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おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ、第1138回をお送りします。
2月18日火曜日、7時18分です。おー、早いですね。かつ寒い。寒くなってしまったですね。
引き続きのお知らせですが、直接関係ないようなお話で恐縮ではありますが、
タスク集と手帳というものを増釣りで販売中であります。
200部がほぼ売り切れていて、この増販としての500部というのを追加発注をかけて、
今も注文していただければ数日のうちにはおそらく届くでありましょうという状態です。
100ページで100日分なので、これ100日チャレンジと連動してもいいよねっていうつくりなんですけど、
だから100日経ったら、しかも継続してお使いになりたいという方は、そろそろいらっしゃっておかしくはない時期なので増撮しております。
割と早々に売り切れてしまったということもあるんですけれども、
やっぱり今結構注文いただいておりますので、今度はどこかで途切れることのないようにはしたいと思っていますけれども、
この辺が物の難しいところで、なくなっちゃいけないけど、大量に余ってはいけないじゃないですか。
だからそこのところの葛藤があるんですよね。
葛藤という言葉を今使ったのは、さっき本人心理師さんのフォトキャストで葛藤という言葉が出てきてたからに違いない。
私あまり葛藤という言葉は使ってないんだと思うんですよね。
まず分裂と言いたくなるか、でなければジレンマと言いたくなる。
葛藤と違いはないんですけど、別に言いたくなるっていうことですね。
それはそれとして、そういうことでですね。
もしよろしければお買い求めになっていただくといいかなと思います。
これはお知らせですね。
もう3ヶ月チャレンジと言いますか、最近あんまり言ってなかった感じがするんだけど、
この働くためのとか言わなくなりましたね。働く人のためのとか。
昨日久しぶりにですね、改めて私のやってることは心理臨床でない、医療行為でないとすると、
何なんだろうなと思いながら、例のグロリアと3人のセラピストを見ていたわけですよ。
カール・ロジャーズ、フレデリック・パールズ、アルバート・エリス。
早々たる顔ぶれというか、あと生きていればですけど、ジーク・ムーン・ド・フロイトってことになるでしょうねっていう感じですけど、
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当然当時ご存命のはずはないので、この3人ですよね。
本当に早々たる顔ぶれで、これが公開カウンセリングしているビデオなんで、
そりゃもう本当にたくさん見られているわけですけれども、
これを見るとなんだかよくわからない気持ちになってくるわけですね、私なんかは。
これみんなロジャーズになろうとするんじゃないのっていうのが率直なところなんだけど、そんなことはないのかもしれませんけどね。
もちろんグロリアさんはその後3人にやってもらってどうだったって、
1回しかやってないからね、あれなんだけど、どうだったって言って、
もちろん当然のようにロジャーズが良かったみたいになって、そりゃそうだよなっていう。
私ロジャーズの時は話しやすかったし、受容されてる感じもあったし、
もうまんまロジェリアンの狙いとするところじゃないですか。
いい感じの私でいられましたみたいな、そうですよねっていう。
ちなみにエリスにはちょっとあんまり知的すぎてついていけない感じがした。
まあまあそうですよねっていう感じが、そんなに難しいことはエリス言ってるわけじゃないですけど、
あとパールズ博士は怖かったっていうね、もう怖くはないと僕なんかは思ったんですけれども、
まあ目の前にいるのとはまたね、また時代も全然違いますし、
本当あのトーキーの映画みたいなんですよね、冒頭でなんか撮ってつけたような音楽が
ジャジャジャジャーンみたいに流れて、なんかこう不可解なものだけど面白いよなって思ってですね。
最初はそういうふうに動画とか撮るもの、しかもカウンセリングの動画なんで、
まあすっごいいいんですけど、専門的な目で見ない限り静止画と変わらないじゃねえかっていう、
もうなんか人がちょっと喋ったり動いたりしているだけで、
何ら動的である理由がないような感じなんですけど、
まあでも非常にね細かいところが大事なんですよね。
あとかなり驚かされることに、ロジャーズは、これもやっぱりロジャーズはなんだけど、
吸わないんですよタバコね。でも確かパールズ博士とかは吸ってて、
でグロリアも吸ってるからタバコ吸うんだよね、カウンセリングの真っ最中に。
でこれが非常にですね、私はこう面白いなって思う。何が面白いかっていうと、
いやそこでそのタイミングでタバコ吸っちゃうんだみたいな、なんか余計なお世話なんですけどね本当にね。
だからこのタイミングで吸っちゃうのって行動感にならないですかっていう感じが、
本当に本当に力動的で、しかも素人のくせに力動的で口を出してごめんなさいみたいな口出してないけど、
そのタイミングでグロリアが吸うのはよくわかるし、あまりにもよくわかりすぎて、
だから最初僕なんか本当見た時にアメリカで見たんですけどね、
芝居なんじゃねえかって思う。
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いかにもタバコ吸いたくなりそうなことを言われて苦しくなってきた。
タバコみたいに、なんかこうちょっと僕の目にはなんですけど、わざとらしく見えるんですよ正直言って。
だからまあ多分そんなことはないんだと思うんですけどね。
