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おはようございます。働く人に送る精神分析チャット、第1052回をお送りします。
9月12日、木曜日、7時39分です。
どうしようかな。お知らせはしよう。
お知らせは義務化しないと面倒くさくて喋らなくなるということが感じられるので、
お知らせ義務化しないと。ある程度集まっていただきまして、すごいありがたいんですけど、9月15日ですね。
逆算せずに締め切りに間に合わせるタスクシュート時間の術という、
割とこの私の最近の活動の中では、すごい技術寄りっていうのかな。
どうせ技術だけの話になることはないんですが、でも技術寄りのタイトルになっていますね。
まとめておかないとなと思ったということですよね。
そういうことです。そういうことなので、オンラインでやりますので、よろしければぜひ。
10月13日には、もっと技術によらないこれ系の総まとめ編をお伝えしようと思っております。
最近、信田沙耶子さんと山崎孝明さんの対談に行ってみたり、
東方加藤さんの雨の日の心理学を読んでみたりして、
ようやく結局自分が求めるものは出つつあるんだなということが分かり始めまして、
ただ、出てしまいさえすればもうこっちのもんだぜぐらいに、
僕は非常に安易に考えていたんですが、それが出てみるといかに安易だったかというね、
これと私の仕事の関連性を、関連しているかもって思ってくださる方の数だって、
2桁いくとは信じられないぐらいで、現実に考えてみるとですね、
3カ月チャレンジ、現在の参加者さんがご理解いただいていると、
全員ご理解いただいていると仮定しても2桁には届かないというね、
でも延べで考えると2桁はいくよね。
3桁は絶対いかないということが分かるので、
3桁絶対いかないってダメじゃんって感じがするんですよね。
3桁いけばすごい良いかも、もう思うんですよ。
このポッドキャストを聞いてくださっている人が、
Spotifyのアナリティクスによればですね、
常時聞いてくださっている方がほぼちょうど3桁、つまり100ってことですけど、
この方々がもしかすると一番分かってくれてるのかもなという気もします。
潜在的にはさすがに全く聞いてないけど、聞けば分かってくださりそうな方が、
03:00
潜在的にはその3倍はいてもいいっていう、だから面白いですよね。
Spotifyのこの潜在的なリスナーみたいな、よく分かんない指標なんだけど、
300ぐらいいることになってるんですよ。
多分これはたまになら聞く用的な数字なんだと思うんですけどね。
だからもうこの辺が限界かもなみたいな感じが、
現状の私の力量と活動の幅から考えると、それも力量だけど、
なんかですね、昔は1000人聞いたら3人は買ってくださるみたいな、
それはすごい僕は、僕の仕事の中ではナンセンスの極みだと思うようになったんですよね。
そういう商売の仕方をすると、
てかそれはまさ商売なんですけどね、
僕は絶対立ち行かなくなるだろうと思うようになったんですよ。
伝わる伝わらないというのは本当に、
それを言い出すと簡単に伝わる話にどんどんどんどんなっていくんだけど、
それでうまくいく人ってすごいやっぱりレアなんだなという感じがするんですね。
いろんな意味で。
自流にも飲んなきゃならないのは当たり前のこととしても、
その他にもいろんな条件が、
その人がそもそもそれを続けていられるっていうこと自体、
パーソナリティ的な条件ですね。
誰でもできるわけではないんですよ。
すごく簡単な話をするということならば誰でもできるみたいに思うのは、
大きな間違いだなと思うようになりました。
だからもう自分は人に説明できないやり方である意味やっていく。
つまりこれをモデルケースとしてもそもそもしようっていうのがおかしいって思うんですよね。
だって昔あったんですよね。
情報スナイチ時代っていう言葉がね。
でもあれは私読んだ当時から、
そういう数字の出し方は間違ってるだろうってよく思ったんですよ。
つまり情報の数は人口の数を遥かに超えていて、
人が見られる数を大きく超えてるから、
だから砂の一粒のようになってしまっているっていう、
この前提が最初からおかしいじゃないですか。
ネット上の数対人が聞いてくれる数を、
ただ単に分母と分子でやればそうなるんですよ。
が、そうはなんないですよ絶対に。
実際に、だってどんな人を見ていても思いますもん。
読者とかリスナーはゼロってないんですよ。
その情報スナイチの話だけで言えば、
ほとんどの情報発信者はリスナーゼロになるはずじゃないですか。
リスナーでも読者でもいいんだけど。
でもゼロにはならないんですよ不思議なことに。
どんな人でも読者さんなりリスナーさんは付くんですよ。
お金払う払わないは別として付くんですよ。
で、中には聞かせる気全くなくないかっていう人もでも付くんですよ。
06:02
だから逆なんだと思うんですよね。
ネット時代のいいところは、
結局僕が池袋行ってこの同じ話を声を張り上げてやってても、
多分聞いてくれる人はほぼゼロだと思うんですよね。むしろ。
一見したところこのネットが出てきたために情報はスナイチになったって思うのかもしれないけど、
それはバスメディア的な視点であって、個人は多分逆になると思うんですよね。
だってリスナーが1だとしても池袋よりは全然マシですよ。
ネットがない時代って池袋に行って声張り上げる世界になってしまうんで、
