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おはようございます。グッドモーニングボイスです。第1120回をお送りします。
1月14日火曜日8時30分です。
とても寒い。はい、名前をね、改めて元に戻しまして、
ちょっとまたサブタイトル的なものは考えていこうかと。たぶんこれを聞いていらっしゃる方は
あのほぼ興味ない話だとは思いますが、なんとなくこうね、
いろいろと動かしていきながらじゃないと。1000回も続きませんから、なんとなくこう動かしていきながらやっております。
じわじわじわじわじわとスタンダードFMの登録者数も増えてきていて、
とてもありがたい限りで、これからちょっとまた何か、ここを頑張って増やそうみたいなのは、
そんなに強いモチベーションが働く動機がないんですけど、まあまあでも少なくは多ければ多いほどいいみたいな、
ただますますベンズですね。あるところはあると思うんで、地道にやっていこうと。
とりあえず2000を目指しながら、回数2000を目指しながら、視聴者数は100をとりあえず目指していこうと思っております。
サンチャレのお知らせは引き続きしますね。第9期やりますと。残り2から3枠で今期は行こうと思っております。
最大でも。
で、あのー、なんていうのかな、あのノートでね、また告知ページを改めて用意しておりまして、
まあこの告知ページ、ランディングページも作らなければなと思ってはいるんですけれども、
3ヶ月に1回数十名の方に見ていただければもはや十分な、数十名じゃダメか、まあでも100名前後の方にご覧いただければと思っておりますので、
まあ作らなきゃいけないんだけれども、
まだね、そこまで喫緊の課題かというと、まあ来期10期ですし、100チャレも10期でリニューアルしておかげさまで成長ですので、
10期でちょっとちゃんと形に一応ね、しておこうかなとは思っております。
9期はとにかく基本路線は変わりません。
あとはこういかにね、これが非常に怪しく見えて、多分怪しくしか見えないと思うんで、
あのこれ大丈夫なのっていう、多分大丈夫なんだと思うんですよ、自分としてはね。
あのなんでか、変異というものを、
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いつのかな、変異というものの、
もうその、なんと言えばいいんですかね、リスクって言えば一番簡単なんでしょうけど、
リスクって言うと、なんかこう、
天物みたいになっちゃうじゃないですか。
そういう言い方をよくされる方もいらっしゃるんですけど、僕それは、なんかこう、納得がいかないんですよね。
えーと、公認心理師というものができて以来、少し強くなってきたとは思うし、それは僕は大筋では応援したいんですよ。
でも、この心の相談というものをね、正規に任せましょうっていうのは近代的な発想であって、
後から出てきたものに決まっているじゃないですか。
だって公認心理師ってごく最近できたものじゃないですか。
その、後からね、そういう発想に切り替わったわけですよ。
お医者さんはすでに定着しきってるし、
えーね、紀元前から実は麻酔まで扱っていた人が、本当か嘘か知りませんけど、
まあ、いたのではないかとされている中国とかですけど、
ある一方で、まあ酒とか言えばそういうことになるのかもしれないけどね。
あの、今のこの時代になってようやく整備されているこの心の相談。
心の相談って人生相談ですから。
人生相談なんて、えーと、正規に任せねばならん理由って本当はない、なかったはずですよね。
全然なかったと思うんですよ。
そこら辺の人に相談しますよね、普通にね。
そこら辺と言っちゃいけないのかもしれない。
これがなんかこう、管理下に置かれるべきだと。
公という字をそこに当てる必要があるんだという、
お金取る場合に限るっていう話だとは思うんですよ。
でもこれをこう、その人じゃなければ相談しちゃいけないんですみたいになるというのはですね、
えーと、どっか無理があるという感じもするんですね。
まあ最初はお医者さんだってそう思われたと思うんですけどね。
要するに近代ってのは、えーと、医者と軍隊だと思うんですよね。
これを国家の管理下に置いたっていうのが、えーと、圧倒的だったと思うし、
まあ教育もそうか。
で、あの夏目漱石書いてますけど、校長排斥運動とか起きたわけじゃないですか。
起きますよ絶対にああいうことって。
だって不自然ですもん。
子供にものを教えるのは国家じゃなきゃダメですとかっておかしいですよね。
まあおかしいっていうか、このシステム、
私最初にこれを強烈に考案した人がナポレオンだったような気がするんですけれども、
まあでも思想統制につながりますよね。
ごく当然の成り行きとして。
で、まあそういうことはありますから。
あれですよね、あの昔中国の新帝国がやっぱりこう、
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正義談義しちゃダメだっていうね、これもねやりますよね。
すぐやりますよね。
近代国家絶対やりますよね。
政治談義できればしてほしくない。
でもおかしいじゃないですか。
あのこの政治談義しちゃダメっていうのは、
ものすごく突き詰めて言ってしまうと、
そこら辺の買い物してる人たちが最近物高いよねって言ったら逮捕されるって話ですからね。
