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おはようございます。 佐々木正悟の自由連想第1411回をお送りします。
えーっと、10月終わりですね。10月の27日火曜日、朝7時42分。 一番、なんかありがちな時間の収録ですね。
えー、27日だから、あと4日で10月が終わる。 えーっと、10月にやり損ねたことが一つあるんですけど、これはもう、腰痛のせいで、いた仕方ないかなって感じで、これは11月に入る感じになりますね。
まあ私は今も、えー、厳密な意味では締め切りのある仕事ってゼロにしてるんで、まあ、あの、急いで何かをしなければいけないってことがなくなっているんですよね。
もちろんその、ある特定の日にセミナーしするとかはあるんですけど、それはもう、あの、準備するのはほぼ前日だけなので、あの、締め切りも何もそういう感じじゃないんですけど、
まあ、あの、要するに結構暇なわけですね。 この結構暇って大事な気がするんですよ。
あの、急がない習慣って、心がけとかでは身につかない気がするんですよね。 あの、急がないという状態を半ば、
あの、一定期間に渡って維持し続けて、ようやく急がなくなるみたいな、私みたいにせっかちな人間は、そういうことが起きるので、
あの、まあ、急がない習慣を身につけたいというのは、常々思ってるの。例えば私早食いなんですよね。
娘とかにめちゃくちゃ言われるんですが、治んないんですよね。これほど治んない癖もあんまりないなと思うんで、
頑張ってるんですけど、頑張ると頑張りすぎちゃうんですよね。 やたら時間をかける、そしておいしくないみたいな、こういうものはだいたいそうですけど、
程よいっていうのがすごい難しいんですよ。 このペースを落とすっていうのは、ペースを落とすのであって、
なんか100キロか0キロとかじゃダメなわけじゃないですか。 0キロっていうのはペースを落とすじゃなくて止まってるんで、なんかこうなるんですよね。
これを何とかしたいなというわけで、 締め切りのある仕事は極力引き受ける。特にこの本を書くのは、引き受けないというよりは依頼が来なくなってるって感じなんですけど、
でもまあ、もうそろそろいいかなっていうところはすごくあります。本に関しては。
ぶっちゃけ言うと、まず書くための日数が、もともとビジネス書作家は早書き求められがちでしたけど、
だいたい3ヶ月。3ヶ月って相当無理があるんですけど、3ヶ月だったのが、4ヶ月欲しいって言うと3ヶ月にならないかってまず言われるのが、
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キッサーの打ち合わせで言われるんですけど、最近は2ヶ月にならないかと言われて、書いてるうちに1ヶ月にしてくださいって言われますからね。
AIがあるからってなるんだけど、AIを使うことをどのぐらいゼとしてるのかも、さっぱりわからないんですよ。
まあ、編集さんによってこの辺違いますしね。ものすごい違いますからね、編集さんによって。
おそらく出版社さんは編集さんによってこのぐらい違うっていうのをどの程度許容されているかはわからないんですけど、
ものすごい違うことだけは間違いない。同じ会社だとしてもですね、全く違いますね、一人お人方お人方。考え方が。
なので、僕、延べで多分、200から300人の編集者さんと間違いなく本を作るのに携わるという仕事までは行ってると思うんですよ。
延べでですよ。
でも、確実に一緒にしてご筆書してるなって思えるというか、記憶してるのは3、40人ってところになるんだけど、
300人弱ぐらいの方とは何らかの形で雑誌とかを含めるとやってきて、同じような感じだって思ったこと一回もないんですよ。
だから、すごく違うなっていう感じはあります。
まあまあ、そんなことはどうでも良いことで、雑誌まで含めると多分2、300人もっとかなの記憶とかそういうものを含めるとやってきているわけですね。
つどつど編集者っていう人必ずいらっしゃるんで、これも驚くんですけど、必ずいらっしゃるんで何らかの形でね。
それにもすごい考えさせられるところがあるんですが、まあそういうわけで、昔プレジデント社で書くときなんて、なんかなんだかんだ同じ部屋に6、7人いらっしゃっていて、
なんでこんなにいらっしゃるんだろうみたいな感じで、なんか僕みたいなのを相手にするのに5人も6人も来てくださるのは恐縮だと思うんですけど、
不思議なことにそういう感じで、なんか接待でも受けてるのかっていうぐらい幸運だった時代もありますわね。
不思議だなという感じだけを僕は持つんですけれども、不思議だったわけですよ。
で、この、なんていうのかな、まあお人形お人形が違うという中で、
えーっと、まあまあ、だんだんだんだん当然相手してくださる方の数も減り、
