今回本を2冊買って読んでるわけですが、
だからこの辺でホットなものがですね、
いわゆる死壁にアディクションに切り替わっていくんですよ。
ただ僕は精神分析とアディクションは密接な関係というか、
ほとんど同一分野に限りなく近い。
現在もちろんアディクションはそれだけではないですけどね、
精神疾患はほぼ全てまずは認知行動療法の領域に入りつつあると、
僕は漠然と感じているわけですけれども、
しかしではなくて、ましてアディクションとなってきますと、
これは精神科医として認知行動療法の基本的にはそっちの分野だと思うんですが、
明らかに私は精神分析的なアプローチからでも行く必要があると、
私はそっち推しの人間ですからね、結局ね、思っているわけです。
なんでかというとこれは非常に単純で、松本さんの本にも書いてあることなんですが、
結局人は、私健康で心身ともにもうバッチリで自分に自信たっぷりでって人は、
別に精神疾患とかアディクションとかにならないわけですよ、簡単に言うとね。
そういう人が接触障害になるとかは非常に考えにくいではないですか、やっぱりどっちかというと。
やっぱり自分に自信がないですとか、自己肯定感低いですとか、発達障害ですとか、あるわけですよ、PTSDですとかね。
だからこそ、何を選ぶかっていうのは全くその人の偶発的な次元とパーソナリティによるんですけども、
何を選ぶにせよですね、何かを徴収する、それも社会適応としてあまり良くないと。
ここを言いたいから私は今のように言い淀むことになるんだけどね。あるわけですよ。
最近BBCのニュースキャスターだか何だか元ニュースキャスターだか何だかが児童ポルの方に引っかかって逮捕されましたよね。
なんか大問題になってますね、イギリスではね。私はでもあれ非常に考えさせられるというかですね、
日本でも単純処置というのが罰則の対象になってますけど、単純処置。
私も娘がいますから、ここを厳しくしたいというのはよくわかります。よくわかるんですよ。
私、埼玉県にいましたし、埼玉県では連続幼女誘拐殺人というですね、非常にもう俺の被害者に親としてなってしまったらとは思いますよ。
自分のね、2、3歳の頃ってやっぱ女の子とかだともう、親にもよると思うんですけれども、可愛くしちゃうじゃないですか。
私なんかには可愛くなんかできないけど、奥さんとかしちゃいますよね。
これは分析的に言うとある程度、そうだな、自己対象を投影していて、自分の良いところを娘に見て、そしてその娘を可愛がるからめちゃくちゃ可愛いわけですよ。
結局こう日本の世の中とか文化的風潮を良しとしない人は現政権とかが好きじゃないじゃないですか。
だから現政権が力を持つ方向っていうのを喜ばない方が多いと思うんですよ。
どちらかというと、いわゆるアダルト系のものに厳しい目を向けるという方は、
どっちかというとやっぱり過不調性というものをそれと結びつけて、そっちを厳しく見ると思うんですね。
この時、もっと社会が取り締まるべきだみたいな言い方をするんですが、現実に社会は取り締まらないわけですよ。
社会取り締まったら怖いですよ。ほぼ5人組と密告の世界になっちゃうんで、取り締まるのは政府だってことになるわけですよ、どう考えても。
政府はつまり現政権なわけで、現政権にパワーがエンパワーメントする方向になるじゃないですか。
単純処置を取り締まれる政府っていうのはかなりパワーがあると思うんですよね。
ここには私は明らかにどう考えても両立しないものがあるなと思うんですよね。
結局、この現社会が良くないとすると、良い社会を目指すためにエンパワーメントするべきなのは社会なんだけれども、取り締まるを実施するのは政府なわけですよね。
結局のところ、社会をエンパワーメントすると政府が強くなっちゃうと思うんですよ、この状況の場合。
だから政権を変えろってことになるんだけど、実際には私だって時々変わるのがいいと思うんだけど、実際にはそうは変わらないわけじゃないですか。
好き好んで自分たちの責任は良くないと思うんで、今度の選挙は辞退しますとか、そういうことはしないじゃないですか。
だから結局、社会をエンパワーメントするってことは政府がパワフルになっていって、
単純処置を取り締まれるように現政権がなるっていうのは、私は全然嬉しくはないんですよ。
別に僕はこれの単純処置で取り締まられても、そんなに別に恐ろしいとは感じませんけれども、
単純処置というものは、物は物だけど、つまりそこで内心の自由というものを犯してないというギリギリの線を越えないようにするってことですよね。
これも自分で描いた絵で取り締まれないと思うんですけどね。定義があると思うんで、絶対に。
っていうのが可能になってしまったら、それは内心の自由ではないのかなって感じが。
