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【自分とはなにか】「自分で考える」って、本当に自分?|思考のどこに「自分」がいるのか
2026-09-21 22:25

【自分とはなにか】「自分で考える」って、本当に自分?|思考のどこに「自分」がいるのか

「自分で考える」とは、どういうことなのでしょうか。


私たちは普段、自分の意見や判断を「自分で考えたもの」だと思っています。


けれど、その考えは、親や学校、社会、SNS、これまで出会った人や経験から、少なからず影響を受けています。


では、他人から影響を受けた考えは、自分の考えではないのでしょうか。


このエピソードでは、「自分で考える」という当たり前のような言葉をいったん分解し、思考のどこに「自分」があるのかを考えます。


誰からも影響を受けずに考えることは難しい。


一方で、受け取った考えをそのまま採用することと、一度問い直したうえで自分なりに選び直すことには違いがあります。


何を考えたかだけではなく、なぜそう考えるのか、自分はその考えを本当に引き受けたいのか。


その問いを通して、「自分の考え」と呼べるものがどこから生まれるのかを考えるエピソードです。


このエピソードは、Webメディア「ねんごろ」で公開している記事をもとに制作しています。


元記事:

https://nengoro.com/creative/jibun/01_thinking-for-yourself/


YouTube:

https://youtu.be/qVYIEZx5ahM


このエピソードの音声は、生成AIを利用して制作しています。

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サマリー

シャワー中に突然ひらめく仕事の解決策を例に、「自分で考える」とは何かを分解する。情報を受け取るだけでなく、目的を持って自分の意思で材料を扱い、候補を採用するか判断することが思考の核だと説明する。直感や無意識の処理、専門家の意見を借りることも、最終的な拒否権を自分が持つ限り思考に含まれる。偏った情報収集のように結論の質が低くても、思考した行為そのものとは区別すべきであり、十分に吟味したうえで「分からない」と保留することも自分で考えた結果だと述べる。最後に、SNSや動画プラットフォームのアルゴリズムに判断を委ねていないか、自分が運転席にいるかを問いかける。

