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おはようございます。働く人に送る精神分析チャット【1055回】をお送りします。
はい、9月、9月の18日水曜日、7時38分です。
また暑くなってきました。もう、冒頭、気温の話しかできない。
暑いとあれですよ。あの、まあいいか。あの、飛ばします。
えーと、22日、3連休中日の22日日曜日の14時からですね、
タスクシュート手帳術の回、第4回を開催します。
5回目以降も同じパターンだと思いたいんですけれども、
会場がですね、ちょっと今後少しは考えなければいけないかと思いながらも、
いい会場なんで、あそこでやりたいんですけどね。
14時から16時、渋谷で行います。
で、この会員にはさすがに間に合いませんが、今急ぎ手帳、タスクシュート手帳ベータ版をですね、
作っておりますんで、
作る、作っておりますんで、これができて形が整ってくれば、
いよいよこのタスクシュート手帳というものも、
私はこれは最初は割と大々的に行きたいと思ったんですけど、
大々的に行ければいいんですが、じわじわでもいいかなというふうに少し思うようにはなってきました。
じわじわ広がっていけばいいかなと。
いずれはある程度は、ある種の手帳の一画ぐらいは締められるのではないかと、
コンセプトがありますからね、すごく明快な。
そこは絶対変化させられないだろうなという部分があるんで、
やっぱりつまりそれって代替が効かないってことなんで、
そういう意味では広がっても不思議はないものだろうと思うんですよね。
あとはその現実の手書きでタスクシュートをやるという行為に
マッチするものになっていけるかどうかだと思うんですよ。
最近iOSのですね、17でしたっけ?が出たと思うんですけれども、
あれ見てて今後必ずこの方向にはある程度進むと思うのが、
手書きとデジタルの本当に混在する世界ですよね。
いずれはどうせそうなるんだと思うんですよ、長い目で見れば。
タスク名は手でいきなり書いて、
でも開始終了ボタンなどはデジタルのままでっていうことが
今後明らかに進行していくんでしょうし、
そしたらタスクシュートデジタル上であれ、
それがアナログの手帳であれですね、
形式的には非常に、あるいは私たちのインターフェース的には
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だんだん両方とも似たような方向になっていくんじゃないかと思うんですよ。
やっぱり、書けば書くほど書き込みたくなる部分ってありますから、
それはもうExcel版時代からコメントっていう形に
暗に示されていたと言いますかね、
そういうことがあったと思うんですよ。
2次元のあれは世界だけれども、
やっぱりそこに不意に唐突に3次元的なものをね、
僕は時々コメントに付箋付けるっていう、
あるいはタスク名に付箋付けるっていうのをやっていたことがあったんで、
あれが今要はメモっていうか、
サイドピークからのノートに一応実現したと思うんですが、
そのサイドピークからのメモに今手書きのメモを入れられますね。
この辺から展開していく可能性が高いと思うんですよね。
手帳は最初からそういうものであるわけだけど、
逆に手帳を計算ができないわけですが、
いずれはそういうふうになっていくんではないかなという感じを、
それはだいぶ前からありましたけど、
ようやく一部目に見え始めたと思うんですよ。
計算機手で書くってやつね。
5×3って手で書くと答えが出てくると。
当然そういうのはあって当たり前だと思うんで、
これがタスクシュートにもいずれは反映されていくんだろうというふうに思います。
分かんないし、いずれは生き残ればそうはなると思うんだけど、
あとはもうそういうふうに生き残るかどうかぐらいかなというふうに思いますね。
というわけで手帳術は結構先の夢はあるんで、
今日話す内容にも少し近いところもあるんで、
いろいろご参加いただくと楽しいかなと思います。
合わせてなんですけど、これちょっと告知遅れていて申し訳ないですけど、
10月13日のこれも日曜日に、こちらもハイブリッドではなくてですね、
私が単独でやるリアルに久しぶりにイベントを開催したいと思っています。
ちょっとタイトルがまだまた悩み中なんですけれども、
要は3ヶ月チャレンジ、来月から、次回から3ヶ月セッションとしたいと思っているんですけど、
これのリアル版というものをですね、3ヶ月は無理なんで1日版かなみたいな感じでですね、
やっていけないかというのを模索するための回ということになります。
メインとしては先送りをどうにかするというのをですね、
個々人のセッションに来ていただいた方の先送りを、
その人にあったカスタマイズを私が頭でその場でひねり出して提供させてもらうと。
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そうしなければなぜならないのかというのも併せてお伝えしたいと。
つまり先送りっていうのは一つの現象なんだけど、
この現象が起きるメカニズムからしてですね、
一般会みたいなものは存在しないと。
多くの人がこれである程度先送りをなんとかできるっていうのはあるかもしれないけど、
全員向けっていうのは不可能だっていうふうに、
まあ僕は理解したわけです。
これをすなわちカスタマイズしなければならないんだけれども、
その人その人の先送り事情は異なるのでね。
共通項はほぼ何もないと僕は思うんですね。
共通点というものを一つ言うならば、
