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115|【前編】天神地下街50年、データで見る「街の変貌」
2026-09-21 28:07

115|【前編】天神地下街50年、データで見る「街の変貌」

西日本新聞の記者が取材の裏側やニュース解説、福岡の街のあれこれをお話しする「西日本新聞me Podcast」。

2026年9月10日に開業50年を迎えた天神地下街。西日本新聞meでは1976年の開業時から現在まで5時点の全店舗を一覧にし、検索できるコンテンツを公開しています。

今回はコンテンツを製作した報道センターの金澤皓介記者が、データ収集の舞台裏やAIの活用法、店のトレンドなど50年の変貌を語ります。坂本信博メディア戦略局兼編集局上級専門委員とともに、データ報道の現在地と可能性にも迫りました。

後編では「機動展開ユニット=MDU(Mobile Deploy Unit)」をテーマに話が広がります。

#西日本新聞 #西日本新聞me #ポッドキャスト #天神地下街 #天神 #福岡 #データ報道 #データジャーナリズム

◆収録日:2026年9月15日

◆出演:金澤皓介(報道センター記者)、坂本信博(メディア戦略局兼編集局上級専門委員)、宮﨑真理子(MC/あなたの特命取材班事務局長)/ 音声編集:伊東朋宏(メディア戦略局)

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サマリー

開業50年を迎えた天神地下街について、1976年から現在までの5時点の店舗データを整理した記事の制作過程を紹介する。店舗数は開業時の109店から2005年頃の約158店を経て、現在は129店となり、書店やカメラ店、レコード店などが減る一方、ATMや宝くじ、修理・買い取り系などサービス業が増えた。紙資料の文字起こしや分析には生成AIを活用したが、店名の判読などを含め、最終確認は人間が担った。後半では、資料を掘り起こして時系列に並べ、地域の変化を可視化するデータ報道の意義と、生成AIによって少人数でも取り組みやすくなった可能性を語る。

