100 作業療法士が森を選ぶ理由〜わらべ唄と自然がひらく「子どもの育ち」と療育の現場
2025-11-28 35:49

100 作業療法士が森を選ぶ理由〜わらべ唄と自然がひらく「子どもの育ち」と療育の現場

※現在、三陸駒舎ではスタッフ募集しています。気になる方はぜひ三陸駒舎のウェブサイトをチェックしてください。


森のようちえん全国交流フォーラムで出会った作業療法士・中山千春さん(一般社団法人SOL代表)をお迎えして、「作業療法 × 自然 × 子どもの育ち」をテーマにお話をうかがいました。

病院や室内のリハビリではなく、あえて“森の中”をフィールドに選ぶのはなぜなのか。平均台と倒木の違い、触覚過敏の子が自分から土や葉っぱに触れたくなる瞬間、雨上がりの森で転ぶ体験が前庭感覚や平衡感覚をどう育てていくのか…。自然そのものが「治療環境」になるという視点が、具体的なエピソードとともに語られます。

一方で、森の中は“好きなことだけ”に逃げ込むこともできてしまう場所。だからこそSOLでは、集団のわらべ唄遊びを通して、「順番を待つ」「挑戦する」「我慢する」といった社会性や、生きていくうえでの“技”を育てているのだそうです。三陸駒舎の「みんなで馬の世話をする時間」とも響き合う、〈拡散と収縮〉〈自由と枠〉の話は、保育や療育の現場で迷い続ける大人たちの背中を、そっと押してくれます。

さらに後半では、「子どもに問いを返す関わり方」や、「答えが見えないときに、ただ一緒に“漂う”スタッフのあり方」、そして馬が大人の内面を映し出す“鏡”として機能することなど、現場ならではのリアルな視点がたっぷり。記念すべき100回目のエピソードにふさわしく、「迷いながら現場をつくることは、実はとても豊かなことなんだ」と感じられる対談になりました。

森で育つ子どもたちの姿や、わらべ唄が響く輪の真ん中で、スタッフたちが頭をひねりながら子ども一人ひとりの21歳の姿を思い描いている——。そんな場面が自然と目に浮かんでくるはずです。ぜひ最後までお聴きください。


ゲスト:中山千春さん(一般社団法人SOL代表)

https://www.sol-momo.com/


■ この対談の前に収録したポッドキャスト(シャチュラジ)

035 阿蘇のカルデラで育つインクルーシブな場〜作業療法士が考える「自然×療育×地域づくり」【ゲスト:一般社団法人 SOL 代表理事 中山千春さん】

https://open.spotify.com/episode/4kmH9Hm1QYJh704pIEdBsq


■ 関連エピソード(さんこまラジオ)

▼099 自然災害と自然体験(後編)〜「ただ、そこにいる」馬の存在 ―つながりが心を癒すとき―

https://bit.ly/3M0GjsJ

災害後の心の回復と「つながり」の力について。馬や自然が“いてくれる存在”として支えることを語る回。

▼098 自然災害と自然体験(前編)〜野外教育が育む「再生の力」とは?

https://bit.ly/3Mqypc4

野外教育や自然体験が、「自然に生かされている感覚」や地域とのつながりをどう育てるかを深掘りするエピソード。

▼094 頭より先に動く身体〜馬と子どもが教えてくれた「言葉を超える力」(前編)

https://bit.ly/486zzSL

言葉より先に動く身体の感覚、馬と子どもの関わりから見える“今ここ”の学びについて語る回。


■ 視点

1. 自然環境での療育の意義 - [中山千春], [黍原]

- 作業療法士が自然環境を活用する理由

作業療法は、困りごとを抱える人が自分らしい暮らしに戻るための伴走者である。中山氏にとって、人間が動物・生き物である以上、森の中で過ごすのは当たり前であり、特に幼児期の原体験として不可欠だと考えている。作業療法で学ぶ文化人類学の視点からも、人間がもともと森で生きてきた歴史を踏まえれば、自然の中での活動は理にかなっている。

