1. 佐々木正悟の精神分析的ラジオ
  2. 葛藤を抱える【1359】
葛藤を抱える【1359】
2026-06-10 45:06

葛藤を抱える【1359】

分裂しないが楽でもない。
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00:05
おはようございます、佐々木正悟の精神分析的ラジオ第1359回をお送りします。 6月10日水曜日7時48分です。
はい、えーっと、んーとですね、まあ今日も別に話すことは山のようにある気がするんですけれども、
その前に、その前はないか、今日は別にお知らせ特にないのかな、あのー、
そうだそうだ、えーっと、山崎さんとのイベントですね、6月20日土曜日のイベントが、えーっと、2桁超えまして、まずは大変ありがとうございます。
あのー、この段階で2桁超えているということは、まあ、えー、セミナーとしては、とりあえずの成功かなと思います。
あとは、実行できればああいうものは基本的には良かろうと思っております。
で、あのー、今回は、私、まあ毎回思っていることではあるんですけど、今回こそですね、まあ私一人で、えー、独断でことを進めていこうと思っておりまして、
まあその、スタッフさんとかね、えーっと、いろいろそういう話ではなくて、独断でというのは、この会の趣旨を独断で、えー、私の方で考えて、
まあ、もちろん山崎さんとはすでに打ち合わせしておりますけれども、えー、独断で進めて考えてやっていこうと思っておりますんで、
そういうことでですね、あのー、まあいかにも自分らしく、それが問題なんですけれども、どうすれば自分らしさという、自分らしさを出したいのではないんだけど、まあ自分が納得いくようにやりたいということですよね。
まあここに、えー、全神経を集中していこうというふうには思っております。
で、それってつまりどういうことなのかと言いますと、えー、まあこの辺から本題にも今日入っちゃいますけれども、
あ、あの、だから6月27日はもっと続々とお申し込みいただけるとうれしいということでもありますが、あのー、精神分析的ラジオとこれも言ってますけどね、
精神分析というのは、まあ結構頑張ったんだと思うんですね。今ではあのー、精神科にまっしぐらに行ってしまうような、まあ当時からもそうだったかもしれないけど、
比較的精神障害としても精神病としても重い方面にやっぱり向かったんですよね。そこはチャレンジングだったと結構思うんですよ。
スタートは、私はよくこういう言い方をして、どこから怒られるかもしれませんが、人生相談だった気がするんですね。
お医者さんがやる人生相談、それを医療行為として頑張るんだっていう感じはあったにせよですね。
03:00
人生相談みたいなもんだったと思う。チョレドラとかを読んでると、どうもそういう感じが基本的にする。
フロイドが考えてたことは確かに、専門的だし科学的かもしれないし、医療行為的だとは思うんですけど、
でも受けてる方は多分そんな感じはしなかったとあんまり思う、わかんないですけど。
でもあれが一段、二段と普通に人生相談したら、そういう発想をわざわざ用意しないでしょうということまで一気にグッといって、
医療行為になっていったわけですよ、きっと。今そう認められているかどうかはまた別としてということですね。
で、私がやろうとしていることっていうのは、この方向を逆転させることなんですよね。
逆転は言い過ぎなんですが、心理臨床の世界でその中間的なところを狙っているのが僕は山崎孝明さんのポストだと思ってるんですね。
私はさらにそれをもう少し世俗側にと言いますか、ビジネス寄りとも言えますかね。
要するに人生相談に引きずり戻すという感じにして、
ただせっかくそれで精神統合支助省まで分析しに行った精神分析というものの知見は言うまでもなく組織的にもやり、何万人というもっとでしょうね、延べで言えばね。
人、そして何十万人というおそらくは、正確な数字は出せないかもしれない。
もしかすると100万単位の、僕自らかも良くないんでこれ適当なんですよ、この辺。自らかも良いと考えてください。
そういう人が携わってきたわけですよね、クライアントとして、分析家として。
そりゃもうすごいことになったと思わざるを得ないわけですね。
そのすごいことというのはどういうことかというと、つまり普通人生相談でそこまで考えないでしょうし、
人生相談で統合支助省の人の相談に乗らないよねっていう、だからそれは医療なんですね。
そこまで行ったわけです。
こうして得た知見を、私は世の一般の人生相談に適用しようという、そういう目論みで始めたものなんですよ。
これは多分。ライフハックに使おうと。
