1. 哲学以前の違和感
  2. 第5859回 ただ続いている
第5859回 ただ続いている
2026-06-30 1:12:33

第5859回 ただ続いている

生活は説明されるものではなく、観測される現象として扱われている。

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サマリー

このポッドキャストでは、人生における様々な「意味」や「継続」について深く掘り下げています。話し手は、自身の内面的なノイズや外部からの影響、そして芸術家が異常性を維持しながら創作を続けることの難しさについて語ります。また、歌のカバーや人間関係における「保管」という概念、つまり一度得た情報を絶対視してしまう傾向についても触れられています。さらに、人生における「真」を持つ生き方の不器用さや、それに伴う生きづらさ、しかしその生き方のかっこよさについても考察しています。 話題は、偶然の一致や音楽の類似性、そして食に関するトラウマや、コミュニケーションにおける論点のずれといった日常的な出来事に及びます。メンタルヘルスや不安についても、自身の経験を踏まえ、一般的な概念とは異なる独自の視点から語られています。才能の有無や、それを活かすことの難しさ、そして「運」の要素についても言及されています。 最終的に、人生における「物語」の生成と排除、規律の役割、そして変化し続ける世界で「正解」を求め続けることの虚しさや悔しさについて考察し、自身の生き方や価値観の変遷を振り返っています。自身の存在を壊さないために「虚無」に向き合う必要性や、才能がないことへの感謝、そして「生きる意味」よりも「楽しむこと」を重視する考え方についても語られています。

内なるノイズと芸術家の異常性
意味がなくても止まらない
頭の容量を使っているんですね。おこがましいんですけど、自分もそうなんですよ。
完全に内側の方のノイズを優先して捉えているような感じなんですよね。
だから煩しいのは、世間、世界、周りというよりも、自分なんですよ、自分の場合。
もちろん外部からの嫌な影響というのもありますけど。
あと、芸術家って普通の判断基準がないから、こんなことをしたら恥ずかしいだろうとか、そんなものがないですよね、フレームの中に。
フレームとしてそんなものはないですよね。
本当にシンプルなことで、正常化すると創作が続かないんで、
自分は芸術家って異常だなと思うんですけど、その異常を維持しなきゃいけないんですよ。
次ですが、人間って相当いろんなものを保管して、見えないものを聞いたり、聞こえないものを聞いたりしてるんだなと思うんですよ。
それと共通するかわかんないんですけど、歌をカバーするときに、別に物真似してるわけじゃないから、そのまま歌わなくてもいいけど、どうしてもそれが全てだと思ってしまう。
これも保管みたいな感じだなと思うんですよね。
そのまま歌ってしまうことってあると思うんですよ。
他の歌い方の可能性もあるのに、これはこういうものだと思ってしまう。
これは歌ってる本人は多分気づいてないんですけど、それを聞く側じゃないと多分わかんないんですよね。
どういうことかっていうと、曲があってそれをアレンジして歌った形ですよね。
だから別にその人の真似して歌わなくていいんだけど、そういう歌い方のもんだと思ってしまうみたいなことが起こるんですよ。
こういうことで日常生活でもありますよね。
今の例えていくと、一番最初の単なるメロディーを、その本質の部分をただ知ってるだけだったら、そんなことは生じないんですよね。
だから日常で言うと、こんなことしなくていいのに形だけ理解するから余計なことをしてたりということはあると思いますね。
それを保管することって、人間関係でも最初みたいに話した印象で、その人はこういう人だと決めつけてしまう。
でも単なるその日のその人の状態に過ぎないんですよ。
先輩のやり方を見て、それが絶対だと思い込んでしまうとか、社会の常識が唯一のものと見えてしまうなんてこともあると思うんですけど。
今日はカバーを聴いてて、そうだよな、そのまんまこういうもんだと思って聴いて歌ってしまうよなと思って決めてました。
日常における「保管」と人間関係
もちろんそんな変な思い込みとかではないとは思うんですけど。
「真」のある生き方と不器用さ
あとですね、本当にちょっとつまらない捉え方なんですけど、真がある人とそうでない人。
基本的に真はあんまり特に日本人はないなって感じるんですけど、いずれかには分けることができると思ってて。
例えば以前二通りに人間を分けるなんて無理だって言ってる人もいましたけど、でも基準点を設ければ分けれるのは決まってるんですよね。
でですね、やっぱり真がある生き方って不器用な生き方だなと思うんですよ。
それよりも優遇化して流されるように生きたほうがいいと思うんですけど。
でもですね、生きやすいかどうかの視点でいくとそうだけど、やっぱり真があるほうが生き方の重みが出たり。
まあ単純に自分はかっこいいと思うんですよ。
まあでも不器用な現れでもあるのかなって。
まあ不器用な人ばかりではないかもしれないけど、生きづらいだろうなっていうふうに思うんですよね。
ただかっこいいのかっこいいんですけどね。
ただですね、今日ライブ見てて、ちょっと歌の一部もう一回やろうとしてて、それがうまくいかなくて。
でもその後その人の気持ち考えたらかわいそうだよね。
他の人と話してる時も、いやどんな気分だろうなと思って。
で自分も小学生の時そういうことあったんですよ。
てか毎日でしたね。
ただ今振り返ってみると、どういう時なのかと聞かれればわかんないけど。
いっつもそういう後ろめたいのか。
今考えてみると残酷ですね。
でもう一人の人が何をやってくれたんだみたいな感じで。
本人も別に様子を見てただけなんだけど、その様子がですね。
こういう風に見てるやついたなと思って。
それでまた心が痛くなり、そんなことありましたね。
偶然の一致と音楽の類似性
あとですね、天秤の歌っていう歌がどうも気になって、
今日学生の男女でデュエットしてる動画をいくつも見てしまって。
でですね、ブリッジの一文が何かの曲に似ててこれまた始まったぞと思って。
そしたらすぐわかったんですよ。明日への扉っていう曲のイントロですね。
でどっかでこの曲見たぞと思ったら、
YouTubeでちょうど今関連動画で出てたなと思ったんですよ。
たまにこういう不思議なことが起こるんですね。
でも今日も本当に1月3日でしかないけど、よくすぐその曲出てきたなと思いました。
かと思ったらまた今度は別の曲でですね、また似てる曲があり、頭悩ましてました。
あとミクニシェフが地元でお店開いてっていうのを見てましたね。
料理人のトラウマと建設的な議論の難しさ
まあ感想は一つだけですね。
フランス料理にラーメン作らせてかわいそうだなと思ったんですよね。
みんなラーメン頼んでるし。
で、この動画見てる時もトラウマが蘇ってくんですよ。
もちろん彼らは違うと思いますけど、
カオスな状態で、もっとこうした方がいい、こうした方がいいって言われても、
自分の場合も、そんなこと話したって意味ないんじゃないのって思っちゃうんですよ。
そういうトラウマがありますね。
全然建設的に思えないんですよね。
今日の盛り付けの仕方で話し合ってたんですけど、
もちろん自分のこともそうだし、見ててなんか不便になってくることが結構あって。
なんか論点がおかしいっていうか、別の理由があって。
ちょっとただうまくいってない?
