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128|思い出いろいろ!天神地下街50周年
2026-10-05 18:13

128|思い出いろいろ!天神地下街50周年

あなたの声が社会を変える。読者と記者がSNSでつながり、暮らしの疑問から地域の困り事、不正の告発まで徹底調査し、あなたの「知りたい」にこたえるオンデマンド調査報道「あなたの特命取材班」(あな特)。

今年は1976年9月10日に天神地下街が開業してから50年の節目です。

あなたの特命取材班は、天神地下街と80周年を迎える新天町商店街にまつわるアンケートを行いました。

アンケートに寄せられた皆様の思い出やクスッと笑えるエピソードを記者がご紹介します。

◆収録日:2026年9月30日

◆出演:福間慎一(報道センター記者)、黒田加那(MC/報道センター記者)/ 音声編集:伊東朋宏(メディア戦略局))

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サマリー

天神地下街の50周年に合わせて寄せられた約120件のアンケートから、読者の思い出を紹介する。地下鉄の乗り換えで走った経験、ピーコックのおもちゃ屋、ディスコ帰りに石畳を走った思い出、インフォメーションの係員を人形と思った幼少期のエピソードなどが語られる。開業直後に購入した服と、写真や日記には残らなかった夫婦の結婚記念日の記憶も取り上げる。今後への要望では、エスカレーターと休憩場所を求める声が多く、中央広場のベンチがなくなった経緯も説明される。一方で、石畳や唐草模様の天井など、独特のデザインと変わらない雰囲気を残してほしいという期待が示された。新天町商店街の80周年にも触れ、関連企画「イマココ天神博多」で地下街の店舗や換気塔のアート性を紹介している。