だんだん時間も短くなり、時間が短くなっているのは予算がないからですから、
まあ本1冊書いても、1回にあって入るお金はもうなんか9万円とかであることも普通に起こりうるので、ぼんやりしていると、
いやそれはちょっとさすがにひどいでしょって言うと、まあ13万円ぐらいは下さるんですけど、
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そういうことなので、これやっぱり1ヶ月で書き上げないとどうしようもないなっていう感じになるんだけど、
1ヶ月で書くってのは本当にしんどいんで、もうなんかこう常に書いてる1ヶ月になっちゃうわけですよね。
そんなことは、やって割に合う話では全くないと思うので、
まああれですね、もちろん全然違うと思いますよこれも人によって。
僕は相当扱い軽いから、こういうタイミングでこういう金額になっちゃうわけですけれども、
もちろんその全然多くもらえるという、この辺も二極化なんですよ。
あの多分、すごく巧遇されている、出せば必ず10判かかるぐらいの人と、
あのまあこいつは穴埋めだぐらいに、だいたい4から6なのかな、結構ペース早いですからね。
編集さんが出さなきゃならないノルマってあって、で穴開くわけですよ。
作家さんはそのペースで書ける人ばっかりじゃないから、
でその時に僕がこうそこにピンチ入った時に入るわけですよね。
だから私はたくさん本書いてるわけですよ。
確実にというか、少なくとも穴開けることがほぼなかったんで、全くないわけじゃないですよさすがに。
でもほとんどなかったんで、あのまあ穴ってね開くんですよね。
途中で編集者さんがいなくなるということもあるし、
あのだからね新しい編集さんはもちろん担当として続くんですけど、
編集者さんには編集者さんのその本を出したい、なんか企画欲ってものがあって、
で新しく担当になった人にはそれはないわけだから、
もう私の本とか別に出したくも読みたくもないわけですよ。
ここでも私は頑張って出しますけれども、まあ普通にそんなことは避けるわけで、
だからそのなんていうのかな、まあ穴は開きますよね普通にね。
常識的に考えても。
割と編集者さんが担当中にいなくなるというのも、
あの10から20の本を書いていると遭遇しますから確実に。
1回や2回は絶対にと思いますけどね私はね。
まあ今はどうなのかわかんないけど10年前は確実にそうでした。
10年ぐらい前、コロナより少し前あたりは本当に激しく動くっていうのが、
割と一般的だった感じがします。
まあまあ裏話的な話ばかりで8分経ったんで、
えーと今日は結構ねちゃんとした話をしようと思ってたはずなんだけど、
話し出すと全然関係ない話をわーっと喋っちゃうわけですね。
まあ自由連想なんでねしょうがない。
えーとそうそうさっきですねXで植田勝久さんのずっと僕追ってるんですよ。
植田さんのしか読まない日っていうのも結構あったりするんですよ。
先方はそんな人間がフォロワーにいるなんて思わないと思うんですけど、
植田さんの本とか僕結構読んでるんですけど、
あのご本人、これがねよく、まあ今の時代普通ですけど、
それにしてもなんかこう心理連想の世界って謎で、
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こうまあクロコ的なのが意識されてるからっていうのもあると思うんですけど、
ご本人のいる感じっていうのがどっか普通の人とする。
特に精神分析系は、
昔僕が松木さんというのがご存命だったと知らなかったという、
大変失礼なことを言ってたわけですが、
そういうことが起きがちだなと。
藤浜直樹さんはなんかね存在感があって面白いんですよね。
あんまりない気がするんですよそういうことが。
フロイトってだから変わってると言えば変わってますよね。
ものすごい存在感のある精神分析家じゃないですか。
なんかやっぱり大物の割にビオンとかって世の中で知られてる感じが、
薄い気がするんですよねすごくね。
知られてないですよね。
マシュード・カーンとか、
もっと全然有名になってもおかしくないような人だと思うんだけど、
全然有名だとは思えないんですよね。
類石害症って言葉なら多分どっかで耳にしてるって人、
尻がかじってる人には多いと思うんですけど、
マシュード・カーンって言われて、
どこいう経歴の人かっていう、
あんなに激しいスキャンダルがあったなんて、
なんかイメージできないと思うんですよね。
独特のクロコ感がある気がします。
それは良いことだとされてるんですけど、
本当なんだろうかとも思わない。
私はクロコ感で多分薄い人間だと思うんで、
こういう仕事が向かないと言われれば、
でもそれはどうなのかなやっぱりな。
あんまりピンとこないですね。
その上田克人さんのXで、
最近の脳科学の話でとても面白い話があって、
幼児危険棒っていうのは、
