00:05
おはようございます。ライフハック時代の精神分析、第1333回をお送りします。
3月19日、木曜日、朝の4時29分です。
いやー、朝早い。今日は暖かいんですけど、雨が降っていて暖かい感じがしない。なんかこういう日が続いています。
まあでも、あれですよね。温暖化の春って、なんかやたら暖かい感じもしますけど、でもやっぱり肌寒い感じもしちゃうんですよね。
はい、もたもたしていると時間がなくなるので、さっさと行こうと思います。
出版記念イベントというやつを、私がただ2時間ガンガン喋るぜっていうだけの回ですけれども、
ぜひ、お安くしました。オンライン1,000円。1,000円ぽっきりみたいな。
で、オフラインは5名様だけ2,000円で電池参加可能。会場狭いんで、神保町です。
駅から歩いてだいたい5、6分。まあ急いで5、6分。ゆっくり歩いても多分10分あれば着くところですが、
神保町なので、東京付近の人ですよね。まあもちろん近隣はいらっしゃることできると思うんですけれども、
神保町でやります。ただし5名ぐらい。5名以上入れない会場だとね。
ハイブリッド開催でやります。
購入時のためにカンダウンミーティングプロというやたら高い9万円ぐらいするウェブカメラ買いましたんで、これで基本的にいけるであろうと。
すごいんですよ。マイクとスピーカーが内蔵されてるんだけど、羽織らないというね。内部では羽織らないように区分けられるというすごいもの。
ほとんどパソコンがついてるウェブカメラっていうか、はっきり言ってパソコンがついてるんですよ。
Androidがついてて単体でもディスプレイさえあれば、どこでもそれを使えるという。
ZoomとかGoogle Meetとかが内蔵されてるというですね。ちょっと画期的というか高いだけなんですけれども、
そういうものが購入したんで、これでハイブリッド開催はいけるなと思っております。
でもああいうのを使い出すときって最初だいたいトラブルなんで、何かトラブルじゃないかなと思ってるんですけど、
何しろ現地参加少なめで抑えましたので、しかも私がしゃべるっていうのをほぼ一方的にしゃべるっていう。
今度はあれで対談とかカナエ談とかするといいと思うんですけどね。
まずは自分でやってみようと思っておりますので。
人生を変えるだったっけな。自分時間の使い方という最新刊がですね。
03:07
4月の9日ぐらいに出るはずなんですね。人生が変わる自分時間の使い方。
遅くとも10日にはお手元に並ぶんじゃないかと思いますけれども、
本を読んでいただかなくても構いませんし、買わなくても構いません。
とにかくだから無料にはしなかったんでね。
内容としてはこの本はですね、スマホをダラダラ見るのをどうやったら防げるだろうかみたいな本なんですけど、
それに対しまして私はですね、そもそも一人でスマホいじってるって考えるのはやめて、
ウィリコット的にね、言ってみれば母子一体でスマホいじってるって考えましょうねっていう、
そういう考え方をとって、この考え方にのっとればですね、
スマホを意識して離脱しようとさえ思えばできるっていう、だからあれです。
今流行りの環境を変えるんだよっていう考え方は一切取らない。
基本的には欲動論っていうのはあまりにもぎょうぎょしいんですけど、
スマホを見たいと思ってるっていう前提に立ちます。
ただし、なぜ見たいのかということを我々は知らないという前提に立ちます。
それによって、なぜ見たいのかがわかれば、おそらくスマホを見るという以外の手段、
あるいはそもそも何もしなくなる可能性が十分あると。
私この考えに沿って言ってみれば、マスターベーションとスマホから離脱することに
おおむね成功しましたんで、どっちでもいいことだなっていうことなんだけど、
マスターベーションとスマホだらだらが似てるって言いたいわけじゃないですよ、別に。
似てるんですけど最終的には。
でもそんなことを言えば、母子一体のものは何でも似てしまうことになってしまうんで、
似ちゃいないんですよ、別に。
ただし、どっちも同じような考え方で、その気になれば相当の部分離れる。