元々私そういうこと盛んに頑張って言ってましたよね、頑張ってたのか知らんけど、ライフハック心理学みたいなね。
ようやくそこ目標が結実しつつあるわけですよ。
ライフハックにだってライフハックをしようとすれば悩みが出る。それはもう出ますよね。
痩せようと思ってライフハック始めたんだけど痩せられませんとか、ダイエット始めたんだけど食べまくっちゃいますとか、色々ありますよね。
朝早く起きて朝活しようとしてるんだけど全く起きられませんとか、起きようとしてもすごい辛いですとかね。
あるいは、それこそ臨床心理師さんもやってきてますけど、この話どうやって入れようか入れまいか考えてるんですけど、
06:04
いろんな話入れると時間がかかりますからね、山崎さんとの会。
中島美鈴さんという、わりとこの方面で有名なと言いますか、会社で一々傷つかないという本も最近出されましたけど、
このタイトルもバッチリじゃないですか。まさに私がやっている世界ですよ。
それを食われたと考えてもいいんだけど、あんまりそういうことを考えても無意味だということが最近よくわかってきたんで、
パイの大きさについて考えるのは、マーケッターやってる人とかいるかもしれないけど、著者がそういうことを考えてもほとんど意味ないんですよね。
ということが最近よくわかったんで、みんなどんどんやろうっていう感じで。
自分結構やれてないじゃないですか。会社で一々傷つかないみたいな本が出せてないわけですよ。
アプローチも結構違うわけですよ。
臨床心理師さんがそういう本を書かれるということは、つまり私のやっぱり先進分析的という観点からいくと、
ぐっと医療に向かったその知見を、そういうふうに認識をされているかどうかわかりませんけど、
ぐっと引き戻して会社で、要するに全然病理でも何でもないですよ。会社で傷つきやすいって言ってる人、
HSPとかいう言葉もありますが、会社で怒られて傷つくよって言ってる人に、
その精神分析的ではないかもしれないが、心理カウンセリング的、
その医療行為としての精神問題を扱う医療行為としての知識を、
そういうごく普通の、普通のと言っても楽ではないんですが、
人の悩みにも適応しようと。やってることは私も相当近い。
私がライフハック心理学って言ったときには、もっとガジェット寄りだったり、
いわゆるライフハックスキル寄りだったかも、仕事術みたいなんですね。
なったかもしれないけど、同じなんですよ、やろうとしてることは。
それを心理臨床的にアプローチするのか、それもだって心理臨床的って言っても精神力動的なのか、
それともCBT的なのかによっても違うじゃないですか。
行動療法的なのか、認知療法的なのか、精神分析的なのか、
それともユング心理学的なのかによって、それぞれ違うはずなんですよね。
それともロジャーズ的なのかとかね、あるわけですよ。
一方でさらにあるわけですよ。仕事術的って言ってもあるじゃないですか。
会社で傷つくのは結局のところ、お前仕事できねえなってことに近いと思うんで、
単なるいじめじゃないんだから、やっぱりなんかそこには仕事上の理由があるはずで、
だったら仕事できるようになっちゃえば、傷つかなくて済むよねっていう、
これが大いに間違ってたわけですけど、仕事がいくらできるようになっても、
傷つくことはちっとも止まらないというケースがいくらもあるというようなことから、
私がこう一段と悩むようになるわけですね。私自身のことですよね。
つまり、例えば家庭の話でも同じなんですけど、
食器を洗います、食洗機入れます、食洗機出します、
09:01
妻が作ってくれたご飯の盛り付けします、全部で怒られると。
なんで全部で怒られるねんって感じなわけですよね。
そこで私はタスクシュートだ、チェックリストだということで、
要するに仕事術作戦で家庭でいちいち傷つかないようにしたつもりだったわけですよ。
ところが妻が言ってる通りに、この皿にこれを盛り付ける。
こういう系統の食事にはこういう皿を使う。
こういう皿は食洗機に入れるときは何々油を落としてからそうするとか、
全部チェックリストに置いてやっても全部怒られる。
一体なんなんっていうことが起こるわけですね。
で、それは私は大変理不尽で、私は真っ白で、
私には何の罪もないのに一方的に罪をなずりつけられて怒られてばっかりで、
こんなことには耐えられないからもう家を出よう。
離婚しよっていうよりね、家を出ようだったんですよね。
ところが自分家にはすげえ、自分としてはほとんど出ない生き甲斐に当時なっていた
2歳だか3歳だかの娘がいて、家から出られない。
っていうことが起きるわけですね。
これをライフハックしようって、どんなことを考えつけます?