もしかすると事実じゃないのかもって話で、
これはトラウマとか乖離とか精神分析の話全域に、
だからやっぱり流石に上田さんのXだなと思うんですけどね。
全域に関わる話だと思うんですよ。
幼児危険棒ってそもそもフロイトが
えらい長いこと、長い文章書いてますからね。
幼児危険棒についての。
でもフロイトがやっぱりすごいところは、
ほぼ全世界に共通している、
全人類にほぼ共通していると言えるような、
テーマにパッとこうマッシュグラに行ってるところですよね。
ある意味ニュートンのリンゴですよね。
要するに全てのものはなぜ落ちるのかって、
普通はそういう問いってやっぱ考えつかないんですよね。
普通は。
あまりにも普通すぎることは問わないですよね。
幼児危険棒のことを覚えてないのは当たり前じゃないですか。
覚えてる人ほとんど誰もいなくて、
三島由紀夫が金だらいが光っているのを
赤ん坊の時に見たのを覚えてるとか言うんだけど、
だいたいこういう飲食臭い話が有名人にはまつわるわけですよ。
ブッダとかは天上天下唯我独尊と言ったとか言うんだけど、
言わないだろそんなことって思うわけですよ。
たとえ私みたいに家が寺だったとしても、
そんな話を頭から信じる人ってどうなんて思っちゃうわけですよ。
思っちゃう私がどうなんなのかもしれませんけれども、
思っちゃうわけですよ。
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僕はそういうところが全然ドラマティックに頭ができてない方なので、
しょうがないんですよね。
もうこれ子供の時に聞いたり、
手塚治虫の物体、手塚治虫は流石に上手いんですよね。
立ち上がったり噛み向かったことはしないで、
ただ赤ん坊が寝ていて指が上向いてるだけで、
それはそういう赤ちゃんいっぱいいますけどっていう感じで、
流石手塚治虫なんですよね。
リアリズムが確保した上で逸話を持ってくるみたいな、
あの辺がやっぱり天才ですよね。
私、手塚治虫の物体を読んだのは多分5歳の時だったと思うんですけど、
ずっと読んでた記憶がありますね。
すっごい驚きました。
なんかこう今思うとあの漫画はですね、
例えば目を焼いて潰すみたいなシーン出てくるし、
古代インドとはいえですね、
子供がずっと読むにはどうなのって感じがある。
私は娘に何かを制限するということはほとんどしなかったんだけど、
例えばエロシーンのある漫画を子供のところに読ませないとかしなかったけど、
それでもこの哲学的に思って深刻になる本はうっすら遠ざけてましたね。
そういうことはしてた。
少なくとも小学校、高学年になる、
もうちょっと後までかな、後までは、
アウシュビッツは読ませないみたいな感じのことはしてました。
どっちかと言うとね、別にエッチなシーンとかどうでもいい人も、
女の子は特にっていう感じを僕は持ってたんだけど、
妻の方針は妻の方針であったでしょうから、
そっちはもう完全に妻任せですけど、
僕はそれだけはあんまり読ませたくないなっていうのはあったんですよね。
とにかくこの世で自分がどうにもできないようなことを子供のうちに背負いまくるのは、
私は好きになれない。
うちは寺だったからそんなのはガンガンそればっかりぐらいな感じだったんだけど、
結果的に僕はただその頃はニヒリスティックになっただけのような気がして仕方がなかったわけですよ。
別に親が何を期待してるのかは分からないではないんだけど、
いや、そんなにどうにかしなきゃいけないと思うなら、
あんたやれよっていう坊主談だし、感じじゃないですか。
ついつい期待したくなるみたいなことって分からないではないんですよ、人間は。
そういう万能空想的なものを子供に投影するってのは分かるんだけど、
どうかなって思うんですよ。
そんなのどうにもなんないじゃないですか、はっきり言って。
私昔小学校3年の時だったと、
なんか今日は脱線するな、小学校3年の時に、
あの、あれですよ、バングラディッシュで植える子供たちと給食の話というのを、
視聴学室のビデオで見てたんだけど、
これが教育的にいいとは到底思えんと、
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小学校3年の時につくづく思った記憶があるんですよね。
せめて小学校6年にやれよ、こういうことはと思うんだけど、
意外とああいうのは早い段階でやっちゃうんですよね。
そしてこう作文を書かせて、
まあ、あの、なんて言うんですかね、期待通りの文章を僕は書くわけですよね。
期待通りのことを書くんだな、俺はと思って、
あんまりそれをやると気分が良くないので、
あの、最初と最後の1行あたりに期待に反するようなことを混ぜ込んでおくわけですよ。
で、なんで今これを思い出したかというと、
その期待に反することを混ぜ込まれることに頼られない先生っていて、
