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2024-12-27 44:10

私が記録をなるべくとらないようにする理由【1113】

精神分析を「ドラ症例」で理解する。
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stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/658790a07376b3f9361fc70f
00:06
おはようございます。働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト1113回をお送りします。
12月27日金曜日の朝8時28分です。
はい、もう年のせいですね。
お知らせがあります。
すでにプレミアム、今回から第10回目ということで、100日チャレンジが大幅にフルリニューアルチェンジというんですか。
フルリニューアルだな、チェンジはいらないな。
フルリニューアルというやつで、コースが3つありまして、スタンダードというのが今までと同じなんですが、スタンダードのほかに上位にプレミアム、
介護官じゃないけど、そういったものとしてライトというのがあって、プレミアムはもうすでに決めきりになってしまいました。
10名しか今回は、やや第1回目ということでですね、ちょっと少なめというわけではないんだけれども、
10名があっさりいっぱいになってしまいまして、
残りは結局スタンダードとライトしかございません。
スタンダードのほうなんですけれども、いつもと基本的には同じですが、
さらに手厚くするということでですね、どちらかというとオプションが盛り盛りになっております。
ハーフの回とかですね、いろんなオプションが追加されまして、これも関数があっという間に埋まったので、
多分すぐ埋まってしまいますので、もし100日ご参加いただきたいという方は、ぜひお早めに。
多分年内には埋まると私は思います。始まるのは年明けですけどもちろんね。
残り5日あればほとんど満席になるんじゃないかなと。
若干追加の枠は皆さん競技の上儲けますけれどもね。
ライト版ありますが、ライトとスタンダードはだいぶ違いますので、
しかもライトも上限があって値段がかなり下げておりますので、
こちらもですね、満席にならないにしてようですね。
ご参加いただきた方はお早めにチェックした方がいいと思います。
あれです、手帳との兼ね合わせが一つ今回も新しいリニューアルとは直接の関係にはないんですが、
タスクシューと手帳というものを販売するようにしました。
こちらも予約ですでに販売しておりまして、
03:01
早いところ追加の分をなんとかしなければいけないんですけど、
今回の第10期の100日キャレンジには今回分以降は間に合わないと思いますので、
これはお待ちの方がご参加いただくというのが、
この手帳で参加したい方はですね、ちょうど手帳が100日分になっているんですよ。
だから手帳で参加されたいというか、デジタルだけでやるって方は別に構わないですし、
そもそも今回のリニューアルに伴ってタスクシュートを使わなくてもいいし、
タスクシュートをやるっていうのが100日チャレンジの目標ではなくなりましたので、
あくまでも先送りをなんとかするというテーマでやっていきます。
なので、100日かけて先送りをゼロにするっていうもの、そういうコンセプトなので、
タスクシュートは必須ではないです。
だからタスクシュート手帳も当然ですが必須ではないです。
ただ手帳を使って参加されたいという方はですね、
ぜひこちらの手帳とともに、
ということはお持ちの方に若干限られてしまいますので、手帳に関しましてはですね、
これも随時、私としてはそうしたいんですけど、
バージョンを良くして追加して発行していきたいというか、
搬行していきたいというか、作っていきたいと思っています。
こちらですね、100日分というのがやっぱり好評だったし、
多分これがいいだろうということで、
100日分がこれから一般に出回っていくようになるのではないかなと、
そういうふうに期待しております。
というわけで、第10期の100日チャレンジですね。
1月初旬から早々にスタートいたしますので、
先ほど申しました通り、
多分年内か年明け早々には確実にいっぱいになると思われますので、
スタンダードまではね、
ぜひ早めにご検討くださいというお知らせでした。
合わせましてというか、3ヶ月チャレンジ第9期は来年2月よりスタートいたしますが、
