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祝・「ちょっとくわしく知りたい人のための精神分析案内」
2026-08-07 41:05

祝・「ちょっとくわしく知りたい人のための精神分析案内」

YouTube 動画が本になって発売されました。ちなみに私は関係ない人間です。
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感想

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00:05
おはようございます。佐々木正悟の自由連想をお送りします。 今日は8月7日金曜日8時21分です。
なんか、ちょっと外が、なんか不穏な雰囲気ですけれども、何しろ湿度が高く、
熱中症に気をつけながら、これをポツポツやっていきたいと思うんですが、まず今日はですね、
お知らせ兼CM、ただし私のではないという、山崎孝明さんと浜内彩乃さんの
ちょっと知り、詳しく知りたい人のための精神分析案内という本が、創原者からおそらく正式には昨日発売となっております。
帯にフロイト生誕170年と書いてあって、そうなんだと思いながら、本を読み始めております。
ちょっと詳しく知りたい人っていう、このターゲッティングがですね、果たして吉と出るかどうなのかは、
どのぐらい行くかによって結局は決まるんでしょうけど、タイトルとして非常に独特じゃないですか。
ちょっと詳しく知りたい、精神分析が知りたい人にこれが届けばいいのか、ちょっと詳しく知りたいというふうに自分で思っている人は、
どういう人なのか、全くわからないわけですね。ただこれは私は精神分析の入門書としてはですね、
入門書系は読み漁ってきたんで、私その超専門書みたいなのは相変わらず読む気がいまいち起きてないので、
そのぐらいなんですよ。本当にね、わかりにくい言葉で書かれていると言いますか、難しいというか、難しいというか、難しいわけではないんだけど、
とても難しい。不思議なんですよね。松木さんの本読んだ時も、フロイドのここら辺に自分はハマったみたいなのを読んだことがあって、
それ読んでみたんだけど、ここにハマる学生さんが世の中にいるというのがそもそもその人が賢いからなのか、
あまりに独特だからなのか、さっぱりわからない。だいたい世の中で、よく売れている本とかって、
なんとなくわかるじゃないですか。結局それが好きになれないということにせよ。
例えば村上春樹さんとか、私すごい大好きってほどじゃないんですけど、わかるじゃないですか。難しいとかなんとか以前に。
あるいは僕は長編で読んだものとしては、戦争と平和が長かったなと思うんですけど、長すぎだろうと思いますが、やっぱあれはすごいなっていうのは読むとわかるじゃないですか。
この辺が問題で、フロイトっていうのはさっぱりわからないんですよ。なんでこれがそんなに絶賛されるんだろうっていうのね。
03:04
まずそこで、人悩みする。そこのところですでに。なんかこう意味不明な話だっていう感じしかしない。
ヘゲルとかもそうですけどね、そういう言い方を考えてみれば。だから好きかどうかは別としても、とりあえずすごさがわかるがないんですよね。
とりあえずよくわかんないっていうのが、僕なんかの場合は出てきて、山崎さんが曲書論に感動したっていう。
わかっていたかどうかともかく感動した。こういうのが僕には欠けてるんですよね。
曲書論に全く関心しなかったんですよ。私は。第1であろうと第2であろうとですね。
異動S、異動?違う。異動エゴ、スーパーエゴか。あるいは、意識、無意識、全意識、無意識ですね。
今はわかりますよ。ですが、フロイトの本を最初に読んだ時に、何ら感動はしなかったっていう記憶はあるんですよ。大学生時代ね。
読め読め言うから読むわけですよ。そして意味がわからんと。
精神分析入門っていうフロイトの、全く絶対ここから手を出すであろうっていうタイトルの本も、全く入門になってない。後から考えてみると。
なぜあれに入門という名前をつけちゃうんだっていうぐらい入門になってない。
そういう意味ではこの精神分析案内はめちゃくちゃ入門になってます。ただ、そうは言っても非常に独特です。
一応ですね、10章立てなんですけど、デイ1からデイ10になっていて、デイにしてあるところも非常にこう、ある意味何かとっつきやすさを目指してるなって感じがするんですね。
前書きを浜内さんが書き、後書きを山崎さんが書いてるという、形式も非常に、あと何ていうのかな、ビジネス書ライクなんですよ。
草原社さん素晴らしいと思うんですけど、だからビジネス書コーナーに置かれるかというとまたそれは別の話なんですが、ビジネス書ライクになっていて、これはしかも固くないんですよね。