でもやっぱりちょっと驚きますね、そのあまりの見え見え感と言いますか。
ただ僕はそのグロリアさんはクライアントなんだからタバコ吸っていいって言われてる状況で、
いつでも好きな時に大体苦しくなると吸うって感じだったんだけど、いいじゃないですか。
だけどいやバールズ博士そこで吸うのダメじゃんみたいな。
いやそれもそんなことはないんですけど、
彼はゲシュタルト療法やってるわけで精神分析やってるわけじゃないんで、
わかんないですけどねゲシュタルト療法におけるその転移だの行動過多のに相当する何かあるんじゃないかと思いながらも、
よくわかんないからまあまあと思うんだけど。
なんかそこで吸うっていうのは、ある種の訓練不足というか、
いやそんなことはないんだと思うんですよ。
そんなことはないと思うんだけど気にはなった。面白いなと思ったってことですね。
だから動画であることの意味あるんですけど、
まあでもほらそういう観点で見なければはっきり言ってただおっさんがタバコ吸ってるだけなんで、
動画にする意味あるのかっていう、別にラジオでいいじゃんみたいになりかねないところではあるなと。
でもまあ私なんかには動画だと言うわけですよ。字幕出るからね。
しかもそれを今はほんとすごい素晴らしいじゃないですかYouTubeで自動日本語翻訳までしてくれるんで、
もうなんかわかる感じがするんですよ。
もともと話の内容は本で読んで知ってるんで、わかることは当然わかるんですけれども、
でもまあ字幕がつくといいよねという、当時私留学だった時にもあの字幕つけてほしかったわとつくづく思いますよ。
もちろんなかったんで、ほんと泣いてましたからね。
基本的に英語がわかんないことが最大の問題で、
それに比べればカウンセリングの中身がわからんということはないわけですよ。
英語の方が僕にとって厳しいということだったんですよね、当時はね。
で、昨日ですね、毎日毎日セッションをやっておりまして、
充実の日々になるわけですけど、変な言い方だな。
何と言っていいかわかんないから適当に言っておいてるわけですけど、
毎日やっておりますと。元気にやってますと。
聞きは元気ですってやつですけど。
要するにですね、
僕はやっぱり力道にすごい偏ってるなって思うんですけど、
やっぱり中学の頃にかわいはやおさんの本読んで以来ずっとなんですが、
この考え方が好きなんでしょうね、私はねっていうのはありますよね。
面白いんですよ、アルバート・エリスのカウンセリングだとしても。
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面白いって言ってはよくないのかもしれないけど、やっぱ面白いと思うんだけど、
面白いなで終わるんですよね。
ここから先さらにこれを知りたいなとは思わないんですよ。
ロジャーズはすごいなと思います、本当に。
だからあれは本当にいいなと思うんだけど、
でも結局1回やってそれが何かにはなるんだろうけど、
1回やってあれでカウンセリングっていう風に、
僕の感覚の中でやっぱりあんましないんですよね。
インテークがせいぜいって感じしかどうしてもしないんですよね。
これもだから偏ってるとは思うんですよ。
世の中にはブリーフセラフィーみたいなものだってあるんだし、
最近ほとんどのカウンセリングが1回で終わるんだっていう本も読んで、
やっぱりでもこれはそういう風になり得るものなんだろうかみたいなのが、
なんて言うんですかね、
例えばタスクシュートとかライフパックですら、
1回では何かが起きる感じにならないわけですよ。
衝撃を受けるってことはあるかもしれないけど、
1回で何か結果が出るかっていうと出ないよねって、
1日の記録がただそこに残るだけだよねって感じになるわけですよね。
やっぱりできれば1年ぐらい続けて見ていただけませんでしょうかみたいなのは、
1年長いからな、だから100日ってことにしてるわけですけどね。
でもこれはある種の偏りなのかもなと。
あんたはそのね、なんで力動なのかっていうのはあるのかなとは思う。
ないかもしれないですけどね。
なんでこのことを僕が盛んに言いたくなるかというと、
やっぱりつまり私はビジネス心理コンサルだなって思うんですよね。
これは一応ビジネス心理コンサル、
ビジネスメンタルコンサルって言いたかった時代があったんですけど、
るがうるせえなって思って、ビジネス心理コンサルならいいじゃんって思って、
これをどこかで確立していきたいと。
ただそうすると、でも私ずっと家にいますけどみたいな人が、
結構そういう方とのやり取りっていうのが、
私の中ではこのセッションで、
つまりですね、全然働いてませんっていう方も是非歓迎ですってことなんですよ。
だから人生相談って言い方にしてるんですね。
つまり僕の中ではそれはビジネス心理に非常に深く関わることなんですけど、
働く心理に関わることだし、
別にずっと家にいて家事やってますもん、
僕の中では全くそれは会社で働いてるのと何ら遜色はないと思うんですよ。
だから結局ここで多くの人が話題にしてることって、
いわば今時ジェンダーで盛んに言われてることと被るんですよ。
稼がないものは労働なのかみたいな話になってるわけですよ。
でも僕は、稼ぐ稼がないを労働の基準にするのは、
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フェミニズム的な観点とはまた別にですね、
非常に問題があるだろうって思うんですね。
ってのはどういうことかというと、
毎日会社に行ってたって、
給料はそれはもらえるでしょうけど、
よほどブラックでなければもらえるでしょうけど、
その業界が全く儲かってなかった場合は、
どうにもならないじゃないですか。
労働量は儲かってる業界の、