ビラまくっててもあるんですけどね。
だから政府はビラを取り締まるんだけど、
人が思っているようなことをやるってのはですね、
やっぱりこう、リスナーゼロには絶対にならないんですよね。
勇気もいるしね、ある程度は。
すべての人が一斉に、日本で言えば1億人になったことだけど、
一斉にビラまけば、それはスナイチ時代になっちゃうんでしょうけれども、
そういうことはできないし、そもそも発信なんかしたくない人もいっぱいいるわけですからね。
だから結局はそうはならないんだ。
で、熱心なリスナーさんがついてくれれば、
別にそれは5人とか6人だって、ある意味構わないわけじゃないですか。
マンバズしないとダメみたいな話ってありますけど、
逆ですよね、ある意味では。
だって3カ月チャレンジの参加者さんが、参加希望者さんが1万人だったら、
私ものすごく困ると思うんですよね。
そうもならないんですけどね。
だからこれは一桁ではいけないってことはないんですよ。
ここのところに僕らが多分マスメディア的価値観というものをなぜか入れられている。
私テレビ関係者じゃないんで、新聞の関係者でもないんで、
ラジオの関係者でもないんで、
全然マスメディア的価値観って私にとって不要なものなのに、
なんか入っちゃってきてるんだと思うんですよね。
1万の人が僕のツイート見てくれても、
僕は別に生きていくのにプラスにならないわけじゃないですか。
先日僕のでそこそこ数字が伸びたのが朝のお弁当の写真なんだけど、
別に僕はお弁当の写真って僕のビジネスと関係全然ないんで、
全くないと言い切れないかもしれないけど、ほぼないわけですよね。
だからあちらに見る方が1000人いたからと言ってですね、
じゃあ1000のうちの3人はお金払ってくれるとか、
その発想は僕はないなって思うんですよね。
そうかもしれないけど絶対ないだろうそれはと思うんですよ。
やる気ないですもん。毎日お弁当の写真アップするので。
今日すでにしていないですしね。
そんなことを考えるだけ無駄だなと思うようになりました。
もっと早くなれよって感じなんだけど、
でも確信するようになったのは40やっぱり過ぎてからめな気がしますね。
出るの遅いよねっていう話ですね。
09:01
もうだからですね、出版社様には申し訳ないんですけど、
僕は本自力で売るっていう気はないですね。
だからそういうのがない人には本頼みたくないと言うなら、
そこはもう諦めた方がお互いハッピーだって思いますね。
もちろん出せば多少はするんだけど、本当もう多少しかできないんですよ結局。
マスメディアの力を個人が持つっていうのは、
いろんな意味で無茶苦茶なはずそうな気がします。
やってる人もいらっしゃるけど、
なんかすごい全く別の努力をしなきゃならないから、
この番組はやめるよねっていう感じですよね。
ましてサンチャレは無理ですよね。
サンチャレとは絶対両立しないという点では確信がありますね。
一人マスメディアみたいな、あれはあれで、
どんなにそれが効率的で楽なように見えても、
一つの1日かかる仕事をやらなきゃならないはずなんですよね。
どんなツイートをするか、1日に何個ツイートするか、
よく考えたこともなくなりましたし、
無いですよね、普通の方は多くないと思うんです。
いっぱいしてるってことと、戦略的にするってことは全然違うことなので、
私はいっぱいもしてませんし、戦略的にもしてませんし、
そもそもいつでもやめられますしね。
これと違うような気がしますね。
そんな話は置いといてですね。
こういう話を僕ちょいちょいしますね。
今のもそうなんですけど、つまり戦略的にはやってないということです。
本題に入りますが、
何の話をしようとしたのかというと、
今のような話とちょっと近いんですよね。
いつも話してることなんですが、
私が精神分析を認知行動でもなく、行動療法的でもなく、認知療法的でもなく、
その他の何かではなく、
精神分析をあえてここに持ってきているわけについての話のようなものだと思いました。
何も頭の中でまとめてないんで、
ついさっきちょっと山崎孝明さんの前著ね、
諸著作の精神分析の歩き方を読んでいて、
そうだなと思ったからなんですよね。
えっとですね、まず、正しさって問題があると思うんですね。
この正しさって言い方は、
クラズノケイドさんのグッドバイを薄から取ってきてるんですよ。
正義とかイデオロギーとか価値観って普通は言うんでしょうね。
でもなんかこう、ずれがある、僕の感じでは。
みんなが自分のにこだわっているのは、イデオロギーとかではないと思うんですよね。
そう言ってもいいんでしょうけどね。
知観という風におっしゃる方が多いんだけど、
価値観のずれみたいな、夫婦間の価値観のずれみたいな。
今朝方聞いてきたポッドキャストにもそういう話出てくるんですが、
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あれはやっぱり正しさの方が僕にはしっくりきますんで、正しさって言うんですよ。
やっぱりだいぶ前のこのポッドキャストでよく喋って、
このじゃないんだけど、グッドモーニングバイブスとか言ってた頃の、よく喋ってた。
正しさを手放すということとポストモダンってことを、
要するに学術的に言うと正しさを手放すはポストモダンになっていくわけですね。
あれですよ、簡単に言うとナチズムだったと。
ナチズムと共産主義かな。