柔らかいんですよ。絵も柔らかいけど、本はそもそも柔らかいんですよ。この辺は非常に素晴らしいと思いますね。
客注もおしゃれな感じになって、おしゃれな感じに客注がなってるというだけでも専門書じゃないなって感じがしていいと思うんですよね。
ただこれがここで終わると、この一冊だけで終わると、終わるのかな?続くのかな?わかんないですよね。
でもこの一冊だけで終わると、それでもすごいと思うんですけれども、もうちょっとやっぱり出てほしいよねってのがあります。
例えばほぼアンナフロイトは出てこない、この本にはですね。
これあの、それこそ浜内さんのYouTube動画で山崎さんとの対談をまとめた本なんですよ。これをシーズン1って言うんですよ。確かそう言ってたんだよな。
シーズン1なんですよ。大阪京都心の発達研究所用っていう葉っぱの羽でやってるんですよ、YouTubeで。
06:09
すごいこの試み自体がすごいと思うんですよね。それを本にするというのはもう最高なのがシーズン1ですね。
シーズン1を本にしたわけです。全10回。シーズン2があるわけ。これが本になるのかっていうことをまず。
シーズン2は筒井涼太という方ですね。これは多分精神分析の方ですよね、当然ね。当然か知りませんけど。
でシーズン3、シーズン4、シーズン5と。シーズン5カミングスーンになってて絵がないんですよ。これもいいですよね。
カミングスーンが本に出ちゃうみたいな。YouTubeのですからね。時代だし野心的だなと思います。
このシーズン5とかシーズンどこまで続くのかわかりませんが、全部本になってその本読めばわかると思う。
だいたいわかると思う。やっている人のようにわかるとか受けた人のようにわかるってことにはならないかもしれないけれども、わからないということにはならないと思うんですよね。
これ時々野球で考えるんですよ。野球で考えることばっかりですけど、野球やんなくったって野球見ている人が野球わかってないことにはならないと思うんですよね。
やったほうがわかりますよ。僕はやってたんで中東部ぐらいまで草野球もやってたし。やったほうがわかるけど、やんなくってもわかるんですよ。
ちなみにテニスもそうです。テニスも見てるだけでわかります。相撲とかそうじゃないですか。
取らなくったって、別に相撲なんて子供の時やったかもしれないけど、やんなくったってわかるじゃないですか。ずっと見てれば。
というわかり方。それは相撲取りのようにわかるはずないんだけど、そういう問題じゃない。相撲はいい線いってるかもしれませんね。
部屋に入っちゃうし、生活が相撲化していくじゃないですか。お相撲さんって。
お相撲さんになるということと精神分析家になるということは、たぶん藤山直樹さんあたりに言わせると近いんですよ。
お相撲さんなんていうのかな。要するに入門せず、席取りにもならず、お相撲さんにはなれないでしょっていう可能性なんですよね。
なれないんですよ。だから私は精神分析家にはなれないんだけど、だからわからないってことにはならないと思うんですよね。
相撲は取れるじゃないですか。お相撲さんにならなくったって。
アマチュアでもすっげー相撲ばっかり取ってれば、やっぱり普通の人には全然強くなると思うんですよ。
でもそれはお相撲さん、席取りとは違うよねって、そうなんですよそれは。絶対に。
そういうあり方があり得るんではないかなというふうに思って、今3ヶ月チャレンジは私そういうことを一生懸命考えて、考えながらこの精神分析案内。
これね、Day1からいきなりそういう曝露的な話が出てきてすごいんですけど、山崎さんは精神分析家なのかみたいな話があるんですよ。
普通に考えればそんな問いは立たないわけですけど、これは山崎さんが席取りなのかみたいな話なんですよ。
大学で相撲部入ってましたけど席取りなんでしょうかみたいな。
だけどこれは、この内容を語るのにそこを問題にしなければならないかというと、僕はそうは思わないんですよね、やっぱり。
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そこは問題じゃないだろうって感じが読んでるとします。
だっていわゆる精神分析家の書いた本より圧倒的にこっちのほうがわかりやすいし、やっぱりですね、相撲の面白さや醍醐味について席取りが書くのがベストかというとそんなことはないと僕は思いますね。
席取りが書くのはベストじゃないだろうってはっきり言っても、めったに書いてないけど相撲の話なんて本では。
つまり見ればわかるってやつだからなんですよね。
わかることとできることとやることはそれぞれ違うと思いますね。
ということで、要するに何が言いたいかというとこの本をおすすめしているわけです。