私、例えば動画を撮っておいて、家を出ても娘の動画を見て自分を慰めるんだみたいな。
なんかかえって悲しくなりそうじゃないですか。
よくあるけどね、そういうの。
とてもじゃないけど、そんなことでは慰まらないなっていう感じがしたわけですよ。
でもこれ以上ライフハック頑張ってみたら、いやもちろん完璧っていうのは無理なんで、
皿A、皿B、皿Cみたいな、皿何枚も何十枚もあるからね。
なぜか知らんけど、100円ショップでいっぱい買ってくるから。
なんかこう煮付け系は、フライドポテトは、オムレツ系はこれとかこれとか細かく細かく細かく分けてっても
完璧にはならないわけですよ、結局。
時間もむやみにかかるし、リストは長くなるし、やってることがどっかおかしいわけですよ、明らかに。
で、妻と喧嘩するという、もはやライフハックでもなんでもないんだけど、
喧嘩の仕方の本とか買ってきたりしてみてですね。
中島美鈴さんの本も買ってみたわけですよ。
中島美鈴さんの批判したわけじゃないんで、ここを誤解しないでほしいんですけど、
それは私にはほぼ効果がなかったわけですよ。
はっきり言って。
そういう批判は、なんて言ったかな、これは難しいんでね。
僕としては、適用方法が間違ってたとかいろいろ考えられちゃうから、
あれなんですけど、私としてはこのアプローチでは無理だっていう感じがしたんだけど、
そんなことはないのかもしれないんです。
そこはわからないんですけど、私は無理だと思ったんですね。
ここに今話した中に、ライフハックの観点からは何も見えてこないんだが、
精神分析の観点だと一気に見えてくることがいろいろあるんです。
今喋った中にもいっぱいあったんですよ。
これを見えるようにするということが、今私が目論んでいることであって、
12:04
アプローチを変えてるわけですね、結局のところ。
要するに会社でいちいち傷つかないためにライフハックでは無理だと。
アンガーマネジメントでも無理だと、私にはね。
それはアンガーマネジメントが功力がないという話は一々したくないんですよ。
そういう戦いをすることは、著者がそういう戦いをすることには何の意味もないということを
僕は50歳になってようやくほぼ完全に理解した。
何の意味もないのに、本当に。
これにさも意味があるように間違って熱を入れてしまうというケースがあるんだけど、
本当に何の意味もないからって感じなんですよね。
これは先日J松崎さんとね、あの名誉の。
我々がね、我々のような小物が喧嘩しても一円にもならない。
もし我々が2人揃ってどっちもインフルエンサーで100万部100万部ですってんだったら、
喧嘩するだけでもYouTubeがどっか取り上げてくれてその人が儲かる。
ならまだ話はわかる。
だけど我々が喧嘩してみたところで、本当にもう、本当に我々の喧嘩だけで終わっちゃうんで。
そういう小出り合いの中の小出り合いみたいなことばっかりやっていて、
時間を空飛していくわけですよ。
そういうことは絶対やんないことだっていう。
まあこれはね、ある程度そういう方向性を持ってないと、
ついやっちゃうから人間は。
で、でですね。
ここにちょっとね、間に挟まなければいけないものをサラッと挟んで話を続けていきますが、
グッドバイブスというのがこの間に入ります。
なぜかというとやっぱりライフハックでそうやって脅迫的にと今言っちゃうんですけど、
まあリストアップ的にね、問題を解決しようと。
家庭でいちいち傷つかないためにチェックリストを作ろうと。
威風前のを作ろうと。
これこれこういう妻が怒ったら、これこれこういうことをするというものを持っていれば万全だぜということで。
ちとも万全じゃなかったわけですね。
だしそんなリストをいちいち見返してられないわけですよ。
すげえ怒られてる時に。
こっち傷つくし、リストを見返す気にもならんわみたいになるわけですね。
ここにいきなり精神分析にいけるかっていうと、当時フロント読んでたんだけどいけないんですよね。
なぜかというと、この問題が解決しそうな気がしないから。
結局人間というのはやっぱりそれまでに解決してきた問題、解決方法を持って問題を解決しようとする。
それまでお金がいっぱい入れば、例えば母親から離れたい時期が私あったんだけどお金があればなと思ってるんで。
お金が入ってみたら母親から離れるのは簡単になり、そしてみたら別にどんなことはどうでもよくなっていくという。
こういう体験をして、ある種の成功体験ですね。
お金は人間のメンタルの問題を解決するとか、そういうことを学んでいくわけです。
その極致のところまで来て、私は行き詰ったわけですよ。
ここで、倉園圭三さんという方がグッドバイブスで、
佐々木さんはあるがままでいいんだっていうこれですよね。
これは一体何を言ってるのかというと、結局のところ私は行動を変容することによって妻を納得させようとしてたわけじゃないですか。
15:09
妻は不満を持つ。では不満を持たない行動にしよう。
妻はそれでも不満を持つ。だからもっと行動を改めるための指針を増やそう。
こうして複雑になっていったわけだけど、常に私は私でないもの、私があるがままであると妻が怒るから、
私があるがままでないもの、私ではないものに私の行動から変えていこうとしたんだけど、そうじゃないんだと。
もともと妻とあなたは一つだったんだと。ついでにみんな一つだったんだと。
だから、もともとここにお互いを憎み合うような理由は一切存在しなかったはずなんだと。今は知らんけど。