でもすぐなんとかなりそうなもの。
原因を吐き違えられてそれを注意されたり。
それってもうそれ以上どうにもならないんですよね。建設的な話し合いにならないと思うんですよ。
だって原因がちゃんとわかってないからね。
そんなもんパッと改善するものを別のとこで原因を置いてしまったりとか。
でもこういう上の人が下の人に言うときとかもそうだし、話し合いとかもそうだし、
それぞれ論点が全然ずれてるだろうって結構見てたらあるんですよね。
それでも話し合いしてる気になってしまうんでしょうけど。
でも下の立場の人は聞くしかないんですよね。かといってそのまますればいいっていうわけでもないんですけど。
もちろん文脈を間違ってる、自分の文脈を優先してしまってるとか、
あと言葉の表面に引っ張られるとかいろいろ原因はあるんでしょうけど。
本題でないところで意識が向いてるとかいろいろ原因はあるんでしょうけど。
特に自分の場合はそこら辺うまくまとめる力もないんで、整理していく力もないんで。
とりあえず一からゆっくり考えていかなきゃいけないことをパッパッパッと人に
なんでこうしなきゃいけないんじゃないかとか言われたところで、
いやいやそもそも論でしょと。そもそも土台がまずできてないでしょとか。
思っちゃうんですよ。だから本当は一度リセットして考えたいのに情報が多すぎて
混乱するなんてこともあるし、単に混乱してるだけじゃなくて
単純に意味ないでしょってことが見ててもあるし、自分もあったなと思うんですよ。
そんなトラウマを思い出してました。
根拠のない否定と高校時代の思い出
でも完璧しすぎた点蹴りですね。そこまで完璧になっていられないはずだけど
でも一から考えなきゃいけないと考えてしまうんですよね。
あと、アイドルの子が同じグループの子。みんな頭痛てて。
なんでそれを知ってるのかと。高校の辺たち。
なんか知るわけがないだろうと。
もっといちいちwikipedia見るのかなとかそれ以前から疑問なんですけど
それを親に話してみたんですよ。
そしたらですね、また変な回答返ってきました。
高校の辺たちさえも知ってるってことは、つまり家が金持ちかどうかも知ってるに決まってるよねって言ったら
なんて言ってきたか忘れたけど、とにかく否定してきたんですよ。
全く根拠もないし、なんで勝手にそれが違うと言い切れるのかわからないし
なんか言い方がまた腹立たしいし。
では次の話ですが。
ちなみに今のは全く根拠もないのに、本当にただ否定したいだけなんだろうなと
なんとなく違うと言いたいんだけどなんだろうなというのが見て取れるんですね。
では次の話。
自分の高校が地元のテレビに出てたんで、それももう一度見てましたね。
これ見ててもですね、偏差値当時から変わんないけど、こいつら頭良さそうだけど
自分と同級生はみんな精神年齢が幼くて嫌だったなーって思い出してしまったのと
あと先生がですね、ずいぶん自己顕示欲がありそうな生物の先生で
学費してこの高校来れたんだろうなーとか色々考えてましたね。
テレビに映れて良かっただろうなーとか考えてました。
あとですね、デュエットのそれ、なんで高校生の別にわざわざ見てるかっていうと
なんか本当に物語を感じるんですよ。
多分この後大勢から告白されてるんだろうなとか
この二人仲良いのかなとか
考える余地があるんですよね。
あと単純にね、歌が上手い人、つまりプロが上手いよりも
意外性があるのがいいんですよね。
だから葬式でなんか面白いことがあるとめちゃくちゃ笑いこられるの大変ですよね。
何でかっていうと笑いが起きるはずのない場所で笑いがあるからっていうのも一つの理由だと思うんですよ。
逆に芸人さんが面白いこと言っても何一つ面白いこともないんですよ。
でですね、次の話ですけど
孤独と明るさのパラドックス
引きこもりって日本が一番多いんですけど韓国って意外なのがイタリアが結構多いみたいで
ラテン系の人たち、中南米ですよね。
メキシコとかチリとかブラジルとか
アルゼンチンとかドミニカとか色々ありますけど
意外と孤独っていうことが社会の問題になってて
意外ですよね。
しかも彼らって明るいじゃないですか。
この明るいのと孤独ってのが実は関係があって
そういう人たちながらこそ実は裏ではそういったものを抱えてる
ような感じ
そう考えると人間って単純に語れないですよね。
レッテル張ってしまうけれどもこういう人たちはこういう人たちなんだろうと
あと面白いのが
不安とメンタルヘルスの個人的解釈
面白いと思ったことが最近あってですね
何ヶ月か前なんだけど
R&Bの曲なんですよ。
Anxietyっていう曲
不安とかっていう役でいいのかな
それでグラビー賞にノミネとったりくらいの曲なんですけど
これはですね
不安で押しつぶされそうな思いとかを書いた曲みたいなんですけど
これが受けてるんですけど
見た感じ強そうな
女性のR&Bの曲なんですよ
R&Bヒップホップの曲なんですよね
そもそもアメリカ人って日本人に比べたら明るいイメージですけど
ポジティブなめちゃくちゃポジティブなんですよ
彼らは
なんですけど
そうですね
だから不安とか孤独とかっていうのは非常に大きく取り上げられる
誰もが関心を持っていること
やっぱり人間にとってこういうのは共通しているものなんですね
ちなみに不安とかメンタルヘルス系の概念自体に対して
自分はですね
ちょっと病んでる人たちの自分とは畑違いな人たちっていうイメージなんですけど
いやいや
自分が誰よりも不安で生きてきたし今も不安を抱えながら生きてるだろうと
気づくんですよ
だからなんで自分の心を単純に捉えてないのか
でもやっぱり精神的に病んでる
感じというよりも
精神的に病んでる人はまだ救いがあるんですよ
いつも言ってますよね
絶望してる人は全然まだ希望を持ってるっていうのと同じで
自分はですね
もうどうしようもない感じ
だからこれはメンタルヘルスとかいう話じゃないって自分では思ってるんですよ