一歩間違うと2倍以上ってことになるのに、
賃金はもう5分の1以下みたいなことは、
ザラにあるわけですよ、はっきり言って。
だから結局それは稼いでるかどうかの問題ってことになると、
稼ぎが労働量に比例するはずがない以上ですね。
私は出版業界に長く関わっていたんで、
労働量に稼ぎが比例するわけがないと思うんで、
一歩間違うともう馬車馬のように働いてるけれども、
コンビニで働いてる方がマシですってことは起こりすんで、
ここを考えるのは少なくとも、
心理系の話じゃねえなって思うんですよね。
だからそう考えてみると、
家の中で家事をすごいやってる、
例えばすごい極端な話しますよ。
家の中で家事をすごいやってる大富豪の奥様とかって、
別に全然稼いでないかもしれないけど、
めちゃくちゃ労働価値は高いわけじゃないですか。
結局のところ。
金銭に換算するという意味においてはってことですよ。
給料もらってなくたって、
労働の対価として得てるものは決して小さくないってことは、
多々あるわけですよ。
一方でもうそれこそシングルに近い状態で、
夫働かないんで、
一生懸命すごい頑張って家事も育児も全部やってますけど、
手取りはもう何か数千円ですみたいなケースはあり得るわけで、
意味がないことを言うことになっちゃうなって思うんですよね。
普通に。
これ完全にソーシャル的な話になってますけど、
私はこれをでも心理臨床の世界に引き寄せて考えてるということになるわけですよ。
なんでそもそもそういう男性と一緒にいなければならないんだろうっていう。
だから結局、この場合男性を批判するっていうのは社会的な目線なんだけど、
私は一緒にいるという状態の真理を見たくなるわけですよ。
それだと女性を、あたかもその場合はね、
シングルっぽい活動してる女性を批判してるみたいになるんだけど、
そこを批判せずにどうしてもそうなっちゃうんだみたいなことは起こり得るようになると思うんですよね。
私はそれは自分に引きつけて考えると、
やっぱり昔アトピーで肌を描かざるを得なかった時のことを考えるんですよ。
で、あれの時に描かなきゃいいじゃんっていうのは最もなんですよ。
描かなければ少なくともそう悪化はしなくなるんですよ。
描かずにはいられないんですよ。
描かなきゃいいっていうのは僕はすごい無理があるというのをよく知ってるんで。
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あの、そういうことが一見したところ、
そういう男と一緒にいなきゃいいじゃんと言えばこと足りそうなんだけど、
僕はそうは見えないんですよね。
そういう人といることになるんだっていう。
だから私はやっぱりその無意識っていうところ、
そこで力度ってものを感じざるを得ないんですよね。
描く時は力が入るわけですよね。
で、なんで力を入れて描いちゃうのって言われても結構困るわけですよ。
意識的に描いてるつもりはない場合もあるんですよね。
私、アトピーがだいぶ良くなってきて、
最終話に差し掛かってきた時そうだったんですよ。
睡眠中のみ描くみたいなことが起きるんですよね。
だから起きてる時は痒くならないんですよ。
こうなってくると本当に無意識で、
全く描いてる自覚がないんだけど描くみたいなことが起きちゃうんで、
やっぱり力度、無意識っていうものを意識せずにはって変な言葉だけど、
いられないんですよね。
そういうことはあるんですよ。
で、ビジネス心理コンサルというのは、
つまりもう専業、主婦ですとか、もしかするとニートですという方も大歓迎なんだけど、
お金はただってわけにはいかない。
ここが僕は社会福祉をやってるわけではないってことなんですよね。
僕には無理だってこと、現状ではですね。
社会福祉は私のこの現実の状況が社会福祉に私がもう邁進させることを許してないと。
いろんな構造を切り替えてしまえば不可能ではないかもしれないけど、
そのためにやっぱりいろんな構造を変えなきゃならない。
うちの娘の教育はどうするんだとか、
うちの奥さんが働かなければならなくなるとか、
いろんな構造、そうすると実家の問題とか、
実家の偽実家のお父さんがいる問題とか、
いろんな問題がここに引っかぶってきて、
そこまで構造を変えればならない、
決定的な理由がよくわからなくなってくるんで、
それはやらないということになるんですね。
そうするとやっぱりことはですね、
働いていらっしゃらなくてもいいんですけれども、
お金は支払っていただかなきゃならない。
結局のところ、多くの場合、資産家っていう方ってやっぱりそうはいらっしゃらないし、
そんなにそんな資産家なのに、
これにこういうよくわからないビジネスメンタルの話を聞いてほしいってならないじゃないですか。
だから自然と何らかの形で働くか働けてないか、
その辺りになってくるということなんですよ。
で、この働けてないという方の心理、
つまり働いていたとしても、
会社に行っているとしても、
これがちょっとしんどすぎるとか朝起きられない、
それは仕事に行く日こそ起きられないみたいな、
起きたくないとかね。
そういうのって僕はやっぱり企業の問題とかいろいろあると思うんだけど、
そこにまず着目するのではなしに、
ビジネス心理という、働く心理というものに着目したいなと。
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そうするとビジネス心理コンサルなんだよねっていう。
だからこれ取引の時の、
ビジネス心理コンサルって言ってもしかすると取引の時の心構えみたいな話になるのかもしれないけど、
そういうのでは全然ないです。
そういう話にも乗りますけど今は。
まず第一に考えているのは、
例えば仕事をしているんだけど自分の母親と意見が合わないとかね。
