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タスクシュートが心を落ち着かせる【1410】
2026-10-26 47:39

タスクシュートが心を落ち着かせる【1410】

イマココには現実の肯定が必ずある。
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サマリー

今回は、腰痛と失神をきっかけに、身体化やトラウマの身体的記憶について考え、ジェニーナ・フィッシャーの本を読みながら「本は尋ね人のようなものだ」と語ります。戦国時代の腹の探り合いを題材に、現代では鬱陶しがられることを恐れすぎず、突撃型の性質を生かせるという自身の考えも述べます。タスクシュートについては、時間にまつわる不安やトラウマ、乖離的な情緒をマイルドに調整する道具として捉え、年末ごろにセミナーで詳しく話したいとしています。現在のタスクを開始し、次の予定を並べることで「今ここ」の文脈が整い、不安の色がついた記憶が別の意味に置き直され、安心感が生まれるという説明です。

身体化と本を通じた尋ね人
おはようございます。 佐々木正悟の自由連想、第1410回をお送りします。
えーっと、今日って何日?10月の16…26日か。 月曜日、朝7時30分です。
先週盛大にお休みしてたわけですが、 あの…
腰痛と、ちょっと失神が出たんですよね。 実は、この腰痛と失神って、私、多分これ年齢のせいで、ほぼ同時に出ちゃったんですけど、今回。
タイムラグがあるんですよ。 で、絶対同じ場所に出る。腰痛がピークに達した時に、失神が出る時の失神の場所は決まってるんですよ。
数箇所なんですけど、全部同じところが絶対に出るわけじゃないんだけど、ここのうちの、あの、例えば5箇所のうちの3点が確実に出る。
これ、身体化というべきなんだと思うんですけれども、身体の記憶と身体化、要するにトラウマの身体的記憶と身体化はどう関係があるのかないのかっていうのをちょっと、
今、私は先日から言っております、ジェニーナ・フィッシャーさんの本でやってるわけです。
ジェニーナ・フィッシャーさんと言えばですね、たぶんバンデル・コークっていう人がいたと思うんですけど、バンデ・ハートって人もいるんですよね。
あの本の中でですね、すごい博覧狂気感を出してるんだけど、よく読んでると、割とここという時に出てくる陰陽の人は決まってるんですよ。
で、次にこの陰陽の人のところを渡っていくのが大体僕の本の辿り方なんですけど、
私そうそう、読書家っていう風にいう話をよく聞くんだけど、本はですね、どっちかというと、
尋ね人みたいな感じがするんですよ。
あの山崎孝明さんの本読んだ時、私急速、あっという間に山崎さんに連絡したんですけど、
尋ねるということ、できれば私は松木さんとか藤山さんも尋ねたいんだが、尋ねにくい。
結局、なんかね、やっぱりね、本書いてる人にはある種の尋ねにくさがあって、山崎さんは尋ねられる感を醸し出してたんですよ、本の中で。
これはもうね、感覚なんだとある意味、まあでもある程度本の書きっぷりで、なんとなくはイメージができるんですけどね。
でも私はほら、よく突撃するって言われますように、なんかあっさり霞ヶ谷さんとかにも突撃しちゃうし、
まあ少なからぬ人が、うっとうしいところあるんですよ、こういう人間って。
でも、なるべく先方に害を与えないようにすれば、少々うっとうしいのは、歓迎されるとよく思うんですよね。
私自身の感覚がそうなんですよ。
うっとうしくないかと言われると難しいんですよ。
なぜなら結局、何が目的だかはわかんないからね、究極的には。
戦国時代の腹の探り合いと突撃型の生き方
最近あのですね、全然関係ないような感じなんですけど、あの人の名前も全然よく覚えてないんですよ。
宮下っていう人が、宮下なんとかさん。
漫画家で、戦国とか、戦国権兵とか、大乱関ヶ原とか、そういうものを描いてる人。
三十年戦争も描いてたと思うんだけど。
まあ、売れてる人はみんな今そうですけど、絵が大変個性的ですね。
で、読んでて、結局戦国時代とかって、あれは万人の万人による闘争の時代だから、腹の探り合いになっちゃうじゃないですか。決定打がないですよね。
そういうところが、秀吉って人はすごいんだろうけど、とにかく腹の探り合いというのを、いかにしないかだなってよく思うんですけど。
戦国時代のものって、私は両太郎さんとかよく読んでたわけですが、要するに暇つぶしなんだけど。
ああいうのを読んでいて、つくづく思うのは、これって不毛だよなってことなんですよね。
ああいうの好きな人もいっぱいいると思うんですけど、これほど不毛なことはこの世の中にないよなとも思うわけですよ。
で、あれを読んでるとですね、現代に生きる、これは私の考え方の一つですけど、
現代に生きる私のような人間は、生来これをやらざるを得ない。だからトラウマってそういう苦しさがあるんですよね。
だから逆に言うとこの、なんていうのかな、逆に言うっていうのも変だけど、生来、人を信じられる、人を信じられないっていうのは、
逆境のところそれはある意味、なんていうのかな、裏の裏表みたいな話で、信じられない人が勝つわけでも、信じられる人が勝つわけでも、結局ないんですよね。戦国時代みたいな時代って。