大抵不安な場合何々が不安ってあると思うんですよ
でも自分は特定できないんですね
もう全体的に不安
正直不安だらけですから
もう不安があるのかどうかさえ分かんないぐらい
常に不安な感じ
だからこれはもう不安という概念じゃないんですね
多分こうなってくると
医学的に言う不安とは大分ずれてくるかもしれないです
例えば
エチロンみたいに毎日同じ行動をする人っていうのは
それだけ精神が揺れやすいから何とかそれをとどめるためにそうしてる
いやもう自分もそれに関しては
そういうタイプなのかと言われても何とも言えないんですけど
今現在はそうですね
精神はだいぶ揺れやすいんですよね
ただだいぶそういう意味では過敏なんですよね
だから常に不安定な状態
そういう意味での不安なんですよ
安心できないっていう意味の不安
安定しないっていう意味での不安ですね
「意味がない」ことへの向き合い方
人間って選択肢がないと不安に感じるらしいんですけど
自分は自由が奪われたほうが生きやすくなるし
不自由ではありますけど
そことの不安との相関関係って考えたことないですけど
ちょっと自分はそんなことはあるかわかんないですね
あとはメンタルヘルスって会社でどんなストレスかどうだ
人間関係だ
自己肯定感がどうだ
生きづらさはかさとなる部分はあるかもしれないけどだいぶ違う
こういうことなんですよね
自分の場合は生まれてこの方?
どうにもならないっていう感じできっぱりそう言える状態
あんまりメンタルヘルスでストーリーを作られても
自分にとって何のこっちゃわからないんですよね
自分は一刀両断できますよ
こういうふうにできてるんだから不安は出てくるし
失くそうとすればするほどおかしなことになるし
失くそうとすればするほど辛くなると思いますね
失くせないことに気づくから
あとですねさっきのミクニシャケの店でのことなんですけど
前の店の味を残すってことがコンセプトなんですけど
もしが自分がですよ
お店残してくれるとなったらちょっと一瞬は嬉しいかもしれないけど
でも残すって言っても自分の特徴なんて
あるとは信じてやってきたけどそんなに
他の店とのそんな違いって
はっきりこれってあるとも言えないし
あったとしてもそんなものを伝承していけるわけないし
どんどん多分ずれていくし
それほどわざわざ残す必要もあるのかとか
ちゃんとそれほど細かく
はっきり何かアイデンティティみたいなのがあったら
あれだけど
だいたい残すと言っても限られてくる
だからあんまりその事実をみんな前にしたときに
自分がやってきたことに何か意味を感じなくなってしまう
と思うんですよね
そんなことを考えながら見てたのと
あと母のないじいちゃんなのか
ちゃんと話せてなくて自分も将来こうなるのかと思ったら絶望的で
だってボットキャストで話せないじゃないですかそうなったら
ちょっとさっきの話の気付いたことあるんですけど
一流の異常性と「すごい人」の捉え方
普通人の話聞くときって起承転結で聞くんですね
ABCってのあったらそういう物語の並びを聞いて
ストーリーとして理解するわけですよね
なんですけど自分の場合はその構造を見てるんですよ
だから論点がずれたなとかずれてるなとか
今の話余計だなとか気付いてしまうんですね
簡単に言うと余計なところに頭が行ってる
焦点が行ってしまってる
次ですが一郎は記録を残して
だいぶ歪んで見られてるなと思うことがあって
カレー毎日食べるのって
試合のために偉いなって世間の人は思ってるかもしれないけど
でもそもそも毎日食べることができること自体に
まず違和感を感じないのかなと思うんですよ
すごい人の習慣だから合理化されるんでしょうね
あれが正しいとなってしまうけど
だからそうなんですよ
どのように変わったことをしてても
すごい人はそれが天才だからやっぱり変わってるよねぐらいの程度で
日本人ですよねそういう捉え方ですよね
でもそうでなかったらなんだか変わってる人があって
完全に否定されますよね
だからライブなんかでも周りと違う態度を取ってると非常に居心地がみんな悪いみたいなんですよ
そういうふうに周囲と違うことをしてると飲まれてしまうわけです
でも天才は違うわけですよね
だけどやっぱり改めて考えてみたんですけど
それをやってる小一だとやっぱり変なんですよどんな天才だろうと
それともう一つ言いたいのは
一流はそうやってすごい人見られてるからあれだけど
気づかれないだけで相当変なんですよ
毎日カレー食べれるって異常じゃないですか
普通無理ですよね飽きて無理なんですよ
そもそもですよ
世間の多くの人は試合のためにそうしてるんだろうと思うけど
一流の話聞いたら分かるんですけど
あくまでも生活しやすくするためにカレー食べてるし
引退してからも毎日同じルーティンをこなしてるから
やっぱりそのためじゃなかったって分かりますよね
毎日牛タン食べてましたし
そうなんですよ試合のためじゃないんですよ
野球選手じゃなかったとしても同じように生活してたんですよ
だから絶対変に見られるはずだったんですよ
でもそういった凄さに上あがきされてるだけで
毎日いつも同じルーティンで過ごすって
はっきり言ってもうちょっと異常事態ですからねそれって
どの口が言ってるんだと思うけど
今日の冒頭の芸術家の話したときも
どの口が言ってるんだと思いました
表現欲と異常性の継続
自分を表現し続ける
彼らは表現欲だったりも
自分を抑えないで表現してそれを続けられる
何の恥ずかしさもなく続けられるのって
彼らは異常だなと思うんですけど
でもこうやってpodcastで全部セキュララに話して
2年以上続けられるのも異常だと思いますね
ただ自分は以前は表現欲が異常にあったんですよ
今は非常に冷めてるんで
低温のままだからそれが書いてよかったんだと思います
これ以上詳しくは言いませんけど
もし熱を帯びたままやってたら
もう何をしだすか分かんないですねきっと