やっぱり絶対正義みたいなものは、それ自体危ないっていう考え方ですよね。
たぶんその前は絶対正義を人が信じる分にはいいんじゃんみたいなところはあったと思うんですよね。
ある程度そこまで組織的になるっていうことに対する恐れみたいなのは、
まあ多少あったと思うんですよ。
じゃなければフミエとかキリシタの禁制とかやらないと思うんだけど、
でもまあ思想統制みたいなものが今みたいにも普通に当然でしょうっていう時代ではなかったと思うんですよ。
プライバシーまでほじくり出すとか、その人がこう密かに聞いてるものも秘密警察が覗きに来るみたいな、
そういう発想ってやっぱりこう20世紀以降だと思うんですよね。
その組織的にやるようになったっていうの。
だからあのあれですよね、古い話ですけど、
渡辺カザンっていう人がいたじゃないですか。
シーボルト事件で弾圧された人ですけど、
あの人は別に悪いことしてないのに捕まったっていうんで、
すごい当時も問題になったみたいなんですけど、江戸時代ですね。
結局それってプライバシーにまで入っていったっていう幕府がですけども、
新規論が見つかったんですけど、別に新規論見つけに行かなければ普通だったら大丈夫なんですよ。
なぜかというとあれは日記みたいなものだったんで公表しなかったわけですからね。
この辺ちょっと詳しいことは、私歴史家じゃないんで分かんないですけど、
多分そういう話だったと思うんですよ。
私あの話がすごい心に残ったのはですね、漫画で読んだってこともあるんだけど、
日本史で習った時もすごい引っかかったんですよ。
江戸時代ってまだそこまでじゃないんだなっていう、今もっとひどいじゃないですか。
多分独裁国家行くとひどいと思うんですよ。
普段から喋ってることまで盗聴されちゃうみたいなね、そういうことがあるんだと思うんだけど、
つまり正しさが全然手放せないわけですよ。
もう正しさといえば何とかの将軍様は一変とみたいになるしかないみたいな感じになってると思うんですね。
あの邦画みたいなのがトルストイが戦争と平和の最終巻あたりに書くんですよ。
ナポレオン攻めてくるからもうフランス語使うなみたいな。
あれ日本人が昔やったのと日本が太平洋戦争中にやったのと全く同じですよね。
フランス語で喋られると、要するに一つはスパイン容疑の問題と絡むんだと。
もう一つはそこで時のつありですよね。
15:00
批判しててもわかんないから一般人には。
でああいう時に革命的な要素って帯びてくるんですよ。
すっごい昔の日本と似てんだなと思ったんですけど、
フランス語が喋れるのは上手階級の人間なんですよ。
仮想の人たちはフランス語なんて喋れないから、
だからフランス語を喋ると罰金を取るっていう人が貴族を締め付けて、貴族を見張りにくるんですよね。
だから結局貴族ってそういう時には弱いわけですよ。
普段エバってるのに。
でフランス語は喋るから、貴族は面白いんで、
ロシアってのはロシア語はダメなんで、
フランス語で喋るっていうのね。
ちゃんとした会で喋るときはフランス語っていう決まりがあるから、
ロシア語で喋るのはすごい嫌なんですよね。
で大体全部スキャンダルなんですよ。
恋愛話みたいな話をフランス語で喋る。
それが特に女性の場合は、女性の貴族の場合は上品だったんだと思うんですよね。
そこを自国語で喋っちゃうとめっちゃ下品になってしまう感じがするから、
ついついフランス語を喋ると横からなんか本当に面白いんですよね。
こう、なんて言うんだろうなあいう。
出てくるんですよきっと全体主義化した時には世の中に。
若くて庶民の出身で、
なんかすごいドストレートに民族主義者みたいな、
だから時のツアーに大好きみたいな、
ナポレオンをなんかやっつけるためには自分いくら死んでもいいですみたいな、
そういう人がやってきてフランス語を喋っている貴族を取り締まるみたいなね、
そういう現象が起きるんですよね。きっと起きるんですよ。
ある意味とても息苦しい世界ってやつですよね。
で、この話を何でしてるのかというと正しさなんですよね。
ここにあるのは。こういう正しさが大変な事態を招くわけじゃないですか。
だから正しさっていうものそのものがもう怪しいというか危ないということで、
だから宗教とかが今全然受けないっちゃ受けないわけで。
で、私がこう精神分析をここに持ち込むというのはですね、
僕の考えとか僕のオリジナルじゃないってのが一つの大きな理由になってるんだなというのをさっき読んでて何かわかったということなんですね。
これはすごい大事なことだったんです。私にとっては。
私にとってだけかもしれないんだけど、
つまり3ヶ月チャレンジ、この番組でもいいんですけど3ヶ月チャレンジなどで、
特に1対1のセッションってことになってくると、
正しさというのはどうしてもどこかで出てるわけです。
出てこなくても持っちゃってるわけですよ。
で、その正しさというものを持ってるというのは自分なんで、
これを常に意識しながら、しかもなるべく押し付けないっていうのをやるためにはですね、
18:00
抽象的に話すといかにも当たり前のことになっちゃうんだけど、これはすごく難しいことなんですね。
例えばそうだなぁ、
運とライフハック寄りにして逆算と順算みたいな議論になるじゃないですか。
で、最近順算押しってことになってるんだけど、
私はワンワンセッションでお客様が、つまり3チャレンジの参加者さんが、
私逆算がしたいんですって言ったら反対する気はもうとうないんですね。