私関係者じゃないんで、この本がどんなに売れても全く何の少なくとも金銭的メリットは一切ないです。
もうないにもほどがあるぐらいないです。
残念ながらこの種の専門書が売れるということはビジネス書が売れるということとは話が違うんで、
例えばこれがすごい売れたから波及効果的に私の本が売れるということは起こらないんで、すごく残念ながらね。
そういうことが起こるべきだって僕は思ってるんだけど、起きっこないってことはわかってるから、
何種のかな、本屋って同じ場所ですけれども、やっぱり本屋には違う世界が共存してるんですよ。
本屋さんの中には様々な世界があるんですよね。
それは本屋さん巡ってる人はよくご存知ですけど、出版業界側から見ると一層その違う世界ぶりが現れてきて、
そうそうそこは一見交わってるようですし、交わらせようっていう努力もあるんだけど、
結構その努力が人に批判されたりして、そもそもさほど上手くいってるわけではないんですよね。
なんであれが批判されるのかがわからんのですけどね。
やっぱりその純金コンプレックスみたいなものは、これは精神分析的な話なんだけど、関係ないですよね。
世の中どこにでもあって、これは特別であってほしいみたいなものが特別でなくなればなくなるほど批判の対象になる。
ただ、そこには特別であることがブランドであるっていう意味もあるから、
つまりそれがあるから本が売れるっていう側面があるから、一概にそういう気持ちを否定もできないし、ややこしいんですよ。
とてもややこしい話だと思います。
ちなみに少年ジャンプが最盛期で650万部行った少年ジャンプは習慣ですからね。
今なんと100万部来たらしいんですよ。
で、先日産経新聞がついに東北方面での販売は休止にしたと。
いやもう神本当に来たなっていう、撤退が来たなって、完全に撤退感が出て。
だってジャンプが100万部行かないなんて。
しかも電子コミックは今圧倒的絶好調ですからね。
過去にない売り上げを飛ばしまくっているんで、
もうなんか本当にこれから神をさらに出す私は一体何をやるんだろうねっていう、
12:02
あの手この手は打ってるんですけどね。
本当にですね、この撤退戦の中で戦うということの、
私の人生がこういう傾向があるなと、別に好きでやってるわけじゃないですよ。
流星を誇ってるところでやりたいんだけど、何故かそうなっちゃうんですよね。
時代遅れなのか、そんなに遅れてるか自分って思うと、
なんてよくわかんなくなってくるんですけど、
この精神分析案内もそういうよくわからないところに、
ある種の人から見ればですね、位置づけにありますが、
私はこれが、私は引き決めで見てるからなんですけど、
これが皮切りに、この世界が流星を誇っていくんだっていう風に、
どこかで下心もあるからこういうことをやってるわけですよ。
めちゃくちゃ山崎さんは売れるように必ずなるみたいな、
遠原海斗に匹敵するようになると。
山崎さんに言わせると、そうじゃなくてってことになるんだけど、
そういうタイプとかもいろいろあると思うんですけどね。
しかし何が起きるかはわかんないのが、
出版業界のまた面白いところなんで、
本当に何か不可解なことが起きるんで、
石郎さんはですね、石郎さん出てくるんですよね。
準備のないミラクルは信じないらしいですけど、
僕はむしろミラクルなんて準備と関係なく起きるもんだぐらいに思っているんで、
その幕中地みたいな人生ですから、フリーランスってのは、
そういう風にですね、やっぱりこう、競馬も万馬券は絶対買っておくわけですよ。
万馬券ばかり買ってるとすぐ死んじゃうから、
少なくともホームレスになりかねないから、そんなことはしませんけど、
万馬券は買っておくべきだと、
この世界に生きていて、銀行家のように銀行員みたいに生きてて、
銀行員の方がいいに決まってるじゃないですか。
銀行レスみたいな競馬を馬券買い続けるぐらいならね。
私はそういう生き方したくないんで、
そんなんだったら、絶対向いてないし無理だと思うんだけど、
それだったら会社員になりますよね。
戸田サドルさんが言ってましたけど、
そりゃ会社員の方が賢いですよ。
はっきり言って、私のような生き方は頭の悪い生き方だと思いますよ。
だけど、頭の悪い生き方をせっかくやってるんだから、
万馬券は買っておくべきだし、
やっぱりどっかで大化けしそうな株を買うべきなんですよ。
仕込むべきなんだと。
それは僕の勝手なべき論ですけれども。
自分は絶対そうしたいとは思ってますね。
銀行レスにしか賭けないぐらいなら銀行マンになるべきですよね。
っていう昭和の言葉で言えばね。
そう思うんですね、私はね。
銀行レスには賭けますよね。
そりゃね、銀行レスだって賭けますけど、
やっぱり万馬券を買う。
