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2024-06-12 10:42

生活コストを下げると、短期的な快楽や見栄に踊らされなくなる


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こんにちは、いわみです。
6月12日の水曜日、いかがお過ごしでしょうか。
今日は昨日よりももっと暑くて、完全に夏のような気候ですけど、
子どもの小学校は今日がプール開きなんですよ。
ちょっとそれが羨ましいぐらいですね。
暑い1日ですが、
僕も一緒にプールに入りたいような気持ちですけど、
本当にそれやったら捕まってしまうのでやりませんが、
今日も短く話していきたいと思います。
昨日の配信で、パンとサーカスという話をしたんですよ。
とある本で読んだこの言葉が、ちょっと面白いというか心に残っていたので、
それについて自分で思うことを喋ったんですけど、
ちょっとその続きというか、
喋ってみたらまた別の視点が出てきたので、
繋げて続編みたいな形で喋ってみたいと思います。
多分この話、ほとんどの人はあまり興味がないというか、
僕の切り口が硬すぎるというか、
真面目腐っているのがあれかもしれませんけど、
数字は全然伸びていないんですけど、
それに見えずにというか、あまり気にせずに話したいことを話すというスタイルでやっております。
それでパンとサーカスという概要を言ってみると、
これは何の言葉かというと、
もっとかいつまんで言ってしまうと、
短絡的な快楽とか食料とか娯楽に紛らわされて、
目をくらまされて、
本質的なもの、より人にとって重要なものを奪われている状態でも、
人はそれに気づかずに支配する側に都合のいい、
民衆というか、愚民政策という言葉ですけど、
これは昔の話です。ローマの話。
ローマから出た言葉ですけど、
この構造みたいのは、ちょっと複雑化して、
今の僕らが生きている現代にもちゃんと残っているよなということを、
僕は昨日言いたかったんですね。
みんな日々一生懸命働いて、あまり意味がないかもしれないと思いながら、
ストレスをためながら働いている人って世の中にいっぱいいると思うんですけど、
それによって得られるものが本当に必要なのかという、
人によっては耳が痛いというか、むしろ腹立たしく聞こえてしまう人もいるかもしれませんけど、
多分何年か前の僕もこんな話を聞いたら、
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チャンネルを変えていた可能性というか、音声配信を切っていたかもしれないですけど、
でもこれはやっぱり目を逸らしちゃいけないなと、
短絡的な快楽に隠されて、
より重要な本質的なものを奪われているというか、見失っているというか、
本質的なことというか重要なことというのは何かというと、
固い言葉で言ってしまうと、多分尊厳みたいなね、人の尊厳みたいなことだと思うんですけど、
もちろんね、自分にとって何が必要とか何が重要なのかなというのは、
そんなものは自分で決めればいいわけですよ。
別に人にとやかく言われることではないから、
もしかしたら人によっては毎日ね、酒を飲んでタバコを吸って、
ジャンクフードばっかり食べてですね、健康を害していても、
これが俺にとっての幸せなんだという人がいたら、
本当にそれを心から言っているのであれば、
よその人間がそれについて、とやかく言う筋合いはないわけですけど、
今のは単なる例ですけど、やっぱり僕からするとそういう人は、
盲目になっている気がしてしまうんですよね。
今言ったのは極端な例というか、
現代ではそんなにいない人間の例かもしれませんけど、
例えばね、別の例を持ち出すとすると、
あまり適切な例が思い浮かばなかったんですが、
例えば一昔前で言うと、ブランドバッグとかブランド服を買うためにですね、
何か意味そまない仕事とか、ストレスのたまる仕事をしている人がいたとして、
あるいは自分の子供がいい学校とかいい大学に行くためにローンを払ってね、
ストレスのたまる仕事をしている人がいるとして、
それが本当に大切なもの、必要なものだと思っているんだったらいいけど、
例えば見栄のためとか、情報に踊らされてそれにしがみついているんだとしたら、