天神地下街50年の店舗データ
西日本新聞Podcast
西日本新聞me Podcast
この番組では、西日本新聞の記者が、取材の裏側やニュースの解説、福岡の街のあれやこれやを話していきます。
こんにちは。福岡のニュースアプリ、西日本新聞meの宮崎麻里子です。
今日は、報道センター記者の金沢浩介記者と、メディア戦略局兼編集局上級専門員、メディア戦略担当部長の坂本信弘さんに来てもらっています。
今日はよろしくお願いします。
こんにちは。よろしくお願いします。
こんにちは。坂本です。よろしくお願いします。
実は、西日本新聞me Podcastと、あなたくんPodcastが月曜に配信になって、初めての西日本新聞me PodcastのMCになるので、ちょっとドキドキしてます。
この先にですね、西日本新聞Podcast、今まで最大12番組があったんですけども、それを一つのチャンネルに統合して、西日本新聞meチャンネルというチャンネルの中で様々な番組を聞けるように、
皆様の利便性とか、あと持続可能性というところを考えてやりました。
それでMCも何人か変わった番組がありまして、あなたくんPodcastでずっとMCをやっていただいていた、宮崎麻里子さんにme PodcastのMCもやっていただくということになりました。
お願いします。緊張してます。
3代目ですかね、MC。初代、あ、me Podcastは横山智則さんに次いでの2代目ですよね。
あなたくんPodcastの方は梁さんの次いででした。
よろしくお願いします。
今日は2本立てで進めていきたいと思います。
まず金澤さんがまとめてくださった記事、開業50年の天神地下街を出発点に、データ報道ってそもそも何なのというお話を聞いてみたいと思っています。
そして後半では、この8月の移動でメディア戦略局に新しくできたチーム、機動展開ユニットについてチームリーダーの坂本さんに詳しく聞いていきます。
すごく気になる名前なんですけれども、ちょっとこれは後半に、後編にお待ちいただいて、まずは金澤さん、天神地下街の記事から教えていただけますでしょうか。
じゃあご紹介します。
天神地区の渡辺通りの下をある長い地下道ですけれども、9月10日に開業50年を迎えました。
もともとは途中の、今の西鉄の駅の三越に繋がっているきらめき通り辺りのところまでだったのが、地下鉄の7日間線の開業に伴いまして今の長さになっているんですけれども、
その地下街にどんな店があったんだろうというのをちょっと紹介できればいいなということで記事を書き作りました。
それはもともとうちの過去の記事で開業した1976年のクラストカーの日に、開業についてお知らせするような広告の紙面があるんですけれども、
そこで全部の店を紹介するような地図が載っているんですけれども、
その記事と、10年後の86年、20年後の96年、地下街が延びた2005年と、今年9月の時点で地下街にあった店というのを一覧表にまとめています。
そういう中で店舗名とか業態を分析して、どんな店がこの時期に多かったのかみたいなものをまとめてまして、
私今43歳ですけれども、20代の頃はこんな店があったなみたいなものを見て懐かしんでもらえるようなそういうふうなことを考えながらコンテンツを作りました。
今回の記事の概要欄にリンクを貼ってますけれども、開業50周年の前の日の夕方、9月9日の夕方にカナダ記者が書いた記事が西日本新聞MEで公開されたんですけれども、
ちょっと異様な記事ですよね。今までの西日本新聞MEの数ある記事の中でも見たことのないぐらいひたすらいろんなお店の名前が出てくると。
本当はね、もっとちょっと余力とか時間があれば、例えば地図とかと合わせてもっと見やすくするとかっていう努力をできたんですけど、そこまでちょっと余力がなかったんですけれども、
キーワードを入力すると検索ができるようにしたりとかですね。もともと地下街、一番最初は1976年に開業した109店舗で、今ちょっと北側とかで改装中の店舗があるんで、
今ホームページに載ってる店舗っていうのが9月9日時点で129店舗なんですけれども、それらの店がどういうふうに入れ替わっていったか。
2005年の時にやっぱり伸びてて158店舗ぐらいまでかなり店の数が増えてるんですけど、今だいたい営業してる店が129店舗。
一番最初スタートした時が109店舗で、そこから最大値が158ですか。
で、現在129。
この50年分の膨大なデータを並べてみると、天津の街そのものの移り変わりも見えてきたりするのかなと思ったりもするんですけど、