「自分で考えた」感覚とひらめき
突然ですが、あの、聞いている皆さんは、こんな経験ありませんか?
どんな経験ですか?
例えば、シャワーを浴びているときとかに。
あー、リラックスしているときですね。
そうなんです。頭にシャンプーの泡をのせて、
なんとなーく、今日の夕飯どうしようかなーなんて、ぼんやり考えているときです。
ええ。
そういうときにふと、
あ、あの仕事のトラブル、こうすれば解決できるぞって、
完璧なアイディアが、突然頭の中に降ってくることってないですか?
ありますね。なんか突然ひらめく瞬間ですよね。
はい。で、次の日、職場の同僚にこう、自信満々に語るわけです。
この件について自分なりにしっかり考えた結果、このプランで行くべきだと思うって。
んー、なるほど。自分で考えた結果ですね。
そうなんですけど、でもちょっと待ってくださいよと。
あなたは本当にそのプランについて、えーと、考えたんでしょうか?
いやー、日常の中で誰もが一度は経験する、すごく興味深い現象ですよね。
ですよね。だって、自分でステップを踏んで、論理を組み立てた記憶なんか全くないんですよ。
ええ。ただなんというか、無意識の海からポンと答えの候補が浮かび上がっただけですよね。
そう。それなのに私たちは、後になってから、自分で考えたって、そのアイディアの所有権を主張するじゃないですか。
ええ、不思議ですよね。
なので今日は、この自分で考えたという感覚の正体って一体何なんだろうっていうのを、皆さんと一緒に探究していきたいんです。
はい。私たちが何かを考えるとき、自分という存在はプロセスのどこにいるのかという話ですね。
そうです。最初のアイディアを生み出す瞬間にいるのか、それとも出てきた情報を整理しているときなのか、脳内で実際に何が起きているのか、徹底的に解き明かしていきましょう。
よろしくお願いします。
ぜひ皆さんも、自分の頭の中を覗き込むような感覚で付き合ってみてくださいね。
はい。このテーマを紐解くれで、まず最初に明確にしておきたいことがあるんです。
何でしょう。
私たちが普段情報をただ受け取っている状態と、実際に考えている状態の境界線がどこにあるのかってことなんですけど。
情報を受け取ることと思考の境界
境界線ですか。
ええ。例えば、テレビのニュースとか、スマホでSNSのタイムラインを眺めているときってありますよね。
はい。暇つぶしによく見ますね。
そのとき、「へえ、そうなんだ。」って情報をただ流し込んでいる状態、これはまだ思考とは呼べないんですよ。
ただの情報の通り道になっているような感じですよね。
そうです。でもそこから、「ん?これって本当にそうなのかな?」って、何かしら違和感を持つ瞬間があるじゃないですか。
ありますね。なんか引っかかるなみたいな。ここからが思考のスタートってことですか。
いや、実はですね、違和感を持っただけでもまだ不十分なんですよ。
そうなんですか。
はい。おやって思っても、「まあ仕事が忙しいからいいか。」ってそのままスマホの画面を閉じちゃったら。
ああ、確かにそこで終わっちゃいますね。
そこには何のプロセスも残らないですよね。
本当の境界線というのは、その違和感に対してもう少し詳しく確認したいとか、これが事実かどうか判断したいっていう明確な向かう先を持つことなんです。
向かう先、つまり目的ですね。
そうです。目的を持って自分から情報の材料を扱い始める瞬間、ここがスタートです。受け身から能動的な態度へのシフトが起きたときですね。
なるほど、能動的な態度ですか。ただ、その目的って必ずしも自分の中から自発的に湧き上がってくるものばかりじゃない気もするんですよ。
と言いますと。
例えば、会社で上司から明日の午後までにこの売上低下の原因について考えておいてって指示されたとしますよね。
ええ、よくあるシチュエーションですね。
この場合、目的は完全に外から他人に設定されたものじゃないですか。これでも自分で考えている状態って言えるんでしょうか。
ああ、そこはすごく重要なポイントですね。ここで大切になるのが目的と意思を分けて捉えるという視点なんです。
目的と意思。
はい。確かに売上低下の原因を探るという目的自体は外部から与えられたパッケージかもしれません。
目的と意思、認知的コントロール
はい。
でも、その与えられた課題に対して、よし、じゃあまずは過去半年度のデータと競合の動きを比較してみようって。
ええ。
自分からその作業プロセスに入っていく意思があれば、それは自分の思考として駆動し始めるんですよ。
