西日本新聞のスポーツ記者が、取材現場ならではの視点で競技の魅力を語る西日本新聞meポッドキャスト『スポーツ余聞』。
今回のテーマは、8月に今季限りでの引退を会見で表明した福岡第一高出身の陽岱鋼選手です。
日本ハム、巨人でプレーした39歳は米独立リーグを経て現在はオイシックス新潟に在籍しています。台湾出身の陽岱鋼選手は2005年のドラフト会議で日本ハムとホークスから1位で競合指名を受け、ホークスが指名権を得たかと思われましたが、勘違いで日本ハムが指名権を得たハプニングもありました。その際に見せた涙の真相は?
日本ハム時代に取材した真相も振り返りました。ぜひお聴きください。
◆収録日:2026年8月19日
◆出演:大窪正一(スポーツ記者/報道センター)、中富一史(MC/販売部)、音声編集:中富一史
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西日本新聞 me Podcast スポーツ予聞
この番組は記者生活の大半をスポーツの現場で過ごしてきた大久保さんが、アスリートの素顔やスポーツの可能性についてお話しします。
こんにちは、西日本新聞社販売部中富一文です。
西日本新聞の大久保昌一です。よろしくお願いします。
はい、どうぞよろしくお願いします。
ということで、今日はフォークス、そして福岡にも縁があった野球選手の引退についてちょっとお話しできればなと思っております。
8月1日にですね、引退会見を行った選手がいるんですけども、
この選手が陽大館選手ってご存知でしょうか。
福岡出身ですね。
福岡の高校出身ですね。
もともと台湾の出身で、福岡第一高校に留学して、2005年に高校生ドラフトの一巡目で日本ハムに入団して、その後、巨人に席。
巨人の後はアメリカの独立リーグに行き、そしてこの引退会見を行うという国内の独立リーグのオイシックス新潟。
こちらの方で所属してプレーを続けてたんですけども、この8月1日に引退会見を行いましたという、今39歳です。
この方は日ハム時代、フォークスとよく対戦してたんですけど、よく打ってたんですよ。
よく打ってるし、趣味もすごかったですよね。
本当にすごかったですね。
福岡第一ということで、福岡には縁のある選手なので取り上げたというのもあるんですけども、
福岡と陽台間選手といえばということで、先ほど日本ハムがドラフト一巡目指名したと言いましたけど、
この2005年10月の高校生ドラフト会議ですね。
ここでちょっと騒動があったことを振り返るかなと思ったんですけど、
あの会議では一旦交渉権獲得球団にフォークスと発表されてしまったんです。
フォークスもドラフト一位で。
混乱が起きたんですね。
当時この陽台間選手はもちろん福岡第一高校出身ということもあって、
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フォークスに入りたいという思いがあったので、やったーと思ったら実は違ったということで、
そのタイミングで涙を流していたんですよね。
その後、日本ハムとその日本ハム側の熱烈な交渉みたいなことで、
結果的に日本ハムに入ったということで、
フォークスのすごいライバル選手で、フォークスの阻む高校選手になったということなんですけど。
ちなみに台湾人で、台湾の人ってことですかね。
ここ厳密にちょっとあれなんですね。
台湾の人ではその史上最高位の指名当時、ドラフト一巡目ってことで台湾では話題になったということらしいです。
すごいですね。
この選手なんですけど、先ほど言ったドラフトで泣いたっていう。
これはフォークスに入れると思って、入れなくて泣いたのかなという風な見方もされてたんですけど。
実は僕、日本ハムにいる頃に、洋大館選手に取材したことがあるんですね。
九州、沖縄とかのゆかりのプロ野球選手を取り上げるプロ野球共同税ファイルということで、
西日本スポーツの方で私取材していたんですけど。
その一人として、洋大館選手を取材したんですが、
洋大館選手ってもともと内野種から転校して外野種になったんですよね。
転校期にブレイクして、そして日本ハムで主力選手になったんですけど。
なぜ、まず台湾から洋大館選手が福岡に来たんだというところから聞いてみました。
福岡第一高校留学先に選んだ理由なんですけども、
先に2歳違いの2番目の兄、ヤン・ヤオファさんですね。
この選手が留学していたそうなんですね。
台湾の台北の高校で野球やるかどうかっていう時に一緒にやるかって誘ってくれて、
福岡第一の方に来たという。
ちなみに台湾から福岡に来て、カルチャーショックはなかったって聞いたんですけど、
大変でした。朝か早朝から日本語の勉強をして、
毎日夜遅くまで野球付け。
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最初は日本語が話せず馴染めなかったということですけども、
ただ同級生がすごく優しくて、身振り手振りで根気強く教えてくれて、
監督の指導も野球の方も信頼していたということなんです。
福岡第一高校の1年生の夏の福岡大会から、
背番号6を付けて5番出射。
主要選手。
4番だった2年生の夏は決勝戦まで行くんですけど、
西日本担大夫に負けたと。
その時に第一強かったですよね。
3年の夏も2回戦で西日本担大夫にもう一回負けた。
負けたんですけど、9回裏にですね、
高校生最後の打席ということで、
ホームラン制のあたりを打ったんですけど、
ファールになったということで、
養大寛選手は野球人生の一番の思い出かもってことです。
すごいですね。
覚えてましたですね。
ホームランかファールかみたいなところのファールっていうのは、
ずっと覚えているものなんですね。
そうなんですよ。
で、そういう思い出を持ってドラフト会議に入って、
日本のプロ野球に入りたいという思いは強かったそうなんですけども、