いやそれは当然でしょうって思う人もいらっしゃるかもしれないですけど、
僕はそれはあまりにも近代に期待をかけすぎていると思うんですよ。
もうなんか物高い不平言っちゃダメみたいね。
でもこれは戦争とかになればいかにもありそうなことな気はするわけで、
まあだって私だって自分が異性者だったら当然そうしたくなるだろうなって思いますもんね。
やっぱりXで物高いとか言ってる奴は監視して全部逮捕しようみたいな。
そうすると弱っていく気がするんですけどね、トータルで考えると。
味方いなくなってきますよね、そんなことやってたら。
まあでもそういうことを実際に国がやったりもするわけで、
心の相談を公認の人がするのは当然だっていうのは、僕は当然だとは全然思わないです。
応援はしたいとは思うけど、当然ではないと思うんですね。
まあそういったことからサンチャレは怪しく見えるというのは実はちょっとした近代的な陰謀だという気もするんですよ。
一方ででもまあ怪しくは当然見えるよねと。
あのこの辺僕はものすごくアンビバレントですよね。
やっぱりこう最近ありふれた心理療法っていうのがちょっと炎上したんですけども、ほんとねセンシティブすぎるよなと思うんですよね。
ありふれたっていうのは良いことじゃないですか。
ありふれたって言われるのがなんかこうプライドが傷つくってことなのかもしれませんが、それはやっぱりセンシティブだなと思うんですよ。
歯医者さんとかありふれてるからみんな行くんですよ。
あれめっちゃ嫌ですからね嫌な人にとっては。
もはやカルト宗教行くよりも歯医者行く方が嫌だっていう人は、
普通に自然に当然いると思いますが痛いんだから。
でも歯医者さんになぜ人が行くかそれはありふれてるからですよ。
公認だからではないですよね。
実際昭和の昔は子どもとか老人とか歯医者行ってませんでしたもんはっきり言って今みたいには。
まあありふれてはいたんですけど、公認だから行くってもんじゃないですよね。
ありふれてるから行くんですよね。
だからありふれてない心理療法なんてものは、やってる人からするとそこには技術の粋が詰まってるのかもしれないけど、
あるいは非常に善意とか誠実さに満ちてるのかもしれないけど、だといいと思いますけど、
だからといって人はそこにはいかないんですよ。
行きたくないんだから。
行きたくないってことを忘れちゃってると思うんですよね。
行きたくないってことを忘れちゃいけないと思うんですよね。
高いんだし、時間かかるんだし、このお金と時間がかかるってものは近代では非常に不評なんですよ。
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あんきんたんはやっぱり絶対正義なんですよね。
だから行きたくないものに行くっていうことになると、それがありふれてなきゃダメなんですよね、感覚的にはね。
やってる人はありふれてると思う必要はないのかもしれないけど、行く人にとってありふれてなかったら絶対行かないと思いますね。
本当だってやばいじゃないですか。
地下にあります。人知れず、そこにあります。
バーじゃないんだから、住所は教えられませんみたいな。
これはもうマルヒ中のマルヒで、知る人ぞ知る心理カウンセリングです。
絶対行きたくないですよね、そんなところはね。
ありふれてるから行くんですよ。
もうもし行くとすればですね。
だからありふれた心理療法っていうのは非常に二重の意味ぐらいが意識されると思うんです。
だから炎上するのかな。それは良いことなのかもしれませんね。
今日はですね、今さらそれかよって言われると思うんですけど、ハンス奨励ってやつをちょっとですね、話をしたいわけですね。
この話だけがしたいわけじゃないんだけど、この話とか多分まともにしてこなかったと思うんですよね。
これはフロイドの古典的な奨励で、五大奨励と言われているウルフマンとかラットマンとかね。
ネズミ男とか狼男とかシュレーバーだったかな。
などと言われている重要な奨励の、本当に私のようにですね、なんちゃって心理学科出ましたみたいな人でも五大奨励ぐらいはテストで書かされました。
私の場合アブノーマルサイコロジーっていう学科で、それは暗記したんですよ、はっきり言って。
だって英語で書かなきゃならないんですよ。
日本語で書いたって暗記しなきゃならないのに、英語で書くとか全然ダメですよね。
で、別に綴りとかにこだわらなくてもいいんですけどアメリカは。
まあでも綴りとかにこだわっちゃう日本人なんで、本当ハンスはいいけどシュレーバーとか本当はね、書けないですよね。
なんかエスシダントカカントカみたいなそういうのって本当にもうローマ字暗記ですからね、僕がやるのはね。
あのなんつーのかな、アンコンシャスネス、アンコンスキアウスネスですからね。
あのでもこれ書けるとアメリカ人にショックを与えられるんですよね。
なんで称号はそれが綴れるのって大体言われますね。
これは移って漢字を外国人が書ける、我々びっくりするのと大体同じですよ。
アメリカ人はあのなんかビコースすらもうビースラッシュとか省略しやがりますからね。
めんどくさいのはよくわかりますけど、ASPSとかそんなことばっかり書いてるから綴れないんですよ。
まあ大体そういうもんです。慣れてる人ほどやらなくなっていくんです。書いてる回数が違うからね。
えっと
あのハンス小霊が大事なのはですね、まああれは馬に噛まれるのが怖くて外に行けなくなった男の子のお話なんですけど、