ええ、それすごくよく分かります。やらされている感で渋々デスクに座っているときは全然頭が回らないのに。
そうですよね。
どうやってこの謎を解こうかって、自分から首を突っ込んだ瞬間にパッと視界が開けるような感覚がありますよね。
まさにそれです。
これあの日本語の思うと考えるの違いを想像するとものすごくしっくりくるんです。
ほう、どういうことですか。
思うっていうのは、なんか空に浮かぶ雲みたいなものだなって。
雲ですか。
はい。悲しいとか美味しそうとか一時的で感情的で自分のコントロールが及ばないところで勝手に湧き上がってくるものじゃないですか。
ええ。
よし、今から思おうって気合を入れて思うことってできないですよね。
確かに不自然ですよね。
一方で考えるは、車の運転席に座って自分でキーを回してエンジンをかける感覚に近いなと。
ああ、なるほど。
よし、今から考えようって自分の意思でスタートを切ることができますよね。
その車の運転席の例えすごくいいですね。認知科学の分野で認知的コントロールと呼ばれるメカニズムがまさにそれに該当するんです。
ええ、認知的コントロール。
ええ。ただ一つ誤解してはいけないことがあって。
はい。
一度考えるという車のエンジンをかけて走り出したからといって、目的地に着くまでずっと100%意識を張り詰めてハンドルを握りしめているわけではないということなんです。
え、そうなんですか?考えている最中って脳がずっとフル回転で論理を組み立て続けているようなイメージがありましたけど。
もちろんそういう瞬間もあります。でも、人間の脳ってエネルギーを節約するようにできてるんですよ。
はあ、節約ですか?
車で毎日の通勤ルートを走るときのこと、想像してみてください。
はい。
最初のうちは次の信号を右で、次が左って強く意識してますよね。
ええ、最初は緊張しますからね。
でも、慣れてくると音楽を聴きながらほとんど無意識に運転してませんか?
確かに、気がついたら会社についてたみたいなことすらありますね。
ですよね。でも、その無意識の運転中に突然ボールが道路に転がってきたらどうなるでしょう?
そりゃもう、はっと割りに返って急ブレーキを踏むか避けるかしますよ。
その瞬間、強烈な意識を伴って状況に介入し判断を下してますよね。
ええ。
思考のプロセスもこれと全く同じなんです。
あ、そうなんですか。
はい。慣れた手順とか情報収集は無意識的にスイスイ進めつつ、
矛盾が生じたり重要な分岐点に差し掛かったときだけ、
意識が介入してハンドルを握り直すんです。
この自動的な進行と意識的な介入が混ざり合った全体を私たちは考えるという過程として捉えてるんですよ。
ということは、ずっと眉間にシワを寄せてうんうん寝ってる時間だけが思考ではないと。
そういうことです。
必要なところでしっかり自分で判断を下していれば、
途中のプロセスが自動運転でも自分で考えたと言えるんですね。
ええ、その通りです。
直感・専門家の意見を判断する
だとしたら、その運転席で扱う材料について少し聞いてみたいんですけど。
材料ですね。
はい。私たちが何かを考えるときって、無から有を生み出してるわけじゃないですよね。
もちろんそうです。
ニュースで見かけたデータとか、昔読んだ本の知識、信頼してる友人の意見、
そして冒頭で触れたシャワー中に突然降ってきたアイディア。
いろんなところから来ますね。
これらって出どころはバラバラですけど、思考のプロセスにおいてはどういう扱いになるんでしょうか。
結論から言えば、どこからやってきた情報であれ、その時点では全て等しく単なる候補、あるいは材料に過ぎないんです。
ただの材料。
はい。外部の専門家が言った答えはAですという意見も、シャワー中に自分の頭に浮かんだAかもしれないという直感も扱いとしては全く同じなんですよ。
同じなんですか。
大切なのは、その候補がどこから来たかではなくて、その候補を自分の判断として採用してよいかと吟味するプロセスの方なんです。
うーん、ちょっと待ってください。そこは少し引っかかりますね。
どのあたりですか。
例えば、私が経済のニュースを見ていて、インフレの仕組みが全くわからなかったとしますよね。
そこで有名な経済学者が、今回のインフレの原因は間違いなくBであるって言ってるのを見かけました。
私はその理論を全然理解してないんだけど、この人は専門家だしフォロワーも多いからBなんだろうってそのまま受け入れて、
次の日友達に今回の原因はBだよねなんて語ったとします。