当時は甲子園に出ないとプロに行けないと思い込んでいたので、
ショックだったと。
3年の夏に西さんに負けてですね。
で、2005年のドラフト会議です。
日本ハムとフォークスから1位で競合指名を受けた。
最初はフォークスが指名権を獲得したかと思われたけど、
勘違いがあって、
日本ハムということになって、
そのことの経緯を聞いたんですけど、
その時の正直な心境は?って聞いたら、
2つの球団が指名してくれて本当に嬉しかったそうです。
というのは、これで日本のプロ野球選手になれると思った。
で、涙が出た。
なので、フォークスに行けなかったから泣いたというわけではなくて、
日本のプロ野球選手になれるという喜びの涙だった。
なるほどね。
ただですね、確かにフォークスだったら、
台湾の英雄でもある王さんが監督、当時は監督だし、
本拠地が福岡だし、
で、4歳上の一番上の兄ですね。
先ほどの留学を決めたのは2番目。
また別ですね。
長兄のヤン・ヤオシュン選手もフォークスとの契約に合意していたので、
その頃一緒だったんですね。
そうですね。
残念だという思いはありましたけど、
本心はプロ野球選手になれることが決まったという意味での
嬉しい涙だったそうです。
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会見では複雑な顔を浮かべてたよ、みたいな話をした時には、
混乱して嬉しいですとしか言葉が出てこなくて、
残念があっていると誤解されました。
あの頃は今のように日本語が使えず、
うまく本心を表現できませんでした。
あの日ってみんな運命の別れ道というか、
動揺は隠せないというか、
困惑するでしょうね。
そうですね。そういう話をされていた。
私自身も悔しい涙だったと思っていたので、
この取材で私自身もスッキリできました。
そこから日本ハムに入って、
先ほども言いましたように、
内野州から外野州に転校して、
ブレイクして、
2016年の巨人に移籍して、
2021年まで日本ハム巨人で、
NPBの通算で1322試合に出場して、
打率2割7分、
105本塁打、482打点、141投塁、
4度のゴールデングラブシフト、
通るようにも2013年に離れました。
というようなブレイクを果たして、
中富さんがおっしゃったように、
フォークスの勝利を阻む中で、
すごい選手でした。
すごい選手でした、本当にイメージは。
なので、逆に私自身追いかけていて、
その後、巨人の後、アメリカの独立リーグに行って、
日本のOE6新潟というチームに行って、
まだ野球をやっていることに対して、
私自身結構嬉しかったんですよね。
全然選手と違いますが、川崎宗則選手が、
まだ40歳を超えてやっているように、
元気にやっているなと思ったところで、
この8月の大会見だったもので、
少し寂しい思いもあってですね。
ぜひ取り上げさせていただきたいなと思っています。
結局、39歳での決断ということですので。
私自身は福岡第一の時の印象も残っているんですけど、
フォークスの高番をしていた関係で、
どちらかというと、
日本ハムのすごい選手だったので、
印象が強いです。
すごいですね。
ヨートルシですね。
守備がすごかったですよね。
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肩も強かったし。
肩強かったですね。
すごい選手でした。
そう考えると、福岡の生まれではないですけど、
福岡って改めて野球どころというか、
そうですね。
中止さんは野球をやっていらっしゃったからですが、
福岡って自然に子どもが野球をやるような空気感があるんですか?
自分の頃、もうだいぶ前ですけど、
サッカーのクラブチームより野球のチームがめちゃくちゃ多くて、
小学校、低学年からみんな野球をやっていたんですよ。
だから自然と野球をやるもんだと思って野球をやりましたけど。
サッカーのほうではなくて。
全然サッカーチームはなくてですね。
地域によっては違うんでしょうけど、
そういう部分と、
あとはダイエー・フォークスというのがその当時はすごかったですね。
やっぱりプロ野球球団があるというのは素敵ですよね。
めちゃくちゃでかいですね。
そうですよね。
確かに、間近にプロ野球選手が見れるというのは環境ですね。
環境ですね。
前回、スポーツ余分のポッドキャストで話しましたけど、
スポーツの環境というのが大事なんでしょうね。
そうですよね。
両大館選手、引退ということですけども、
今後のセカンドキャリアですね。
どのような道を歩むかというところですね。
私自身ちょっと関心はありますね。
本当ですね。
ぜひ福岡に乗ってきてくれたら嬉しいんですけどね。
福岡第一の監督なんかやってもらって。
いいですね。見に来たい。
そうですよね。
そういう思いもあってですね。
実はフォークスと相思相愛だった両大館選手。
あの涙は悔しい涙ではなくて野球選手になる嬉しい涙だった。
これを取材した記憶をもう一回引退に際して伝えたいなと。
20年ぶりの真実。20年を経ての真実ですね。
そうですね。改めて。
紙面では当時現役時代には伝えたんですけど、
改めて8月1日引退ということで、
そういう野球選手の裏側とかですね。
それを伝えさせていただきたくてお話ししました。
ありがとうございます。
はい、じゃあエンディングです。
ここまで聞いていただきありがとうございます。
大久保さんのスポーツ予聞は西日本新聞とスマホアプリ
西日本新聞MEで好評連載中です。
ぜひごご読をよろしくお願いいたします。
本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
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