人生相談みたいなもんだったと思う。チョレドラとかを読んでると、どうもそういう感じが基本的にする。
フロイドが考えてたことは確かに、専門的だし科学的かもしれないし、医療行為的だとは思うんですけど、
でも受けてる方は多分そんな感じはしなかったとあんまり思う、わかんないですけど。
でもあれが一段、二段と普通に人生相談したら、そういう発想をわざわざ用意しないでしょうということまで一気にグッといって、
医療行為になっていったわけですよ、きっと。今そう認められているかどうかはまた別としてということですね。
で、私がやろうとしていることっていうのは、この方向を逆転させることなんですよね。
逆転は言い過ぎなんですが、心理臨床の世界でその中間的なところを狙っているのが僕は山崎孝明さんのポストだと思ってるんですね。
私はさらにそれをもう少し世俗側にと言いますか、ビジネス寄りとも言えますかね。
要するに人生相談に引きずり戻すという感じにして、
ただせっかくそれで精神統合支助省まで分析しに行った精神分析というものの知見は言うまでもなく組織的にもやり、何万人というもっとでしょうね、延べで言えばね。
人、そして何十万人というおそらくは、正確な数字は出せないかもしれない。
もしかすると100万単位の、僕自らかも良くないんでこれ適当なんですよ、この辺。自らかも良いと考えてください。
そういう人が携わってきたわけですよね、クライアントとして、分析家として。
そりゃもうすごいことになったと思わざるを得ないわけですね。
そのすごいことというのはどういうことかというと、つまり普通人生相談でそこまで考えないでしょうし、
人生相談で統合支助省の人の相談に乗らないよねっていう、だからそれは医療なんですね。
そこまで行ったわけです。
こうして得た知見を、私は世の一般の人生相談に適用しようという、そういう目論みで始めたものなんですよ。
これは多分。ライフハックに使おうと。
元々私そういうこと盛んに頑張って言ってましたよね、頑張ってたのか知らんけど、ライフハック心理学みたいなね。
ようやくそこ目標が結実しつつあるわけですよ。
ライフハックにだってライフハックをしようとすれば悩みが出る。それはもう出ますよね。
痩せようと思ってライフハック始めたんだけど痩せられませんとか、ダイエット始めたんだけど食べまくっちゃいますとか、色々ありますよね。
朝早く起きて朝活しようとしてるんだけど全く起きられませんとか、起きようとしてもすごい辛いですとかね。
あるいは、それこそ臨床心理師さんもやってきてますけど、この話どうやって入れようか入れまいか考えてるんですけど、
いろんな話入れると時間がかかりますからね、山崎さんとの会。
中島美鈴さんという、わりとこの方面で有名なと言いますか、会社で一々傷つかないという本も最近出されましたけど、
このタイトルもバッチリじゃないですか。まさに私がやっている世界ですよ。
それを食われたと考えてもいいんだけど、あんまりそういうことを考えても無意味だということが最近よくわかってきたんで、
パイの大きさについて考えるのは、マーケッターやってる人とかいるかもしれないけど、著者がそういうことを考えてもほとんど意味ないんですよね。
ということが最近よくわかったんで、みんなどんどんやろうっていう感じで。
自分結構やれてないじゃないですか。会社で一々傷つかないみたいな本が出せてないわけですよ。
アプローチも結構違うわけですよ。
臨床心理師さんがそういう本を書かれるということは、つまり私のやっぱり先進分析的という観点からいくと、
ぐっと医療に向かったその知見を、そういうふうに認識をされているかどうかわかりませんけど、
ぐっと引き戻して会社で、要するに全然病理でも何でもないですよ。会社で傷つきやすいって言ってる人、
HSPとかいう言葉もありますが、会社で怒られて傷つくよって言ってる人に、
その精神分析的ではないかもしれないが、心理カウンセリング的、
その医療行為としての精神問題を扱う医療行為としての知識を、
そういうごく普通の、普通のと言っても楽ではないんですが、
人の悩みにも適応しようと。やってることは私も相当近い。
私がライフハック心理学って言ったときには、もっとガジェット寄りだったり、
いわゆるライフハックスキル寄りだったかも、仕事術みたいなんですね。
