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「話を聞くだけ」そもそも話は聞いてもらえない【1412】
2026-10-28 46:15

「話を聞くだけ」そもそも話は聞いてもらえない【1412】

よく言われることですが、傾聴は難しいのです
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00:05
おはようございます。佐々木正悟の自由連想第1412回をお送りします。
10月28日ですね。10月28日水曜日、朝8時2分です。
やっぱちょっと遅くなるんですよね。ちょっと遅く動いていると。 まあ、いつもやってることは同じなんで、起こす、
弁当作る、 朝ごはん食べさせる、
駅まで送る、で、ま、帰ってきて、 ゴミ捨てして、
ここですよ。 こんなに時間かかるはずないんですけどね。
まあ、タスク集とあるあるですよね。 あの、測ってみると、
このぐらい絶対必要だ。しかし、なぜなのかは、 どんなに完璧に測ってもよくわかんないところはあるんですよ。
足し算って結構難しいんですよ。 3足す、5足す、7足す、9足す、みたいなこと、
まあ、今みたいなのは簡単なんですけど、 それは掛け算に直すから簡単なんですよ。
足し算って結構めんどくさいんですよ。 あの、平均値とってその数をかけるっていうのは、
我々は得意とするんだけど、本当に足せるかっていうと、 結構15個ぐらい数字上げて結構バランバランにしてですね、
タスク集とやってるのはそういうことなんで、 ある意味ではね、とっさにはできないんです。多くの人。
で、えーと、とにかく8時になってるわけですけど、 120だからかかってるってことなんだけどね。
朝起きたの大体5時50分ぐらいだから、 120以上かかってるんだけど、
今の話に120かかるかと、 まあダラダラしてる時間ありますよ、もちろんね。
あるけど、それにしてもかかるかなって思うわけですよね。
まあ、超効率的に動けば、 でも超効率的に動くって言っても他人の世話なんで、
自分がやれるように、なんかご飯超高速みたいに、 そうやってやるわけにいかないところもありますからね。
やっぱこのぐらいかかるなと、いうことですよね。 だって送った段階でもう7時ですからね。
で、帰ってきてから、まあ、ごにょごにょして、 ここに至る時には8時にはならないにしても、
7時40分ぐらいになるから、 短縮できてせいぜい17、8分なんですよね。
はい、思いっきりタスクシュートの話をしてみましたが、 まあそういう話だと2分ぐらいで済むんですけれども、
だからね、タスクシュートで2時間話すとなると、 相当僕は関係ないこと喋ってんじゃないかなとも思うんですけど、
まあまあ、それはいいといたしまして、
えーと、こう、最近わかってきたんですけど、 このままでは私のビジネスは結構立ち行かないぞっていうことがね、
判断されてきて、まあ、あれですね、それこそ藤沢駅の、 僕こういう時必ず考えるのはそういうことなんですけどね、
藤沢駅で宝藤売ってるおじさんが、 今ちょっと最近見かけなくなって、
03:01
いよいよやめられたのだろうかと思ってるんですけど、
とにかく誰かに当たる10億円とか言っているだけの方なんですけど、 これが仕事なんですけどね、
YouTube見ればわかるんですけど、
いやー、絶対私は仕事するときまずそういう方向で考えたいと、 最近は特に思いますね、
あの、もうほんと劣等賞に身を投じるのは、 アホだなっていうわけではないんだけど、
アホじゃないんですけど、それらはとても正しいんですけどね、
劣等賞って結局正しいからやるわけですよ、
今だったら、私だったらAI×オブシディアの 知的生産とやるのが正しいわけですよ、
劣等賞だけど、
そうすれば確実に食えるんですから、 真剣にものすごく頑張ってやればですね、
確実に食うってすごいことじゃないですか、
確実に食える方法を即座に考えつくって かなりのことなので、
ただそういうぐらいの知力を持ってる人は、
まあ普通にいっぱいいるから、
そしてそんなに難しいことじゃないから 劣等賞にならざるを得ないんですよね、
これは決して愚かなことではないんですよ、
ブルーオーシャンっていうのは、 はっきり言って愚かとかじゃなくて、
飛んでるんですよね、間違いなく、
だって駅前に行って宝くじについてつぶやいてれば 食えるだろうって思わないじゃないですか、
思わないからブルーオーシャンなんだけど、
このやっぱ思わないことをやるのは、 賞金者は難しいんですよね、
だからなるべく頭をおかしくしようっていう風に、
お金のことを考えた時は次に考えるべきのは、
とにかくなるべく頭をおかしくしようってことなんですよ、
この頭のおかしいは、いわゆる精神病水準とかではないんですよ、
そういう考え方もあるのかもしれないけど、 そういうことではないんですよね、
とにかくサルのタイプライターみたいな話で、
デタラメに打つっていうことが意外と大事なんだ、 っていうぐらいな感じなんですよね、
突然に思いついたことは何でもやるっていうのも、 これと限りなく似てるんですけど、