大概外れるにしてもですね、買う。
話がすっとんで全く関係なく、
自由連想で、自由連想ではあるな。
精神分析的でもなければ、
本の紹介にもなっていないので話を戻しますと、
デイワンからデイテンまであると。
この本について言いたいことはね、山ほどあるんですよ。
15:01
そんな人間僕ぐらいかもしれないですけど。
デイテンまでいっても、美音が出てこない。
全く出てこないってわけじゃないのかもしれないけど、
少なくとも前書きには出てこない。
前書きというか、目次に出てこない。
デイ8、ドナルドウィーク、ミニコットね。
デイ9、ミニコット。
アンナフロイトは一瞬出てくるっていうか、
デイ5に出てくるんですけども、
この段階ですでに何かが違う感じがしますよね。
アンナフロイトはデイ5で出てくる。
6と7はメラニークライム。
日常メラニークライム。
8と9はミニコット。
10で終わってる。
美音は出てこない。
でもタイトルは、
フロイトから現代リーチを終える。
明らかにある種の人からすると、
確かにそうだけど、
それって相当選択的じゃないでしょうかってことになる気がする。
私にとってはこの選択でベストみたいな。
美音が欲しいっていうのはありますけれども、
この厚さは相当厚いんですけどね。
300ページですね。
美音読みたいなっていうのはありますし、
クライム、ミニコット。
しょうがないですよね。
とは思いますね。
フロイトは書かないといけない。
だからあんなフロイトを削ってほしいぐらいの勢いなんだけど、
そうもいかないですよね。
こういうタイトルである以上は。
そうなりますね。やっぱりね。
あと個人的にはですね、
将来この本に続く本があるに違いない。
絶対あるはずだぐらいに僕は勝手に思ってるわけですけど、
やっぱりブリトンとかボラスとか読みたいじゃないですか。
読みたくないか別に。
読みたいわけですよ。
オグデンもできれば。
そうなんですよね。
だからそういうことを考え始めると、やっぱり出てほしいと。
なんなら第一世代の。
でもなくてもいいかな。
でもフェレンチーとかジョーンズとかアブラハムとか。
でもまあなくてもね。
なぜなくていいんだって。
あとラカンは読んではみたいですね。
この平易さで。
僕はラカンを自分で勉強するという機になかなか慣れてないので、
ラカンはこの平易さで読んでみたいと思いますね。
それでまあ日本の臨床。
オポノギさんとかそれこそ藤山。
まあでも文明の人を書くのややこしいですよね。
でもまあそういう流れから、
例えばロジャーズの話は、
まあそういうのがやっぱり戸畑海人さんの領域ですかね。
でも山崎さんも書いてたわけですよ。
18:00
精神分析の書き方で。
共感とこれですよね。
だから僕は精神分析というのは消去法だという勝手なことを言ってるわけですよ。
山崎さんすら資格云々言ってるのに、
僕に何の資格もあるわけじゃないんですけれども、
まあ僕のは要するに、
新橋のサラリーマンが精神分析を喋ってるっていう世界ですから、
いいんです。何喋ってもね。
そういう世界ですからね。
で、なんていうのかな。
共感はもう大流行りだったわけですよね。
なぜか日本人には、
当時その敗戦だったかなとも思うんですけど、
共感、心に寄り添うみたいなのは非常に流行った。
それはいいと思うんですよ。
それは絶対必須だと思うんだけど、
問題になってくるのは、
共感できるのかってことと、
何に共感してるのかっていう話が、
やっぱり私はこれ精神分析よりはるかに前から、
それこそライフハックの時からずっとあったわけですよ。
共感しとけばいいのかっていうことってあるわけですよね。
で、
例えば、
アスクシュートに記録するのは続きません。
いやわかるって言って、
で、どうしようっていう話になっちゃうわけですよ。
いやわかりますよ、そりゃ当然。
だって昔は私だってエクセル版でしかなかった時に、
続かなかったですもん。
続かないなんてことは当然あるに決まってるし、
仮に私がエクセル版で無理やり続けてたにしても、
無理やり続けてたんで、
あれですよ、何でしたっけ。
ちょっと名前忘れちゃいましたけど、
ウィルコムとかから出てたじゃないですか、
両手でキーボードを打って立ったまま使える300gぐらいの、
背景に何が入っているのかよく分からないような、
PHSみたいなのを改造したように作った、
携帯なんだけどパソコンみたいなやつ、
モバイルギアみたいなのもさらに小さいやつね、
Pythonとかね、そういうようなやつですよ。
使って、それに強引にエクセルを載せて、
タスクシュートやってたんですよ。
そういう時代もあった。
ということはつまり、取るのがめんどくさいってことは、
間違いないわけじゃないですか。
だから共感はできますよ。
