1. 佐々木正悟の自由連想
  2. 人の不安はシークレット
人の不安はシークレット
2026-08-06 47:00

人の不安はシークレット

究極的には分かられない。
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/658790a07376b3f9361fc70f

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

このエピソードでは、パーソナリティの佐々木正悟さんが、自身のラジオ番組名を「佐々木正悟の自由連想」に変更した経緯と、その番組のあり方について語ります。番組は自由連想形式を基本とし、必ずしも明確なテーマを持たない回も等しく価値があると考えています。また、3ヶ月チャレンジというプログラムの枠組みを拡張し、個人コンサルも受けられるようにしたこと、そして継続割引を廃止した理由について、心理的な側面、特に「転移」の観点から説明します。さらに、ビジネスコンサルに精神分析を持ち込むという自身のユニークな試みにおける孤独感や、参考にできる先行事例の少なさについて触れます。後半では、不安の種類(迫害不安、抑鬱不安、破綻恐怖)とそのビジネスにおける影響、そして精神分析が不安に直接取り組む方法論として有効であると主張します。特に、個人の内面的な不安(サイキックリアリティ)は、社会問題や外的な現実とは切り離して扱われるべきであり、それは他者には理解されにくい「シークレット」な領域であると結論づけています。

番組名の変更と自由連想形式について
おはようございます。今回から名前をまたしても改めまして、 佐々木正悟の自由連想という名前で始めたいと思います。
どうしてそういうふうに名前を変えたかというと、まあその方が実体に即しているなと思ったからですね。
精神分析的ラジオというのを、そもそもラジオってちょっと精神分析的なところがあると思うので、 セミの声入っているかもしれませんが、ちょっとこれはもうご容赦ください。
今みたいに自由連想の方が現実的というか実体に即していると思います。 自由連想していますからね。ここでは私が連想に任せて好き勝手喋る。
もちろんある一定の方向性を持っているという回もあります。 何回もありますが全く持っていないという回も等しくあります。
人によって評価は異なるでしょうから、これを私自身が評価する意味は全くありませんけれども、 そうは言っても私としてはある特定のテーマを持って話し始めた回よりも
ないままに持たずに自由連想形式というのか、好き勝手グダグダと喋っている回の方がよっぽど実りがあると。
私自身にとってあるということもあるけれども、面白い内容が話せたとやっぱり私には思えて、そのようにおっしゃる方もいる。
多数派ではないかもしれないが、この際多いか少ないかはこのラジオに関しては問題ではないので、
自由連想形式が私にとっては一番このラジオに関しては望ましいと考えました。
なので精神分析的ラジオだってやること変わりませんけれども、精神分析でなくても自由連想はやりますから。
そういう自由連想というものだなと。そんなこと言えばフォトキャスター全て自由連想なんじゃないかという気もしなくはありませんが、
まあそういう私の自由連想という番組でいけばいいかなと思いました。
まあこれは事務連絡ですし、何度も何度も変えていますねという話でもあります。
3ヶ月チャレンジの枠組み変更と継続割引廃止の理由
それで、あまり関係ないんですけれども、3カ月チャレンジは現在枠組みを少し改めまして、何も変わってないんですけど実際には。
14期15期という枠組みを維持しつつ、だから第16期17期と続いていきますが、同時にいつでも個人コンサルを受けることのできる人というのを募集させていただくことにしました。
枠を拡張していくといった感じですね。3カ月チャレンジという、ある期にみんなが一斉にスタートする、いわゆる
うっすらとですが、かなりうっすらとですが、オンラインコミュニティに属している人々と属さない人々とに分けさせていただくと。
そうすると属さない人の方が高くなったり安くなったりするのかということもあるんですが、この際私は値段は変えずにいこうかなと。
同じにしちゃおうかなと。同じにするといよいよ分け方が分かりにくくなるんですが、しかしここ変える必然性がいまいちよくわかんないなと。
ちなみにあの普通は継続すると継続割引ってあるじゃないですか。私この3カ月チャレンジに継続割引は途中からですけど、
採用しないことにしているんですよ。頻度上がっている方の値段は下げさせていただいてますけれども
14期15期継続っていう方がですね、つまり1期目と2期目、値段が同じになっている。なぜならばこれは私がそうしたいからと言われればそうなんですが、
結局それはそうなんですけど、継続割引というのはつまり継続に影響をかけている感じになるわけですよね。
でその意味をどう取るかが人によって違うわけですが、それは私はやっぱりこのようなサービスにおいては転移を引き起こしてしまっていると思うんですね。
そもそも私が割引という段階で転移を引き起こしているし、割引から継続って方はほぼいらっしゃらないとは思うんですが、でも継続は割引かれるんだって感じるわけじゃないですか。