腹の探り合いだけではないですもんね。実際に戦争しちゃいますからね。戦争しちゃったら腹をどう探るかだけが全てじゃなくなるじゃないですか。
だけど私は現代のように何時代と、あと私のように腕っぷしが立たない人間は、あと喧嘩が下手な人間は、やっぱり突撃型がいいなと思っちゃうわけですね。
なぜ突撃型がいいなと思うかというと、殺されることはないから結局。鬱陶しがられるところで終わるから。
最悪鬱陶しいと思われればいいみたいな、なるべく鬱陶しくないように動くが、でも鬱陶しくなってしまうのはしょうがないと思えれば。
思えるかどうかって大事なんですけど、大概普通の人は思えないわけですよね。私よりは。
私はどっか壊れてるわけですけれどもそういう意味では、この壊れ方を大事にしようみたいな考え方なわけですよね。
だから首を取られることはないからっていうそういうことなんですよね。これで首を取られるなら僕もうすでに死んでると思うんですよ。
普通に結構ごくごく普通の人でも僕のようにはやんないんですよね。鬱陶しがられるってかなり警戒するんで普通に特にその変神経質ではなくても、もっと私よりは気をつけるものなんですよね。
私は現代社会の特性として、鬱陶しくは思われがちであるが、だけれどもそれを生かさない手はないだろうという感じで。
なんかこうね戦国の中で出てくるんですよ。秀吉の弟だとか勝手に名乗って殺されちゃう人が秀吉にね。だからこの場合はまずいと思う。
そういう時代だったら私だってもっとずっと気をつけると思うんだけれども、現代はそういうわけにはいかないわけですよ。
こいつ鬱陶しから殺そうみたいなことはできないということで、だから読んでるんですね。きっと私はああいうものを腹の探り合いっていうのを考えれば考えるほど私はできないな絶対にっていう。
この種の能力が全く足りていない。探れないとは言わないけど、やっぱり基本的にはこういうのには向かないっていう感じがするわけです。
だから現代で良かったなと思ってるとかではないんですけど、良いも悪いもないわけですからね。
どうせ私はその戦国時代は生きてないわけだし、しかもよく言う話ですけど、あれは漫画ですからね。
本当にそうだったかどうかなってわかんないわけじゃないですか。あらゆる意味でどんなに正しく書かれているようなものであったとしても本当にそうだったかどうか。
だってちょっと考えればすぐわかると思うんですよこの種のことって。
高市総理はこうだこうだっていろんな人が言ってますけど、本当のところは現代に同時代に生きてる我々にだって本当のところ彼女が何考えてるかなんてわかんないはずなんですよね。
ましてそんな400年前の人が本当はどう考えてたっていうのは、まあそれはそれを説得されて楽しむかどうかの話だと思いますと言っているうちに8分も経ってる。
まだ何も喋ってないですね僕はね。
トラウマと乖離を扱うタスクシュートの構想
今日お話ししようと思ってたのは、まあ依然として相変わらず1、2枠の空きがある第16期。
そろそろこういう告知の仕方ではこのサービスに3ヶ月コンサルね。
人は手を下さらないということを僕もいい加減理解し始めたのでもうちょっとやり方を変えようと。
やり方を変えようと言ってもねもうなんか十分手詰まり感があってどうしたらいいのかよくわかんないんですよね。
告知の仕方ってことですね。
あんまり真面目に考えるのはやめようと思っているわけですけれども、僕が真面目に考えてうまくいった試しないんでこの種のことではですね。
真面目に考えるのはやめようと思っているわけですけれども、なんか考えなければいけない。
まあいい加減に考えようぐらいには思っております。
これが一つですね。
3ヶ月コンサルで今私が一生懸命やろうと思っているのが、トラウマと乖離っていう問題をもっと真剣に扱えますよということを言っていこうということなんだ。
今日このことと絡めてタスクシュートっていうものをですね。
もう一回私なりにこれは3ヶ月コンサルとは関係直接ないけれど、でもやっぱりタスクシュート協会はやっているんでですね。
タスクシュート協会の中であれば外であれ、タスクシュートというものをこのトラウマと乖離の話に絡んでいこうと思ったわけです。
必ずしもその深刻な話にならないんですけれども、深刻じゃないからといって別に楽に過ごせているわけでは決してないわけですよ。
私は昔実は結構言ってたんですが、タスクシュートっていうのは時間的なトラウマに対応できるツールでもあるっていう話。
ここをもっと真正面で僕の場合は取り上げてもいいなと。どうせ他に誰もこれを言ってる人がいないんだし、言いたいとは思えない話ですしね。
この話をするのはありだろうというふうに思ったというか、この話以外私今のところあんまりする気がないなタスクシュートについてはということがわかったんですよ。
11、2月にやろうかなというふうに思うようになりました。どういう形式でやるかちょっとまた考えますけれども、まあセミナーでしょうねまずはねっていう感じがします。
もう私ブログとか書くのはまっぴらだって感じがしてるんで、書くならばやるならばセミナーだなっていう感じになっているわけです。