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これにエディプスを、これにもうお父さんが怖いんだよねそれってあっさり言い出す人はフロイト・カブレなんですよ。
だって馬が怖いって言ってるのにどうしてお父さんがそれが怖いことになるんじゃって話なんですよね。
いくらかこじつけがましいところもあると思うし、別にこじつけでもいいんですよ。
この辺がですね僕もよくわからなかったんですよね最初フロイト読んだ時に。
なんかね変な夢占いの話聞かされてるような感じがずーっとしてて、もう変な夢占いなんだけどそれが何の役に立つのかがそっくりわからなかったんですよ。
だからわかんなかったんですよね。なんかねほんとこじつけがましい話が延々聞かされてて、
やたらと学術的なことを言おうとしているくせに、やたらとおとぎ話みたいな話ばっかり出てくるというあの混在感がね、よくわからないって感じを抱かせてたんですよね。
それがよくわからなさに直結してたんですよ。
よーく考えてみるとこの話は大事なんですよ。何がどう大事かというと、笑い話みたいになっちゃうんですけど、
そもそもなぜフロイトはハンスを治療対象にしてるんだっていう疑問が自然と思い浮かばなくてはいけないと思うんですよね。
フロイトって子供見ないんじゃなかったのってことですよ。なんで4歳5歳児見てんのっていう話なんですよね。ここが大事なんですよ。
ここからすぐにメラニー・クラインって人がやっぱりパッと思い浮かばないといけないんだったんだなっていう思い浮かばなかったんですけどね、もちろんね全然全く少しもね。
メラニー・クラインってあのよくね、フェミニズムの心理学の先生が怒ってましたけど、もう本当大物だろうとなんだろうと女の人となると枠になっちゃうんだからって。
私なんか枠見開きの枠なんだから偉い扱いじゃんって思うんだけど、枠ってのは要するにそこ読まなくてもいいよねっていうかコラムみたいになっちゃってるわけですよね。確かにあれは男女サービスですよね。間違いない。
あんなフロイトとかメラニー・クラインとかあんな超大物をね、コラム、あのメラニー・クラインって読んだんですよ。間違いなく読んだ。で私はコラムかみたいな。
留学生にとってコラムはね結構ね扱いにくいんですよね。コラムは全部飛ばしたいみたいな。もう完全に差別感あるんだけど。我々は差別でやってるわけじゃないんだけどコラムは飛ばしたいんですよ。
だって暗記の対象なんだから。少ないに越したことはない。でもコラムを喜んで出す先生っているじゃないですか。非常に怖いんですよね。コラムを頭から飛ばしておくというのはね。
だいたい僕はもうみんなそうなんだけど、アメリカ人なんて時間がないから留学生はまして時間ないんですけど、だってアメリカ人は1ページ3分ぐらいで読めますけど、私は1ページ30分ぐらいかかるわけだから、コラムなんか絶対読み飛ばしたいわけですよ。読み飛ばしたいというか読みたくないわけですよ。
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コラムにメラニー・クラインはいた。確かにいた。で、問題なのはこのハンス・ショーレイというのは4歳以上みたいな。なんでメラニー・クラインはミス・クラインでしかない人なのに高校卒業したいだけの人なのに精神分析をやることが許されたかというと、子供を相手にするってことで免罪されてたわけですよ最初は。
大人は見ない。お前大人見るんだったら維新免許取れやって話になっちゃうわけです。だからノラカウンセリング問題ってあんな時代からちゃんとあるんですよ。子供ね、まあ子供はいいよみたいな。そうやってお目こぼしされてたわけですよ。じゃあなんでプロフェッサー・フロイトがね、もう偉いわけですよ。めちゃくちゃあの当時のドイツの、今だってドイツのっていうとやっぱ権威的に違いますからね。
要するにPHDみたいなもんですよね。ドクター・フロイトがなぜ子供の精神分析やってんだ。非常に大事なポイントなわけですよね。
実際、フロイトの考え方ってどうしてもどうしても、転移ってものを言ってしまった以上は、転移は今ここみたいなこと言うけど、横の広がり、空間みたいなこと言うけど、今ここで患者さんと精神分析科の転移が起きてるんです。カウンセラーの転移が起きてるんですって言うけど。
やっぱり、でも母親とかちぶさとかおっぱいとか、噛みつきたいとか言う以上は、赤ん坊に赤んちゃってこと言ってるじゃないですか。問題なのはそれ赤ちゃんは本当に心の中でそんなこと思ってるのっていう話になった時に、発達観察をしろってことになっちゃうじゃないですか。科学的には。でも発達観察はしないんですよ。精神分析というのは。
やっぱり藤山直樹さんの思い出しますよね。発達と生成は違うんです。発達と生成は違うっていうのは難しい気がしますけどね。でもとにかく本当なのそれっていうことを言ったら子供の観察しなきゃならないじゃないですか。でもしないんですよ。そこ大事じゃないから。
4歳になればエリプスコンプレックスというものを持ちますとかは言えないんですよ。そういう話じゃないんで。神的現実なんで。あくまでもね。そういうなんて言えばいいんですかね。こういう心のものの人間のものの見る型みたいなものがあって。だって人間の型ってやっぱあるじゃないですか。イルカは泳ぐようになるじゃないですか。