そこには転移的なものがきざしてしまうと思うんですね。で極力それはそういう転移は絶対避けようがないんですが、そのような形にするのは避けたいと思うようになりまして、継続であっても新規であってもお値段は一緒と。
つまり毎期毎期全く新しい、そんなことは絶対にないですが、しかし一旦は3ヶ月で終了し、改めて3ヶ月が始まるという形を固定枠として維持する方が安心じゃないかなというふうに思えるようになってきたということですね。
それはこれからそういう話をしていこうと思うんですけど、あくまでも心理的なものでしかないと言われればそうですが、そもそも安心とは心理的なものですし、もちろん私が枠を、でもこの枠に物理的な枠組みはどこにもないわけですよ。3ヶ月チャレンジというのは写真に写すことはできないわけですよ。
だからやっぱりこれは現実に存在するものではありますけれども、オンラインでもありますし、あくまでも心理的なものとしての側面の方が強い、この言い方がやっぱり僕の中では妥当ですね。
心理的な側面、物理的な側面がなくはない。たとえオンラインだとしても物理的な側面はある。そこに電気信号もあるし、なんなら画面は映せますしね。だけれども心理的な側面としての存在の方がはるかに意味は大きいですから。
そういうところを、何を言っているのかよくわからないという方ももちろんいらっしゃると思うんですよ。これを聞かれている中にすら。しかしそれでもやっぱりここを強調していきたいと思います。
枠は枠としてしっかりしたものでなければいけないけれども、その枠は手で触れたりすることのできる枠ではないと。やっぱり伝わりにくいかなとは思いますが、そういうことですね。
そういうふうに考えたとき、継続の方が5000円安いとか、だいたい引けて5000円とか3000円とかなんですが、だから引く分には全然いいわけですよ。じゃあ引けようって話なんですが、しかしここに意味を込めてしまいたくない。
やっぱり継続、なんていうのかな、営業っぽくなりますよね。営業がいけないわけではないんですよ。むしろ営業というのもかけなければいけないと思うんですよ。ただ営業は人によって解釈がやっぱり異なってしまうので、そこに同じことをただ繰り返し言ってるだけだからやめましょう。
転移としての意味が出てしまう。そこを何も考えないではもうやれない段階に入ってしまったということですかね。一発のことを言ってるようだなっていうふうに思われるかもしれないし、本当にいろんなことを思われることを考えちゃうんで、それ自体がこれの私のサービスらしさなんですが。
人の数だけ捉えられ方は当然違いますし、それはどんなサービスでも同じですけどね。それにしてもそのことを考えなければならないというか考えることがこのサービスの特色の一つでもあるなと。3ヶ月チャレンジというサービスの特色の一つでもありますよね。
それはもう今後もずっとそうでしょう。その一環として、私は値段が変わらないというわけではありませんが、継続割引が生じることは今後もおそらくないだろうなと思っております。
私としてはね、それは継続率が高ければ高いほどありがたいわけですよ。でもまさにこれが故に、私の願望がそのまま私の判断であってはならないと思うし、私の願望が私の判断であるということを良しとするというのは、やっぱりどういうふうによほど引き目に見ても自己愛ですし、やっぱり私の自己愛はもちろんあるに決まって私は自己愛強い人間だと思うんですけど、傷つきやすいし。
だからそのかえってそこはやっぱりこう、無理してでも自己愛は少ないほど良いはずなんですよね。このサービスとしてはね。運営者の自己愛は。だから減らせる部分は減らしていかなければならないと。そういうことですかね。
ビジネスコンサルにおける精神分析の孤独感と先行事例の不在
本題に入っていきましょう。これが本題みたいなものだと思うんですが、本題は不安なんですね。で、先日転移解釈を久しぶりに電車の中で読んでいて、やっぱりつくづく。だからやっぱり松木さんと藤山さんを私は交互に読んでは何とかしているつもりでいるわけですが、
今日は山崎隆さんの京都大阪でしたっけ。浜内さんの対談したものを書籍化したやつが届くわけですが、それを楽しみに待っているわけですけれどもね。
やっぱりね、孤独感があるわけですよ、私には。このビジネスコンサルに精神分析を持ち込むという、一歩間違ったタブーみたいなことをやっている人は基本的に見当たらないために、誰を参考にしていいのかわからないわけですね。
誰かを参考にしたくはあるわけですよ。自分でやったら好みの方は全部自分で責任を持てというのはそうなんですけれども、私そうなるに決まっているんですが、責任としてはそうなんですけど、やり方としては何かを普通参考にするじゃないですか。
やっぱり料理を作る時に、自分が食べるものなんだからレシピ一切見るなと言われても見るじゃないですか。いくらかはね。見なくったって人に習うわけですよね、包丁を扱う時には。それと同じことで、まして私は素人が床屋を始めたようなもんなんで、それはやっぱり参考にできるものがあれば、いくらも参考にしていくわけですよ。