実際こうだと思うんですよね。リベラルな人ほど、プライバシーを政府に変えられるっていうのに反対すると思うんですよ。
プライバシーに全く抵触せず、単純処置を取り締まるってことは不可能だと私は思うんですよね。
やっぱり誰かが言うから、そんなのバレるわけじゃないですか。
だって私がただパソコンのどこかの、ストレージのどこかの、もしかすると自分のストレージではなくてね、
もっと慎重なつもりで、全然慎重じゃないんだけど、そんなんじゃ、
クラウド上のサーバーに単純処置しているものが問題であるというのであればですね、
いやもうこれ、どう考えてもプライバシーですよね。
そんなものをパブリックにする人いないじゃないですか。
いるかもしれないけど、普通はしないですよね。
私のようにちょっと老悪的なところのある人間は、そういうのをパブリックにしちゃうかもしれませんが、
それはよっぽどの偏人である意味、普通はめちゃくちゃそれはプライベートにするはずなんですよ。
これを探り当てることができる政府って怖いなっていう風に。
それじゃほとんど、昔のベトナムぐらいじゃないとそこまでできないんじゃないかなっていう感じがするわけですが、
どうなんですかね。だから私BBCのを見て、
いやそれ結局のところ誰かに、あれは多分入手経路からあからさまになったんで、
入手経路の人絶対もらっちゃうんでね、人からそれもらうのはダメだろうと思うんだけど、
自分で描けない人は結局人からもらうことになっちゃいますからね。
でもう一つ思ったんですよね。この話広げるの良くないな。時間がもったいない。
AIに書いてもらうっていうのの単純処置は罰則の対象になるんだろうか。なるのかな。
それもどうかと僕は思うんですけどね。もっともAIはどこに漏れてるかわかったもんじゃないから、
そもそもAIで犯罪的なことをするっていうのは筒抜け感しかないんですけれども、
まあでも詳しくない人はわかんないですよね、そんなことね。
そんなわけで、ものすごくプライバシーに厳しい時代であるにもかかわらず、
めちゃくちゃプライバシーを社会に開け広げにするべきだっていうことになっているっていう、
この不思議な、何ですかね、それを同じような方向から、
もちろん保守派の人たちもその種のものは嫌悪するって人はいっぱいいると思うんで、
単純処置を必ずしも左派が攻撃してるとは思いません。
ただこれって結局、保守派の人だったらプライバシーはどうでもいいと思ってるとは僕は思わないので、
どう考えてもこの流れって謎だなと思うんですよ。
一体全体、みんな自分のプライベートにそこまで自信あるんだろうかっていうね、
この話はちょっとやっぱり、もちろん全部PBCの人の話もそうですが、
刺激だと僕はやっぱ思うんですよ。
そして刺激には2種類あるんですよ。
これは例のあれです。世の中には2通りの人間がいるっていうやつです。
やる気のある人間とない人間だというどうでもいいような分解と同じで、
刺激には2種類あるんですよ。社会に受け入れられる刺激とそうでない刺激があるんですよ。
実にこれは虚しい分類だと思うんですよね。だってそうに決まってるわけですよ。
マイルドかもしれないけど、イデオロギーがあると思うんですね。
面白いなと思ったのが、最近の松本俊彦さんはほぼ全く同じことを言ってるんですね。
そしてこれはちょっと後で確認がいりますけれども、
ヨーロッパのイギリスだかフィンランドだか、そういう国ではすごい面白い話があって、
違法性のある薬物を使うのは違法なんだけど罰則は設けない。
これは僕は、それをごくマイルドにすると、私たちの先送りゼロの発想と同じだって思うんですね。
つまり、それはやらない方向に向かいたいが、
いや、だからといって悪いということにはならない。
少なくとも責められることはないってことなんですよ。
もっと驚いたのが、これはイギリスなんですけどね。
ホームレスに微量のアルコールを配るっていうやり方が今あるんだそうです。
これはびっくりじゃないですか。
つまり、いくらか飲まないとやってられないよねってことなんですよ。
一滴でも飲むなっていうのが、今まで男酒っていう話であれば男酒ですから、
一滴でも飲むなっていうのがもうそれがいいことなんだってなってたんだけど、
この話さらに面白いのが、高タンパクで栄養のある食べ物を食べるという条件で、
条件を満たして初めて少しのアルコールをもらえるってんですよ。
焚き出しに並ぶような人だからこの条件で絶対飲むじゃないですか。
でもこの話の中で大事なのは健康的になることは必要だ。
だけれども酒をゼロにするというのが現実的でない人は、
少なくとも即座には酒は飲み続けていいよってことになるって話なんですよ。