なったかもしれないけど、同じなんですよ、やろうとしてることは。
それを心理臨床的にアプローチするのか、それもだって心理臨床的って言っても精神力動的なのか、
それともCBT的なのかによっても違うじゃないですか。
行動療法的なのか、認知療法的なのか、精神分析的なのか、
それともユング心理学的なのかによって、それぞれ違うはずなんですよね。
それともロジャーズ的なのかとかね、あるわけですよ。
一方でさらにあるわけですよ。仕事術的って言ってもあるじゃないですか。
会社で傷つくのは結局のところ、お前仕事できねえなってことに近いと思うんで、
単なるいじめじゃないんだから、やっぱりなんかそこには仕事上の理由があるはずで、
だったら仕事できるようになっちゃえば、傷つかなくて済むよねっていう、
これが大いに間違ってたわけですけど、仕事がいくらできるようになっても、
傷つくことはちっとも止まらないというケースがいくらもあるというようなことから、
私がこう一段と悩むようになるわけですね。私自身のことですよね。
つまり、例えば家庭の話でも同じなんですけど、
食器を洗います、食洗機入れます、食洗機出します、
妻が作ってくれたご飯の盛り付けします、全部で怒られると。
なんで全部で怒られるねんって感じなわけですよね。
そこで私はタスクシュートだ、チェックリストだということで、
要するに仕事術作戦で家庭でいちいち傷つかないようにしたつもりだったわけですよ。
ところが妻が言ってる通りに、この皿にこれを盛り付ける。
こういう系統の食事にはこういう皿を使う。
こういう皿は食洗機に入れるときは何々油を落としてからそうするとか、
全部チェックリストに置いてやっても全部怒られる。
一体なんなんっていうことが起こるわけですね。
で、それは私は大変理不尽で、私は真っ白で、
私には何の罪もないのに一方的に罪をなずりつけられて怒られてばっかりで、
こんなことには耐えられないからもう家を出よう。
離婚しよっていうよりね、家を出ようだったんですよね。
ところが自分家にはすげえ、自分としてはほとんど出ない生き甲斐に当時なっていた
2歳だか3歳だかの娘がいて、家から出られない。
っていうことが起きるわけですね。
これをライフハックしようって、どんなことを考えつけます?
私、例えば動画を撮っておいて、家を出ても娘の動画を見て自分を慰めるんだみたいな。
なんかかえって悲しくなりそうじゃないですか。
よくあるけどね、そういうの。
とてもじゃないけど、そんなことでは慰まらないなっていう感じがしたわけですよ。
でもこれ以上ライフハック頑張ってみたら、いやもちろん完璧っていうのは無理なんで、
皿A、皿B、皿Cみたいな、皿何枚も何十枚もあるからね。
なぜか知らんけど、100円ショップでいっぱい買ってくるから。
なんかこう煮付け系は、フライドポテトは、オムレツ系はこれとかこれとか細かく細かく細かく分けてっても
完璧にはならないわけですよ、結局。
時間もむやみにかかるし、リストは長くなるし、やってることがどっかおかしいわけですよ、明らかに。
で、妻と喧嘩するという、もはやライフハックでもなんでもないんだけど、
喧嘩の仕方の本とか買ってきたりしてみてですね。
中島美鈴さんの本も買ってみたわけですよ。
中島美鈴さんの批判したわけじゃないんで、ここを誤解しないでほしいんですけど、
それは私にはほぼ効果がなかったわけですよ。
はっきり言って。
そういう批判は、なんて言ったかな、これは難しいんでね。
僕としては、適用方法が間違ってたとかいろいろ考えられちゃうから、
あれなんですけど、私としてはこのアプローチでは無理だっていう感じがしたんだけど、
そんなことはないのかもしれないんです。
そこはわからないんですけど、私は無理だと思ったんですね。
ここに今話した中に、ライフハックの観点からは何も見えてこないんだが、
精神分析の観点だと一気に見えてくることがいろいろあるんです。
今喋った中にもいっぱいあったんですよ。
これを見えるようにするということが、今私が目論んでいることであって、
アプローチを変えてるわけですね、結局のところ。
要するに会社でいちいち傷つかないためにライフハックでは無理だと。
アンガーマネジメントでも無理だと、私にはね。
それはアンガーマネジメントが功力がないという話は一々したくないんですよ。