やめなくても別にいいんで。
そうですよね、依存症ってわけじゃないんで、やめなくてもいいんですよ。
やめなくてもいいんだけど、あまりに多すぎると思うならば、
時間制限とかを自分にかけたり、アプリを使うとか記録をするとかではなくて、
全く関係それらとはない方法でいけるっていうことを言いたい。
そういう二次観です。
質疑とりますけれども、基本的には私が喋り倒すという回ですので、
よろしければご参加いただければ、1000円で参加していただけますんで、
よろしければどうぞということですね。
本題に入りたいと思います。
相変わらずボラス読んでるんですけれども、クリストファーボラスですね。
テーマに気分というのが出てきて、
06:02
変形性対象を超えたら気分と対象の影っていうタイトルだから、
基本的には抑鬱の問題を扱ってるのかと思いきや、別にそういうわけでも全然なくて、
実にウィニコットっぽさがあり、
さらっとエッセイを書いていくうちに、精神分析のエッセイなんだけど、
エッセイですよね、ある意味では。
書いていくうちに、いろいろと分かってくるという感じがする本ですね。
でも全然分かんないなって感じもするんですよ。
この全然分かんないのはですね、分かってきたんですよ。
臨床の話、ないし精神分析科の話がなぜこんなに難しいのかというと、
やっぱりそれはモデルに沿っているようで、実はそうではないからなんですね。
モデルに沿っているようなんだけど、やっぱりこれは本人のひらめきみたいなものがモデルになって、
そのひらめきに沿ってる部分と他の人の考えを借りてる部分を臨床例では合作にしてるんで、
分かるはずがないんですよね、一読して。
その臨床やってもいないのに。
その臨床をやってる人にしかある意味分かんないことを書いてるとも言えるんだと思うんですね。
松木さんとか美音とかはものすごくそこを精密に書いてる。
でも臨床例を読むとよく分かんなくなってくるんですよ。
松木さんの場合は分かります。
解説がとにかくある意味変質的に丁寧だから。
でもあんなに丁寧に書いてくださる人は、私の知る限り他に誰もいないんですよね。
藤山直樹さんだってああは決して書いてないと私は思うし、藤山直樹さんが分かりやすいです。
それはまた違う理由で、私が思うに藤山直樹さんの臨床が分かりやすく見えるのは日本人だからだと僕は思います。
やっぱり臨床は文化とも切り離せないので、結局外国の臨床例って分かりにくいです。
外国人にとってはそれは常識なのかもしれないが、私から見るとすでに病理だみたいな感じがしちゃうことっていくらかあって、
これは病理として書いてるのか、正規として書いてるのかをそもそもある程度認知的に区別していかなきゃならないんですよね、実際のところは。
そんなことも無理なんで、書いてるだけですし、向こうは区別せずに書いてるわけですから。
てか、区別は常識でしょって顔なんだけど、日本人だって相当なもんだと思うんですよね。
例えば、犠牲的世話役みたいな考え方、長女昇皇軍みたいな考え方なのかな。
とにかく私さえこのモヤモヤを飲み込めば家族は丸く収まるのよみたいな感じで、万能的に何でもガンガンやってちょっと過労気味になるみたいな、
ああいう話は多分かなり文化的な部分がありますんで、外国にそういう人はいないってわけではないけれども、
多分ああいうニュアンスっていうのは一方的に言うと単に病理ってことにされかねないと思うんですよね。
病理みたいに扱われるんだけど、なんか別に病気じゃなくたってそういうふうなことって起こるし、
09:04
ある意味、それじゃあジェンダーなんじゃないのって思われるかもしれないけど、こういう考え方でやたらと働く男の人も日本にはいっぱいいるんですよ。
なんかこれは文化的特性があると思うんですよね。
なんか会社でも俺が飲み込めばこの会社は丸んだみたいな、万能感ですよね。
やっぱりね、ある種の万能感の中で、でも確かにその人がいないとかなり苦しくなるっていうことをその人がガンガン一人でやるんで、
そのうち過労で倒れるみたいな、でもやっちゃうんですよね、ある意味では。