それは愚かというか、少なくとも持続があまり可能じゃないですよね。
バブルの時とかだったらまだしも、
今の時代でそれに近いことを欲している人がいるとしたら、
たぶんほとんどの人はあまり幸せになれないんじゃないかなと、
物価だけがどんどん上がって賃金が上がらない日本ですけど、
その時にどういう行動をするかというのはその人次第なわけで、
給料上がらないなと文句をぶつぶつ言いながらそのままの生活をするのか、
とりあえず生活コストを下げて、自分の大事なことのために集中してお金を使っていくのかとか、
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やりようはいくらでもあると思うんですよ。
その時にパンとサーカスの例えでいうと、
満足できる域値みたいなのが高すぎると生活をなかなか変えられないと思うんですよね。
物価が上がったからもっと残業してお金をいっぱい稼ごうって実際に稼げたらいいし、
でもなかなかそうは今いかない世の中にもなってきているし、
それを続けていたらたぶん体を壊してしまうし、場合によっては心を病んでしまうかもしれないし、
本当にそこまでやって得る価値のあるものなのかというのを
もう一回よく考え直してみる時期に来ているんじゃないかなと僕は思っているわけです。
ここで僕が提案したいのは生活コストを下げることなわけですけど、
実際僕は実践しているんですね。
地方に移住して自炊して在宅ですけど、
子どもの教育とかにもそんなにお金をかけられる余裕はあるわけじゃないけど、
でも少なくとも毎日長い時間一緒にいられるし、
彼に何か心配事とか不安なことがあったら、
他の親よりも僕は長い時間彼の話を聞いてあげることもできるし、
一緒にいたり一緒に遊ぶ時間もあるわけですよ。
それをやっているのは僕が人間にとって必要なものというか、
子どもが大きくなるのに必要なものとして、
外部に委託する教育よりも、それは学校を含めですけど、
でも小学校ぐらいの子どもにとって一番大事な教育というのは、
一番近くにいる大人がちゃんと守られている感覚みたいなことだと思うんですよね。
そういう根っこのところの一番大事な部分の根っこが今の時期に醸成できてしまえば、
あとは好き勝手やっていくと思うんで、
もう何年かしたら多分親のことなんで気にせずにいろいろやっていくと思うんですけど、
それでいいと思っているわけですよ。
わりと当たり前のことを言っているように聞こえるかもしれないけど、
周りの子育てしている人というのは、なかなか子どもと過ごす時間も短いし、
たまってやれていない人は多いなという印象があるんですね。
もちろん別に長い時間一緒にいればいいということじゃなくて、
時間は短くてもちゃんと見てあげられればいいわけですけど、
でもやっぱり小さいうちというのは、ある程度じっと観察するのが大切なことってあると思うんですよね。
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じっと見ている特性とか、この人は何を求めて、どんなことに興味を持っている人なんだろうというのです。
わりとぼーっと見ていないとわからないことって結構あるなと思うんです。
そのわりと当たり前のことをするには余裕が必要なんですよね。
時間の余裕とか、心の余裕とか、目をかけてあげるだけの余裕がないとそれはできなくて、
その余裕を作るためにはある程度生活コストみたいなのを犠牲にしてでも、
自分の時間を年質して、たまに思った通りに仕事ができないとか、
ちょっと生産性が悪いというか、自分の生産性の上げづらさに苦しさを感じることは正直あるんですけど、
今はそれでいいのかなと思っています。
ちょっと最初の話からずいぶん方向が反れてしまったような気がしますが、
多分僕が言いたかったのはその後半の話ですね。
パンとサーカスから話は始まりましたけど、後半はだいぶそれから反れてしまった場所に行ったけど、
おそらく僕の言いたいことは後半の部分にあったなと思って、後で自分で聞き返してみようと思いました。
ずいぶんまとまっていない話ですが、今日の話はこれで終わりにしたいと思います。
お聞きいただいてありがとうございました。
良い一日をお過ごしください。さようなら。
10:42

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