- 室内療育と比較した自然環境の優位性

感覚統合療法を例に、室内の画一的な環境(同じブランコ、平均台)に対し、森は常に変化する。倒木の上を歩くことは、平らな平均台とは異なり、表面の凹凸や滑りやすさなど一歩ごとに異なる調整を体に要求する。これにより、体と心が自然に柔軟に調整される。また、森は子どもたちの「~したい」という内的動機を引き出し、触覚過敏の子でも自ら葉っぱに触れたくなるなど、優れた療育環境を提供する。

2. 自然療育の課題と補完的アプローチ - [中山千春], [黍原]

- 自然環境だけでは不足する社会的スキルの育成

森の中では、子どもは好きな活動を選べるため、苦手や挑戦を避ける傾向がある。特に、人との関わり方、我慢、努力、挑戦といった社会性を学ぶ機会が不足しがちになる。人の中で生きていくための技を学ぶ必要があると中山氏は指摘する。

- 「わらべうた」や「共同作業」による補完

中山氏の施設では、集団遊びとしての「わらべうた」を導入。これにより、順番を待つ、他者と比較せず自身の成長を認める、挑戦する勇気を持つといった社会性を学ぶ。黍原氏の施設では、馬の世話や掃除といった「お仕事」を全員で共同で行い、同様の機能(拡散と収縮のリズム)を果たしている。自由な時間と枠組みのある時間の両方を提供し、子どもの中に軸を育てる。

3. 子どもの成長を捉える視点とスタッフの関わり方 - [中山千春], [黍原]

- 子どもの未来を見据えた多角的な対話

スタッフは、子どもが21歳になった時を想像し、「自分の幸せを見出せる子」を目標に、今何が必要かを多角的に議論する。作業療法士的視点だけでなく、「人間としてどう育てるか」という観点で、子どもの素晴らしさをどう伸ばすか、課題にどう向き合うかを徹底的に話し合う。

- 「問いかけ」と「共感的な寄り添い」

スタッフは子ども自身に考えてもらうため、まず自分の気持ちを言葉にさせ、その上で「どうしたいか」を問いかける。思考が難しい子には気持ちを代弁し、選択肢を示すことから始める。答えがわからない時は、スタッフが無理に導くのではなく、子どもの気持ちやその場の空気に「一緒に漂い」、共感的に寄り添うことを大切にする。これにより、子どもは満たされた感覚を得て、自ら次の一歩を踏み出すことがある。

📝 結論

自然環境での療育は、子どもの身体的・精神的発達や内発的動機付けを促す上で非常に有効である。一方で、好きな活動に偏り社会性を育む機会が不足しやすい課題がある。そのため、「わらべうた」や「共同作業」といった構造化された活動を組み合わせ、自由な「拡散」と規律ある「収縮」のリズムを作ることが、子どもの自己肯定感や社会で生きる力を育む上で重要である。支援者は子どもの未来を見据え、多角的な視点で対話し、現場では「問いかけ」と「共感的な寄り添い」を通じて、子どもの自律的な成長を支えることが求められる。


#さんこまラジオ #三陸駒舎 #ホースセラピー #森のようちえん #作業療法士 #自然療育 #発達支援 #障害児支援 #野外教育 #わらべ唄 #原体験 #感覚統合 #ソーシャルスキル #子育て #療育現場 #インクルーシブ教育 #地域で育つ #馬のいる暮らし #保育者研修 #スタッフ募集


■ 最後に流れる曲は、本編で話した内容を文字起こしして、生成AIで作詞作曲しました。


森が呼んでる

[Verse]

部屋の中じゃ聞こえない

土の匂い 葉っぱのささやき

転んだひざが教えてくれる

まだ知らないわたしのバランス


[Chorus]

森が呼んでる おいでって呼んでる

好きなことだけじゃ辿り着けない明日へ

迷いながらも 手を取り合いながら

自分で自分の幸せを決めていく


[Verse]

丸太の上で震える足

順番待つ列の中の鼓動

「どうしたい?」って投げかける声が

胸の奥の小さな火を揺らす


[Bridge]

ひどかったねって そっとつぶやいて

一緒にただ 立ち尽くす大人がいて

泣きむしな背中に吹き抜ける風が

勇気って名前に変わる


[Outro]