ブログ書くならセミナーやろうみたいな。毎日でも毎日でさすがにあれかと思うんだけど、毎週とかでもいいやって思うんですよ。
とりあえずセミナーやってブログに書きたいことができたらセミナーやろうみたいなぐらいで、よっぽど面倒くさかったりセミナーやるほどではなかったり、セミナーやるには時期が悪いとき代わりにブログに書いても、
まあでもその前にこれでしゃべるじゃないですか。
だからやっぱりブログ書くっていうのは遠いなっていう感じが非常にします。
何のために誰が読むから書くのかがもはや僕にはさっぱりわからなくなってきたんで、誰も読んでないとは言わないまでも、なんか誰かが読んでいらっしゃるとは、もうちょっと信じがたいんですよねあれはね。なかなか難
しい。
AIに書く欠かせない話ありますけど、僕はそんなとどっちでもいいと思うんだけど、まあどうでもいいと思ってるんですけど、そもそもだってAIが書こうと私が書こうとアクセス数がほとんど伸びないのは変わらない
じゃないですか。
だから同じだろうそれっていうものすごい生まれる人のは別だろうけれども、それはあんまり僕と関係ない話ですしね。
えっとまあそういうことでタスクシュートとマイルドなっていうのが累積外傷って言葉もまた違う。
CPTSDってのは全然違うってなってきて言葉がいまいちないんですよね。
でもトラウマという外傷と欲動って言ったら、まず外傷で今は私はだんだんフロイトの話に近づいてきてるわけですけど、に接近してきてるのは確かですね。
なぜならという話をし始めると本題に入るんだけど、本題がまだ見えてないんですよね。
まあだからセミナーやりますから来てくださいということですが、まだいつやるかもいくらにするかも何も決めてないので来てくださいというだけ言ってもしょうがないんですけど、タスクシュートに関して試験を3時間
ぐらい延々延べますみたいなそういうやつですね。
こういうのセミナーっていうのかな。単なる講和ですよねある意味。質疑はもちろん受け付けますけど、3時間俺の話聞いてもらうのも悪い気もするなっていう。
ここでいくらでも聞けるしねっていう感じもこういうまたマーケティングに反することを喋ってますが、何しろ久しぶりなんでだいぶ休みましたからね。
久しぶりなんで喋ることだけは尽きてないようなところがあるわけです。
本題に入ろう。だからタスクシュートではないんだけど、トラウマと乖離とタスクシュートっていう感じのふわっとしたタイトルでいこうと思うんですけど、
これはジェニナフィッシャーが書いてることなんですが、今ここ、要するに彼女の精神分析に対する言い分はわら人形論法に近くて、精神分析の最もダメそうなところをステレオティピカルに取り出して、
という精神分析ではダメだから私のトラウマセラピーは正しいのだっていうニュアンスなんですけど、そのあなたのトラウマセラピーは精神分析的なんだよって僕は思っちゃうわけですよ。
別にそういう用語の仕方をしても、どうせ私自身が精神分析的でないくせにって言われるような立場だから、面白くないからどっちにしても放っておけばいいんだけど。
なんかね、あの話はそうなんですよ。過去のことを思い出すだけじゃダメだし、それがかえってつらいんだって話はそうなんですけど、別に精神分析っていうものは過去のことをただ思い出してる。
そもそも彼女はわかっててあれを言ってると僕は思うんですよね。
これは彼女は神経生物学的っていう、繰り返し言うんだけど、その神経生物学的な引用はだいたい同じところからなんですよね。
博覧狂気ってそういうからくりがある気がするんですよ。
例えば私がいろんな本を博覧狂気的に引用しているふりをして、ほとんど中を見るとここってところは全部松木さんだったみたいな、そういう感じ。
そういう感じのことが起きるんですよね。よく読んでると起きてる気がします。
どうでもいいことでもあるんですけどね。
記憶の変容とタスクシュートの安心感
つまり神経生物学的に何かの記憶を思い出すということはすでにその記憶を歪めてるんですよ。
記憶というのは絶対にスナップショットにはならないんですね。そこに大きな意味があるんですよ。
昔エヴァノートは第二の脳とか今第二の脳って言ってるんですけど、絶対機械が第二の脳には透明になれない。
なぜならば正確に思い出すことしかできないからなんです。これが最もダメなところなんですよ。
思い出すということはクリエーションなんですよ。
だから記憶を思い起こすということはすでにクリエイティブな話であって、そこに記憶の価値があるんで。
記憶というのはただ正確な引用をなぞるっていうことではないはずなんですよね。
だから思い出しているのを思い出すだけではダメで、記憶とは変容と想像である。
いや、記憶とは変容と想像でしょうっていうことなんです。
ただ、ただですね、彼女の言ってることはそうなんですよ。
思い出せばいいってものではないというのと、
とかくほぼ正確な形で思い出されがちなトラウマの記憶というものを、
なんていうのかな、
もっと変容的なものとして思い出しましょうっていう。
それはつまりベータ要素をアルファ要素に変えるってことじゃんっていうことになるわけなんですよ。
だからそれが変容であり、
変容ということはすでにミヨンの方が先に間違いなく言っている。
彼女はミヨンを読んでないとは信じられないけど、