実際に膨大なデータをまとめていて一番驚いたこととかってどんなことですか。
そうですね、昔からある店がどのぐらいあるのかなっていうのがまず一つ気になったので、その店っていうのが全部で9店舗あるんですけれども、
これもいろんな定義の仕方があって悩ましいんですけど、同じ業態で同じ店の名前ってところなんです。
で、地下街を運営する福岡地下街開発さんにも聞いてこの9店舗という形になって、やっぱり9店も同じ店が続いてるっていうのがすごいなと思って、
店の業態と街の雰囲気の変化
具体的にはもう読み上げますけど、壁屋さん、お蕎麦屋さん、大谷薬局さん、薬局白十字さん、
福岡屋さん、これも婦人服ですね、エイブさん、これも婦人服のお店ですね、チロールさん、これは飲み物が喫茶店さん、
ロッペさん、銀座関根さん、京都福寿園さん、福寿園さんはお茶ですか。
みなさん、天神地下街の思い出って何かありますか?一番最初に天神地下街行った日とか。
会って当たり前だったので、一番最初に行った記憶っていうのはあんまりないんですけど、
昔から行くと何か買える道、地下街があるっていう感じで、買い物するときは洋服を買ったりするときは天神地下街を利用させてもらったりしてますね。
私、福岡市の博多区で生まれたんですけども、幼稚園から中学校2年生まで鹿児島に育ちまして、なので物心ついてから帰ってきた、初めて博多に帰ってきたのが1985年とか6年の、今回金沢記者がまとめてくれている当時101店舗あったときだったんですけど、
今でも覚えてるんですけど、初めて天神に、当時東区に住んでいて、家族で行って雨の日だったんですけど、地下街に降りたときにこんなに人がいるのを見たことがないというか、人生でこの空間、目の前の空間にこんなに人がいるんだっていう、すごい都会っていうのを鹿児島人たちの少年が初めて実感した瞬間だったんですよね。
なので、天神地下街に行くという意味では思いがすごい強いというか、ザ都会という私にとっての印象だったんですね。
地下街自体はもともとそういう通路、商業施設をつなぐ道みたいなそういう風なコンセプトで生まれてたんですけど、今となって言えば今年なんかすごい猛暑で、やっぱりあそこはものすごい涼しいじゃないですか。
そういう意味では雨にも濡れないし、快適に過ごせる人で、本当に時代の先を見ていたなという感じがありますね。
業態なんかもすごく変わってきてて、今回どういう風に分類しようかというのを色々考えながら分析したんですけど、
医療品の店、健康とか美容用品の店、生活文化用品の店、飲食、食品の店、サービス金融の店という大体5つの分類で分けたんですけれども、
もともとはやっぱり、一番最初、もともとはやっぱり医療品の店が多いんですけど、一番最初かなり飲食、食品の店が、今はどちらかというといわゆるお店で何か食べるというよりかはお菓子を買ったりとかそういうお店が多いですけど、
一番最初は寿司屋さんとかうなぎを出す店なんかもあって、
今はもうないですか?
今はないですね。
で、一番最初は本当に書店とか、本屋さんもつい数年前までありましたけど、本屋さん、カメラ屋さん、レコード屋さんなんかもあって、
なんかやっぱり地下の商店街みたいな、そういう印象が強いところから始まってたんですけれども、
その後は飲食、食品の店が少し減って、寝室屋さんってやっぱり昔はすごいたくさんあったんですけれども、これもだんだん減っていって、
今はホームページ上でメンズの店を扱っている店というのも一つの店舗しかないような感じになっているので、
Yシャツとか?
そうですね。
だからそういう変化があるのと、あとはやっぱりだんだんサービス業的な店も増えてきて、
銀行のATMだとか、宝くじのお店だとか、靴の修理屋さんとか、だんだん今は買い取り系の店だとかがあって、
だんだん業態が変わっていっている感じがして、そういうところでコンビニができたりとかもそうなんですけれども、
ちょっと店のチンチン対策というか、本当に流行りスタにも当然あるでしょうし、いろんな理由があるんでしょうけど、
やっぱりすごく店の雰囲気が変わってきているけれども、一方で薄暗い感じのツールとか、もともとヨーロッパを意識したそういうふうなところですけれども、
やっぱり店の自体の全体としての地下街の雰囲気自体は、この記事に昔の写真も載せているんですけれども、
全然昔のこの50年前の、入っている店は違うけれども、全体としての店の風景というのは変わらないし、面白いなと思います。
ほとんど変わらないし、天井とか独特の石畳みたいな、他の全国あちこち地下街に行きましたけど、あまりない雰囲気ですよね。