それはもう依存症としか引用のないものになってしまって、
そうすると医療行為みたいになっちゃうんですよ。
でも多分そうはしないでしょう。
先送りはまだICD-1011であれ、DSMであれ、
依存症認定なんて多分されてないと思う。
しかしいずれはされると僕は思うんですけどね。
グズの人には訳がある。
ごめんなさい。グズの人には訳があるという、
リンダ・サパティンっていう人の書いたね、
あれラジオのパーソナリティと心理学者が協調で書いているという、
やっぱり先進んでいるところがありますよね、アメリカは。
あれは明らかに先送りというものを、
プロクラスティネーションを依存症扱いにしてますね。
それをDSMの人格障害で割ってみせて、
そこに現れてくる先送りのパターンを、
つまり健常者に近い神経症水準のパーソナリティ障害というものを、
分かりやすく6タイプに分類して、
当時は6タイプぐらいしかなかったんですよ。
その後すぐ9タイプになるんだけど。
そういう脅迫性をだから完璧主義者と呼んでみたり、
不安神経症の人を単に心肺症グズ人間と呼んでみたりしているわけですよ。
あるいはサイコパスっぽい、
今でも反社会性パーソナリティ障害って言いますけど、
反社会性グズ人間、
反抗的グズ人間だね。
だからそういうふうに変えて、
先送りというものを依存症と見立てて、
その治療を心理学者がすると先送りが治るという、
こういうたてつけな本なんですよね。
私はあれは極めて先駆的だと思います。
2000年代ですからね、確かね。
だからこの発想は何ら珍しいものでは、
目新しくは本当はないんだけど、
その後もそういう展開にはならず、
先送りはどちらかというと、
精神疾患という捉え方をする場合には、
発達障害、これも神経性発達障害だったと今思うんですけど、
自閉症スペクトラムかもしれませんけど、
この辺に取り込まれていったというか、
巻き取られていってる感じはありますが、
いずれは私はそうではない方面もきっと出てくるんではないかと。
だから症例水準というのかな、
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症例がすごく幅広くなってしまって、
つまりこれを依存症アプローチから見た場合と、
精神分析的アプローチから見た場合とでは、
同じ現象を異なるポジションに
位置づけなければならないわけですよ。
なんだけどそれをDSMとかICDでは並列的に起きすっていう事情がありまして、
従って膨れ上がっていくんですよね。
今後この展開がどうなるか、
この辺詳しく知りたい人はあれです。
例の山崎孝明さんの青い本とオレンジの本を並べてみると、
なんとなく見えることがある。
もっとはそれを薄い本で理解したければ理解しにくくなるんですけど、
かえって東方海人さんの普通の相談を読むと分かるんだけど、
分からないかもしれません。
これやっぱり事情ってものがあるんで、
事情って書きにくいじゃないですか。
縦前と事情って違うんで、
とちくちと事情っていうのは本音に近いんで、
背景には事情があるんですよ。
複雑な事情ってやつですね。
大人の事情でもいいんだけど、
要するに大人の事情があるわけですよ、多分。
それが我々の目にはあからさまにはならないように当然なっておりますから、
自衛隊と憲法9条みたいなもんでね、
いろいろ事情があるとややこしいことを言っていかなければならないんですが、
ややこしいことを言われるとよく分からなくなってくるのは当然なわけですよ。
そういう分かりにくさがここにはありますね。
そんなこんなで10月13日も開けておいていただいて来ていただけるとうれしいです。
これはもうオンラインやりませんので、
3ヶ月チャレンジの方には出せるところは動画で、
これはもう配布させていただこうと思っているんですけれども、
参加していただくならリアル参加のみにしたいと思っています。
人望帳でやります。
はい。
知らせは以上。
で、その死壁と言いますか、死壁と僕言いたいんですよ。
アディクションとね、依存症と言いたくないんですね。
依存症というのは病状の名称になってしまうんで。
そして私は、死壁って字がアーだからなんだかちょっと驚々しいんですけど、
アディクションっていうのもちょっとね、
むしろ依存症って言った方がまだマイルドに聞こえるんだけど、
でもですね、死壁っていうのは趣味施行ってことだと思うんですよ、
の行き過ぎバージョンみたいな。
この中には、例えば先送りのように、
現在病気と認定されてないものを僕は突っ込んでいきたいと、
むしろそうしないと仕事術の一環として話す意味がなくなってしまいますから。
で、最近も松本利彦さんと横道孫さんの対談。
松本利彦さんという方の言論で話を聞いて大変面白かったので、
これは山崎隆明さんとの対談で聞いてて非常に面白かったんで、
ずっとこの人の本を無料で読める部分は無料で読み、
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今回本を2冊買って読んでるわけですが、
だからこの辺でホットなものがですね、
いわゆる死壁にアディクションに切り替わっていくんですよ。
ただ僕は精神分析とアディクションは密接な関係というか、
ほとんど同一分野に限りなく近い。
現在もちろんアディクションはそれだけではないですけどね、
精神疾患はほぼ全てまずは認知行動療法の領域に入りつつあると、
僕は漠然と感じているわけですけれども、
しかしではなくて、ましてアディクションとなってきますと、
これは精神科医として認知行動療法の基本的にはそっちの分野だと思うんですが、
