しながら、
それもあるけどね、みたいな感じで、ちょっと視点を変えてみたりとか、笑い話にできるときはしてみたりとか、
ちょっと冗談見えたような形で、ちょっと視点をずらしていくようなことを対話を通して、
僕たち自身のスタッフ同士の話の中でもしますし、子どもと話すときもそういうようなガチで、
そういった外から来るような評価とかラベリングみたいなのを外していくようなことをやってるっていうのがあります。
あとは、いろいろ記録つけてるんですけども、
そういうときに、いわゆる何か目標があって達成できるかどうかっていうところじゃなくて、
これができたよねっていうような、今の積み重ねみたいな意欲みたいなのを見たりしてるところが中心に、子どもたちを見てるってところがありまして、
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いわゆるできてる、できてないみたいな、できてないところに注目するんじゃなくて、できたことを積み重ねていくっていうところに注目してます。
あたかはやっぱり余裕がないからできないので、それでいろいろ、今さっき言ったAI使いながら今、調査というか研究の内容も求めていきましたけど、
そういったものもITの力も使いながら現場に集中できることもやってるっていうのがありました。
あとは子どもたちのところの維持されてるところで何が起こってるかっていうと、
子どもの循環みたいなのが起こってるっていうのがあって、指示がなくても場が立て持たれるようなこと。
いちいち一個一個こっちがスタッフが伝えて大人が何か言ってってことじゃなくて、繰り返しのルーティンの仕事がある中で、
安心してお話があるし、自分たちで動き始めるってことが起こってる。
そこはまたさらにいつも決まった仕事を繰り返しやってるので、子どもたち同士で教え合うようなことも起こってるし、
あとはお互い助け合ったりとかそういったこともあるので、そういう助け合うようなところから安全安心みたいな気持ちが生まれて、
それでこの場の評価ない場所っていうのが維持されてるっていうことがあります。
さらに仕事があることで、その場から必要とされてるっていうような、そんな感覚もあるので、ここにいてもいいんだみたいな、そんな感覚もあるよねっていうところが維持していく。
毎回その同じような繰り返しの仕事があるっていうことは、とても意味があるんだなっていうふうに感じました。
それも2つの今言った立ち上がっていく、生成されていく部分と維持されるっていうところが繋がっていて、
それがぐるぐるぐるぐる回る中で、いわゆる人によって予防されるんじゃなくて、場の仕組みによってその予防が、
社会で決まるトリートメントの予防っていうのが起こるんじゃないかっていうのが、今回の結果として見えてきたところです。
考察いくつか、いわゆる予防はさっき言ったように、人じゃなくて場で考えることができるんじゃないかっていうことと、
もう1個は、どういう形で実践予防の場を作っていくかっていうところで、何をするかじゃなくて、どんな状況に保つかっていうことが大事じゃないかなっていうことで、3つ目挙げています。
まず、子どもたち同士が調整する、調整が生まれるような環境、いわゆる全部が決められてコントロールするんじゃなくて、
予約があって調整しながら作っていかなきゃいけないっていうような環境を作るっていうのが、それは自然だったりとか馬がいると、自然とその時によって状況が変わるので予定されていないものがあるっていうところがあって、
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不確実にだからこそ調整しながらやるっていうようなことが前提として起こる。
しかも体を使うことで、調整が常に自分の体の中で起こるってことがあります。
2つ目が、空間の考え方を言葉にするっていうことで、僕たちミーティングで何が大事にしてるかとか、こんなこと起こってたよねっていうことを繰り返し、
比較とかそういったことをしないようにしながら、しかも教えるんじゃなくてどうやったらそれが自然と生まれるのかみたいなことを言葉にしながら確認をしてるっていうことがあります。
3つ目は定期的に見直すっていうことで、2つ目とつながってますけども、うまくいかなかった場面とかも含めて共有をして、ケース検討みたいなことをしています。
しかも毎回うまくいくっていうか、うまくいったことも含めて、それがまた次必ず起こるってわけじゃないので、どんなことが大事にしてるかっていうことを確認しながらミーティングをして、
僕たちこういうことを大事にしてるよねってことを確認してるってことをやってるっていうことがあります。
うまがいるから、もちろんやりやすい部分もありますけども、うまがいなくてもさっき言ったように、まず調整が生まれるように不確実なものを残したりとか、
