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やめたくてもやめられない状態について
2026-10-09 19:47

やめたくてもやめられない状態について

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サマリー

久しぶりの音声配信で、最近はドゥルーズや福尾匠の講座にのめり込み、スピノザ翻訳やヘーゲルのドイツ語読解から逃げていたと振り返る。仕事でのミスや後輩に強く当たったことをきっかけに、すべてをやめたいと思ったが、時間が経つと哲学の作業へ戻りたくなる感覚を語る。哲学ブログのタイトルをスピノザの言葉に変更し、思想や言論の自由を表す言葉として気に入っていると話す。さらに、以前撮影した「人に優しく」という文字のある窓の写真から、心に残る写真を掲載するブログのコーナーを作った。最後に、落ち込んだ状態からまた日々を続けていく意志を述べる。

哲学講座にのめり込み、翻訳作業から逃げる
はい、久しぶりです。10月の7日、水曜日。 夕方の6時16分です。
お久しぶりです。
音声として配信するのは、 だいぶ間が空いてしまった感じはします。
2週間、3週間ぐらい空いたのかな? ちょっと正確にはわからないですが、
それぐらい間が空いてしまったような気がします。
この間、いろいろやっていたわけではありますが、
ざっと総括的なことで言うと、 9月の中旬ぐらいかな、
ドゥルーズの小林先生のところの外の学園のゼミが始まって、
福尾匠さんの480分で千のプラトを読むという講座も始まって、
そちらの方を始まって、そっちに気持ちがかなり傾いていた。
要は配信で哲学を勉強するという、 これは自分にとって初めての経験ですけど、
そういったことが先月の中旬ぐらいから急にイベントとして発生して、
発生したというか、自分がやろうと思ってその構造を取ったわけですけど、
そういう形で始まって、急に音声コンテンツというか、配信コンテンツで哲学を勉強するということの手軽さというのか、
認知リソースの少なさ、要は聞いてるだけでいいんでね。
要は見て聞いてるだけで勉強した気になれるという、ちょっと手軽さというか、要は逃げですよね。
翻訳作業、スピナザ翻訳作業とかヘイゲルのドイツ語の読解作業とかからのね、やっぱりしんどいんですよね。
で、ちょっと飽きてきてる部分もあるし、そういった作業から逃げる学校の口実を手に入れたという形でね、
そっちにちょっと急に集中しちゃってというところもあって、
そればっかりね、もうちょっと空いてる時間は常にポッドキャスト的にその講義を聞いたりとか、
がっつり画面も見ながらその講義を聞いたりとかいう形で、
ドゥルーズにがっつりどっぷりという感じのここ2,3週間という感じ、
2,3週間、1ヶ月くらいかなという感じを過ごしていて、
すっかり正気を失っていた、正気を失っていたというのか、
そっちにのめり込んでいた、周りが見えなくなってそれにばっかり気を取られていたと言ってもいいのかもしれないですけどね。
そういうような感じになっていて、
別にそれが悪いっていうわけじゃないんですけど、
なんかここ最近やっぱり仕事でもやらかすことがちょっと後輩に謎に強く当たってしまったりとか、
今日はちょっと自分のミスで結構大きめのミスをしてしまって、
やめたいのに戻ってしまう哲学の作業
気持ちがかなり落ち込んでしまったりとかして、
もうちょっと一旦全部やめたいなみたいな気持ちになったりしてたんですけど、
でもね、これ不思議なものでね、
全部やめたいって思ったら、
まだやっぱりやる気が湧いてくるんですよね、これ不思議なもので。
もうね、結婚生活と一緒ですわ。
そんなこと言ったら違うんでしょうけど、
自分の中の感覚としてはすごく似てるようなところがあって、
もう無理、もう嫌だ、もうやめる、もう絶対続けれないって思って、
もう絶対に嫌だと、もう限界を超えてますと
思っても結局またちょっとしたら、
いややっぱりこれが無いと無理なんだと、やっぱりこれが必要なんだと、
いうことで元通りになるという感じの感覚にすごく似てるんですよね。
スピノザのエチカ翻訳作業も、ドイツ語のヘーゲルもね、
やっぱりやってる時ってめっちゃしんどいし、
なかなかこうやりがいっていうのを感じる瞬間っていうのは少ないけど、
でもいざやめてみようと、もうこんなのは嫌だと、
やめようとなって、やめようって決断した途端に、
またやっぱり少し時間を置くとやりたくなってくる、みたいなね。
この私の、なんていうかね、
魔像的な元々持ってる性質っていうのもあるんでしょうね、多分。
なんかやっぱ辛いこととかきついことに対して、
本間は嫌やけど、本間に嫌やけど、
それを無意識的に求めてしまうみたいな性質っていうものが
自分の中にあるんだと思いますね。
まあそういうことでね、結局、
やっぱりスピノザとかヘイゲルの翻訳作業は
どこまでも続いていくんだろうなという気がしてますね。
なんやかんやで多分結局またやりたくなってやめれない、
こういう感じ?別にやめる必要はないんですけどね。
やればいいし、そのやることは自分にとって望むところなわけですが、
そういう感じ?