明らかに私は精神分析的なアプローチからでも行く必要があると、
私はそっち推しの人間ですからね、結局ね、思っているわけです。
なんでかというとこれは非常に単純で、松本さんの本にも書いてあることなんですが、
結局人は、私健康で心身ともにもうバッチリで自分に自信たっぷりでって人は、
別に精神疾患とかアディクションとかにならないわけですよ、簡単に言うとね。
そういう人が接触障害になるとかは非常に考えにくいではないですか、やっぱりどっちかというと。
やっぱり自分に自信がないですとか、自己肯定感低いですとか、発達障害ですとか、あるわけですよ、PTSDですとかね。
だからこそ、何を選ぶかっていうのは全くその人の偶発的な次元とパーソナリティによるんですけども、
何を選ぶにせよですね、何かを徴収する、それも社会適応としてあまり良くないと。
ここを言いたいから私は今のように言い淀むことになるんだけどね。あるわけですよ。
最近BBCのニュースキャスターだか何だか元ニュースキャスターだか何だかが児童ポルの方に引っかかって逮捕されましたよね。
なんか大問題になってますね、イギリスではね。私はでもあれ非常に考えさせられるというかですね、
日本でも単純処置というのが罰則の対象になってますけど、単純処置。
私も娘がいますから、ここを厳しくしたいというのはよくわかります。よくわかるんですよ。
私、埼玉県にいましたし、埼玉県では連続幼女誘拐殺人というですね、非常にもう俺の被害者に親としてなってしまったらとは思いますよ。
自分のね、2、3歳の頃ってやっぱ女の子とかだともう、親にもよると思うんですけれども、可愛くしちゃうじゃないですか。
私なんかには可愛くなんかできないけど、奥さんとかしちゃいますよね。
これは分析的に言うとある程度、そうだな、自己対象を投影していて、自分の良いところを娘に見て、そしてその娘を可愛がるからめちゃくちゃ可愛いわけですよ。
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自己愛的な表現を取るとね。
しかし、まあ普通にしますよ、そういうことはね。で、可愛いですもん、やっぱり自分の子なんてのはね。可愛くしかもするわけですから。
で、時々僕はそれをやってて、いやでも危ないよなっていうのはやっぱ思うわけですよ、どっかで。
他の人の家、他の人から見ればですね、やっぱりこう、どうしたって対象になっちゃいますからね。
無防備っちゃ無防備ですしね。
だから、私はもう程近かったんでね、事件が起きたところから自分の住んでたところから、そこ行ったことあるしぐらいのノリの場所だったんで。
当時しかも私も成人だったわけじゃないんで、もちろん自分だって被害者になり得るわけじゃないですか。
そういうもので考えられれば、考えればですね。
男は加害者になることしか考えない悪い癖がありますが、特にアメリカではすごい警告を受けたんですよ。
いや誰だって被害者になるんだからねっていうね。どんなにマッチョなやつだってなるからねみたいな、そういういかにもアメリカンな脅しを受けたことがありまして。
だから郵便局員だからと言ってたやすく扉開けるなみたいな、そうは言ってもなみたいなのあるじゃないですか。
てかもう言われたのが、相手が警察官だからと言ってむやみに扉開けるなみたいな、そもそも警官銃持ってるしねみたいな、そういうもうむちゃくちゃなことを言うなと思うんだけれども、そんなわけですよ。
ですが、でも単純処置で罰則を与えるってめっちゃ怖くない?っていうのはちょっと思わなくはないです。
だってそれは秘密警察の世界にめちゃくちゃ近いじゃないですか。単純処置ですからね。
単純処置っていうのは定義があるんでしょうけれども、自分で絵を描いてそれを持っててもダメなのかっていう感じじゃないですか。
ていうか自分で絵を描いてそれを持ってることが誰かにバレるってそもそもどうよっていう感じがするんですよね。
この世の中はいろいろ矛盾満ちてはおりますが、こういう矛盾ってやっぱり難しいと思うんですよ。
だって多分ですけれども、まあわかりませんけれどね、単純処置を罰しようっていう人は多分日本の現状を憂いている人が多いと思うんですよ。
弾拳的であるとかね。でも単純処置の性別対象が女子とは限らないんじゃないだろうかっていう、
私BBCのは知りませんけれども、あれ女子だったという確証はどこにもない気が、調べればわかると思うんですけどね。
パッと聞いただけではそれ女子だったかどうかなんてわかんないなってやっぱ思うんですよね。
単純処置というものを取り締まるという話になった時、面白いなとよく思うことがあるんですね。
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結局こう日本の世の中とか文化的風潮を良しとしない人は現政権とかが好きじゃないじゃないですか。
だから現政権が力を持つ方向っていうのを喜ばない方が多いと思うんですよ。
どちらかというと、いわゆるアダルト系のものに厳しい目を向けるという方は、
どっちかというとやっぱり過不調性というものをそれと結びつけて、そっちを厳しく見ると思うんですね。
この時、もっと社会が取り締まるべきだみたいな言い方をするんですが、現実に社会は取り締まらないわけですよ。
社会取り締まったら怖いですよ。ほぼ5人組と密告の世界になっちゃうんで、取り締まるのは政府だってことになるわけですよ、どう考えても。
政府はつまり現政権なわけで、現政権にパワーがエンパワーメントする方向になるじゃないですか。
単純処置を取り締まれる政府っていうのはかなりパワーがあると思うんですよね。
