おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ、第1138回をお送りします。
2月18日火曜日、7時18分です。おー、早いですね。かつ寒い。寒くなってしまったですね。
引き続きのお知らせですが、直接関係ないようなお話で恐縮ではありますが、
タスク集と手帳というものを増釣りで販売中であります。
200部がほぼ売り切れていて、この増販としての500部というのを追加発注をかけて、
今も注文していただければ数日のうちにはおそらく届くでありましょうという状態です。
100ページで100日分なので、これ100日チャレンジと連動してもいいよねっていうつくりなんですけど、
だから100日経ったら、しかも継続してお使いになりたいという方は、そろそろいらっしゃっておかしくはない時期なので増撮しております。
割と早々に売り切れてしまったということもあるんですけれども、
やっぱり今結構注文いただいておりますので、今度はどこかで途切れることのないようにはしたいと思っていますけれども、
この辺が物の難しいところで、なくなっちゃいけないけど、大量に余ってはいけないじゃないですか。
だからそこのところの葛藤があるんですよね。
葛藤という言葉を今使ったのは、さっき本人心理師さんのフォトキャストで葛藤という言葉が出てきてたからに違いない。
私あまり葛藤という言葉は使ってないんだと思うんですよね。
まず分裂と言いたくなるか、でなければジレンマと言いたくなる。
葛藤と違いはないんですけど、別に言いたくなるっていうことですね。
それはそれとして、そういうことでですね。
もしよろしければお買い求めになっていただくといいかなと思います。
これはお知らせですね。
もう3ヶ月チャレンジと言いますか、最近あんまり言ってなかった感じがするんだけど、
この働くためのとか言わなくなりましたね。働く人のためのとか。
昨日久しぶりにですね、改めて私のやってることは心理臨床でない、医療行為でないとすると、
何なんだろうなと思いながら、例のグロリアと3人のセラピストを見ていたわけですよ。
カール・ロジャーズ、フレデリック・パールズ、アルバート・エリス。
早々たる顔ぶれというか、あと生きていればですけど、ジーク・ムーン・ド・フロイトってことになるでしょうねっていう感じですけど、
当然当時ご存命のはずはないので、この3人ですよね。
本当に早々たる顔ぶれで、これが公開カウンセリングしているビデオなんで、
そりゃもう本当にたくさん見られているわけですけれども、
これを見るとなんだかよくわからない気持ちになってくるわけですね、私なんかは。
これみんなロジャーズになろうとするんじゃないのっていうのが率直なところなんだけど、そんなことはないのかもしれませんけどね。
もちろんグロリアさんはその後3人にやってもらってどうだったって、
1回しかやってないからね、あれなんだけど、どうだったって言って、
もちろん当然のようにロジャーズが良かったみたいになって、そりゃそうだよなっていう。
私ロジャーズの時は話しやすかったし、受容されてる感じもあったし、
もうまんまロジェリアンの狙いとするところじゃないですか。
いい感じの私でいられましたみたいな、そうですよねっていう。
ちなみにエリスにはちょっとあんまり知的すぎてついていけない感じがした。
まあまあそうですよねっていう感じが、そんなに難しいことはエリス言ってるわけじゃないですけど、
あとパールズ博士は怖かったっていうね、もう怖くはないと僕なんかは思ったんですけれども、
まあ目の前にいるのとはまたね、また時代も全然違いますし、
本当あのトーキーの映画みたいなんですよね、冒頭でなんか撮ってつけたような音楽が
ジャジャジャジャーンみたいに流れて、なんかこう不可解なものだけど面白いよなって思ってですね。
最初はそういうふうに動画とか撮るもの、しかもカウンセリングの動画なんで、
まあすっごいいいんですけど、専門的な目で見ない限り静止画と変わらないじゃねえかっていう、