言ってましたよね、ビジネス書では有名な、 仕事は楽しいかねという本で、
名前忘れた、デール・ドーデンだっけ、 という人が書いてましたよね、
アイデアなんていうのはほとんどが ろくでもないものばっかりなんだと、
そのろくでもないものは全部試すんだよ、 みたいなことを書いてるんだけど、
そういうことなんですよね、
というわけで、ろくでもないアイデアについて 考えようと思っておりますが、
それはとりあえず一旦置いておくとしてですね、
なかなか今これをやっているんで、 これにのめり込みたいという気持ちが一方では強烈にあって、
他方ではこれにのめり込むことによって、 十分な稼ぎを得るということをやるのは無理なので、
無理だということが最近わかってきたので、
だって2期連続でおそらく新規参入さんが ゼロになるのではないか問題がありまして、
非常に仕事が充実しているけど、 だからそれでいいということにはならないよな、
という非常にジレンマ的な、
でも考えてみると2期って6ヶ月だから、 6ヶ月で入れ替わりがないのは、
06:02
この仕事においては妥当な気がしてきたんですよ、
しかしそうなってくると、やっぱりちょっと、 このモデルはこのモデルとしてもう確立したので、
一旦このモデルとは違うところで 考えていく必要があるのだが、
とりあえず宝くじを売ろうかみたいな、 そういうことを考えるわけです。
といったところで6分ですね。
今日はずっとこのところお話ししてきている、 このジェニーナ・フィッシャーさんの、
だんだん批判的になってきているなと思うんですけど、
この批判は批判的だということは、 別に攻撃したいわけではなくて、
やっぱりこの本とても良かったので、 批判する気になっているぐらいの感じなんですよね。
取り上げたいはずなんですよ、普通に考えれば。 ほとんどの本というのはですね。
いつも言っていますが、 私は別に読書家というわけではないので、
本の紹介していくのも、 今となっては劣等賛すぎるよなというのが、
ちょっと考えるところではありますね。
まあまあそれはまあいいとしまして、 AIに欠かせればいいんだろうけれども、
でもそれ増えると、例えばですよ、
AIに欠かせれば1秒で1記事できるとしてもですね、
1記事で100円にならなかった場合、
果たして1秒100円は割に合う話なのかという問題が、
いや、3600記事が1時間でできるなら 割に合うかもね、60×60ね。
割に合うと思うんですけど、 そうはいかないじゃないですか。
アップする、全部全自動にするってさすがにどうかと思うっていうのは、
つまり、しかもそれを全部100円にするっていうのは やっぱりさすがにどうかと思うんですけれども、
基本的にはそれに近い世界になってきているわけですよ。
このWAVEにおける記事というものは。
好むと好まざるとに。
この事態を好むという人はあまり多くないと私も思うんだけど、
そうなっていくわけですよ。
だってこれをやる人はいるわけだから、 手間かかんなくなるわけですからね、全くね。
だからこれをやる、自分は矜持があるとか プライドがあるとか誇りがあるからやらないぞとしても、
1記事アップする間に3600記事上がってきて、
しかもそっちは結構ちゃんとしてたりするわけですよ。
そして今後どんどんちゃんとしていくわけですよ。
っていうことは念頭に置いてやらなきゃいけないと思うんですよね。
手で書くにせよ、工術筆記するにせよ、 AIの力を借りるにせよ、借りないにせよですね。
で、その中でもやり方ってあると思うんですけれども、
とにかく今までとは違うんだと思ってやらないと、
そういうのは人間としてどうなのって言っていても、
記事は絶対増えていくわけですからね、その種の記事はね。
それは考えておかなきゃいけないとやっぱ思うんですよね。
自分がやるんだったらね、自分がやらないんだったら、
こういう話は雑談の話として片付けておけばいいわけですけれどもね。
09:05
こんなことを言ってるうちに8分も使ってしまったわけですが、
だから40分かかるんだよね。
あのですね、そのジェニーラさんの本を読んでいて、
やっぱり当然といえば当然なんでしょうけれども、
あれは精神分析でもあるけれども、東映統一化は出てこないっていうことなんですよ。
ことなんだって言ってもね、あれなんですけど。
で、ここには僕はアセスメントっていう課題が絡んできていると思うんですね。
さっき久しぶりにたまたま、久しぶりって言っても2日ぶりとか3日ぶりですけど、
松木邦博さんの耳の傾け方、
要するにこの本は非常に僕は助けにしたんですよ。
もう本当に、何種のかな、私は松木邦博の弟子ではないんですけど、
松木邦博の本の弟子なんですよ。
そんなのろくでもないって言われると思うんですけど、
しゃーないんですよそれは。
そういう生き方しかできない人間っているんですよ。
このことをですね、ある断られたカウンセリングのところで言ったら、
ちょっと考えさせることになったんですよ。
あれを物思いって僕は思うんですけどね。
いや私は、言うことはわかるけど、
野良カウンセラーが危なくて、