天神地下街に刻まれた幼少期の記憶
西日本新聞 Podcast
西日本新聞B、あなたの文。
ポッドキャスト。
このポッドキャストは、読者の調査依頼に応える 西日本新聞の課題解決型調査報道
あなたの匿名取材班の果敢な挑戦を紹介する番組です。
こんにちは、あなたの匿名取材班の黒田香菜です。
今日は、報道センターの福間新一記者をゲストにお呼びしています。
よろしくお願いします。
こんにちは、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
今回、私たちも馴染み深い天神地下街がテーマの記事ですが、
福間さんは地下街の思い出といえば何かありますか?
そうですね、ともかく私たちの会社が地下街に直結していますので、
日々思い出が刻まれているというところでもあるんですけど、
一番昔の思い出はですね、本当に物心つかないかぐらいですね、
それぞれお店の通用口のところの扉の上に214とかですね、
217とか番号がついてるんですね、
あの数字は何だろうとかですね、
この先に不思議の国があるんじゃないかとか思ったりですね、
というのがやっぱり最初の記憶です。
あとはやっぱり、これは東の2番街か3番街かにあります、
昔、ピーコックっていうおもちゃ屋さんがあったんですけど、
そこのおもちゃ屋さんの前にですね、
いつも電池式で動いて鳴く犬のおもちゃが動いてまして、
で、いつもそのキャンキャンキャンキャンという声がずっと頭に残っていて、
いつの間にかですね、うちにドンちゃんっていう犬のぬいぐるみの稼働式おもちゃがあったんですけど、
これもしかしたらピーコックじゃないかなって今思えば思いますが、
ちょっと定かではありません。
小さい頃の思い出忘れないですよね。
そうですね、ちょっと刻まれますね、声がですね。
ありがとうございます。今日はよろしくお願いします。
いえいえ、よろしくお願いします。
アンケートに寄せられた多世代のエピソード
今日のエピソードは、天神地下街50周年についてお届けします。
今年は1976年9月10日の開業から50周年、
そして新天町商店街本部1946年10月15日の開業から80周年を迎える大きな節目の年です。
あなたの特命取材班では商業の街、天神を代表するこの2つの街について、
皆さんの思い出やエピソード、そしてこれからの街への期待を募集しています。
天神地下街については、このアンケートでどんな声を寄せられたんでしょうか。
私たちのアンケートに大体今120件ぐらいの声が寄せられました。
一番若い方で10代の方から80代、90代の方まで幅広く寄せていただきました。
いろんな声が寄せられていますが、いくつかご紹介をしていただけますか。
まずですね、年齢が若い方から順にまとめて見ましたけれども、
福岡市の26歳男性のネクサスさん、今回はニックネームも一緒に募集をしておりますので、
ニックネームと合わせてですね、当時福岡大に通っておりまして、
福岡市地下鉄空港線から七熊線の乗り換えで毎日全力疾走していましたということでした。
これ今は博多まで延伸しましたけど、できた当時、本当に2023年に延伸するまでは、
天神、南駅から天神駅まで地下街を結構急いで歩く方っていうのは日常的に見られた風景だったので、
この方の思いで早速取り上げさせていただきました。
続きましてですね、これは東京都の品川区の女性の方からいただきました。
50歳の方ですね。子供の頃に連れられて行った時に、暗くて迷路みたいでみんなの足が速いっていう印象でした。
でも憧れの場所で今でも変わらずおしゃれで自慢の地下街ですというのを東京の方がおっしゃっているというのが印象でした。
品川の方が東京に負けない地下街だというところでした。
そしてこれは次はですね、カチョキンさん、福岡市の男性、52歳、自営業の方ですね。
子供の頃クリスマス商船真っ只中に連れて行ってもらった地下街がキラキラしていて思い出として残っています。
ピーコックではないかと、クリスマスといえばプレゼントですので、じゃないかなと思うんですが、もしかしたら違うかもしれませんが。
続きまして、ちょっといくつか、まだまだいきます。
チュキプリンさん、福岡市の女性、57歳のパート従業員の方。
大学生の頃、親福岡通りにあったディスコから最終電車に乗るために地下街を慣れないヒールでダッシュ。
何度あの石畳に足がはまったことかということですね。
最近はヒールの型が少なくなって、あまり地下街がコツコツという音が聞こえないんですが、その代わりゴロゴロの音が。
そうですね、キャリケーションですね。
そう、こっちの音がすごく響きますね。
もう一つ、この思い出がすごく良かったのが、福岡市の女性、65歳のマルさんです。
インフォメーションのところでよく待ち合わせをしていました。
子供の頃、インフォメーションにいる人がお人形だと思っていた。
ようできたお人形やんと思って顔を近づけたら動いた。
動きますね。
動いたのでびっくりして走って逃げたという。
子供らしい。
確かにインフォメーションの方、あんまり動かれないんで、人形かと。
幻想的な真ん中の広場の雰囲気なんで、ちょっとあったのかなと。
いうことでございました。
あとは最後に、あゆらさん。福岡県笹栗町、女性の方、69歳。
18歳の時に近代ができました。
天神に就職したばかりで、天神館をできたばかりでした。
靴やバッグを買って都会の雰囲気に浸っていました。
バッグはまだ捨てられませんということで、物の思い出を持ってらっしゃるか。
いろんな方、本当にお店の赤い風船、お菓子屋さんの赤い風船のことを言う方とかですね。
あとは喫茶店のチロル、今もありますけど、チロルのお話をされる方。