こちらはもう少しね、
正月にはお申し込みいただけるようにいたしますので、
正月には無理か、正月明けにはお申し込みいただけるようになるべく急ぎますのでですね。
お試し版も合わせてご検討いただけますと幸いです。
こちらも上限は絶対に存在しますので、
何しろ私が週に1回1時間1on1をやるという立て付けを原則持っておりますからね。
こちら、私とセッションしないバージョンというのは存在しませんので、
こちらも上限はあります。
ということでですね、問題に入っていきたいんですが、
06:01
その3ヶ月チャレンジではないんだけど、
ある方からですね、メールいただきましてですね、
私心に相当しますので詳しい部分を省きますけど、
要は俺の番組のおかげで精神分析がわかって、
言論とかを楽しめるようになりまして、
ありがたいですと言ったありがたいメールをいただきましてですね。
この線は複算物なんですけど、
こちらはビジネスサービスというかサービスとして作ることを検討するかしないか、
それは3チャレの9機のセッティングをした後の話だし、
10機始まってどのぐらい忙しくなるかも合わせて考えていかなければならないので、
さらにその後だなとは思いながらもやっていこうかなと。
このポッドキャストでそれが僕がまかなえているのであれば、
それで十分かなとも思うんですよ。
最近ノートとかXにちょっとまた実験的に書いてみたりしたんですけど、
あれじゃ無理だよなっていうね、何がどう無理なのかわからないんだけど、
どうして喋っているのかというと、
喋ったから伝わるかというとそれもどうかと思っておりますが、
書いて伝わるかというと本当に書いて伝わるぐらいならフロイトが精神分析入門とか書いてますし、
精神分析の本は山のようにあるわけですよ。
でも伝わってないわけじゃないですか。
書いて伝わるならばあれで十分なはずなので、
私は一番今せめてそこだけは書こうと思ってるんですけど、
それだって書いたって言ったって同じなんですよ。
2つあります。
藤山直樹さんの精神分析入門、上下巻と松木邦博さんの、
そうだなぁ、
彼の本は本当にきちんと教科書だって説明されていて、
一番わかりやすいんですけれども、
私も松木さんがいらっしゃらなければ、少なくともここで喋っていることの大半は、
わからずに喋る羽目になっていただろうなと思います。
ただ松木邦博さんの本というのは、
ものすごく教科書的になっている本かエッセイ的になっている本かどっちでもいいんだけど、
多分どっちもわからない時に読むのは辛いと。
ここが本当にね、わからないですよね。
おすすめしておきますと、不在論。
あれがいいなぁと思いますね。
あれはでも難しいのだろうか。
難しいとも思うんですけど、不在論か、変異覚え書きもいいですよね。
あれでもいいんじゃないかとも思うんですけど、
あるいはなんか精神分析の実践みたいな、ちょっとエッセイもあれが一番いいですかね。
精神分析の実践っていった本が確かあったと思います。
09:00
精神分析の実践と、
吉山直樹さんの精神分析集中講義の上下と、
それでわからなくはないはずだと思います。
合わせて、もう少し入門的に言うと、
入門的すぎて今度は逆にわかりにくくなる雨の日の心理学、
遠畑海人さんの名著ですけどね。
この3つでおそらく別に頭脳の良し悪しなんていう意味で言えば、
これを聞いていらっしゃる皆様の方が私より頭脳は絶対いいと思うんですよ。
問題なのはですね、この種の考え方を我々は引きする時代に生きているということなんですよ。
だから頭がいい方は教育水準が高いわけで、
教育水準が高いということは、
この時代の価値観というものをよく受け入れられるということであり、
となるとあの種の話はわかりにくくなるんですよ。
そういう構造がここに、構造、並行、数帳、なんでもいいですけど、
要はこういうことなんですよね。
これも遠畑海人さんから知ったことですけど、
台湾では今多分違うんじゃないかと思うんですけどね。
でもそういうことはあり得るなと思うんですよ。
台湾ではとにかく何かというと注射を打つと。
注射を打たないと病気治んないと。
これはそう信じてるからですよ皆さんが。
この話を受け入れがたいと思う人と、
当然だよねという人と、
そして自分自身がどうかと、
そういう文化に生まれたら注射を打たないと治りにくいか治りやすいか、
人それぞれじゃないですか。
頭の良し悪しって少し関係ありそうな気がするじゃないですか。
でもあえて頭が良いとなると、注射効かなくなりそうに思いません?
