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2025-01-13 15:50

12|博多駅地下街の「還暦」をお祝い・勤め人を支えて支えられ

西日本新聞の記者たちが、取材の裏側やニュース解説、福岡の街のあれやこれやをお話しする「西日本新聞me Podcast」。




今回は、昨年還暦を迎えた「博多駅地下街」のお話です。再開発まっただ中の福岡の街では、油断していると風景がどんどん変わっていきます。新聞社が「節目」を記事にすることについて、報道センター遊軍セクションの福間 慎一さんが思いを語ります。




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◆出演:福間 慎一(報道センター)、松本紗菜子(報道センター)、横山智徳(MC/メディア戦略局)/音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)




◆収録日




・2024年11月28日




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サマリー

博多駅地下街の開業60周年を祝い、福福間さんと松本さんがこの商店街の歴史や変遷について語ります。地域への愛着や勤め人の支えにも触れつつ、博多の街の魅力を再確認します。還暦を祝うエピソードでは、地元の特色や観光客の動向、再開発や歴史的な節目についても話されています。音声は博多の進化と変革の重要性を強調しています。

博多駅地下街の歴史
西日本新聞Podcast
西日本新聞me Podcast
この番組は、西日本新聞が取材の裏側やニュース解説、福岡の街のあれやこれをお話しするPodcastです。
こんにちは、福岡のニュースアプリ西日本新聞meの横山です。
今回も福間さんと松本さんとご一緒にお届けいたします。どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
今日はですね、天神から博多に場所を移しまして
昨年、還暦を迎えた、60周年を迎えた博多駅地下街のお話なんですね。
博多駅、博多口から出たらすぐ階段、大きな階段があるかと思います。
あそこの階段から降りていったところにある商店街。幅8m、結構広い商店街があるかなと思います。
皆さん、必ず通ったことがあるだろうと。
そうだと思います。一番古い感じのところで当然60年。
今、おしゃれなところと入り混じってますけど、昔からあるあれって言ったらわかるやつですね。
今はね、いろんなところとつながって、また阪急の地下なんかもどんどんできていますけど、
本当にずっとある商店街、ずっとある道です。
そうなんですね。が、もう60周年を迎えたと。
迎えました。
大開発の真ん中なんですけども、油断していると風景がどんどん変わるというところから、
福間さんも取材を始められたということなんですが、
取材のきっかけを。
その通りでですね、本当に今、福岡は都心の再開発どんどん進んでいてですね、
油断していると建物がなくなったり変わったりして、あれここ、なくなった瞬間に何があったかみんな記憶がなくなることがありますよね。
というのがあって、一方でやっぱり福岡はみんな街への愛着が強い。私もその一人なんですけど、
いろんなタイミングでできるだけこういう記事、この建物、こんなところでこういう歩みがあったんだよというのは残せたらいいなというふうに思っていて、
とはいえ、私も全くあんまり知らないので、見過ごしたり知らないことが多いんですけど、今回は増田圭一郎さんがおっしゃる方、増田圭一郎さんにですね、
博多駅近代60年迎えますよというふうに教えていただいて、その助言がきっかけで取材することができたということでした。
増田さんと福間さんに60年だよって教えてくれる人なんですね。
増田さんはですね、時々私が取材で助言いただいていまして、引いては本当に6,7年前にですね、菓子家園のことについて私が何もわからないという記事を書いたときに、