練習とかしなくても練習するのかもしれないし、習うのかもしれないけど、でも少なくともイルカのスイミングスクールとかはないわけですよ。イルカは泳ぐようになるんですよ。空飛ぶようにはならないんですよね。人間は象徴機能を使うようになるし、言葉を使うようになるんですよね。二者関係から三者ってものを意識するようになるんですよ。
それはなんていうのか、そういうふうにしか発達できないというのか、そういうふうには発達できるというのか。いくら頑張ってすっげえ賢いシンパンジーに教えても、やっぱりシンパンジーは本当の意味で交差点は理解できないんですよ。頭脳の明晰さは関係なしだと思うんですね。そこにあるのは。
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だって我々は鳥はですね、我々より脳がずっと発達してるから空が飛べるんですよね。空を飛ぶということの中のバランスをとれるんですよ。脳で。鳥はめっちゃ頭がいいんですよ。だから空が飛べるんですよ。我々はああいうことはできないんですよ。どうやっても。自転車ですらこけるじゃないですか。我々の小脳のバランス感覚の発達機能はそんなもんなんですよ。
でもすっげえ頑張れば体操選手みたいになれますけど、基本的に普通の人はそうはならないんですよね。
だからこのエリプスコンプレックスというのは、要するにお父さんが怖くなると、特に少年の場合怖くなるというのは、お父さんペニスでかいとか、そういうことはそこにひけ目を感じるとか、勢いを失うとか、そがれるとかいうことはですね、人間であればそうなっちゃうっていう。三者いればやっぱり三角関係がそこに生まれちゃうという。
たぶんトカゲなら3匹でも三角関係が、あるいはオスが他のオスを殺すまでやるみたいに、そういうことにはなんないじゃないですか、人間は。虚勢でことってありますよね。
いやお前、分かってんね、みたいな。お母さんといい仲になって俺のこと殺したらダメだからね、みたいな。昔のインドではあったりしない。インドだけじゃないですよね。日本でもありましたよね。あるじゃないですか、そういうことって。絶対ないわけじゃなかった。古代においては。
だから人倫とか言うんですけど、人の倫理みたいな。そこではそういうことは我慢する。どんなにやりたくても我慢する。だから家から出て他行きましょうね。ここにはだから、自立とか独立って問題がちゃんとあるわけですよね。愛着って問題も当然あるわけです。
お母さんと本格付けば、こと足りるわけですから。お母さんが、ましては昔の王様みたいに、いや、自分老人になっても赤い女の人とお妃にしますみたいな。一歩間違うと息子よりお妃さんは年下ですみたいなことが起きるわけで。そういうことになると三角関係は一時、勢いややこしくなるんですよね。
でも俺外に行かなきゃなんないみたいな。外に行くの大変じゃないですか。殺されちゃったりもするじゃないですか。外には極力行きたくないですよ。勢いがそがれてるわけですよ。お父さんは息子に俺より弱くあれみたいな、極端に言うとね、そういうことになってるのに、外に行くと誰よりも強くあれみたいなことを言うわけですよ。そういうことを言われても困るわけじゃないですか。
今だって、よくやってるじゃないですか、女の人は自分よりは学歴下じゃないとダメみたいな、そうじゃないと好きになれない。でも今の時代ですから女の人にはより多く稼いでほしいみたいな、よくわかんない二重拘束みたいなことが起きますよね、人というのは。
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物事を象徴的に考えるとどうしてもこうなるわけですよ。なんとなくあの人の方が稼いでるポスっぽいねみたいな、なんかなんとなくあの人の方がバナナの草多く取ってきたよねみたいな、そういう猿的世界では済まされないわけですよ。お前の年収はいくらだみたいな、そういう象徴的なことを言うから、そこに本当に優劣が象徴だけで言えるかのような気がしちゃうわけですよ。
そんなことだって意味あんまないじゃないですか。日本の会社ってきっちりしてるし、税とかいう問題があるから、なんか1円単位まで収入が出てるような錯覚に陥りますけど、そうすると1円でも上の方がなんか稼ぐ能力高いみたいな、これはもう完全に錯覚ですけど。
だってその分猛烈に支出していれば意味全くないじゃないですか。そんなことわかんないじゃないですか結局。あのね、1000万ぐらい借金すれば700万ぐらいの収入を計上するみたいなことは不可能では全然ないんだけど意味がまるでないですよ。だから収入だけ1円単位で比較しててもしょうがないと思うんだけど。
もともとしょうがないことなんで、これはね。象徴なんで。だから当然では決してないと思うんですけど、お父さんが怖いということが当然のように起こるわけですよね。これはもうフロイトがそういうふうに考えたように、当然のことだと。しかしお父さんからすると理解に苦しいわけですよ。そんなこと言われて。
いやだって俺全然怖い育て方してないしみたいな、そういうお父さんいますから当時だって。なんでハンスは私を怖がるんだってことになるんだけど、いやそれはペニスがでかいからですみたいな。答えになってねえだろって感じがするんだけど、答えにはなっているわけですよ。
空想の世界ですからね、ある程度ね。しかもそれが馬に投影されてるから馬が怖いんですって意味が全くわかんないってことになるんですけど、確かに私もこじつけがましいなといまだに感じるんですけど、それはいいんですよ別に。