私はそう思うんだけど、
頭の良い人ほど素直じゃないですよね、こういうことについては。
素直じゃないということは効かないということになりますよね。
精神分析が分かる分からないというのは、
こういう話にすごく関係があるんですよ。
だから頭の良し悪しが、
むしろ良いことが邪魔になるというのが、
いかにもありそうなのが精神分析のややこしいところなんですよ。
でも頭で理解する部分も多分にあるって、
そこらへんがすごくややこしいことになってしまうんですね。
だから本で理解するのには向かないんだけど、
でも本で理解するしかないんですよね。
受けて理解するには受けようがないという話もこの番組でしてますし、
今の時代にマッチしないから受けられにくくなってるんですよ。
一層受けにくくなってるわけですよ。
まあ多分受ける気にもならないでしょうね。
高いし、時間かかるし、効果はっきりしないし。
それだけにどういう興味でこれを聞いていらっしゃるのかも、
そこに精神分析らしさって出てしまう。
こういう非常に分かりにくい話になりやすいんですよね。
12:03
これって知的な問題じゃないじゃないですか。
どこかに情緒的な素直さみたいなものが課題になってきてますよね。
と思うんですよ。
何を言いたいかというと、
私は精神分析というものを広めたいわけではないんですね。
私がやりたいのはあくまでも3ヶ月チャレンジのように、
ビジネスメンタルを取り戻すというためにこれを役立てたい。
だけども、これは他の理由でも役に立つ。
それは副産物ですね、私にとっては。
この副産物的な部分というのは、
単純に精神分析の理解というものを広めていけばいいんですよ。
ではどう広めれば広まるのかという話を始めると、
3ヶ月チャレンジでやっているような話になっていくんだよねということですよ。
だってこれを理解するということが、
そもそもビジネスメンタルに役に立つというのが私の言い分なわけですからね。
これを役立たせようと思って読んでいけば、
読んでいったり吸収していけば、あるいは話題にしていけば、
自分の役に立っていきますよと、そういうことを言っているわけですよ。
今日はショーレイ・ドーラの話だけで
フロイトを理解することができるんじゃないかという
私の思いつきについてお話ししたいと思うんですね。
私は一冊だけ選べと。精神分析を理解するために。
これ一冊です。無理ですが。
というならば夢判断とか精神分析入門じゃなくて、
あるヒステリショーレイの断片だったかな。
多分そういうのが正式タイトルだったような気がします。
フロイトの書いた本です。
あるヒステリ分析の断片だ。
あるヒステリ分析の断片と。
例えばちくま書房から文庫で出てます。
でも何か3000円ぐらいするような気がしましたけど。
とにかくいわゆるショーレイ・ドーラあるいはドラ・ショーレイと言われている。
ドーラなのかドラなのか日本人にとってどっちなのかって話ですよ。
これは結局ね。
これはこの本を読む。
しかもある目的を持って読めば
一番僕は精神分析というものの正体に迫れるんではないかと思います。
せいの最近考えついて
そういうエッセイなり文章を書いてみたいなとも思ってるんだけど
ことのほか難しいなと思いもするんです。
だいたいそれを書いてどうするんだって話もあるわけですよ。
書いてほしいって言われるんだけど
書くより言っちゃいたいんですよね。
書くってことになると
これを系統立てて書こうと思うんだけども
系統立てて書く意味がないんですよね。
小麗ドーラを読めばいい話なんですよこれは。
なぜ小麗ドーラを読まずに私の文章を読むのかっていうと
その方が分かりやすいと皆様が思ってしまうんだけど
ここが落とし穴なんですよ。
15:01
分かりやすければいいってもんでは?
この話はやっぱないんですよ。
分かりやすければいいならば
さっきの松木国弘さん、藤山直樹さん、遠畑海人さんの本で
抜群に遠畑海人さんの本が分かりやすい。
でもあれ読めば精神分析が分かるかというと
微妙な気持ちになる。
なんかそれはですね、微妙な気持ちになるんですよ。
分かるはずなのだがしかしみたいな気持ちになる。
分かった人が読むとあれはとてもよく書けている本なんだけど
分からずに読むと
あの中で分かる部分だけがすごくよく分かって終わっちゃう気がするんですよね。
それが落とし穴なんですよ。
小麗ドーラについての本を読むより
小麗ドーラを読む方が絶対この場合はいいと本当は思うんですね。
小麗ドーラというのはまず何より
カウンセリングの一失敗例なんですよ。
本人が失敗だと判断したから失敗なんでしょう。
カウンセリングの失敗って難しいんですけどね。
でもまああれはカウンセリングの一失敗例なんですよ。
ということは精神分析とはカウンセリングなんですよ。
この話も何度もしてますけど
多分精神分析ってなんかカウンセリングだとすら見なされていないから