他の方からいや、増田さんに聞いたらいいかもしれないよということで聞いたら、私の不思議だと思っていたことがかなり簡単に解決されていったという、とてもすごい方でですね。
本当にただのと言ってはいけませんけど、とにかく西鉄さんの110年史の出筆を手伝われたりされたり、
博多の山笠の地域の地域史なんかも多く手がけていらっしゃって、とにかく福岡の歴史を、この時期にこういうことが起きていたということがバッとわかる。
で、象徴的なのがブラタモリさん、NHKさんのブラタモリさんでご案内をされた方であるというのが、そうだなと。
そこが一番すごいってわかるって感じですね。
とにかく多く助言をいただいたりヒントをいただいたり時々しています。
で、時々紙面に登場されているということですね。
はい。
よくお見かけする気がします。
ちなみに60年前というと、1960年代の半ばになりますので、ちょうど博多駅が擬音から今の場所に移ったタイミングだったってことですかね。
博多駅は前ですね、大博通りの大博多ビルのちょうど真ん前ぐらいの大博通りのど真ん前に駅舎があったような、そういう場所。
今からちょっと想像もつかないんですけども、そこから600mぐらい移動してきて、今の場所に行ったのが1963年でした。
で、その翌年にオープンしたのが博多駅地下街だったということです。
福岡の街への愛着
へー、そうなんですね。
それこそYouTube見てる方はわかるんですけども、ほんと何もない場所ですよね。
これ一番YouTubeで言うとメインで映ってる通りが大博通り。
今の大博通りですね。
で、僕のパソコンがちょっと邪魔してるところがそれこそ地下街の入り口。
ここは今も変わってない。最初の入り口の階段ですね。
これが地下街できてまだ2年後ですので、この2年前はまだもうちょっとさらに開けていた。
本当に開けて広かったんだろうと。
何にもないですもんね。
よく見るとですね、周りパチンコ屋さんがたくさんあるんですね。
オフィスビルが建つという想定だった。
当時の記事によるとどうも最初はなかなかビルが建たずにパチンコ屋さんがいっぱい進出してきたみたいな、そういう記事が載ってたりしました。
そうなんですね。
で、ご覧の通りやっぱり地下街これ当時どこにも繋がってない。
へー。
交通センター。
どこにも繋がってない。
そうなんです。まだオフィスビル、隣の浅日ビルさん、福岡浅日ビルさんもないし、横のセンタービルさんも。
できるのは70年代。
ちょっと後ですね。
はい。なのでこの時はまだ地下街があったと。
地下鉄も繋がってない。地下鉄は83年になりますので。
地下街はじゃあ地下と街だったけど、どこかとどこかを繋いでる地下街じゃなかったんですね。
純粋な地下街だった。いうふうに言えるかもしれません。
いずれという思いはあったのにもちろん。
できた当時は天津地下街はビルとビルを繋ぐための地下街だけど、そんなんじゃなかったってこと?
そうですね。もちろんできた当時は本当に写真の通り地下街だった。
地下街だった。
ですので本当当時のよく話ですね、地下街の話で残ってるのはやっぱり最初キャッチボールできるぐらい誰もお客さんなかなか来てなかったっていう話が逸話として残ってるぐらい。
すごいですよね。
確かにちょっと広いから、あそこでキャッチボールできたって言われれば。
ただまあ今はね、そうですよね。できないけど、そのくらいガランとしてたってことですね。
8メートルって道の幅広さもまたあったんですね。
ちなみにそれこそ今回テーマがですね、博多駅地下街だと聞いて、僕久しぶりに七大ラーメンに先週行ってまいりました。おいしかった。
そうですね、天神から今はね、昔ビビルの地下にもありましたけど。
できるとあそこも古いんでしょうけど、できた当時からある、地下街ができた当時からある店っていうのはあるんですか。
いくつかあります。例えば靴屋さんであるとか、洋品店、洋服屋さんであるとかですね、いくつか。クリーニング屋さんなんかも最初から入っていたりですね。
七大ラーメンの並びに確かにクリーニング屋さんありますけど、あそこが。
場所が変わっているところもあるかもしれないですけど、その店の中のですね。
博洋社さんは最初から、最初に出た広告にも仕掛けた。
名前が。
そうなんですね。その中でも福保さんが一つ取材されたお店がありますよね。