私それが叩かれたほどがあるんですよね、最後の1文が。
あまり良くなかったということでね。
で、殴られるわけですよ、昭和ってそんなもんなんで。
あれは反省しましたね、やっぱり。
まあ、どうでもいい話は続いておりますので、
なんとかしたいんですけど、上田さんのX。
つまりですね、その幼児期見望というものはですね、
思い出そうと思えば思い出せるはずなんだ。
ただし、それはなんていうのかな、
会話すごい動いてると。多分そうだろうなと思うんですよね。
会話すごい動いてるから記憶は生成されているはずなんだが、
でも虐待されていてもいなくても、
ネグレクトされていてもいなくても、
とてもちゃんと育てられていても、
程よい母親的に育てられていても、
みんな忘れてるじゃないですか、0歳の時の記憶って。
で、これは私は絶対不合化ばかりではないって書いてあるんだけど、
不合化重要だと思うんですよ。
言葉の問題は大きいと思うんですね。
もう一つが面白かったのが暗号化というものが行われている。
つまり、2歳児以降に効率化された、
つまり記憶の内容がそもそも生々しく具体的でありすぎる。
したがって容積としてでかすぎる。
それはある意味、ある種の恐らく圧縮がかけられていて、
それはちょっとコンピューターベースっぽいすぎますけど、
その圧縮を解く鍵はどうなってるのかを思い出せてないっていう理屈なんですよね。
でもこの理屈は、
理屈としてはあんまり説得力を感じなかったんですけど、私は。
もっとちゃんと読まないとわかんないんですけどね。
ただ、今読んでいる例のジェニーナ・フィッシャーさんのトラウマと乖離を読んでいて、
この具体的すぎる記憶というものを人は極力扱いたくないようにしているっていうのは、
説得力を感じるわけですね。
例えばトラウマ的でない記憶というものは、そもそも思い出しにくいですよね。
赤ちゃんの生活っていうのは、ある種まともに育っている人ほど、ある意味単調ですし、
いくらちゃんと親が子育てしているとはいえ、
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そんなにずーっと子育てにかまけている場合ではないわけですよ。
忙しい場合だし、親はね。
で、基本的に赤ちゃんの変化っていうのは乏しいから、動きも乏しいし、
やりたがることも繰り返し繰り返し繰り返し全く同じようなことですし、
うちの子見ててよくわかったんですけど、
これは親は子供の相手っていうのは結局のところ飽きるわって思う。
子供ってのは飽きを知らないんだなっていうことを、やっぱり体感してみて思ったことなんですよね。
同じことばっかり繰り返しているんで、
なんかこう、なんていうのかな、これじゃ忘れても当たり前だよなと。
覚えていたところで、なんか積み木を2個積んだ、積み木を2個積んだ、積み木を2個積んだって記憶になっちゃったら、
それは忘れるよねということは、わからなくはない。
だからあれですよ。
昔のことは覚えてても、昨日飲んだ味噌汁の具は忘れるじゃないですかって話と全く同じですよね。
でもですね、でもっていうか、でもじゃないんだけど、
ここからそのコンテナーっていうことを考えたときに、
私やっぱり今ずっと考えているのがネグレクトなんですよね。
なぜなら、これは一番まだ研究が途上にあるような感じがします。どっちかというと。
DSMにもまだはっきりと扱っているのはPTSDであって、
それはほとんどの場合何か衝撃的なことが起きたって話であって、
で、衝撃的なことがしかも幼児期じゃなくて、
記憶しているレベルで起きているということは例えば、
端的に言って東北の震災とかそういうことなんだけど、
そういう経験をしたっていうこととトラウマっていう話になって、
それはベータ要素が未処理のまま残っているってところは、
もう理解に苦しまないじゃないですか。ここまでいろいろな形で明らかにされてくれば。
そしてそれはその問題をライフハックで例えば何とかしようとかってするはずがないと思うんですよね。
タスクシュートでどうにかしようってそもそも思わないと思うんですよ。
震災がありました。その震的外傷があります。
だからタスクシュートしましょうって発想になるはずがないと思うんですよ。
だから私が仕事として捉える半径というのの中に入ってくるものは、
まず時間にまつわる非常に長期に渡る慢性的なストレスが、
つまり長期に渡るストレスに晒されるっていう外傷みたいなものであり、
その中には長期に渡り満たされない思いみたいなものが絡んでくるだろうと思うんですね。
ある意味長期に渡って時間の節約を唱えられている人というのは、
長期に渡って安らげていないという意味で、
ネグレクトっていう問題とやっぱり近しいところにある気がするんですよ。
絶え間なく、例えばさっき言った締切の話はここに繋がるんですが、