もう本当に誤解の嵐になってしまってるんですね。
精神を分析するものだみたいな。
なんか最近これを文字って自己分析とかって言い出すじゃないですか。
佐々木さんほど自己分析されてる方ならって誰かにも言われたんですけど
自己分析とかいうものは僕の頭の中では意味不明な言葉になっちゃうんですよ。
精神分析とはカウンセリングなんですよ。
だからセルフカウンセリングっていうのは私は非常に怪しい言葉だと思うんですよ。
フロイトが厳に忌ましめてるのがある意味セルフカウンセリングなんですよ。
それは商売のためなんじゃないのと言われれば絶対そうじゃないとは言いませんけど
でもやっぱり精神分析は二人でやるものなんですよ。
一人でやる精神分析っていうのはなんちゅんだろうか。
一人で精神分析をやるということが
そもそも精神分析って最も非精神分析的な言い分なんですよ。
だから自己分析って言葉ほど怪しい言葉はないと私は思うんですね。
だから私はそんなことは自分はしないわけ。
自己分析なんてね。絶対しません。
私はそこまでやっぱり反フロイトなのに精神分析紹介するぞっていう人になりたくはない。
それってなんちゅんだろうな。
反大橋悦夫なんだけどタスクシュートは広めるぞっていうぐらい怪しいんですよ。
怪しさいっぱいなんですよそれって言い出すと。
私がやってるのはタスクキュートであってタスクシュートではありませんとか言っているのに近いんですよ。
自己分析とかいう言い分はね。
これが精神分析とは関係ない意味の自己分析ならいいですよ。
犯人は私自己分析してるんです。
精神分析って精神分析してませんから。
あれだからフロイトが悪いんですよね。
ネーミングセンスがいいんですよ彼は要するに。
マーケティングに長けてるところがあるんです。
18:01
だから精神分析とか言っちゃうわけですけど。
あれを心理カウンセリングって言っといてくれればすごいわかりやすかったと思うんですよ。
催眠療法的な人生相談みたいなそういう感じだと思います。
それを精神分析と名付けちゃったわけですね。
精神分析は心理カウンセリングもっと言うと人生相談の走りなんです。
走りというか学術的というか科学的だとフロイトが信じたところの人生相談なんですよ。
僕が思う。
で、少年道羅なんて思いっきり人生相談です。
ただし流石にどうに言ってます。
あの怪しいですよある意味。
あんなものは当時としては多分自己啓発でしかなかったと思う。
だって何ら確固たる地位を築いてなかったんですから。
フロイトの思いつきですよ。はっきり言って。
だけどそれは素晴らしい思いつきだったわけです。
シャルコーの催眠術を見に行った話は有名ですが。
催眠術というのは結局ものすごく暗示にかかりやすい人の我知らずやる演技とも見なせるわけですよ。
あなた眠くなりますって言ったらその人は眠る演技を始めてしまったうちに寝ちゃうという。
ただそれは非暗示性ってやつで。
暗示にかかりやすい人とそうでない人っていますから。
思いっきりかかりやすい人が当時はいらっしゃったわけですよ。
それはどういう人か。
魅力的で、なぜかしかし魅力的なのに結婚して夫が相手にしてくれなくなったところの美しい魅力的な女性だった。
そこにシャルコーとかフロイトのような押し出しのいいお医者さんで地位もあって立派なおじさんたちが。
その魅力的な女性に期待をかけるわけですよ。
みんなが注目してくれるわけですよ。
あなたはだんだん眠くなる、寝てくれって言ってることは誰の目にも明らかじゃないですか。
わざとやってるわけじゃないですよ。
でも中には非暗示性がとても高い、ちなみに上流階級の貴婦人ですよ。
貴婦人は注目を浴びたいわけですよ、社交会とかで。
でも夫は注目してくれないわけですよ。
で、夫にある意味似た上流階級の押し出しのいい白髪と着た紳士が一世一代の芝居を打とうとしてるわけですよ。
そういう目にも、そういうふうにも見えるわけ。
公開の催眠術の場ですよ。
だからこんな注目を浴びてるところで、この殿方に恥をかかせるわけにはいかないわけですよ。
と思ったら寝ちゃうんですよ。
これがヒステリーというものだとフロイトがある意味見成したわけですよね。
これが無意識の発現なんですね。
無意識的であればあるほどその演技は天才的な域に入っていくではないですか。
21:02
これは演技をやる人に聞いてください。
意識をやる人に。
意識だけでやるのは大婚約者ですよね。
ここに無意識の発見というものがきっとあったんですよ。
将霊ドーラ、ドーラちゃんは、ドーラさんは間違いなくこれをやってたわけですよ。
人芝居打ってお父さんの不倫を止めさせようと、今Xで盛んに問題になってますが、不倫はいけないわけですよ。
ドーラさんは思春期の少女だったので、しかも上流社会の。
とにかく不倫はダメだと。
社会通念上今許されてることかもしれないけどやっぱダメだと。