その危ない割にはなんかすげー濃いことやっていて、
それは良くないっていうあなたの言い分はわかるけど、
こういう生き方しかできない人間がいて、
まあそこまではっきりはなかったですけどね、ここから先は。
こういう生き方しかできない人間を引き受けるのが、
ある種のカウンセリングじゃない、
あなたに引き受けろとは言わないけど、っていう言い方をしたわけですよね。
そしたら物思われたんで、
まあ今日はこれでいいとしようっていうか、
その人とはこれでいいとしようって思えたわけですよ。
これカウンセリングだと僕は思うんですけどね、
これといった答えはもらってないんだけど、
もう十分なんですよ。
これでなんかをねじ込めたなと、
で向こうは一旦未消化に入ったなっていう、
この感触が大事だと思うんですよね。
そこまでいけば7000円ぐらいは払ってもよかろうって感じがするわけです。
僕金持ちじゃないですからね。
7000円あれば、
ジェラート屋の美味しいところに行きたいところではあるのですが、
まああるんですよ、いろいろ人間には様々な欲求がですね。
常にジェラート屋に行けばこと足りるとは残念ながら言えないんですよね。
別に僕はクリスチャンじゃないんですけどね。
で、あのなんつーのかな。
投影同一化が出てこないということは、
私はつまりあの本にはアセスメントというものは
端折られているなって感じがするんですね。
だけどアセスメントが端折られてしまうと、
原因に対するケアの大きな部分がやっぱ端折られている。
ジェリーナさんはしてないってことじゃないですよ。
してないかどうかわかんないですよ、私には。
してないかどうかはあの本だけでは判断がつかない。
してないとは思えないんだけど。
でもこういう書き方は出てくる。
12:02
序述としてね。
要するにD型、無秩序型、無秩序型育児みたいなことなんですよね。
のトラウマは、
境界性パーソナリティとよく誤信されているみたいな。
いやいやいや、ちょっとって思うわけですよ。
その2つを、いやわかりますよ。
その2つの区別の仕方は別の本読んでくださいなのかもしれないし、
知れないというかそうなんでしょうし。
だけど私はその2つを分けられる、
あるいは分けるべきであるということに対しては、
分けるべきであるという教科書に記述があるのはそれはいいと思う。
結構なんですよ。
ただ分けるべきであるということは、
私は最後まで疑っておくべきだと。
私はね、私自身は最後まで疑っておこうと。
それは治療する人と心理臨床の世界では、
その2つは分けるべきなのだろうと思うんです。
分けるべきだという、少なくとも意見があったり、
そういうことに基づいておくんだっていう。
CPTSDと境界性パーソナリティは分けるべきなんだって言われれば、
分けるべきなんだろうなっていう話なんだけど、
でもそれは私はそんなことが果たして本当にできるとしても、
私がやるべきなんだろうかってこのあたりは、
多分少なくとも遠ざは永遠に疑っておこうぐらいな感じなわけですよ。
分けるべきだっていうのは受け入れるけど、
永遠に疑っておこうと。
結局これは東英同一化を引っかぶると僕はよく表現するんですけど、
引っかぶったときに赤ちゃんが泣きまくってるということです。
お母さん優しくしてるわけじゃないですか。
優しくしてるとしましょう。
優しくしていても赤ちゃんは火がついたように怒ったように泣いているとするじゃないですか。
怒ったように泣いていますよね。
これは誤解か誤解じゃないかっていう問いは、
私はあまり意味がないと思うんですよね。
だってそれはそうじゃんっていうことなんですよ。
ここで心的現実って言ってもいいんだけど、
でも心的現実かどうかも分からないわけじゃないですか。
で、もうお母さんが客観的にこの場合は優しくあやしているというのも事実じゃないですか。
だから私は優しくあやしても優しくあやされたいと思って赤ちゃんが
優しくあやしているお母さんに向かって
怒りと嘆きをぶつけまくるということはあり得る話だ当然。
私だってしょっちゅうそういうことは
うちの娘を育てている最中に引っかぶってましたよね。
それは誤解ではないですよね。
しかし客観的事実からすると
それが分かるようになればつまり何かが分かるようになると
いつかは泣かなくなるのも事実ですよね。
15:00
現にうちの娘は別に私があやさなくても
もはや私に向かって
嘆きと怒りを激しくぶつけることはなくなっているわけですよ。
だけれどもゼロ歳の時の彼女がそれをしていたというのが別に
妥当性を書くことでも誤解なわけでもないわけですよ。
これをアセスメントとは呼ばないですけど
言うまでもなくこれアセスメントじゃないですけど
つまりそれについて納得のいくまで
つまりこの子は何を求めているんだろうということを
納得のいくまで求めているものを提供していても
なお泣いているのはなぜなんだろうと
なぜなんだろうとは考えませんよもちろん
そういうもんだと思いますけど
考えるわけですよね。
これが物思いとも言うんでしょうし
東映同一化とも言うんでしょうけれども
つまり異なる観点からその2つが出てくる言葉だと思うんですが