さっき聞いた話をそのまま持ってきてるんだけど、
さっきカウンセラジオっていう、
ワタルンさんって方のね、聞いていたんですよ。
そういうのが出てきた。
ああそうそう、そういう話ですよっていうことなんですね。
あれを心理臨床の観点から見ると。
私はビジネス心理の観点から見てるんだけど、
使っている知識は、僕が一番使えると信じられる知識が、
精神力動で精神分析だったから、
しゃあないよねっていう精神分析をしたいわけじゃない、するわけじゃないんだけど、
精神分析の知識はふんだんに使いたいですと、こういうことになってきてるんですよ。
ふんだんに使いたいと言っても、そうなんでね。
知識としては、やっぱりアルバート・エリスの本も結構読んでるんですよ。
認知療法ね、認知行動じゃなくてね、認知療法。
やっぱり僕が行動に訴えると、それは真理だとは、
真理なんでしょうけど、行動科学、ワトソン好きなね。
でもあれは行動だから、
もしかするとそれってビジネストレーニングそのものになってしまって、
メンタルじゃないじゃんっていう、メンタルがあまりにもブラックボックス化してしまってですね、
全くメンタルを、目に見えないのはもちろんなんですけど、
メンタルなんだから、心なんだから、
だけどあまりにもスルーして見えるんで、
やっぱり行動というところには僕はちょっといけないなっていう、
やっぱりせめて認知に行かないとっていう感じがするわけですよ。
だからエリス、そういうところに行くんだけど、
いやこれは少なくともカウンセリングには私には見えんみたいな、
いやカウンセリングですよ。
ですが、私はあれはできないなっていう感じ。
できるとしてもあれをやるのはやばいだろうみたいな感じがやっぱりするので、
一旦置いとく。
読みはしますよ。今後も多分読むと思う。
スキーマ療法とかナラティブとかも読むんですけどね。
読むって感じなんですよね。
しかもそれがある種の観点を僕は取っちゃうわけですよ。
働くメンタルを、働く心理というものを整える、取り戻す。
何が言いたいかというと、激しく邪魔されてるというふうに私には見えるんですよね。
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取り戻す、整えるっていう、取り戻すは特にそうなんだけど、
もともとあったものを深いところから引っ張り上げるみたいなノリがあるんですけど、
そうじゃないんですよね。邪魔されている。
それもシチュエーションごと邪魔にされているんだけど、
そのシチュエーションを変えたくないっていうのがあると思うんですね。
私この仕事をやっていて、いくつかの縛りはかけてるんですよ。
例えばまず、特に主層というのか、特に希望がない限り現状維持を目指すというのがあるんですね、私の中で。
例えば特に望まれていない限り、結婚されているなら結婚している状態を維持する。
就職されているならば転職しない状態を維持する。
今のままいけるようにするっていうのが一応望ましいだろうぐらいには仮定してあるんですよ。
別に転職しないとか離婚しないっていうことを目指そうってわけじゃないんだけど、
特に望まれもしないのに、つまりこの状況変えればよくなるんじゃんみたいなふうには考えない。
縁があるなら親子の縁とか家族の縁とか極力切らない方向で調整を考えていきたいみたいなところはあるんですよね。
だから働いている、いないに関わらず、今現場にあんまり行けてないならば復職に近い感じ、
その復縁みたいな感じ、そういう方向をある程度意識してはいる。
別に復縁を促すとか復職を促すってわけではないんですけども。
就職したことがあるとか結婚したことがあるということであればする気はあるわけじゃないですか。
だからやっぱり取り戻すって感じ、その気持ちをですね、取り戻すという感じ。
別に気持ちさえ、僕の感覚の中でやっぱその、挫けない限り気持ちさえ取り戻されれば、
なんかどっかで動き出すだろうみたいな行動は追わないみたいなのはあるわけですよ。
もう掃除などというのは、私は掃除って苦手な方じゃないからなんでしょうけど、
横の部屋が散らかってたって、やる気が相当出てくれば何とかなっちゃうところあるんですよ。
まして今は外に何かを頼めば、ある程度はやってくれるわけですから、
捨てまくるみたいなのも含めてですね、何とかなるっていう感じは僕は、
まあ親とか兄弟が結構ひどかったんで、
ああいうのをですね、言われればやるよっていう、言われもしないのにやりたくないんですよ。
だって結局あれなんですよね、部屋片付けてほしいなって言っても、
ああそうかって言って1年放棄して勝手に片付けるとですね、
でもあれは捨てないでほしかったみたいな、めっちゃ責められたりした経験があるんで、
そうそうやっぱりこうね、よっぽど言われないと人のものには手出しにくいな、
自分のものだったらいいけど、っていうのはありますから、
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やっぱり断捨離とか、そういうものは全部そうですけど、
基本的には捨てるってことが軸にならざるを得ないんで、
だって分かりきったことなんで、空間には限りがあるのに、
ものはいくらでも増えていくってことになればですね、
どっかでそこがエントロピーがですね、増えていくわけですよ。
でもある意味それはエントロピーが増えてるだけだからなっていう感じもするんですよね。
汚いっていうのは判断じゃないですか。
目に見えている世界の話をしていて、しかもそれは夢じゃないですか。
どんなふうに置かれていようと汚くはないんですよ。
なんかちょっと仏教的な言い方になっちゃうんですけど、
別にそんなに難しい話じゃないと思うんですよね。