ここが正しさを手放すポイントになるわけですよ。
問題なのは、私が順算の方がいいのになと思っているというこの思いは邪魔にならないかその時ってことなんですね。
そんなことを気にしなくていいんじゃないかっていう意見の人も普通にいると思うんですけど、
私は気にしなきゃダメだという意見なんですね。
この私の意見を補助してくれるのが精神分析なんですよ。
私が順算押しだっていう意識を持ってるだけでも相手に影響を及ぼしてしまう。
これを害って言うんですけれども、クライアントに害を与えてはいけない。
だから中立じゃなきゃダメだってことになるんだけど。
そうはいかないですよね、はっきり言って。
でもそうはいかなくても、そこを頑張らないといけないよねっていう自覚をするとか、
抑えるとか、影響を与えないようにするとか、様々あるんだけど、
とにかくそういうことをしないと、いきなり専門用語を出しますけど。
というか、そもそもこういうのが影響を与えるのか否かっていう段階でも、
何かしらの参照をしないと影響を与えるのかどうか。
究極的には自分じゃわかんないじゃないですか。
主観的なものの影響なんで、無意識からとかね、
そういう影響を及ぼすってことが起こるのか起こらないのかだけでも、
起こるってはっきり言ってるのが精神分析なんですね。
で、私は起こるとやっぱ思ってるんですよ。
多分それは私が宗教畑から生まれてきた人間だからなんだと思うんですね。
宗教はやっぱこれ起こるって思ってますもんね、明らかに。
方々与道みたいな言葉がありますからね。
あの、宗派の違う人間と一緒にいてはいけないみたいな考え方ってありますから。
これって結局すっごいイデオロギカルな考え方じゃないですか。
で、これは影響をお互いに及ぼし合うっていう発想を持ってないんだったら、
そういう発想自体があり得ないと思うんですよ。
一緒にいるだけだったら相手の考え方なんて影響してこないよっていう風に
信じるんだったらですね、これは信じるってことに結局なってくると思うんだけど、
私が順山をしてようと山崎さんをしてようと関係ないわけですよ。
ところがそれは関係あるんですよ、きっと。
だから逆算でいきたいんですって言ってる人に、
何と言うか、あるいは何と言わないか、その時何を思うかっていうのが
全部検討の対象になるべきだっていう風に私は思うんで、
ここのところで私はライフハック的ではないなって自分は思うんですね、非常に。
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ライフハックとか仕事術っていうのは、ここで良いものを推せることになってるんですよ。
良いものに推せるから究極的にはこれを信じてやってる人は僕はほとんどいないと思うんだけど、
一問一答式になるんですよ。
こう言われたらこういう風に答えたらいいんでしょうかみたいなのがあるわけです。
僕はそんなものはないと思ってるから、つまりこういう時にはこういう風に答えるってことはできるんだけど、
その答えが本人にとって良いか悪いかわかんないと思うんですよね。
だからそれは一対他であろうと一対一であろうと同じだと最終的には思うようになったから、
私は一対一に絞るように。
なぜかというと一対二になってしまうと、
私は逆算でやりたい、私は順算でやりたいっていう人がやってきてしまった場合、
逆算の人には逆算を推し、順算の人には順算を推すっていうことになってしまうわけですよね。
ポストモダン的にその人がやりたいことをやるのが一番いいんだってことになればそうなりますよね。
そういうことになると、でも逆算がいいって聞いてた人は順算の方があなたにはいいですって言われた時に、
え?って思うじゃないですか。
そうすると自分が逆算を信用してそっちのやり方でいくっていうのに対して少なくとも水は差すことになりますよね。
で、あなたには順算がいいですって言うと逆算の人がえ?って思うじゃないですか。
これが相互に起きますよね。
そうすると、ここでマッチングみたいな考え方に当然なるんだけど、僕はそれを信じてない。
なぜなら、これは逆算の人には逆算が良く、順算の人には順算がいい。
じゃああなたはどっちがいいの?っていうのに対して答えられなくなると僕は思うんですよ。
究極的にはどっちもいいと思ってないっていうのは一つの価値観だけど、両方いいと思ってる。
これは成り立たないと僕は思うし。
で、結局そこに価値観がないってことは言えないと思うんですよね。
でもよく言うんですけれども、行動主義ってのはアメリカの自由主義も個人主義も同じですけど、価値観を漂白した気になっているんですよ。
というふうに山崎さん書くんですよね。
漂白。漂白ってのもいい言い方だと思うんだけど、マッチングって漂白の一つの手法なんですよね。
トマス・ハリスが羊たちの沈黙、映画化されたやつでも言ってましたけど、映画化されたハニバル・レクターは言ってませんが、小説の中では言ってるんですよ。
君たちはスターリング捜査官って出てきますよね。ジョディ・フォスターが演じたやつですね。
僕はよく知らんすけどね。言ってるんですよ。スターリング捜査官に。
君たちは行動科学っていうものを使って善と悪を棚上げしたの。棚上げって言うんですよね。
棚上げってのは信じるのをやめたって意味じゃないじゃない。脇に置いた気になってるだけだって言ってるわけですよ、レクター博士は。
つまり、善と悪はしっかり持ってるくせに、何々は悪人だとか何々は善人だとか思ってるくせに、