一種のアセスメントにおいても
おそらくこれは起こるはずであり
しかもすなわち東映同一化とは
コミュニケーションの一種段なんだということなんだよね
とは思うわけですよ。
松木さんの本で大学の授業を受けていると
私はみんなが臭いと言っていると言って訴えてくると
これがアセスメントなんだと思うんですよね。
それを松木さんは一生懸命聞くんだっていうわけだけど
これはつまりどういうことかというと
悩みというものがある主体性を持った人が
こういう悩みですってコミュニケートしてくることの
何て言うんですかね
存在論という言葉を使いたくないんですよね
要するに自分の存在が悩みなんですという悩みの場合は
こういう形をとるより他ないわけで
いきなりそこで
多分そうだって言い方できると思うんですよ
だから境界性とトラウマと
どうやって分けるのかっていう話は
あまり意味がない気がする時があるというか
診察とかアセスメントにおいて
意味があるというのはわかる
当然そうだと思うんですけど
私の立場からすると
これが結局のところコンティニングにおける何か
何かっていうのはつまりトラブルに近い何かなんですが
っていう風に捉えておくだけにしておいた方が
ある意味無難というか
無難って言うんじゃないんだけど
無理をして失敗するよりは
その方がいいんではないだろうかっていう観点を
ここに残しておく必要が
大変持ってもらった言い方であれなんです
周りくどいなと思うんですけどね
だけどこの結局教室中の人が
私を臭いと言っている
松木さんはこれが3つあるわけですよ観点上
つまりその話にとことんのめり込んで
いわゆるクライアントに同一化していくと
18:00
で若干それと距離を置く
これが非常に重要だと松木さんが言ってるし
そうなんですけど
この人はという体験をしているんだ
っていうことを
という体験をこの人はしているんだなと
付け加えてみるっていう言い方をするんですよね
これはやっぱり必要なことだと思うんですよ
ただこれ距離を置いているのとは違うんですよ
距離を置くというのはもう一つの観点で
これを客観的に考えると
しかし教室中の人がわざわざ臭いというのは
変な話だとか
要するに常識的にはそういうことはなさそうだよなと
実際この人を見ても
みんなが臭いと言うほど臭いようには思えないし
自分にも別にそういう感じは抱かない
これがつまり距離を置くわけですよね
この3つの観点を同時に取ろうみたいな感じの話をしている
本当は2つなのかもしれないですけどね
いずれにしてもこういう
要するに心的現実と客観的現実ですよね
両方いるんだって話をしていて
そんだけと言われればそんだけなんですけど
それよりも何よりも
ここで持ち込まれているお悩みというのは
その人の存在そのものは悩みになっているという悩みですよね
フィッシャーさんの本では最初からそれはトラウマなんですよ
つまりトラウマなんだろうかという
そもそも私はトラウマで乖離していますとは言ってこないはずなんだから
こういう観点が先に取れるはずはないわけですよね
トラウマの患者さんが来るっていうことはありえないわけですよ
まずさっぱりわからない人が
さっぱりわからないところから始まって
話を聞くっていうところがあるわけじゃないですか
そこに投影ってものが入ってくるはずじゃないですか
投影ドイツかでも
だから聞くってことがもう最初からある種の
私はそう思うんですけどね
アセスメントと呼ばれているものがすでに
セラピーのはずであって
もう3ヶ月チャレンジのようなものは
ここに全部私はアセスメントするとは言ってないんですけど
セラピーするとも言わないんですけど
ここに全勢力が入っていっても
おかしくはないだろうとは思っているわけです
ここから先ということになってくると
わかんないんですよ
それがコーチングなのか
医療行為なのか
でもそれぞれの人たちは別途いるわけじゃないですか
それは私からすると
だいぶ先のことをやってるわけです
どっちにしても
もっと手前のところがあると
入口付近があって
この入口付近にかなりのやれることが
あるんではないだろうかってのが
3ヶ月コンサルのある意味趣旨なわけですよ
3ヶ月だしね
これが3ヶ月もかけるんだからって思われるでしょうけど
そうじゃないんだっていうのが
まず私にはあるわけです
21:00
なんだかんだ14年とかいう話が
普通に心理臨床の世界ではあるわけですから
14年から見ると
3ヶ月0.25年というのは
本当に入口じゃないですか
この入口でやれることがしかし結構あって
しかも結構これがどこに行ってもなされていないっていうのが
私にとってのブルーホーシャンだわけですよ
かなり頭のおかしいビジネスを
ここで展開しようとしてるわけです
この場合の頭のおかしいには
ネガティブな意味はないんですよ
だってね
藤沢で誰かに当たる7億円とかいうのは
普通に仕事になってる
かなり彼は多分
社会的には成功してる人なんですよ
分からないんですよ
社会的成功などというものは
それはハリウッドの街に行って
ポルシェに乗ってら
その人は成功してるのはすぐ分かるんだけど
そんなに分かりやすい成功をできる人は