ここには私は明らかにどう考えても両立しないものがあるなと思うんですよね。
結局、この現社会が良くないとすると、良い社会を目指すためにエンパワーメントするべきなのは社会なんだけれども、取り締まるを実施するのは政府なわけですよね。
結局のところ、社会をエンパワーメントすると政府が強くなっちゃうと思うんですよ、この状況の場合。
だから政権を変えろってことになるんだけど、実際には私だって時々変わるのがいいと思うんだけど、実際にはそうは変わらないわけじゃないですか。
好き好んで自分たちの責任は良くないと思うんで、今度の選挙は辞退しますとか、そういうことはしないじゃないですか。
だから結局、社会をエンパワーメントするってことは政府がパワフルになっていって、
単純処置を取り締まれるように現政権がなるっていうのは、私は全然嬉しくはないんですよ。
別に僕はこれの単純処置で取り締まられても、そんなに別に恐ろしいとは感じませんけれども、
単純処置というものは、物は物だけど、つまりそこで内心の自由というものを犯してないというギリギリの線を越えないようにするってことですよね。
これも自分で描いた絵で取り締まれないと思うんですけどね。定義があると思うんで、絶対に。
っていうのが可能になってしまったら、それは内心の自由ではないのかなって感じが。
実際こうだと思うんですよね。リベラルな人ほど、プライバシーを政府に変えられるっていうのに反対すると思うんですよ。
プライバシーに全く抵触せず、単純処置を取り締まるってことは不可能だと私は思うんですよね。
やっぱり誰かが言うから、そんなのバレるわけじゃないですか。
だって私がただパソコンのどこかの、ストレージのどこかの、もしかすると自分のストレージではなくてね、
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もっと慎重なつもりで、全然慎重じゃないんだけど、そんなんじゃ、
クラウド上のサーバーに単純処置しているものが問題であるというのであればですね、
いやもうこれ、どう考えてもプライバシーですよね。
そんなものをパブリックにする人いないじゃないですか。
いるかもしれないけど、普通はしないですよね。
私のようにちょっと老悪的なところのある人間は、そういうのをパブリックにしちゃうかもしれませんが、
それはよっぽどの偏人である意味、普通はめちゃくちゃそれはプライベートにするはずなんですよ。
これを探り当てることができる政府って怖いなっていう風に。
それじゃほとんど、昔のベトナムぐらいじゃないとそこまでできないんじゃないかなっていう感じがするわけですが、
どうなんですかね。だから私BBCのを見て、
いやそれ結局のところ誰かに、あれは多分入手経路からあからさまになったんで、
入手経路の人絶対もらっちゃうんでね、人からそれもらうのはダメだろうと思うんだけど、
自分で描けない人は結局人からもらうことになっちゃいますからね。
でもう一つ思ったんですよね。この話広げるの良くないな。時間がもったいない。
AIに書いてもらうっていうのの単純処置は罰則の対象になるんだろうか。なるのかな。
それもどうかと僕は思うんですけどね。もっともAIはどこに漏れてるかわかったもんじゃないから、
そもそもAIで犯罪的なことをするっていうのは筒抜け感しかないんですけれども、
まあでも詳しくない人はわかんないですよね、そんなことね。
そんなわけで、ものすごくプライバシーに厳しい時代であるにもかかわらず、
めちゃくちゃプライバシーを社会に開け広げにするべきだっていうことになっているっていう、
この不思議な、何ですかね、それを同じような方向から、
もちろん保守派の人たちもその種のものは嫌悪するって人はいっぱいいると思うんで、
単純処置を必ずしも左派が攻撃してるとは思いません。
ただこれって結局、保守派の人だったらプライバシーはどうでもいいと思ってるとは僕は思わないので、
どう考えてもこの流れって謎だなと思うんですよ。
一体全体、みんな自分のプライベートにそこまで自信あるんだろうかっていうね、
この話はちょっとやっぱり、もちろん全部PBCの人の話もそうですが、
刺激だと僕はやっぱ思うんですよ。
そして刺激には2種類あるんですよ。
これは例のあれです。世の中には2通りの人間がいるっていうやつです。
やる気のある人間とない人間だというどうでもいいような分解と同じで、
刺激には2種類あるんですよ。社会に受け入れられる刺激とそうでない刺激があるんですよ。
実にこれは虚しい分類だと思うんですよね。だってそうに決まってるわけですよ。
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すいません。今麦茶飲んだわけですね。
で、こう熱くなってくると、つまりね、脆弱さというものは刺激を生むということです。
私はこう熱くなってくると、人間はですね、やっぱりこの今の温暖化した地球というものに生きるほど熱さには強くないんですね。
そりゃそういうふうに作られてないからね。
だから、刺激的に麦茶飲むんですよ。
これは非常に社会には受けがいいわけです。
いやもう、ミネラル麦茶飲みなさいみたいなノリ、飲みなさい的な勢いがあるわけですよ。
麦茶を買う、それもいいじゃないですか。
で、なんなら夜間で沸かして、麦茶のもうそれはベストなわけですよ。
みんな支持してくれる。支持的な刺激なわけですよ。
何杯飲んでもそうそう、それによってこうね、身体測定して人間ドック行っても、
あ、麦茶飲みすぎっすねーとか言われないわけ。
これあると思いません?