そういう感じの位置づけというかね。
立ち位置にスピノザの翻訳作業とヘイゲルの
ドイツ語読解っていうものが自分の中で来てるんだなという風に
思えるようになってきましたね。
そういう感じで最近は思っております。
結局ね、やめたくてもやめれへんのですよね。もはや。
正直ね、今日とかもほんまに全てをやめようと。
別に哲学なんかやらんだって死ぬわけじゃないし、
別に必要不可欠なことではないし、
それやめたからって何か、実質的に何かを苦しむわけではないと。
やめた方がむしろ精神的には一時的に楽になるんだろうなというのは間違いなわけで、
なんかもうやめてやると思ったりはしてましたね、
今日昼間ね、もう嫌なんだと、こんなことやったって無駄なんだと。
何も本本的な自分の無能力さ、頭の悪さから解放されるわけでもね、
そういった頭の悪さを根本的に何か変えることができるわけではないということは間違いないなということなんで、
それなんだったら一層やめてやると思ったわけですが、
でも実際ね、その数時間後というかね、本当に1時間後ぐらいにはね、
結局またヘイゲルの精神現象学の薪の乗り行き訳を読み出したりして、
結局離れられないんですよね、これからはね。
もう多分一生離れられないんだろうなという気がしてます。
まあ、なんていうかな、それはもうなんというか、
こういう付き合いのこと、クサレーンっていうか、クサレーン的な感じですよね。
クサレーン的な形で今後も付き合っていくしかないのかなというふうに思ってます。
スピノザの言葉をブログタイトルにする
でね、そうだ、今日はね、そんなことを言いながらも少しやったことといえば、
結局ブログタイプを取るね、哲学のブログタイトルを、
もともとスピノ雑誌主義者の哲学探究っていうブログタイトルにしてたんですけど、
以前、西宮哲学テキスト研究室っていう、なんか謎のタイトルに変更したんですよね。
ほんでなんかやっぱ気に入ってなくて、なんか違えなと、なんかしっくりきてねえという思いがあって、
どうしようかなーって思ってたんですけど、なんか今日、
ふらふらっと写真フォルダをね、スマホの写真フォルダを見返してたら、
なんかスピノ雑誌の言葉がね、写真に撮ってて、
センティレ・クワエ・ウェリト・エット・ディケーレ・クワエ・センティアトっていう言葉ね。
これどうやらね、進学生次論の中の言葉らしいんですけど、
意味としてはね、
これはね、自分が欲することを感じ、そして自分が感じることを言うこと。
直訳的な感じですけどね、これが。
要はですね、文脈を踏まえると、自分が何を考えようとも、それを感じたままに語ること。
要は思想とか言論の自由というものの表現としてのスピノ雑の言葉ですよね。
もう一回言いますね。
センティレ・クワエ・ウェリト・エット・ディケーレ・クワエ・センティアトという感じで、
自分が何を考えてようともですね、それを感じたままに語るんだと。
自分にはそういう感じたままに語ることの自由があるんだみたいなニュアンスですかね。
何を考えてもいいし、感じたことそのままに何を言ってもいいんだというような主張というか宣言みたいなものですよね。
俺は自分の考えたことを感じたままにそのまま言ってやるんだという宣言ですね。
自己宣言のような言葉がすごくいい言葉だなと思って、この言葉をブログのタイトルにしてみました。
これ結構気に入りましたね。
少なくとも一つ前の西宮哲学テキスト研究室というタイトルよりは確実にしっくりきてるね。