どんなふうに置かれていようと、それは何かがそこに置かれているというだけなんですよ。
置き方が気に入らないってことなのかもしれないけど、
汚いっていうのは強い価値判断だなって思うんですよね。
浄土的に強い価値判断って感じがするんですよ。
僕の目にはそうは大抵見えませんから、
それは気に食わないならこう置くってことはあり得るみたいな感じに見えるんですよね。
片付けっていうのは僕にはすごい簡単なことっていう感じがやっぱりあるんだろうなって感じがします。
何を言いたいかというと片付けの話をしたいわけではないんですよ。
これは結局感触とか感覚とか、だから夢って言いたくなっちゃうんですけどね。
判断含んでますからね、そこにはね。
こういうふうにあると自分はいい気持ちとしていいんだみたいなそういうノリがありまして。
で、その判断をしているということはやっぱりこうなんか内部にあるんですよ。
散々月のあたりから言っているやっぱり親対象とか長寿がとかそういうものを言いたくなるものがある、私にはですね。
だから片付ければいいじゃんじゃないんですよね。
この親対象なり長寿がなりがこうやれああやれみたいなところがさらにそれが動向していくとこれは汚いだろうとかこれはダメだろうとなってくると非常に手を出しにくくなっていくじゃないですか。
私もだから苦手分野だとそれが非常に感じられるんでよく分かるんですよね。
なんか台読基地に入ると孫ついちゃうんですよ。
これは奥さんに散々言われてるせいよねって。
昔は孫つかなかったんで母は何も言わなかったですからね特に私がやることに対して。
お皿それじゃないでしょとか。
今日飲むのはなんだと思ってるのみたいなことになってくると何をすればいいのかで何もしないでいるとボッと釣ったんじゃないみたいになるわけですよ。
これがつまり内在化取り入れでも摂取でも何でもいいんですけど内在化されていくから孫つくんだな一人でいる時もっていうことがやっぱり力動的に僕には思えるわけですよね。
孫つくよなこれじゃなっていうねそういう感じがすると。
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だってこう皿出してみても確信が持てない。
この皿でいいんだっけ。
今日はオムレツだからこれじゃダメなんだっけみたいな。
でも卵焼きかもしれないし卵はあるけどってなってくるといちいち動けなくなってくるじゃないですか。
これなんですよね基本的には多分。
で自信のなさというものは何かを頼りたいという気持ちとセットになってくるんで。
だからそのフロイトが言ったことですよね。
長寿がというものと自分の寄るべなさという。
藤山直樹さんの寄るべなさって表現をヘルプレスネスの役なんだけど。
これ寄るべなさというか。
えーと何順ですかね。
そういうこうものがあるわけですよ。
強くなってくればね。
だからマッチュリの少女はなんかこうやっぱ非常に頼りないじゃないですか。
非常に。
雪が降ってるのに靴をなくすとは。
あのやっぱり幼すぎるじゃないですか。
昔は本当にひどかったんでしょうね。
まあ今も世の中ひどいところありますが。
とにかくそうだったわけですよ。
そういう時にやっぱり頼りたくなるじゃないですか。
だから頼りにしたいという気持ちと自分が寄るべないという気持ちはセットなんですよ。
でもこれは寄るべなさだけを意識しているからそうなのであって。
寄るべないからと言って。
じゃあですね。もうあんたは寄るべなくて頼りないんだからここにいなさい。
ここにいたら食事は用意してあげるから。
あなたがやることも全部私が指示してあげるからってなってくると。
ほとんど監禁じゃないですか。
アウンさんスーチーさんみたいにされてしまうわけじゃないですか。
それはそれで人は。
いやいやその確かに私はヘルプレスネスですが。
それはやめてよっていうことになりますよね。
なんかここから一歩も出るなみたいな。
私の許可証を出すからみたいなね。
今日は日光浴をするために外に25分36秒ぐらいいなさいみたいな。
いやいやでしょこれ。
つまりこれは何かっていうと。
僕は接触障害を今念頭において考えているわけですけれども。
つまり食事をくれるというような人を頼りにしたいという気持ちはあるわけですよ。
食いっぱくれるの怖いですからね。
だからそのマチューリの症状的な自分を意識したときは。
いつも食事を3食作ってくれて用意してくれます。
幸せだって思うんだけど。
だからといってラプンツェルにされたくはないわけですよ。
人はやっぱり。
それは勝手じゃんってことになるかもしれないけど。
このぐらい勝手でないと。
このぐらいの勝手は当然認められないと。
ところがこのぐらいの勝手って今僕が言ったように。
ここに厳密な線は引けないですよね。
25分36秒やりすぎだが2時間36分はオッケーだみたいにならないじゃないですか。
でもあれですよね。
意外と精神科病棟みたいなところはこういうところありますよね。
すごくマイルドにしてあるけれども表面的にはね。
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でも結局こういうことに近いことが行われてくるわけですよね。
場合によっては結束バンドみたいな話になってきて人権はってことになるんだけど。
ここも簡単な話ばかりでは進まなくて。
昔映画で見たんですけれどもある女の子が毛布をかけてほしいって言うとかけてギュッとぐるぐる巻きにしてみたいな。
これはだからお母さんに頼りたい寂しさってものを言ってるんですよ。
で僕びっくりしたんですけどオグデンカナーは誰だったかな。
やっぱこの結束バンドにぎゅうぎゅうに締め付けられると母親大使を思い出すみたいな。