あらゆる刺激について実は我々は監視の目とまでは言わないまでもモニタリングされていて、
これ飲んでる奴がですね、あのもうなんか、
違法すれすれドラッグとかだったらもう一滴でも飲むなみたいなノリなんですよ。
我々は、だからこれはプライバシーの話と関係が深いと思うんだけれども、
どこでプライバシーというものをそんなに強く保っているつもりなのかと、
人間ドック受けろみたいなこと散々言われるわけじゃないですか。
そうすると数字にすぐ現れちゃうわけですよ。
お前何回カフェイン飲んでるとかね。
そういうことが、これがカフェインならまだしもなんだけど、
アルコールとなりニコチンとなると、
処罰の対象とまでは行かないまでも説教の対象には十分なるわけですよね。
我々は何を飲もうと、それが違法性のないものであれば構わないように思うんだけど、
そうはいかないんですよね。
で、先送りですよ。
私たちの書いた本も先送りゼロなんていうタイトルなわけですけど、
一方で矛盾したメッセージを送っているわけですね。
自責するなっていうわけですね。
だからこれはJ松崎さんと見解がわざわざ確認して一致させてあるんで、
これはJさんに確認し、Jさんがそうしましょうっていう、
つまりどっちかしら私は指示に従ってる側なんですけれども、
彼はそういう認識じゃないかもしれないけどね。
要は彼は自責が良くないっていうのに徹底してるから、
先送りはしないと。
しないんだけど、ここに矛盾があるように聞こえると思うんですけど、
したからといって、それは全然悪いことではないというのを両立させていこうっていう、
27:04
マイルドかもしれないけど、イデオロギーがあると思うんですね。
面白いなと思ったのが、最近の松本俊彦さんはほぼ全く同じことを言ってるんですね。
そしてこれはちょっと後で確認がいりますけれども、
ヨーロッパのイギリスだかフィンランドだか、そういう国ではすごい面白い話があって、
違法性のある薬物を使うのは違法なんだけど罰則は設けない。
これは僕は、それをごくマイルドにすると、私たちの先送りゼロの発想と同じだって思うんですね。
つまり、それはやらない方向に向かいたいが、
いや、だからといって悪いということにはならない。
少なくとも責められることはないってことなんですよ。
もっと驚いたのが、これはイギリスなんですけどね。
ホームレスに微量のアルコールを配るっていうやり方が今あるんだそうです。
これはびっくりじゃないですか。
つまり、いくらか飲まないとやってられないよねってことなんですよ。
一滴でも飲むなっていうのが、今まで男酒っていう話であれば男酒ですから、
一滴でも飲むなっていうのがもうそれがいいことなんだってなってたんだけど、
この話さらに面白いのが、高タンパクで栄養のある食べ物を食べるという条件で、
条件を満たして初めて少しのアルコールをもらえるってんですよ。
焚き出しに並ぶような人だからこの条件で絶対飲むじゃないですか。
でもこの話の中で大事なのは健康的になることは必要だ。
だけれども酒をゼロにするというのが現実的でない人は、
少なくとも即座には酒は飲み続けていいよってことになるって話なんですよ。
この方がアルコールのコントロールが効くようになる。
これはですね、私は当然そうなるだろうとは思うんだけれども、
それにしてもこれをそれこそ社会がですね、やるってのは、
結局それも政府がってことに近いと思うんだけれども僕は。
どっちであってもですね、これを社会がやるってのは確かに先進的なんだな、
ヨーロッパってのはそういうところが。
実験好きってところもあると思うんですけどね。
思いますね。やっぱり日本って今のところどう考えてもダメ絶対の世界に生きてるじゃないですか。
禁煙であれ断酒であれ、徹底する方がいいっていう発想は抜けてないですよね。
だから酒送りゼロとかいう本がある程度は売れるんだけど、ゼロが好きよねってことですよね。
ゼロってのは大体関連的なんですよ。
で、現在非常に流行ってますけど、アルコールフリー、オールフリーみたいなやつね。
やっぱりフリーすなじゼロですが、こういう発想ってのはすごく何かを意識させますよね。
30:00
一滴でも飲んだらとか、一滴なんて全然関係ないですよ、はっきり言って。
一滴でも飲んだからって直ちに依存症で抜けられなくなるというのは完全にイリュージョンで。
でもこのイリュージョンですね、最近は流石になくなってるような気がしますけれども、
昔はもう本当ひどくて、私が子供の頃とかは、すぐシャブ漬けとか、とんでもないんですよ。
女の人をさらってきて言うことを聞かせるには、それこそ一滴飲ませりゃいいみたいな。
そういうドラマが平気であって、一滴飲ませると女性は完全に薬物中毒になっちゃうんですけど、
あれ見たら子供ですから、これ一滴でも飲んだらアウトなんだみたいに。
親とか先生もみんなそういうこと言う。口を揃えて言うんで、まるで見てきたかのようにね。
見てきたように嘘をつくわけですけれども、絶対そんなことはありえないってことがわかってるはずなのに、
わかんないのかなむしろ、もしかすると。
一滴なんておかしいじゃないですか。一滴で二度と抜けられなくなるなんて。
そんなこと言ったら、いわゆる依存症のプログラムなんて何一つ何たたないじゃないですか。
飲んでる人は一滴どころじゃないわけですから。
施設の中で飲むみたいな人も、中では飲めないにしても、抜け出して飲むみたいな人はいっぱいいらっしゃるわけですから。
あずまひでおさんの失踪日記に読むとよくわかりますよね。
で、あそこでもやってますよね。先生がどなってましてね。
いきなり入院してきたあずまさん、酒やめるかタバコやめるか、やめますやめます許してくださいってあずまさんが言ってましたけど、