とにかくいろんな思い出が寄せられたと思います。
ちょっとざっとこういうところでした。
みなさんありがとうございました。
ありがとうございました。
やっぱり過去にあったお店だったり、施設だったり、今もあるお店だったり、
それぞれなじみのお店とかがあるような感じですね。
そうですね、みんな何かこと、いろんなことに紐づいて、
例えば結婚、指輪を買った後、喫茶店でお茶をしたとか、
いろんなアクションに紐づいて、その場所とか風景が一緒に覚えてらっしゃるんだなというところで、
やっぱりさすが地下街であると思いますね。
ピーコックの名前出されている方は何人かおられましたか?
ピーコックは確か二区区かですね、結構広かったんですね。
二区区か三区区か、ちょっと三区区ではないですけど、
普通の一個だけのお店よりもえらい広かった。
今でこそなかなかおもちゃ屋さんってないんですけど、
地下街にあんやってどんどんおもちゃ屋があると、
子供としては目の前通るの楽しくてしょうがないみたいな。
デパートの上にもありましたけど、やっぱり歩く通路沿いにおもちゃ屋さんがあるっていうのは、
なかなか商店街ならではの風景で、やっぱり子供の頃に覚えてますね。
思わず足を止めてしまいますね。
止めますね、怠りやすい。
親は嫌だったでしょうね。
あそこの前を通って、あれは東側にありましたんで、
西の方はあそこは子供を通すみたいな方もいらっしゃったかもしれないですけどね。
結婚記念日の服と残った思い出
エピソードで言うと、国旗のお話が。
そうですね、すごく印象的なエピソードをお寄せいただいた方。
これは黒田さんも下横目にかかって。
通題させてもらいましたけど、福岡市中央区の村川しげるさんとみちさんのご夫婦にですね、
開業直後の展示地下街に結婚記念日が近いというので行かれて、
結婚記念日のプレゼントとして今も同じ場所にある深谷さんという服飾店でですね、
食器を購入して、当時からすると結構高級な価格だったんですけれど、
しげるさんがせっかくの記念日だからというので、
背中を押して、印象的なプレゼントだったということで。
実はこれが、とても大切にされてたんですけど、選択に失敗してしまって、
ワンシーズンに着られなくなってしまった。幻の食器。
幻の食器なんですね。
そうなんですよ。今ほどはやっぱり写真を気軽に撮らなかった時代ですので、
着手をした姿というのは写真とかにも残ってなくて、
もうお二人の記憶の中にだけ残っているという。
当時は日記とかも付けられてたみたいですけど。
日々日記を付けるのがみつさんの方針だったそうなんですけど、
やっぱりこの時点ではちょうどお子さんが2歳くらいで忙しい時期だったので、
この時期だけ撮れてなくてですね。
ということで記録がない。
記録もない、写真もない。
記録にだけ残った。
記録にだけ残った。
やっぱりこのみつさんのですね、物自体はなくなってしまったけれど、
嬉しかった。
思い出というのは一生ものだとおっしゃっていて、
5分振ってすごい素晴らしいなと思います。
本当ですね。
なくてもずっと覚えているというのがそこにあったというのを示す。
直記だけにベストというかですね。
ちょっとすみませんね。
申し訳ないです。
すみませんね。
いやいや。
大変でした。
ちょうど50周年を記念ですね。
また深谷さんは今も同じ場所にありますので、
本当ですね。
11月に結婚記事があるということで。
最初から残っている店も他にもあります。
ありますよね。
深谷さんはそのうちの一つでいいですね、やっぱり。
ちょうど今年50周年を迎えてアンケートでは
今後の地下街に期待するような展望だったような声が聞いていますけど、
エスカレーターと休憩場所への要望
どんな結果でしたか?
アンケートですね。
圧倒的に多かったのが2つあります。
何だと思いますか?
何でしょう、これ。
これを置いて欲しい的なものは2つありました。
欲しい?
何でしょう。
店長に目立つものはあってですね。
一つはエスカレーターでしたね。
確かにここで時々声が届きます。
やっぱり地下街、階段が大きくて商業施設とつながっている部分はエスカレーターなんですけど、
地下街そのものの入り口はどうしても階段になるので、
やっぱりそこの分上がれる場所がもう少しあればなというところはなかなか難しいところかもしれないですけどね。
エスカレーターを求める声、これはずっと多い。
もう一つはですね、ちょっと近いんですが、休めるところがあったらいいねと。
地下街開業当時は、今のインフォメがある中央広場はベンチなんかを置いていたそうなんですけど、
地下鉄が開業するときに往来が増えると、
地下鉄が東西から人がどんどん流れ込んでくるわけですから、
そういうことでベンチがなくなったみたいな経緯があります。
一方で2005年に延伸した南側のエリアはですね、
壁沿いに南欧風の石のところがあって、そこをちょっと座ることができるようになっていると。
もともとが道なのでですね、なかなか休む場所を広く作りにくいという事情もあるんでしょうけど、
いずれにせよエスカレーターと休めるところ、この2つが多くて、
あと、北と南にコンビニがあるので、もう1個真ん中ぐらいにコンビニがあったらいいねという人もいらっしゃいました。
というのもいろいろあるんですけど、
そうしてですね、皆さんおっしゃっていることは、
今後の地下街に期待する声、これからも変わらずこのスタイルでいてくれというのが一番。
皆さんやっぱり石畳であったり、あの雰囲気みたいなものにすごく思い入れ、愛着があるんだなということが、
これから先への期待のとこでも改めて浮き彫りになったような感じでした。
変わらないデザインと地下街の案内