表現欲がありすぎて
今はそのエネルギーが出すぎてしまわないように
抑えて抑えて生きてるんですよ
でですね、カレーうち1週間
自分は食べてないんですけど今は
匂い嗅ぐだけでですね
結構匂い疲れが起きると思うんですよ
スパイスの刺激がすごいからですね
で、異人の行動として語られるけど
具体的リアリティを見てみたらですよ
毎日素振りして毎日カレー食べてって異常ですから
あとですね、自分は食事中
集中して食べれないから
いつか将来たくさん食べれることがもしあったらなー
なんて思ったんですよ
今は豆腐?健康的にも問題ないし
たくさん食べれて
珍しく理想が叶った形なんですよ
じゃあどうなったかっていう感想なんですけど
毎日好きなものたくさん食べれてますけど
もちろん飽きるし
唯一理想が叶ったけど
うまくいってるとは言えませんね
でも半年以上はもう豆腐生活続けてますね
気づいたら豆腐
大豆10キロ買ったけどもう残り2キロみたいだし
いやー困りますね
宿命の受容と逃げ
ひよこ豆も
こんなにたくさんもう使い切れないよと思ってたけど
あれあっという間に少なくなったんだなー
それはそれで
ほらそんなもんかと思って
計算が合わないなーと思っちゃって
失望な性格です本当に
高校の受験の時もそうだし
のことを考えて
あとは人気ポッドキャスターみたいにならないし
何やっても自分はうまくいかないし
ネット関係全部ダメでしたね
宿命を受け入れるそういう方を作れたんですね
ただですね
こうやって虚無にやっているのも単なる逃げでしかない
っていうのが単純な捉え方だし
その可能性もなくはないんですよ
ただですね
自分の場合意味が
自分の存在を壊すから
虚無にいなければいかない
ということは
意味を持つことによってエネルギーが爆発する
前世の意味ですね
持つことによってエネルギーが爆発する
そして収集が少なくなる
という事実によって
そういった型を作れたってことですね
この宿命の中で生きても大丈夫だという型を作れたんです
正直これは運が良かったんだと思います
周りから見たら逃げとも取られるけど
都合よくそうやって価値観を薄くしているわけですからね
だから学生時代別に
後悔はもちろんありますけど
基本的には引きこもりになったからなんなんだっていう思いもあるし
ポッドキャストでうまくいかなかったから
なんじゃだからなんなんだって思うし
そう思えるのも運が良かったと言えば良かったんですよね
これはもし単なる逃げなんだとしたら
自分は絶対そんなことはしないですから
自分に対しての嘘になるんですよね
自分にとっての救いっていうのは
自分にとっての単なる嘘でしかないんですよ
次ですが才能あったら使わないともったいないじゃないですか
才能の有無とチャンス
苦しむと思うんですよ
チャンスがあるときは逃さないように
っていう風に考え苦しむ
自分はですね
最近も絵も才能もあって
音楽も
音楽じゃない
俳優もできて小説も書けてっていう
そういう人がいてですね
自分がもしこういう能力があったら
人生苦しむだろうなと思ったんですよ
何でかっていうと
そうやって才能があるなら
それを活かさなきゃいけないと思うから
あとチャンスがあったという意味では
レコード大賞3回連続で取った人は
4年目きっとどんな気持ちでやるのか
自分の作品も作らなきゃいけない
自分らしさも出さなきゃいけない
でも狙いたいところでもある
きっと自分の人生壊すだろうな
と思ってるんですよ
自分は
自分に嘘をつきたくないから
自分の才能なんてない
っていう風に思い込むのは嫌なんですよ
だけどやっぱりないから
ないと受け止めてんですね
運が良かったんですよね
もし自分に才能が一つでもあれば
引きこもりになって
悔しくてしょうがないじゃないですか
でもちょっと今日高校生の動画見てて
これ歌うの上手かったら
ちょっとそれは嫉妬してしまいましたけど
でもその一方で
もし歌うの上手かったら
それを生かす場ってあんまりないから
悔しいだろうなって思ってましたけど
何か自分にとって良いものって
使わなかった自分が
想像して
それが自分の背後に立つんですよね
想像力って恐ろしいですね
チャンスは逃したら
後悔するのも分かってるし
判断ミスだなっていう風に思うだろうし
無駄にした気分にもなるし
だから失敗の責任ってものが
生まれてしまうんですよね
チャンスがなければ
その責任なんて生まれないんですけど
それは自分に対する責任ですね
人に対する責任じゃなくて
自分にとってチャンスっていうのは
意味が
感情表現と宗教的影響
意味を感じて生き生きしないですけど
もしチャンスがあると認識して
実際チャンスがあるのであれば
もう意味というものが
暴走してるような状態
だから熱を帯びた生活になるんですよ
でもいろいろですよ
才能があっても別にね
本当に生きてる人もいるだろうし
逆にそっちのほうが
多いような気もしますね
天才型のタイプって
高校生のときのこと
ちょっと今思い出してたんですけど
準研で
北大の先生来てて
自分は興味があるんです
興味があるっていうか
なんだろう
地学自体には興味ないけど
準研自体には
なんか興味あるっていうか
自分は
北大の先生が来てるということ自体に
興味があって
でもですね
それを態度に表すのが下手なんですよ
だから多分
先生たちからは興味ないように
ちょっと見られてるんじゃないかなって
今考えてみたら
それはちょっと自意識過剰ですけど
今思ったんですけど
もしかしたら
宗教が原因かもしれないです
感情を出すことは
煩悩だと思ってるし
だから下手に喜ぶのも
感情が爆発してるだけだし
不安になるのも
感情が現れてる
これは宗教では煩悩だと言いますから
それが原因で
こうやって感情が出なくなったっていうのも
あるかもしれないし
あと今思ったんですけど
感情
それは変わりますけど人間
例えば痛いとか思うのも感情だろうし
暑い寒いも感情だろうし