それは必ずしも日本では少なくともアメリカでこれが起きると絶対性育歴とかいう話にすぐなっちゃいそうなんだけど、
日本でこれが起きた場合、必ずしもその人の性育歴に特別問題があったとは言えなさそうなこともありそうじゃないですか。
だからやっぱり文化的っていうものはありますんで、しかも今読んでるところは気分じゃないですか、気分は日本語ですからね。
ムードとかですから、ムードって気分とイコールじゃない気がするよなっていうのはやっぱり、
でもムードだと日本語にムードってまだ全然違う意味であるから訳わかんなくなっちゃう。ムードって一歩間違えると性的な意味を暗示するじゃないですか、日本語では。
英語でも暗示しないわけではないのかもしれないけど、でも明らかにあれは内面の気分のことを言ってはいるんですよね。
ただちょっとニュアンスがやっぱり変わる。で、このニュアンスが大事な臨床の世界でニュアンスが微妙にでも変わってしまうと、
すでに最初から分かりにくい。で、その分かりにくさに拍車をかけるのが文化の違いで、さらにクリストファーボラスの臨床霊は彼のひらめきのもとに行われているので、
ひらめきを共有、ひらめきって共有できないじゃないですか。ひらめきについての説明はあったりしても、ひらめきそのものを共有って感覚的なものなんでできないと思うんですよね。
で、一生懸命読んでいくしかないんですけど、これを研鑽と呼ばれてるんだけど、研鑽なーとかって思うんですよね。研鑽したからいい結果になるのかなと。
むしろ研鑽するとまずい結果になるんじゃないかなっていうことが、私はこの仕事をしていて多々あるんですけど、でも研鑽ってしないわけにいかないんですよね。
勉強家だからとかじゃないですよ。やっぱり分かんないんですよね。他人のことは。他人っていうのはつまり参加者さんのことはですね。
究極的にはよく分かんないので、いろんな人がいろんな体験を勉強の人たちがですね、してきているものをやっぱりこれを生かさない手はないっていうので始めた仕事ですから。
つまりそれは体系だって書かれているわけですから、なんだかんだ言ったって。他の人たちのそのお悩み相談体系というものはそこにあるんだから、お悩み相談なんでもいいんですよ。
1on1セッションになるものをやるときに、これを参考にしない手はないだろうと。私は一番当てになると思っているのが対象関係論での中でも非常に今、クリストファー・ボラスは現代的だからですね、興味持っているわけです。
12:08
あの気分転移っていうやつを、それは夢、いわゆるBeyondの夢隔壁のアルファ思考で、夢思考アルファの話っていうことでいいじゃないですかって感じはして、多分いいんですよ。ほぼ似たような書き方してるんです。
夜見るものの夢に相当するのが起きているときの気分であるみたいなことをボラス書いてるんですけど、あれは完全に、夜見ているものが夢でなくて幻覚だったら精神病水準だが、それが起きているときにそれが起きる人にとっては現実というものがわかってない。
つまり、人は起きながら夢を見ていなければならない。起きながら夢を見ていなければならない。それは寝ているときの夢見に相当するっていうのが、寝ているときの夢は起きているときの気分だというのとほとんど変わってない。言ってることはほとんど変わってない感じがするんですよ。
ただ、ボラスの言い方の方がわかりやすい。起きてるときも人は夢を見ているんですって。既にこの言い方に大量の説明を要しますよね。この方が正確な感じはするんだけど、でも大量の説明を要しますよね。そんなことを言うよりは、私たちは目覚めているときにある気分に包まれている。ほぼ完璧じゃないですか。
なんかよくわかったような気がするじゃないですか。この方が。ユーミンに優しさに包まれたならっていう曲がありますけども、なんかあれはコンテナっぽい。だからほら、コンテナっぽいんですよね。ビオンが言ってることは最初から。で、ボラスも言ってることはコンテナっぽいじゃないですか。気分というコンテナに包まれていると。