もうなんか人がちょっと喋ったり動いたりしているだけで、
何ら動的である理由がないような感じなんですけど、
まあでも非常にね細かいところが大事なんですよね。
あとかなり驚かされることに、ロジャーズは、これもやっぱりロジャーズはなんだけど、
吸わないんですよタバコね。でも確かパールズ博士とかは吸ってて、
でグロリアも吸ってるからタバコ吸うんだよね、カウンセリングの真っ最中に。
でこれが非常にですね、私はこう面白いなって思う。何が面白いかっていうと、
いやそこでそのタイミングでタバコ吸っちゃうんだみたいな、なんか余計なお世話なんですけどね本当にね。
だからこのタイミングで吸っちゃうのって行動感にならないですかっていう感じが、
本当に本当に力動的で、しかも素人のくせに力動的で口を出してごめんなさいみたいな口出してないけど、
そのタイミングでグロリアが吸うのはよくわかるし、あまりにもよくわかりすぎて、
だから最初僕なんか本当見た時にアメリカで見たんですけどね、
芝居なんじゃねえかって思う。
いかにもタバコ吸いたくなりそうなことを言われて苦しくなってきた。
タバコみたいに、なんかこうちょっと僕の目にはなんですけど、わざとらしく見えるんですよ正直言って。
だからまあ多分そんなことはないんだと思うんですけどね。
でもやっぱりちょっと驚きますね、そのあまりの見え見え感と言いますか。
ただ僕はそのグロリアさんはクライアントなんだからタバコ吸っていいって言われてる状況で、
いつでも好きな時に大体苦しくなると吸うって感じだったんだけど、いいじゃないですか。
だけどいやバールズ博士そこで吸うのダメじゃんみたいな。
いやそれもそんなことはないんですけど、
彼はゲシュタルト療法やってるわけで精神分析やってるわけじゃないんで、
わかんないですけどねゲシュタルト療法におけるその転移だの行動過多のに相当する何かあるんじゃないかと思いながらも、
よくわかんないからまあまあと思うんだけど。
なんかそこで吸うっていうのは、ある種の訓練不足というか、
いやそんなことはないんだと思うんですよ。
そんなことはないと思うんだけど気にはなった。面白いなと思ったってことですね。
だから動画であることの意味あるんですけど、
まあでもほらそういう観点で見なければはっきり言ってただおっさんがタバコ吸ってるだけなんで、
動画にする意味あるのかっていう、別にラジオでいいじゃんみたいになりかねないところではあるなと。
でもまあ私なんかには動画だと言うわけですよ。字幕出るからね。
しかもそれを今はほんとすごい素晴らしいじゃないですかYouTubeで自動日本語翻訳までしてくれるんで、
もうなんかわかる感じがするんですよ。
もともと話の内容は本で読んで知ってるんで、わかることは当然わかるんですけれども、
でもまあ字幕がつくといいよねという、当時私留学だった時にもあの字幕つけてほしかったわとつくづく思いますよ。
もちろんなかったんで、ほんと泣いてましたからね。
基本的に英語がわかんないことが最大の問題で、
それに比べればカウンセリングの中身がわからんということはないわけですよ。
英語の方が僕にとって厳しいということだったんですよね、当時はね。
で、昨日ですね、毎日毎日セッションをやっておりまして、
充実の日々になるわけですけど、変な言い方だな。
何と言っていいかわかんないから適当に言っておいてるわけですけど、
毎日やっておりますと。元気にやってますと。
聞きは元気ですってやつですけど。
要するにですね、
僕はやっぱり力道にすごい偏ってるなって思うんですけど、
やっぱり中学の頃にかわいはやおさんの本読んで以来ずっとなんですが、
この考え方が好きなんでしょうね、私はねっていうのはありますよね。
面白いんですよ、アルバート・エリスのカウンセリングだとしても。
取り戻す、整えるっていう、取り戻すは特にそうなんだけど、
もともとあったものを深いところから引っ張り上げるみたいなノリがあるんですけど、
そうじゃないんですよね。邪魔されている。