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それは不幸な生い立ちがあったから、行動主義的に見るとこういう行動を取るようになって、
で、レクター博士は牢屋の中に入ってますっていうことになってるんだけど、それはお前レクターが悪人だと思ってるからだろうっていうことを言ってるわけじゃないですか。
で、こういうのを私たちは正しさを見放した瞬間に、こういう問題に本当は直面するんだけれども、直面していないことにしたいんです。
で、でもそれは犯罪っていうことと逆算と順算は違うじゃんという話で違うんですけれども、
実際にはどっかでなってるはずなんですよね。
で、こういう話を私は社会医学的にやりたいわけでも犯罪医学的にやりたいわけでもないんですよ。
私は別にここで犯罪が問題になるほどシビアな事態には直面するとは思わないんですよね。
でも転落は問題になると思うんですよね。
朝起きられませんっていうのに対して、あるがままでいいんですよっていうのは本当は相当勇気がいることのはずなんですよね。
だから私未成年はお断りって3ヶ月チャレンジに書いてるんですけど、未成年の方は学校行かなきゃならないじゃないですか。
で、私は本音のところ学校って言っても行かなくてもいいんじゃないかなぐらいな感覚なんで、これが私の正しさですよね。
親としては学校絶対子供に行ってほしいっていう方がいらっしゃるとしますよね。
教皇問題でこの問題と絶対避けて通れなくなるんだけれども、例えばビジネスメンタルサポートだったらそういうことは起きないかって言って起きるんですよ絶対に。
その人が会社に行ったり仕事が集中できないっていうのは子供が学校に行かないからかもしれないんですよ。
こういう問題を僕はそれこそライフは棚上げにしてきたとずっと思うんですよね。
仕事に手がつきませんとか先送りしてしまいますというのはあくまでも何か本人の非常に単純に言ってしまうとその仕事が辛いからだろうぐらいに思ってるんですよ。
に対して僕はそうじゃないっていうふうに思ってるんですよ最近は特に。
もう38くの頃からこの疑問が抜けなくなってたんだけれどもほとんどの人は仕事をしない理由はその仕事が辛いせいでもなんでもない。
辛いせいだけだったらゲーミフィケーションの人がよく言うんですけどドラクエのレベル上げの方が辛いくらい辛くない仕事はいっぱい先送りの対象になるんですよね。
でそれは非常に単純なんですよ。
この問題は私はゲーミフィケーションで解消できないなと思ったのはこれは僕の価値観なんですけどね。
それは行動主義的な認知行動主義的な感覚。
そうなんていうのかな。
だとしても認知行動主義の人がこの発想でもう言ってないだろうなとは僕は思ってるんですよね。
だから認知行動両方であれ、精神分析であれ、結局は最終的には近づいていくに違いないと私は思うんですけれども。
27:02
ただそこで取るアプローチは結構違いますけどね。
だからゲームのようにすればやるでしょうってのは結局辛さに焦点を当てちゃってるわけですよ。
僕はゲームのようにしたからといってその人はやらないと思うんです。
なんでかというと、それはその仕事に手が付けられない全然別の理由があったりするせいで、
その全然別の理由をどうやって探り出すかっていう時にいろんな考え方が出てくる。
認知的な考え方が出てくるケースもある。
あるいは行動両方的に報酬が最終的には足りてないんだって考え方。
報酬の提示の仕方が悪いんだっていう考え方。
それも間違いなく妥当だと思います。
だから報酬の当て方次第でその人の行動が変わるのは確実だと思うんですね。
でも私は報酬の当て方を変えて行動を変えたくないんですよ、きっと。
なぜかというと行動を変えるということがいいことだと全然信じられないから。
自分だったら会社に、だって私会社行ってないですから。
つまり本人が会社に行きたいからその人は行く、これがマッチングの考え方。
私は行きたくないから行かない、それでハッピーじゃんではないんですよ。
訳があって会社に行かなきゃなんだよ、これがその訳が。
金銭的な理由は大きいと思うんだけど、それもそれだけじゃないって私は思うんですね。
すっごくいろんな方の話を聞いているうちにものすごく感じるようになったんですけど、
組織に属していたいという人がこの世には6割は確実にいらっしゃるんですよ。
私のようにはなりたくないんです。
それこそマッチングでいいんだけど、組織に属していたいという気持ちはでも私だってきっとどこかで満たしているに違いないんですね。
組織に属していたいという人が結局だから僕はこういうところに父親が欲しいっていう話だって思うんだけれども、
つまりこの父親が欲しいって話にこのナラティブを持っていくためには先進分析がいるんですよ。
これは多分僕は認知行動療法は支持してくれない発想だと思うんですね。
だってそんなのはわからんことですよね。
お前の勝手な妄想だろうと。
だからこの妄想に全ての人を付き合わせる気はないんだけど、私はこの考え方を持っておきたいんです。
で、大事なのは途中言った通り少しずるっちゃずるいんだけど、これは私のオリジナルの発想ではない。
私の頭からこれは発想できなかったんですよ。
これはフロイトを私は参照したんですね。
つまりクライアントさんに対してあなたが会社に行きたくないのはフロイトが言うにはどうもお父さんとの関係がこじれていることと関係ありそうですって言えるんです。