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絶え間なく締切に追い立てられている。
なんかそういう人っていらっしゃるじゃないですか。
私の娘の話、友達の話聞いてても、
ずっと嫌になんか厳しく勉強させられている子とか女の子にはいるわけですよ、年上志向とかには。
厳しくって言っても虐待的であるとか罵声を浴びせるとかではないんですよ。
ただ、お目にかかったりするとわかるわけですよね、文化祭とかで親御さんに。
ああ、このお両親、じゃあ大変だわっていうような、きちんとしてるし、
それを虐待とは呼ばない、教育虐待っていうのもどうかと思うんだけど、
でも子供のプレッシャーは並々ならぬものであろうっていうことは想像がつくし、
そのお子さんと会うとああって感じがするぐらい、
例えば声が全く聞き取れないぐらい小さいとかね、そういうことがあったりするわけですよ。
それはこっちが年いってるおっさんだから緊張するってことはあると思うんだけど、
でもそれにしてもまあ違うんじゃないですか、やっぱりお子さんによって。
すごく社交的で女性なくて、本当に女子高生かって、
こっちの方が全然社交性足りなくて恥ずかしいわっていうぐらいの人もいれば、
かの泣くような声でしか喋んない子って、もういらっしゃるわけで。
で、そういう親御さんがものすごいきちっとしている感じがして、
どこかひどく厳しい感じがするっていうことは別に普通にあるわけですよね。
で、この時コンテナーって話が出てくると思うんですよ。
コンテナーに収まりきらない大地震とか爆撃とかそういう話は当然コンテナに収まりきるはずが、
このコンテナに収まりきる、きらないっていうのは、例えばトマトジュース飲むじゃないですか。
トマトジュースは明太嘘ですよね。
つまりトマトジュースが血管に直結入っちゃったらまずいじゃないですか。
全然ダメじゃないですか。
でもトマトジュースが胃の中に入って、この段階では例えば冷たいトマトジュースを飲むと、
そうすると胃の感じとしてあんまり良くないですよね。
これがトラウマにはならないでしょうけど、もしかするとお腹壊す、つまり外症にはなり得る。
つまりベータ要素ですよね。
でもトマトジュースが色としてはさほど変わらない血液になった時は体内に入りますよね。
これがアルファ要素なんだと思うんですよ。
だから胃がやってることはアルファファンクションなんですよ。
つまりこの時私はもちろんトマトジュースと血液を似たものとして今喋ってるわけですけど、
こういう風に体の中に入るギリギリ直前になっていたとしても、
例えばオーリスとかあるじゃないですか、オーリスって言ってもわからないかな。
要するに子供が吐いちゃったり、気持ち悪そうでぐったりしてる時に栄養補給のためのポカリスエットみたいなやつを飲むわけですよね。
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もう限りなく体液に近いけど、でも体液にそれ入れちゃってやっぱりダメですよね。
一旦胃に入れる必要がありますよね。
だから子供の心の中のコンテナってあるはずなんですよ。
いくらお母さんがいい人でちゃんとしていて、アルファ要素に必ず変えてから現実を赤ちゃんに渡しても、
やっぱり赤ちゃんはそれを心にダイレクトに入れるわけにはいかないと思うんですよね。
赤ちゃんはどうしたってここに一旦は心に入れて、
どこまでアルファ要素化されているとしても、やっぱり赤ちゃんから見ればお母さんからの何もであっても優しい言葉であってもおっぱいであってもベータ要素なんですよ。
もう一回これをコンテナに入れる必要があると思うんですよね。
この時にコンテナに入れるもの、赤ちゃんのコンテナに心の中に入れるものってつまり、
自分の発したベータ要素をコンテインされたベータ要素なんだと思うんですよね。
これを赤ちゃんがやっぱり自分のコンテナの中でアルファ要素化していく。
ここが満たされないという思いがケアされてないという気が感になると思うんですね。
その事態が長く続くことが、まあ中毒感は違うって言うかもしれないけど、僕は累積外傷だと思うわけですよ。
これは我々がこの問題を解決するために非常にしばしばライフハックがあっさり利用されていて、
なんなら仕事術がある意味間違った形で活用されまくっているというのが最近私が問題にしているテーマなんですよ。
この話、つまりなんでさっきも言いましたけども、幕撃を受けました。だからタスクシュートを使いますってならないはずなのに、
なんかこうですね、満たされない思いがあります。だからタスクシュートで何とかしたいですっていうのは、なるんですよ。
なんでなのかということを、今ジェニーナさんの本を読んでみたり、さっきの上田さんの能科学のXを読んでみたりして検討中なわけです。
私の場合、一旦こういうのに検討が入ると、もうこれ以外のことは何も考えたくなくなるんで、
