それはほんと雑誌の話なんですけど、ちょっと新聞の話にも帰ってきますよね。
そうですよね。
紙媒体ですよ。数が増えたなんて、どこ行ったって聞いたことないですよ。
そうですよね。だから私もそうなんだと思ってちょっとびっくりしました。
へーすごいですね。で、さらに記事は続いていて、この50年前の創刊に関わった方っていうのに会えたわけでしょ?
はい、これ偶然だったんですよ。
あ、偶然?
はい、探したというか、バックナンバーを見ていたらそのゼロ王という、プレ創刊号というふうに銘打ってたんですけど、それを見ていたら知ってる人が載ってると思って。
そういうことですか。
それは、私が文化部で文芸を担当している時期がちょっと長かったんですけど、詩を書かれている詩人さんで、劉秀美さんという方がいらっしゃって、その方が載ってたんですよ。若い時の。
で、あ、劉さんが載ってると思って、で、劉さんなんか載ってるっていうことはきっとあのその当時読んでただろうから、なんかその当時のその雰囲気とか何かご存知のことないかなと思って、ふわっとした気持ちで、あのちょっとぜひお話聞かせてくださいって言って行ったんですよね。
それで、で、劉さんと、あ、劉さんがその、あ、大谷さんが思ってるような話を私できるかどうかわからないんですよねっていう話をされて、いや、このゼロ号ねよく見つけましたねって、だって全然出回ってないの、私桜なんですって言われたんですよ。
で、え、どういうことって思ったら、あの劉さんその当時就労者印刷さんにお勤めで。
プランニング就労者の親会社ですね。
親会社ですね。
印刷屋さんですよね、印刷会社。
もともと。で、当時その印刷会社で社長秘書をされてあったと。
で、その副社長がその雑誌を立ち上げようっていうことで、ちょっと資料をポンって置かれてたみたいで、その資料をコピーするのも秘書の役目なので、コピーしてて、あ、なんかちょっと面白そうなこと始まるんですかねみたいに声かけられたら、
これやってみるっていうふうに、その秘書だったんだけど声かけられて、その専研隊の7人っておっしゃってたかなに入れられて、こういう雑誌を作るので広告出してくれませんかっていうふうに立ち上げのメンバーにその劉さん入ってたそうで。
で、その時の話から聞けるとはまさか思ってなかったので、一読者が聞けると思ったら、ガチの当事者だったっていう偶然だったんですけど。
劉さんが載ってましたというのは、載ってたっていうのは、いわゆる何だろうか、載ってただけなんですよね。作ってたって言って載ってたわけじゃなくて。
載ってたページはサークル紹介のページで、女性が生きるとは、フェミニズムのことなんですけど、そのサークルをやっていて、みんなで意見交換してます。皆さん仲間集まりませんかっていうふうな呼びかけのページだったんですよね。
だからそう思って聞きに行ったら、実はやっぱりこういうものを作るっていう時の見本がないといけないので、その時は読者に声かけてこういうのを作りますっていうふうには作れないので、ある意味自分たちで企画してこういうページになったらいいなということで見本を作っている。そこに載ってたっていうことなんですよね。
なるほど。で、当然プレだから。
ほとんど出回ってない。
だから見本として広告を出してくれる企業さんに見せる本として出ていたので。
だから創刊2号のあたりだったかな。プレ創刊号も読みたいという読者からの声が来てますけども、ほとんど配ってしまってありませんすいませんみたいな記事も載ってたりしたんですけど。
だからそうやって0号として作ったやつがどんどんなんか読者さんからこう指示の声が集まってて、こういうページも作りたいとか新しくページが立ち上がったりとか、なんかそういう話とかも聞けたので、全然予想してなかったんですけど面白かったです。
そうか。だから大谷さんはここでリュウさん載ってますよね。覚えてますか?取材されたことを。
そうそうそうそう。
その時就効者の方が多分取材されたと思うんですけど、どんな様子でしたかって聞きに行ったつもりですね。
例えば読者として当時シティ情報福岡さん、それまでなかった雑誌が立ち上がるっていうことだから、どういうふうに受け止めたのかなっていうその受け止め側の気持ちを聞けるかなと思っていったら、ガチの立ち上げた人の一人だったっていう感じですね。
で、リュウさんのことは知ってたけど、そんなエピソードは知らなかったってことですね。
で、よくよく考えてみたら、確かにリュウさん就効者にお勤めだったなっていうのを後から思い出しました。
それまで忘れてたんです。私、詩人としてお目にかかったことが大半だったので。
そうかそうか、そういうことなんですね。
それこそ記事ではですね、懐かしい雑誌の年表、福岡とか九州の載せてますけど、大谷さんこの中で思い入れのある雑誌って何かあります?