これは私は100%は私も信じてないんですよ。
99%ぐらいは信じてますけど、私のオリジナルじゃないしねやっぱり。
先進分析ではこう言ってますって言い方をしたいんです。
私の正しさを手放しておきたいから。
30:00
それはずるいじゃんって言われるかもしれないけど、これを私のオリジナルと私の正しさで押すとなると、佐々木賞吾がこう言ってるんだから信じてくださいになっちゃうんですよ。
で、どっちでもいい。
どっちかしか僕はないんじゃないかって思うんですね。
結局は。
どっちかしかないだろうと思うんですよ。
佐々木賞吾がそう言ってるんだから信じてくださいは、もはや佐々木賞吾教なんですよ。
これができる人が宗教を作れる人なんですよね。
僕はこれできないんですよ。
で、これを好ましいって感じる人が今の時代はやや多めなんだけど、それはポストモダンの世界に生きているからであって、これは客観的に見て好ましいことかどうかは相当わからないなって僕は本当に思います。
わかんないですよ。
これは好ましいっていう風に信じるのはもう一つの宗教だと思う。
要するにポストモダニズムだと思うんですよ。
ニーチェ流に言うとニヒリズムですよね。
ニヒリズムってイズムじゃないですか。
結局は。
つまりある人間が正しいっていうことはもはや信じないぞっていう宗教なんですよ。
だと思うんですよね。
私はね。
で、これを手放すってどういうことなんだろうってさらにニヒリズムを手放す。
ニーチェはそこに挑戦したんだけど、私はよくわかんないです。
はっきり言ってね。
よくはわかんないけれども、とにかく三ヶ月チャレンジのたてつけの一つにこれがあるんですよ。
変身分析というものを持ってくることで宗教であることを免れようとしてるんですよね。
これはね。
そういう考え方。
ライフハックであることも同時に免れようとしてるんです。
ライフハックは価値観は漂白してあるはずなんで。
だってそうだと思うんですよ。
例えばライフハックでは割と広範囲に支持されている習慣化とか5分タイマーとか。
習慣化とは何か。
何を習慣化するかに関しては関与しないよっていう態度じゃないですか。
でもここには本当は価値観はあるんだけど。
毎日毎日共産主義化するための習慣として朝4時から共産主義のビラを撒きますみたいなのは、
それを聞いた人が心の底ではどう思っているかっていうのは問われちゃうと思うんですよ。
別に毎日毎日これはナチズムですっていうのも同じなんですよ。
これをどっかに持って行って、で習慣化したいんですって言った時。
じゃあ習慣化するためにはタスクシュートを使いましょうって果たして言った時に、
価値観とは全く無縁でいるっていうのはどうなんだろうなとは思うんだけれども、
でも価値観を漂白しているからいいんです、それは。
あなたが信じるんだからって。
多分世の中的にはそうなってると思うんですよね。
でもこれがですね、さらにもう一歩行くとえぐくなってくるからやりませんけど、
ジャニーズとかあるじゃないですか。
私はこういうのでもいいよね、もう少しえぐくないやつにして、
私はタスクシュートを使って毎週何時に誰それさんと会うんだけど、
別に奥さんがいて、でもこの何時に喫茶に行き、そこで会い、そこで何かをして、
33:06
ホテルに行って、そして何か一つ一つのチェックリストを入れることによって、
証拠を綺麗に消しているんです。
いいでしょうって言われたとき、いいですねって言えるだろうか。
それはタスクシュートとは関係ないよって言い切れるものなんだろうか。
僕はこれは35、6かな、もうちょっと後だな。
ずっとそれ以来考えるようになっているんですよ。
つまりこれは非常に脅迫的な態度の一種だと思うんですけれどもね。
そこには不安が間違いなく介在してるじゃないですか。
私は多分それに対して今すぐやめましょうとまでは言わないと思うんですけど、
つまりそこに非常に正しさを手放したいという気持ちがあるわけなんですけれども、
同時にこの人いいことやってるなとは全然感じないだろうなっていうのは残っちゃうと思うんですよね。
で、それはそれでいいとされているのが現代なんですよ。
多分そのぐらいの態度でもOKなのかわかりませんが、しょうがないなのかわかんないですけど、
Xに出すと炎上しそうなネタですけれども、
でも私はこれは私がそういうのは良くないような気がするというのが相手には伝わってしまうだろうなと。
伝えないように全力を尽くしても伝わるだろうな。
つまり転移なんですが、転移と言ったら精神分析ルームじゃないから転移ではない。
東映同一化かな。東映同一化だとは思うんですよね、やっぱりね。
私がいいと思ってないっていうことが何らかの形でこの人に思ってないというだけで影響を与える。
で、いいと思うのは無理だってことになってくると、そこに僕の正しさがあることは確実なんですよ。
ということが、扱えるものが精神分析だけだと僕は思うんですよ。
ライフハックでこれを扱わないことはほぼ確実なのでいいんですが、
行動療法で扱うだろうかというと、私は扱わないんじゃないかなって思うんですよね。
なぜなら行動療法は究極的に行動を変えることを目指すので、
私はやっぱり情緒のありように焦点を当てているのと、行動に焦点を当てるのは話が違うとしか思えないんです。
ここに薬理を入れるのはどうなの?薬理を入れて不倫というものをとどめる薬を飲むっていうのは倫理的にどうなの?