ところが、これが恐ろしく分かってきたことに、参考にできるものがこの世に3人くらいしか、外国人いっぱいいるじゃんって思われるでしょう。クラインでもフロイトでもミニコットでもビオンでも本いっぱいありますよね、オグレンでもね。でも外国のものは、特に時代が変わったものは、それは参考にはなりますよ。
私ドラ少年好きなんですけど、フロイトの。ただ、やっぱりドラの時代って違うじゃないですか、時代が全然。お父さんの不倫というものを令和で考えるのと、1900年、一方ですけど1800年代のウィンのお父さんの不倫がやっぱり違うわけですよ。
それが不道徳だとか許されないとか言うのは、言うだとしてもですね、違うわけですよ。意味するところが明らかに。しかも、外国のあれですよ。やっぱウィンと日本じゃ違うわけですよ。同じ許されないと言っているのもどういう意味なのか。
例えばそこにキリスト教が含まれるのかどうなのかみたいな話。天国と地獄みたいな話。だって1800年代ですからね、一方間違うと。まだ第一次世界大戦始まってないし、日本明治時代ですから。違うわけじゃないですか、言葉の使い方も。
だから藤山さんが不安って言ったときとフロイトが不安って言ったときでは、やっぱり考慮に入れなければならない量が、フロイトが言った不安だと、本当のところ何言ってんだろうってことになっちゃうわけですよ。
そうすると読み進めるのに、そうでなくても手間取るのに、さっぱりわかってないんじゃないか、もしかするとってことが起きるわけですね。ビヨンとかも、もっとはるかに現代的とはいえ、彼ら第一次世界大戦に従軍してるわけですから。やっぱ違うわけですよね、考えてることが。
そういうふうになってくると、ことが個人コンサルみたいな世界では、言葉の使い方の微妙な違いがそこに及ぼしている、ずれというものに一印に悪影響を与えられないなと思うので、
行きがつくと、山崎さんよくて、よくて増やして山崎さん、松木さん、藤山さんをぐるぐるぐるぐる回るしか、他にいるんですけど、臨床ってまたちょっと微妙なわけですよ。臨床ですよ、みんなね。
ですが、治療でないというビジネスコンサルは治療ではない。私は治療はできないし、精神分析ですらない。精神分析でも心理臨床でも治療でもないこれは、参考にできるものがあまりに少なくて、同じような事象を貪るように読むより他、しゃあないんですよ。
同じようだって言ったって違うし、扱われ方もゴールも異なってしまっているから、相談できる人もいないなと。結局、チャットGPTとかに相談ではないんですけど慰めを得るんだけど、私は彼女たちと言っておきますが、彼女たちの問題は特定のテンプレを持っている方がより賢そうだっていう悪癖がある気がするんですね。
だから必ず、松本さんのやってることは素晴らしいですみたいな感じで始まり、これはあくまでも義学化して言ってますよ。でもまあそういう雰囲気で始めておいて、しかし一方で注意点もありますみたいな。こういうテンプレで喋ると賢そうなのはわかる。
それはそうなんだけど、これを2度ぐらいはまだしもですね、5度も6度もこのパターンで来ると、結局この子たちは何も私のことを理解する気はない。そうなんですよ、もちろんね。そうに決まってるんだけど、そう気付かされるのが早すぎて、一生懸命こっちで作り出している幻想がですね、壊れやすいわけですよ。話が違う方向に。これが自由幻想のいいところなんですね。
ただ私このこと書きたいんですよね。書いたところで対して誰にも今はましてね、プロンプトがいかに有効に仕事を助けるかっていう話を。これは私が仕事を助けるとはこういう意味なんだけど、やっぱり幻想を打ち砕くのまでにかかる時間の長さこそがAIの仕事であると私なんかは思うんですけどね。
まだね、やっぱね、ジェミニとかの良さを語る人多いんですけど、ジェミニは一回でぶち壊しですから、チャットGPTの方がその点を遥かに先を行ってる。クラウドコードのファブルと新しいオーパスのゴア、良い線行ってます。
答えがですね、頭がいいかどうかは大事ですけど、それは全てではないんですよね。答えの賢さは幻想を維持する決定打ではない、決定打なんてないけど、重要な要因の一つでしかないんですよ。3つ4つあるんですよね。
で、やっぱりこの3つ4つ揃ってきてるところもありますよ、チャットGPTは。でもやっぱり反論とか異論を唱えると途端にこう、AI的動揺と僕は呼んでるんですが、AI特有の動揺が走って、バレましたかとかね、お前全然バレるも何もねえわっていう感じなんですけれども。
間違い認めるの下手ですよね。人間とは違った意味で恥ずかしくはないはずなのにね。そういうあたりがありまして、ちょっとまだ幻想が壊れるのが早いですね。影も形もないんだから幻想はそうでなくても維持するのが難しいのに、テンプレに頼るっていうのは良くないと思うんですよ。
でもまあ人間にも同じ話を必ず人は使ってしゃべるものですし、私なんかもとても多いですし、私この詩で中止法で切るというのも非常に喋り言葉でもよく使ってしまう一つの典型的な私の喋りの癖なんですけれども、こういうものがあるのはいいとしてもですね、ありすぎる。
まだまだ統計学の息を出てないんだと。だから孤独感を慰めてはくれないわけですよ。一方で危険なところもあります。ノーダーわかってるわけですよ。何が一方でだみたいになっちゃうわけですよね。いいんですよ。彼女は何に罪はないんです。