まあまあでもそういうことはあるのかもしれない。
たとはいえ、脳科学の中にありますからね。
記憶をアクセスするたびに変質していくっていう。
それは変質っていうような言い方に近いですけど、
変わるんですよ、とにかくね。
変わらずに記憶にアクセスすることは不可能なんですよ。
だからそこに記憶の価値があるわけですね。
私たちは何か思い出すとき、
今ここの文脈にとって有効であったり有益であったりする形で思い出す。
だからフラッシュバックという問題があるのは、
ただただ以前の体験に近いものがどっとここに来て、
今ここを吹っ飛ばしてしまうからなわけ。
それはもう記憶早期ではないんですね。
だからフラッシュバックっていうんだと思うんですね。
で、ということはタスクシュートユーザーに起きてるとはさすがに全然思えないわけです。
ただタスクシュートは、
例えば今私がポッドキャスト収録っていうタスクを実行中にしてるんだけど、
これを見たときに今ここはポッドキャスト収録であるという文脈において、
例えばジェニーナ・フィッシャーを思い出すとはどういう意味になるのかというのが、
タスクシュートではかすかに常に触れることができるんですね。
つまり今ここから見る記憶とは何なのかっていう形に、
タスクシュートのリストを見たというか、
そのタスクシュートで何かを開始ボタンを押す、
開始時刻をあるタスクに記録して位置付けるということをすると、
前頭用って言っちゃえばいいんでしょうけど、
前頭前夜のほうが少なくとも多少活性化されるわけです。
整然としてますから。
この整然としている今ここの私から見たときに、
数々の記憶の位置付けがタスクシュート的に整理されるわけですね。
そうすると、さっきまでは不安に近い色付けがあった記憶が、
一斉に異なる意味のもとに置かれるので、
ある種の安心感がもたらされるんですよ。
言ってしまえばこれだけなんだけど、
これがタスクシュートの効果なんだと私は思う。
こういう話をうんと詳細に紙砕いて2時間かけて、
年末にセミナーで喋りたいと思っているわけです。
具体的に私が、具体的といってもさっき言った通り、
現在進行中のタスクをスタートさせて、
これから2つ3つ先のタスクまで並べておくといったことをするだけなんですよ。
それをすることによって、
実にマイルドな形ながら、私は乖離が解消されていくんだと思うんですね。
乖離そのものは起きていないんだけど、
乖離的な方向に引っ張られていくある種の情緒を修正していく。
修正というか微調整をかけていく感じ。
僕は微調整をかけるという言い方、ちょっと頼りがちなんですけれども、
もう少し正確な言い方が、
ジェニーナフィッシャーが言うパーツの問題なんだけど、
いきなりパーツっていうのもねっていう感じがします。
時間の切迫感と現実検討
何がトラウマなのかと言いますと、
例えば試験ですよ。
試験で時間が切れるっていうあの嫌な感じを持っている人はいっぱいいると思う。
特にタスクシュートを使っているような人には少なからずいると思うんですね。
これがトラウマになって。
トラウマにはなってないが、いい体験ではないですね。
時間にまつわるこういうものはとても多いんですよ。
何かに乗り遅れそうになる。
遅れて先生に怒られる。
あるいは、もうちょっと複雑なところで、
首都高みたいにすっごい入り組んでいるインターチェンジがいっぱいある。
しかも左右に分かれていたりして、下手をすると事故る。
その事故はしかも割と致命傷になり得るっていうので、
ヒヤッとした体験っていっぱいあると思うんですね。
いきなり車線が一つ減るとか。
あんなのなら一車線になるところが今はないのかもしれないけど、
昔はバリバリありましたからね。
工事とかしていると最悪ですよね。
あれ、トラウマにはなってなくても、やっぱりいい体験じゃなくて、
そしてその切迫感っていうのが必ず時間と関係があるんですよ。
多くの場合。
首都高に乗っているような時っていうのは、
仕事で常時乗っている人は同じだと思うんだけど、
時間というものを意識せずには別に乗らないと思うんですよね、あんまり。
特に運転に自信がないならば。
あんな短いところで90キロくらい、もし下手すると100キロオーバーで、
トンネルとかまでありやがるから。
しかもそのトンネルにインターチェンジがあったりするじゃないですか。
もう本当に厄介ですよね。
急いでるはずなんですよ、多くの人があそこに乗っている時は。
いろんな意味で。
ディズニーランドに急いでるのかもしれないし、
デートに急いでるのかもしれないし、
出張で急いでるのかもしれない。
とにかく急いでるわけですよ。
急ぐことにはこの種の切迫感がつきもので、
この時に、ネニーナさんの言う変動体モードみたいなパーツが、
月から月へと活性化されていくはずなんですよ。
この時に一番やんないですけど、多くの人は、
私もやんないですけど、
必要なのは、今ここにおいて、
今こことはどこで、私は何をしているのか。
自明だと思うかもしれないが、
それは自明であって当然なんですよ。
自明でなきゃ困るわけ。
つまり今ここというのは首都高で、
もっと細かく大橋ジャンクションでとかが望ましいんですけどね。
ジャンクションだらけですからね。