大事なことはハンスが怖くて馬が怖くて外に出られませんというのをフロイトが見たってのが大事なんですよね。これによってフロイトの完全な空想世界ではなくなるんですよ、精神分析というものが。
エリプスコンプレックスというのがありまして、子供はお父さんを怖がります。なぜならお母さんと結びつこうとしているんだけれども、そのお母さんともともと結びついていたお父さんとの三角関係が始まって、自立というものを考えなきゃならないんだけど、家無き子というのかな。
マッチューティーの少女で外は寒いんですよ。だからいろいろと外に出るというのは大変なんで、外に出たくないんですよという話を。しかしショーレイドーラとかでもこういうことは結局関係がありますよね。
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ショーレイドーラの場合はお父さんの不倫をやめさせたいという、要するにそれはお母さんというのか、このお家の方がお父さん大事でしょっていう話を普通に言えばそういう話になると思うんですよ。一種三角関係なんですよ。
そのお家とあの女どっち取るのかと、その中にはドーラも含まれているわけだから、これはやっぱり非常に重大な問題なんですよ。お兄さんはお母さんはお父さんに対する理解力低すぎるし、外でお父さんが愛人作るぐらいはいいじゃんみたいな、でもそれはお兄さんの言い分なんですよ。
お兄さんはいずれ家出て、理解力とかも持ってやるからそれでいいだろうけど、ドーラにとってはそうじゃないんです。それだけが全てじゃないと思うんだけど、当然そういうことは意識されてたと思うんですよ。
でもフロイトはこれをちゃんとというか、当時としては画期的な、そういう三角関係の権力構造の、要するに性的な権力構造というものがそこにあるんですというのを、当時は誰もそういうことを考える、ほとんど誰もそんなこと考えない中で考えたんですが、あくまでもそれは物語じゃないですか、推測的な世界じゃないですか。
でもハンスを見て納得できるわけですよ、フロイト的には。本当にそうなんだ、それも変な話ですけどね。ここがでも多分五大章例と言われている重要な理由なんですよ。
あの定義解釈と、私なんかド素人ですが、あの定義解釈とあの精神分析的なカウンセリングを見ていると、フロイトのそれってなんか素晴らしい名人芸だねって感じはしないんですよ、別に。
オグデンとかに比べると、なんかもう本当に素人的人生相談がだいぶ先へ進んだという雰囲気を帯びてるんですよね。
フロイトは結局教育訓練とか受けてませんからね、訓練分析とかね。創始者ってそういうものなんですよね。
私が認定トレーナーの試験とか受けてないように、アスクシュート協会の理事なんで。理事というのはトレーナーの能力を必ずしも持ってなくても慣れちゃうんで、それが理事なんで。フロイトもそうなんですよ。創始者なんで。創始者ってそういうものなんですよね。
逃げ元制度ってすごい独特の盲点がありますよ。
なんていうのかな、というわけなのでフロイトのハンスとの出会いというのか、診断、治療ですよね。分析というものをして、わかったことがあったんだと思うんですよ。
これは本当なんだと。発達的にも本当なんだと。私はそこを行き過ぎるから発達心理学みたいに精神分析がなっちゃうんで、精神分析というのは発達心理学ではないんで、脳が発達するとこのぐらいの年頃にデリプスコンプレックスという知識を得るのですみたいな、そういう話ではないんで、
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心的現実、あくまでも空想世界の話として捉えておく必要があると思うし、それを卒業しないっていうのもすごい大事だと思うんですけど、いずれにしてもその4歳児ぐらいの時に、本当に4歳児がそういう風になるんだなっていう。
そうか、馬が怖いんじゃなくてお父さんが怖いんだよねみたいな、思いっきりそういうっていう話ではないかもしれないけど、そういう解釈を当てていくと外出できるようになるっていう、こういうのを経て、確信を持って深めていくと思うんですよ。
そしてこういうのを経て、子供の精神分析というものの可能性というのか、子供っていうものもこういう神経症で悩むものなんだ、当然なんですけどね、フロイトの理論が正しいならお父さん怖くなるわけだから、そしてお父さんが怖いっていうのが無意識に下がるとお父さんの怖さというものだけを、それこそ馬とかに包囲していっちゃったりするわけですよね。
だから馬とペニスが似てるのかっていうとそんなことは知りませんけれども、でも馬に噛まれるのが怖い、それが虚勢不安であるというものは、そういうことが絶対ないということは多分ないんじゃないかなという感じがするんですよ。
例えばそういう夢を見ちゃったと。しかもその夢のことは覚えてもいないということになってくると、馬に噛まれるのが怖いっていうのがですね、あったって別に不思議はないでしょう。要は外出というものが怖いということとお父さんが怖いということ。
そして外出をしなきゃいけないとどこかで思っているんですよ、きっと。そんなことを気にやむっていうことはですね。外出ってのは象徴的ですよね、やっぱりね。自立ってのをどこかに含んでいるというか、頭のどこかで自立しなきゃなっていう男の子ってのはそういうことを思うもんなんですよ。