というのは僕は絶対あると思います。
しかし私は今の時代それに限りなく近いことはすでにもう広範囲にやっちゃったなとは思うんですよ。
いや不倫とめる薬とかないでしょって言われるかもしれませんが、
不倫とめる薬という言い方はしませんが、交付丸薬ってものはありますからね。
例えばこの人が不倫をすごく堂々と、
いやこのタスクシュート見てください、Aさんと合ってるんですよみたいな人はいないと思うんですよ私は。
意外にもっと後ろめたいものだからこうなると思うんですよね。
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本当に良くないと思ってるんですけど。
私佐々木さんだから言うんですけど本当に良くないと思ってるんですけど実はっていう言い方をして、
これは会社でものすごく辛くなって、
お家に帰っても夫がただもう自分で勝手にゲームやって寝てっていう状況でもうなんか頭が真っ白になってしまった時に
本当に良くないと思っているんですけどっていう話になってると思うんですね。
これを、しかも数日かけての話になってると思うんです。
そこで、いやそれは辛いなということで、
ご主人との関係を話し合いましょう。
これ夫婦カウンセリングになってますよね。
ご主人にこういう風に言って、
どうしてもって言うんだったら別居とかも考えてもいいかもしれませんみたいな、
そう言わないにしてもなってますよね。
夜も眠れずに辛いというんだったらこの睡眠導入剤ってありますからちょっと処方しておきます。
僕はこの睡眠導入剤が不倫軽視剤と言わないのは単なる言葉のあやでしかないと思うんですよ。
結局ここで行われていることは今のようなのはフィクションですからね。
でも僕はこれに酷似したことは絶対今起きてるとは思ってます。
それも満タン位であると思う。
だからここで出ている睡眠導入剤は確かに睡眠に導入する薬だけど、
それが入ることにより心の平安が得られ、
愛人Aと会いに行く回数が減るっていうのが結局のところ結果としてあり、
そして最近ようやく先生の睡眠導入剤のおかげで夫との関係もまあまあ良くはなってないけど
マシになったからAさんと会ってないんです。
それ良かったですね。価値観出てるじゃんってことですよね。
不倫は犯罪ではないですからね。
ギリギリ僕が考える。少なくとも刑事罰はない。
ここに価値観は明快に出てるって私は思うんですよね。
こういうところに睡眠導入剤というものが投入されているのにもかかわらず、
価値観は中立です。
その薬というものは不倫を停止させるものではありませんというのは、
私は多分に言葉の綾だろうっていう感じがするんですよ。
ましてカウンセリングの中で夫との関係の修復に向かっている良いことだと僕も思いますよ。
でもそれは価値観でないとは言えないと思うんですよ。
良いか悪いか最終的にはわからないと思うからこそ、
この種のことに刑事罰は適用できないことになっているわけだし、
それでいいとは私は思うんですよね。
結局それは世論が決めることに最終的に、
日本は民主主義だからそういうことになっているわけだし、
少なくとも時の天皇陛下がそれを決定するってわけにはいかないですよね。
そういう話だと思うんですよ。
なんであっても例外はないと思うんですよ、この種のことに。
だから価値観が反映しているし、
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精神分析でなくたって、ちゃんとこういうところに精神薬理学だって、
ちゃんと価値観というものに沿って私たちは他人を誘導しているし、
なんなら他人の行動に強制的な圧を加えているんですよ。
で、それはライフハックだって全然例外じゃないと思うんですよね。
朝起きるのは結局良いことだと思われてますよね。
僕は良いことではないって思ってるんだけど、
これも一つの価値観ですよね。
良いことか良いことでないかっていうのは価値観の衝突がそこにあるわけだから、
朝が起きられませんっていう人がいらっしゃった時に、
僕はその話がマッチングだけで事が済むはずがないと思うんですよ。
その人は本当に朝起きたいのだろうかっていうのがまず、
少なくともそれぐらいは検討される必要があると思うんですよ。
で、じゃあ起きなくていいのだろうかってなってくると、
会社に行けませんって話になりますよね。
で、悩みますよね。
この悩みが大事だろうって思うんですよ。
悩まないで答えられるのが良しとされているんですよ、多分。
それも価値観ですけど。
裸下なんですけど。
一問一答ってのはそういうことです。
だから長話を打ち切るためにボールペンを落とすっていうちょっとしたライフハックがあるんだけど、
それは長話が良くないっていうある種の価値観を反映してますよ。