本当に限られてるから
普通の人の普通の成功は分かんないですよ
畳から見てても
さっぱり
だから私がまた脱線しますけど
あるこの人は腕利きだなと思った編集さんが言ってたんですよね
本が売れてるかどうかは
調べてみなければ分かりませんと
一見全く売れてなさそうな本が
すごい実は売れてたりしますからっていう
だからその人は
要するにパソコンでデータ叩くやつがあるんですけど
いちいち本屋さん行っても
売れてそうだなと思った
手に取った本は全部奥づけ見て
必ず叩いてましたね
っていうぐらいの世界なんですよ結局
分かりやすい成功っていうのは
本当に数少ないんで
見えに見えてない成功を狙うというのは
ありだなと思うんで
私は3ヶ月コンサルに
それをかけているわけですけれども
だいぶね
いろいろとうまくいかないことは
でもうまくいかないことは
本の世界だろうと何の世界だろうと
いっぱいありますから普通に
普通はうまくいかない
アセスメント時におけるコミュニケーションは
だから私は教室中で
臭いと言われているというのは
一つのコミュニケーションであることは
確かじゃないですか
それは結局
普通に考えちゃうと
それは何かを誤解しているだろうなんだけど
それはさっきの泣いている赤ちゃんと
あやしているお母さんの関係のようなところに
行き着くはずなんですよ
行き着いた途端に
少なくともその人が
求めている何かは
提供されることになると思うんですよね
だから私がカウンセラーに向かって
私のような生き方しか
できない人間だっているんだ結構
っていうのが受け止められれば
すでにそこから何かが提供された感じが
するわけですよ
というのは私は
一つの仕事だと思うんですよ
そんなのカウンセラーじゃなくてもできるじゃんって
言われるかもしれないけどそんなことはないんですよ
結構ね
意外とこの種の言葉を
多くの人は聞いているようで
24:01
聞いてないんですよ
聞かれてないという体験を
私は無数にしてきて
その都度小さなですね
マイクロなんたらかんたら
みたいなのを言うことすら
必要ないレベルではあるが
聞いてるという
言い方をするが聞いてないんですよ
結構聞いてないんですよ
慶長っていうのはそれ自体が
サービスだと僕は思うんですよね
それぐらい人の話って
聞いてないんですよ
よくカウンセラーは話をするだけっていうのが
Xでもよく流れてますけど
特に正規の心理師さんがおっしゃってますけど
話をするだけ
どころか話を聞くだけ
かもしれないんだけれども
それだって
正規非正規問わず
結構そういうサービスは
ないんですよ
私は
別に私は
パーソナリティ
そういう形に自分をすることも
非常に難しい
言い方になってくるんだけど
私は別に20代30代の頃
明らかにスキゾイド系の
パーソナリティだなって
思ってたし多分そうだったと思う
今でも
ある種の条件が整えば
っていうのも変ですけど
ある種の条件がこじれれば
そうであると思うんですね
でも私はもっと遥かに今は
カウンセラーさんのところに行くときは
ある意味整っていくんですよ
何でかっていうと
概ね信用してるからなんですよ
だから
そういう話ですら
継承されないんだっていう
経験はやっぱりするもんなんですよ
一定の割合で
でもこれは批判じゃないんですよ
これが批判っぽく聞こえるのは
これがさも簡単なことのように
語られてるからであって
これは全然簡単なことじゃないんですよ
耳の傾け方まつきさんの本
読むといかにこれが難しいことか
ということがよくわかるんですよ
かなり話を聞いてもらった
人でないと話を聞かれるというのは
どういうことなのかというのは
わかんないもんだしつまり
これはですねその人の責任
じゃないと僕は思うんですよ
正規の心理師さんであろうとも
訓練って言うけど訓練
だけで
まかなえないなって感じがするんですよ
なんていうのかな
非常に
荒れない言い方で
本当に恐縮なんですけど
本当に恐縮だとは思いますが
私がこれに匹敵するものを
真剣に答えられる
一つの答えとしてですね
僕言ったことないんですけど
もし
時々書いてあるじゃないですか
僕は半信半疑なんですけどね
風俗とか言って
めっちゃ今までのセックスじゃ
こういうの全く感じたことがないって
体験をしてみたら
セックス感変わるよねそりゃとは思うんですよ
だからわかんないですよそんなことは
できるのかできないのかも
まずそういう体験をするまでに
何回行かなきゃならないのか考えるだけでも
気が遠くなるんでやめちゃうんですけど
27:00
気が遠くなるってことは全然ないけど
金持たないよな
俺じゃっていうのは思いますよね
わかんないですよそういうことは
ただそこら辺で
言ってみただけなんだけど
ただとにかく変わるよねと
こういう体験を僕がしたことがないのは
僕の責任じゃないですよね
しかし
それと似てる話なんですよ
それ訓練でまかなえないでしょっていう感じがする
いやまかなえるのかもしんないけど
私にはそうは思えない
だから
ものすごく優しくされた体験とか
をしてみて
初めてわかることってあると思う
もちろん僕はあんまないんですよ