大橋ジャンクションでS2から東北道の方に移行しようとしている。
今こことはそういうことですよ。
で、それは自明じゃないと困るわけですよ。
自明じゃないということは、つまりどこにいるんだかわからないし、
もしかして逆走しているのかもしれません、
ということになっちゃうわけですよね。
現実見当がついていなければ困るわけですよ。
タスクシューもさすがに見るわけにはいかないです。
すぐ事故にいますからね。
だから今ここはいつどこなのかってことが
自明になってなきゃいけない。
常に自明になっていかなきゃいけない。
だけどここで心臓がドキドキしているうちに
何やってるのかよくわかんなくなる。
これが初心ドライバーさんほどこういうことが起きる。
何やってるのかよくわかんなくなったり、
なんかこう、ちょうちょの部分だけ急速に対抗して
子供のようになってしまっていて、
なんか誰かにすごく、例えば奥さんの横で
間違ってない?とか言うと
母親にめちゃくちゃ怒られたときの
つまり自分のことを今喋っている解説が
感覚に、このいわゆる精神病、いわゆるではないが
このポッドキャストではいわゆる
精神病ブーンがいきなり活性化されて
脳の右半球がなのか
脳の右半球がそもそも活性化される状態そのものを言うのか
この辺がですね、あの本を読んでいて
あの、きちっと書かれているようで
きちっと書かれてないなって思うんですよね
脳の右半球が対抗するのか
脳の右半球の活性化そのものが対抗なのか
わからないんですが
とにかく隣にいるのが奥様で
私は首都高運転しているということを
見失うほどは対抗してないんだけど
ちょうちょのある部分は急速に対抗しているので
やっぱ危ういわけですよね
本当に現実検討を書くと
このまま私は4歳になり
おそらく事故があるんですよ
だから大変なんですよ結構
で、これにこれをうんとマイルドにしたものが
日常で常に起きていると思ってもいいぐらいの人って
結構いると思うんです
昔だから急ぎなさいとか早くしなさいとかを
繰り返し言われている人はそうなりやすいわけです
焦ったり時間の締め切りについて考えて
心拍数が少し上がると
母親に起こられた記憶が
無意識ですよ
おそらく無意識に
無意識に想起されていく
無意識に想起っていうのが
よくないわけですよ基本的に
もちろん私たちはいろんなことを
無意識に想起します
そうしないと不便ですから
だけど無意識に想起していることの中に
その人の今現在つまり今ここを
侵食するような出来事があっては
基本いけないわけですよ
だから今は母親はここにはいない
今ここは母親はいないのに
母に怒られていると
無意識に思ってじゃダメってことですよ
別にいいんだけど
無意識に母に怒られているという
その無意識の記憶想起が
つまりしかも外傷的なのが
心拍の上昇とか
血圧の上昇というものを招いて
奥様とうちの奥さんと私が喧嘩をする
これが現実への侵食なんですよ
ということがあっちゃいけないわけなんですよ
本来はね
ありますけどねそういうことは
家族の投影と支援サービスの線引き
でその時にタスクシュートのリストを見て
これは昨日たまたま
タスクシュート×ファミリーっていう
無料だったと思いますけれども
セミナーやってたんですけど
家族の割り込みが云々って話があったんですけど
割り込みというよりは
私のこのフレームワークを使うとね
割り込みというよりは
家族というものの現実見当が
あやふやになってくる
無意識の世界では
少なくとも無能的にはって言ってもいいですけど
あやふやになってくる
つまり投影が起こる
投影が起きるのはしょうがないんで
それはいいんですが
投影が現実の機能を
乱し始めて
もう元に戻すのが
深刻に無理になってきている
っていう事態を避けたいわけなんですね
本来は
避けられないんですけれども
完全な意味では
でも今私は前提としているのは
乖離とかトラウマを意識するとか
それを治療しなければいけないと
思うレベルにはない
タスクシュートユーザー向けの話なので
現在の話は
そこのグラデーションの
どこで線引くかって問題は
実に難しいですよ
しかも無意識で起きている事だから
実際には出来ないですよ
だから私は
二方面に自分のサービスを用意する
以外ないだろうと
入口付近にタスクシュートの話をする私と
これを
もう一段と
難しいレベルに自分があると思う方に向けて
3ヶ月コンサルを用意する
っていうのは
まあ
そんなに綺麗にいかないんだけど
綺麗に説明すればこういうことなんですよね
で
もっと深刻で
もうここでやる
っていうのではなくて
腹をくくって治療だ
っていう方には
この治療をするための
プロセスについての説明をしよう
っていう
今ジェニーナフィッシャーさんの本を読んでいるのは
悪くないなと
ただしこの治療の
プロセスを説明するのは
割と
3ヶ月コンサルをスタートして
早い時期の方に限るなと
だからこれからできるサービスだな
っていう感じがします
正式には
1期2期の状況の時に
この話に
持っていくしかない
だけどご希望ならねってことですね
まあ
強く進めるってことはそもそも私にはできないんです
理由は簡単でして
死刑がいない
トラウマ専門の
アメリカとかにはいるんでしょうよ
あの国は