かっこいい。
ちょっと長いけどすごくいいんじゃないかなと思ってます。
もう一つ、これが哲学ブログの方のタイトル変更ですけど、もう一つ今日やったこととしては、
「人に優しく」の写真コーナー
これもなんか気になっている言葉があって、言葉というかどっかでちょっと散歩しながら、
多分もう3年以上前、もしくは5年くらい前かもしれないんですけど、
どっか近所を散歩しながら、デジカメGRで取り歩きしちゃった時にたまたま撮った写真が残っていて、
どっか近所のガラスなんですよね。建物の窓に落書きなのか、店舗の落書きみたいなものが建物のガラスにあって、
グラフィティアート、ちょっとデザインされたタイポグラフィーっぽい感じのアルファベットでね、「人に優しく」って書いて、
ちょっとデザインっぽい文字になっている写真を撮っていて、これがすごい前から気になってたんですよね。
これなんとか、なんかやっぱ気になるなと思って、それを自分が自撮りみたいな感じで建物の窓に移り込んでしまってたんで、
それが嫌やなと思って、チャットGPTで自分の人物だけ消してって頼んで、したらいい感じに消してくれたんで、
その消してくれた写真を自分の文章とか写真を上げるウェブサイトの方にアップしました。
これは普通にアップしたんじゃなくて、どっちかというと固定ページとして一つのメニューとしてね、
その写真をメニュータイトルはもう人に優しくっていうアルファベットで書いて、
そのメニュー、ページを一つ作って、そこに今あるのはその人に優しくっていう窓をね、ガラスのウィンドウを撮った写真一枚だけ今あるんですけど、
そういうコーナーが一つ作ったんですよね。
要はこういう感じ、なんかいいよねみたいな、なんか忘れられない、なんか気になる。
ずっと自分の中で残り続けている写真みたいなものを上げていくコーナーとして、
この人に優しくコーナーっていうのを自分のブログに作りました。
作ってみましたと。
はい、まあそういう感じですね。
これね、ちょっと見てほしいな。
なんかすごく自分はこの写真好きなんですよね。
人に優しくっていう文字と、ガラスに反射して映り込んだ後ろの建物とガイロジュ、ガイロジュかな?
ガイロジュ。
ガイロジュ、その庭に生えている木みたいなものがガラスに反射して写真に映ってて、
そういうものがちょっと映り込んだ写真なんですけど、なんかね、自分はすごく好きなんですよね、この写真が。
人に優しくっていう文字も好きやし、
映り込んだガイロジュの雰囲気とかも好きなんですよね。
そういう感じのコーナーを一つ自分の中に作ったんで、また上げていきたいなという感じですかね。
落ち込んだ状態から日々を続ける
結構喋ったな。
20分近く喋ってるんで、今日はこんなところですかね。
またぼちぼち音声の方も上げていきたいと思います。
とにかくね、もうなんか全てが嫌やなというところまで落ちた感じをするんで、
ここからは上がっていくだけやと信じてやっていくのみですね。
とにかくやるだけですよね。
やるだけです。
何も考えても自然に自分はやっていくんでしょうけどね。
日々をやっていくだけという感じになってますが、そんな感じで頑張っていきたいと思います。
皆さんも引き続き、ぼちぼち自分のペースで生きていけばいいんじゃないでしょうか。
そんな感じで配信を終わりたいと思います。
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