あんまないんだけど
私は
昨日ある
セッションで
なるほど言われてみればと思ったのが
娘との
人間関係ってものの
経験で
私は人間関係というものをやっぱり
変わったんですよ
人間関係観というものが
こっちの話を出したほうが
はるかに良かった気が
だけどこっちの話インパクト薄いよね
なんか伝わるようで伝わらない気がします
だから私は
娘を授からなかったら
ですね
多分今できてるセッションの
ある種のことができてる気が
しないんですよ
でもこれは訓練では絶対賄えないと思うんですよね
いやわかんないんですよ
訓練でそういうものを賄うんですって言われれば
それに対して私が反論
する資格はないんだが訓練を受けたことが
ないからでも私はそうは思わないんですよ
だから
こういうこれはただ娘に
優しくされたとかではないわけ
だから
その結局
ある種の体験を
経ないとその種の体験を
提供するとは
どういうことなのかについて
思いをいたすことも全く難しい
っていうことってあると思うんですよ
で
それはやっぱり
その
受けてみていい思いをしてみるしかも
ないみたいなところがあってですね
あってですね
ただ正規の
ところに行けばそういうものが得られるだろう
と思っていくのはナンセンスだろうと
むしろ思うわけです
そういう
話を聞いて
聞かれるだけだっていう
話がそもそも
テーマに上がるということそれ自体
これは簡単だと思われていて
簡単だと思ってる
ということは自分は
話を聞いてると思ってるんだけど
私たちはみんな
聞いてないんですよ
残念ながらなぜなら
聞く気がないからなんですよ
これは松木さんが繰り返し繰り返し
ほとんどあの本一冊で言ってることは
それだけなんだけど聞く気ないだろう
お前らっていうことなんですよあそこに書いて
おっしゃる通りですって思うんですよ
聞く気になるということが
提供する価値が
十分あるんですよどんな話でも
聞く気になれますっていうのは
相当すごい話だとある意味
30:01
思うんですよね
それは答えを
引き受けるってことだし
そこでちゃんと
アセスメントができる
基礎中の基礎だと言われればそういうことになるんですけどね
で
フィッシャーさんのほうにはそれが実はないんですよ
フィッシャーさんのほうは最初から
乖離性トラウマというものは
こういうもので
実に後半にあってその通りだと思う
なんだから
乖離性トラウマじゃない境界性とか
発達性とか言われているけど
それらは誤信であって
乖離性なんだよって書いてあるわけですよ
それはそうなんですよ
なんだけどどうしてそれがわかるんだ
っていう話が
飛んでる感じがするんですよ
あるいはあまりにもそれについての記述が薄いために
よくわからない
っていう感じがするんですよ
で
アタッチメントっていう話は
盛んに出てくるんだけど
僕はあれは乖離だということが
わかった段階ですでに
フィッシャーさんからできる
提供されるべき
相当量は全部じゃないけど
相当部分が
少なくとも5、6割は
アセスメントが正しく
乖離性
トラウマ性の乖離である
っていうことが正しいんだったら
提供されているものであって
だからアタッチメントに
関する記述がなんかこう
後手後手に回ってるというか
記述が後ろに来てるのが
本当は前に来るべきものなんじゃなかろうか
という感じを
私は批判的に抱いている
ということなんですね
これでは話しか伝わらないかなと思う
アセスメントの段階で
アタッチメントしてるはずなのに
アタッチメントが大事なんですっていうのを
アセスメント後に
持ってきてるから
この話は分かりにくくなっているんじゃないだろうか
と思ってるってことなんですよ
だってトラウマ性の乖離であることが
全部自明になってしまった
本なんで
もちろんそれはそれでいいんだと思うんです
トラウマ性の乖離とはこういうことなんだと
その内実についての説明をしているから
だけど
ここに来ている人が
なぜトラウマ性の乖離だと
フィッシャーさんは判断したのかという部分は
私には相当
記述としては薄い気がするし
はっきり言って記述しかないような気がする
しかし私は
これを判定するためには
投影を引き受ける必要がある
と思うんですよね
そこのところで
はっきり言って私投影を引き受けるということは
明らかに
フィッシャーさんのような人にとっては
多分あのような形には
ならないんじゃなかろうか
もっと
それ自体は実は
シュラバとか
こじれとかいう言い方おかしいと思うんですけど
だって赤ちゃんを
あやしているお母さんと赤ちゃんが
泣き叫んでるって
関係はこじれてるわけじゃない
いいじゃないですか
33:02
そういうふうに
感じる
なんでこの子まだ泣いてるのかしらと感じる
ってことは別にあると思うんです
でもそれはこじれとは
言わないと思うんですよね
この話はこの延長線つまり
慶長ってそういうことだと僕は思うんですけど
だから私は教室中で
臭いと言われてるんですっていう
この松木さんのこれについて
聞いているというのは
普通の光景じゃないのか
普通の光景ってのも変ですけど
普通の光景ですよね
何もこじれてるわけじゃない
でもこれが雰囲気として