非常にややこしい話ですよ。
だから人権の話と絡んでくるわけですよ。
縛られたいみたいな。
縛るっていう言い方するじゃないですか。
だから縛られるということは愛情の定は縛るという字を当てるみたいな言葉が昔小説で見たことがあるんですけど。
まあまあそういう話との絡みが出てくるわけですよ。
それはその3色がっちり用意してくれて家も用意してくれてっていうのはいいんですけど。
でもやっぱりそれは一歩間違うとラプンツェルにされてしまうわけですよね。
そこのところで僕らは一つ葛藤の。
すいません。ちょっとね。ゴミをね。片付ければならないわけなんですよ。
町内にオーバーがありまして。
まあまあそれはいいとして。
えーとなんだっけ。
だからその夜上なさというものを意識すると長寿がというものを意識しているのと変わらないような状態が。
親対象でもいいんですけど。
そういう風な心理状態になることって多々あるわけですよね。
片付け一つとってもそうだし。
その食いパグれたくないから仕事に行かなきゃなんないんだけど辛いみたいな。
まあ僕はそれを大筋マッチ売りの少女状態。
北山オサムさんの本を借りてそういう風に言ってるんだけど。
それって私のような仕事にもさらっと入ってくるわけですよ。
例えば私がね。
あのそれこそ参加者さんとの間でセッションがうまく進まないとか。
ひどく停滞しているとか。
割ときついことを言われたとかいうことが仮にあったとするじゃないですか。
まあきついことはまず言われないけど。
停滞はするわけですよ。やっぱりね。
その時に例えばなんですけど今度そうだな。
3月15日に正式の正式正規の初心理士さんをお招きしてイベントしますけど。
そういう人にこういやいやそういう風にやってじゃよくないから。
こういう風に運営したらって言われると。
ほらすごく頼りになるわみたいになるじゃないですか。
スーパーファイザーじゃないですけど。
やっぱりサンチャレは今までこういう風にやってたからよくなかったのかみたいになるじゃないですか。
自分に自信がないときはね。
まあ僕は別に自分に自信があるわけじゃないんだけど。
自分に自信がないということと誰かを頼りたいという気持ちはやっぱりこういう時は特にそうなんだけど。
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正規って言葉はですね。
結局はお父さんなんですよ。
でそのお父さんに頼りたいという気持ちが起こってくるとですね。
例えばそうだな。
そのお父さんに頼りたいという気持ちを人に転移していくわけですよ。
だから例えばその誰かがね。
正規の人じゃ今度はないですよ。
よくそういうことを3ヶ月チャレンジみたいなことをやってますね。
私にはとても無理だわ。
尊敬しますよって言われたとするじゃないですか。
これって褒められてるわけですよね。
ところがこれが私があんまり自信を失っていて長寿が大将をその人に投影してると。
いやもうやめたらどうなのって聞こえるわけですよ。
わかりますこれ。
私はこれがまあ投影同一化だと思うし。
少なくとも投影だと思うし。
ある意味転移だとも思うんだけれども。
こういうことが僕はいろんな人の身にしょっちゅう起きているに違いないと言ってるわけですよ。
もうダメだ3チャレもうあんなに参加者さんも全然満足してないやみたいに。
これが自信を失った状態を言ってるわけで。
話を簡単にするために言ってるわけですからね。
こういうことがしょっちゅう頻繁に起きてるって話じゃないですかね。
でもまあ起きてるということにしましょう。
本当にこんなのをやってるのが間違いだったんだよって時にですね。
例えばですね正規の人がXかなんかで結構この野良カウンスラーってよく頑張ってるよねみたいなのを読むと。
絶対それが嫌味に聞こえてくるわけですよ。
いやもう本当に野良とかあいつらアホだよねみたいな。
さっそく読めないと本当ひどい目にあうよみたいに言ってるように読めるんですよ。
文章なんだからそんなこと起きないはずだろうって思うと思うんですけど。
思う方もいらっしゃるかもしれませんけど。
絶対これ起きるんですよね。
昨日非常に面白いことがありまして。
昨日僕は非常にこう進展があったじゃないですけど。
進展のきっかけになりそうなセッションが割とこう連発したんですよね。
驚くべきことに。
結構そういうことが起きるとそのなんて言えばいいのかな。
情報満載になってくるわけですよある意味。
他に上手い言い方ができないからそういう言い方にしておきますけど。
そうするとある種の不安にもなってくるわけですよ。
これを生かさなきゃみたいな感じ。
野球興味ない人は申し訳ないですけど。
チバロッテマリーンズという私が応援している推しのチームはですね。
ちょっとチャンスに弱いところがありまして。
ノンオフと万類大チャンスです。
一度逆転ですみたいな時になるとなんかこう点が入らなかったりするわけですよね。
そういう独特の不安があって。
陰性治療反応の出来損ないみたいな私になってますけど。
要するに成功しそうになるとすげー不安になるみたいなね。
だから何とかチャンスとピンチってよく似てる雰囲気があるんですよね。
ここだっていう時っていろんなことが起きてるんで。
これ生かさなきゃみたいな変な欲が出てくるわけですよ。
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普段はそんなこと考えないのに。
そういうことが起きてくると。
紅葉と同様が一緒に走るみたいなことが起きて。
昨日ね、最後の夕方のセッションですごい驚くべきことが。
ちょっとそれはその時は口にできなかったんですけど。
なんかね、怖いおじさんの知ってます?
昔ダイヤルQ、今もあるのかな?