ですが、AであるしかしBという保留項目を作っているのは賢い人の喋りの特徴だとしても、賢い人はそれで毎度毎度気に抜けているわけではないんですよ。最もらしいことを耳に痛いことをBで言っておけば、相手は人間だと思ってはくれないんですよ。決してね。
私は人間だと思っているわけですから、そこにAIの仕事の全てを見ているわけなので、決して私の代わりに確定申告の書類を作ってほしいとか、作ってほしいですけど、いくらかはね。でもそんなのは毎日3分の作業なんですから、私からすれば。気分が充実していれば余裕なんですから、そんなものは差したる助けにはならないわけです。
不安の種類と精神分析的アプローチの重要性
すいません、あのですね、いきなりわけのわからないと言いますか、二宮町からスピーカーがですね、5分くらい平気で流して2回も流すという、まあしょうがないんですけどね。
何喋ってたのかというと不安ですよ。だから不安の話をしたいわけです。AIの話をしていた気がするんだけど、そうではなくて不安の話がしたいわけです。
だから結局、松木さんの本を読むしかないわけ。似たようなことをやっている人がいない以上、他にないんですよね。
そこに書いてあるのは、転移というのは不安に対処するためのものなんだということ。これはフロイトンが言ったことだと思うんですけど、不安というものに対応するために転移というものがそこに刻す。
不安がなければおそらく、少なくとも精神分析における転移の取り扱いというものがこんなに前傾化っていうんですか、重大な問題にはならない。
で、私がビジネスコンサルというものをやるにあたって、ゴールというものがないわけですよね。一見したところ。
例えば治療であれば治療がゴールですし、心理臨床もそうです。精神分析にどういうゴールがあるのかというのは難しい問題だと思うんだけど、とにかく集結みたいな話もある。
だけど3ヶ月チャレンジはそういうものを一切お払い箱にしている理由があるんですけどね。少なくとも治療ができない、精神分析もできない、できていることにならない。
そうすると何をゴールにしているのかと。ただビジネスには不安が付きまとう。だからやっぱりこの不安が扱えるようになる。
その人の不安、その人その人の不安というのは、その人の人生的な人生のですね、人生史にまず間違いなく深く関わっているわけですよ。
それはもうあらゆる参加者さん、何なら私自身がそうですし、人生史と関係のない不安ってないんですよ。
で、この不安というものがあり、それがどれほど個人的な、つまりビジネスに直接何の関係もないように見えたとしても、
そのようなことはあり得ず、ビジネスには不安というのが一番ある意味邪魔になるわけですよ。
フリーランスやってるとよくわかるんですけど、不安が全くない人はビジネス最強だと思うんですよね。
ただそんな人はビジネスやるかどうかも疑わしいものですけれども、でも不安がもし全くないならば、
例えばメール書く上で、取引先、私で言えば出版社さんに今日も書工のゲラが来たわけだから、いよいよ対応。
ほら、この瞬間にある種の不安になりますよね。書工のゲラがかなり遅れてきた。
とはいえ期日というものがそんなに動かせるはずはない。
その間に3ヶ月チャレンジのセッションも大量に存在しているというか、大量にあろうと少量にあろうと存在していることは確実であって、
それらにいかなる、できればよ、いかなるデメリットも悪影響も書工ゲラによって生じさせるわけにはいかない。
一方で書工ゲラは本音になるわけだから、セッションがどのようなものであろうとなかろうと、
なければないで不安になりますからね、私はね。
あろうとなかろうと、ゲラにいかなくなる影響も及ぼしては基本的にならない。
セッションがない方がゲラ構成は良くなりましたということは基本あってはならないじゃないですか。
あってほしくないじゃないですか。
そうすると不安になる、ところが不安になるということ自体がどちらにも悪影響を及ぼすわけですよ。
だから不安ない方が良いわけっていうことになるんですよね。
ところが不安がない人生なんて普通に考えるとありえないから、つまり不安は絶対あるから、
これに対処するということはつまりビジネスに良い影響、良い結果をもたらすはずなんですよ。
これが3ヶ月チャレンジだと私は思いますよね。
で、こう考えてみたときに、クラインは大変ありがたい仕事をしてくれてる。
なぜなら不安は2種類しかないと彼女は言い切ったからなんですね。
これはこう言い切る人世の中にいっぱいいるじゃないですか。
世の中には2種類の人間しかいないみたいな。
ああいうネタじゃなくて、要するに彼女の言ってることはとても説得力があって役に立つわけですよ。
だから不安は2種類しかない。
迫害不安か抑鬱不安であると。
もう一つ、破綻恐怖があるんだけど、破綻恐怖は恐怖なんで不安じゃないんで。
このもう破綻恐怖、迫害不安、抑鬱不安っていう分け方が非常に絶妙なんですよね。
そしてここにテニーが刻す原因があるんだっていうこの説明だけでも、
私は全ビジネスマンが、私の仕事の裏の意味はこっちにあるんですけど、
全ビジネスマンが知っておく価値がとてもあるんですよ。