お母さんはあんなだけど、なんかみんな言ってるんですよ、お母さんあんなだからみたいな。
それはわかるけどでもダメだと。
でもお父さんはドーラのことがすごい可愛いんだけど、この件に関しては結局のところやめてくれないと。
そしてドーラは病気になる。
これはフロイトに言わせると、要するにリアルなけびょうだと。
リアルなけびょうを出現させているのは何か、あなたの無意識ですとフロイトは説教がましく言うわけですよ。
別にフロイトはお父さんの不倫を許してあげなさいとは言ってないわけですよ。
そうじゃなくてあなたのためにそのけびょうをやめろと。
そのけびょうを使ってお父さんを操るようなことをやっていると、そのけびょうを治せなくなりますよと。
そういうような言い方なんだと思うんですね。
なおあえて言うならば、もし万が一にもお父さんがそれによって浮気をやめるようなことがあろうものなら、
あなたはけびょうによって現実を動かせるということを骨の髄まで身につけてしまう。
そうすると何かにつけて病気になったりするっていう不都合があるんだよと。
私はそういう研究をすげえやってるんだぞっていうわけですよ。
とても正しいですよ。
でも正しいけど大きな大きな見落としがありますよね。
この見落としこそが精神分析が発見した中でもとても重大な発見だったというお話。
どういうことかというと、フロイトはそんなに無意識のことがわかっていて、
ドーラが無意識にそっと押したり、無意識にぶっ倒れたり、無意識に熱出してみたり、
要するに無意識ってのはそういうことができちゃう。
無意識が体に働きかける。
そこには正義感とか嫉妬心みたいなものも当然ある。
だから嫉妬の病であったりするんだけど、要は乖離ですよね。
乖離というのは身体症状が乖離して起きるわけですよ。
自分の意思から離れたところで身体症状が発生する。
自分の意思から離れていれば離れているほど演技には磨きがかかるし、白心の演技ができるわけですよ。
本当に病気らしくしか見えないから。
24:01
ただし医者が見ても、当時の医者が見ても、おかしなところはどこにもありません。
これがまさにヒステリーというものなわけですよ。
だからヒステリーっていう症例がこの世の中から消えるっておかしなことだと私はやっぱ思うんですけど。
だってそこら中にこれあるじゃないですか、未だに。
身体症状、心身症と言われているもの、乖離性の心身症なんて山のようにあるじゃないですか。
私だって中学時代、高校かな、なりましたよね。
熱が出るんですよ。どうしても今日は学校行きたくないと思うと熱が出てくれるんですよ。
だけど確かにあれをやっちゃうと、気がつくと不都合なことがあるたびに熱が出たり、お腹痛くなったりしちゃうんですよ、本当にね。
危険なことじゃないですか、ある意味では。
自分のコントロールできないところで動くからこそ無意識だし、自分のコントロールできないところで動くからこそ白心の演技なんだけど、
ということは妄想し始めてももう止める手段はなくなりますよねっていう話ですもありますよね。
あの東京無職日記だったかな。鳥畑春信さんが書いている、
あの中に彼はいろいろな意味で、社会適応の難しい方なのでね。
重度のけびょうにかかるわけですよ。彼は自分で言ってるんですよ。
重度のけびょうですと社長に言ってるんですよ。
重度のけびょうというのがまさにヒステリーじゃないですか。
重度のけびょうなんですよ。
本人ももう制御できないけびょうなんですよ。
だから病気なんですよ。
それは病気なのかけびょうなのかっていう問いこそがそもそも間違ってる。
世の中には心理的な病というものがあるんだよってことですね。
ここまでは完璧なんですよ、フロイトの言ってることは。
問題なのは、その時にお前どうしてローラが無意識で何でもできると自分で言っておきながら、
その治療の中断を無意識がさせるということについては、
全然考慮しないわけっていうツッコミが入るべきだったわけですよね。
そういうツッコミは本人も入れてたのかもしれないんだけれども、
まあまあでもやっぱりあのやりとりを聞いてると、
その部分はスルーされているように見えるわけです。今から見ればですね。
つまりローラはフンフンと聞いていたかもしれない。
私の無意識が私を病気にしてお父さんの脇を止めさせようとしていて、
私はそういうふうに体が悪くもないのに病気になってしまって、
そうやってお父さんを振り回すのが良くないとフロイトさんは言っていて、
それは正しいなと思ったかもしれませんが、
無意識が果たしてそれだけで済ませてくれるだろうかという問題がここに起こるわけですよ。
むしろ無意識はこういうふうにローラの全く気づかないところでこうするんじゃないですかね。
いや、このフロイトって男はすごい腹黒くて、
お父さんからお金いっぱいもらってありもしない話を私に吹き込んで、
27:00
結局はお父さんの浮気を許させようとしているだけなんじゃない?