ダイヤルQ2っていうサービスがあって。
僕バカだから友達といい気になって。
要するに女の子とイチャイチャできると信じて。
アホみたいに金を使っちゃったことがあって。
なんかすっごい怖いおじさんの声でね。
このままでは法的措置をとらざるを得ませんとかって言われるんですよ。
脅しなんですけどね、はっきり言ってね。
僕はアホですから払っちゃいましたけど言われた通りの値段を。
結構バカにならないですけど。
そういう声がしてきたんですよ。
本当に法的措置を。
なんで法的措置?みたいに思ったんだけど。
そのセッション中のユーザーさんは
法律関係とご自身がっていうよりやや関係のある
経験のある方だったんですよね。
法的措置ですか?みたいになった時に
わかったんですよ。
これ逆転医だわ。他は考えられないわ。
不意にそういうことがわかったんですよ。
僕は転移が起きないように色々頑張ってるつもりなんだけど
起きちゃうわけですよね。やっぱりインテンシブになってきて
しかも人生相談感が濃くなれば濃くなるほど
どうしても転移って起きざるを得ないんですよね。
投影は発生するんで、お互いにね。
投影どういつかも起きるんで。
そうしてみるとやっぱりその方の結局
皆さん同じというようなところなんですけど
さっきのように自分が緩めないって思うと
つまり自立っていう問題が非常に葛藤の色彩を濃く帯びてくると
やっぱり親対象というものがそこにすごく
もちろん内的なんですけど内的な親対象
内的な長寿が対象。何と言ってもいいんですけど
それが非常に生々しく蘇ってくるというか
これは皆さんに伝わる言い方をできればしたいと思ってるんですけど
要は昔本当は怖いグリーンドアみたいな漫画だったかな
そういう漫画があったんです。ちょっとタイトル違うと思うんですけど
なんか目がキョロキョロと見張ってるわけですよ。
ラプンツェルの世界って結局そうじゃないですか
あなたここから出ちゃダメだからねみたいな
私が全部世話してあげるんだからみたいな
あのそうだスティーブンキングの
私はあなたのファーストなファンなんだい
なんか私があなたの最も熱心なファンなんですって言われる
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スティーブンキング時代が言われて
すごい恐ろしくなったみたいな話に着想を得たみたいなんですけど
とにかくこうね足切断してでもいいから
あなたここから出させないからねみたいなファンなんですよね
どう考えてもパラノイアみたいなファンなんですけど
それでこうもうなんか私の言った通りに小説書きなさいみたいになって
いやそれはファンじゃないだろって感じなんだけど
そういうことってなんかよくどっかで聞きますよね
そういう推しを独占する
なんかこう言っちゃった独占欲みたいなそういう感じになって
つまり見張るわけですよね
この見張られるという気持ちに私がなったってことなんですよ
だからこの法的措置っていうのはね
よく時々カウンセリングでもちょっとこれは意地の悪い話だなって思うんですけど
そういう素人やってると法的措置取られるよみたいな
僕はもう法的措置というものを間に受けなくなったんですけれども
だってXでしょっちゅうそういう話になってるじゃないですか
だからなんだって話じゃないですけど
つまりこれを僕聞いたというのは
私がそれを非常に聞いて恐ろしくなったってことと関係があるわけですけれども
非常にまたこれは超自画的ですよね
私がやっぱり寄るべなくなったわけですよ
ある意味このチャンスを生かさなきゃ
でもこれ大ピンチかもみたいなそういう感じになって
待ちばろってみたいになっちゃったわけですよ
1点も入りませんでしたみたいなね
このチャンスを全く生かせなかったらもうプロとしてダメだなみたいな
一応プロっちゃプロなんで
これをつまり私が意識したという時に
はっとしたというかはっとしたと言わざるを得ないんですよね
あっと思ったことがあるわけですよ
ずっとそれは訴えられてきて
これまた面白いんですけどね
ある種の盲点なんですよね
ずっとその話は出てたんですよ
ずっとその話は出てたんだけど
でもいつもなんて言えばいいんですかね
非常に明快にエディプスコンプレックスなんですけど
エディプスちょっと違うんだよな
なんかすごい難しいですねその辺を
厳密に用途するから難しくなるんですけどね
図式としてはエディプスでいいと思うんだけど
単純な図式では済まされないところがやっぱりあるんですね
非常に濃いというか厳しいというか
強烈なその監視カメラみたいな
しかも監視カメラはある意味こう
なんて言うんだろうな
概ね非難しかしてこない監視カメラみたいな
アレクサがひたすらさっきの怖い声で
怒ってるようなそういうものを受けたわけですね
逆転移だという感じに
ちょっと違うのは転移なんですね
転移空間っていうのが近いと思うんです
つまりその人がよく神的空間として体験していらっしゃる
42:03
その神的空間に私も一緒に閉じ込められた
エレベーターに閉じ込められたときの
被害者共有体験みたいな感じ
可能性空間というよりはちょっと嫌な感じなんですけど
そういう空間を共有してみて
ここで突然ロジャーズなんですけど
だから共感とか理解って大事だよねっていうか
その傾聴というよりは見るってことの方が
いろいろ出てくるんですけど
話聞いてますから傾聴は傾聴なんだけど
傾聴と行詞がセットで
行詞傾聴っていらっしゃったのは
グッドバイオスでクラザの刑事さんが
初期の頃かなりよくおっしゃってたんですけどね
行詞傾聴なんですよね
画面越しだから余計そうなんですよ
見るっていう情報は
ふんだんに取り入れないと
見て聞いて
そうしてインテンシブにやっていくと
東映ドイツ課が怒る
怒らざるを得なくなる
そうするとすごくそれが
共感への入り口に
この感じで法的措置
法的措置言われてたらたまんないわっていう
だって何て言うんですかね
例えば私で言うと今時
確定申告をやろうみたいにして
確定申告始めると
法的措置がみたいな
えーって感じじゃないですか