心理学には、これはもう本当に普通に心理学ですね。精神分析とかじゃなくてには、記憶の早期においては特殊な状況が一致していると思い出しやすくなるっていう実験があるんですよ。これは誰でもすぐわかること。例えばあんまり海に潜ったことがない人がスキューバーダイビングとかで、スキューバーダイビングの中で一生懸命2桁のかけ算の計算とかさせられるわけですよ。12×35とかね。
ちょっと暗算大変ですけど。で、スキューバーダイビングの時にすると。その人がそのことはもちろんすっかり忘れますね。でも3年後とかにスキューバーダイビングしてみると、その時の記憶が蘇ってくるんですよ。まあそんな珍しく驚くようなことじゃないですけど、これって非常に精神分析で扱えそうな話じゃないですか。つまり精神分析というのは結局のところ多分に記憶を扱ってるんですね。
で、これは状況がセットされるとある種の記憶が浮かび上がってくるでしょう。浮かび上がらせようとはしないですよね。だって意識できてないものを浮かび上がらせようとするっていうのは言葉の矛盾だから、無意識に浮かび上がってくるじゃないですか。つまりここで浮かび上がってきた内容については無意識じゃないですよ。2桁のかけ算を無意識でやんないですよ。
けれども2桁のかけ算が浮かび上がってくるのは無意識のプロセスじゃないですか。つまり問題にしたのはここなんだと思うんですよね。無意識のプロセス。
15:09
で、精神分析っていうのは結局そのルームの特殊な形式のおかげでだから構造にこだわるんですけど、時間厳守とか毎週何曜日のこの時間とか、この部屋に来るとか、カウチに寝そべるとか、そんなことをフロイト以来踏襲する理由はあるのかって言われることになるわけですけれども、
その形式にしつこく固執していればですね、同じ形式を繰り返し繰り返し取ることによって、その人の気分が特定されていったりするわけですよね。固定っていうのかな。その場所に来ると同じ気分になっちゃうってことが起きるわけですよね。
そうすると、その体勢をとってみたり、そのシチュエーションに近いシチュエーションのことを自然と思い出すことになりますよね。で、あるんですよ。さっきのスキューバダイビングみたいなものを気分に当てはめたやつ。人間は特定の気分の時に思い出しやすいことは決まってくるっていう心理学の実験。心理学っていうのは実験のオンパレードですからね。そういう実験があるわけです。
だから怒った時にはこういうことを思い出す。嬉しい時にはこういうことを思い出す。その人その人のその感情、なんて言ったっけな、記憶早期における感情一致のなんとかとかって言うんですけど、まあものすごい説明的な実験名なんですけど、まあそういう実験があるわけですよ。そのこととボラスが言ってることはすごい近いわけですよね。だから特定の気分になるということは子供時代の特定の気分の状況とマッチしていくんだ。
しかもそれがここで再現されるんだから天意でしょって言ってるわけですよね。そうですよね。確かに。だからこの気分天意みたいなボラス用語が出てきちゃうんですけど、私もこれについて厳密にいろんな意味でわかったとは思わないんですが、ただこういうふうにボラスは臨床をしていくんだろうなってことはわかったんですよ。
つまりその人の技なんですよね。それはある意味では。
山崎さんが編集している臨床心理の雑誌があるんですけど、なぜかちょっとXで批判されてたんですけど、なんかこう臨床上使うテクニック集をみんなで共有し合いましょうみたいな、私は大変いいアイデアだと思うんですよ。それが果たしてどのぐらいうまくできるのか雑誌一冊でってのはあるかもしれないが、非常にいいアイデアだなと思った。
今みたいなものが炙り出されればいうことないじゃないですか。そして結構中を読むと、なるほどねって感じがするわけですよ。やっぱり素人的にも。これは同じことやってるなって感じなんですよね。
これとボラスが気分転移とかいう表現を使うことで伝えようとしてくれているのは、結局優しさに包まれたなわけですよ。その人が優しさに包まれた時はどういう時なのかっていうことを案に示すことになると。もちろん分析の部屋でってことになりますよね。
18:09