この方がアルコールのコントロールが効くようになる。
これはですね、私は当然そうなるだろうとは思うんだけれども、
それにしてもこれをそれこそ社会がですね、やるってのは、
結局それも政府がってことに近いと思うんだけれども僕は。
どっちであってもですね、これを社会がやるってのは確かに先進的なんだな、
ヨーロッパってのはそういうところが。
実験好きってところもあると思うんですけどね。
思いますね。やっぱり日本って今のところどう考えてもダメ絶対の世界に生きてるじゃないですか。
禁煙であれ断酒であれ、徹底する方がいいっていう発想は抜けてないですよね。
だから酒送りゼロとかいう本がある程度は売れるんだけど、ゼロが好きよねってことですよね。
ゼロってのは大体関連的なんですよ。
で、現在非常に流行ってますけど、アルコールフリー、オールフリーみたいなやつね。
やっぱりフリーすなじゼロですが、こういう発想ってのはすごく何かを意識させますよね。
一滴でも飲んだらとか、一滴なんて全然関係ないですよ、はっきり言って。
一滴でも飲んだからって直ちに依存症で抜けられなくなるというのは完全にイリュージョンで。
でもこのイリュージョンですね、最近は流石になくなってるような気がしますけれども、
昔はもう本当ひどくて、私が子供の頃とかは、すぐシャブ漬けとか、とんでもないんですよ。
女の人をさらってきて言うことを聞かせるには、それこそ一滴飲ませりゃいいみたいな。
そういうドラマが平気であって、一滴飲ませると女性は完全に薬物中毒になっちゃうんですけど、
あれ見たら子供ですから、これ一滴でも飲んだらアウトなんだみたいに。
親とか先生もみんなそういうこと言う。口を揃えて言うんで、まるで見てきたかのようにね。
見てきたように嘘をつくわけですけれども、絶対そんなことはありえないってことがわかってるはずなのに、
わかんないのかなむしろ、もしかすると。
一滴なんておかしいじゃないですか。一滴で二度と抜けられなくなるなんて。
そんなこと言ったら、いわゆる依存症のプログラムなんて何一つ何たたないじゃないですか。
飲んでる人は一滴どころじゃないわけですから。
施設の中で飲むみたいな人も、中では飲めないにしても、抜け出して飲むみたいな人はいっぱいいらっしゃるわけですから。
あずまひでおさんの失踪日記に読むとよくわかりますよね。
で、あそこでもやってますよね。先生がどなってましてね。
いきなり入院してきたあずまさん、酒やめるかタバコやめるか、やめますやめます許してくださいってあずまさんが言ってましたけど、
あれがやっぱ良くないわけですよ。
あれは冗談めかして書いてあるけれども、実に屈辱的じゃないですか。
良い大人があれやられるっていうのは、多分年下の先生にね。
まあ年上かもしんないけど、実はそこは関係ないと思うんだけど。
やっぱあれ良くないよねっていうのがようやく言えるようになってきたと思うんですよね。
なんかこうダメ人間みたいな。
あのあれですよ。よく問題になるやつ。
この人だったらいくら責めてもいいよね的なノリになっちゃってるやつですよね。
それ完全に差別なんで。
やっぱりこれが良いわけないんだけど、なんかですね、これをどこまでも広げちゃうんですよ。
だから仕事をできないとなんかこう愚図人間みたいになっちゃうわけですよ。
これって僕はすごいおかしいのはですね。
途中言った通り、社会適応の良いアディクションと良くないアディクションがあるだけの話なのに、
良いアディクションの方に入ってる人間は勝ち誇ったようにね、社会適応が良いもんだから。
だから勉強中毒みたいな子は、要するに良いポジションを取れるわけですね。
勉強中毒とゲーム中毒は私は中毒の対象が違うだけにしか見えないんだけれども、
勉強中毒の子の方はどことも褒められる。
ゲーム中毒の子はもうゲーム全部募集みたいになるわけですよ。
ゲーム全部募集するぐらいなら教科書全部募集しても変わらないと思うんですよね。
活字中毒とか言いますけれども、あるいは筋トレみたいなものもそうだと思うんですけど、
どっちになってるかは本当にごく微量の差でしかなくても、もしかするとほぼ何の違いもないのかもしれない。
だったら良い方を選べよっていうふうに人は言うのかもしれないんですけど、それは違うんですよ、僕が思うに。
僕はこう思うんですよね。
およそ活字中毒になっている人は活字中毒になっているだけであって、
その人を例えばちょっと転んでカフェイン中毒になるのではないんですよ。
カフェインと活字中毒を併発している人はいっぱいいますが、
これをですね、アルコール依存症にその人できるかっていうと多分僕はできないと思うんですよね。