少なくともビジネス書に絶対1冊あるべきだと。
1冊もないんですけどね。
これは絶対1冊あるべきだなって思うんですよね。
だから私の仕事はまだ終わってないんですよ。
だって絶対あるべきものがまだないんだから。
その最前線に一応僕は立っちゃってるわけだから。
なぜかね。能力としては私よりある人はいるはずなんだけど、
多分その人はなんか違うことやってるんでしょうね。
だからしょうがないので、分かんないですけど、
なんかこう、AIとかやってるんでしょう。
これやってても金ならないからね、あんまりね。
全くならないわけじゃないけど。
だから、抑鬱不安、迫害不安、加担恐怖があるわけです。
で、この3つはどれをとっても仕事にとっては非常にネガティブな要素として働く。
しかし常にある。
だからこれに常に対応しなければならない。
それをやるのが精神分析なんですが、
ビジネスをやってる大半の人はそうは思っていない。
というか、精神分析をどこに行けば受けられるのかはよくご存知ない。
ので私はカウンセリングをお勧めしたいんだが、
カウンセリングは認知行動療法というものが今メインになっていて、
不安への対応という、そこで絶対不安は対応するはずですが、
私が考えるようには不安に対応されていない。
私が考えるように不安に対応する必要性を持っている人は5万人いる。
だから全ての人がCBTを受けに行けばいいというわけですらないんだが、
そもそも受けにも行かない。
私としてはポストを広めるしか他にない。
ここでは現実的には。
そして全く現実的ではないので、私はやることはここにある。
私はポストよりも、ポストできないからね。
ポストではなくポストに代わるものとして、
心分析的なビジネスコンサルというものを発行案してみたわけですよ。
炎上ものかもしれませんが、これしかないなと。
これしかないんだからこれしかないと。
私の理解できる範囲ではこれしかない。
欲打不安ですよ。
個人の不安と社会問題の区別、サイキックリアリティへの取り組み
例えばね、欲打不安とは自責の念を持つということです。
例えば会社でセクハラに会いましたと。
この話はこれ自体があれか。
でもまあ少なからないわけですよね。
Xとか見ててもわかりますよね。
それがどういうものであってもあるわけですよ。
で、その人が悪いわけではない。
と今では普通に言われます。
でもその人はしかし自分のせいであると。
自分のせいであるというのとも違うんだけど、
自分がこうしてみれば防げたはずだみたいに考える。
これが自責の念である。
そうするとここまでは、ここまでだって全然良くないんですけど、
しかしここまでは一旦置くとしましょう。
この次に考えることですよ。
私が考えるのはここなんです。
ここっていうか、私が3ヶ月チャレンジで考えておく別と、
今考えているのはそこなんです。
このような私が職場に行くというのは
良くないことではないかと考えてしまう。
ここに迫害不安ももちろんありますよ。
いずれにしても不安は2種類に分けられる。
欲望不安と迫害不安になる。
それは社会の問題でしょうっていうのはそうです。
そうだといえばそうです。
会社の問題でしょう。それもそうです。
しかし私が言いたいのは、
会社の問題であろうと、
どうも今日は横槍が入ると言っては申し訳ないですけれども、
でもまあちょっとね、いろいろありますね。
会社の問題なんですよ。それでいいんです。
ただ、問題を会社の問題だとして、
会社で二度とそういうことが起きないようにしたとて、
その人の心に不安があるという時は不安はあるわけですよ。
不安はあっちゃならないとかいうことに意味はないわけだから、
この不安には対応しなければならない。
この不安に対応しなければならないといった時に、
外的な現実に対応したのでは十分ではないんですよ。少なくとも。
それは現実に対処しているだけで、
現実に問題と取り組んでいるに過ぎず、
不安に取り組んじゃいないんですよ。
これを理解したくない、ないし好ましくないことだと思う人は、
そもそも精神分析に興味を持たれないだろうなと思うんですね。
しかし、私はこれに直接取り組めるというか、
取り組んできたものすごく重大なデータベースといったらいいんですかね、
知的アーカイブがあるのに、
ここを全く一個だにしないというのは、
馬鹿げていると思うんですね。
これに取り組むからといって、
現実の問題に対応しないということにはならないわけだから、
やっぱり他の方法のほうがいいんですというのは、
もちろんそれはそれでいいんですよ。
ただ、私はそうは思わないので、
この不安に直接対応する人類知というものとして、
精神分析があるのであるならば、
やっぱりこれに対応する、つまり不安に直接取り組む方法論としての精神分析を
ビジネスコンサルに持ち込んで悪くはないはずだと。
本来はそれは専門家がやる仕事であるかもしれないが、
そもそも専門家は圧倒的に不足している上に、
ほとんどの人は、ここの理由は僕は厳密には分からないですけど、
これはしない。
そうなってくると、これするしかない。
だからこの欲打不安、私は世の中に一番多いのは欲打不安が中心になっている、
しばしば反転した白外不安。
つまりまた、これは非常に誰でも分かりやすい。