確かに通路というよりは、本当に街がそこに作られているみたいな。
しかもステッドガラスとか、独特の中世の西洋の雰囲気が立たれているんですよね。
19世紀ヨーロッパの街をイメージしているので、
この記事、このポットキャットが公開される頃には、そういうデザインとかそういうことにも力を、こういうところが力が入っていますみたいな記事も公開されていると思いますので、
そういうのもちょっとお楽しみにしていただければと思います。
天井石畳って言うと、音楽がやっぱり好きで、朝9時半くらいですね。
10時。
10時で、以前、今私はメディア戦略局というところにいるので、修行時間が9時半なんですけど、
以前は編集局がメインだったときは、修行時間が結構ゆっくりというか、知られ先にいて、そこから会社に戻るということが多かったので、
朝10時くらいに通ると、独特のテーマソングというか、以前アナトクポットキャットの商売がよくなりましたよね。
ララララララン、ラララン、ララランって、トークもありましたよね、最初に。
ライフ攻撃。
あれ独特だなと思って、あれがまた音楽が続いているというのが、この街の好きなところなんですよね。
個人的にやっぱり、今どうしても女性向けのお店が多いですけど、私も子供の頃、おもちゃ屋さんピークっておもちゃ屋さんがあったりとかして、
子供の頃にもお出かけしたときに、やっぱりそういうおもちゃ屋さんがあってワクワクする場所だったな、みたいな思いがありますけどね。
紙資料と生成AIで進めるデータ整理
でもこれだけの店が、今回は50年の今、そして40年前、30年前、20年前、10年刻みでこの店舗のリストが今回記事にまとまっているんですけど、
こういうのってそもそも今までないものだったんですか?
このまとめって、今回金沢記者が作って初めてまとまったものになるんですか?
そうですね。もちろん地下街の歴史を紹介していたりする中には、こういうふうな形でどういう店があったかっていうのを見ることはできるんですけれども、
経年変化を負うというか、なんとなく感覚として、自分も今40代なんで、流れで店が変わってきてるな、みたいな印象があるんですけど、
実際にこうやってお店を分類してみて、印象を証明するようなものっていうのは多分ないのかもしれない。
今回は、金沢記者は西日本新聞を代表するデータ報道のデータジャーナリストなんですけども、
今までの学びとかが活かされているのが今回の記事なんですけど、
そもそもいつぐらいからこれをやろうと思ったんですか?
そうですね。もともと9月にこういうタイミングが来るっていうのは分かってたんで、本当は作業自体は特勧コーチでやったんですけど、
実際やるならやっぱりこういう変化を、なんとなくこうでしたねみたいなことを、
それこそ実際にお店を取材したり、利用客の方を取材したりもしたんですけど、そういう方々に語ってもらうのもいいんですけど、
いっぱいそういう、あるこういうオープンデータと言っていいのかじゃないですけど、
こういう実際あるものから歴史を見るみたいなのはぜひやりたいなと思って準備をしてきたところでした。
ちょうどこの記事を出されるときに金沢記者と話してて、ちょっと印象的だったのが、1年前だったらこの作業はできんかったっていう話をちょっと言われてて、
そういうのがちょっと印象的だったなと思ったんですけど、そもそもデータ報道って普通の記事とか取材と違ったりとかするのかなと思って、改めてそのあたり聞けたらと思って。
データ報道自体っていうとすごく概念が広がっちゃうかもしれないですけど、もともとこういうデータ報道なんでやるのかっていうと、せっかくこういう資料があって、
でも記事にするのってやっぱりごく一部だったりとかするんで、そういうものをせっかくこっちであるデータをもっと有効に見せ方とかをして活用したいなみたいなのがもともとここにあって、
いわゆる本当そういうことを誰も知り得ない資料を発掘してきて見せるみたいなものもそういうことなんかもデータ報道でもっとあれなんですけど、これはもともとライトなタッチで、
いわゆるうちの新聞に載っていたりだとか、過去のそういう天然地下街のコミュニティー誌とかに載ってたりするもの、紙ベースのものがあって、
紙ベースのものをもう拾ってきて、それを一文字一文字手で打ってたのをAIとか生成AIとかも使いながら、そういう分析して、最終的にでも生成AIを使ってやっていって、
大体的に自分の目で確認して、AIが出してきたものを確認する中で、あれおかしいなとかそういうのもあるんで、そういうのを人間の手である程度またきれいにするって話で、