あれがやっぱ良くないわけですよ。
あれは冗談めかして書いてあるけれども、実に屈辱的じゃないですか。
良い大人があれやられるっていうのは、多分年下の先生にね。
まあ年上かもしんないけど、実はそこは関係ないと思うんだけど。
やっぱあれ良くないよねっていうのがようやく言えるようになってきたと思うんですよね。
なんかこうダメ人間みたいな。
あのあれですよ。よく問題になるやつ。
この人だったらいくら責めてもいいよね的なノリになっちゃってるやつですよね。
それ完全に差別なんで。
やっぱりこれが良いわけないんだけど、なんかですね、これをどこまでも広げちゃうんですよ。
だから仕事をできないとなんかこう愚図人間みたいになっちゃうわけですよ。
これって僕はすごいおかしいのはですね。
途中言った通り、社会適応の良いアディクションと良くないアディクションがあるだけの話なのに、
良いアディクションの方に入ってる人間は勝ち誇ったようにね、社会適応が良いもんだから。
だから勉強中毒みたいな子は、要するに良いポジションを取れるわけですね。
勉強中毒とゲーム中毒は私は中毒の対象が違うだけにしか見えないんだけれども、
勉強中毒の子の方はどことも褒められる。
ゲーム中毒の子はもうゲーム全部募集みたいになるわけですよ。
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ゲーム全部募集するぐらいなら教科書全部募集しても変わらないと思うんですよね。
活字中毒とか言いますけれども、あるいは筋トレみたいなものもそうだと思うんですけど、
どっちになってるかは本当にごく微量の差でしかなくても、もしかするとほぼ何の違いもないのかもしれない。
だったら良い方を選べよっていうふうに人は言うのかもしれないんですけど、それは違うんですよ、僕が思うに。
僕はこう思うんですよね。
およそ活字中毒になっている人は活字中毒になっているだけであって、
その人を例えばちょっと転んでカフェイン中毒になるのではないんですよ。
カフェインと活字中毒を併発している人はいっぱいいますが、
これをですね、アルコール依存症にその人できるかっていうと多分僕はできないと思うんですよね。
医師が強いから活字とカフェインに行ってるわけじゃないんですよ。
たまたま活字とカフェインに行ってるだけなんですよ。
その人だったら一時的に、実はアルコール依存にもなれたんだけど活字になりましたじゃないんですよ。
選べないんだと僕は思うんですよね。
選べないくせに選べると思ってるんですよ。
ここに大きな大きなトラップがありまして、選べると思ってると選べるんですよ。
だから社会的な支持って大事なんですね。
だからむしろ私は社会が支持することは足りると思うんですよ。
ここをなかなか僕らは発見できてもいないし、社会もそういうふうに慣れてないから、
ある種のアディクションは自分を恥じちゃうんですよね。
実際にそこに向かって転落した人間みたいな、要するにスティグマをやるもんだから、
ますます自分に対して自責的になって、ここに自責が出てくるわけですよ。
だから私とJさんは、J松崎さんはですね、先送りしても絶対自責をするのはやめようと。
ダメ絶対なのは先送りじゃなくて自責なんですよ。
結局これを言うと、でも私は自責するダメ人間だから自責しますみたいになってしまうんで、
いかにこの話がここのところでもつれやすいかということなわけです。
だからやめた方がいいと思うんですよね。
なんとかやめられないかなと、あれこれ、僕は考えているわけです。
松本さんの方を呼んで、なんかヒントが欲しいわけですよ。
だってもうADHDだとかPTSDだとか、ひどいんですよ話がね。
宗教2世の話にしても、私はあれでも宗教3世なんでね、
うちは全然そうじゃなくて、物分かりが実にいい親だったけど、それでもあの感触はつかめるんですよ。
やっぱり宗教には宗教の共通感があるんですね。
でもうちは全然違ったんで、まあラッキーだったわけです。
つまりそこで出てくるですね、まあひどいんですよ。
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何がひどいって、つまり親ってのは結局子育てしていて、子供を自分の思い通りにしたい。
特に宗教にとことんハマるっていう人はコントロール欲求が強いわけだから、どうしてもその感覚は出る。
でも子供は思い通りなんかできないわけじゃないですか。
で、子供が思い通りにならないと何をするかというと、例えばベルトでムチ打つみたいなことをやるわけですね。
しかもその時これは神様の罰だっていうわけですよ。
よくわかります、その感触は。
うちでそんなことは一回も行われなかったけど、それでも何がそういう時に感覚として残るかっていうのは想像が十分つくし、
多分そう遠くはない想像ができてる気がします。
とにかくそうなると子供はものすごい罪悪感を持つようになりますよね。
もうありえないレベルでもっちゃう。
だって現実に自分は痛い思いをして、しかもそれは神様から来たもんだってことに親が言うんですから、
もう動けないな、それなって思うんですよね。
そういう人がちょっとでもやばいことをしたとか、ちょっとでもまずいことをしたとか、
単純に言うと宿題忘れだとかですよね。
そういう時にアルコールで意識を飛ばさないと無理だみたいに、
その前にもっとやばい形で意識を飛ばすんですよ。
離陣感ってやつですよね。
もう私はこの肉体の中にはいないみたいな。
融体離脱みたいな感じをして、だから叩かれても痛くないみたいになっちゃうわけですよね。
これはその時はいいんだけど、いろんな時にその難しい問題を引き起こすので、