共感してどうするんだってことなんですよね。
いやタスクシュート続けません。
そうだよね、そうですよね、全くですよ。
終わるじゃないですか。
どうするんだその続きはって、
結局その人はタスクシュートの記録を付けたいということなんで、
いや実は付けたいんです。
いやそれも分かります。
でどうするんだっていうことですよね。
これは実に素人的に言ってるわけですけれども、
でも究極そういう問題だなって思うんですよね。
で私は他の方法知らないんで、
コーチングとか色々あるわけだけど、
例えば、なんていうのかな、
その人が本当にやりたいことを知る。
本当はどうしたいんだ。
本当はタスクシュートがしたいのかしたくないのか。
これも分かるんだけど、
じゃあ例えば質問するのかというと、
本当はあなたはどうしたいんでしょう。
っていう風に聞くのかと。
でも私はこれも相当はわかられるなって、
当時も思ってたわけ。
精神分析関係なくね。
21:00
この共感ってのは、
基本的にライフハックでは無力に近いなとは思ったんですよ。
そもそも共感してないだろって感じがするわけですよ。
いやでも俺は記録取ってるしねっていう感じがする。
記録取れないって言うのに、
分からなくはないから気持ちは分かるって言い方になりますよね。
それは共感と言えるんだろうかと。
逆に、
いやでも記録は取りたいんです。
で、私取ってるから。
いや私取ってるし記録取りたいよねと。
一体これは何をしてるんだろうなって思うと、
少なくとも共感してるとは言えないような気がする。
下からと言って役に立ってる気はなおさらしない。
結局は私は取っている。
あなたは取れていない。
こういう問題だなと。
じゃああなたは本当は取りたくないとか、
あなたは本当に取りたいんだけど何かが邪魔しているということになってきたとき、
一段、一段ですよ。
真相とは言わないけど、一段深く掘らなきゃなんなくなるじゃないですか。
どっちにしても。
表面で見えていること、行動だけを見ると、
ただそこにはやろうとしてもできない、
何もしていないという行動が見える。
これを行動両方的に考えるっていう考え方もあるわけですよね。
記録を取ったらご褒美を出す。
なんなら私がご褒美を握っておいて、記録を取れたらポイントを差し上げましょうみたいな。
これに近いことはスクジュード協会ではやってないとは言えないですからね。
やってなくもない気がする。
これは非常に表層的な、つまり目に見えるところに置いてますよね。
アメリカ軍のマニュアルじゃないですけど、
敵を目に見えるところに置けってやつですよ。
だけど目に見えるところに、私の感覚からすると何もないんですよ。
本当にやりたいのかとか言ったって、
本当にやりたい時と本当にはやりたくない時と、
例えばお腹をとてもとても寿司が好きな人達ってそこら中にいますが、
でもなんか寿司食べて下痢しましたみたいなね。
時に寿司食べたいか、本当に食べたいのか、本当は食べたくないのか。
これは私は意味がないなって思うんですね。やっぱり。
寿司が美味しいから報酬券になるから、
じゃあ毎日寿司食うかって言うと、私だったらごめんですからね。
結局のところ、毎日何かをやるのにご褒美が役に立つというのは、
私はある種の何か嘘くさいなと思うんですよ。
ネズミがチーズをレバーで倒すのは、しかしゲージの中にいるぞって思うんですよね。
あれは非常に色々有名な問題なんですよね。
実験実と生活環境みたいな話があるわけですよ。
もちろん、実際にはそうなりますよ。生活環境でも。
でもそれは本当なんだろうかと。
人間が観察してなくても本当にそうなるだろうか。
絶対ネズミはこの地上でレバー以外のものをカゴなんかに閉じ込められていなくても、
レバーでチーズ出るからって言って、毎日のようにレバー。
24:00
レバーでチーズ出て生活環境が一定の過酷さがあれば、
倒すようになるかもしれないけど、微妙だなと思うんですよね。
それは報酬がその行動を促さないということはありえないから、
促すんだけど、我々にとって報酬ってのは自明じゃないし、
ゲージの中にこれ見よがしにレバーがあるように、しかもそれしかないような、
そういう生活環境で生きてる人なんていないから。
だから、ダスクシュートを毎日やるなどというのはですね、
果たして報酬系で維持できるという、少なくともそんな保障があるとは、
私には全然納得できないわけですよ。
いや、本当はそうなるかもしれない。
ただ、私には納得できないわけですよ。
私はあれを報酬で続けてるわけじゃないんで。
報酬もありますけど、報酬で続けてるわけではない。
音が出るとか色々あるんですけど、音基本的に私カットしてますからね。
小音でやってますから。音関係ないんで。