だから、もともとそうではなかったんだから、そうでないものになろうなろうと頑張っても意味がないのであって、
もともとの状態ということを考えてみると、それはもともとの状態であった時が一番良かったとするならば、
そして今もそういう片鱗を信じられるなら、例えば私はもともと母でしたと。
母はもともと母の母でしたと。今は非常にサラッと言っちゃってますけどね。
もともとだからつまりビッグバンでしたってところに行き着くわけですよ。
個別具体化している中で戦わなければならなくなりましたってことはいくらもあるわけなんだけど、実際そうしてきましたし、
ただ、個別具体化しているという観点を取るからそうなのであって、個別具体化してないという部分も当然ありますよね。
私は永遠に私なわけじゃないですからね。死んでしまいますし。
私はもともと私だったわけではないわけです。生まれてなかったわけですから。
そういうような観点を取ってみた時に、あなたが今悩んでいることというのは、
全部個別具体化に向かっているせいではないかっていう、そういう一つの抽象的に表現すれば、サラッとって今言いましたから、サラッといきます。
抽象的に言えばそういう話を、こんな話は他に絶対聞いたことあるじゃないですか。
私なんかまして寺にいたんだから、そんな話ある意味365日聞いてたわけですよ。
しかし、目の前でそれを自分自身の人生に対する必要性から、ある意味1からなぞり直したにせよ、編み出したにせよの人に、目の前で、しかもその人は私にとっては非常にライフハッピーな人だった方から、目の前でそれをほぼ何かのためにではなくて、ある種の信念から発生られると、やっぱり聞こえ方が違うんですよね。
そうして私は、あるがままでいいんだと信じるというよりも、この個別具体化政策というものを捨てるということに躊躇がなくなったんですね。
簡単に言うと、家でいちいち傷つかないためにライフハッピーやってても無駄だというのは、当時からそう感じてたわけですけど、そこから一気に相当ラディカルなところに舵を切るということに、違和感を持たなかったんですよ、その言葉を聞いたとき。
18:01
別に精神分析だって構わないんじゃないかと。
大体において、倉澤さんのグッドバイブスと精神分析というのは、いちいち相入れてない。
ライフハックよりはるかに両者は接近してるんだけど、でもじゃあグッドバイブスと精神分析は相性いいかというと、そうでもないと思うんですね。
でも私はそのことを含めて、いいんだっていう感じを持ったんですね。
別にライフハック今までずっとやってたから、やっぱりそういうふうに思っちゃうわけですよ。
過去の自分の出してきた本との整合性を取りたいとか、言ってきたことを裏切りたくないとか、ダスクシュートでいきたいとか、その方が自分にとって整然としている、矛盾がないって感じがしたんだけど、そんなことはいいんだと。
もともと一つだったものがこんなに個別具体化しているのが現実なんだから、そしてまたそうは言っても一つに戻っていっちゃうものなんだから、
そんなことを一生懸命考えてたって、考えてたってというか、そういう観点だけで生きていかなくてもいいんだって感じですね。
別に構わないんだと。
そういうことなんですよね。もっといろいろあるんだけど、さらっと言うとそういうことなんです。
だから私はもう、いいのかもしれないぐらいに思って最初はおっかなびっくりやってたんですけど、やってるうちに本当にそうだなって思うようになったわけですよ。
別に過去の私が言ったこと、5年前10年前に出した本とかとの整合性を全部取ろうとしたって無駄だと。
で、そういうふうな言うことがコロコロ変わるやつは、信用されないとか格好悪いとかいう話もいろいろあるんだけど、
それは全てそれらを言う人の言葉に過ぎないじゃないですかって、まあこれも非常にグッドワイブス的なんですよね。
それらの人が勝手に言ってることだと。なんか世の真理について喋ってるわけだよ。
まあこれはそうなんですよね。滅多にことでは人が真理だけを口にするなんてことはなくて、
その人がなんとなくそうだなと思ってることを口にするもんだし、それはそれでいいんですよ。
そういうものが本に書かれるし、それもそれでいいんですよ。
ただ、それを過度に真に受けることは別にないよねというような話なんですね。
重力の法則聞いてるわけじゃないんだし、なんかEイコールMC事情聞いてるわけじゃないんですよ。
ただそんなことやってると信用されなくなるよとか、そういうことを言いたい時に人はなんとなく気分に乗せて言っちゃうもんなんだと。
それはそういう風なものとして聞いておけばいいじゃんっていう、まあそういうノリもあったわけですねグッドワイブスには。
こうして自分がやったことは元に戻ったんですよね。
ライフ確信医学を追求しようと。だから精神分析には急に舵を切るみたいな感じがするけど、そうではなくて、
まあそうであったとしても構わないから舵を切ってしまおうと。
で、ライフハックがその時邪魔になるならタスクシュートも含めて全捨てしてしまおうと。
で、そこで信頼を失ったり信用を失ったりして本が出せなくなったら、それはその時考えようということに本当にしたんですよ。
そしたら急に異常に楽になって、奥さんが言ってることも基本的には大体全部納得するっていうのとはまた違うんだけど、
21:02
少なくともいちいち私は自分を改善せねばと思わなくなったんですね。