いつか二十歳過ぎたわたしが

今日の泥んこを思い出すだろう

馬の瞳と森の静けさが

「大丈夫」と軸をくれたこと

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さんこまラジオ、地区100年を超える古民家で馬山島と共に暮らしながら、地域に根差したホースセラピーの取り組みをしている、きびはらがお送りしています。
最初に今回ちょっとお知らせがあります。 今日今収録しているのが、2025年11月28日なんですけども、今現在、三陸駒舎ではスタッフを
募集していますので、ご興味がある方はぜひよかったらホームページをご覧いただければと思います。 さて今回のテーマは、
ゲストをお迎えして対話をしましたので、その内容をお送りしていきたいと思います。
たまたま対話中にも少し話をしてたかな、してないかも。 11月の頭に森の幼稚園全国交流フォーラムというのがあったんですけども、そこで出会った方とちょっとお話をしました。
というのは、森の幼稚園でやっているといっても、携帯様々で、たまたま作業量放置で、 しかもうちと同じように障害児の支援事業を取り入れながら、
野外で活動しているということを聞いて、これはちょっと詳しく話を聞きたいなということで、対話をさせていただきました。
僕自身のいろいろなお気づきもあったんですけども、作業量放置がなぜ自然を生かすのかというところ、
なんか面白い視点もあったので、ぜひお聞きいただければと思います。
じゃあこの後早速、対談の音源を流したいと思います。 それではどうぞ。
今回ゲストに、一般社団法人ソルの代表理事をされている中山千春さんに来ていただいてます。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
簡単に自己紹介いただいてもよろしいですか。
はい、ソルの代表してます中山千春と言います。
私は作業量放置という仕事をしていますが、自分の子育てがちょっと苦しかったのをきっかけに、
いろいろと見直すことが多くて、というのと、実践作業量放置地域でやる場を作りたいっていうのがあって、
さまざまな地域活動をした後、2018年から一般社団法人ソルを設立しました。
主には福祉から世界平和をミッションとして、小さい子からお年寄りまで障害あるなしにかかわらず、
自然、文化、地域を大切に、ここ大事なんですよね。
03:04
どこで生まれた、どこで育ったとかも関係なくて、今ここにいる人たちと支え合う場作りをしています。
なるほど、ホームページ見ると授業がいっぱいあって、いろいろ話し聞き始めると終わんないだろうなって感じがするんですけど、
主に僕の関心地としては、僕普段、いわゆる発達障害の子たちとかが来て、馬とか自然の中で活動してて、いわゆる障害児通所支援事業っていうのを取り入れながらやってるんですけども、
すごく自然の中で子どもたちが過ごすのってすごくいいなっていうふうに思ってて、いろんな説明はするんですが、
千原さんはそういう活動、野外を、自然の環境を生かしながら活動してて、しかも作業療法士だって聞いて、これはちょっとこう、作業療法士視点で、そういう現場での活動ってどういうふうに見てるのかとか、っていうのをちょっと聞きたいなと思ってお話しさせていただいている次第です。
はい。
で、なんか実際、こう、何だろう、作業療法ってそもそも簡単に説明できますか?
そこから、そこから来ますね。
でもね、それどうしようかな、し始めると。一言、一言、なんか一文ぐらいで言うと何なんですかね、作業療法って。
うーん、まあ、やっぱり、いろんな困りとかを持った人たちが、やっぱり自分らしい暮らしに戻っていくための伴奏者って感じかな。
なるほど、なるほど、確かに。そうですよね。で、それを何でわざわざ、その野外っていうか自然の中でやってるのかっていうのを聞きたいんですよ。
そうですよね。もうこれ私にとっては当たり前なんですけどね、なんでみんな部屋、部屋の中に居るのかっていう。
分かる。僕もなんかね、いや福祉の人たちやり取りしてて、いや外でやったらむっちゃいいのにと思うんだけど。
そう、本当ここ広めていかないと、本当行きましょう。
ね、広めていきたい、本当に。