多分当時4歳ぐらいでも、今よりも遥かに寿命が短いですし、戦争とかもあったりしますからね。そういうことがいろいろあるから結局悩むわけですよね。その悩みを取り扱えるんだということがだんだんわかってくるという話。これが多分ハンス・ショーレイの重要性なんですよね。
それをフロイトがめちゃくちゃ上手に取り扱いましたって話ではないと思うんですよ。これはもっともっとちゃんとした文献等を読んでいただくと、もっともっといろんなことが明らかになると思うんですけど、僕はもうざっくりでいいと。
これはポッドキャストなんで、ざっくり喋っておいて。大事なのは、前置きが長い。相変わらず30分経ってしまってますが。要するにですね、こういう話を僕らはいよいよ聞かなくなってきていると思うわけですね。
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思うというか事実。多分昔だったらそこら中で普通に出回っていたであろうこういう話が全く出回らなくなりましたと。ほとんどの場合、外出が怖いということになってくるとですね。
曝露療法なのか行動療法なのかはわかんないけど、もっともっと遥かに科学的に取り扱われると思うんですよ。お父さんが怖いから馬が怖いんだよねみたいな話は、そういうおとぎ話みたいな話は一切受け付けられなくなっているとは思うんですよ。
少しずつ外に出ましょうよっていう話になると思うんですよ。
これね、やっぱり口に出して言うとなると少し躊躇が入っちゃうんですけど、会社に行きたくないという、学校に行きたくないという不登校っていうのは今非常に猛威を振るっておりますが、
ハンス症例みたいなものがある種の常識というのかリテラシーみたいになっているという前提の社会なのか、それともそんなものはもはや寝言とタワゴトとおとぎ話の掛け合わせみたいに思われている時代なのかによって扱われ方が全く違うとは思いません?
私はすごく思うんですよ。別に皆さんの中で会社に行きたくないという人がお父さんが怖いんだというつもりは別にないですよ。不登校にしてもですね。
ですが、もうちょっとわかりやすい話として、これは今の時代でも普通に受け入れられている感じなんですけど、学校に行っているうちに両親が離婚してしまうことを懸念しているお子さんって結構いらっしゃるわけですよ。そういう不登校もあるわけですよね。
私も3ヶ月チャレンジ以前ですけど、そういう個人相談みたいなので、実は仕事が進まないというよりは子供が学校に行かないんですよみたいな話を伺った時に、いや、そりゃもう心理カウンセリングの領域だろうと、それこそさっき言いましたけど、公認心理師に言ってくださいみたいに思ったんですけど、話をずっと聞いているうちに、ずっと聞きますから会社に行く気がしない。
会社に行く、在宅ワークだったんですけど、コロナの時代だったですからね。すいません、今日は変に物音がちょいちょい立っちゃいましちゃっちゃってますけど、ちょっと場所が微妙にいつもと違うんですよ。
それは良いとして、公認心理師に聞いてくださいみたいな感じだったんですが、そういうふうにしちゃおうかなと思ったんだけど、コロナだったし、在宅の仕事だし、どうせ家から出られないから、そんな専門の心理カウンセリングとか言われても困るよねと思って、話をもっと聞き込み、
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聞き込むというか、ずっと聞いてようっていう姿勢になると何か出てくるということがですね、こういうことを言ってるから怪しいんですけどしょうがないんですよね、本当にそうだから。
ずっと聞いてるうちに、なんで、なんで、その方女性だったんですけど、女性の人は、いちいちお子さんとかご主人とかがいるところで仕事できないって言ってんだろうって、すっごい違和感を覚えたんですよ。
その人はそういう話をされてたんですね。いやもう本当、子どもがいるところでは仕事できないじゃないですか、なんかそれは当たり前みたいな言い方なんですよね。常識じゃないかと。私は主婦なんだから、子どもがいるときは子どもの相手をしなければいけないんだよみたいな。
それが非常に不平であるという雰囲気が帯びつつも、世間では常識でしょうみたいな、お子さんがいるところでは仕事1分でもしちゃダメじゃない、できるはずないじゃないみたいな、そういうノリだったんですよ。
なんとなく私は娘が当時まだ割と小さかったんで、やっぱコロナと言って家にいるわけですよね。いや俺娘となりにいて、なんかねねーみたいなことを言われながら仕事してるけどなーみたいな、それは娘が聞き分けいいんでしょうって言われると、別に娘自慢がしたいわけじゃないんで、ただそういう世間の常識なのかそれって思ったわけですよ。
ずっと聞いてると、いやもうだって主人がいる前で仕事できないじゃないですか、これもなんか常識みたいな言い方なんですよ。いやそんなことないだろうって思ったんですよね。だから強い違和感があったわけですよ。
でそのことをずーっと聞いていて、ずーっと聞いていて、コロナだから今は学校も結構休めるんだけど実質不登校で、だから子供がいる前では仕事ができないから仕事が進まないんだと。
なんとかしてくれって、まあそれを仕事術でなんとかするっていうのがそもそもこの辺から僕はすごく3ヶ月チャレンジみたいなチャレンジになってきたんですよ。その時僕がハンスの馬みたいなのが、まあ知ってるからってことはありますよもちろんね。