さっき宮崎さんがおっしゃった1年前っていうところでいくと、1年前、例えばこうやってAIを使って作業したときに70%くらいまでしかいけなかったのが、やっぱりこの1年くらいすごく精度とかが良くなって、
90%、95%くらいのところまでいって、1年前にはできなかったっていうのは、たぶん同じようにすればある程度のものは出てくるんだけど、チェックで修正したりとかめちゃくちゃ大変で、経ったのがすごくやっぱりそこはAIの進化みたいなところですね。
労力とかかかる時間とかそういったところですか。
結果的にさっきも言いましたけど、やっぱり最終的にチェックするのは人間なんで、人間のチェックっていうのは絶対あれなんですけど、ほとんど疑義が生じないという。
今回やったのはたぶん1なのか、間数字の1なのか横棒なのかがはっきりしなくて。
お店の名前とかね。
結局どうやって調べたかっていうと、またうちの新聞の方に戻って、うちの新聞にその店が別に広告を出してて、そこでまた別の読み方があったっていう話があったんだみたいなのがありましたけど。
昔はやっぱりそういう、特に日本語とか英語の文章とかはきれいに読めるけど、日本語の文章はいわゆる画像認識が難しいと言われてきたんですけど、この1年くらいでそのようなすごくいい進化してるなって思ってます。
1976年の開業時の109店舗あるんですけども、そこの資料見ても中にはロペさんとか英語じゃないものも入ってますよね。
Eの上に点がついてたり。あと紳士用品店で純一新。ローマ字でjunとあって横棒に1があって。
純一新さんが1なのか横棒なのか。
-なのか-なのかっていうところですかね。
実際もう今はお店がないところとかでも難しかったりしますよね。今のアポストロフィースターでも実際入ってなくて、私も点検してるときにおかしいなと思ってそれ見たら、実際の画像を見てるとすごいやっぱりシミなのか。
1976年の西日本新聞の特集から。
画像にしたものを見てたんですけど、古い新聞だからその辺の読み取りが。内容としてはそのくらいですよ。あとはほとんど完璧に読んでくれるような。
こういう技術を使いながらやってるので、今みたいに話せば懐かしいなっていうのが出てきて。こういうのってこういうふうな形で頼ることしかできないんで。
そうですね。一つ一つのお店にやっぱり読者の方一人それぞれまたいろんな思い出もあるでしょうし、お店の名前見るだけで当時のことを思い出したりとか。意義深いですよね、これは。
岡本さんはデータ報道にも知見が高いと思うんですけど、今回の記事を見て率直にどう思われましたか。
データ報道はオープンソースのデータ報道で世の中に出ているものを解析する作業もあるんですけど、世の中に出ているものが必ずしもいつまでも世の中に出ているわけではなくて。
インターネットの時代になって世の中に出ているものすべてがネットの海にあるようにも思うんですけど、実はもう絶版になった本だったり、今世の中には表に出ていない資料だったりっていうものがあって。
なのでデータの掘り起こしも一つのデータ報道の大きな特徴だなと思っているんですけど、今回の場合は西日本新聞の地下街ができた日の特集面とか、あとは天神地下街のコミュニティー誌、天神地下街ショップガイドとか。
ここから金沢記者がデータを集めているんですけど、このショップガイドっていうのも何かこうやってまとまっているわけではなくて、文字がバーッと並んでいるわけではなくて、お店の地図とかそういったところになるんですか?
地図と簡単なリストみたいなのがあって、当時のそういう風に開封していたりとか、紹介していたものとかが多分ベースになっている。
そういう意味ではデータ報道は一つを、その作業の過程で埋もれているものを掘り起こすというものもあるんですけど、その一つ一つのデータに横櫛を指すというか、揃えてみるとこんな意味がニュース価値が出てくるみたいなのも一つのデータ報道の特徴だなと思うので、今回のこの金沢記者の労作業のおかげで、この10年ごとの街の推移が見えてきたり。
立体的になっていきましたね。
結構、自分なんかもさっき思い出を話しましたけど、そういうのがあるから面白いですよ。
こういう名簿の称号みたいなのが苦しい作業になるのは辛いですけど、やっぱり明らかになることもあるし、やっぱりやってて楽しい作業で。
これでも今の時代の派ではなのかなと。
これは例えば全部紙であるから、全部文字起こしして掲載しようって言うと結構フーってなるじゃないですか。