そしたら夫婦仲は結果的にいいですけど、今から振り返ってみるとあの辺をターニングポイントにして劇的に良くなったのは確かなんですよ。
家出ようとは、あの頃はほぼ毎日、毎時間家出ようと思ってましたけど、
今家出ようと思うことがゼロになったとは言いませんが、月に1回はなくなったっていう感じ。だからやっぱ激延したんですよね。
月に1回もないね。年1あるかないかぐらいになりました。やっぱ激変してるんですよね。
私はこの方がいいと思うんですよ、別に。過去の整合性取れないやつはいっぱい出たんだけど、取れるやつもないわけじゃないんだなっていうことに気づいて、それで十分だなと。
人が誰か何かを思ってるかもしれないとか言ってるかもしれないっていうことも、初期のうち、最初にクラゾノさんとグッドバイブスの話をしたり、ずっとそういう活動してた頃はまだしも気にしてたんだけど、今は全く気にならなくなったんですよね。
だからあれを気にしてる時のあの面倒くささから考えると、今は数段楽だなとは思いますね。
でもこれはあくまでもターニングポイントを作ったってところまでの話で、ここから話が一応始まるわけですね。
ちょっとやっぱりサラッとというわけには長くなりましたけど、精神分析ということになったわけです。
精神分析をライフハックと言いますか、ビジネス書と言いますか、一般的なお悩み相談のところまで引っ張ってきて、そこで適用しようということになった時、
いろんなものが出てくるんですけど、最近になってようやくでもそれが実感というか、自分としてはこういう概念で持ってくるものなんだと。
直前ですね、つい最近3ヶ月チャレンジで言うと10期あたりに、人格障害、パーソナリティディスオーダーというものをすごくこう、だから自己愛性パーソナリティディスオーダーとか、
世に知られているものとしては何ですかね、脅迫性人格障害とか、私がそうでありそうな分裂症とかね、精神分裂病じゃないですよ、分裂症とか、障害なんですよ、ある種の。
性格の異常な偏りみたいな、例えば私はどうしても人と打ち解けられないみたいなところがあって、ついついクラソンさんとかはもっと強めにそうだったんですけど、そう見えなかったから不思議、でも彼と僕とは違うし、彼はパーソナリティ障害を当てるとしてもジゾイドじゃないんですけど、僕はジゾイド系がすごい強くて、
どうしてもですね、パーティーとかに行くと、気がつくと壁の花ならまだよくて、気がつくと一番隅っこの方にいて、別に嫌だとか迫害されてるとか思うじゃなくて、単にそうなっちゃうってところが本当にあってですね、気がつくとじゃあとか言って家に帰っちゃうんですよね。
24:01
これ変だなと自分でも思うんだけど、ここの変だなと思うところが精神病じゃないんですよ。精神病っていうケースの場合、変だと思うこと自体が難しいんですよ。ほぼ無理なんです。変だとは思ってるんですよ。思うんだけど、変えられないんですよね。
これがだから人格障害と呼ばれるものなんですけれども、私は人格障害をビジネス書でも時々出てきますしね。岡野健一郎さんかな。よく書かれている売れてる本の人としては。ですがやっぱりね、これも依然として心理臨床なんですよね。
カウンセリングというか医療に近いんですよね。もっと下げたいなっていうか下げたいというか一般化したいなって思ったときにやっぱり問題なのは、それは大事な観点なんですよ。性格カテゴライズっていうのかな。ある種の診断的目線ですよね。診断はしなくても。
で、天意を使うとかいろいろ言ってたんだけど、それよりも何よりも、例えばさっきの話で言うと葛藤がそこにあるっていうこと。会社でいちいち傷つかないっていうのも、例えばそこにはですね、いくつかのやっぱり人を困惑させるあるいは苦しませる要素っていうものがあって、それはやっぱり人間ならではの要素であって、社会性とかいろいろあるわけだけれども。
中に一つ、やっぱりアンビバレンスとかアンビバレント、良化性とか良偽性とか良曲と言ったりする場合もあるかもしれませんが、そういったものをそういう葛藤とかアンビバレンスとか。
ストレスって言葉もこういう時使われるんだけど、僕ストレスは精神分析では使わないし、非常に良くないという弁も、それを言うとアンビバレンスも良くないんだけど、だからある種ちょっと批判的じゃない言葉のアンビバレントって全然批判的じゃない気がするんですよ。だから非常に良いと思うんですね。
だから不安みたいなやつですよね。そういうものを力道的に検討していくというのが良いんじゃないかと。ようやくそこまで行きつけてきたわけですね。
気の使いすぎみたいな言い方をしても良いんですし、甘えとかも良いと思ったらやや批判的なニュアンスを帯びちゃうなってのはあるんですけどね。他者目線とか、罪悪感も悪くはないと思うんですけど、ちょっとこの言葉は強めだなって思うんですよね。
罪悪まで、知識の根ならまだわかるんですけどね。今日はアンビバレントにしておこうと思う。やっぱりですね、ライフハックはかなりこれで説明がつくと思うんですよ。最近出した本もそうだったんだけど、いつまでもダラダラとスマホを見ちゃうって。
これに、ここに葛藤あるじゃないですか。早く見るのやめよう、でも見ていたいっていう非常にシンプルな葛藤で、私はこのアンビバレンスっていうのをよく山嵐のジレンマで例えられるんですけど、あれでわかったような気になるの良くないと思うんですよね。
27:12