登場するデビットっていう不機嫌な人がですね。不機嫌というものに包まれているわけですよね。彼はね。最初の訴えを聞いていると、なんかどっかで聞いたような話だなと思って。ボラス流に認証しないならば、脅迫精神性みたいな話にも聞こえるし。
いろんな仕事を抱えちゃう人の話なんですよね。デビットさんの話っていうのは。いろんな仕事を抱えてるんで。例えば私が本を書く仕事と100日チャレンジと3ヶ月チャレンジと並行して抱えてるじゃないですか。3チャレをやってる時は本のことを考えちゃう。本書いてる時は100チャレのことを考えちゃう。あそこをやればって考えちゃう。
こういう風なことしかできない。これはねえっと普通だったらどういう風に。すいません今やっぱり喋りながら同時に考えるって無理ですね。なんかその分裂みたいなものを感じなくはないんですけれども。あのフォーカスが当たらないって何なんですかね。フォーカスが当たらないってありますよね。
まあその迫害的にこれを捉えるっていうケースもあるでしょうし。どことなく欲打つ的な自分。欲打つ的な自分なんだろうな。やっぱりこう分裂排除って感じはしますよね。少なくともその線であのボラスだってある程度追ったと思うんですよ。分裂排除っぽいよねっていう感じがしますよね。うまくいかないことを分裂排除しようとするからそういうことが起きるみたいな。
でこの人はなんか非常にわかりやすい感じなんですけど一人で何にもしないで書斎でいる時が一番良くて。なんかこううっとりとなってあのこの本ではこういう風に書いてこういう風に書こうみたいなアウトライン作ってる時の幸せ感ですよ本書く人が。
そういうものにうっとりとしている時はすっごい自分の仕事が進むような気がするんだけどそれはもう夢は破られてなんかこう例えばサンチャレかなんかの嫌な書き込みみたいなのを読んでしまって要するに横槍が入るわけですね。ベータ要素が入ってくるわけですよね。ベータ要素的に説明するっていうのも全然アリだと思うんですけれども。だからやっぱり臨床化ってのは自分の理論で臨床してるはずなんで。
でもボラスはビオンじゃないからここでベータ要素とか言わないわけですよね。で最終的にデビットはここがやっぱりボラス流なんだなと。別にさっきのようにウェルレス排除とか白外位とかベータ要素とかいう線で押しても別にそれはそれでうまくいくと。
それはそれでうまくいくというよりはそれはそれで臨床なんだって思うんですよね。やっぱり自分の流儀でやるべきなんだと思うんですよ。だけど研鑽という話、研鑽というより他人の流儀を見に行くわけじゃないですか。これはどういう意味になるかというと自分だけだとやっぱり行き詰まるんですよね。
21:08
自分の知ってるというか想像がつく人間像の幅はもちろん臨床化は幅が広いわけですよ。ものすごくいろんな特殊な人を見てきているから。だけどいくら幅広くったってやっぱり限界があるんで。で他人の流儀を見に行くときってのはつまりその人がうまくやれた相手を見に行くってことになるわけですよね。
自分は同じような人を見てるつもりなんだけどアプローチの仕方が変わると全然違う世界が見えてくる。違う人と何が見えてくるわけですよ。このデビットみたいな人ってよくいるタイプに見えるしよくいるんだと思うんですけど、この人のやろうとしていることは一見したところこの人自身が主相だと思っていることとは全然違うんですよね。
でボラスって人はやっぱり独特のセンスがあるんだと思うんですけどここに気分というものの気分転移とかって言い出して気分ってものを見に行くもんだから要するにデビットは不機嫌だってことがすごく引っかかるんだと思うんですね。
だけど急にうっとりとなるとそれはだから仕事についてのあのなんて言うんですかね要するに普通に言うとナルシシズムですよねある種の引きこもりとナルシシズムみたいな万能感に酔ってるんだっていうそういうウェニコット的に理解していけば良さそうな感じだし多分そうしても全然いいんだと思うんですけどボラスはそうはしないんですよね。
これは仕事をうまく生かせたい人のナルシシズム古代型のナルシシズムって感じがしなくはないじゃないですか。