低く評価しないようなことを僕たちも務めるとか、原理原則みたいなものをちゃんと共有しながら、定期的に場を確認して見直して、
個人じゃなくて場をどうするかっていう視点で持っていくと、同じようなことがもしかしたらできるんじゃないかなっていうふうに思っております。
そういったふうに繰り返しでやる、うちだと馬の暮らしって言いますけど、繰り返す中でそういう予防的な場っていうのが生まれるんじゃないかなっていうふうに思った次第です。
ちょっとこれ話だけだとなかなかわかりにくいので、図も作りながら結構時間かけてスライド作ってありますので、もしよかったらホームページに、下に概要欄につけておきますけどアップしておきますので、よかったらそれ見ながらまた話を聞き直していただければというふうに思います。
というのが今回うまと社会的マルトリートメント予防のことについてでした。
今回ちょっと申し込みしたのが2月の頭だったかな。
もう1ヶ月もない中でバーッと求めたので、もうちょっといろんな方からフィードバックをもらいながら、この内容をもう少し深められたらいいんじゃないかなというふうに思ってますし、
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まだまだちょっとこういう、少し現場のことをモデル化するみたいなことをすることで、いろんなところに僕たちやってることが転用できるんじゃないかなというふうに思っているので、またちょっと機会あればこういうことやってみたいなというふうに思ったりしてました。
今回、社会的マルトリートメント予防全国研究集会に参加した人が100人ぐらいだったのかな、いるんですけども、結構いろんな分野の方が、子どもに関わる方が多いんですけども、
子ども分野でも、いわゆる子育て支援センターとか保育園とか、そういう高校的な、ちょっと高校的なところに現場にいる方もいるし、あとは子育て支援とかのいろんなサークルに関わってるとか、あとは本の読み聞かせとかですね。
あと、プレーパークに関わる方たちも何人かいらっしゃってる。そういう方じゃないと、野外関係なので、ちょっと親和性あるなとかですね。
あと、子ども人権についていろいろ取り組みしてる方もいたりとかいましたね。
大学の先生もいたし、弁護士さんもいたりとかしたかな。いわゆる子ども権利関係のところの周りで動いてる方。
あとは母乳幼稚園の方もいたり、多くはなかったですけども。
結構いろいろいわゆる子ども分野の方がたくさんいたんですけども、いろんな形で子どもに関わってる方たちがいた。
ただ、乳幼児から中高生までみたいな感じで、結構幅広い。
大小も幅広いし、活動してる場も多様な人たちが集まってて、すごく活気があって、またいろんな視点から話ができたのがとてもいい刺激になりましたね。
元気でした、なんか。
そうですね、元気だったなって感じはあります。
あとポスター発表を、文化会時間を取って、僕ともう一人、丹波笹山で兵庫県か。
子どもたちの居場所づくりをやってる方と一緒にオペアで発表して、内容を深めるみたいなことをやる時間もあったんですけども、1時間ぐらいだったかな。
なかなかうまく対話的な場にならなかったというか、こっちは結局発表して質問して答えるみたいな感じになって。
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その人たちは、僕ともう一人の居場所づくりやってる方の発表から、それを自分たちの現場に引き寄せて、話を深めるみたいなところまではいかなかったんですよ。
なかなかそこは、僕たちの勧め方もあったけど、学びのスタイルというか、いわゆる主体的に学ぶみたいなことだったりとか、対話的に、今回いろいろ文化会の中にも対話的な学びの場のデモクラティックな学びについてのファシリテーションの話もあったんですけども。
なかなかそういうのは、僕自身もそうですけど、学校で先生がいて、教わるは僕たちがいて、いわゆる主体的じゃなくて、受動的な、能動的な学びじゃなくて受動的な学びの時間を多く経験してるから、そういう大人は今までそういう社会の中で僕たち生きてきてるから、
なかなかそういう双方向の学びの場にはなりにくいんだなっていうのがすごく感じました。
でも、それこそ社会的な当たり前の価値観みたいに僕たちがインストールされてるところがあるので、そこを変えていかないと、対等に社会を一緒に作っていくことができないので、
まず参加した人たちが変わっていくっていうか、学びのスタイルもだし、そういう場に行ったときに、いかにどんだけ自分たちが主体的に聞いた話を自分の現場に引き寄せて、それをまた議論というか対話しながらとか議論しながら深めていって、
それの現場にそれを持ち帰って取り組みを深めて社会を変えていくってことをやるような、そういう練習というか、やっていかないといけないんだなっていうのは文化会、自分がちょっと前に立って話した後に終わってから感じた次第ですよ。