感情のメカニズムとコントロール
でもそこに物語って乗るんですよね
例えば
喜びっていうのは感情の爆発だし
悲しみっていうのは
ニヒルに近いのかな
意味を濃縮してるような状態
不安は未来に対する圧力ですよね
怒りっていうのは
逆か
怒りが
熱が暴走してる状態で
喜びっていうのは
過剰な意味化なんですね
意味があると感じすぎてる状態
そういう意味では今も
あまり感情的にはならないように
気をつけてますね
本当に関係ない話なんですけど
感情的っていうのと
感情が動くっていうのと
違いますよね
感情の代償じゃないんでしょうね
揺れ幅の問題じゃなくて
感情的になるっていうと
声が荒れるとか
呼吸が激しくなるとか
そういう外部に
出てくるもんですよね
見て取れるもの
だし単純に
コントロール効いてない状態ですよね
でも感情の大きさの話
じゃないと思うんですよ
感情が動くっていうだけだと
あくまでも内部の話
だから周りから見て取れないわけですよね
自分はそっちの感情の動く方
の話なんですよ
今言ってたのは
感情的になるっていうのは
自分はちょっと
正直ないですねそれは
なくそうとしてるより
ないですね
もっとあったほうがいいんじゃないか
と思うぐらいないですね
それが悩みなんですよ
こんなポッドキャスターで
感情現れない人いるかなと思って
でも感情って演技して
表そうとして表すのは
わざとらしいし
案外感情があんまり
出てない人
ブッキロボーだったら
話は別だけど
感情がわりと平坦な人の方が
わりと現れてるのが
わかりやすいと思うんですよ
暑い時に汗かくって
煩わしいけど
これ体にとっては大事なことですよね
涙が出るっていうのは
本当に精神的にピンチな時の
防衛反応だろうし
いろんな感情が動く
全般において
人間にとってはある程度
必要なんでしょうね
それがあることによって
エネルギーを放出できて
いれたりするんでしょうね
少なくとも防壁になってるはずなんですよ
過去の行動への後悔と記憶の不確かさ
次の話ですが
以前歯磨きに
半夜10分時間かけてたんですよ
でも今考えてみると
それによって
歯の表面削れますから
それで10年以上やってたのかと思ったら
いやー悔しくて
今は歯磨きティッシュ使ってるんですけど
いやーこれだったら
こっちの方が容量落ちてるし
歯傷つけなくて済んでたし
やっぱり10年って長い
訳ですよ
その間に
歯がどうなってるかと考えると
なんか悔しくてですね
あとですね
今日
前回話してた通り
メモ何回も見て
何回も見て
後で思い出すんですよ
いやー自分の記憶が
信用できなくなりました
違うファイルに
ここで話そうと思ってたこと
何が辛いのかっていうと
別のファイルを何回も
何回も見てたこと
意味ないですよね
あとは
メモのファイル自体が
大きな問題だと
思ってたんですけど
それはないと分かった時点で
また今度は
ここで話せないこと自体の方が
問題だろうっていうことに
そっちの方に悩みの比重が
いってしまうんですね
まあでもこれ
よくありそうですけどね
ある問題とある問題を比較して
ある問題解決したら
別の問題が大きく感じる
でも自分の場合は
よくあるパターンとして
Aの方が悩みで
Bも悩みがあり
Aが解決されるあたりで
いやこれって実際
Bの方が問題あったんじゃないかと
気づいてしまう
まあまあでもそっか
そっちにフォーカスは
いってしまってるのか
安定と不安定の逆転
うまくいってる時は
より良いものないか
探し始めてしまうんですよ
でもそのまま突っ走れば
いいじゃないですか
なぜか変な欲の出方がするんですよ
これ欲っていうことなのか
わかりますかね
これ普通の時に
普通の状態の時
より良くする
ならわかる
でもよくなってきた
良い状態の時にだけ
もっと良い方法あるんじゃないかと
考え始める
でちょっと異常ですよね
普通ですね
普段何もない状態の時に
人間って
安定してる感覚になりますよね
災害もなく
社会的なトラブルもなく
周りで何もない状態の時
精神的に安定するんですよ
でも自分の場合
何もない時の方が
不安定になるんですね
自分は筋トレしてたりした方が
安定だったりするんですよ
何かに追われてた方が
安定してたりするんですよ
逆に普段は
あまり安定しないんですよ
だからこそ
ちょっと上手くいってる時の方が
そういう探索モードになるんでしょうね
で内部のノイズがあるからですね
いろんな思考が
散っている
でも負荷がある時は
内部のノイズが減るんですよね
余計な妄想とか
負荷が出なくなる
現在はこれです
引きこもりと宗教からの解放
ちょっと
人生を振り返って話したいんですけど
普通は引きこもりになったら
失敗と捉えるはずなんですね
でも自分はそのタイミングで
宗教を辞めて
絶対的な価値観
とか軸とか支柱とか
人生の意味
全て剥ぎ取られたようなもんなんですね
だからこれが複雑なんですよ
つまり今まで
自分が持っている価値観ってありますよね
もちろん日本人としての価値観とか
個人としての価値観がありますけど
引きこもりになったら失敗と捉えますよ
でも自分はですね
もう絶対的な
自分の中での価値観が
そんなタイミングで奪われているわけですから
無くなったわけですから
しかもですね
宗教によって
救われていたと思ったら
宗教によって実は壊されていたってこと
でも気づくわけですよね
今まで思っていた
自分の中での宗教
自分が入っていた宗教
全く見え方が変わるわけですよね
もう外部の
単なる宗教法人でしかなくなるし
何の意味も感じないし
ずっと中にいた人が
外に出るわけですからね
だからいくつも宗教があって
そのうちの一つにしか見えないんですね
だから世界観が崩壊したようなもんだし
家を失っているというよりも
地面が抜け落ちたみたいな感覚ですよね
普通であれば宗教を失った時点で
大事な柱がなくなり崩壊するんですけど
自分の場合は