この感情に関しては、その行動の葛藤に比べても感情のこのジレンマと呼ばれているものは、混ざってるって感じを強く与えすぎると思う。混ざってるんですよ、もちろん。混ざってるんだけど、混ざってるってことはある意味、統合されてるわけですよね。
精神分析のすごく重要な考え方に、統合されているのか、全然統合できていないのかを問うっていうのがある。で、これを問うと、はっきり問うちゃうと異論になっちゃうんですよ。ほとんどの人はスプリッティングとか会議までは本当の意味ではいかないんですよね。
で、私もついついこの言葉を使っちゃうのは、やっぱりこう、ジレンマっていうことだけを言ってると、そうですね、難しいのは、んーっとね、でもここにもやっぱり精神力動というものをわざわざ適用する理由があるんですよね。山下晴氏のジレンマだよねって言っているだけで済むならば、精神分析は必要ないと思うんですね。
精神分析というのは、やっぱりスプリッティングっていうところまで、そしてそれを力動的に解説したから、人は分裂すると。分裂と葛藤は違いますよね。分裂は説明しにくいんですけどね。
うちの子供が2歳ぐらいの時、めちゃギャン泣きしたっていうことがしばしば起こったんですね。あれが分裂なんですよ。つまり彼女はもう2歳の頃は完全に人見知りっていう概念が出てたから、概念というか態度があったから、家族大好きだったから、家族との関係は、それは不機嫌になることもあっても基本的には近づいてくる。
だから親に対する葛藤に近いものが出てきてるわけですよ。好きな時もあれば嫌いな時もある。みんなそうですよね。葛藤ってのは混ざってるわけで、ジレンマってのも混ざってるわけですよ。山嵐のジレンマだって結局くっつきたい、離れたいなんですよ。どっちかになっちゃわないじゃないですか。どっちかになってしまったら分裂なんですよ。
普通どっちかにはならないわけですよね。どっちかになるという時には心が無理やりどっちかにしてるわけですよ。こいつとは二度と近づかない。憎しみ一辺倒になりました。本来そういうことは起きないわけなんだけど葛藤が辛いから分裂してしまうわけですよね。くっついてるのが辛いから引き裂いちゃうわけです。
これ力道ですよね。引き裂くって力がかかってるじゃないですか。こういう説明の仕方をするところに精神分析らしさがあるわけですよ。葛藤がありますだけだとそれは単に現象の説明なんですよ。近づいたり離れたりするよね。葛藤があるんだよね。
だから例えば歯医者に行きたくなくて歯医者に行こうとしてるんだけれどもやっぱり扉を開ける前に帰ってきちゃいました。でもやっぱり行かなきゃなっていうのが普通の人間じゃないですか。ちょっと歯医者恐れすぎかもしれないけど。いやもういいんだ。虫歯になってもいいんだ。行かないことに決めたんだっていう時にその人はちょっと分裂しているわけですよ。本来それでは済まないはずなんだけど強引にどっちかに寄せてしまうわけですね。自分自身を。
30:25
つまり本来アンビバレンスなわけですよ。本来その人は力の綱引きがその中。だからジレンマっていう表現。あの人を愛しているし憎んでもいるみたいな記述だけするとその中にある力の緊張感みたいなもの。綱引きをして今にも糸が切れそうですっていうそういうテンションが見えてこない。見えにくくなってしまう。
むしろ精神力度っていうぐらいだからテンションの方が大事なと言ってる感じがするわけですね。だからそこには単なる量儀ではなくてむしろ矛盾があるってことなんですね。近づきたくてしょうがないが離れたくてしょうがないっていうのが両方同時にある。でも両方同時にあるってことはその人は心の中でその矛盾を必死に抱えているわけですよ。ここにコンテインって概念が出てくると思う。
だからコンテインっていうのはやっぱりスタティックなものではないんですよね。力があるわけですよ。だからあれをですねやっぱりペニスというやつに例えている。コンテインドですけどペニスは。大事なんですよね。吐き出してしまいたいというのと飲み込んでいきたいというのがつまりセックス中の話で。
この2つの葛藤が同時にあるっていうことが大事で行ったり来たりしてますでもないんですよね。山嵐のジネマって結局行ったり来たりしてるだけじゃないですか。あれは回避的なものにも見えるわけですよ。もっとこう力がかかってる。力がこもってる。だから意味がある。意味が生まれるっていうそういう感じがやっぱり必要だと思うんですよね。分裂しそうである。
そして2歳児。うちの娘の話をした時に2歳児は分裂しちゃうんですよ。抱えきれないからどうなるかっていうともう嫌だ。何もかもが嫌だみたいになるわけ。ガーッと泣いて30分くらい泣くんですよ。そういう時部屋中をこうね背中でね背中でこすりながら部屋中をぐるぐるぐるぐる回るんですよ。大泣きしながら。
うちの子は穏やかな子で1歳になるかならないかの時捕まり立ちを覚えた時もテーブルの端っこまで行くと一旦そこでしゃがんで、角をハイハイしながら回避してまた捕まり立ちをするっていうそういう何かある種の安全策と言いますかそういう賢明さを持ってる人だったんであんな風にならないんですよね。あれあんまりスプリッティングなんですよね。
憎くてしかし好きっていうそういうアンビバレントを抱えるにはまだ心が未発達すぎて。発達したって辛いじゃないですか。さっきの歯医者もそうですけど治療のためには行かなきゃならないけど痛い思いはしたくないっていうこのテンションの高さに耐えられないからどっちかに寄せちゃうわけですよ。