それもシチュエーションごと邪魔にされているんだけど、
そのシチュエーションを変えたくないっていうのがあると思うんですね。
私この仕事をやっていて、いくつかの縛りはかけてるんですよ。
例えばまず、特に主層というのか、特に希望がない限り現状維持を目指すというのがあるんですね、私の中で。
例えば特に望まれていない限り、結婚されているなら結婚している状態を維持する。
就職されているならば転職しない状態を維持する。
今のままいけるようにするっていうのが一応望ましいだろうぐらいには仮定してあるんですよ。
別に転職しないとか離婚しないっていうことを目指そうってわけじゃないんだけど、
特に望まれもしないのに、つまりこの状況変えればよくなるんじゃんみたいなふうには考えない。
縁があるなら親子の縁とか家族の縁とか極力切らない方向で調整を考えていきたいみたいなところはあるんですよね。
だから働いている、いないに関わらず、今現場にあんまり行けてないならば復職に近い感じ、
その復縁みたいな感じ、そういう方向をある程度意識してはいる。
別に復縁を促すとか復職を促すってわけではないんですけども。
就職したことがあるとか結婚したことがあるということであればする気はあるわけじゃないですか。
だからやっぱり取り戻すって感じ、その気持ちをですね、取り戻すという感じ。
別に気持ちさえ、僕の感覚の中でやっぱその、挫けない限り気持ちさえ取り戻されれば、
なんかどっかで動き出すだろうみたいな行動は追わないみたいなのはあるわけですよ。
もう掃除などというのは、私は掃除って苦手な方じゃないからなんでしょうけど、
横の部屋が散らかってたって、やる気が相当出てくれば何とかなっちゃうところあるんですよ。
まして今は外に何かを頼めば、ある程度はやってくれるわけですから、
捨てまくるみたいなのも含めてですね、何とかなるっていう感じは僕は、
まあ親とか兄弟が結構ひどかったんで、
ああいうのをですね、言われればやるよっていう、言われもしないのにやりたくないんですよ。
だって結局あれなんですよね、部屋片付けてほしいなって言っても、
ああそうかって言って1年放棄して勝手に片付けるとですね、
でもあれは捨てないでほしかったみたいな、めっちゃ責められたりした経験があるんで、
そうそうやっぱりこうね、よっぽど言われないと人のものには手出しにくいな、
自分のものだったらいいけど、っていうのはありますから、
やっぱり断捨離とか、そういうものは全部そうですけど、
基本的には捨てるってことが軸にならざるを得ないんで、
だって分かりきったことなんで、空間には限りがあるのに、
ものはいくらでも増えていくってことになればですね、
どっかでそこがエントロピーがですね、増えていくわけですよ。
でもある意味それはエントロピーが増えてるだけだからなっていう感じもするんですよね。
汚いっていうのは判断じゃないですか。
目に見えている世界の話をしていて、しかもそれは夢じゃないですか。
どんなふうに置かれていようと汚くはないんですよ。
なんかちょっと仏教的な言い方になっちゃうんですけど、
別にそんなに難しい話じゃないと思うんですよね。
どんなふうに置かれていようと、それは何かがそこに置かれているというだけなんですよ。
置き方が気に入らないってことなのかもしれないけど、
汚いっていうのは強い価値判断だなって思うんですよね。
浄土的に強い価値判断って感じがするんですよ。
僕の目にはそうは大抵見えませんから、
それは気に食わないならこう置くってことはあり得るみたいな感じに見えるんですよね。
片付けっていうのは僕にはすごい簡単なことっていう感じがやっぱりあるんだろうなって感じがします。
何を言いたいかというと片付けの話をしたいわけではないんですよ。
これは結局感触とか感覚とか、だから夢って言いたくなっちゃうんですけどね。
判断含んでますからね、そこにはね。
こういうふうにあると自分はいい気持ちとしていいんだみたいなそういうノリがありまして。