これが私のビジネス向きじゃないところなんだろうなと思うんですけど、ほぼこれ以外のことは何も考えてないんですよ、最近。
いつもそうなんです、私は。
いろんな意味でね、多くの人が私に不満をならすのは、なんか言ってることに一貫性がないとか、
よくわからないがうかすなことをやらかすとか、そこが多いとか、いずれもとても妥当だと思います。
つまり私は、今興味を持っていること以外の興味が失われていくんですよ。
全く無視はしないですよ。だからちゃんと、こう、税務署対策みたいな、税務署対策じゃないんだけど、
税金のためのちょうぼづけみたいなことはやってるんだけど、基本的には何の興味も向かわなくなるわけですね。
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まあ、ちょうぼづけみたいなことになっちゃうわけですよ。
あの、だからそういうことのせいでこういうことになるんだけれども、しゃあないなと思ってるわけです。
こう、こんぐらいコミットしないと、私の地頭ではこの種のことは理解できない。多分。
で、この赤ちゃんが空っぽのままのコンテイナーに何かお母さんからの非常にアルファ要素化されたベータ要素が、つまりオーリスですよ。
オーリスを血液に入れるわけでやっぱりいかないんですよ。すぐに血液になるんだとしても、やっぱり胃にいったん入るんですよ。
外部のものは内部のものではないんですよ。体内化されるべきものだとしても、体外にあるものは体外にあるものなんですよ。やっぱり。
これ、自分の血液だったらどうなんだろうねってちょっと、だから直接入れることもできますよね。点滴できますよね。
そういうのは、要するに点滴というのはそういう意味で外界に存在するアルファ要素なんだと思うんですよね。
この言い方通るのかな。そのメタファーですよ。もちろんね。メタファーに決まってますよ。
アルファ要素は絶対に形はないものなんだから、ベータ要素は形のあるものであり得るよね。
で、このように考えていくとですね、しかし今度は赤ちゃんが自分のおっぱいを受け取ったということを改めて赤ちゃんからコンテインしていきますよね。
もうその時にはベータ要素感は全然ないかもしれないけど、でもやっぱり外にあるものは外にあるものですよね。
こうやってアルファ要素化されているものがどんどんどんどん、行ったり来たり行ったり来たりをするというのが、つまりコンテインというのは、継続的な営みなんですよ。
ずっとそうやってある意味継続されていく。眠ったら眠ったで、眠って赤ちゃんが抱っこされているという感覚を赤ちゃんは持っているでしょう。意識は全然してないかもしれないが持っているでしょう。
だからやっぱりそれはコンテインされているということをコンテインするんですよね。この形がずっと続いていかなければ基本的にはいけない。
特にその辺のことを言ったのはウィニコットの方だったと思うんですけどね。まあそれは良いんですよ。とりあえず。
で私が思うのは、そういう幼児期の記憶は大半を意識的には思い出せないが、ずっとそれについて考えていると思い出せなくもない時もある。
転移に限りなく近い話になっていくんですが、例えばですね、かなり嫌な話として、そうだな、このコンテインにされてない思いというものはやっぱりあまりにも長らくこのネグレクト的な気が感に襲われていると、人に伝
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えたくてしょうがなくなるという側面があるんです。
これは私体験済みなんだが。で例えばそれは伝わってくる時もあるんです。非常に苦しいものなので、そもそも苦しくなくても理解するのは難しいんですけど、その人が0歳の、その人その人が0歳1歳の頃に体験したこと
ですからね。
今のように自分が母親にコンテインされたという事実を、現実を、自分はコンテインしていきたいという欲求を赤ちゃんは持っている。これが甘えってことなんだと僕は思うんですけどね。つまり愛されたいという願いで
あるっていう土井武夫さんのやや詩的な、なかなか詩的な定義ですが、この漢字というのがですね、例えばですけどセミナーとかを主催していると、
あのー、出てくるわけですよ。例えばもう締め切りを拡張している、さらにその1時間、なんか狙いせましたよなんだよね。1時間後とかに、いやどうしてもその人のセミナーを聞きたいんで、あのー、持ち込めない
でしょうか今からでも。もちろん申し込ま、申し込んでほしいわけですよ。こっちはいつもカツカツなんでね。なんだが、椅子がないって場所があるわけですよ。
昔ね、あのー、渋谷のね、あのー、なんて言ったっけ、なんとかフラッグってところ、あのー、何しろ渋谷なんで、やっぱ面積がね、あれで、形が奇妙なんですよね。でも結構安くやってくれているから、まあ教室の形が奇