思いません。思って不思議はないと思いません。
無意識が何でもできる本人の気づかないところで、
入りしたところで動き始めてこの人を操り出すというフロイトの話がその通りだったとするならば、
当然ローラはフロイトとの、
ローラの無意識はフロイトとのこの精神分析とかいう怪しいやり方で、
お父さんの浮気を継続させようとするこの企みを中断させるべきだと、
そういうふうに無意識ってやりそうじゃないですか。
そして現にあっさり中断しちゃうわけですよ。
これがあるヒステリー分析の断片なんですよ。
集結できなかった。ローラを治すってところまで行き着く前にとフロイトが感じた。
つまりどこでもって治ったかっていうのはすごい難しいですからこれ。
いつか急にまたやり出すかもしれないじゃないですか。
だからこのカウンセリングの集結ってすごい難しい問題なんですよ。
だからここで倫理的倫理性っていう話が問題になってくるわけですよ。
これ永遠に続けようと思えばフロイトがそれこそ悪意を持ってればいくらでも続けられるじゃんっていう。
いやあなたまだ治ってませんよ。
いつそれをやり始めるかわかったもんじゃないです。私にはわかります。
もっと継続しなさいと言って金儲けに走ったらいくらでもできるじゃないですか。
だからカウンセリングはタスクシュート的に言うといきなりね。
私は一応理事なんでルーチンタスクにしちゃダメなんですよ。
私一応ですねそんなことすることに何か意味あんのかって言われるでしょうけど
3ヶ月チャレンジというタスクはルーチン化しないようにしたんですよ。
一時ルーチン化あっさりしてたんだけどいやこれダメじゃんって思うようになって
毎回毎回シングルタスクを作るっていう。
幸いメモをどうしても取りたくなったらタグってのをやればいいんで。
ただメモに関してはこの後しゃべりますけど基本取らないようにしてます。
事務的な話はメモ取りますよ。
だからすべてカレンダーに単発タスクとして入れてるんですよ。
一応ねささやかな抵抗として。
これいつまでもルーチンにするっていうのを私の方で認めてしまったら
相手の人が結局集結できないほどいいってことに
だから僕3ヶ月チャレンジは次元を区切ることにしてるんですね。
3ヶ月で絶対に。
永遠に延長するサブスクリプションとかは作りたくないわけですよ。
やっぱりなんていうのかな。
これは政治無責じゃないし心理カウンセリングでもないからいいんだけど
同じような構造ってものがここに出現し得るんですよ。
理論的には。
果たしてオンラインでそこまでいけるのかっていう話はまた別にあるんですけど
無理な面もいっぱいあるなっていうふうに最近思うんだけど。
でも構造上はこれで永遠に続けられるっていう話になっているんですよ。
一方でこういう風に中断させられるっていう失敗例も
30:02
だからやっぱり精神分析的な心理療法は
予期せぬ中断みたいなものを持って失敗とみなしやすいなっていうのは
臨床例を読んでいるとよく感じますね。
ここで中断の浮き面にあったみたいな
そういう失敗例というのは中断というものが大きな目安になっています。
やっぱり無意識に妨害されるんですよ。
治療の抵抗という言い方もするんだけど
抵抗ってどうよっていう。
ドーラはこれを抵抗したのかっていうね。
フロイトはこの時にドーラがしたのを抵抗とみなし
この時フロイトをお父さんの差し金
事実上自分のお父さんだと考えた。
結局のところドーラとお父さんの関係が
ドーラとフロイトの関係にそのまま持ち込まれてしまった。
お父さんのその浮気をやめさせたいという無意識の力が
結局のところ患者と医者という関係を
親と子の関係にすり替えてしまった。
つまりこれは転移だというふうに考えたんですね。
この時僕はやっぱりフロイトがそのことに気づいたというのがですね
精神分析の発明というべきなのか
発見というべき瞬間なんだろうなという
その後考えたんですよフロイトは。
フロイトって人はそういう人なんですね。
ものすごい考えるんですよその後。
多分ものすごい傷つくんでしょうね。
それを絶対うまくいったはずなのにと思って
すごい考えて考えつかないですよこんなことやっぱり。
確かに後から言われてみれば
なるほどそうだなと思うんだけど
フロイトはすでに無意識にすってすっげえ考えてたし
すごいこう先へ進んだ考えを持ってたから
行き着けたんでしょうけど
にしてもこれ難しいと思うんですね。
やっぱこれダメだったかって思って諦めれば
すぐ諦めちゃいそうな話でもあるじゃないですか。
あの子分かんなかったんだな以上
なんで分かんなかったんだろうって
彼は考えたわけですよね。
普通に考えれば分かんないという結果になってしまっても
別に不思議はないですけれども
分かんないという結果になるのは
なぜ不思議はないのかというと
やっぱり無意識というものはそれだけ
本人の預かり知らぬところで
強い力を発揮するからなんですよ。
でそれにフロイトすら気づかない
ここがすごいんですよね。
フロイトはそのことを言ってるはずのに
フロイトすら気づかない。
結局よく分からないところで割と不気味ですよね。
静かにことが進行してしまうんですよ。
本当にこの感じって
精神分析ではおなじみだなって思うんですよね。
全く本人たちが気づいてないところで