実は時間も短くてうまくいかなかったなっていうのがあって、オンラインでもう一回おかわりというか、おかわり文化会をやろうということで一緒に発表した方とやったんですけども、やっぱり質問を受けて、後半ちょっと少しお互いに対話的な話にはなったんですけども、どうしてもそこがなりにくいというか、
こっちはゴリゴリファシティテーションして対話的な感じに持っていくのもやらせる感じなので、ちょっと違うなと思いながら、でもこれはもうそこに集まっている人たちの段階がそういうことなんだなっていうのが見えてきて、
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そこがある意味、社会的な構造を変えていく、社会的デマルトリートメント予防に関係しているというか関心があって関わろうとしている人たちの全体の課題でもあるし、そこなんかちょっとやっていくことが、
そういう対話的な主体的な学びを自分たちがやっていくことが一つスタートなのかもしれないなというふうに思ったところでした、感想としては。
もう一個は、学んだことを地域にどう還元していくかとか、自分関わるいろんな人にどうこれから伝えていくかというところも大事だなと思っているところです。
なかなかちょっとこう、普段何か問題が起こったときに起こした本人が原因があってみたいな捉え方、いわゆる個人モデルみたいなところに、個人に問題があるよねっていうふうに言いがちなので、
それを社会が、個人の人もあるんだけど、社会側にも問題あるよねみたいなことっていうのは、なかなかちょっと発想転換しないとわかりにくい話っていうか、いろいろSNSでの炎上を見てもそういうふうに個人に叩くような風潮があるので、なかなかそこを変えていくっていうのは本当に地道なところではあるから、
こんな身近な人から出会って、出会った人とそういう話を、小さなお話会というか視野会というか、そういうことをちょっとずつ書く、僕も含めてそれぞれがやっていくっていうことで変わっていくんじゃないかなというふうに思いました。
馬と一緒にそういったことをやっていると、頭だけで話だけで伝えても伝わらないところもあるので、そういったところでは馬と一緒にそういう社会的なマルトリートメントに気づいたりとか、予防について話あったりとか、
今後のアクションみたいなのを考えられるような、体験とセットにした場というか、考えるプログラムみたいなのができるかもしれないなというふうに思ったりもした次第です。
質問を受けたのは、僕ももう一人の発表をした方もアートに通してやってるっていうのがあって、いわゆる非言語みたいなところの世界をツールにしながらやるっていうところに、
すごく皆さん興味を持って、たくさん質問があったという、それはそれで面白かったんですけども、そういったものをいわゆる、さっき言った人間と一緒に何かやるっていうところから、社会的マルトリートメント予防を広げていくというか、
36:03
推し進める何かあるんじゃないかなというふうに思っているので、そこを研究していけたらいいなというふうに思っております。
ということでちょっと長くなりましたけども、社会的マルトリートメント予防と馬というお話でした。
もしかしたら、社会的マルトリートメント予防のための対話の会みたいなのが必要かなと思っているので、もし興味があれば、お声掛けいただければそういった場を開きたいなというふうに思っております。
また今回コースター発表した内容もかなり駆け足で作ったので、いつかもう少し内容をブラッシュアップしていけたらなというふうに思っていますので、
資料を見てわからないことがあれば、ご質問とかいただければまたそれに対してお答えしていきたいと思っていますので、概要欄の方にお便り本もありますので、コメントなどにお寄せいただければというふうに思います。
今YouTubeでも配信していますし、あとSpotifyとかApple Podcastとかでいろんなプラットフォームで配信していますので、聞きやすいもので登録していただけると、次の配信があったときにまた案内いくと思いますので、ぜひよかったらチャンネル登録とかフォローいただければというふうに思っています。
ということで、ちょっとなかなかわかりにくい話だったと思いますけども、これぐらいにしたいと思います。
それでは良い1日をお過ごしください。
お疲れ様でした。
39:40
お疲れ様でした。
お疲れ様でした。
お疲れ様でした。
お疲れ様でした。
今を生きる命をそのままに映し出す
比べなくていい効率も
評価のない空気が僕らをそっと包み込む
ままならない自然が教えてくれる
ここにいていいという自由を
自然と響き合う心
この場所が土台となって
予防の種を広げよう
評価のない風が今日も優しく吹いている
42:26

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