それをある程度技術は使って、自分がちゃんとチェックをしてみたいな形で、ちゃんとこういう風に皆様に楽しんでもらう形でお届けするみたいなのって今の時代の派ではなのかなみたいな。
それが生成AIをうまく使うことによって、当然チェックは最後に人間がやるんですけども、少人数でやろうと思ったらふと明るくできる。
前だったら10人記者を集めてとか、エネルギーを作るんだったら他のことにみたいなのがありましたけど、仕事ができる幅が広がってきた部分はありますよね。
データ報道の可能性と人間の検証
今回はまた検索できる次第にしていくというのが、ただのお店の羅列ではなくて調べることができるっていうのがいいですよね。
データは資料とかでいろいろ集めてきて、この形にしたと思うんですけど、データ報道の現状と可能性について最後によかったらお二人それぞれお聞かせいただけますか。
できることっていうのが、ハードルがすごく下がってきてると思います。
以前は分析したりとか自分でプログラムを書いてとか、そういうのをある程度理解してないとってところで、しかもやっぱりそこで参入成績がすごく高かったりすると、今はかなり生成AIの力を使ってできる。
一方で、さっきも知ったように最終的な検証は人間がやらないといけないし、なんでこういう風になったんだろうというのが分からないのは、やっぱり特に出会いの気持ち悪さというのはあると思うんで。
どうやってこの作業をしたのかというか、機械の裏側というか中の部分ですかね。
そういう仕組みでやってますけど、自分は相当そういうのをちゃんと全部出した上で、何かおかしいことをやってないかというのをちゃんと検証してみたいな感じですけど。
今は何でもノーコードとかで作れるようになってしまった時に、きっとしないものができたけど、何がこうなってこうなったかよく分からないみたいな。
結構今AIってよくある。良いところがすごく大きいけど、その辺のちゃんとディスクだとか怪しいところはやっぱり人間がやる、機械の中で検証するみたいな再現可能性があるかどうかを含めてやるっていうのが多分かなと思います。
一方で最初言ったみたいに、みんなやりやすくなってきてる時代だと思うんで、こういうことやっても面白いなみたいなのがもっと緩やかに広がっていくといいのかなというふうに思います。
今もあらゆるデータが世の中にたくさんある中で、何を持ってきてそれをどう料理すると言いますか、整えてニュースの価値を生み出して読者の方に示すかっていうのが一つの特徴ですけど、
確かに金田学者のように一生懸命自分で勉強して、金田学者の場合は学校にも通ってデータこととかを修行した記者がいるんですけど、ともすればその記者ばっかりに全部その記者がやることしかできないみたいなことがありましたけど、
今はその生成AIを補助の道具として使うことによって、その金田学者の知見をまた同僚に共有したりとかもできますし、横に広げていけばより深い、また以前だと大きな報道機関しかできなかったことがノウハウさえ、あとはアイデア勝負というか視点の面白さとかがあれば、他のどのメディアもやれてない、どの企業もやれてないデータを届けることができるようになってきたというのは面白いと思いますよね。
今、放送文化基金という財団方針から我々金田記者とか我々で地域時アナリズムデータ報道推進グループというグループを作ってまして、助成金をいただいて、日本各地のローカルメディアとかテレビ局とかに参加を呼びかけて、3ヶ月に1回くらい記者準備をやってるんですよ。
すぐれたデータ報道をやってる記者とか選達の人たちにどうすれば自分たちも応募ができるかみたいなのを広く新聞社とか所属する組織を超えてお互い学び合うみたいなことをやってるんですけど、こういう不正を追求とか災害の隠れた被害をほぐり起こすみたいなのもやりつつ、今回の金田記者が取り組んだように地域の暮らしの足元というか、まさに地下街だけに地下に眠っているものの
歴史とかをうまくデータを整えることで、自分の人生とか社会の編成みたいなのも思いを致すことができるデータ報道ってすごく面白いなと思いました。
ありがとうございます。次回も引き続き金澤さんと坂本さんにお話を伺いたいと思っています。後編では今年8月の組織改変でメディア戦略局に生まれた機動展開ユニットMDUモバイルデプロイユニットについて坂本さんに詳しくお聞きしたいと思います。
ここまで聞いてくださりありがとうございました。今後も番組の応援と西日本新聞、スマホアプリ西日本新聞MEの購読をお願いいたします。本日はありがとうございました。
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