上田洋品店さんのところに取材をさせていただく、お話を聞くことができました。
やっぱりもともとは今のリバレインのところ、最初は五福町ですけど。
それからリバレインにお店を出して、博多駅地下街にも出店されたというところで。
最初はいわゆるカジュアルな服も置いてらっしゃった。
そうなんですね。今は完全に紳士服のお店のイメージですよね。
ワイシャツであるとかスーツであるとかですね。
街、やっぱりどんどんオフィス街ができていくに従って、そういうふうに店の性格づけがされていったと。
本当ずっと入社から退社まで、そこでお買い物される方がいらっしゃったりですね。
多くのビジネスマンの方を支えてきたお店なんですねというふうにお店の方に伺いましたけど、
勤め人の支え
いや、支えられたのは自分の方ですというふうにおっしゃられていて、
やっぱりそういうあったかい街だというのは改めて感じました。
それこそMiiの中から拾った写真なんですけど、
これね、多分それこそ松本さん見てこれ何だろうと分からなかったんじゃないかと思って、
このマッチの写真分かります?
分からなかったです。
我々の時はこういうマッチがいっぱい。
だからこのマッチって、昔いろんなお店がお客さんへのお土産物というふうに、
ご自由にお取りくださいみたいなので、結構マッチをどんな店でも伝わるんだけど、配ってましたよね。
特に喫茶店なんか。
そうですよね。
そうなんですね。それは知らなかったです。
ポケットティッシュというか、そんなことですよね。
マッチなんですよ。
市街局版もまだ2桁?
今は411とかですけど、まだ411とここに書いてあります。
当初ここ地下街って、それこそ博多ステーションビルさんが管理してる会社は朝日ビルディングさんと博多ステーションビルさんなんですけど、
博多ステーションビルさんのほうの振り返りの本なんかに、最初はやっぱ地下街と言ってはいけないというふうに言われて、地下センターという名前。
この写真もですね、よく見ると地下センターというふうに。
本当ですね。
なので、このマッチにもですね、住所は博多駅、地下センターというふうに書いてあります。
そんなの読んでたんですかね。
当時はいろいろな地下街、地下センターと言ってる保証が多かったみたいです。
それこそ、福間さんが去年この記事書かれたときに、タイトルもですね、
勤め人に支えられてっていうふうなタイトルになってるんですけど、確かに博多駅って観光客の方ばかりじゃないですか。
でも、僕がね、その先週の長居ラーメンに行ったときも、あの一角はね、ちょうど2時ぐらい、ちょっとお昼間を過ぎた時間帯であったんですけど、
いわゆる地元の学生さん、で、やっぱ働く老いちゃんたちがもうぎっしりその席を埋めててですね、
博多駅地下街の特徴
観光客も中にはおられたと思いますけども、やっぱりね、あの一角だけやっぱり地元臭というかですね、
ここで働く人たちのお店なんだなっていう色がね、やっぱり色濃く出てた気がします。
長居ラーメンにちょっと行っただけでもね、あら観光客があんまりいないなみたいな感じでした。
それでもやっぱり最近はですね、やっぱりインバウンドの方が商店街の方に来ることもだいぶ増えたみたいで、
これだけ外国の観光客の方増えるとですね、やっぱ最近、とにかく博多駅、地下街は地下鉄とつながって、その後は山陽新幹線が先ですね。
山陽新幹線が来て、地下鉄がつながって、で、九州新幹線ができて、どんどんどんどんいろんなところとつながって、
いつも言う感じで地下鉄も空港を延伸して空港ともつながってということで、とにかくずっと周りがつながり続けて、
あそこはずっと変わらない形で、本当に動線、町の超大事な動線として今も築いていると。
そうですよね。で、新しい店がちょいちょい飲食店も増えてますけど、それもいいですよね。
何でしょうね、博多駅前の昔の形を残しながら、周りがどんどん新しくなっていくけど、やっぱ九州で最初の地下街ですからね。
で、当時は西日本最初の地下街ということで大きく出していました。かなり先進的な町ではあった。
その名残がちゃんと当時のまま残っているというのはすごくいいことだなと思います。
再開発と歴史の重要性