妙にあることはやむを得ないわけで、ルームなんとかとかって、なんか細いルームで、後ろの方に座らされた人が、後々必ずアンケートで文句を書いてくれるという。
しゃーねーだろっていう感じなんだけど、こういう細さなんだからみたいな。でもそういうところって席に余裕はないわけなんですよ。18席なら18席で限界なんで、どうやっても無理なんですよね。
どうしてもって言われても、いやどうしても無理だわっていうことで、どうしても無理ですということを、例えば自分、スタッフの人に、あのー、まあ、因儀丁寧に書いていただくわけですよ。そうすると相手の人がし
ばしば無事切れるわけですよ。
こんなに下手に、ヤサキさんのだからどうしても聞きたいという脚をなんだと思ってるんだみたいな感じで、いやーっていう感じがするじゃないですか。
で、なんかこう、場合によってはですね、こういうことをやられて私は深く傷つきました。この精神的苦痛を、で、あの訴訟を起こしますみたいなメールをいただくわけですよ。で、いやーって思って考え始めるわけです
よね、僕が。
で、忘れていると思っても考え続けていて、こういうのを考え続けるのが心の中のメモリーを食うから無駄だったんだけど、僕は絶対こういうのを考え続けるにあたりするとよく思うんですけど、ずっと考え続けるうちに
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ふとですね、もちろん訴訟とかされることはないんですが、2ヶ月ぐらい経ったときにふと、
いや、わかんないんですよ、もちろん。わかるわけはないんだけど、夢に見たりするんですよ。で、その夢は一見何の関係もないんだけど、その夢を見た後でまたその、まあ非常に理不尽な言いがかりみたいなクレームメ
ールのことを思い出して、あーなるほどなーと思うわけなんですよ。
その人は0歳だか1歳だか2歳だか3歳だか4歳だか5歳だかは知りませんが、心の中に何かこういうものを渇望するものがある。自分のどんな理不尽な要求でも飲んでくれなきゃ困るんだというのを訴えたい理由がある
っていうことがわかることがあるんです。わかる気がすることがあるんです。
3ヶ月ぐらいかかるけど。だから3ヶ月ぐらいの物思いを必要とするってことです。僕ぐらいの能力では。能力かこれ。能力でつい言っちゃうんですけど、なんかこう、心的、なんて言えばいいんだろう。わからないんです
よ。
心的エネルギーとシステムによる心的消化活動みたいな感じなんですよね。それは物思いって言うんだって言われると思うんですけど、まあまあしょうがないですね。とにかく何かを思う。物思いって言うのは物を思うって
言うんだけど、物っていうのは要するにワットだから何かだから何かを思うんですよ。何を思うのかはわからないんですよ。
それはつまりその人が何かこう遭遇してしまったトラウマライクな何かなんだけど、もちろんそれを私は知りませんから、それに類似するものを私の知っている記憶の中から多分心は探っていくんだと思うんですよね。
その作業を物思いというのであってえらい時間がかかるんですよ。なぜなら何をどう探す当てがあるわけじゃないからなんですよね。
ここにさっきの上田さんのXの投稿が出てくるわけですよ。膨大な記憶が残っているが、その記憶内容をデコードですね。デコードする解読する鍵がない。その鍵探しを多分物思いと言うんですよ。
で私自身の体験でこれは比較的悪くない体験なんですけどある時ですねやっぱりこれも何か非常に満たされないという気持ちを抱いたときにあれだだから私はつまり彼女が欲しいと思ってなぜ自分は誰にも特に大学時代
ですね何かスタッフには生理的権保管があるからって何かの居酒屋なんかで言われたのかなまあそれはいいんですがそれから1年ぐらい思い悩んだんですよね。
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で1年ぐらいだと思うんですよね。年末にそういうようなことを言われたらクリスマスとかほらそういうのあるじゃないですか。私がそもそもクリスマスに彼女と手をつなごうと考えること自体がナンセンスなわけですが大
学4年間で1回もそんなこと起きませんでしたから。
でまた年末が来た頃に夢の中でなんですけどあれですよ。ドールズアークの新世界が聞こえてきたんですよ。聞いた気がするんですね。それがレコードだったんですよ。当時すでにCDが前世紀だったんですけどレコードだ
ったんですよ。レコードを新世界を内で聞くということは私が青森県にいたっていう記憶と関係があるんですよね。
ほとんどないんですよ。その記憶。しかもその時は明快に思ったんですけど妹がいないんですね。つまり1歳なんですよ私が。で私の記憶している限りつい先日あのタンマチのカウンセリングで最初最早期の須崎さんの記