何しろ酷いからね
ある種の犯罪が
酷いから
重社会だからトラウマって問題は
戦争も
やってることですし
深刻なんですよ
だけどあとは
何でも実験しようっていう
国民性もありますね
日本はどちらかというと補修的ですし
この種のことになると
欧米ではこれほど進んでいるのに
我が国の僕らは深刻だっていう
こういうのが
一つの
形式になってますから
まずそこからなんですよね
これをどうやって真似するかって話から始まるんで
真似するってことは
向こうでかなりのものが確立していないと
真似する気しないじゃないですか
だからそういうことからしても
なかなかそんなに
トラウマの専門の人を
紹介しますよとは言えないんですよ
下手すると
紹介した先に言って
タロットカードをいじってましたみたいなことに
いやこの言い方は良くないけど
でも違うじゃない目的が
タロットカードはいいと思いますよ
ただどちらかというと
身体化したトラウマみたいな話を
してる時に
そこから入るのは
良くなかろうとは思うわけですよね
どっから入ってもいいんだけど
やっぱり行き着くべきところは
違うだろうとは思うわけですよ
で
タロットカードじゃない方が
良いと思うんですねトラウマという問題になってきたら
で3ヶ月
コンサルからするもちろん
私は知り合いにタロットカードの人もいないんで
なんかね
新宿でやってますみたいな人はいないんで
だから結局
そんなに簡単な話ではないんですが
でも
まあそういう方も
つまり入り口はいいんですよ
タスクジュードで
そこから先に
ふどことみたいなもんで
どこに行きたいかということと
どこに行けるのかということ
でまあついでに正規
非正規の話今はここ
あんま関係ないんだけど正規
非正規って私はずっと
心理臨床ないし治療を
する正規のことを正規と呼ぶんだと思ったんだけど
よーく考えてみるとそうじゃないなと
治療をする正規だったら
精神科って話になる
じゃあここでいわゆる
学校に心理師とか臨床心理師
という人たちと
どこで何をもって正規って
言うんだろうなだって
相談の正規ってのは絶対おかしいと思うんです
相談の正規じゃないですよね
だって弁護士だって相談の正規じゃないですか
そんなこと言ったら
上司に相談するより
心理カウンセリングした方が
いいなんて言えないじゃないですか別に
そんなことは学校の先生に
相談するより事務の先生に相談するより
カウンセラーに相談しましょうっておかしいですよね
だから相談の専門家
とか相談の正規ではないんですよ
正規って改めて
調べてみると正規とは
国家によっていろんなことが
義務付けられていて
唯一その権利として
言えそうなことは自分は公認心理師
ですってことこれだけは
独占で排他的なんですよね
つまりだから
こういうことですよねあそこに
心理カウンセリングを受けに行くなら
正規っていうのは一つの考え方として
一つの目安としてね
これはだから正規っていうのがあれなんですけど
正規に期待していいことは
その人が
守秘義務を漏らしたら
罰せられる国家によって
売るというか
罰せられないかもしれないが
剥奪はされるってことは
期待していいつまり
倫理にある種の強制性が
伴っている私だって
守秘義務は守ろうと思ってますけど
私の場合守秘義務を守れなくても
失われるものはないわけですよある意味
信用を失うけど
剥奪とかはされないわけですよなぜなら私は
ライセンスそのものを何も持ってないから
剥奪されるべきものがないわけですよ
そういうのは
信用ならないっていう仕組みの上に
乗ってるか乗ってないかってことなんだ
と思うんですよねまあ以上にしておこう
別にこれ以上何か喋る必要はない
と思うんでそういう義務が
いくらかありいくらかあるし
結構縛り強いし
少なくないなって感じが私はします
そういう方が安心できるっていう
人向けには良いと思います
だけど守秘義務絶対守るよ
っていうことにはそれはならないけどね
なぜならばだって
結局のところ人の口とは立てられない
ってやつですよね
別にライセンス失ってもいいしって思ってる人には
結局その種の強制性って
では何のためにライセンス取ったんだ
ってことにはなりますけれども
そういうことってあるじゃないですかやっぱり
で
それは
だけど守るのが当然
といえば当然なんだけど
当然だけでは信用に
値しないっていう場合に
ライセンスが大事だったら
その人はライセンスを失うのが嫌だから
酒を飲んでいても
ペラペラ喋ったりしないでしょうって
こういうことだと思う
それで
今ここから記憶を位置づけ直す
何の話をしているか
こういう脱線することを忘れるんですが
今ここ
そういうのを
タスク主導のように非常に
緩いやり方でも
自分に想起させるということは
必ずその時に
何かしらの記憶を
一緒に想起することになるわけです
例えば私がポッドキャストで
これを喋るっていうのを
押しただけでポッドキャストでこれを喋る
以外の何も思い出さないなんてことは
なくて
見たような気がする夢のこととか
今
実行中の
3ヶ月チャレンジ
3ヶ月コンサルのこととか
あるいは
今日はペットボトルのゴミを出す日だ
とかいうことを
次から次へと思い出して
そこにトラウマ感のあるもの
例えば雨の日に