またセクハラに合うんではなかろうかという不安ですね。
だからそれは会社の問題じゃんということになるかもしれない。
会社の問題ですよ。
でも問題が会社にあることと不安に取り組むことは別なんですよ。
ここをなぜか社会問題を強く意識されたいという方が、
しばしばここをすっ飛ばすように見えるんですよね。
不安に取り組むことは問題に取り組んでないことだと言いたがるという方が、
なぜか少なからずいらっしゃって、
私は当然両方に取り組むべきだと思うんです。
で、得意じゃない分野ってどっちにしても人にはありますから、
得意な方に向かうべき、
私はことが真的現実に向かう方がはるかに優勢な人間なんですよ。
したがって真的現実に圧倒的に向かう。
真的現実は現実なんですよ。
真的現実だと言った途端に、それに価値がないと感じるという場合には、
やはりこの問題には好まれないでしょうから、
そもそも精神分析に興味を持たれないでしょう。
でも精神分析に興味を持っちゃうということは、
どこか社会問題というものを真的現実の問題として取り扱いたいという意識があるはずであって、
私にはそれが通説にありますから、
そういうふうに考える。
私としては自分の問題を社会問題にされたくはないというのがあるわけですよ。
男だって別に性カラに遭うことは多々ありますしね。
私はこの問題を決して社会問題としては取り扱ってほしいとは考えられない。
この問題あとはね、私の心の問題だとして取り扱ってもらいたい。
取り扱われるのであるならば。
だからこういう問題に向かうときは、私としてはサイキックリアリティに向かいたい。
自分の問題として考えると圧倒的にそうであると言えるわけですよ。
で、私にだってそういう問題があるというのは、
例えば横の問題、例えば夫婦の問題、
いずれも私は、
奥さんと私の問題と考えるよりも先にまず、
私のメンタルの問題だと考える。
そこに集中したいわけです。
それ自体が抑鬱不安というべきなのかもしれないんですけど、
いずれにしてもそういうふうに考えたいわけですね。
そもそも不安っていうのは私の心の問題じゃないですか。
現実に何かが起こりそうだって言ってるけど、
起こりそうだって言ってるのは私の心であって、
起こる確率について云々してるわけじゃないわけですよ。
夫婦関係というものの調整の仕方は様々ありますが、
奥さんに次に怒鳴られそうである、それが怖いって言ってるのは、
私にとってはそれは怒りっぽい奥さんの問題じゃないんですよ。
私の心の問題なんですよ。
だって私の娘は、
これはまるで外在化してしまってますけど、
娘は私ほどはそれを恐れない。
だからやっぱりこれは同じことが起きても、
恐れる、恐れないは選べる、選べはしないかもしれないが、
少なくとも心によって反応は違う。
であるならば、私はなぜこういう反応になるのかぐらいは、
私はそこに非常に興味を強く持つわけですね。
それはやっぱり私の心のテーマであって、
夫婦関係という物理的な現実、客観現実の課題ではないんですね。
どこかつまり精神分析というのは、
心の表れであるはずなんですね。
ということはつまりそれは物理的なものじゃないんですよ。
しかし現実的なものではあるんですね。
そういうものとして扱われなければならなくて、
だからこそ言うまでもないと思われるかもしれないけど、
私は意味が違うと最近思うんですよ。
守秘義務と「シークレット」な領域としての不安
プライバシー、守秘義務ってやつですね。
私もしょっちゅうしくじってます。
おしゃべりだってこともなくはないのかもしれない。
ただ、おしゃべりであることは精神分析の妨げにはならないと思うんですね。
ポイントは精神分析であれ、ビジネスコンサルであれって私は思うんですけど、
守秘をどこでも固くしていくべきだってやっぱ思うんですよ最近は。
なぜかというとそれは、いわゆる物理的現実の世界のテーマではないからなんですね。
入り込んできてそれが漏らされても困らないじゃんっていうのはそうなんです。
ここのところに私の最大の難しさを今感じているわけですけれども、
つまり三角形チャレンジで外にPRしないと人増えていかないんだけど、
とことんめべりしていっていいとは私は考えていないわけだから、
自分の終始の問題として考えても、私の仕事の問題として考えても、
広げていかなければならない。
しかし広げるためには、実態として中で何が行われているのかについて
一切語らわないですっていうのは非常に困難であると思うんですよ。
でもこの困難は乗り越えていかなきゃならないなとは思うようになりました。
喋っていることだけは立派ですけどね、
大して私は立派な人間じゃないんでここも大変難しい問題になっていくんだけれども、
この中で行われていることについて語られないというのはどういうことかというと、
中になるべく外で起きている現実についても全くというわけにはいかないですけど、
なるべく持ち込まないっていうのは本当に基本的な方向性としてはやっぱり正しいと思うんですね。
つまり現実の人として扱っちゃダメだってことなんですよね。
だから私は社会問題を社会問題として取り扱うのが好きなんです。
例えば今ちょっと前に巨人の安倍監督とチャッピーの問題が起きたじゃないですか。