やってらんないじゃないですか
このやってらんなさというものを
共感していくわけですよ
同じような体験をすると
四六時中そんなことをされてたら
何をしたくなるかってことなんですよ
少なくとも仕事じゃないことを
したくなりますよね
この法的措置の声が聞こえないこと
この辺もう似てくるんですよ
先日言っていた犯罪者というものは
これはメラニ・クラインの理論ですけど
犯罪者というものは
犯罪をすることによって
一瞬でも長時間の目を
眩ませるみたいなことをすると
安心するんだみたいな
そういう理屈に発展することの
陰性治療反応からの
理論の発展なんですけど
戸畑海斗さんが先日
私が何でも見つかる夜に
心だけが見つからないの中で
書いてた話ですね
そういう話になってくんだけど
それと似てくるんですよ
常に監視されていて
常に法的措置 法的措置
言ってるような
私の体験としてはですよ
ユーザーさんの体験じゃないですよ
私はそういう体験を持ってるから
この変異空間の中で
私の体験として
非常におそらく
その方がしているであろう
近い体験と
同じような体験を
私がさせられた場合に
私の過去として
思い出されるものが
それだったってことですよね
こういうことは
今のように説明すると
うわわけわかんねえ
と思われるかもしれないけど
非常によくあることなんだと
僕は思うんですよ
犯罪のかな
お母さんが
例えば私の奥さんがね
お母さんが死んで
すごい悲しいと
ずっとそれを
伝えられてくると
自分が
例えば近い精神状態になった時の
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何か別のことを思い出すってことは
非常によくあるわけですよ
例えば犬がなくなって
すいません
犬がなくなって
悲しいっていうのを思い出すと
そういうふうにして
共感というものが
進んでいくような契機がですね
そこに出現するんですよね
僕はそういうものの
もっとこう
緻密に設計されたものが
精神分析の空間であり
ここをしばしば
夢空間とか可能性空間と
呼んでるんだろうなと
その
なんていうのかな
基本的にはクライアントさんですよね
クライアントさんが
持ち込んできた
神的な空間というものが
現実の空間として
実現していく
そういうことは
普通にあるじゃないですか
劇作家の人は
劇空間の中に
自分の構想を
変現させるっていうのかな
現実化させていくわけですよね
それをさらに観客全体が
共有して
一つの劇空間というものを
形成していくわけじゃないですか
これをうんと
コンパクトにやると
ある意味
カウンセリングルームって
女の
その精神力動的な
展開というものが
そこに出現してくるんだろうと
そういうことなんですよね
であんたはなんで
そういうことをやるんだって話に
僕はもう1回
立ち返ってくるんだけど
これは私は
ビジネス心理というもの
そのものだと思ってるから
なんですよ
会社とか
特に会議などというのは
まさに誰かの
誰かのというか
参加者の大勢の
神的空間が
劇化したもの以外の
何者でもないと
たまたまなんですけど
先日ジェーン松崎さんと
まさにポッドキャスト
ジェーン松崎の中で
そういう話をしたんですけれども
こういう文脈がないですよ
彼とは
彼はこういう文脈を
持って喋ってるわけじゃないんで
彼は会議というのは
プロジェクトを進める上では
もうなんていうのかな
会議を進めるということが
プロジェクトを進めるんだ
みたいな話をして
その時に会議というものを
最高の
僕の感覚で言うと
最高の夢空間に
変えていくっていうことを
常に念頭に置けば
そのプロジェクトは
うまくいくみたいな話を
彼流の言葉遣いで
語ってくださって
やっぱ実業家だなって
思ったんですよね
僕はね
そして非常に面白いよね
この発想っていう感じが
したんですよ
でまぁその
そういう風に
考える人は
当然いるわけなんだけれども
私はそのビジネス心理というのは
全域そういうもんだという風には
思うんですよね
だからこのビジネス心理というものを
あの
私は精神力度から考えていきたいと
それはしょっちゅう実際
起きてることだし
東映ドイツカも東映も
店員も絶対起きてることだし
上司がお父さんに見えるなんてこと
多分にあるし
悪いお父さんに見えることも
しょっちゅうあると思いますしね
それだけじゃなくて
それこそ会社の場が
ヒステリーの場になっちゃう
なんてことも
多々あると思うんですよ
今言ったのは
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病理の話ばかりですけれども
これがですね
病理をつまり
手当てしていくという
考え方の中に
持ちこたえるとか抱えるとか
そういう考え方の中にですね
必ず
なんていうんですかね
良い対象というものも
見つかってきますし
普通に見つかってくるんでね
進展していく
進展していくってことは
つまり仕事が進むってことになりますし
実際
やってきたメールを見たくないとか
あるじゃないですか
この人から今来たメールは読めないとか
あるじゃないですか
どう考えたって
メールに転移している
メールとの関係に
ある転移関係が
大体において
悪いお父さん
悪いお母さん
対象が東映されている
ってことだと思う
そこにある空間が
出現してしまっていて
しかもその出現した空間は
あまりいい
思い出のない空間だったりすると
恐ろしくてしょうがないと
さっきの私の
法的訴訟みたいな
そういうやつですよね
だからそういう電話を
夜中にね
留守電で聞いちゃって
うわ怖いみたいな
十何万円払っちゃいましたみたいな
そういう経験を思い出すから
やりたくなくなることがあったり
すごく自分がみじめで
なんていうんですかね
頼りない存在だと
ヘルプレスネスだなって思った時に
長寿がからの
厳しい嫌味とかを
そのまんま行動に移すと
すなわち行動化ということになって
ろくな結果にならない
ということを避けようね
っていう話をしているわけですよ