あの、やっぱり、作業料法っていうか、作業料法士って文化人類学結構学ぶんですよね。
えー、知らんかった。
そうなんですよ。
ほら、えーと、
あ、今思い出せない。
あ、今静けさの中にオラウータンの映画があったの、昔。
え、何だろう。
小滝奈原かなんかの、あれ作業料法士なんですよ。
なんだけど、まあ、
そうなんだ。
文化人類学っていうのは本当私も大好きな学問で、やっぱ人って動物から人間になっていく過程ってあって、
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でも根本やっぱり動物、生き物だと思うんですよね。
そう思った時に、やっぱり生き物として生きていくために、
自然体験っていうのは、その自然体験でカテゴライズするのもちょっとあれなんですけど、
森の中で過ごすのは当たり前っていうか、
なるほど。
だから当たり前の、
人が育っていく上では、
絶対やらないといけないっていうか、当たり前のそれがないといけないのに、
世の中が違う方向に行っている、安心・安全とかね。
って言っちゃっただけだから、
当たり前だって言ってますけど、ごめんなさい。
文化人類学ってでもね、だからいわゆる資料採集のいろんなのがあるけども、
そもそも人ってどういうふうに暮らしたんだっけとか、
どう生きてきたんだっけみたいなことを、フィードワークを通して、
探求していくわけじゃないですか。
そう考えると、もともと人って森の中で生きてて、
もうそこから森から出てきたっていうのが、人って言われてるから、
森で生きたのが当たり前ってのがありますよ、なんかね。
だからこそ幼児期に、
その原子体験をすっかり積み上げる。
本当、私、保育士さんとか研修するとき言うんですよ。
今、子どもたちの原体験を作ってる大事な時期なのに、
どんな原体験を与えてるんですかって。
やっぱこれ、森しかないでしょって。森っていうか、
どんな遊びを、どんな場所で展開していくか。
で、子どもにとって、作業療法って生活を治療の手段とするんですけど、
子どもにとって生活のほぼ大部分が遊びじゃないですか。
それをどこの場でするか、一種治療環境ってなると、
やっぱ人間として、原子に戻ると森。
小児の作業療法的には感覚統合療法をよく使うOTさん多いですけど、
それもね、私からしたらね、
なんで建物の中でね、同じ環境でね、
同じブランコでね、同じ、例えば平均台とか上がったりトランポリンしてもね、
まあそれも、それでいいんですけどね。
必要な子はもちろん、刺激が少ない方が落ち着く子はもちろんその方がいいかもしれない。
でも森に同じように木があって、平均台のような木があって、
ロープがあっただけで、
でも周りの空気とか質感とか雨が降った翌日は木も濡れてるし滑りやすいとか、
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本当、部屋の中で行ったら転んだら事故になるかもしれないけど、
森で転ぶって土の柔らかさも感じられるし、
森で転んだらもちろん怪我もしないけど、
森で転ぶ体験っていうのは一種、前提覚とか並行感覚を養うためにはすごく大事。
一日として同じ環境はない、でも子どもたちにとって同じように見える。
ところで自然と体も心も柔軟に調整されていくってもう最高じゃないかとしか思いません。
そうですね。
今ちょっと例に挙げた平均台って考えたらすごくわかりやすいなと思って、
そこの上を歩くのと、例えば倒れた丸太の上を歩くのと全然やっぱり違って、
平均台ってずっと多少は違う、表面の形は違うけども、ほぼほぼ平ら、同じ幅、同じ角度でずっと続いているけど、
丸太だったら表面の凸凹も違うし、その素材感っていうか滑りやすかったりとかグリップ効いたりとか、
もう一歩一歩乗せる場所によって全然違う足の乗せ方をしないと調整ができなかったりとかするので、
そりゃなんかね、自然の中でそういうことをやった方が体に対する学びというか、たくさんあるよねっていうのは本当そうですよ、なんかね。
でね、やっぱりね、触るのが苦手な触覚花瓶の子とかいても森の中だったらね、きれいな葉っぱを見つけたら自分で触りたくなるし、