33:13
大好きな方に寄せてしまうこれを理想化って言いますけれどもだいたいそれも幼い子には難しいので大嫌いな方に寄せてしまうわけですね。もういいんだ家を出るんだみたいな2歳児なのにそうなるわけですよ。もう絶対無理だみたいなそういう風になるわけですね。自分がその嫌い親を嫌ってる自分に全寄せしてしまうこれがスプリッティングって呼ばれているものでだからスプリッティングとアンビバレンスは
やっぱりセットで理解しておくべき概念だと思うんですね。もう危うく立ち切れそうであるってところをつないでおけるのが大人なんですよ。だから山嵐のジレンマでは説明として不十分な感じがしますよね。2個体いますからね。
1個の心の中に2つの力がその矢印が正反対向いちゃってる力が入っていて抱え込めて抱え抱えて必死になっていると。だから心はこう熱くはならないんですけどテンションが高いわけですね。緊張しているわけです。
この緊張状態というのが私たちの生活の至るところで私たちを苦しめるのでそこでライブハックというものが考案されていってるはずなんですよ。早く起きたいけれどももっと寝ていたい。もっと食べたいけれども体型を維持したいみたいなこういうこれらは非常にシンプルなやつですけれども
だから会社の上司のことは好きだがこういうところはものすごく嫌だみたいなことが起こるわけじゃないですか。人間関係では非常によく起こる。これは両方が近づいたり離れたりする山嵐のジレンマではないと思うんですよね。もっと複雑でもっと心理的なものだと。やっぱり山嵐のジレンマというのは実際山嵐がああかどうかは知りませんが動物の行動を言ってますもんね。もっともっとことは心理よりなんですよ。
人間的なんだと思うんですよね。 このアンビバレンスというものに注目するとライフハック心理学みたいなものに非常に適応しやすくなっていく感じがするんですね。
人格障害とかそのいわゆる分裂症という問題を考え同じことになっていくんだけどメラニークラインの良いおっぱい悪いおっぱいがまさにこのスプリッティングの象徴なわけですがこれをこの概念を用いながら例えばなぜ朝スマホを見て特に休日午前中全くベッドから目は覚めてるんだけど抜け出せないのかの説明ができるはず。
できる気がするというかおそらくできるんですよね。納得されるかどうかは別ですがおそらくそれはできる。その時にスマホ凍らせるとかいう方法ではない方が、そういう方法を使ったとしても心の中のアンビバレントが解決されてない以上元に戻っていってしまうと思うんです。
36:16
心の中のアンビバレントというのは良いおっぱい悪いおっぱいに精神分析的に言えば良いおっぱい悪いおっぱいに起源を発していて親のこういう部分は大好きだがこういう部分はうんこみたいだっていうそういう心の中のテンションをもちろん我々はみんな収めてきているわけなんですけど多くの場合収めてはきているけれどもだから楽になってるとか
統合しきれているとかいうことはそうあるもんではなくて統合しきれないだからアブラハムっていう人かなり初期の人ですねクラインの先生ですけどアブラハムっていう人が発達段階に応じたアンビバレントっていうものを検討したのであれは非常に画期的だと思います。
フロイトはある意味フロイトも後にアブラハムに習っておそらくスプリッティングを導入したんじゃないかというように松木さん書いてましたけど松木邦博さんですねそうだろうなって感じがしますねなんかこうフロイトの発想にはないある種のこう真理のなんて言うんですかね成熟した読みみたいなところがあるんですよねフロイトやっぱりこう尖がってますからねいろんな意味で
あのまあそれこそ高文記とか高愛記高愛記のだからあれですよね高愛記におけるアンビバレントっていうのはお好みさんが好きなやつですけど非常にわかりやすいですよねここにある食べ物を食べたいこの食べ物がとても好きだでも食べてしまったらなくなるなくなる状態はいや非常に自己愛的な世界ですけれども
こう行きたい行きたいという気持ちと行くとすべてをなくしてしまうという恐怖我々はこの恐怖よく知ってるじゃないですかある人に告白するみたいな話でも必ず出てきますよねでも告白してしまって二度と口も聞けなくなるぐらいだったら黙っていた方がマシだつまりアンビバレントというものはこういう問題を同時に抱えるわけですよ行動すればいいって問題はないわけですよ
行動は破壊を生みうるから破壊するぐらいならこのままにでいた方がつまり何でもない友人関係でいた方がはるかにマシであるっていう割とこれは大人な態度じゃないですか
弱な態度ともされますけれどもねだからアンビバレントというのは決して気持ちの良い状態ではないがベターなものを温存しておくことができるでも明らかにこの温存という中には寝床でいつまでもスマホをいじっているっていう姿が見え隠れするじゃないですかつまりアンビバレントというのは必要だけれどもベストなわけでは決してないわけですよね
39:02
で発達水準に応じてナルシシスティックなアンビバレントから割と成熟したアンビバレントまであるわけですよ寝床の中でスマホいじっているのは明らかに非常に自己敗的な世界のアンビバレントでだからみんなあんまり良くないという感じがするつまりこういう評価を評価軸を持つことができること自体非常に精神分析的な観点をとってのことなんですよね