ありがとうございます。福間さんはそれこそ、今回の取材もそうなんですけども、新聞がこうして節目を伝えていくということに大切だと思ってらっしゃるんですよね。
やっぱ節目はですね、なんていうんでしょう。
良いタイミングでですね、これまでこうだったといういろいろな歩みを振り返ったら、なんだ急にというふうに知れるかもしれないんですけど、
こういう何年だよということがあると、これまでこうだって今こうなって、これから先こうなふうになったらいいねみたいなことを言えるときに、
街にしてもそうですし、もしくは会社にしてもそうですし、うちの会社だって何周年とかでよく写真なんかやったりしてましたけど、
そういうのでやっぱり節目みたいな本当に良いタイミングでここはなるべくちゃんとできたら、かけたらいいなというふうに思っている。
そういう意味では2024年というのはどんな節目が他にはあった?
去年2024年はですね、本当にいろんな節目があって、一番多くのものが35年みたいな節目が多くてですね。
天神ですね。
天神39年、それはなんでそれ多いっていうのは。
89年ですね、89年ちょうどその時は、今はありませんけどイムズができて、その2週間前にソラリアプラザができて、その2週間前にこれ分かりますか、ユーテックプラザができて、
その後はジークスになりロフトになり、今はスポーツのお店ですけど、天神南の渡辺通りのところであったりとか、
あとは海の中道のあそこの水族館、マリンワールド、去年は35年でしたし、そもそも福岡タワーも35年。
アジア太平洋博覧会の都市だったからですね。
というので去年だけでもいろんな節目があり、あとは一番は博多フォートタワーかもしれませんね。
あれも実は博多駅地下街と同じ60年でした。
そうなんですね、あっちはそうですけど、ちょっと老いちゃうんですね。
博多はそういう意味では地下街ができて、アミナイトの方ではフォートタワーができてということで、
やっぱり博多もどんどん新しくなっていくという都市だったのかもしれません。
今がちょうどまた街が変わっていくタイミングにも来てるんだなというのを感じさせられる。
でもやっぱりそう思うと天神も博多もすごいです。
35年前に立った、そんなまだフルないぞっていうビルをまだ一貫やり直して作り直そうとしてるから、
夏のパワーという意味ではやっぱりすごいですよね。
まだいけるよって思いながら帰るみたいな。
イムズはまさにそうですよね。
そう、みんな驚きましたね。
福ベル天神ビルは確かにちょっと古さはあったけど、イムズはまだまだまだものじゃないかと思うけど。
ちなみに言うと、今年2025年は我が社、茶色いやつですね。
あれが50年。
大丸、西日本新聞。
大丸の上に西日本新聞が入ってると。
西日本新聞の中に大丸。
実はあれが1975年にできましたので、ちょうど実は50年。
また節目だと。
ありがとうございます。
もう少しお話を聞きたいところなんですけども、お時間が来てしまったようです。
松本さん、おじさんたちの今日は話をしたけどどうでしたか。
とても勉強になりましたというのと。
あとは普段取材をしていると、今進んでいる再開発というのにどうしても興味を惹かれがちというか、そこばかりを見てしまうんですけれども。
歴史を振り返るとその再開発って何度も繰り返されて、今の天神が出来上がってて。
今その中で育ってきて、今取材をしているということで。
その歴史みたいなものもしっかり勉強していきたいなと思いましたし、今の変化もいずれ歴史になると思うので、それもしっかり残していきたいなと思いました。
松本さんが取材したのが、あの頃ねとか言われた。
そうなんですよ。
歴史の1ページとして記事が残ってるってことですよね。
そうですよね。
ありがとうございました。
エンディングの前に一つだけお知らせをさせてください。
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本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
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