みんながなんか土でおいしそうに団子屋さんしてたらその団子をもらいたくなるし、自然と自分の中から何々したいっていうやっぱり内的な動機が湧き上がってくる。
これも私たちが楽しませようとしなくても、森がそうしてくれる。
なるほど、確かに。森からなんかね、呼びかけてきてね、自然と子どもたちの体が動き始めるって。
本当もう、こんな素晴らしい領域の環境ないんですけどね。
ただね、ちょっと最近このずっと長年ちょっとやってきて思ったのが、ただ好きな感覚とか、こうやりたいってことは叶えられるけど、ちょっとこういうふうにするのは苦手だなと思うことは、やっぱ森だと逆に避けがちになる。
その心は。
避けがちになるというか、やりたい遊びややりたいことをどんどんやって感覚を満たすことももちろん大事。
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なんだけど、そこでグッと我慢したりとか、グッと自分が何かもっと人の中で挑戦しようとか思ったりとか、一種こう社会性的なものを、もうやっぱりこう発達の段階で学ぶ必要はあって、
人の中で生きていかないかんからですね。森の中で一緒にいるんだらいいけど。それで森の中だけでは足りないなっていうのがあって、うちではそうやってこう人の中で生きていく一種技を学ぶために、わらべ歌っていうのを一緒にやってます。これ結構大事かも。
森の中だと、ちょっとまだはっきり言うと僕の中ではストーンと落ちてないんですけど、好きなこといろいろ選べるじゃないですか、いろんな。どうしても苦手なところにはいかないで、
そういうことばっかりやっちゃうから、なかなかそのちょっと苦手な感覚が入ってくるようなものとかに触れる機会がすごく少ないっていう、そんなイメージですか。
そうですね、それもあるけど、感覚的なものよりも人との関わり方のほうなんかもな。
関わりのほうか。
関わりだな、人とどう付き合っていくかとか、その中で自分をどう出していくかとか。
それがわらべ歌だとどういいんですか、もうちょっとなんか。
わらべ歌自体の説明が多分、私喋りだしたら10時間ぐらい喋りますよ。
本当に。
そこをなんとか1分ぐらいコースで。
今私が言ったわらべ歌って手遊びではなくて、本当に集団遊びをうちの園だったら2時間ぐらいずっとやるんですけど。
そんなにやるんですね。
そう、その中で自分は人と比べるんではなくて、自分自身が前回よりもこの遊びができるようになったっていうことをちゃんと自分で認めていこうねとか。
やりたい遊びをするためにはこの順番待っとかないといけないとか。
誰かの邪魔せずにみんながやってるのを見ながら自分ができると思ったら挑戦してみようとか。
人によったらどう聞こえるかわかんないんですけど、やっぱ我慢すること、努力すること、勇気を持つことっていうのもやっぱり学んでいくっていう必要があって。
その3つがわらべ歌のね、この集団のわらべ歌の中には自産エッセンスがあるんですよ。
なるほど。今聞いてて思ったのは、うちは馬がそういう活動を提供してくれてるなと思ってて。
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うちは乗馬は別に、乗馬クラブでもないのもあるから、乗馬するしないはその子が選択するんですよ。
結構しない子多くて、実は。
じゃあいいのにと思っちゃうんだけど、よくあるあるですけど。
でもみんなでお世話とか、お掃除とか、餌を作るとか、餌あげるとかっていうのは必ずみんなでやるんですよ。
うちはわらべ歌はお仕事としてというか、必ずみんなでやる。
そうすると、しかもグループで来てたりとか何人かいると、その子同士の協力があったりとか、声かけ合いながらやったりもするし。
いろいろ体も使うこともあるけど、普段あまりやらないような道具も使ったりもするので。
文化選ばない、選んでないからこそ何かやれるっていうか、そこで育つこともある。
あと普段はだから、うち来て好きなことやるんですけど、その作業の時間はみんなでお仕事をみんなでやるので、まとまるというか。
面白いのは、好きなことやってるときは好きなこと遊んだりとかいろいろあるんだけど、そうじゃないときは好きも嫌いもなくて、みんなでやるよって感じでやってるので。