でもハンスの馬、子供は要するに学校に行きたくないっていうか外出したくないよねみたいに思ったわけですよ。
でやっぱりそれはこじつけがましいですよ。確かにそう私も思います。それにハンスの馬が思い浮かんだからって、相談している女性の方にハンス症例というのがありますとかいう話をしたわけじゃないですよ。
でもこういう話ができたらいいのになとは思ったんですよ。私が3ヶ月チャレンジをやるにあたって一つのヒントになっているのはこういうことなんですよ。
昔はオコノニケイゴさんの新書とか読んでる人いっぱいいたよなと。ハンス症例とか知ってる人、少なくとも間違っていようと少々誤解があろうと知ってるか知らないかって大事だよなと思った。
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ハンスと言ったって今はハンスの葉の字もないですみたいな。女性の教育水準って上がってるじゃないですか間違いなく。これはもう差別云々じゃなくて上がってるじゃないですか。
でも昔は大学出ている人はみんなフロイトある程度知っていたんですよ。今の場合上がってるけど知らないじゃないですか。すごくここには僕は恣意的なものを感じるというふうに言いたいわけですよ。
思想統制とまでは言いませんけれども、どういう思想が望ましくどういう発想が望ましくないっていうのが自然と我々人間は種じゃ選択して、
だからあのあれなんですよ。教育が好教育になるっていうことは近代的なんですよすごく。知らず知らずのうちですよね。日本の教育の指導要領がめちゃくちゃ変わったとか、
急になんか大日本帝国になりましたとか教育直後をやるようにしましょうみたいな、そういうことを言う人もいらっしゃるけど実際そうはなってないじゃないですか。
基本的に習ってることでそう変わってないと思っていますけど、そして大学で昔から精神分析なんて教えてませんでしたけど、でも普通にみんなが知ってるリテラシーっていうのは大きく色々変えてるわけですよ。
まあ科学的になったと言えばそうです。で、我々はそのうちの中で全く耳に入ってこなくなっているいくつかの流れがあるわけです。
その流れの一つに、私が言いたい精神力動というのの流れが消滅させられつつあるわけですよ。
我々は意識してませんけどね、そんなこと。そんなことは当然そうなるべきだぐらいにみんなが思ったから、消滅しつつあっても誰もそんなこと気にも止めなくなってるわけですよ。
ただお子さんが家から出ないということを、このご両親というのか今の人たちは一体どういうふうに見えるんだろうって僕は思ったんですね。
子供はいじめられてるわけではないですと。勉強ができないわけでもないです。家ではむしろ喜んで勉強します。
じゃあなんで学校行かない。学校というものが嫌いなのかっていうとその辺になってくると口ごもり始めるわけですよね。
学校というものが一体なんだと思っていて、子供というものが学校に行かないっていうのはどういうことだと思ってるんだろうっていうのが、
昔はこじつけであろうと何であろうと一つの説明としてお父さんが怖いっていう言い方ができたわけですよ。
お父さんを先輩に投影してるのかもしれないし先生に投影してるのかもしれないけれども、とにかくお父さんが怖いというのは一つの言い方としてあったわけです。
今ないから、それは最初から一切浮かんでこないんですよ。一切浮かんでこないわけですよ。
なぜか子供は学校に行かない。これだとミステリーみたいになっちゃうじゃないですか。なんかもう一歩間違えるとオカルトみたいになっちゃう。
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なぜか子供は学校に行かないみたいな。いやいやもう理由全然わかんないんだけど。とにかくなぜか学校に行かないみたいな。
何か宇宙人が電波で阻止してるのかぐらい、意味不明な出来事、機械な出来事みたいになっちゃう感じがあるんですよ。
科学ってものは、そういう世界を作り出す気がしなくはないですね。説明がそこに必ずしもないんで。
こじつけだろうと何だろうと、何にもないんですそこには。何にもないんですよ。
私にもわかんないんですよねみたいな。本当に不思議だみたいな。不思議なことがあるものだみたいな。
でも子供が学校に行かないなんて全然不思議じゃないじゃないですか。私だって行きたくなかったしね。
で、そのうかがっていて、お母さんはつまり強い不満がありながらも主人がいるところでは仕事をできない。子供がいるところでは仕事をできない。
だから私、お母さんをしなきゃいけないからって。それは何をするんだろうって感じもするんだけど、とにかくそういうもんだっていうことになってるわけですよ。
だからこのコロナ禍ってのはすごい困ると。ご主人とお子さんは常にそばにいるから、仕事が全く進まないというのが、仕事が進まないという私に持ち込まれたご相談だったわけですね。
で、私は頭に馬とハンスがよぎって、特に馬がよぎって。いやーそれつまり、ご主人と仲が悪いとお子さんは思ってませんみたいな話になったわけですよ。
まあわかんないですよ。でもお子さんはそういうことを心配するものなんですよ。それはもう完全な妄想に近いもんだけれども、だって嫌じゃないですか。
学校行ってる間に両親がめっちゃ喧嘩して、帰ってみたらもう家がラーンとして、もう離婚したから、みたいな。子供にとっては、えーって感じじゃないですか。