つまりこれを精神疾患と呼ぶんでしょうけれども、
次にこの融体離脱がやばいことを引き起こさないようにするために、
なりそうになったらアルコールを入れるというような格好を使ってアルコール依存というものが始まるんですよ。
だから元々の何かの依存というものがあって、その依存を取り替えてるんですよ。
よりマイルドで。
だって多分、融体離脱とか離陣っていうものを引き起こすぐらいなら、
あるいはふうぐ、いきなりその時の記憶は一切ありませんみたいになるよりは、
アルコールを飲む方がまだ社会適用がいいんですよ。
ある種の精神的な、ある種の独特の操作なんですけども、
操作をしてしまうよりかは、やっぱり物質依存の方がマシなんですよ。
社会の人が見て、意味わかるでしょ。
これが遠くにUFOが現れたから私家に帰りますだと、もうわかんなくなっちゃうじゃないですか、普通の人には。
だからUFOが見え始めたらタバコいっぱい吸うみたいな。
そうするとあなたタバコはやめなさいって、これで社会とはUFOよりはマシな関わり方になるんです。
こうやって切り替えていくというのが、今風なのかわかんないですけど、
たぶん依存症の今の説明の仕方なんですね。
僕、これ完全に仕事に当てはまるなんて思うんですよ。
結局、親に褒められたいというような意識がある中で、
何に依存していったら親に褒められるか。
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親に褒められたいわけですよ、そういう意味ではね。
勉強に依存すれば親に褒められるっていう形を使って、
そのままそれを社会人になったら仕事にシフトするっていうのは、今の流れそっくりなわけですよ。
だから、一応接触障害が挟まりましたみたいなことは十分あり得ると思うんですね。
親は気づかなかったかもしれないけど。
接触障害になって、実は勉強しているときに、
夜な夜なものすごい大量にチョコレート食べてましたみたいな。
急いで歯磨いてましたみたいな。脅迫的ですけどね、ちょっとね。
で、ここからこれまずいなと思って、このチョコレートの部分を今度はメールのやり取りみたいな、
それも上司とのメールのやり取りみたいな。
人間は何にでも刺激ができていくんですよ。
ただこれがですね、自信があるうちは、親が褒めてくれるうちはですね、
刺激の対象が選べる気がする。
で、大事なのは選べる気がしているときは選べるんですよ。
選べない気がすると選べなくなっちゃうんです。
だからコミュニティってことになるんだろうなと思うんですね。
もうそろそろおしまいにしますけど、
同事者コミュニティみたいなものが大事ってのはそういうことなんですよ。
これも私も実際見たこともあるんですけど、
ネズミがヘロインチュードクになるみたいな実験があるんですね。
まあひどい実験ですけどね。
だけどあれはね、早本さんが書いてるんですよ。
鉄格子に閉じ込めるからネズミはヘロインチュードクになるんだと。
で実際仲間とか家族というものの中で生活させると、
一度ヘロインチュードクにしたネズミでも仲間を選ぶと。
つまりヘロインに快楽があろうとなかろうと苦痛がなければ、
ヘロインよりは仲間の方が好きなんだっていう風に説明してるんですね。
これは多分そうなんだろうなって感じがするんですけど、
これ一つとってもですね、
いかにこう僕らの私壁的になってる時の人というものが、
孤独な状態に置かれてるか。
勉強付けになってる子供って結局孤独じゃないですか、すごく。
他の子はそんなに勉強しないわけですし、
結局勉強って一人でしなきゃならないんで。
だからその私壁が何になっていくかっていうのは、
よほど強い周囲の支持みたいなものがあって、
ようやく成立している何かなんですよ。
だけれども、これすらも私壁にはなっていくんで、
だから仕事中毒とかいうのはもちろん成立すると思うんですね。
タイプAみたいな話ですよね。
この話、どこに精神分析があるかというとですね、
精神分析の対象関係なのかな、
でも精神分析の説明の中では結局、
これは一時過程の乱用なんですよ。
快不快原則なんですね。
不快な時に私壁に行くわけです。
決して快のために私壁に行ってるわけじゃないんですよ。
ここも間違ってはいけないんですよ。
42:02
だからある種の人は、僕は十分に想像がつくんですけど、
ある種の人がストレスをためそうになったら、
例えば家庭内不和とかで奥さんと喧嘩になりそうになったり、
お金ないなと思ったら仕事に向かうというのは、
全然不思議なことじゃないですよ。
ある種のお金儲けが上手い人はみんなこれやってます。
この方がはるかに楽になれますから。
つまり、私自身が覚えがあるんだけど、
苦しくなったらタスクシュートを見るっていうのは、
こういうことなんですよ。
苦しくなったらツイッターなんか見てても、
僕の苦しみは取れなかったんで、取れないんだけど、
地壁ってのはそういうもんなんです。
嫌になってきたらタバコを吸う。
嫌になってきたら酒を飲む。
嫌になってきたらタスクシュートを見る。
で、3番目は社会的な支持が強くあるんですよ。
みんな褒めてくれる。
なんなら本まで書かせてくれる。
そうするとますますのめり込めるってことが起こるってことなんですよ。
これは別になんでもいいんです。
英語でもタスクシュートである必要は全然ない。
英語でもなんでもいいんです。
ただ、この物質的な地壁に向かっている人は、
人間関係を苦手としているから孤立しやすい。
でなければそもそも人間は人間に行くんで、
人間に行けないから物に行くんです。
物は自由になりますから。タスクシュートは僕の自由になる。
iPhoneに向かうとか、高いガジェットに向かうとか、