で、私はだからそういうテクニックってのは全部そうだと思うんだけれども、
テクニックを用いないというのもやっぱり正しさから逃れられないんですよ。
相手の長話を遮らなくてその方がいいんだっていう私の価値観がそこに反映されてるんで、正しさが。
で、分かんないんですよ、究極的には。
分からないので悩むんですよ。
これを物思いって言うだろうって思うんですよね。
私の身内のことでですね、私は精神科医のところに頻繁に行ってるんですけど、
先生、うちの身内が薬を飲まないと。
先生は増やすっておっしゃるんだけど、そもそも飲んでねえと。
飲んでないのみならず、睡眠導入剤だけはがめて、それだけを手に入れに実はここに来ていると、
歯科は私には思えないし、これは当人には秘密できてるんですけどねって言うと先生は、
時間ないんですよ。
医者って時間がないって、お医者さん時間ないって。
先生は。
って言ってくれるのが僕は意味だと思って言ってるんですよ。
どうせ言うことは同じなんですよ、どうせね。
薬は増やしましょう。
できればカウンシュリングも受けましょう。
そもそもアルコールは一滴も入れないようにしましょう。
生活習慣を守りましょう。
その話になるんだけど、そんなこと絶対しないなってことは、
医者だってわかってるわけですよ。
先生それ絶対無理ですって私は言うし、そこで先生は、
んーってなるんですよ。
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このんーの本気度なんですよ、結局は。
多分それ以上のものは出てこないと私も思ってるんだけど、少なくともそこでスパッとは答えが返ってこないんですよね。
で、今日はもう時間があれだし、ちょっと話が行きずれすぎるんでまたそのうちに譲りますけど、
ここで縁起って問題が出てくると僕は思うんですよね。絶対に。
雨の日の心理学でさっき言いましたけど、戸畑海人さんが、
戸畑海人さんの本の中で割と繰り返し出てくる、
自分は新学校に行ったんだけどつらすぎてしょっちゅうけびょうで休んだ。
けびょうなんですね。けびょう非常に大事ですよね。
戸畑さんはこのけびょうを使った時に休ませてやれよっていうことを書いてるわけ。
これ価値観ですね、完全に。絶対行けっていう親だっていると思うんですよ。
で、戸畑さんの親はそれに限りなく近くて、その時に熱が37℃以上ないんだったら休むなって言われたと。
で、戸畑さんがこれはひどい話だ。エビデンスと提出を求めている。
これはですね、私は冗談めかして書いてるんだけど、ひどいっていうのが重大だと思うんですよね。重要だと思うんですよ。
ひどいっていうのは冷たいってことだと思うんですね。
で、エビデンスは冷たいってから言いたいわけですよ。
ここであんに、あんにですけど、すごくあんにですけど、認知行動両方批判をしてるんですけれども、
私はやっぱり、ついでに言うと彼はここにライフハック批判を絶対込めてると僕は思うんですけどね。
だから彼はそういうところに軽触しないように書くのが実にうまくて、ひどい親だっていうふうに書いて笑いをとっておいて流すんですけれども、
私はあれはやっぱり彼は何回かのエピソードを持ってきてるし、ちょっとしたエピソードなんだけどすごく大事なんですよね。
絶対小麗ドーラはドーラではないかもしれないけども、ヒステリーって結局この話に入り込んじゃってますね。
でももうやめます。時間があれなんで。
ヒステリーって縁起性障害だと思うんですよね、今となって。
縁起ってのは結局嘘がバレると意味がないんですよね。
大婚役者ってつまり縁起が下手っていうことで嘘をついてるって意識から抜けてないわけですよね。
嘘をつくってのはすごく大事だと思うんですよ。
そのうち嘘が本当になっていく。つまりけびょうは病気になっていく。
疾病利得ってやつですよね。
でも岡田さんは疾病利得という考えは十分知っていながら、けびょうには血療ね。
血療。つまり仮治療ですね。
で、対応しろと。これがケアなんだっていうわけなんだけれども、
この話だと思うんですよね、究極的には。
で、私は最近すごく思うんですよ。
対象、まあ、何度も前から言われてたことだって言われればそうですけれども、
このけびょうというものを、
例えば熱が出てほしい、熱が出てほしい、学校行くとあいつにいじめられるから熱出てほしいって言った時に、
体がそれに応答して熱を出してくれる。
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これは無意識ってされてたけど、
私は対象関係論ってものをずっと勉強するようになったというか、本を読むようになってから、
結局これは関係性の問題に、無意識というよりは関係ってものに、
話が持ってこられているんではないかなっていうところで、までに今日はさせてください。