そうですね、やっぱりこの独特の雰囲気だったりデザインだったりも含めて作っているこの街並みみたいなのって、
やっぱり他の地域の地下街と比べても特別ですね。
そうですね、指揮者の方に聞いてもこういう形でデザインの細部まで凝って作った地下街で、
日本、東京、大阪、名古屋中心に地下街は山ほどあって、天津地下街は実は地下街ができた順番で言うと56番目か7番目。
結構地下街業界では新しい50年できているんですけど、その前にいっぱいできているっていうのはあるんですが、
その中でもやっぱりこういうデザインの彫り方というのが経緯であるという話をされていました。
なのでやっぱりそれだけ特徴的な地下街なんだろうなと改めて地元の人間同士も思います。
そうですね、またちょっと変わる部分とか改善していく部分は良くなったりとかして、一方でこういう良さを残していってもらいたいですね。
あとですね、あったのが結構いつも迷うという声があって、もしかしたら皆さんもそういう方がいらっしゃるかもしれません。
特に地下から降りてきた時にどっち向いているのかわからないみたいな。
確かに私も実は今ひとつ時々パッとわからなくなるときはこれだけ毎日通ってもあるんですけど、
何番街みたいな言い方が実は自分はあまり活かせていないなと思って、今回改めてちゃんと認識しようと思ったらワンビル側が東ですね。
で、ソラリアステージ側、三越側は西。
で、北から南、北が1番。
で、1番南が12番まで繋がっているということで、それを言うと大体北の1って言ったらちょうどショッパーズに、ショッパーズじゃない。
あの見えない上がるところであるのがわかるとか。
西日本新聞会館、大丸ですね。
大丸があるところが大体東の8か9ぐらい。
なんとなくこうわかってくるんじゃないか。
これをあまり活かせていなかったので、今回ちゃんと番地で番街で言えるようにしようと思って覚えました。
確かに何番街って言われてピンとこないかもしれない。
東4番街とか、インフォメーションはちょっと南側のワンビル側ぐらいかとかですね。
達人は多分できる。我々まだあまり力が歩けていないのかもしれません。
やっぱりビッグバンで立て替わったりもするから、自分の過去の記憶とずれてしまいますね。
あとですね、声で今ので思い出しました。声だったのはやっぱり地上が激変しすぎているので、地下はやっぱりこのままでいてほしいっていう。
そういうコメントもやっぱり目立ちましたね。何件かありました。
地下街だけはずっと変わらない天神らしさであるという声。これもいくつかございました。
特に年配の方とかだと、久しぶりに来たら雲が変わっててって言う方もいらっしゃるかもしれない。
変わらない街並みが広がってるねっていうのが、もちろんテナントとかいるかはそうですけど、安心する一つの要素なのかなと。
そうですね。テナントがどれだけ変わっても、あれだけ街の作り方が印象的に作られていると、
街の形の方が勝つと言ったらあれですけど、街の雰囲気はずっと変わらないでいられる。
よく最初に黒田さんの取材をされまして、天井の唐草模様とかをよくぞ590メートルも作ったなぁとかですね。
なかなかすごいですよね。
作ったメーカーも言ってましたけど、今だったらできないんじゃないかっていう。
だってこんなものをお金をかけてやろうっていうのが、あの時代になるんじゃないかっていう。
今あれ作ったら、あの時の何十倍かかるだろうってことかもしれないですね。
今のトレンドはどっちかというとシンプルな建造物っていうのもありますし、
あれだけ変わった感じにっていうのは、あの時ならではですし、だからこそ古びないんですよ。ずっと。
本当、不思議とずっと古びない。何でだろうというくらい古びない。
本当、天神地下街らしいところですね。すごいと思います。
50周年企画と地下街の知られざる見どころ
今回この9月から市面や西日本新聞ミーで50周年を機に取材した天神地下街にまつわる様々な記事を掲載していますけれど、
新しいこの企画名、今ここ天神博多という一環で掲載しています。
そうですね、いろいろ地下街本当最初からある店を取材したものであったり、先ほどあったデザインの話とかですね。
この間私も記事を書かせてもらったのが、地上に出ている白いタイル張りの構造物ですけど、
旧廃棄塔をですね、天神の、いわゆる地下街の空気を入れ替えるために出している。
これも実はアート作品であったという話だったり、ちょっとトリビアの要素がちょっと強くはあるんですけども、
いくつか面白い記事を載せておりますので、ぜひ読んでいただければと思います。
今回の穴読アンケートに寄せられた地下街をめぐる読者の疑問や声なども踏まえて取材した記事もあります。
ポートキャストに順次紹介しておきます。
では今回ありがとうございました。
地下街50周年について熊木社に聞きました。
ありがとうございました。
情報提供は中野特免取材班の投稿フォームやLINE公式アカウントで受け付けています。
文末にハッシュタグの記入をお願いいたします。
ここでメッセージ募集とプレゼントのお知らせです。
番組でメッセージが紹介されました方から抽選で毎月3名様に
自動販売のお豆腐屋さんトウキチロウの900円分のギフト券をプレゼントします。
メッセージの受付フォームは概要欄に貼っています。
リスナーの皆様からのメッセージをお待ちしています。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
中野特免取材班です。西日本新聞で検索。
18:13

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