何ていうか、バラバラっていうか、それぞれの時間もあるし、みんなでやる時間も両方あるっていうような感じでやってて。
千原さんとかはワラベルターを通して同じような機能を果たしてるかもなって聞きながらちょっと思いました。
本当その通り。拡散と収縮っていうか、そのリズム大事ですよね。
両方必要だなっていうのは皆さんがね、自分のなんか没頭して出される時間もあるけど、社会っていうか、いろんな外に出たら、いろんな人と一緒に付き合うときに、好きも嫌いも関係なく付き合いする必要が出たときに、いろんな枠組みっていうか、本当に自然の中でも雨降れば濡れて寒いとか。
いろんな好き勝手にはできないというか、嵐が来れば避難しなくちゃいけないし、本当はそういう中で人って生きてるはずなんだけど、なんか今個人主義じゃないけど。
そうそうそうそう。
その子のなんか主体性みたいなこと言って。
わかる。
主体性本当に大丈夫かその主体。好き勝手にさせるだけじゃないかみたいな微妙な話ですけど。
本当その通り。
結局なんていうのかな、収縮先言った枠組みと自由っていう感じですけども、収縮する時間がないから、逆に軸がないというか、なくて困っちゃう。
18:13
関わる保育者支援者、親御さんもだし、本人もだし、何も軸がないから。
わかる。
なんかもうどうしていいかわかりませんみたいなことになっちゃうなっていうのが起こってるかもしれないって言いながらちょっと思いました。
本当その通りでしょ。なんかね、大人になって私たちも毎週やりたいことを仕事にしてるじゃないですか、ある意味。
でもやりたいことをするためにはやらないといけないこともあって、そこも踏まえた上でやりたいことをやり続けられる。
っていうのはやっぱ大事な生きていく時代のことかなと思うか。
それをやっぱ子どもたちも体で知っておくっていうことが、やがて意思を育てることにつながる気がするんですよね。
なるほど。でもよくわかるな。
もう一個ちょっと聞きたいのがあって、ちょっと少しだけ話題変わるんですけど、普段子どもたちの育ちとかってどういう視点で捉えたりとか、スタッフ間で共有したりとかされてるかなっていうのをちょっと聞きたかったんですよね。
森の幼稚園に関しては、特性あるなしとか関係なくて、自分で自分の幸せを見出せる子になるっていうのが目標で、おてんさんご家族っていうのがあって、そこを大事にしてるんですよね。
だから自分の人に釣られて何かやりたいって言ってるわけじゃなくて、ちゃんと自分の意思で決めているのかとか、自然の中で感謝できているのかとか、挑戦するかとかいろんなことがあって、それをうちの保育士と作業料保持とか関わる人たちがいろんな視点で、
必ず前ミーティング30分終わったら1時間以上ずっと話してるし、毎回です。大体その子がやっぱり21歳ぐらいになったときに生きて、そこを想像しながら今この子にとって何が必要なのか。
何も考えなくて育てることももちろんできるけど、もううちにいる間はもうやれること関われること、この子が自分の足で歩いていけるために何ができるかっていうのもとことんスタッフで話し合ってるっていうのが、うちのスタッフの強みかなと思いますね。
だからその中で作業料保持的な視点、感覚がとかいうのもしますけど、それよりも人間としてっていう人間感も出せ、そこが一番、私は個人的にその自由に感覚論っていうのも大事にしてはいるんですけど、
21:18
でもそこもあんまりスタッフの間では出さずに、この子をどう育てようかとか、この子の素晴らしさどう伸ばすかとか、この子今めっちゃ意地悪な顔していろいろやってたけど、そこどうしようかとか、そんなふうにずっと話してますね。
なるほど。
その前段階で現場があるわけじゃないですか、その時ってどういうところに注意してっていうか、大事にしてるものってなんかあるのかなっていうのは、多分共有、言葉になってるかどうかちょっと悪いですけど。
やっぱ子供たちにね、自分で考えてもらうっていうのも、もちろん大事にしてるんですけど、まず自分の気持ちを話してもらうっていうのを言葉にする。やっぱ感情、自分の気持ちをまず言葉にする。