すごいミステリアスな感じがするんですよ。
書いてあったじゃんみたいな感じがするんですよ。
いいミステリー読んだ後ってそういう感じがしますよね。
書いてあったじゃんここにっていう。
読み飛ばしてたってわけじゃないんだけど
読み落としてたってわけでもないんだけど
やっぱり気づかないんですよ読者は。
あんな感じがするんですよね。
フロイトもドーラも気づかないうちに
医者と患者で始まったはずの関係が
33:02
父と娘の関係に変異してしまってるわけですよ。
そしてそのことそのものが
結局のところドーラの
治療への抵抗と言わざるを得ないような事態を
引き起こし進行させて
最終的には治療を打ち切ってしまう。
後実談がありましてあったと思うんですけど
ドーラはやっぱり治療してって
フロイトに頼むんだけどフロイトは断る。
これはもう復讐心ですよね。
そういう人格的な問題も
フロイトはやっぱり抱えているんですよ。
まあ傷ついたんですよすごく。
当時はわかりますよこの種のことは
大変だったと思うし危うかったし
ナチスももうすでに
勃興し始めようとしてましたしね
2人ともユダヤ人ですしね
いろいろ難しいことはあるんですよ。
とにかく順風満帆では全くなかった
精神分析というものに対して
こういう一石が投じられると
やっぱり治療再開すればいいじゃんと
後じえでは思いますけど
後世の私としては
でもやっぱり当時は許せなかったんでしょうね結局
なんだかんだ言って。
だから治療しないと。
すごい独特の復讐だと
私は思うんだけれども
やっぱりそういうことがあったんだなと思う。
これは逆転移ですよね。
フロイトはもう医者その時やめちゃってますよね。
父親になってお前がそういう態度なら
俺はやってやらん知らん
みたいな感じがするじゃないですか。
変異と逆転移ですよね。
父と娘になってしまった。
だから最初は娘になってしまったのが
変異でしたけど
次に父親になってしまったのが
逆転移ですよね。
フロイトが父親になってしまった。
あなたのことはもう知らないって言っちゃった。
っていうそういうお話。
私はここに
基本的な精神分析の
素材ってものが
あると思うんですよ。
もともとは人生相談みたいなもんなんですよ。
ただ無意識というものを
引っさげて
人生相談を始めたという意味で
世界で最初だし画期的だった。
だけど彼は
無意識とフロイトがですね
みんなそうなんだと思うんですけど
無意識というものが一体何を知的化するもので
どういう作用を及ぼすものなのか
まだ全然分かってなかった。
変異という言葉すらなかった。
治療抵抗という言葉だって
きっとその時できたものなんですよ。
これがやっぱり画期的だったと思うんですよね。
この奨励堂羅の失敗によって
精神分析は
発明されると言いますか
確立されていく
多分最大の出来事だと思います。
これを
理解するってことがですね
我々がですね
ビジネスメンタルというものを取り戻す上で
私は欠かせないと思うんですよ。
ラスク
最近間もなく
年が終わります。
ふるさと納税とか皆さんやってます?
また例の
36:01
例によって例のごとくの
確定申告の時期をやってまいります。
確定申告というものの
作業があんなに
今や
至れり尽くせり
マイナンバーも用意されていて
嬉しくはないと思いますが
用意されていてとにかく至れり尽くせり
なのにいつまで経ってもこれを手に付けられない
夏休みの小学生みたいなことを
多くの方が
かなり優秀なビジネスパーソンが
こんなことを言う。
まだやってないんだねと。
完全に小学生状態になっている。
メンタルですよね。
私はメンタルの問題だと
思うんですよ。
これを並行と
言いたいわけですよ。
並行があるからには
定位もあると私は思うんですね。
だって
小学生の夏休みの宿題みたいだ
って言ってる段階で既に上長は
小学生じゃないですか。
そしてまるで税務署は
学校の先生みたいじゃないですか。
そういうことって
今までも何度も何度もあったんじゃないかと。
反復と言うんですけどね
フロイトはね。
反復じゃないですか。
どうしてこういう感情というものが
今の時代は話題にされなくなったんだろうねと。
学校では
ヒステリーはしょっちゅうじゃないですか。
乖離性の身体障害が
起きてるじゃないですか。
お腹痛くなってみたり。
朝起きれなくなってみたり。
すごく起きてるじゃないですか。
あれがまんま持ち込まれた時
つまり学校の苦しみみたいなものが
まんま復活してきて
自分と
現実の関係が
自分と学校の関係のようになった時
ビジネスが進まなくなるんじゃないですか。
それはもうビジネスじゃないですよね。
学校の宿題って面白かったじゃないですか。
あれほど大変なものを
そんなに大変じゃないんだけど
膨大な量をこなしたとて
遅延にもならない。
税務申告ってそういうところがあるじゃないですか。
確かにやらないといけないけど
追徴課税とかなんとか言われちゃうけど
しかしやったからって
報酬がもらえるわけじゃないじゃないですか。
学校っぽいよね。
あれね。っていう話ですよ。
そしてこの時出てくるのが
あたかもそうであるように
宿題は毎日
少しずつやりなさい。
ハスクは毎日分解してやりなさい。
朝10時には
涼しいうちに夏休みだからね。
涼しいうちに勉強する
習慣を身につけなさい。