俺に本当に仕事に専念させれば何でもうまくやってみせるのにあのくだらないクレームとかかけやがってみたいなそういう自己愛的な迫害妄想のような迫害的なそうバンド空想のようなものに浸っているからなんだっていう感じがしちゃうんだけど。
そしてまあそれをどう直面化させるかみたいな話になりそうなんだけど違うんですよねボラスの見立てはボラスが正しい点じゃないですよでも多分違うアプローチもあるんだっていう意味では健三なのかなやっぱりちょっと思うところあるんですけどでもこれはあんまり言われてないな確かに世の中ではっていう言ってる人いるかもしれないけど私が知らないだけかもだけどでもやっぱりあのボラスのようなアプローチでこういう割とタイプの
本の中で言われているようには言われてないなって感じがするってことですねで要は彼がボラスが言うにはですねそうじゃないんだとこの人はデビットはそもそも現実に適応したくなんかないんだって言ってるわけですよねむしろ現実というものを拒否するということに専念しているんですよっていうことなんですよ
だからそんなに変わらない気もするんですよ引きこもりという上にコット的に考えるのとただこれは気分に包まれてるわけですよでこの気分というのにデビットはしがみついてるんだけどなぜかというとそれは両親と一緒にいた時の良い気分というものを両親がデビットをすごくこうまあよくしてくれているデビット出来合い気味なんですよね両親はその時の気分にデビットはしがみついているんで
24:16
現実というものを排除したい現実をそもそも排除したいうまくいかない仕事を排除したいとかデビット自身がそう思っちゃってるんですけどうまくいかない仕事を排除したいんだとうまくいく仕事の面だけやってたいんだっていうような態度に見えるんだけどそうではなくて仕事そのものを全部全面却下したいんだっていうニュアンスなんですよね
ボラスが言う漢字って読んだ限りはもうちょっと読み込むと違うことを僕は言い出すかもしれないが現段階で読んだ限りは僕のこれはある種勉強中のことを晒してるようなもんですからお前間違ってるよって言われるかもしれないけどそれは良いんですよ間違ってようとなんだろうとノートに間違いいっぱい書くじゃないですか学生はあんな感じでこのポッドキャストを聞いていただくのが一番良いんですけど僕の読んだ漢字ではその全面的に現実を帰却するって感じなんですよね
だから仕事のある部分がうまくいってるとかいってないというのはある意味サジなんですよねこの人にこのデビットさんにとっては要は子供だったときに親がチヤホヤしてくれたことがあるんですよ長い童話を読み聞かせてくれたりしてすごく幸せだったっていうその時の記憶にうっとりとしていたいそういう気分に包まれていたいんであって決して仕事のどのプロジェクトだったら専念しても完成させられるのにって言われてるじゃないですか
そういうナルシズムみたいなものも生み出しちゃいそうな話ではありますがでもそれは第一注目点じゃないんだって感じなんですよねボラス的にはねだからボラスが解釈するとなんだか知らないけどデビットは妙に気分が良くなってだから不機嫌な人気分が良くなってうっとりしてしまうとこれは解釈を聞いてるんじゃなくて両親の読み聞かせを聞いてるんだとつまり転移ですよねそして気分が転移されてるわけですよね
さっき言いましたね心理学の実験にあるんですよこういう気分の時にはある種のことを思い出しやすくなると気分と記憶想起はマッチするんですよねそういう話をしてるわけです
んでそうするともそもそも仕事したくないっていう方が問題であってこの仕事をしてる時にはそっちとかその仕事をしてる時にはあっちとかそういう問題ではそもそもないわけでそういう問題はあるんだけど
それは所詮は二次的な問題であって第一次的な問題は両親にチヤホヤされていた4歳か5歳の得意になってるデビットくんのその時の気持ちになっちゃっているっていうかそればっかりを追求していると本人も気づかないところで
でどうしてかっていうと実はこの両親はデビットが結構これから思春期っていう頃にもう離婚しちゃってるんですよ
27:00