ショッピングに向かうとか、
全部同じだっていうのが最近の説明なんですよね。
全部が全部ICDとかMSDに書いてあるわけじゃないですけれども、
それでも間違いなくこういうことが全部同じだったっていう。
ただ、物質の場合は体に直接の影響を強く与えやすいし、
社会的にパージされやすいんで、
一層ハマりやすいストレスが増えるんで、結果としては。
で、上手いこといくと仕事とか勉強とか英語とか、
それこそタスク管理とかの場合には、
それによって社会的な支持が得られるので、
自分に自信がつきやすいので、
ストレスは減る方向に向かうので、
選択の余地が広がりやすいというメリットはあるんです。
だったらば、どんなことでも社会的な支持が受けた方がいいんですよ。
少なくとも社会的にそれを攻め立てるのはやめるっていうことができれば、
一番手っ取り前ですよ。
この場合、社会的っていうのは周りの人って意味ですから、結局は。
周りの人さえこれを支持してくれれば、
だから当事者コミュニティなんだなって感じがするんですよ。
アルコール、全米アルコール協会みたいなやつね。
ああいうものは別にAAである必要は全然ないんです。
当事者の会であれば多分何でもいいんです。
私は今ならよくわかる気がするんですけど、
アトピー友の会みたいなのに入っておけば、
多分私のアトピーは間違いなく相当改善したような気がするんですよ。
これは当時完全に僕が孤立してたってわけではないですよ。
もちろん家族もいたし、結婚生活も送ってたわけですから。
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ただ他の人は、家族もそうだけど、アトピーじゃないからね。
孤立ってのは基本的には情緒的な問題であって、
周りに人がいるかいないかだけが孤立の指標になるわけではありませんので、
やっぱりこう、自分の気持ちが理解される人、だから当事者なんですよ。
アトピーの人間はアトピーの人間はわかっているっていうのがわかるから、
だからコミュニティとしての機能を果たすんですね。
そうすると、つまり安定はいいんですかね。
まず孤立はしないと。
ストレスはその分減る。自動的に減るんですよ。
大事なのは、これはストレスというものから逃れるために自分は何かを作り出しているんだ。
例えば病気を作り出すとか、
カフェインを飲みたいという気持ちを作り出すとか、
そういうことを無意識がやっている。
これを果たすことができるから、カフェインでストレスが飛ぶんですよ。
飛んだ気がするんですね。
あとはもう実生活の中の話ですよね。
そこを踏まえることができるようになりさえすれば、
何でも多分刺激対象になるし、
ある意味何であってもいいということは、
それでなくてもいいということになるわけですから。
ここが難しいんですけれども、
選択できるぐらい社会的、あるいは自分自身での状態に対する指示というのかな。
現実工程ですよね。
結局はこれはあるがまま受け入れるって話になってしまうんですけどね。
そういうことができるようになれば、
それから逃れることもできるようになるという不思議なカラクリなんですよね。
不思議に聞こえるかもしれないカラクリと思いますね。
依存先を変えるっていうことが最終目標にある程度なるのかな。
依存先をなくすってことは全くないという感じがします。
私自身も未だに性刺激依存ですね。
これセックス依存とは違うんですよ、また。
性刺激依存なんですよ。
これは乗ってないと思うんですよね、まだね。
でもそのうち乗るだろうなとは思っています。
治療する気はないですけれども、
つまりこれもまた精神分析的に言うところの一時過程の乱用なんですよ。
快不快原則の乱用なんですね。
だから現実原則が耐えがたいと思ったら、
一時過程の世界を使って、
自分は正気を保ったままなんだけど、
一時的になるべく自分をある種の狂気に近づける。
だってそうですよね、VRゴーグルって何なのか。
現実検討能力を飛ばすんですよね、あれによってね。
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現実検討能力というものがなくなってくれないと、
なくなると困るんだけど、半分ぐらいは失わないとですね、
現実の嫌なところというものを回避できなくなってしまうって。
現実の嫌なところというのは、
それこそ倉園圭三さんのGood Vibesじゃないですけど、
イリュージョンなんですよ。
ここもまた多くの人がこれだけを聞くと腹を立てるでしょうから、
今日は深入りしませんけど本当に。
イリュージョンかどうかはでも関係ないんですよ。
神的現実って言葉はとてもいい言葉なんです。
現実ではあるんです。
我々は神的現実しかある意味知らないわけですから。
本当の現実っていうのは想像めにかかることはないものなのですから、
必ず私たちは現実に対して神的なものをそこに加えてしまうので、
現実は神的現実なんですよ。
神的現実はイリュージョンに決まってるんですけれども、
私には母親はいるけれども、
母親はそんなに若くも美人でもないですから、
そもそも若くない。
私より若い母親がいるってことはもうまさに神的現実なんですよ。
でもいるような気がしてくれないと、
一時家庭というものは成り立たなくなる。
神的現実は成り立たなくなる。
基本不快から始まってますからね。
不快を飛ばしたくてアルコールなり、
ニコチンなり、
場合によってはヘロインなり、
アダルトなり、漫画なり、
ショッピングなり、
ゲームなり、
仕事なり、
タスク管理、
ライフハック、
iPhoneの16とか、何でもいいんです。
本当に何でもいいんですよ。
だってドーパミン出るんですからね。