だったらこの2人をずっと逐次見張っておいて、けんのんな雰囲気になってきたら、まあまあまあってやりたいじゃないですか。子供的には。小学校、高学年ともなれば。
それができなくなるぐらいだったら学校とか行きたくないじゃないですか。別に勉強自分できるんだし、問題があるわけじゃないんですしね。
どうせ小学校高学年の頭のいい子にとっては実に簡単な問題を解くとかいうことをやってられないわけですよ。両親のことが心配で。
両親はだからといって不思議だなく罵り合ってるとかそういうわけじゃないんですけど、なかったんでしょうけれどもね。
なんか雰囲気を感じるとかなんですよ。だからこれは妄想かもしれないんですよ。三角関係があると言ったじゃないですか。
三角関係があるんで、お父さんとお母さん、私とお母さん。大きくなったら僕が稼ぐからみたいな。そのぐらいの男の子ってのは結構いますよ。
別にエッチな関係になるとかまでいかなくってもですね。この家は僕が引き継いでいけるから大丈夫みたいな。
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僕優秀だからみたいな。小学校高学年ぐらいだと優秀な子はそういう自負心を持ってたりしますからね。
これがエディフスコンプレックスじゃないですか。その勢いをそがれるのを虚勢というわけですよね。
言ってみれば、お前は全然俺にはかなわないからなみたいな。そんなことを言う人はいないと思うんですけど。
こういう非常に情緒的で、力関係というものがそこに案に示されていて。
自分の力でなんとかなる部分というのは非常に実は少なくて、いろんな空想が飛び交っていて。
無意識的空想ってやつですよね。空想が飛び交っていて、結果としていろんな誤解がそこにある。
奥様のご相談者の主人の前では仕事ができない。子供の前では仕事ができないというのは何か相当独特の理由がある。
それも大体伺ってるしにわかったんだけど。その観念が両親が船かっぽく子供に見せるわけですよ。
つまり、この夫、動いてくんねーかなーみたいに思ってるわけですよ。
お金稼ぎたいわけですよ。このお金稼ぎたいというのは当然、自立への要求って感じがするじゃないですか。
この辺フェミニズムになっていきますけどね。
自立したいということは子供にしてみればしかし、お母さん家から出たいわけってことになるじゃないですか。
こういう無意識的な空想がどんどんどんどんお互いでやり取りされていて、しかも子供なりの観点しか持ってないので、ある種の誤解がそこに常に走ってるわけですよ。
まあお母さんもお父さんのことが嫌なんだと。だって一緒にいるたびにどいてほしそうだし、しかも自分は仕事をバリバリしてお金を稼いで、あ、家から出たいんだみたいに。
これは100%の誤解とは言えませんよね。でもお母さん家出る気は全くないんだけど。
そういう意味では子供の考え方、いかにも子供の考え方なんですけれども。
だから僕は少なくともしばらくの間はこの2人を取り持たなければ、これができると思ってるのも子供なんですけどね。
だから家から出たくないと。
でもそれは馬が怖いから家を出られないって言ってるのと同じくらいこじつけがましい話ではあるわけですよ。
ただこれをエリスっていう文脈を与えずにこれを見てしまうと、なんでこの子がここ行かないのかになっちゃうんですよ。
そしてそれは今は全然不思議じゃない話だと。
私が言いたいのは、今の不登校の人たちがみんな両親の船かを心配してるとか、お母さんが自立しようとしてるとか、お母さんが家で仕事ができないとか言ってるわけではないんですよ、別に。
これはたまたまそういう話だったんだけれども、そんなに外れてなかったってことですよ。
そこそこいい線行ってた。大事なのはこういう話ができるってことなんですよ。
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こういう話ができないとどういう話になっていくかというと、お子さんが学校に行きたくないというその意思を見守ってあげて、それを問題視しないってことが大事ですみたいな。
それはそうなんだけど、そうじゃないですか。それはおかしくないじゃないですか。
お子さんは両親の船かを気にしているから行きたくないという意思を持ってる。
行きたくないという意思は持ってないんだけど、家から離れたくないという意思を持ってるだけなんだけど、それを学校に行きたくないというのは事さら問題にせずに見守る。
正しいですよ、それは。別に間違っちゃいませんよね。とは思うんですよ。
ただ僕はそれは、なんでそういうふうにずっとしてなきゃいけないんだ、我々はと。
どうして我々はそこに当て推量すら許されないような、これは近代的だと思うんですけれども、当て推量すると何か間違ったこととかいけないことをしているような変な罪悪感を持つような時代を生きさせられているんだろうなぁと。
そんなこと別にそこまで気にしなくてよくないみたいな感じがするのですね。
それが僕が力度ってものにすごく惹かれるようになった。
とにかくこう、世の中にこういうものって居場所が、なんて言うんですかね、怪しさいっぱいに見えるんだけれども、
でも我々にとってどっちかというと自然なのは無意識的空想から作り出すナラティブみたいなもんじゃないですか。
それが希釈悪いって言われれば、それはそうなんですけれども。