で、その判断をしているということはやっぱりこうなんか内部にあるんですよ。
散々月のあたりから言っているやっぱり親対象とか長寿がとかそういうものを言いたくなるものがある、私にはですね。
だから片付ければいいじゃんじゃないんですよね。
この親対象なり長寿がなりがこうやれああやれみたいなところがさらにそれが動向していくとこれは汚いだろうとかこれはダメだろうとなってくると非常に手を出しにくくなっていくじゃないですか。
私もだから苦手分野だとそれが非常に感じられるんでよく分かるんですよね。
なんか台読基地に入ると孫ついちゃうんですよ。
これは奥さんに散々言われてるせいよねって。
昔は孫つかなかったんで母は何も言わなかったですからね特に私がやることに対して。
お皿それじゃないでしょとか。
今日飲むのはなんだと思ってるのみたいなことになってくると何をすればいいのかで何もしないでいるとボッと釣ったんじゃないみたいになるわけですよ。
これがつまり内在化取り入れでも摂取でも何でもいいんですけど内在化されていくから孫つくんだな一人でいる時もっていうことがやっぱり力動的に僕には思えるわけですよね。
孫つくよなこれじゃなっていうねそういう感じがすると。
でも結局こういうことに近いことが行われてくるわけですよね。
場合によっては結束バンドみたいな話になってきて人権はってことになるんだけど。
ここも簡単な話ばかりでは進まなくて。
昔映画で見たんですけれどもある女の子が毛布をかけてほしいって言うとかけてギュッとぐるぐる巻きにしてみたいな。
これはだからお母さんに頼りたい寂しさってものを言ってるんですよ。
で僕びっくりしたんですけどオグデンカナーは誰だったかな。
やっぱこの結束バンドにぎゅうぎゅうに締め付けられると母親大使を思い出すみたいな。
非常にややこしい話ですよ。
だから人権の話と絡んでくるわけですよ。
縛られたいみたいな。
縛るっていう言い方するじゃないですか。
だから縛られるということは愛情の定は縛るという字を当てるみたいな言葉が昔小説で見たことがあるんですけど。
まあまあそういう話との絡みが出てくるわけですよ。
それはその3色がっちり用意してくれて家も用意してくれてっていうのはいいんですけど。
でもやっぱりそれは一歩間違うとラプンツェルにされてしまうわけですよね。
そこのところで僕らは一つ葛藤の。
すいません。ちょっとね。ゴミをね。片付ければならないわけなんですよ。
町内にオーバーがありまして。
まあまあそれはいいとして。
えーとなんだっけ。
だからその夜上なさというものを意識すると長寿がというものを意識しているのと変わらないような状態が。
親対象でもいいんですけど。
そういう風な心理状態になることって多々あるわけですよね。
片付け一つとってもそうだし。
その食いパグれたくないから仕事に行かなきゃなんないんだけど辛いみたいな。
まあ僕はそれを大筋マッチ売りの少女状態。
北山オサムさんの本を借りてそういう風に言ってるんだけど。
それって私のような仕事にもさらっと入ってくるわけですよ。
例えば私がね。
あのそれこそ参加者さんとの間でセッションがうまく進まないとか。
ひどく停滞しているとか。
割ときついことを言われたとかいうことが仮にあったとするじゃないですか。
まあきついことはまず言われないけど。
停滞はするわけですよ。やっぱりね。
その時に例えばなんですけど今度そうだな。
3月15日に正式の正式正規の初心理士さんをお招きしてイベントしますけど。
そういう人にこういやいやそういう風にやってじゃよくないから。
こういう風に運営したらって言われると。
ほらすごく頼りになるわみたいになるじゃないですか。
スーパーファイザーじゃないですけど。
やっぱりサンチャレは今までこういう風にやってたからよくなかったのかみたいになるじゃないですか。
自分に自信がないときはね。
まあ僕は別に自分に自信があるわけじゃないんだけど。
自分に自信がないということと誰かを頼りたいという気持ちはやっぱりこういう時は特にそうなんだけど。