医師が強いから活字とカフェインに行ってるわけじゃないんですよ。
たまたま活字とカフェインに行ってるだけなんですよ。
その人だったら一時的に、実はアルコール依存にもなれたんだけど活字になりましたじゃないんですよ。
選べないんだと僕は思うんですよね。
選べないくせに選べると思ってるんですよ。
ここに大きな大きなトラップがありまして、選べると思ってると選べるんですよ。
だから社会的な支持って大事なんですね。
だからむしろ私は社会が支持することは足りると思うんですよ。
ここをなかなか僕らは発見できてもいないし、社会もそういうふうに慣れてないから、
ある種のアディクションは自分を恥じちゃうんですよね。
実際にそこに向かって転落した人間みたいな、要するにスティグマをやるもんだから、
ますます自分に対して自責的になって、ここに自責が出てくるわけですよ。
だから私とJさんは、J松崎さんはですね、先送りしても絶対自責をするのはやめようと。
ダメ絶対なのは先送りじゃなくて自責なんですよ。
結局これを言うと、でも私は自責するダメ人間だから自責しますみたいになってしまうんで、
いかにこの話がここのところでもつれやすいかということなわけです。
だからやめた方がいいと思うんですよね。
なんとかやめられないかなと、あれこれ、僕は考えているわけです。
松本さんの方を呼んで、なんかヒントが欲しいわけですよ。
だってもうADHDだとかPTSDだとか、ひどいんですよ話がね。
宗教2世の話にしても、私はあれでも宗教3世なんでね、
うちは全然そうじゃなくて、物分かりが実にいい親だったけど、それでもあの感触はつかめるんですよ。
やっぱり宗教には宗教の共通感があるんですね。
でもうちは全然違ったんで、まあラッキーだったわけです。
つまりそこで出てくるですね、まあひどいんですよ。
何がひどいって、つまり親ってのは結局子育てしていて、子供を自分の思い通りにしたい。
特に宗教にとことんハマるっていう人はコントロール欲求が強いわけだから、どうしてもその感覚は出る。
でも子供は思い通りなんかできないわけじゃないですか。
で、子供が思い通りにならないと何をするかというと、例えばベルトでムチ打つみたいなことをやるわけですね。
しかもその時これは神様の罰だっていうわけですよ。
よくわかります、その感触は。
うちでそんなことは一回も行われなかったけど、それでも何がそういう時に感覚として残るかっていうのは想像が十分つくし、
多分そう遠くはない想像ができてる気がします。
とにかくそうなると子供はものすごい罪悪感を持つようになりますよね。
もうありえないレベルでもっちゃう。
だって現実に自分は痛い思いをして、しかもそれは神様から来たもんだってことに親が言うんですから、
もう動けないな、それなって思うんですよね。
そういう人がちょっとでもやばいことをしたとか、ちょっとでもまずいことをしたとか、
単純に言うと宿題忘れだとかですよね。
そういう時にアルコールで意識を飛ばさないと無理だみたいに、
その前にもっとやばい形で意識を飛ばすんですよ。
離陣感ってやつですよね。
もう私はこの肉体の中にはいないみたいな。
融体離脱みたいな感じをして、だから叩かれても痛くないみたいになっちゃうわけですよね。
これはその時はいいんだけど、いろんな時にその難しい問題を引き起こすので、
つまりこれを精神疾患と呼ぶんでしょうけれども、
次にこの融体離脱がやばいことを引き起こさないようにするために、
なりそうになったらアルコールを入れるというような格好を使ってアルコール依存というものが始まるんですよ。
だから元々の何かの依存というものがあって、その依存を取り替えてるんですよ。
よりマイルドで。
だって多分、融体離脱とか離陣っていうものを引き起こすぐらいなら、
あるいはふうぐ、いきなりその時の記憶は一切ありませんみたいになるよりは、
アルコールを飲む方がまだ社会適用がいいんですよ。
ある種の精神的な、ある種の独特の操作なんですけども、
操作をしてしまうよりかは、やっぱり物質依存の方がマシなんですよ。
社会の人が見て、意味わかるでしょ。
これが遠くにUFOが現れたから私家に帰りますだと、もうわかんなくなっちゃうじゃないですか、普通の人には。
だからUFOが見え始めたらタバコいっぱい吸うみたいな。
そうするとあなたタバコはやめなさいって、これで社会とはUFOよりはマシな関わり方になるんです。
こうやって切り替えていくというのが、今風なのかわかんないですけど、
たぶん依存症の今の説明の仕方なんですね。
僕、これ完全に仕事に当てはまるなんて思うんですよ。
結局、親に褒められたいというような意識がある中で、
何に依存していったら親に褒められるか。