そういう戦いをすることは、著者がそういう戦いをすることには何の意味もないということを
僕は50歳になってようやくほぼ完全に理解した。
何の意味もないのに、本当に。
これにさも意味があるように間違って熱を入れてしまうというケースがあるんだけど、
本当に何の意味もないからって感じなんですよね。
これは先日J松崎さんとね、あの名誉の。
我々がね、我々のような小物が喧嘩しても一円にもならない。
もし我々が2人揃ってどっちもインフルエンサーで100万部100万部ですってんだったら、
喧嘩するだけでもYouTubeがどっか取り上げてくれてその人が儲かる。
ならまだ話はわかる。
だけど我々が喧嘩してみたところで、本当にもう、本当に我々の喧嘩だけで終わっちゃうんで。
そういう小出り合いの中の小出り合いみたいなことばっかりやっていて、
時間を空飛していくわけですよ。
そういうことは絶対やんないことだっていう。
まあこれはね、ある程度そういう方向性を持ってないと、
ついやっちゃうから人間は。
で、でですね。
ここにちょっとね、間に挟まなければいけないものをサラッと挟んで話を続けていきますが、
グッドバイブスというのがこの間に入ります。
なぜかというとやっぱりライフハックでそうやって脅迫的にと今言っちゃうんですけど、
まあリストアップ的にね、問題を解決しようと。
家庭でいちいち傷つかないためにチェックリストを作ろうと。
威風前のを作ろうと。
これこれこういう妻が怒ったら、これこれこういうことをするというものを持っていれば万全だぜということで。
ちとも万全じゃなかったわけですね。
だしそんなリストをいちいち見返してられないわけですよ。
すげえ怒られてる時に。
こっち傷つくし、リストを見返す気にもならんわみたいになるわけですね。
ここにいきなり精神分析にいけるかっていうと、当時フロント読んでたんだけどいけないんですよね。
なぜかというと、この問題が解決しそうな気がしないから。
結局人間というのはやっぱりそれまでに解決してきた問題、解決方法を持って問題を解決しようとする。
それまでお金がいっぱい入れば、例えば母親から離れたい時期が私あったんだけどお金があればなと思ってるんで。
お金が入ってみたら母親から離れるのは簡単になり、そしてみたら別にどんなことはどうでもよくなっていくという。
こういう体験をして、ある種の成功体験ですね。
お金は人間のメンタルの問題を解決するとか、そういうことを学んでいくわけです。
その極致のところまで来て、私は行き詰ったわけですよ。
ここで、倉園圭三さんという方がグッドバイブスで、
佐々木さんはあるがままでいいんだっていうこれですよね。
これは一体何を言ってるのかというと、結局のところ私は行動を変容することによって妻を納得させようとしてたわけじゃないですか。
妻は不満を持つ。では不満を持たない行動にしよう。
妻はそれでも不満を持つ。だからもっと行動を改めるための指針を増やそう。
こうして複雑になっていったわけだけど、常に私は私でないもの、私があるがままであると妻が怒るから、
私があるがままでないもの、私ではないものに私の行動から変えていこうとしたんだけど、そうじゃないんだと。
もともと妻とあなたは一つだったんだと。ついでにみんな一つだったんだと。
だから、もともとここにお互いを憎み合うような理由は一切存在しなかったはずなんだと。今は知らんけど。
だから、もともとそうではなかったんだから、そうでないものになろうなろうと頑張っても意味がないのであって、
もともとの状態ということを考えてみると、それはもともとの状態であった時が一番良かったとするならば、
そして今もそういう片鱗を信じられるなら、例えば私はもともと母でしたと。
母はもともと母の母でしたと。今は非常にサラッと言っちゃってますけどね。
もともとだからつまりビッグバンでしたってところに行き着くわけですよ。
個別具体化している中で戦わなければならなくなりましたってことはいくらもあるわけなんだけど、実際そうしてきましたし、
ただ、個別具体化しているという観点を取るからそうなのであって、個別具体化してないという部分も当然ありますよね。
私は永遠に私なわけじゃないですからね。死んでしまいますし。
私はもともと私だったわけではないわけです。生まれてなかったわけですから。
そういうような観点を取ってみた時に、あなたが今悩んでいることというのは、