これって単に他人の思考をコピペして、自分の脳をアウトソーシングしてるだけですよね。
なるほど。
これを自分で考えたとは到底呼べない気がするんですけど。
その疑問は非常にまっとうですね。一見すると、完全に思考を放棄しているように見えますから。
ですよね。
でも、メカニズムの視点から見ると、そこにも立派に判断が存在しているんですよ。
判断ですか。
はい。あなたは経済の複雑な数式や理論そのものを検証したわけではありませんよね。
全くしてないです。
しかし、この経済学者は信頼にあたる人物かとか、この意見を採用して自分が恥をかくリスクはないかとか。
ああ。
そういう別の基準を用いて情報をスクリーニングしているんです。
専門家の言っている中身ではなくて、専門家そのものを材料にして判断を下したってことですか。
その通りです。誰を信じるかという決断もまた、運転席における重要なハンドル操作も一つなんですよ。
なるほど。
証拠として、もしその同じ経済学者が次の日に、インフレの原因は宇宙人の電波だって言い出したらどうなりますか。
それはさすがにいやいやおかしいだろうって思って信じるのやめますね。
そうですよね。つまり、あなたは至高の運転席を完全に明け渡したわけではないんです。
ああ、そっか。
特定の条件で、今回はこの人に任せようってクルーズコントロールのボタンを押しただけで、
なるほど。
最終的な拒否権、つまりブレーキペダルから足を踏み外していないんですよ。
そう言われると確かに、いつでもブレーキを止める状態にはなってますね。
ええ。誰かの意見を借りるという方法を取っていても、それを採用するかどうかの最終決定権を手放していなければ、それはあなたの思考プロセスの一部なんです。
うわあ、面白いですね。最終的な拒否権を持っている限り、他の知恵を借りることも思考に含まれるんだ。
そういうことです。
だとしたらもう一つ聞かせてください。さっきのシャワー中の話です。
はい。
自分の頭の中から湧いてきた直感であっても、それは外部からの情報と同じ、ただの候補だと言いましたよね。
ええ、言いました。
でも、あのポンと答えが出てくる感覚って、明らかに自分がゼロから組み立てたものではない気がするんです。よく、無意識の自分が全部やってくれたーなんて表現されますけど。
うん。
本当に私たちの頭の中には、勝手に問題を解いてくれるもう一人の自分がいるんでしょうか。
これも心理学や認知科学で古くから研究されているテーマで、洞察とかアハ体験と呼ばれるものですね。
アハ体験?
全く関係ないことをしているときに、突然答えが見つかるあの強烈な体験です。ただですね。
はい。
自分では意識していないから、全て無意識というブラックボックスがやってくれた?と結論づけるのは、少し極端すぎますね。
ブラックボックスではないんですか?じゃあ、あの瞬間、頭の中では何が起きているんですか?
現代の私たちが日常的に使っているスマートフォンの動きに例えるとわかりやすいかもしれません。
スマホですか?
あなたが今スマホの画面で動画を見ているとします。この今画面に表示されていて、あなたが認識しているものが表層意識です。
はい。見えている部分ですね。
でもスマホはあなたが動画を見ている裏側でバックグラウンドアプリを動かしたり、新着メールを受信したり、写真のデータをクラウドに同期したりしますよね。
はい。裏側でいろんな処理が走ってますね。
でもあなたはそれに気づいていません。
確かに。
脳も同じなんです。あなたがシャワーを浴びてリラックスしているとき、表層意識はシャンピオンの香りとかお湯の温度に向いていますよね。
えー、気持ちいいなーって。
でも脳のバックグラウンドでは、あなたが日中に入力した仕事のデータとか、過去の似たようなトラブルの記憶、あるいは何年も前に読んだ本の知識なんかが、
はい。
膨大なネットワークの中で消耗されて、つながりを模索し続けてるんです。
ずっと裏で動いてるんだ。
そうです。そして、ある記憶とあるデータがパズルのようにカチッとはまった瞬間、表層意識の画面にピコンとプッシュ通知が送られてくるんです。
おー。
これが直感やひらめきの正体なんですよ。
つまり、知らない誰かが勝手に答えを作ってくれた魔法なんかじゃなくて、
うん。
自分自身が過去に蓄積したデータを使って脳が緻密にバックグラウンド処理をしてた結果の通知を受け取っただけなんですね。
その通りです。自分がリアルタイムでその処理過程を追跡できないからといって、自分ではない別の何かがやったと切り離す必要はないんです。