カラスが蠢いている
ゴミ捨て場に行くのやだなみたいな
これはトラウマっていうのは
いかにも大げさですが
やっぱり想起して
不安にある程度の
不安の色がついている
記憶ではある
だけどこれを
今ゴミを捨て次はポッドキャストを
することになっているという
今のこの
私の現実という文脈において
改めて
あのカラスが蠢いている
ところにゴミを捨てに行く
ということの意味を再想像
してみると少し
マシになる
でこれが少し
マシになるかどうかは
今ここがそもそもどういう
だけど今ここっていうのは
なんで今ここが
肯定的に語られるのか
どうしてマインドフルネスでは
今ここ肯定的に語りうるのか
今ここの現実が
すごいひどいケースだってあるじゃないか
って言われると思うんですけど
そういう人は
マインドフルネスというものを
そもそもやりたくない
あんまりなかなかならないことが
多いわけですよ
宗教的な話になってくると別なんですけど
少なくとも自分の人生の
底のような状態の時に
マインドフルネスってやる気がしないんですよ
ここに私はそうだったんですよ
私にもやっぱり
底とピークみたいなのって
多少ともありますからね
底気みたいな時にこそ
ああいうのってやりたくないんですよなぜなら
やっぱり意識は
今ここが
非常に扱いにくい時には
あそこであの時を
思い出したくなるものなんですよね
だって今が
ひどい状態にあると
今がひどい状態にあるのは
なぜかって人間って考えちゃうじゃないですか
ああなんか
フラれちゃったなぁみたいになって
すっごい落ち込んでるとしましょう
この種の記憶はもう
最近ほとんど小房たなんで
思い出せないんだけど
まあそういうことは僕は多々あったわけです
フラれたってより付き合えてないんだけど
で、あの時
こう言わなければって思うじゃないですか
つまり意識が過去に
飛ばされてしまうわけですよ
あるいは未来に飛ぶわけですよね
今金ねえなぁと思うと
でもこれから
あの本の印税が入ってこうなるから
みたいにすぐに
この先
多少ともみたいに考えたくなるわけですよね
今ここが
あんまりひどいと感じてる時に
今ここを
いちいち意識したくないわけ
だから
今ここを普通認識できる
ということは
すでにその心理状態は
良いものであって
だからここも非対称性があるということですよね
普通にニュートラルに
今ここはいつもニュートラルだからいいんです
ではない
仏教的には最終的にはそうなんだと思うんだけど
とりあえずそうじゃないんですよ
過去に飛ばしたり
未来に飛ばしたりせずに済むという段階で
すでに状況はなかなか悪くない
だからそれを
中心において
記憶の位置づけ
つまり記憶というのは
なんていうのかな
現在に
有効に思い出すならどうするか
っていう話なので
これは全くできない記憶は
乖離しちゃうわけですよね
今のために思い出す意味は
全くないという記憶は
つまり思い出す意味はないわけですよ
それが強引に思い出される
つまりベータ要素なんですけど
今ここを
破壊しにかかってしまうわけです
それはニュートラルな記憶のはずないじゃないですか
そういう記憶は
だからネガティブバイアスっていう
言い方もありますけれども
そういうことですよね
今ここ
うまく説明できてないんだけど
今ここが
そこだとした時に
あえてマインドフルネスを
やる意味って何なんだと
未来のこと考えたり
過去の栄光にすがるほうが
まだマシじゃないのかっていう
その状態でもなお
マインドフルネスやる意味って
何なんだという話になってくる
わけです
これもまたすごいいろんな説明が
あるんですけどね
開始ボタンを押すっていう時には
今ここを多少でも意識しないわけにいかない
んですよね
タスク名が仮に空白
これには大きな意味があると思うんですけど
空白だとしても
再生すれば少なくとも現在時刻を
再確認
再認識させられることには
なりますよね
その時まず言えることは
なんつーのかな
出来事は一つ全て過去には
なっているってことなんです
これはあんまり意味がない感じが
するんですよ
例えば振られたのは過去だから
現在はそれによって苦しんでないよね
的説明ってやつなんですよね
ないわけじゃないですよ
こういうことも
だけどこれを人に説明して
その人に納得してもらうのは
しなんないし
やや乱暴な感じが
相当乱暴な感じが
しますよね
事実そうだって
面はあるにはあるんだけど
例えばでも傷が今
うずいて痛いって時には
今ここが嫌ですからね結構ね
今ここが嫌な時の
今ここをやる意味って何なんだろう
というのは
タスクシュート的にも大きな
課題ではあると思うんですね
ただもう一つは身体
っていうのがここでクローズアップされて
くる気が私はします
記憶とか
買い入りって時には特にですが
やっぱり僕は
ゼリーナフィッシャーが
パーツって呼んでるものが
私にはそのうちの
少なからぬ重要な部分は
大半ではないけど
少なからぬ重要な部分は
内的対象と言い換えたくなるわけです
だから
4歳の時にひどい目にあった
これちょっと違うんだよな
これは確かにちょっと違う
例えば話を聞いてもらえない
という体験が繰り返された幼少時
幼稚園の時とか小学校
低学年の時
これは話を聞いてくれない