全部個別具体化に向かっているせいではないかっていう、そういう一つの抽象的に表現すれば、サラッとって今言いましたから、サラッといきます。
抽象的に言えばそういう話を、こんな話は他に絶対聞いたことあるじゃないですか。
私なんかまして寺にいたんだから、そんな話ある意味365日聞いてたわけですよ。
しかし、目の前でそれを自分自身の人生に対する必要性から、ある意味1からなぞり直したにせよ、編み出したにせよの人に、目の前で、しかもその人は私にとっては非常にライフハッピーな人だった方から、目の前でそれをほぼ何かのためにではなくて、ある種の信念から発生られると、やっぱり聞こえ方が違うんですよね。
そうして私は、あるがままでいいんだと信じるというよりも、この個別具体化政策というものを捨てるということに躊躇がなくなったんですね。
簡単に言うと、家でいちいち傷つかないためにライフハッピーやってても無駄だというのは、当時からそう感じてたわけですけど、そこから一気に相当ラディカルなところに舵を切るということに、違和感を持たなかったんですよ、その言葉を聞いたとき。
別に精神分析だって構わないんじゃないかと。
大体において、倉澤さんのグッドバイブスと精神分析というのは、いちいち相入れてない。
ライフハックよりはるかに両者は接近してるんだけど、でもじゃあグッドバイブスと精神分析は相性いいかというと、そうでもないと思うんですね。
でも私はそのことを含めて、いいんだっていう感じを持ったんですね。
別にライフハック今までずっとやってたから、やっぱりそういうふうに思っちゃうわけですよ。
過去の自分の出してきた本との整合性を取りたいとか、言ってきたことを裏切りたくないとか、ダスクシュートでいきたいとか、その方が自分にとって整然としている、矛盾がないって感じがしたんだけど、そんなことはいいんだと。
もともと一つだったものがこんなに個別具体化しているのが現実なんだから、そしてまたそうは言っても一つに戻っていっちゃうものなんだから、
そんなことを一生懸命考えてたって、考えてたってというか、そういう観点だけで生きていかなくてもいいんだって感じですね。
別に構わないんだと。
そういうことなんですよね。もっといろいろあるんだけど、さらっと言うとそういうことなんです。
だから私はもう、いいのかもしれないぐらいに思って最初はおっかなびっくりやってたんですけど、やってるうちに本当にそうだなって思うようになったわけですよ。
別に過去の私が言ったこと、5年前10年前に出した本とかとの整合性を全部取ろうとしたって無駄だと。
で、そういうふうな言うことがコロコロ変わるやつは、信用されないとか格好悪いとかいう話もいろいろあるんだけど、
それは全てそれらを言う人の言葉に過ぎないじゃないですかって、まあこれも非常にグッドワイブス的なんですよね。
それらの人が勝手に言ってることだと。なんか世の真理について喋ってるわけだよ。
まあこれはそうなんですよね。滅多にことでは人が真理だけを口にするなんてことはなくて、
その人がなんとなくそうだなと思ってることを口にするもんだし、それはそれでいいんですよ。
そういうものが本に書かれるし、それもそれでいいんですよ。
ただ、それを過度に真に受けることは別にないよねというような話なんですね。
重力の法則聞いてるわけじゃないんだし、なんかEイコールMC事情聞いてるわけじゃないんですよ。
ただそんなことやってると信用されなくなるよとか、そういうことを言いたい時に人はなんとなく気分に乗せて言っちゃうもんなんだと。
それはそういう風なものとして聞いておけばいいじゃんっていう、まあそういうノリもあったわけですねグッドワイブスには。
こうして自分がやったことは元に戻ったんですよね。
ライフ確信医学を追求しようと。だから精神分析には急に舵を切るみたいな感じがするけど、そうではなくて、
まあそうであったとしても構わないから舵を切ってしまおうと。
で、ライフハックがその時邪魔になるならタスクシュートも含めて全捨てしてしまおうと。
で、そこで信頼を失ったり信用を失ったりして本が出せなくなったら、それはその時考えようということに本当にしたんですよ。
そしたら急に異常に楽になって、奥さんが言ってることも基本的には大体全部納得するっていうのとはまた違うんだけど、