リシアさんの世界はもっとこう
初めから非常に
有効一辺倒になっているんだけど
書かれてはいるんですよね
もう来る気がしなくなりましたと
言ったセリフが出てくるでしょうと
でもそれを
フィッシャーさんが聞いているのを
フィッシャーさんが
描写しているっていう形での
描写を松木さんは
してないんですよ
なんていうのかな
分析
なんとかの進展という
あの本も繰り返し
読まざるを得なかったんですけど
脅迫症の人を
松木さんの方から
最後は
弦を切るように
設定してたんですけど
途中で来なくなる時の
ステデリフみたいなのが
先生は分かっていない
治療の継続に疑問を感じますって
言って帰っちゃうっていう
このシーンの感じと
来る気がしなくなりました
っていう患者さんがいるだろう
っていうこの書き方とでは
大きな違いを感じる
わけですね
先生は
松木さんに言うわけですよね
先生は分かっていない
治療の継続に疑問を感じますって
これはなんていうのかな
これも教室中学祭と
言ってますと基本変わらないはずなんですよ
基本変わらないんだけど
全然違う感じがしますよね
だけどこれが
だから教会
病気とかいう話なのか
トラウマという
話なのかっていう話じゃないと思うんですよね
まだ
もちろんこの段階での
アセスメントは終わってるわけですけど
でもやっぱりこれは
何かを伝えてきているのであって
と僕は思うんですけど
この伝えてきている
ということが
つまり
先生は分かっていない
っていうことなんですよね
分かられている気がしない
っていうことなんだと思うんですよ
伝えてきているのはですね
先生は分かってるんですけどね
36:02
なんだけど
分かっているということと
分かっていることを伝えることは
違うのであって
この
相互がですね
弊社さんの本の中には出てこないんですよね
伝えたことは分かられてしまうんですよ
そんなはずないだろうと僕は思うんですよ
この種の話で
ある限りはですね
伝えれば分かられるはずはないと思うんですよね
そうじゃなかったと
私は疑ってるわけですよ
弊社さんにしたってっていうことなんですよね
分かられたはずはないと思うんですよ
弊社さんが分かってないわけではないんですよ
分かったということを
伝えるということは難しいことのはずで
それが
私は傾聴の中に
私は実際
自分がですね
先生が言うことは分かっていると
言ったわけですよね
私のような人間が
そういうことをするのは危ないと
先生が思っているのも分かっていると
でもちゃんと
精子分析科の下に就くなり
訓練分析を受けるなりして
大学院を出て
精子分析科なり
精子分析的心理療法師になるということが
できない人間もいるんだと
同じようなことをやっていたって
できない人間もいるんだと
そもそも私大学院出てないし
出られる気もしないと
先生出てるんでしょうけど
これは歪んで言ってるという感じもするけど
歪んで言ってるんじゃなくて
実際出られないんだよ
私は
出られないまま53になったのは事実なんであって
出たくなかったわけでもないんだよ
入ったわけですし
入った時は出ようと思ってるわけですからね
粘田修理師大学を
1年もいなかったけど
という話を
ねじ込んで
何にも触れてないんだったら
他の会社はいくらでも
できると思うんですよ
いやもうごく簡単に言って
でも佐々木さんが心配なんです
でもいいわけですよ
でも私はそれはほぼ何も聞かれてない気がするんですね
聞くってそういうことじゃないと思うんですよ
別にうなって
欲しかったわけじゃないんだけど
うーんって言って
これは納得感があったわけですよ
とりあえず聞かれたな
という感じ全部とは思わないけど
でそれに対して
どうしようもないっていうのは
いい答えだって僕は思ったんですよ
悪い答えではない
7000円には相当する
少なくとも佐々木さんが心配なんです
言うよりははるかにマシだと
これは佐々木さんが心配なんです
でも常識的な会話であれば
聞いたことになるんでしょうけど
それは私は全く聞いてないなって感じがするんですよね
私は別にそこで
先生が聞いてくれないから
これから死にますとか
そういうことを言うつもりはないんですよ
先生のことを最悪の先生で
39:01
話も聞かないと言って
ベラベラ外で喋ります
実面も上げますとか
そういうことを言う気はないんですよ
全然そういうことはしたいとは思わないですしね
何なら私本も書けますから
本に書いちゃいますみたいな
それで相手が困るかどうかは知りませんけど
そういうことはやろうと思えば
やろうと思えば
できるわけじゃないですか私は
でも実面はちょっと
やばいからできないにしても
ですね
でもいいんですよ
そんなことをしなくても別に
なんていうのかな
してもしなくてもいいことだって感じが
するんだけど
していいことだと今の世の中では
絶対言われないでしょうけどね
でもしたいとは全く思わないですしね
ただ
でもどうしようもない
というのが
7分くらいかかって
出てくるというのは
私はいいことだなと思った
って感じなんですよね
慶長とはそういうことだよね
っていう感じがしたってことなんですよ