宗教があった頃からも
壊れてたんですよね
つまり救いが救いでなかったということなんですよ
でも宗教って不安を一時的に和らげるものですけど
でも普通に考えたら
一時的なものでしかないって分かりません
だから自分の考えとしては
やっぱり不安を生む原因はやっぱり
この世界の意味が揺らぐことだと思っているので
意味がないこと
に真摯に向き合うしかないと思っているんですね
ずっとある曲に似ている曲を探していて
ずっと探していて
明らかに似ているんですよ
松戸谷由美の
アニバーサリーって曲だったんですけど
乃木坂の懐かしさの先っていう曲
何かの曲に似ていて
今考えてみたら
松戸谷由美の曲
何の曲だって分かったのか
ちょっと不明なんですけど
音楽の類似性と食の探求
何かのカバー曲のプレイリスト聞いているときに
出会ったんですけど
じゃあカバー曲なんだとしたら
松戸谷由美の曲だって
分かんないはずだし
松戸谷由美が歌っているのを聞いているはずだし
だからちょっとこれも不思議な話なんですけど
今日たまたまちょっと
曲聴いてたら
何曲か松戸谷由美の
もう一回曲聴いてたら
たまたまですね
それに出会って
やっと見つかりましたね
ちょうど今日アプリとかで
似ている曲探す方法ないか見てたんですよ
では夕食の話ですが
煮物ですね今日
うま煮
スーパーの買ってきたやつなんですけど
あと
あれは何なのかな
レンコンとごぼう入って
あと鶏肉揚げたの
和の料理ですけど
完全にあれは大学芋の味でしたね
さつまいもの味でした
レンコンもごぼうも
そうするといつも研究が始まるんですよ
これって
確かに
あれはコンサイレンっていうのかな
土の中で育つものだから
似た味なのかなとか
甘い味付けだと
この味になるのかなとか考えてました
うちの親カレーの時は最近
自分はうま煮になること多いかな
好きなものも続くと
ちょっと飽きてしまいますね
それ言ったら豆腐は半年以上続けてますけど
だから面白い構造ですよね
さっきの話に戻りますけど
人生の失敗と価値観の転換
普通だったら引きこもりになって
人生の失敗になった悪い状況にまで
追い込まれた
偏方向転換のタイミングになるわけですけど
でも実は宗教をやっていた頃のほうが
失敗だったっていうことなんですよ
自分からしてみたらですね
宗教をやっていたとしたら
その時の価値観のままなんで
なんとかしなきゃいけない事態
大変な試練がやってきた
取られるかもしれないけど
そのタイミングで宗教を辞めてるんでね
善悪の軸も
完全に失われたわけですから
しかもそれは絶対的なものだったし
失われて
善悪で判断できなくなったのもそうだし
その基準がなくなったわけですからね
どうなるかっていうと
まあまあ変な状況ですよね
変な感じですよだから
失敗なんだけど引きこもりになって
大変な状況なんだけど
そもそも生まれてからが失敗だったから
宗教入ってて
今は辞めれたけど
っていう感じ
夜中撮っております
夜中の行動と感情の観察
今またパンツの中に
夜手を入れて
書いてしまってて
その後の記憶はないんですよね
その後足を書いてた記憶もあるし
厄介なのが夜中
だからどこも書いてないけれども
でも手洗いに行きたいなと思った記憶もあったし
これでもう20分ぐらいずっと考えてましたね
不安で
まあそれでも
一式全部触ってるかもしれないから
書いたこともあったし
ベッドのものですね
あと今日夏服に着替えたんだけど
夜中寒くて
風邪ひかないか不安だし
ちょっとまだ早かったなと思って後悔してましたね
では次
好きな人というか
好きな時
その人の顔がよく見えるっていうのは
その人の顔の形じゃなくて
自分の感情を見てるんじゃないか
好きだという感情
よく見えるという感情を見てるんじゃないかと思ったんですね
「生きる意味」よりも「楽しむこと」
これって多分感情とか記憶とか印象とか
仕草症状とかまで総合的に
見た上での
その良さなんでしょうね
なんか性格を知ってしまったら
すごい悪く見えるっていうことは全然ありますよね
逆に仕草とか
あとは自分の場合声で
よく見えるってことあるし
なんかさっきの補完の話にも綴るとかありそうですね
声がいいから
なんか顔にプラスで何か
見えないものを見てしまってるんですよね
補完というか顔の造形プラス
補正されてるってことですよね
では次の話ですが
生きる意味がないのは分かってるんだけど
そこで楽しければいいっていう方向に
いってもいいと思うし
そういうパターンも多いんですよね
どういうことかっていうと
切なし気って言いますけど
今こうやって目の前のことを充実させていれば
生きる意味がないことにとらわれなくて
どうするんだろう
っていう考え方ですね
でも自分はそういうふうにならないんですよね
あと苦しい時も
そうでない時も
いかんしてるのはですね
できれば生きたくないっていう考え
生きたくないんですよね
普通はちょっと違うと思います
楽しい時は生きたいと思うだろうし
充実させてる
人生に生きがいを感じてる人は
生きるってことに執着してるだろうし
でも自分はいつ何時
もう生きることができませんと
嫁半年ですと言われたら
ああ喜んで
旅立たせていただきますっていう
気持ちなんですよ
次の話ですが
規律と物語の生成
起立っていうのは
繰り返すことなんですよね
だから質情を保ててるで
自分がいつも話してる物語っていうのも
実はパターンからできてるんですね
人間の繰り返し起きることに
物語をつけやすいんですよ
いつも失敗してたら
自分がダメな人間だとか
あの人はいつも何か言ってくる
嫌いなんだろうとか
物語を書き始めるんです
この関係って何だろう
自分は起立によって
物語を作らずに住んでるけど
この起立自体実は
繰り返しであることとの関係が
気になったんです
物語っていうのは
繰り返し起きることに
付与されるもの
そして起立は獣の中で
自分が保てるもの
ということで結局