なるほど。
それは間違いなく、あなた自身の経験と記憶のネットワークが導き出したあなた固有の候補なんですよ。
そっかー。
だからこそその通知をタップして開き、「よし、このアイデアを採用しよう。」と吟味するプロセスを経ることで、初めてそれが自分が考えた答えとして定着するんです。
いやー、すごくスッキリしました。直感も他人の意見も全てはただの素材であって、最後に、「よし、これでいこう。」って反抗を押すプロセスこそが思考なんですね。
ええ、まさに。
思考の質と「分からない」という結論
ってなると、ここからが今日一番の議論の別れ目になると思うんですが。
何でしょうか。
多くの人は、自分で考えるっていうことは、物事を批判的な目で見たり、前提を疑ったり、客観的な証拠を集めて論理的に組み立てることだって信じてますよね。
ええ、一般的にはそうですね。
でも、今日のお話を聞いていると、もしかしてそれって大きな誤解なのではないかと思えてきたんです。
非常に鋭いところに行き着きましたね。私たちが一般的に、思考力が高いと評価する態度のことですよね。
はい、じゃあちょっと極端で耳の痛い例を出しますね。
お願いします。
世の中には、最初からXという会社は絶対に悪だって結論を決めちゃってる人がいますよね。
いますね。
そういう人は、ネットで情報を探しとき、X社の不正を叩く記事ばっかり集めて、X社が行っている事前活動とかポジティブなデータには一切目を向けないじゃないですか。
ええ、自分の信じたい結論を補強する材料だけを集める、いわゆる拡張バイアスにガチガチにとらわれた状態ですね。
はい、こういう人を見たとき、私たちはよく、あの人は何も考えてないとか、ただ感情に流されてるだけだって批判しますよね。
ええ、よく言われます。
でも、今日のメカニズムの話に当てはめると、この人も実は考えていることになりませんか。
はい。倫理的、あるいは論理的な観点から見れば、彼らのアプローチは非常に偏っていて、質の低いものかもしれません。
はい。
でも、脳が情報とどう関わっているかというメカニズムの視点から言えば、彼らもまた間違いなく自分で考えているんです。
やっぱりそうですか。でも、それってすごく抵抗があるというか、あんな偏った思い込みを考えていると認めてしまっていいんでしょうか。
ここで絶対に混同してはいけないのが、自分で考えたかという行為そのものと、正しくあるいは妥当に考えられたかという質の問題は、全く別の次元の話だということです。
行為と質ですか。
先ほどの偏った人の例を見てみましょう。彼らには、X社が悪であることを証明するという明確な目的がありますよね。
はい、あります。そして、検索エンジンにキーワードを打ち込んで情報を探すという強い意思を持っています。
さらに、出てきた無数の記事の中から、この記事は自分の結論に使える、この記事は都合が悪いから無視しようと、彼なりの基準で材料を採用し、判断を下しているんです。
なるほど。
目的があり、意思があり、判断がある。これは思考のプロセスそのものなんですよ。
メカニズムとしては、研究室で仮説を証明しようとしている科学者と、全くお謎プロセスを踏んでいるってことですね。
そういうことです。
ただ、その証拠を採用する基準がめちゃくちゃなだけで。
その通りです。何も考えていないという言葉は、しばしば私と思考のルールが違うとか、結論が間違っているということへの批判として使われるんです。
ああ、確かに。
でも、実際には彼らも認知的なエネルギーを使って情報を処理しているんですね。
そうか。
独自性があるかとか、反省を探してフェアに物事を見ているかとか、最終的な結論が客観的に正しいか、これらは全てより質の高い思考をするためのテクニックの話なんです。
テクニック。
はい。自分で考えたと呼ぶための絶対条件ではないんです。
なるほど。私たちは独自で客観的で正しい結論を出さなければ自分で考えたことにならないって、自分自身に高すぎるハードルを課していたのかもしれないですね。
そうかもしれませんね。
他人の意見の逆張りをすれば自分で考えたことになるって勘違いしている人もよく見かけますけど。
ええ、いますね。
それも結論を反転させただけで、情報との関わり方が浅ければ質の高い思考とは言えないわけですよね。
まったくその通りです。
逆に、世の中の大多数が賛同しているありふれた意見であっても、自分がしっかり材料を集めて、やっぱりこれが一番理にかなっているって判断して採用したなら。