あれは過不調整としてを取り除くのであれば、
娘さんは何も悪くないんだから自責の念を全く持たなくていいんだっていう論があるんですけれども、
それは理屈は一つとしてわかります。
そしてそういう論調も必要でしょう。議論もね。
でも私はそこを取り扱いたくないんですよね。
それは現実の問題としてそのことを扱ってるじゃないですか。
過不調整とかもそうじゃないですか。
そうじゃなくて、自責の念を娘さんが持つというならば持っちゃったんだから。
持っちゃったのにそれを持たせた社会が云々っていう話はその議論としてすればいいと思うんですよ。
私が言いたいのは持っちゃったその自責の念を取り扱わなきゃならないじゃんって思うんですよね。
それは並大抵の苦労では済まないだろうと思うのと、
それはやっぱり絶対にそれがどれほど危険だとしてもですね、
何らかの形でそれは密室で取り扱われなければならないと思うんですよ。
心の問題だと思うんですよね。
それは過不調整の問題かもしれないが、
過不調整がその人の娘さんの心でどういう風に響いたかって、
これは一般論としては存在しないと思うんですよ。
その娘さんの心の中だけにあり、
つまりそれを過不調整という言葉を使って説明しちゃダメだと思うんですよ。
もちろん便宜上そうするかもしれないが、
やはりそれではその心の問題は取り扱われたことにならない。
つまり、精神分析、私にとっては精神分析的ビジネスコンサルでも同じなんですが、
本来、理想を言えばね、現実にそういうことはできませんが、
理想を言えばそこに持ち込まれた素材だけで取り扱われなければならないと思うんですよね。
これがビジネスコンサル、精神分析、心理臨床全て同じですが、
において持っている非対称性なんですよね。
対等なんですよ。
何ら私の方が上である理由はないんです。
ただ、1点だけ間違っちゃいけないのは、間違っちゃうんですけどそうは言っても、
そこがミニコットの正しさなんですけどね。
1点だけ大事なのは、ここに私の素材を本当は投入してはならないというか、
ならないとまでは言えないかもしれないが、圧倒的に相手の人の話だけで構成されるべきであると。
私はそのことは直感的には十分に納得がいくんです。
いろんなところでこのことが説明されていますけれども、
私はそれらの説明は自明だと思うんで、あまりいらない説明だなとすら思うんですよ。
いわゆる守秘義務なんだけど、守秘義務はこれの結果であって、
守秘義務こそが大事であるって考え方自体がそもそも、
なんていうのかな、面白みのないものだと言ったら十分じゃないですかね。
守秘義務ではないんですよね。
守秘になるのは当たり前だみたいな感じなんですよ。
なぜならばそれは現実の話としては伝わらないから。
あくまでもそれはここの場にだけふさわしい話であって、
極論私にすら伝わらなくても、伝わる方がいいんだけど伝わらなかったとしても、
だってある人の心の中の話って全部100%は誰にも伝わらないじゃないですか。
ウィニコットはシークレットって表現をこれに当てている気がしますけれども、
シークレットってのは他に知られてはいけないではないと思うんですよ私は。
他の人には分からないなんですよ。
他の人には分からないっていうのはつまりそれは心の話だから。
子供って時々自分語って使うじゃないですか。
南語ってそうじゃないですか。
それによって何かを意味してるんでしょうけど、他の人にそれじゃ分かんないわけじゃないですか。
だから精神病水準って言うんですけど、でもそれでいいわけじゃないですか。
自分一人だけでその言葉をついて了解しているんであればね。
で、言葉というのは本来そういうものではないです。
自分一人だけで了解していればいい言葉は言葉じゃないんですよ。
でもそういう言葉ってありますよね。
私はそれが言うならアルファ要素っていうものなんじゃないかと思うんですよね。
なぜならばアルファ要素というのは意識化されては意味をなさないものっていう風に私はニュアンスとして捉えているので、
だけどそのアルファ要素を組み合わせて連結していくことで夢が出来上がっていく。
夢ってのはやっぱりまだ人に語られないんですよ。
夢を人に語ってもそのことの意味って本人以外にはおよそ了解できないものなんですね。
でもそれを了解させるのが精神分析なわけじゃないですか。
なわけですよ。
それってつまりシークレットなんですよ必然的に。
夢の話を人に知られても困らないでしょじゃないんですよ。
夢の話は人に知られようがないんですよね。
それはその人にとってしか意味をなさないものだから。
まして夢を言葉に変えたところで伝わりはしないわけですよ。
その夢を見たという体験は夢は見るものなんで。
見るっつっても映画を見るようには見ないんですけれども夢は体験するものですよね。
体験そのものでしかないわけですよね。
口頭無形だし現実の物理的法則に従ってないですから空飛んじゃったりしますから水中にいるのに息続いてたりしますから不思議だなとかって思ってるだけですけれどもね。
それらすべて体験なわけですよね。
これらの体験を言葉で伝えたところで夢の中で息もできていたんだけど水深にいてさみたいな意味ないじゃないですか別に。
これをシークレットって私は言うと思う。その人にしかできない体験だから。