関係があるかないかというと
なかったんですけど
ただですね
一部ではあるんですけど
起立が物語を作ってるんですよね
起立も物語を作ってる
っていう感じなんですね
物語を書かないために
起立を作ってるわけですけど
どうしても人間の構造上
毎日のこの繰り返しによって
継続する自分という人間の
人生であるっていう物語を
書き始めるんですね
書き続けてるんですね
だから物語を排除する
忘れようとするほど
物語を排除
しようと努める自分の
物語が強化されてることになるんですよね
物語を排除する人間
生きてますよっていう物語を書く
これを排除するためには
自分の中での物語の
起立の定義を変えざるを得ないですね
今の定義
定義というか
捉え方みたいなものですけど
自分
保持してるものなんですよね
何とか下へつなぐための
生存戦略なんですよ
これは
自己確立と変化する自己
昨日の自分を捨てるしかないですよね
一度も言ってたんですけど
これは分かってたのか
これは
一日を完全燃焼させる
ことに注力していて
その日が過ぎたら
その日のことは忘れる
っていう感覚らしいんです
だからその日
一日を一日を生きてる感覚
にするしかないですよね
物語を書かないっていうのは
そういうことなんですよ
昨日の自分は
知りませんって感じ
いるしかないですよね
でもこの考え方って
諸行無常ですよね
人間ってどうしても
昨日の連続の中に
今日を見てるけど
変化するっていう考え方ですからね
諸法無我妄想なんですよ
ここにいる
この体
自分だっていう物語を
書いてるわけですよね
自分って将来のことで
不安だったり
それが基準になってるんじゃないかってくらい
原点の行動に影響を与えるんですけど
これも物語を書きすぎてしまってるんですね
物語を書いて
低音のままで入れなくなってるんでしょうね
でですね
普通、規律って
自分がこの世界をコントロールできてる
という認識を生むためのものなんですね
だから明日も今日と同じでいられるっていう
安心感を得られるんですけど
自分がコントロールできるようにするためっていうよりも
その感覚が全くなかったとも言えないんだろうけど
これは
というよりも
自分崩壊させないためのものだったと思うし
あと、規律が
必要にはならない
必要にはなかったんですね
支えてくれるもの
ではなかったんですよ
だから
軸にするっていうよりも
気づいたらあるものって感じだったんです
で、規律ってですね
自分と
自分でないもの
の境を作るってことなんですね
自分がコントロールできる
ことをはっきりさせることによって
そうでないものと
境界線を作ることによって
自分手のものの
輪郭ができるんですね
ってことは
さっきの話で言うと
諸行無常
の話しましたけど
諸法無我の方
とは対立関係ですよね
ちょっと
矛盾ですよね
Bodcastはこの17年間
さらには
修行時代の頃から
のことを
ある意味
連続体として物語として語ってますけど
これはやまを得ないのかな
あとですね
修行僧も
やっぱり規律は正しいんですよね
でも今言った通り
規律ってのは
事故というものを確立するものだし
ただ
Bodcastをしてて
自分を振り返っていると
やっぱり自分というのは
固定的な存在ではないんだって
気づかされるんですよね
もちろん遺伝
の変化しないというのもあるんですけど
それをもってしても
人間って
もっと抽象的な意味で言うと
常に変化してる
っていう風に
いう風な考えに至るんですよね
でも修行無常なんだけど
このBodcastで
記録を残そうとしたり
いろんな形がありますけど
それって
これは人間が生み出した人間なりの
この世界自然の摂理に対する
高度な
一つの在り方ですよね
現在朝です
ポッドキャストの悩みと人生の振り返り
今日はもう朝から
Bodcastの録音のことで
また悩みが増えて
あとはちゃんとできてたのかっていう悩みと
あと番組名ですね
最近はもう夜中もずっと考えてて
自分が捨ててるものは何なのか
っていうことですよね
希望的な
そういうことなのか
でも絶望さえもしないようにしてるし
救いなのかとか
もっと広い意味なのかとか
あともちろん単純に捨ててるという言葉では
表せないし
救いとかそういうものを構造的に
観察してる
節もあるし
で決まったら決まったで
なんでこんなことに
何ヶ月も使ってるんだっていう気になるし
冷静に考えてみると
自分のこの10年以上ほど
モラトリアムというにもならない
他人からしてみても何の意味もない
10年間だっただろうし
だからこそ
その10年過ごすのは辛かったですね
それでも
こうしてるしかない
できれば自分だって充実させたいですよね
仕事だってできればよかったし
でもとにかく
この家でこう
呼吸をし続ける
他にないっていうことで
できることは他にないんだと
あとは暇つぶし
するしかないんだと
いうことでしたよね
集中モードと自己モニタリング
一番ですね
全てのことに集中してるつもりなんですけど
全くそうだね
集中してなかったなってことが
行動があることに気付くことがあるんですね
まるで二重人格ではないかと思うぐらい
集中モードの時もあるし
自動的に体を動かしてるモードの時もあるし
これは習慣だけで走ってる状態ですね
あと観察モードの時もあるし
これは食事中なんか間違いなくそうですね
動画見てる時もそうです
あと思考がループしてるモードの時もありますね
これ学生時代の時
不安障害で
常にそんな感じでした
心ここにあらずみたいな感じ
これらが勝手に切り替わるんですよね
自分はですね
皿を並べる時でさえ集中するようにしてるんですよ
不器用なものでミスをするから
だからですね
あれ全然集中してなかったなって気付くんですよ
前も話した通り
自分に負荷をかけるために
なるべく行動を急いでするようにしてるんですけど
あれこの1ヶ月間全く