で結局
それはアセスメント以前ですよ
それによってアセスメントすらされなかった
まさにアセスメント以前ですよ
1回目だし
1回ですから
私でさえ12回だけど1回ですから
現在私アセスメント受けてるけど
それには3回かかるんだけど
1回ですから
でもまあ
いいわけですよ
答え方なんてないと思いますし
答え方があるっていうのは
全然ダメな感じがするしね
答え方なんてないと思うし
最初から
それが乖離である
などと言えるはずはないから
やっぱりどこまでは
わからないものに対して
わかるように
努力をした
っていう部分があったはずであり
それがそもそもの
大きな提供物の1つで
私だって結局のところ
もうちょっと突っ込めば知りたい
そもそもなぜ私は
大学院に出られないと先生は思うのか
ということを知りたいわけです
そこのところは時間切れですよね
つまり
それだけ時間がかかることなんですよ
これは
努力すれば出られるんじゃないですかみたいなこともいいと思うんですよ
以前そういうことを別の人に
言われたことがあるカウンセラーさんで
それは私は話を聞いてないなって
感じがやっぱしますけど
努力すれば出られる
学力とか
IQ的には出られるって言いたいわけでしょうけど
ほぼ無意味な
これほぼ世の中の普通の人が言うのはいいですよ
でもその人は別に聞いてないし
私のことに興味ないわけだから
それでいいんですよ
それはそれで
大概の人は僕に興味ないでしょう
それはそれでいいんですよ
そういうことは問題なんじゃないんだけど
カウンセラーさんっていうのは
不幸なことにというべきなのか知りませんが
42:01
誰が来るかわからないわけですから
結局
私は相当めんどくさい人間なのかもしれないし
そうではないのかもしれませんけれども
結局誰が来るかわからないわけですから
大学院なんて出られそうだけれども
っていう風に見えるのかもしれないけど
何個も何個も移動しても
一個も出られてないです
そんな人はザラにいると
僕は思うんですよね
だからその
悩みを持ち込むというのは
最終的にやっぱり
私は
ザラくさいんです
ってことになりかねないから
これは
もちろんそれが
トラウマである可能性は
ありますよね
それはありますよね
だけどそういう風に
相手に告げられるところまで行くには
相当の
何かがあるし
もしかすると告げられずに
終わる可能性も相当ある気が
しますよね
なんだから
その人にとっては
それはもしかすると
戦略なのかもしれない
そうは思ってないのかもしれないんだけど
そのように言うことがその人が生きる上で
かなり役に立ってきたのかもしれない
わけですよ
わかんないですよもちろんで
書いてなかったんでそれは計帳で
ここまでしかなかったんで
そういうことであった場合
その戦略はやめましょう
って言えるようになるには
ますます難しい
はずだと
思うんですよね
そんなことは言えないまま終わる可能性も
確かに絶対十分ある
3ヶ月じゃ私は無理なんじゃなかろうか
という感じがします
少なくとも
あなた自分がくさいとか
言っているその人生戦略
がうまくいきませんよとか
最悪じゃないですかある意味
だけどこの最悪のことを
その人に言った人が
いたかもしれないですよね
兵器のカウンセラーさんを含めてですよ
そういうことって
想定されることだと思うんですよ
だから
それはだから僕は訓練を
生んぬんの話ではないと思うんだけど
そういうことを含めて
考えてみると
考えてみると
やっぱり
投影されるということが
引き受ける引き受けない
をさらに
細かく見ていくと
引き受けると言ったって
その
人のどれを引き受けるのかってやっぱり
あると思うんですよね
結局どれを引き受けさせられることになったのか
みたいなところぐらいから
しか分からないことってあるんですよ
きっとそれを転移と言うべきだ
と思うんですけど
この辺のことと
これはだから原因にケアしてる
ってことになると思うんです
45:00
だけど
医者さんが書いているような
トラウマ反応のパート
の声を聞きましょう
これは結果にケアしてるんだと思うんです
結局最終的には少なくとも
治療っていうからには
両方いると思うんですよ
後者はシステムを
必要とすると思うんですけど
医療支援システムみたいなものが
それがだから非正規の人間には
どれほど頑張ろうと
どれほど何をしようと
なかなか存在しないはずのものだと思うんですけど
あれですよだから
廃車の器具とか普通の人持ってないよねって話ですよね
それはやっぱり
医療支援システムってものと
関係があるし
クレジットカードで買っちゃったらやばいですよね
破産しちゃいますよね
だから
そこに違いがあるとは思うんですよ
でやれることとしては
入り口へ入り口へと
つまり
原因ないっていう考え方もDSMにあるけど
そうではなくて
原因の方へ原因の方へと
向かっていく必要が
あるでしょうやっぱり
っていう感じが
3ヶ月コンサルなんですと
これはもうCMにも何もなってませんけど
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