という体験ですよね
だけどこの時に
話を聞いてくれなかった人というのが
心の中にあるわけですよ
これは内的対象
つまり母親だったりするわけですけど
しばしばその母親が
そこにいるんだけどいないようになってしまってる
耳がないとかね
聞く耳を持たないとか
そういう話ですが
その時に内的対象が母親
ただし聞いてもらえなかった体験
というのは
これはパートといえばパートですよね
体験なんで
人ではない少なくとも体験は人ではない
こういう話になっている時に
今ここから
それを思い出すということを
我々はしないはずなんですよ
その物語
その物の中に
中に入っちゃうは言い過ぎですけど
その物語というものが
だけがあるみたいな感じがする
僕はそういう気がします
今の私からして
あの体験はどうだったんだろう
って感じが一切しないんですよ
だから
今ここから
ここで思い出すということは
私の身体の現在性みたいな
いきなりなんか
哲学みたいなこと言い出してますけど
でもなんかこう
私の身体の現在性というものはですね
なんかやっぱり
物理的空間との兼ねいでできてるじゃないですか
物理的に今
目の前に鏡がありますが
鏡があるとか
窓があるとか
そういうそこに物語性って
あんまないじゃないですか
で
タスク中の再生すると
ここにある種の物語性ができるわけです
例えばなぜ私の目の前に
鏡があるかというと洗面所で
この収録をしてるから
なんで洗面所で収録をしてるかというと
奥さんが寝てるから
音を遮断するためなんですよ
比較的遮断性がいいところが
この空間だから
ここに私の
これを言うのはあれですよ
わざわざ言うほどの話じゃないけど
気遣いはあるよね絶対
ここで
気遣う私というのは
現在性を帯びてくるんですよ
気遣いというのは容易に
罪悪感ってものを
連想させる私の場合は
だから母が怒ると
うるさいから
母は静かに寝てるときに
私の時計がピピってなっただけで
激怒するようなところがあったんで
気遣いというより
それは顔色がかかってんじゃん
ってことになるけど過去はそうでした
でも気遣いと
罪悪感は
分けられるんですよ
で
ニュートラルに近い
今ここのいいところは
かなり頑張ってやればなんだけど
そこに
記憶からそれじゃあむしろ
分離されてるだろって言われるかもしれませんが
一旦分離するんですよ多分
一旦分離してこのほぼ
瞬間化された今ここ
つまり非常に無機質な今ここに
今私物語を再度与えましたよね
奥さんに
気遣いをしているから
この気遣いをしているときに
瞬時に罪悪感を入れない
入ってくるけど僕の場合もすぐに
奥さん起こすと
うるさいしなみたいな
でもそれはあくまでも経験なんですよね
今ここの
この状態はあくまで
気遣いという方面から
行くことができるんですよ
入ってきます罪悪感は
その直後に
でもあくまでもそれはタイムラグがあって
今ここの私は
気遣いから入ってる
あとはもうこれを繰り返していくことだと思うんですね
現実を繰り返し記録する力
今ここの私は
罪悪感という
ある意味だからポジティブなものから
この文脈を位置付けることができる
弱々しい感じがしますけど
でも
ある面これは最も強いんですよ
なぜならこれのみが現実だから
だからこそ現実検討というものが
大事なんですよ
これこそが現実であって
体験はどれほど
深刻だったり過酷だったり
それが生々しかったり
β要素だったり
運を言わさない力を持っているように
思えたとしても
でもあくまでも私の脳みそが
作り出している
神経系のプロセスでしかなくて
現実ではないんですよ
現実は
同時に2つ存在することは
できないはずだから
結局は罪悪感かもしれないじゃん
と言うかもしれないけど
それは最終の結論にはなれないんですよ
私が気遣っているという事実が
少しでもここにあれば
ほんのちょっとでもあれば
全部が罪悪感であるとは
言えないわけですよね
それが1対99だとしても
気遣いは
現実だが
罪悪感は過去のもの
つまり記憶だわけで
現実ではないんですよ
大事なのは記憶と現実では
現実の方が大事だと言っているのでは
この際ないんですよ
でも気遣いは現実だが
罪悪感は記憶であるとは言える
わけですよ
たとえ質とか
価値が
対等だったとしてもですね
あくまでも記憶は
記憶であり現実は現実
なんですよ
現実が気遣いである
ということの
これはある種の自信なんですけど
結局は
自信を携えられさえすれば
ですね
私のタスクシュートというのは
さらにこれを1対99ではなくて
1対999ぐらい
弱いけれども
繰り返すということにおいては
相当なもんだと思うんですね
なぜならやろうと思えば
1日中やってられるから
なわけです
常にこれをあらゆる現実を
少なくともニュートラルな
側から位置付け直すことが
位置付け返すことができる
わけですよ
多くはポジティブに位置付け返すことができます
仮に本人が全くそれに
自信が持てなかったとしても
記録はそこに残る
っていう意味で
なんていうのかな
非常に手間がかかるようでも
意外と効果がある
この話を12月に
したいかなと思っています
47:39

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