つまりそんなに幸せなばっかりの家庭生活ではなかったもんだから両親はすごい口喧嘩が激しかったということで結局父親に捨てられた感じというのをデビットは持っててつまり両親は自分を仲良くできるんですよ
だったらデビットいないところでも仲良しろよって感じなんだけどなかなかそうはいかないんですよね
ここには独特のやっぱりそれなりの心性があってパーソナリティがあって結局デビットを仲良くできるとだからデビットは自分がいて両親もいてすべてがうまくいってるような気分っていうのがすごく大事なんですよ
この時間は圧倒的に長いわけではないんですよねむしろ相対的に短めなんですねそれ以外の時間はそうしてそんなに幸せな家庭生活じゃなかったから
少年時代じゃなかったからだからこそますますこの時の気分にこだわってるわけですよねそれが仕事中にも随所に出てしまうので
仕事やってる時は要するに両親が口喧嘩やってるような時間に近いわけでだから不機嫌なのであって仕事がうまくいかないから不機嫌だと本人もそういうふうに首相として持ってきてるし
すぐにそういうふうにその話聞くと思っちゃうんだけどそういうわけではないんだとこの辺いかにも精神分析的な話ですし
だから決しておかしなことをボラさんやってるわけではないんだけどただこれをまあパッと聞いた感じでは引きこもりとか
古代型のナルシシズムとかあのせいぜいせいぜいってことはないんですけどもっと抽象化してもベータ要素とか言いたくなる感じがするんですけれどもコンテインの不全とかね言いたくなるような感じがするんですけれどもそうなんですけれどもでもそれらの理論はある種他人の理論なわけですよね
ボラスはそれらを参考にしてるけれども結局は自分の流儀を変えたいわけですよ絶対その方ができるんだったらその方がうまくいきますよそういうことをするのは結構それはそれで骨なんで私とかそんなことをできるわけじゃないからまして今の状態でそういうわけにいかないんでせっせと他人流儀をあの吸い込んでいるというか取り込んでいるというかあの
ボラスは嫌な言い方するんですよね体内化と取り込みは違うんだって言うんですよね体内化っていうのは本当に物理的な体内化に近いんだとだから排出と言ったり投影と言ったりする代わりに彼はある種の人は体外化するんだって言うんですよねでもこれもまたうまい言い方だなと昨日言った規範病の延長線にあるんですけど規範病の世界は体外化なんだと
あるいは自分の人からの考えを取り込んだりあるいは人の悪意を投影するんではなくてその人自身というものをその人の声とかその人の顔とかを体外化したりしていって
30:05
要するにそっくり同じことを言い出すとかそういうことをやるんだってことですよねかつ体外化するっていうのも同じようなことをやるわけですよね
その外に何か物体を置いてその物体に頼るみたいな母親にだから安心毛布みたいなものはある意味非常に微妙ですよねあれは移行対象だから
あの投影っぽい感じがしなくはないんだけど体外化って言い方をボラスやだからつまりやっぱり彼は 発明してるわけですよ言葉を言葉を発明しちゃうと
後世の人間だった実に迷惑なわけですよこれは 移行対象なのか変形性対象なのかとか
8 取り入れなのか体内化なのかとか
これあのマスキー国広さんのあの平心分析2点みたいな自分だけで編みましたみたいなすごい 時点があるんですけどあるんですよね内在化取り入れ
体内化その違いは何かみたいなまたあの独特のですね 徹底性を感じるんだけど徹底ぶりを感じるんですけど実に徹底してるわけですよね
まあ徹底操作っていうのはこういう時に使いたい感じがするんだけど 全然違う意味なんですよね徹底操作がワーキングワークスルーなんで
アークスルー 徹底操作っていうのはお好みさんのパーソナリティーなのかもしれないけど
なんかやり遂げるとかやり抜くって言ってほしいですよね なんかそれに近い言葉を当ててほしい
臨床をやり抜くぞみたいな安易に中断させたり あきらめちゃわないぞみたいなそういうワークスルーってのはそういう感じ
このスルー感が欲しいじゃないですか 徹底操作って言われてもね
徹底操作 技術の面をすごく強調すればそういうことになるのかもしれないですね