ハスクを分解して
小分けにして毎日少しずつやる
習慣を身につければ
うまくいくんです。
習慣術なんです。
なんかよくわからないカラフルな日付の
入った日記密帳みたいなのを渡されて
日記をつける習慣を身につけなさい。
あなたの一日を振り返りなさい。
学校そっくりじゃないですか。
変異じゃないでしょうか。
並行が起こるんじゃない。
っていう話ですよね。
だから私はもうやんない。
というわけですよ。
この今の言ったようなことが
有効でないとか
39:00
お分けが役に立たないとは思わないんですよ。
役に立ちますよね。
おそらく学校で文科省が
日本中の子供にこれを
何らかの形で
あの手この手で
脅したりすかしたりしてやらせてんだから
それはやるんでしょう。
こうやったら。
優秀な子、いい子ってやつが育つんでしょう。
この辺で
ウィニコットが出てきそうですよね。
偽りの自分ってやつが。
本当の私はゲームしたいのに。
本当の私はカブトムシ取りに行きたいのに。
偽りの自分が
怒られるの嫌だから。
そして先生に
いい子だと黙されている。
そういう私像というものを
いい子な私像というものを
みんなの心の中に置いておきたいんでしょう。
先生のみならず。
友達の心の中にも
この子こういう子だ。
あらゆる自分の
イメージというものを
あらゆる子に
40人なら40人の
心の中に40個の私の
いい像を置きたいんじゃないですか。
これまさに
対象関係じゃないですか。
対人関係がもうどこにもないじゃないですか。
その人たちを
マニュペレートしたいわけじゃないですか。
操作したいわけじゃないですか。
私ってこういう人だと思ってね。
私のこと扱ってねと。
そういうわけですよね。
だからその像が傷つくと
その人も傷つくんですよ。
私の自己像が傷ついた。
私はこういう失敗をしない
はずの子だったのに
お漏らししちゃったとか。
そういう風になって
私の良かったはずの像が
壊されていく。
壊されていくと思っているのは
あなたの心の中だけで起きている現象で
相手の心の中にそもそも
相当疑わしいのに
そういうことは一切考慮されませんよね。
これをナルシシズムと言うんじゃないでしょうか。
という話に
発展していくわけですよ。
この精神分析というものは。
あなたはあなたの世界の中だけで
完結しちゃってるよねと。
窒息しそうになっているのに
気づいてもないよねと。
そういうような話が発展していくわけですよ。
偽りの自分ばっかり
そこら中にまき散らして
本当の自分はもうすっかり
気力を失っているよねと。
だから働く意欲が
働くメンタルがどこかに
行っちゃったんですよという話を
私は時々するわけですよ。
精神分析というものの力を借りてですね。
ここを私は
行動変容で
乗り切りたくないんですよ。
別にいいんですよ。日記つけて
見直して自分の生活を改善させて
午前中に宿題をする
習慣。午前中に
確定申告のための
準備を少しずつ進ませていく
習慣を身につけて
その日記をつけてカラフルなやつで
よくできましたという花丸をもらうために
PDCAを回して
いくっていうのは悪くない
戦略だと思うんですよ。ただ
私はそれをやるから
あなたの本当の自分がカブドム一人に生きたい
本当の自分が死んだような顔を
42:00
してるんじゃないんだろうかと
いう話をするために
ミニゴッドとかドーラとか
フロイドとかシャルコーとか
そういった方向に
読めば読むほどそうだとしか
だんだん思えなくなってくるわけですよ
だから僕はもう
本当の自分が嫌だと言ってることは
基本的にやり
やらないようにしているわけです
そうやってこの本当の自分に
息をさせて息をつかせておかないと
本当の自分が
瀕死の状態になっちゃって
ことだけは
生無申告だけは進むかもしれないけど
考えてみると本当の自分が死んだような
顔をしてるのに確定申告だけが
2月15日に終わってたってしょうがない
じゃないですか
というところの延長戦に
私はもう
3ヶ月チャレンジの参加者さんの
ためとはいえ人のカルテは
作りたくないわけですよ
カルテを作ってその人は先週
こう言ってただからこの次こうしよう
っていうのはその人の中の偽りの
事故に働きかけてしまう
と思うんですね
やりましょうとか習慣的にやりましょう
というのはそのこと自体は
この社会に特に現代の
この社会に適応する上では
欠かせないことだとは思うんだけども
それを第一義的に
やってしまう常にこの話は
第二義的にやるべきものですよ
一義的にやる
癖がついちゃったんなら一旦捨てて
自分が一義的には
やりたいと思ってないことはつまり
外に遊びに行きたいんだったら
遊びに行くなりゲームしたいんだったら
ゲームするなりというのは
宣戦事項だという風に
自分に
取り戻させておかないと
その後だったら何だって
別に習慣だって
ノート術だって
PDCAだって何だって構わないと思うんですよね
偽りの事故はどうせ必要なんで
だけどそいつはあくまでも
どうでもいいようなものとして
つまりそこら辺にある
しょぼい道具のようにして
礼々しく扱わない
ということかなと
今のような文脈で言うと
これは一つの例です
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