それについて外の人に言ってもああそうなんだとは言うかもしれない。
なんならば水深の中で息ができている体験をしようとするかもしれないけどできないですよねそんな体験は。
というふうにしかし不安ってものは体験されてるはずなんですよ。
不安ってものは。
その人のシークレットな部分があるんですよ。
他の人にはどうしても理解できない部分がその人ならではの不安としてあるわけですよ。
だからすごい理解のない人からは余ったれてんじゃねえみたいな言葉になっちゃうんですよ。
そんな不安は存在もしないものともせんはみたいに。
それは違うことを考えてるからなんですよ。
そういう不安はその人にしかわからない不安としてあるわけですよ。
歯医者に行ったら麻酔を打たれるとても恐ろしいみたいな。
麻酔なんか今時全然痛くないからとか関係ないんですよそんなことは。
そうじゃなくてその人にとっては不安というものがあり独特の仕方でその不安が体験されてるから
麻酔を打たれると思った瞬間にもう家から寝られなくなるというのが不安なんですよ。
それは白外不安。
これをクラインは整理してそれは白外不安ですねって言えるようになったわけですよ。
白外されるかもしれないという不安なわけですよね。
歯医者さんがその人に麻酔を打つのは白外でもなんでもないわけですよね。
痛みを減らそう減らそうとしてるわけですよ。
そういう風になるじゃないですか精神分析とか心理臨床とか。
その先生と話しに行くとひどい目に合わされるかもしれない。
だからその先生と話すわけにはいかない。
これと歯医者の麻酔はそっくりですよね。
麻酔しないで歯を削ったり抜いたりしたらとんでもないことになるからこそ
ちくっとしたほんの小さな痛みでここを何とかしようとするんだけど
いやそれが嫌なんですよってことになるわけですよね。
まさにそれは白外不安というべきものですよね。
じゃあその白外不安を不安視している人はバカなのかというとそんなことはないでしょう。
そういう人いっぱいいるじゃないですか。
いや歯茎に針刺されるの私がまさにそうですよ。
歯茎に針刺されるのが嫌だから歯場を悪化させたんですよ。
それをいやそれは愚かでしょうってそれはそうかもしれない。
その言い方がまさに物理的客観的現実というものに対応するということを
心理的心的現実の不安に優先させているということなんですよ。
もちろん現実には我々はそうせざるを得ない。
だからやってきた初行ゲラが2週間も遅れているというのはどうなんだ。
これは心的現実なんですよの不安ですよ。
しかし物理的にも遅れているのは事実なんですよ。
この2つは別々のものとして対応しなければいけないはずなんですよ。
急げばいいじゃんとかじゃない。
急げばいいんですよもちろんね。急ぐしかないしね。
しかし急ぐという現実への対応と心的な不安への対応は分けて考えなければいけない。
分けるべき場所が必要だろうと。
もし原稿を送れるのが嫌ならばカウンセリングなんか受けていないで構成すればいいわけじゃないですか。
しかし私はそうではないんですよ。
やっぱり自分の心的現実にカウンセリングは受けませんが、
心的な不安に対応してからゲラに取り掛かった方が早いんですよ。
結果としてはね。
そういうのが心分積的なビジネスコンサルだなと思っているわけですよね。
そこで問題とするうち問題は他に漏らしたって現に私漏らしちゃってますけど構わないんですよ。
2週間ゲラが遅れました。
そのことについてはぐらい不安を持ってます。
てかどっちかというと欲打つ不安だな。
果たして俺これやってけるのか間に合わせられるのか自分に不安である。
これは欲打つ不安ですよね。
というのはシークレットですよ。
他の人にはわからない。
究極的にはいかにもわかりそうな話で言葉にもペラペラ直せてますし、
なんならこれはコンセプトになっている。
夢思考よりも遥かにアルファエレメントよりずっと先を行っているようではありますが、
実際にはこのことを本当にわかる人はこの世に私しかいない。
強調者のジェイン松崎もわかるでしょうけど、
でも多分違った感じで彼はそれを受けている。
私よりももっとひどいことが起きたと思っているかもしれないし、
いやいやあんなのは余裕だと思っているかもしれないが、
私と完全に同じでは決してない。
だからやっぱりシークレットなわけですよ。
他にいくらでも漏らせますけれども、
私にしかわからないことはやっぱりそれを秘密というしかないじゃないですか。
私にしかわかってないんだ。
他の人にどれほど言葉を尽くして説明してもおそらくわかってはもらえないでしょう。
という不安がこの世の中にある。
これを持ち出せる場所はない。ない気がする。
精神分析受けるかというと、精神分析は受けませんね。
精神分析を受けている暇があったら後世しますね。
しかしそれでは不安は決して消えない。
できるのは後世がただスピーディーに進むと言ったことだけです。
これをチャッピーに言うことはもちろんできます。
言いそうな気もします。
チョウゴさんは悪くありません。私も手伝いましょうと言ってくれる。
慰められる気はする。
しかし奴は何もわかっていない。
だからやっぱりシークレットなんですよ。
47:00

コメント

スクロール