憶を聞かせてこれがアセスメントの最初だったんですけどやっぱりこっからやるんじゃんって思ったんですけどね。
記憶に最近はこだわらないのは現代クライニアンみたいなことをある種の本で読んだんだけどあっさりそうじゃないじゃん。いや現代クライニアンじゃないと思うんですけどその人はね。あの2歳の時に妹が生まれた記
憶ですって言ったんですよね。これは2歳としかも6ヶ月ぐらいになるんですよ。妹が生まれるといった。僕は7月生まれで妹は1月生まれですからね。
これでえっとその妹が影も形もないということは2歳かもしれないけどおそらく1歳なんですよね。でうちの両親は教養陣ぶりたがる親と親どもなので新世界とか近世界とか聞いていて教養ぶるなよって思うんだけど。
とにかく家事ですよね家事。家事がレコードで針を落としたところから聞こえてる感じがするということは埼玉の家ではないんですよね。埼玉の家でそんな悠長なことやってる暇は全くなかったんで親の方に。
でしかも妹がいるに決まってるんで埼玉の方は。で妹がですね生まれてしばらくの間やっぱり起こしてしまうと泣くからレコードとか聞かなくなったと思うんですよね。まだの頃は白黒テレビでした。うちにあったのはね。
その時の記憶として2歳か1歳の最後の頃の最早期の記憶より前だから意図的に思い出すことはできないんですけど。
その記憶が蘇ってきたんですよね。その時にふと自分が結局セックスしたい相手はこの生理的嫌悪感を感じる云々の女子大生の子たちとではなく母親なんだなっていうのを思い出したんですよ。
これが私のコンテインに長らくその後もずっとこの飢餓感は続いていくわけだが、飢餓感の手がかりの一つが鍵ですよね。だからレコードする暗号キーみたいなものがようやく手に入ったんですよ。
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そういうことがやっぱり物思いってのはある種のあのあれですよね。昔の砂時計ですよ。Windowsでずっと探してるわけです。何かを。あれが物思いであってこれをするってことしかある意味ないかもと急ぎたく
なるのはありますよ。
急いでもっと早くなんとかなんないのか。わかんない。ペンフィールド博士がやったみたいにダイナモに直接電極とか当てれば出てくるんでしょうけどそういうわけにもいかないじゃないですか。やっぱりちょっとかなり怖
いし。それをやるよりは一生懸命探索していくっていうのがいいんだろうなと。
その時にこのコンテインの中が空である。子供の方のね。コンテインの中にお母さんが物思いにふけてくれて。だから私は新世界の時聴いてた時ですね。針を落としたら父だと思うんです。母はレコードをいじれないと信じ
ている不思議な人だったんで。聞き返り苦手なんですよね。
で、父が針を落とした。でも父に新世界がわかるはずはないんです。父はおよそダメなんで。何しろポッポッポハトポッポが音を外さずには歌えないという人なんで。
あと私のエリーゼのために聞いたときね。私が異動土商法で歌ってたにもかかわらず父がお前そういうのやめろって言うんですよ。びっくりしたんですよ。要するにお前のやってることはインチキでデタラメのはずだと。お
前の能力でそんなことができるはずがない。なぜなら俺でも全くわからないのに。
すごいもう今思い出してもあの時もそうだったんだけど笑いをこらえるのが大変難しい話なんですけど父はあまりにも音感がないので異動土ですら全くその音が土なのかレなのかミなのかが言えないんで子供に言えるはず
がないって確信しきってるんですよね。そういう人に新世界は無理ですよね。
なので私はその時多分何か異常な寂しさを家地の音楽の影響があったと思うんですけど多分母寝てたんだと思うんですよね。いや覚えてないですよ。だからこれは全てが思い込みである可能性を否定できないんだが私は母
に寝ていてほしくはなかったんだと思うんですよ。
これが私の近親相関願望のおそらくかなり早期のものになっていてこのこととクリスマスに手をつなぐ女の子がいないことがそれはつまりトラウマってことなんですけれどもトラウマが刺激されたんです。逆じゃないんです
よね。生理的共感云々というのがトラウマになった云ではないんですよ。
トラウマは間違いなく新世界を聞いているはずの親が2人とも聞いてないという。で私はそれを何らかの形で理解してそれがトラウマだったんですよ。そのトラウマをそれだけじゃないんだけど私の母は結局のところいろ
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んな意味で私に母とのスキンシップを拒絶されスキンシップというのはメタファーですよ。
スキンシップを拒絶するっていう人だったんでそれが私のトラウマになってるわけですよ。それを埋めよう埋めようとして私は女の子に声かけまくるそして拒絶を繰り返す。だからこれ反復なんですけどそういうことがあ
ったわけですよね。