リマインダーとかも僕にはなくても全然続けられるんで。
そういう問題じゃないな。
でもどういう問題かと言われると、実はわかってないんですよ、私には。
なんでダスクシュートが続くのかが究極的にはよくわかんない。
だからマテ・ブランコとかまで引っ張り出してきちゃうわけですよね。
わかってないからですよね。
ただ、やりたいと強く思う時と、やりたくないと思う時と、
つまり、いわゆる本当の私が本当に望んでるものはない。私の中では。
そんなものは私にはあるような感じがしない。
朝はもっと寝てたいと本気で思ってますし、
夜はもうちょっと起きていたいと本気で思ってますから。
本当にたったこれだけのシンプルなことにも真逆になってますから。
それは人格的な矛盾とか分裂とかいうものを取り出してくる必要すらないような気がする。
満腹時には血糖値上がってる時には少なくともベイクドチーズケーキは食べたくないですし、
で、空腹時は逆になりますよね。
それが普通じゃないですか。
別にそこに人格的うんぬんを持ち出す必要すらないような感じがするんですよ。
っていうことが、少なくともデイ点までくれば書いてあります。
で、私はそういう観点をこのライブハックなりタスクシュートなりに持ち込んでいかないと、
決してこんな問題すら、こんな問題すらですよね。
非常に表面的に解けそうな問題すら解けなくなってしまう。
そして結局は何かが良いとされている何か、良い方向に向かって、
ただ邁進するための自分をマシン化していくみたいな話にならざるを得なくなっていく気がするんですよ。
タスクシュートで記録を取るのは良いよっていう。
私こういう話をするのは非常に立場的に微妙ですが、
良いよっていう、良い方向に行くのは良いことだっていう断言明報みたいな、
そういうことになっちゃうと思うんですよね。
27:01
そこに報酬を紐づけるということは、報酬とは何かが自明であり、
良いこととは何かが自明であるという、
でも一日の中ですらそうはなってないのに、
一日の一人の人間の中ですら真逆をそれが向くのに、
なぜそういうことを誰かが言えるのかというと、
それは長寿がそう言ってるからじゃん、という説明がいると私は思うんですよ。
文化的な長寿画でも総合的な長寿画でも、家のお父さんでも、
お母さんが凶暴だったという話でも良いですが、
何でも良いですが、どれを取るにしてもそういうことがあったはずだと思うんですよね。
例えばそれをしないとお母さんの経営が著しく悪くなるとか、
そういう話があったと思うんですよ、ある種のことについて。
例えば私の場合体操技に名前が書いていないと、
3年の先生が人をぶちのめしてもいいと信じきっているような先生に
ぶちのめされるということを知っていると、
子どもたちはみんな体操技に名前を書くようになるわけですよね。
それは報酬、罰を逃れる報酬で社会問題的に取り扱うこともできますけれども、
結局そこには葛藤があることは確実なんですよ。
私、今思い出すわけですけれども、
ある子がそれでも書かないというヒーローがいたわけですよ。
そいつはすっごいしょうもない方で、
給食のパンを体操技袋の中に入れてカビだらけにして、
体操技もカビだらけになっているような子でしたけど、
でもそいつはぶちのめされるから書くっていうのは拒絶するわけですよ。
そして子どもたちはみんなアホだなと思ってはいるんだけれども、
やっぱりヒーローなんですよ、ある種のね。
こういうことってあるじゃないですか。
なぜその子はそこまで反骨精神みたいなものを
その先生に発揮したのかはよくわからない。
で、体が飛ぶぐらいぶちのめされてましたからね。
半分飛んでるしみたいな。
今だったら通報されるんじゃないか、あんなことをしたらっていうぐらい。
空中に浮いてるからっていう。
これは父兄でもちょっと問題に当時すらなったんですけど、
でもちょっと問題ですから。
学年で2、3クレームのお母様の声が上がったみたいな感じでしたからね。
だから私は思うんですよ。
人は報酬だけで動いているわけでは全然ない。
だってそんな人ですら、そんな人って言っちゃあれなんですけど、
そんな年輩もいかない。
自分がはっきり何かを、年輩は言ってるか。
はっきり何かを目指しているとかでもなんでもないのにリスクをとっている。
それが報酬だと言われればそうかもしれないけど、
でもどう考えてもリスクしない。
みんなブルブル震えれましたから。
人が殴られてるの見たって震えちゃうんで。
で、私なんかはそういう時はどうしようもないある意味人間なんで、
完璧にやりたくもないことでも完璧にやってましたからね。
30:03
9歳か?そんなところでしょう。
で、こういうことはその時もやっぱり苦々しいなってのがあったわけですよ。
心の中ではですね。
苦々しい?何が苦々しい?