はい。
それは堂々と、自分の頭で考えた結果だって胸を張っていいと。
まさにそういうことです。プロセスに対して自分がどう関与したか、その手綱を握り続けているかどうかが全てなんですよ。
いや、頭の中の霧がすっかり晴れた気がします。
それは良かったです。
ではここまでの深い探求を一度整理して、自分で考えるために本当に必要な条件をまとめてみましょうか。
はい、確認してみましょう。
どんな情報源であれ、どんな結論であれ、この3つの条件を満たしていれば、それは考えたと言える。
まず1つ目は、何かを知りたい、解決したいという目的が設定されていること。
そうですね。
そして2つ目は、そのプロセスに他人任せではなく、自分の意思で足を踏み入れること。
外から与えられたテーマであっても、事実運転席に座ることですね。
はい、とても重要です。
そして3つ目が、入ってきた情報や直感として湧き上がってきた候補をそのまま鵜呑みにするのではなく、最終的にどこまで自分の個体として採用するかを判断すること。
この3つですね。
完璧に網羅されています。
そしてですね、この3つのプロセスを誠実に実行した結果として、1つ重要な付け加えがあるんです。
何でしょう?
もしあなたが様々な専門家の意見を聞いて、直感を巡らせて、データを吟味した上で、今の材料だけではどちらが正しいか分からないという状態に行き着いたとしますよね。
ああ、答えが出なかった。それって失敗じゃないんですか?
全く違います。プロセスをきちんと踏んだ上での保留とか、分からないという結論は思考の放棄ではなく、立派に自分で考えた結果なんです。
おお。
分からないことを無理にどちらかに決める必要はありません。
今の段階では判断を下さないという強力なブレーキペダルを踏むことも、運転席に座るものの重要な権限なんですよ。
分からないというのも1つのアクティブな結論なんですね。なんだか、情報を扱うことへのプレッシャーが少し軽くなりました。
そう思ってもらえると嬉しいです。
思考をゼロから無菌室で作り出す必要なんてないんですよね。世界中にある材料を自分の頭の中のまな板に乗せてどう料理するかという関わり方の問題だったんですから。
ええ、まさにそういうことです。
アルゴリズム時代に運転席を守る
さて、今日この探求を最後まで共に歩んでくれた皆さんに最後に1つ少しだけ背筋が伸びるような問いを投げかけて終わりにしたいと思います。
はい。
自分で考えるという行為が外から来た材料をどう扱いどう判断するかというメカニズムなのだとしたら、
ええ。
私たちが生きている今の情報環境って少し恐ろしいと思いませんか?
アルゴリズムによる情報提供のことですね。
そうです。私たちがスマホを開くたび、SNSや動画プラットフォームのアルゴリズムは過去の履歴から私たちの好みを完璧に把握して、
はい。
あなたが心地よく感じるであろう情報とか、あなたが賛同しやすい意見をまるで先回りするように次々と差し出してきますよね。
そうですね。
こういう意見はどうですか?この人があなたと同じことを言ってますよって絶え間なく候補を提示してくる。
材料探しの手間が省けるという意味では非常に便利なんですけど、
同時に自分にとって都合の悪い証拠と向き合うプロセスをショートカットさせてしまう甘い誘惑でもありますよね。
そうなんですよ。まるで運転席の横から、すごうれのナビゲーターが、この道が一番安全で快適ですよ。
私がハンドルを操作しておきましたからってさすやき続けているような状態じゃないですか。
確かにそんな感じですね。
だからこそ皆さんに問いたいんです。そんな最適化された世界の中で、
あなたは今日どの情報をただの候補として保留し、どの情報を自分の答えとして採用したでしょうか。
それは本当にあなたが吟味して選んだものでしょうか。
深い問いですね。
次にニュースを見た時、あるいはSNSで完璧に自分の気持ちを代弁してくれる意見に出会った時、
少しだけ立ち止まって、今自分の頭の中の運転席に本当に自分が座っているか、
それともアルゴリズムという見えないナビゲーターに、いつの間にかハンドルを預けてしまっていないか、確認してみてください。
その立ち止まって疑う瞬間こそが、すでにエンジンをかけ直す思考の始まりですからね。
そういうことです。
それでは皆さん、また次回の探究でお会いしましょう。
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