その上でどうしたいかとか、どうしたらいいかとかいうのを考えたりとか、その上でのスタッフからじゃあどうするとか、どうしようかっていう問いを子供たちに向けつつ、でももうなんかいろいろあるでしょ、子供たちといろいろやってたら。
その現場見てさ、大人だって100個の現場があったら100通り全然違うなんか出来事があるから、その瞬間大人もめちゃめちゃ考えてくれって言ってます。どの問いがいいか。この子が張って自分が、自分で自分のことを気づくために、どの声かけがいいか考えてねって。っていうのは大事にしてますね。
なるほど。いわゆるスタッフは問いかけするっていうのを中心に、問いかけするって感じですか、じゃあ。
ちょまど そうですね、問いかけ。でも問うのがまだ思考的に難しい子とかいると思うんですけど、まずその場合はちょっとね、こうなのかなーなのかなーっていろんな気持ちを代弁して、まずはそこを選んでもらうことから始めて、だんだんどんな気持ちだったっていうことから繋がってっていうところでやってますね。
なるほど。いろんな迷いがスタッフもあるって言ったんですけど、迷いっていうのは子供にも開示するんですか。
ちょまど 今迷ってんだって。
ああ、そうそう。私もこの現場場面すごくなんかモヤモヤしてるとか、そこまではしない。
ちょまど そこまではしない。開示しすぎるよりも、私はスタッフに言ってるのは、一緒にね、漂ってくれっていうのを言います。
24:01
ちょまど 何かわからない時はその場にいて、その気持ちとか空気とかを一緒に感じる。
なるほど。
ちょまど そしたら子供たちに満たされたようにスッと立ち上がったりするんですよね。
なるほどね。言葉にしてなくても、その子の感じ物を一緒に味わうことになる。
ちょまど うんうん、ですね。
なるほど。そうか。それよくわかるというか。
ちょまど 馬とか特に感じそうですね。
そう、馬は、いわゆるミラーリングって言ったりしますけど、鏡のようにこっちの状態、緊張したら馬も緊張するし、緩めば緩むし。
今、わかりやすい話ですけど、微細なところで大人、僕たちも含めて、子供だけじゃなくて、
普段、こっちの内面的なものも含めて、この状態を受け取って、動きとして反応して、その場で返して、リアルタイムに変化してくるんですけど、返してくるので。
馬と向き合ってると、今自分ってこうだよねとか、緊張したらうまく伝わんないから、ちょっと緩めてみようとか。
そういう、大人側のいろんな心身、愛方というか、教えてくれるような存在ですね。
今言った、いわゆる、嫌が子でも共鳴しちゃうんですよ。だから自分が発するものとかで変わるっていうか、ところがあるので、
今言った、子供たちを共感的に理解するような構えみたいなものは、自然と馬から学んでいるんだけど、
あと、その子供、うちだと結構、その時にその場で感じることを伝えたりとか、僕はこう思うよとかって、出すってことはよくしてますね。
その子の理解もしつつも。でも僕から見ると、こういうふうに見えるよとか、ちょっとそれやりすぎじゃないとかっていう。
ああ、言いますね。やりすぎとか、結構私もわざと、ちょっと気づくように、ちょっとさっきのひどかったね。つぶやいて去るとかね。
でもあとは任せる。ひどかったじゃないっていうのを落ち着けるわけじゃなくて、ちょっとなんかスイッチ入れる感じっていう子っていうのを子供たちに。
まあね、だって私たち大人が考えることが全部正解でもないし、でも気づいてほしいっていう、私たちの欲っていうは欲だけど、でもなんか期待っていうかね、この子にこう会ってほしいっていうか、やっぱりね、
27:11
素敵な大人になってほしいなって、自分のことが好きな大人になってほしいなと思うからこそ、今ちょっとつぶやいとこうみたいな。なりますね。
はい、ということでだいぶ話も深まってきたんですが、お時間もお時間なので、今回は終わりにしたいと思いますが。
最後話してみてどうだったかっていうのをちょっとそれぞれ話して終わりにしたいんですけど。先行きますか、どうしますか。
じゃあ、また先お願いします。
じゃあ先行で。
はい。
えっと、そうですね。なんか、ちがるさんが作業用法師だから、作業用法師的な視点がすごくワーッと活動の中にいっぱい入ってるのかなと思ったら、いい意味でいろんなチームでやってるので、いろんな視点を取り入れながらやっていて、