もちろんその先生が苦々しいんだから、
それだけではない苦々しさがあったわけですよ。
自分という人間とかそういうことを含めてですね。
で、その体が半分飛んで打ちのめされてドアまで外れちゃうような
子に対する気持ちも非常にアンビバレントだったし。
アンビバレントっていう言葉は精神分析でもまあおなじみですけれどもね。
で、それはトラウマなのかというと、
まあ覚えてるぐらいだからトラウマでないわけじゃないかもしれないが、
トラウマとは思えない。
私の身に起こったことではないしね。
で、じゃあそれは何かの欲望なのかというと、
それはない気がする。
でもこれは決していい気分じゃない。
でもこれに対してC-PTSDがうんうんみたいな、
こういうことが断続的にありましたけど、
2年間その先生は私の担任だったから。
でも断続的にあったから、
私がコンプレックスC-PTSDあるいは累積外傷とは思わない。
でもなった子はいた。
しかもそのなった子が別にぶちのめされていたわけではなかった。
その子とはすごい仲が良かったんですけど、
あれはたぶんC-PTSDっぽいなっていう子は、
その時の記憶がすごい断片的で混乱しているんですね。
順序も私から見るとすごくおかしい。
4年児と3年児が逆転している。
まあそんなの別に逆転してても構いませんが、
4年生の時に起きたことと3年生の時に起きたことと。
ただそれはあからさまに、
その子は2年の時から仲良かったんですけど、
2年の時の記憶はバッチリなんですよ。
その人頭いいし。
3年児4年児の記憶が非常に混沌としているんですね。
でもその子はその先生とは関係悪くなかったんですよ。
でも相当怯えてたんでしょうね。
つまりそういうことなんですよ。
どういうことだって話になっちゃいますが、
そういうことなんですよ。
こういうことが私は、
ライフハックであれ、
メール一通出すであれ、
今私が抱えてますけど、
現行の最終締め切りを何とか調整するであれ、
必ず関係してくると思うんですね。
どう関係してくるのかというと、
それこそ局所論なんですけど、
思い出そうと思えば思い出せる。
私今全部思い出そうとして思い出したじゃないですか。
だからこれは無意識にないんですよ。
全意識にあるわけですね。
そういうことについて私は、
過労死手ではあれ、夢も見られる。
生々しくはそこまでないんですよ。
33:00
私はそういうところあるんですよ。
少なくともその年頃だった頃の私にはそういうところあるんですよ。
ビクビクして怯えきってるようで、
どっかドライなんですよね。
だからそれは私は、
その自体をどこかちょっとは外から見る。
完全に巻き込まれてはいない。
震えてはいるけれども、
完全に巻き込まれているというのともまたちょっと違う。
学校では特にそうなりがちですけど、
どこか私は自分がその空間の中心にいる感じではなかったので、
その自体がその光景の中心になっていたので、
ちょっとやっぱりずれてるよね。
夢って自分が完全に中心になりますからね。
今なんかが私そうなってるけれども、
やっぱりちょっとずれますよね。
主観的な世界に入ってますよね、完全に。
そしてベータ要素とは言わないまでも、
未消化感はあります。
フラッシュバックとは全然違いますけれども、
やや光景が断片化しているなと。
アニメーションになってないなって言ったらいいでしょうか。
動画にできてない感じが。
しようと思っても難しいみたいな。
パッパッパっていう感じになっちゃう。
何しろ横暴だったんで、先生がね。
でも可哀想という気持ちがあるにしても、
可哀想だと今なら思うけど、
当時はその子に私はどっちかというと
牛耳られてるっていうか、
男子ってヒエラルキーがひどいんですよ、
3、4年は特に。
その子にいい思いはないんですよね。
だからやっぱりそういう葛藤はあるわけですよ。
なんか胸がスカッとしたには程遠い。
胸は悪くなったけど、
でもなんかやっぱり純粋に、
なんかすごい可愛い女の子が蹴飛ばされましたっていうのとは違うんですよ。
全然、僕の中では。
そういうことが、
私は精神分析でないと扱えないとは言いませんが、
消去法で扱うしかない。
つまり、共感とは何なんだろうと。
その先生には共感できないとしても、
その子に僕共感してないじゃないですか、結局。
だいたい、パンで体操着をカビだらけにするということに共感できんっていうところあるわけ。
名前ぐらい書いとけよみたいなノリもあるわけですよ。
カウンセリングやったわけじゃないんでね。
ないですけどね。
でも助言をするっていう立場じゃなかったわけですよね、全くね。
助言、共感で本当にその子が望んでることが何だったのかさっぱりわからない。
さっぱりわからない。
それは。
そんなことがあったとすら思えない。
助言、共感、アドバイスも同じですし。
で、解釈というのはなぜそこで残ってくるのか。
残ってくる気がするんですよね、とりあえず。
解釈すればいいというふうには思わないし、しないと思いますけど、