無意識にやってしまってたなって気付くんですよ
だから本当に二重人格なんじゃないかと思うぐらい
でも気付いたら違うことをしてたってことはないです
多分何か考えごとに集中してると
過集中になって
目の前のことが置き去りになってしまうんですよね
集中してると
自己モニタリングが多分できてないんですね
自己モニタリングがあるからこそ
目の前にあることに集中できるんですけど
考えごととかにふけてるとそうなっちゃうん
けどももちろん考えてないし
集中してるのはしてるんですけど
何というか
次の話ですが
運とタイミング、そして継続
美人で歌うまい人なんて
大量にいることを最近分かって
だから結局売れるかどうかって
運じゃないかなと思うんですよ
あとですね
CMのコピーライティングなんか見ても
自分でも考えれそうな感じがするし
これなんかもだからタイミングとか
そういう運で決まる部分も
あるんだろうなと思うんですよね
タイミングですよね
見つかる場所に立てるかどうかっていうタイミングとか
あと結構これも大事で
継続できるかどうか
そういう条件が揃ってない人も結構いるんですよ
だから1年2年で終わっちゃうとか
そういうこともあるだろうし
もちろん家族の療傷とか
いろいろな条件重なるんですよね
それも含めての運なんですよ
では次で話ですが
変化する正解と無価値感
人は必ず正解を求め追求するけど
何か大きな変化があったら
その正解が変わってしまい
今までのものが台無しになると思うんですね
それが予想もしないことだと
全く無駄になる
何かを諦めつけることが
せっかくできていても
例えばAIの進歩で
それができるようになってしまう
一体どうすればいいんだって
行動が分からなくなりますよね
でも人間って正解を
求めるようにできてると思うんですよ
簡単に言うと
どこか目的地に行くのに
どの道行けばいいかっていうのは
これは動物であれば考えることですよね
よく変化に合わせて
臨境変異とか言うけど
これは
単なるファンタジーですね
でも正解が変わると分かりながら
正解を求めなきゃいけない
でもそんなことわざわざ
するかなと思うんですよね
それができれば
その時その時変化することはできるけど
例えば自分の才能何かって探していて
ないなと諦めがついて
でも時代の変化価値観の変化で
もしかしたらこれが
自分に合ってるかもしれないとなって
でもその度に変えるわけでも
いかないじゃないですか
そうですよね
あとはですね
そうやって時代の変化によって
自分が作ってきた足場が崩れ落ちて
自分がやってきた道のりが
全部無価値には感じることも
無きにしまわずだと思うんですよ
例えば大学行ったけども
そこが平行になりましたって言ったら
せっかくいい大学行ったのに
何の意味があったんだ
みたいになりますよね
大事な人を思って
大事に結婚生活を送ってきたけど
離婚したとなったら
何のためにこの人を思ってやってきたんだ
と離婚するという
今までとは全く違う環境に置かれると
今まで価値を置いてきたことが
無駄に感じること
そしてそれを大事にして
5年歩んできたことが
無駄に感じてしまう
っていうのもありますよね
それは乗り越えるのは難しいのかな
でも
そんな過去は
捨てるっていう気になれればいいけど
ちなみに自分はですね
今自分はそんなこと難しい性格だからこそ
逆に今はできるんですね
釣るニヒル짜のニヒリズムだから
ただですよ
何かポッドキャストで工夫して
こういうやり方でやっていこうって決めて
でも何かポッドキャスト業界で
変化があって
で又一から考えなきゃいけない
まあまあそれに対応するしかないけど
こういうことが繰り返されると
どうすればいいんだ
ってなりますよね
あと、そん時その時
そのときの正解なんて
この世界は常に変化しているわけですから、その時の世界でしかない。
だから正解に意味のないこともわかってるんですよ。
だからこそ悔しいんですよね。でも、正解に意味のないことはわかってるけれども、
やっぱり生活していく上で正解を求めなきゃいけないから悔しいんですよ。
トレンドに流されない生き方
あとは、世間社会の変化に追従しないってことですよね。
自分の何か固定するものを持つ。
それはありだと思いますよね。
かねてから、本当はそれがしたいんじゃないかという思いもあったけど、
だからアーティストでもそういう人はいますよね。
トレンドに流されないで。
でもそれって、商売としては結構つらいところでもありますよね。
あまりにも売れなくなるのもちょっとあれだし。
作業モードと集中力の課題
さっきの話に戻るんですけど、目の前の作業には集中してるけど、
急いでやる、意識的にやるっていう意図が行動に乗ってないんですよね。
で、ある瞬間に我に変えるんですよ。
いつからか、処理の安定性を優先するようになったんで、
意図して何かをするっていう行動。
例えば、急ぐとか丁寧にやるとか。
そっちよりも集中すること。
ときは作業モード。
作業モードっていうのは手順だけで処理していくっていう、
もう無意識な状態ですよね。
いずれかの方が優位に立つんですよ。
学生時代なんかもそうだのかな。
簡単に言うと時間を忘れてしまう。
だから、いろんなことを考慮しながらでも集中するっていうのが難しいんですね。
目の前にあることに集中してしまうんですよ。
だから、試験なんかは大変なことですよね。
いろんなことを考えながら計画立てて、
テストを進めていくなんて自分には無理なんですよ。
目の前の問題を解くことに集中してしまうから。
自分は後は早くしようとしたら、
常に早く早くっていう風にするか、
そういう風にやってるときもありました。
計画と実行の難しさ
あるいはタイマーを置くしかないんですよね。
目の前にあることに集中してしまうから。
01:12:33

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