これはどこまで技術として認定される技術 共有される技術 フロイトはそこを夢見たし実現しましたもんね
日本人がだってフロイトの臨床を片通りにやってるわけですから そして南米の人もやってるわけで 南米多いんですよね
やってるわけですから そういう意味ではやっぱり徹底操作みたいな考え方の方が
これがやっぱりフロイトの最初の言葉通り 例えばナルキッソス病とかだったら
やっぱりナルシシズムほどは流行らなかったと思うんですよ ナルキッソス病じゃ
ギリシャ神話に通じてない人にはほとんど意味不明じゃないですか
でもこれがナルシイズムとか それをさらに略してナルシストってなっちゃうと
分かった感じはすごいしますよね 非常に間違いもそこに入っちゃうんですけれども
そういうふうに話がすっとびましたが だから徹底してるんですよね
でもボラスの本って徹底してないんですよ なんかこうふわふわふわっと話が先へ先へと進んでいき
33:06
すぐ章が終わるみたいな そして章が変わると違う話になってるんですよね
それは読みやすくもあるんですけれども ただ今の話 つまり不機嫌な気分に包まれている人が
実は少年時代の自分の幸福だった気分というものにこだわって固執しているから
仕事が散漫になり散逸し その割にプロジェクトいっぱい立ち上げちゃった
これは仕事術であるあるだなと思うんですよね
絶対この種の話は発達障害って言葉と共に紹介されちゃうでしょうね
発達障害気味でとかグレーゾーンでとか それではダメだと思わないんですよ
アプローチってのは結局 その人その人なんですよね
非常にそこがややこしいんですけど それがアセスメントであるならば
その人その人じゃダメだってことになるんだけど
でも読めば読むほど臨床ってのは個性だなというのも間違いなく思うんですよ
ここでは再三 全然親しくもなければ知ってもいない
諸富さんという方を取り上げてますけど
彼はなんだか一見自己啓発のようでもあり
公認の公式の臨床心理師でもあり
ロジャーズで雷談社中心なんですけど
でもやってることはもう なんて言うんだろう
やっぱり名人芸みたいに 名人芸ってよくないってされるんですけど
でも名人芸みたいだなっていう話が多くて
やっぱりこうなっちゃうっていう言い方をするんですよね
その参加者になってしまう 共感するを超えていくんですよね
だって形状共感一致ってことになったら一致ですから
結局なっちゃうって話になりますよね
ビカミング王の世界ですよね
ビヨン流に言えば
でも王になるというのと
雷談社になるっていうのはやっぱなんか違いますよね
女のようにも聞こえるけどなんか違いますよね
こういう風に流儀ってものが出てくるんだなと
思うしかないんですよね
佐々木隆
佐々木隆っていうのはまずいんで
やっぱり雲武心理学ってどっかやばい感じがするんですよ
だって雲武心理学だから今は我々はそれで納得してますけど
たぶん現段階で東波多心理学とかだったら
不惨くさいなーみたいな感じがすると思うんですよ
皆さんこれを聞いていらっしゃる人が
森田良宝というのをどういう風に聞こえるかは
私にはわかりませんけれども
まあ森田先生は偉大だったんだなぐらいなところに
でも普通はなかなか行き着かないじゃないですか
なかなかね
なんかやっぱり名前プラス流儀っていうので
推していくっていうのは
もうこう万能感丸出しですし
ナルシスティックっていう感じしか
与えられないって感じがするんですよね
36:01
私はやっぱり雲武心理学って聞いた時
えーって感じは受けたんですよ
だってフロイト心理学とか
フロイト流精神療法とかって言わなかったですよね
やっぱり世界に
世界にってつもりはなかったと思うんですけど
認定して定着させようと思うならば
自分の名前プラス流儀っていう
まあねそうは言っても
たぶん二郎さんと関係ないんだけど
二郎系ラーメンみたいになりますし
なんか橋本龍とか萌え芸みたいなのって
そういうもんなんですけれども
でもまあやっぱり
名前プラス流儀って
推していくってわけには
少なくとも私のパーソナリティには
全く合いませんので
これからもこう
健三なるものを半信半疑でやっていくしかないかなと思ってます