私も今はその貢献について解釈する気しないですけど、
その先生のなんであんなに暴力的だったのかっていうのは少し解釈したくなりますけど、
でも助言もアドバイスも共感もしないですしね。
36:02
でも解釈の余地はある気がするんですよ。
何もそれについて言えなくなったとき、私たちができることと言ってみると、
やっぱり、なぜその子は蹴られてまでそれをしたんだろうっては考えるじゃないですか。
まあ考えないかもしれないけど。
考えると解釈は、解釈のモチベーションは残るなと。
それは報酬が欲しいからではないなと思うんですね。
まなざしって言ったらいいんでしょうか。
それを目で見てたからなと。
見なくったっていいわけですよ。見たくなければね。
でも私は目をつぶるってことはしなかった。
し、耳を塞ぐってこともしなかった。
それは先生が怖かったからではなかった。
で、目を塞いだらその先生はもっと怒っただろうかって考えたことはあります。
耳を塞いだりね。そういう子もいたような気がします。
そういう子は怒られただろうかと今思い出そうとしても思い出せない。
それは無意識に追いやられてるんでしょうね。
黄色いセーターを着た子はいました。
なぜなら目立った。ですね。
その先生のところで目立つってまずいんですよ。
私の当時の考えではね。
そういうようなことはなんとなくこう、
なんていうのかな、見たとしか言いようがないですね。
見て覚えてる。
で、解釈もしてないです。いまだにしてない。
今するという気持ちにもそれほどはなれない。
でも解釈は不可能ではないなと。
共感を増して助言に意味があるとは思えない。
本当に何がしたかったんだろうあの先生は。
それは分からないし、子供に暴力がふるいたいわけでは決してなさそうでしたね。
だから分からないことばっかりですけど、
それでも解釈というものは、
つまり解釈というか、もうこうなってくると描写ですけど、
何かを誰かに伝えたいという部分がないですからね。
私の心の中で、つまり夢思考にとどまりますけど、
でも夢思考は手放せないなという感じがするんですよ。
その光景は全く意味不明な光景だで、
手放してしまうという気にはなれない。
で、私はビジネスであれ生活であれですけど、
特にビジネスは夢思考の連続でしかないので、
まあこれは生活は全面的にそうですけど、
分からないあるいは分かりたくない理不尽だ。
いっぱいありますが、仕事をしていれば。
でも夢思考が止まっていいとはとても思えないんです。
仕事の最中にはですね。
というか普通に考えれば止まらない。
もし夢思考が止まってしまえば、
例えば将棋指しが将棋を指していて、
この手に持っているこの奇妙な五角形は何だ?
になってしまったら、
それやっぱりって思うんですよね。
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夢思考がビジネスの途中で止まるとは、
そういうことだと思うし、
私はこれを扱っているのが、
つまりこれを解釈という技法に結びつけて扱おうとしているのが、
やっぱり政治分析的な発想しか、
今のところ見当たらない気がするんですよ。
他にもいろいろ今出てきているのは分かるんですけど、
でも元は政治分析だったってことを知らないと、
いきなりなぜ共感しないのかとか、
いや共感しないわけではないけど、
いきなり共感から始めない、
スタートが共感でないのは、
一体どうしてなんだっていうような、
普通に共感すればいいじゃんみたいな、
でも共感する前に夢思考があるじゃないですか、
とは大概言われないんですよね。
ダスクシュートの記録をつけるときも、
夢思考が働いてるじゃないですかと、
誰もそんなことはわざわざ言わないわけですよ。
自明になってる。
でも本当に記録が取れなくなると、
それは自明ではなくなるというところがあって、
で、夢思考が自明でない世界というのは、
ある意味大変恐ろしい世界だと。
そこに不安や恐怖が、
なんて言うんでもいいんですかね、
暗躍していないはずがないと思うんです。
それは思い出そうとして思い出せるようなものじゃないから、
やっぱり無意識っていうことになるだろうと。
思い出そうとして思い出せないものを扱おうとしたときに、
あなたが本当に望んでいるものはそれなのか、
これって意識じゃないですか。
本当にっていうのは無意識ではないと思うんですよね。
それをなんとなくで扱っちゃ困ると思うんですよ。
全意識と無意識の間みたいな、
そういう言い方をしてしまうと、
もう捉えようがなくなっていく。
だから私はまだタスクシュートを、
なぜ20何年も続けているのか、
また今度8月の20何日にそれを
喋るということになっているらしいんですけど、
そういうときに、
つまり普通のことを言えばいいって
多くの人は思うんでしょうね。
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