さっさと起きてもっと生産的なことをするべきだっていうだけでは言ってることは同じなのかもしれないけれどもそのなぜそうするべきなのかについての説明の説得力が私からするとはるかに弱いわけですよ
そのさっさと起きて生産的なことをとか有意義なことをっていうのは全然聞く気がしない話なんですね私的にはやっぱりそこには温存があるっていう指摘が私はニュアンス的にも必要だなって感じがします
なんかこういつまでもダラダラしていることによって得ているなんかある種の幸せ感みたいなものそれは告白せずにいつまでもあのめちゃくちゃ一流の人である異性と一緒にはいられるという温存という感じ
これは要するに母親にしがみついていたいという気持ちあるいはおっぱいを飲み干さずにいようという感じそんなことを赤ちゃんが考えてるのかどうか知りませんけれども
まあでもおやつとっておきたいっていう子供はいますから4,5歳になれば十分あり得るでしょ
交愛的な部分っていうのはこの辺はもう発達段階だと卒業するように言われるのかもしれないけどアブラハンとかどう考えるかは知りませんけどね
交愛期って我々は一生続くじゃないですか典型的にはあーでもこれを言うとあれかでも口寂しい時にいろんなものを吸ったり飲んだりするじゃないですか
でそれは体に悪いから何やめなきゃなっていうふうに言ってるかもしれないけどやめられないじゃないですか
それは良いおっぱいと悪いおっぱいが同居しているっていうことになると思うんですよね
同居しているというかその両方へのベクトルを心は持っていながら両方持っちゃったままにしてあるというようなことだと思うんですよ
これはやっぱりそのいろんな形で今の交愛的な葛藤について喋っただけですけれどもいろんな形で出ますよね
脅迫的には非常によく出ますよねだからさっさと家から離れてしまいたいんだけどやっぱり家から出ると不安になるから戻ってきてしまいますと
その時にそれなりの理由を用意してくるわけですよ人間の心というのは閉じまりがあれだったかもしれないとか
忘れ物をしたかもしれないとかいくらでも理由がつくわけですよねでも家から出るということは我々はやっぱり親から離れるという不安を連想させられるし
家に戻るということは結局独立できずにいつまでも同じところに留まっているとそれはそれで嫌だとつまり葛藤があるわけですよね
脅迫的な葛藤っていうのはみんなこんな感じがするじゃないですか例えば新しいブログにちょっと思い切ったことを書きたいんだけどみんなにバカだと思われるかもしれない
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しょっちゅうそういう話されている方ってかなりの数いらっしゃると思うんですよね
というかだいたい昔そうだったけどブログの塾の先生みたいな方ってみんなどんどん書けばいいんだみたいな
そんな炎上なんか気にするなみたいなことをみんな言ってたけどつまりそれで成功してるからなんですけどこれはあれですよ
ある種スプリッティング的というかまあそれを人は統合しているのかもしれないけれども馬鹿にされたっていいじゃないですか
そんなに馬鹿にされませんよみたいなそれはそれで統合的な態度かもしれないけどやっぱりそれを言うだけでもすでに葛藤はあったことを案にしさしていますよね
馬鹿にされるのは嫌だけれどもちやほやはされたいとか有名にはなりたくてお金も稼ぎたいけれどもみんなに叩かれるのはやめたいっていうそういう葛藤ってのは普通にありますよね
そしてそれがテンションが低い間は単に良議的でしかないかもしれませんけどもう両方が抜き差しならないところまで行き始めるとものすごく心の中の綱引きが強くなっていくわけですよ
でブチってやるわけにはいかないわけですよねブチってやるっていうのはもしかすると一生書かないみたいになる可能性がそういう人もいますもんね筆を折るみたいな表現とって
だからこのブチってやるっていうのはスプリッティングですけどやっぱりこう我々はそれつまりそれが d ポジションの確率の失敗なんですが欲打つポジションに至れて欲打つポジションに至るためにはアンビバレントを心が持てるようになる必要があるわけですよ
結局はねそういう欲打つポジションまで入れない段階だとうちのこのギャン泣きみたいになっちゃうわけですよ心の中の話ですよ本当にはギャン泣きしないでしょうけどいやもう俺はブログやめたからみたいになるわけですどっちかに寄せちゃうわけですよね
アンビバレントってのは辛いんで
で我々はアンビバレントの辛さっていうものはみんな多分別にそれはアブラハムが書いてる通り精神病に限った話では全くないと
ウロイラーはその前の段階フロイトのほとんどお友達みたいな人は統合主張症の一つの特徴としてアンビバレントを見たんですよね
だけどフロイトがそれに感情的アンビバレンスみたいなのを導入してアブラハムが相当それを整理して神経症の人にも当然アンビバレンスはみんな見られるじゃないですか
そりゃそうですよねみんな見られます起きようかなどうしようか悩む人によってはあれじゃないですかトイレに行くかどうか悩む人もいるじゃないですか
これぐらい広範囲に見られるししかしここにすごく力動的なものの特徴があるしアプローチできるものもあるのではないかと考えられる気がするんですよね
それはやっぱり私にとってはライフワーク心理学なのかなにとっては一つの大事な要素だなというふうに思いますね
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