なんか本当にこう、なんだろう、みんなで現場を作っていて、しかもいい意味で迷いながらというか、試行錯誤しながらやられてるっていう姿はすごく共感できるというか、
うちもすごくこう、いろいろケース売り上げて話をするんですけど、あの時はそうだったけど、次どうなるかわかんないねみたいな感じで最後終わったりとかするんですよ。
そうそう。で、なんていうか、100回出会ったら100回違うと思うし、なんかそういうこう、出会った子たちと一緒に共になんかこう、より良いものを求めてるっていうふうな雰囲気が伝わってきて良かったのと、もう少しでも現場作業用法的になんでいいかっていうのは、さらにもうちょっといつか深掘りたいなというふうに思ったし。
ありがとうございました。
はい、ありがとうございます。
どうぞ、じゃあ。
いやもう改めてこうね聞かれると、やっぱ現場楽しいなって話しながら、いやああいうのが面白いんだよねとか思いながら話してましたけど、本当今言ったみたいに、悩めるって幸せなことだなと思って。
こう一人の子供たちのこととかね、平和なことじゃないですか。誰かのことを一生懸命考えられるとか、あとまあよくスタッフに言うんですけど、まあいろんな子いるから、いろんな子もいろんな保護者さんもね大人もいっぱいいて、まあどれだけ面白がれるかっていうのをまあみんなでなんか楽しみながらやってるし、
30:10
なんか改めて、今からも現場に戻りますが、個別領域に戻りますが。
なんと、すいません。
いやいや大丈夫ですよ。
まあなんか面白がって楽しみながら、やっていこうな、やっていこうって思いました。
なるほど、ありがとうございます。
本当にいい機会だった。またぜひ。
はい。
こちらの釜石にも来ていただいて。
行きたいですよ。
麻生にも行きたいなと。
麻生来たら泊まれますんで、ぜひ来てください。
ぜひ、うちも泊まれますので。
はい。
ということで、ソルの中山千春さんでした。ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
はい、ということで、中山千春さんとの対話、対談でした。いかがだったでしょうか。
最初にもお伝えしてましたが、現在三陸駒舎でスタッフの募集をしてますので、
もしご興味のある方がいたら、ぜひホームページの方をチェックしてみてください。
はい、ということで、実は今回100回目だったんですけども、
特に意識はしてなくて、
でも100回目やってきたから、今後どうしてこうかみたいなことも考えています。
今までみたいに、気になったトピックを取り上げてお話しするのとか、
こういう対談、対話を流すっていうのもありますけども、
ちょっとなんか、いろんな全体のうちの取り組みがわかるようなシリーズものというか、
本の目次みたいなのを作ったので、それを一個一個ちょっと語っていって、
それをまとめて聞くと、三陸駒舎の取り組みとか、歴史が俯瞰してわかるようなシリーズができたらいいなというふうに思ってましたので、
100回以降はそんなこともやっていきたいと思っています。
あとは、お便りフォームがあって、お便りいただいてましたので、
そういった内容あると、それについてお答えする回も撮りたいなというふうに思ってますので、
ついちょっとお便りいただいたので、その質問に対する回答をしていきたいと思ってますので、
ぜひ感想とかコメントが気楽にお寄せください。
それを見て、また話を広げていったりとかしていきたいなというふうに思います。
はい、ということで、本日もお聞きいただきありがとうございました。
それでは、良い一日を。
33:29
知らない私のバランス
森が呼んでる
好きなことだけじゃ
迷いながら手を取り合いながら
自分で自分の幸せを決めていく
丸太の上で震える足
順番まず列の中の鼓動
どうしたい?って投げかける声が
胸の奥の小さな火を揺らす
ひどかったねってそっとつぶやいて
一緒にただ立ち尽くす大人がいて
泣き虫の背中に吹き抜ける
勇気って名前に変わる
いつか二十歳過ぎた私
今日の泥
ごまの森のシーツ
大丈夫と軸をくれたこと
35:49

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