雑誌の年表というのが、これ一応タウン市を中心に並べてるんですけど、ずらっと創刊と旧刊と見えたらいいかなと思って並べてみたんですけど、
これ作るの意外と大変で、というのは創刊する時は創刊しますっていう記事が載るじゃないですか。
でも旧刊する時はプレスリリースとかが出たとしても、例えばその出版社自体なくなってしまうってなったら、その旧刊しますっていうプレスリリースももう消えてなくなっているので、
なんかウェブ販売しているところにログが残っているやつから推察して、この時期に旧刊しているはずだとかですね。
そういうのを拾って並べてたやつなんですけど。
でもなかなかちょっと寂しいなと、やっぱり2000年代からかな、やっぱり2000年代、2010年代からやっぱり旧刊旧刊旧刊ですね。
そうですね。だからやっぱり立ち上げの時は、この表だと1972年のピアオ創刊を最初にしてるんですけど、やっぱりピアオがまさに今自分たちが、学生さんたちが立ち上げた雑誌だったんですよね。
そうなんですね。
で、学生さんが関心がある、今映画何をやってるとか、ライブ何をやってるかっていう情報を集めた雑誌がないっていうことから立ち上がっていて、
それがその中央だけじゃなくて、やっぱり地方でもそういう情報を求めてるっていうことで、シティ情報福岡さんだったり、ピアノ関西版とかが創刊されていて、
それから街の情報っていうだけじゃなくて、ちょっと角度をつけた旅に特化した雑誌だったり、文化に特化した雑誌だったりっていうのが創刊されていて、
90年代入ると街灯スナップ、ストリートスナップみたいなものが、NOですね。NOさんとかが。
これもね、やっぱり友達とかが載ったりするわけですよ。
大騒ぎですよ。
ちょっと大名を歩いて声かけられて、街で写真を撮られるみたいな。東京だったら原宿なんでしょうけど、福岡では大名だったりした。
大名だったり、稽古公園だったりしてる。もう写真ばっかりですもんね、この雑誌って。
そういう雑誌が立ち上がってて、でもやっぱりそれはシティ情報福岡さんが前回というか前進の会社からその事業が撤退ってなった時もそうだったんですけど、
2000年代の半ばぐらいにすごくフリーペーパーが流行りして、もちろんネットもあって、だから情報がただで手に入るっていう時代になってしまって、
そうなると、じゃあわざわざ雑誌買う意味って何?みたいになってしまって、それでなかなか厳しくなって休館休館っていう風になっていったんだなっていうのが、その表を作ったことで何か見えてきましたね。
そうですよね。結構そうだな、時代だなと思いながら。この表だけで僕も30分1時間喋れるんです。
そうなんですよね。多分この表、これが情報誌に投下したやつだったんですけど、これにファッション誌とかも入れていくと、もう今はファッション誌もどんどん休館して、先日ビビさんだったかな、が休館とかっていう話もあったりとか、
ミーナとか、ファッション誌も2000年代に力があった雑誌とかも休館していってるなっていう、雑誌がすごくますます厳しい時代になってるなっていう中で、今雑誌出す意味って何だろうっていうことを考える上でも何かちょっと記事を書いてみたんですけど。